<教団施設内・廃棄区画 21:54PM>
「みさお……」
 妹の名を呟くように呼びながら折原浩平は目の前にある巨大な水槽に手を触れさせながら、涙をこぼした。
 その彼を水槽の内側からじっと見つめている少女の姿がある。浩平が触れているところと同じところに自分の手を置き、水中でありながらもその目を潤ませながら。
「……お兄ちゃん……」
 そう呟き、少女――折原みさおはその目から涙をこぼした。もっともその涙はすぐに水槽を満たす薄い緑色をした液体の中の溶け込んでいったのだが。

<教団施設敷地内庭園 21:56PM>
 この教団の支部はそこそこの敷地面積を持っている。
 施設の建物などはコンクリートなどで造られた無骨そのものなのだが、その建物の周囲は緑の芝生に覆われ、遊歩道のようなものが整備されていて更には花壇なども存在している。少し離れたところには畑やらビニールハウスなどもあり、自給自足が可能なようになっていた。
 そんな敷地の中を小さな川が流れている。人工的に整備されたもので、それほど深さがある訳でもない。流れる水も、水源こそ自然のものを使っているが、その水量などはコンピューターなどにより制御されていた。
 何故こんなところに川があるのかというと、一つにはこの支部に勤めている多くの人間の憩いの為。他には各施設で使用されている水の確保の為だった。先程あげた畑やビニールハウスもこの川の水を使って営まれている。
 その川の穏やかな流れに今、異妖なものが浮かんでいた。不気味な、白っぽい半透明の物体。異妖なのはただ浮いているだけに見えるその物体が穏やかではあるが、はっきりとわかる流れの中、その場にじっと停滞し続けていると言うこと。決して流されることなく、かと言って流れに逆らっているようにも見えず、ただただ浮いている。有り得ない光景だった。
 そんなところに一人の警備員らしき男がやってきた。施設の敷地内を巡回中だったのか、それともこの川の異変に気付いてやって来たのかはわからないが、手に懐中電灯を持って小走りに川の方へとやってくる。
「これか」
 そう呟いて男は懐中電灯で川に浮かんでいる異妖な物体を照らし出す。
「何なんだ、これ?」
 川縁にしゃがみ込み、白っぽい怪しげな物体に男が手を伸ばそうとしたその時だった。突然白っぽい怪しげな物体からやはり白っぽい半透明のひだひだのついた触手のようなものが飛び出して来、男の首に素早く巻き付いたのだ。男が慌てて首に巻き付いた触手のようなものを振り解こうとするが、それよりも早くその触手のようなものが青白く発光する。
「ぐぎゃあああっ!」
 男が悲鳴を上げ、その場に仰向けになって倒れ伏す。その全身は黒こげになっており、ぶすぶすと煙が上がっている。顔すら判別できないほどに黒こげになった男の首から巻き付いていた触手のようなものがほどけ、そのすぐ横をびしょびしょになった足が通過していく。その足は人間のものではない。明らかに異形の足だ。
「み〜な〜ご〜ろ〜し〜」
 聞こえてきたのは歌うような声。だが、歌にしては何処か調子が外れている。
「あ〜いつもこ〜いつもひ〜とりの〜こら〜ずみ〜なご〜ろし〜」
 歌っているのは全身ずぶ濡れの若い男だった。虚ろでありながらも、何処か嬉しそうな怪しげな笑みを浮かべながら男はゆらゆらと身体を左右に揺らしながら教団施設へと向かっている。その足は勿論、ただの人間の足だ。
「み〜な〜ご〜ろ〜し〜」
 再び同じフレーズを口にし、その男は建物を見上げてニヤリと笑う。その姿が一瞬、巨大なクラゲのような姿に変わった。
 水母種怪人グダゼ・ガクツ。
 この怪人こそ白いスカーフの女が教団に対して送り込んだ最強最悪の刺客なのだった。
 そして、この怪人が潜入したことを知る者は、今はまだ誰もいない……。

仮面ライダーカノン
Episode.67「交渉」

<東京都奥多摩町青梅線奥多摩駅前 22:13PM>
 駅前に止められている一台の覆面車。その中には三人の男女がいた。運転席に座っているのは警視庁未確認生命体対策本部に所属する刑事、住井 護。その隣、助手席に座っているのは相沢祐一と言う名の青年。更に後部座席には神崎美優と言う名の女子大生が横になって眠っていた。
「……余程疲れていたみたいだな」
 チラリと後部座席を見やって住井が呟いた。
「今日一日で色々とありすぎたからなぁ。正直言って俺もかなり疲れてますよ」
 祐一はシートに背中を預け、心底疲れたと言う感じでため息をつく。
 彼の言う通り、この日は色々とありすぎた。特に後部座席で眠っている美優にとっては。祐一を捜して朝から走り回り、その彼と共に祖父の元へとやって来てみれば祖父は殺されていて、更に自分も命を狙われた。しかも相手は未確認B種と呼ばれる怪人だ。彼女のような極々一般人の精神にはかなり堪えたことだろう。
「……これからどうする?」
「とりあえず腹減ったってのが今の俺の感想なんだけど」
 住井の質問にそう答えた祐一はチラリと時計を見る。住み込みでバイトをしている喫茶ホワイトを美優と共に出てきたのは確か三時前だったはずだ。あれからほとんど飲まず食わずでこの時間。そろそろ空腹も限界だ。
「それじゃとりあえず何処かで飯でも食うか。何か希望は?」
「カレーでなければ何でも」
 何故カレー以外なのか、と思わないでもない住井だったがあえて尋ねようとはしなかった。勿論、彼は祐一がバイトしている喫茶ホワイトがカレーを名物にしていることなど知る由もない。
「じゃあ、何処かファミレスを探すか。君はあのバイクで来るんだろ?」
「勿論。あいつは俺の大事な相棒ですからね」
 そう言って祐一は覆面車を降り、すぐ側に止めてあったオフロード型のバイク、ロードツイスターに跨る。ヘルメットを被り、エンジンをかけるとそれを待っていたかのように覆面車が動き出した。先行する覆面車を追って祐一はロードツイスターを発進させる。
(しかし……あの女、一体何処に行ったんだ?)
 ロードツイスターを走らせながら祐一は闇の中に消えていった襲撃者の女のことを考えていた。
 美優の祖父を殺し、モモンガ怪人、ナマケモノ怪人を自分にけしかけ、かつて自分を苦しめた水瀬一族と同じ力を使った謎の女性。その名を巳間晴香と言うのだが、そんなことを彼が知る訳もない。その彼女が逃げる時、彼女は非常に苦しそうな様子だった。あの様子では遠くに逃げることが出来たとは考えがたい程に。しかし、近辺を探してみても彼女の姿はなかったのだ。まるで闇の中にそのまま溶け込んでしまったかのように、彼女の姿は杳として知れなくなっていた。
(まさか……この近くに奴らの本拠地があるんじゃ……)
 前方に見える覆面車のテールライトを追いかけながら祐一はそんなことを考えていた。それが正しいと言うことを、まるで夢にも思いもしないで。

<教団施設内 22:34PM>
 簡素なベッドの上に寝転びながら国崎往人はぼんやりと天井を見つめていた。この場に連れてこられた時に持っていた時計や携帯電話などは奪われてしまっていて今の時間は全くわからない。だが、それなりの時間が経過したのだろうと言うことはわかる。
「しっかし退屈だよな」
 そう呟いて寝返りを打つ。
 何もすることがなく、ただじっとこうしているのはなかなかに苦痛だった。しかし、何か出来る訳でもなく、今の自分に出来ることと言えばこうしてじっとしていることぐらい。いい加減寝ているのにも飽きてきた。
「よっと」
 声を出して身体を起こした国崎はドアの方を見た。見るからに頑丈そうな鋼鉄製のドア。体当たりしたところでぶち破ることは不可能だろう。仮に外に出られたとしても、ここには未確認B種がうようよといるのだ。見つかればあっさりとここに連れ戻されるか、下手をすれば殺されてしまうだろう。
「……つーか、何で俺がこんな目にあってんだ?」
 今の自分のこの境遇を考えて国崎はため息をつく。そもそもの失敗は祐一からかかってきた電話に出た所為か、それともその後偶々見つけた白装束の怪しげな集団に着いていったことか。
「何にせよ、祐の字とあの包帯野郎……今度会ったら一発ぶん殴らねぇと気が済まないな」
 もしこれをその二人が――祐一と浩平のことだが――聞いていたらさぞ嫌そうな顔をするに違いない。しかしながら確かに国崎が今置かれているこの状況を作り出したのは二人が原因であることも間違いない。別段国崎が二人を殴ったとしても誰も文句は言わないだろう。ただし、この二人はおとなしく殴られるような性格ではなく、祐一はともかく浩平に至っては殴られたらしっかりお返しをするだろうと言うことは容易に想像出来るのだが、そんなことは浩平のことをよく知らない国崎が知る訳もない。
 とりあえず祐一と浩平、この二人に会ったら絶対に一発殴ると改めて決意し、国崎は再び横になるのであった。

<都内某所・某ファミリーレストラン 22:43PM>
 走っている最中に見つけた二十四時間営業のファミリーレストランに入り、かなり遅めの夕食をとった祐一達は半分眠っているような感じの美優も含めてこれからのことを話し合っていた。
「とりあえず夜が明けたら神崎さんのお爺さんの山小屋に行ってみようと思う。もしそこに……その、神崎さんのお爺さんの死体があれば、それは事件として報告しないといけないし」
 少し美優を気遣うような素振りを見せながら住井がそう言い、祐一を見る。
「ああ、君のことは報告しないでおくから心配しないでくれ。で、君はどうする、相沢君?」
「俺も付き合いますよ。もしかしたらまた奴らが現れるかも知れないし。でも、その前に」
 祐一はそう言いながらうつらうつらしている美優に視線を向けた。
 未確認B種に命を狙われているのは祐一もそうだが、彼女も同じだ。だが、祐一には彼女と違って奴らを倒せるだけの力がある。美優には勿論そんな力はない。
「神崎さんを一人にするのは危険だと思います。奴らは神崎さんを狙っている。出来れば何処か安全な場所に保護してあげた方がいいと思うんですが」
 今の美優は肉体的にも精神的にも相当参っている。何処かゆっくりと休める場所で休ませてやる方がいいに違いない。
 しかし問題がある。彼女は未確認B種に命を狙われていると言うことだ。奴らから彼女を守れなければ意味がない。本家本元である未確認生命体には劣ると言えどもその力は人間などものともしない。下手に近くにある交番などに預ければ、そこにいる警官ごと殺されてしまうかも知れない。
「それは僕もそう思うんだが……彼女が嫌がっているからなぁ。何か僕たちと行動を共にしたいみたいで」
「それは……」
 一緒に行動した方がそれはそれで安全かも知れない。戦士・カノンである自分ならば未確認B種に後れをとることはまずないだろう。普段の自分ならば、と言う注釈がつくが。
 ここしばらくの不調を考えてみれば、一緒に行動させるのも危険かも知れないと、祐一は考えた。もしもまた自分を見失うようなことがあれば、自分自身が彼女や住井を傷つけてしまう可能性がある。住井はまだ未確認生命体対策本部に所属している刑事で、それなりに死線をくぐり抜けてきているから何とか対応出来るかも知れないが、一般人である美優にそれをも止めるのは無理があるだろう。
「やっぱり何処か安全な場所に預けるべきですよ。俺たちで彼女を守りきれるかどうかわからないし」
「それもそうだが……何処か心当たりはあるのか?」
 その住井の質問に祐一は腕を組んで考え始める。
 条件は未確認B種に襲われても無事に彼女を守りきれると言うこと。それを考えるとこの付近の警察署などは除外されるだろう。未確認生命体騒動でそれなりに装備は強化されてきているだろうが、それでも強化された装備などは優先的に未確認生命体対策本部に回されており所轄署などでは基本的に通常の装備しかない。故に未確認生命体が出現しても所轄署は基本的に直接未確認生命体と相対はせず、付近の住民の避難誘導などを優先してやることになっているのだ。そのようなところに美優を預けたとして、いざ未確認B種が襲ってくれば被害者が増えるだけだ。
 ならば住井が所属している未確認生命体対策本部ならばどうだろうか。確かにここならば今まで何度となく未確認生命体や未確認B種と戦ってきた実績があり、その装備も対未確認生命体用に開発されたものを優先的に配備されている。未確認生命体はともかく未確認B種程度ならば十分に対処出来るだろう。しかしながらこの部署は人員数が常に不足しており、そんなところに美優を守ってくれと言って連れて行くのは非常に迷惑なことだろう。
「……心当たり、ね……」
 そう呟き、祐一はふとある人物の顔を脳裏に思い浮かべた。彼女ならばきっと二つ返事でこの少々無茶なお願いを引き受けてくれるだろう。それに彼女のいる場所ならば確実に美優を守れるはずだ。
「……住井さん、一つ心当たりがあります。あそこなら彼女を守れる」
「そんな場所があるのか?」
「倉田重工第7研究所。PSKチームがいるあそこなら未確認B種が襲ってきても確実に撃退出来るはずです」
 祐一の言葉を聞いて住井が意外そうな顔をする。
「君は……PSKチームのことも知っているのか?」
「あそこの所長は高校時代の先輩で、PSK−03の装着員は同級生です。向こうも俺のこと知っているから連絡が取れれば」
「わかった。朝になったら僕が連絡してみる」
「お願いします」
「しかし……君は顔が広いんだな」
 少し感心したような顔をして住井がそう言うと、祐一は首を左右に振ってみせた。
「違いますよ。俺は……あの二人の運命を狂わせた……」
 自嘲しながら祐一は小さく呟く。
 そんな祐一を見て住井は黙り込んだ。倉田重工第7研究所の所長とPSK−03の装着員、そして彼の間に一体何があったと言うのだろうか。聞いてみたい気がしたが、おそらく祐一は話しはしないだろう。
 無言で住井はテーブルの上のコーヒーカップに手を伸ばした。これから朝まで、長くなりそうだ。

<倉田重工第7研究所 23:11PM>
 食堂にあるテレビではニュースが流れている。それをコーヒー片手に一人の男がぼんやりと眺めていた。彼の名は斉藤。PSKチームの一員でオペレーターを勤めている。
 今、PSK−03は大改装の真っ最中であり、PSKチームのリーダーでPSKシリーズの開発メンバーの一人でもあった七瀬留美はその作業に追われて何日も徹夜で頑張っているのだが、彼はその間何もすることがなく、こうしてぼんやりとテレビなどを見ながら過ごしている。
「何のんびりやってんのよ、あんたはっ!」
 突然そんな声が聞こえてきて、ほぼ同時に斉藤は後頭部に殴られたような衝撃を受けて前につんのめった。いや、事実殴られたのだが。
「な、七瀬さん……いきなり何するんですか?」
 殴られた後頭部を手で押さえながら斉藤はそう言い、振り返る。そこには目の下に大きな隈を作った七瀬留美が立っていた。口よりも先に手の出る傾向のある彼女らしく、先程彼の後頭部を殴った手をポキポキと改めて鳴らしていた。寝不足やら何やでかなり苛立っているのがわかる。
「何するんですかじゃないわよ! 人が必死に色々やっているのに何であんたはここでぼんやりとテレビ見てんのかってこと!」
「い、いや、ほら、僕ってオペレーターだし、そんなPSK−03の改修なんて何も手伝えないし」
「だからってぼけーっとしてていいわけないでしょうが!」
 必死に言い訳しようとする斉藤だが今のご機嫌超斜めな留美には通用しない。この状態の留美には何を言っても無駄だろう。下手をすればまた殴られるかも知れない。
「す、すいません」
「……別に謝って欲しい訳じゃないわよ」
 留美はそう言うとテレビの方に目をやった。流れているニュースは先日世間を騒がせた天使様のこと。あの東京タワーに現れてからまるで姿を見せないでいる割に、多くの人々がその姿を求めているという。更にこの天使様を奉じる団体が次々と誕生しているとか。多くの人々がその団体に参加し、天使様が再び降臨するのを待ち続けているらしい。
「……何これ?」
「ああ、今話題の天使様ですよ。この間東京タワーに突然現れて、それで一瞬で未確認を消し去った後また何処かに消えたって言う。ニュースだけじゃなくってワイドショーとか新聞とか雑誌でも話題になってますよ」
 そう言って斉藤はテーブルの上に投げ出されてあった新聞を広げてみせた。それはいわゆるスポーツ新聞の類のもので、一面にデカデカと「天使様、今何処に!?」などと言う見出しが載せられている。
「……ふぅん」
 興味なさそうに留美は新聞記事を眺めていたが、やがてその視線を新聞から斉藤の方へと変える。
「それで斉藤君。あんたはこの天使様とやらを信じてるの?」
「どう言う意味ですか?」
 留美の質問の意図が読めず、訝しげな表情をして斉藤が問い返した。
「質問に質問で返すなって教わらなかった? まぁ、別に構わないけど……」
 小さくため息をつきながら留美はそう言うと、テーブルの上に広げられた新聞を指で指し示す。勿論、その指先が刺しているのは天使様の写真だ。
「この天使様は奇跡のような力で未確認……本物かB種かどっちかは知らないけど、それを消し去った。まさしく奇跡。この天使様がいれば人々は未確認の脅威に怯えなくて済む。違う?」
「それはそうですね」
「この天使様が我々人類が謎の未確認生命体の脅威にさらされているのを見かねた神様にでも使わされた本物って言うのならありがたい話だわ。北川君や相沢君、未確認対策班の刑事さん達もこれ以上危ない目にあわなくて済むし、後は全部任せてしまえばいいんだから。でもね、よく考えてみて。何で今頃になってこの天使様は現れたの?」
「え?」
「もっと早くにこの天使様が現れても別によかったんじゃないの? そうすれば犠牲者はもっと少なくて済んだんだし。何でこのタイミングで現れたのか?」
「それは……あれじゃないですか? 新宿の事件とかがあって、今まで以上に未確認の脅威が大きくなって」
「そう、それよ」
 そう言って留美は写真に向けていた指を斉藤に向けた。
「新宿の事件以降、みんな不安で堪らなかったはずだわ。何時、何処に未確認が現れるか。本物の未確認は一回に一体ずつだけどもB種はそうじゃない。一斉に大量の数で現れるかも知れない。そうなると私達や未確認対策班、それにカノンだけじゃ対処しきれないと言うことはあの事件でみんな知ってしまった。そんな不安がピークに達しているであろうこの時に、こうも都合よく天使様降臨……何かおかしいとは思わない?」
 留美にそう言われて斉藤ははっとなった。
 確かに留美の言う通り、天使様が現れたタイミングは良すぎる。更にこの天使様を奉じる謎の団体までも現れたと先程ニュースで言っていたではないか。一体誰がその団体を作ったと言うのか。
「まさか……この天使様の騒ぎも……」
「その可能性は高いと思うわ。何にせよ、私達はまだまだお役御免にはならないってこと。さぁ、行くわよ」
 唖然とする斉藤に留美はそう言い放ち、歩き出した。
「行くって何処に?」
「……PSK−03の改修はだいたい終了したわ。今からはソフトウェア関係の調整よ。オペレーターであるあんたがいなきゃ話になんないでしょ」
 斉藤の質問に少しの苛立ちを見せつつも、留美は足を止め、彼の方を振り返って答える。それを聞いた斉藤は表情を引き締め、それから頷いてみせた。
「了解です!」
「そうそう、その意気よ。さぁ、今日は徹夜よ、徹夜! 意地でも明日の朝までに完成させてみせるわ!」
「あ……は、はい……」
 初めは威勢のよかった斉藤だったが、留美の”徹夜”発言を聞き、急激に意気消沈していくのだった。

<東京都奥多摩地区某所 08:12AM>
 結局、朝までファミリーレストランで過ごした祐一達は朝食をとった後、美優の祖父の山小屋のある場所へと向かっていた。
 朝食をとっている時に美優には安全な場所へと避難して貰おうと思い、彼女にそう言ったのだが、彼女はそれを断固拒否。どうやら彼女は祖父が何故殺されたのか、どうして祖父が未確認B種に殺されねばならなかったのかをどうしても知りたいらしい。住井はそれでも必死に説得したが、彼女の一度言いだしたら聞かない頑固な性格を知る祐一は小さくため息をついただけだった。結果的に美優の説得は無理だと住井が折れることになり、彼女も同行して山小屋の方に向かっているのだった。
(しかし……奴らがあの山小屋をそのままにしているだろうか?)
 ロードツイスターで覆面車からやや先行しながら走っている祐一がそんなことを考えていると、前方、山小屋のある方角から煙が上がっているのが見えた。
「まさか……住井さん、先に行きます!」
 慌てて無線でそう言うと祐一はアクセルを回し、ロードツイスターを加速させる。通常時でも最高時速三百キロを誇るロードツイスターだ。あっと言う間に覆面車を引き離し、山小屋のある場所へと辿り着く。
「クソッ! やっぱり……」
 ヘルメットを脱ぎ、そう言った祐一の目の前では美優の祖父の山小屋が紅蓮の炎に包まれていた。せめて美優の祖父の死体だけでも運び出したかったが、もはや炎は山小屋を完全に覆い尽くし、中に入ることは不可能だ。あの中に飛び込んでいくのは自殺行為に他ならない。
 呆然と、ただ炎の中に崩れ落ちていく山小屋を見ていることしか出来ない祐一の後ろにようやく覆面車がやってきた。中から住井と美優が飛び出してくる。
「お爺ちゃんっ!!」
 そう言って燃え盛る山小屋に向かって駆け出そうとする美優を住井が必死に制する。
「ダメだ、神崎さん!」
「放して! あそこにはお爺ちゃんが!」
 必死に住井の手を振り解こうとする美優だが、住井はその手を放すことはなかった。
 その様子を祐一は何とも言えないような顔をして見ていたが、不意に視線を感じ、その方へと振り返る。燃える山小屋の向こう側、木の陰に一体の異形が立っているのが見えた。
 少し遠かったので何の異形かはわからないが、おそらく山小屋に火をつけ、その燃え落ちる様を見ていたのだろう。あるいはここに再びやってくるかも知れない祐一達を監視する為か。
「住井さん、ここはお願いします!」
 祐一はそう言うが早いか、ヘルメットを被り直してロードツイスターを発進させた。燃え盛る山小屋の脇を通り抜け、木の陰に隠れていた異形に迫る。
 自分の方に向かってくる祐一に気付いた異形は慌てた様子で背後に広がる森へと駆け出す。しかし、祐一が乗っているのは全地形走破を目指して作り出された超マシン。その機動力は森の中でも落ちることはなく、物凄い速さで異形の背中へと追い縋っていく。
「逃がすかっ!」
 祐一が吼え、ロードツイスターをジャンプさせた。逃げる異形を飛び越え、その前方に着地したロードツイスターを素早く反転させて、祐一は異形を睨み付ける。
「くう……流石はカノン……そう簡単にはいかんか」
 行く手をロードツイスターに遮られた異形も同じように祐一を睨み返す。その頭部はハイエナを思わせる。言ってみればハイエナ怪人だろうか。
「……ならばここで貴様を排除するのみ!」
 そう言ってハイエナ怪人が祐一に飛びかかった。
 祐一はすぐさまロードツイスターを発進させて飛びかかって来たハイエナ怪人をかわすと、少し距離を取りハンドルから手を放した。そして宙に右手で十字を描く。
「変身ッ!」
 その声と共に祐一の腰にベルトが浮かび上がり、ベルトの中央にある霊石が眩い光を放つ。直後、眩い光の中で祐一の姿は戦士・カノンへと変身を遂げた。同時にロードツイスターもカノン専用のスーパーマシンへと変化する。
 カノンは再度飛びかかって来たハイエナ怪人を受け止めながらロードツイスターから降り、地面の上を転がった。回転する勢いを利用してハイエナ怪人を投げ飛ばすと片膝をつきながら身を起こす。
「何で山小屋に火をつけた!?」
「証拠隠滅だ! 神崎が教団の資料を残している可能性があったからな!」
 カノンの問いかけにハイエナ怪人は起き上がりながら答える。そして、すぐさま地面を蹴ってまたしてもカノンに飛びかかった。
「貴様らに我らの計画を知られる訳にはいかん! 今はまだな!」
 鋭い爪を伸ばしながらカノンのすぐ側に着地したハイエナ怪人がその腕を突き出した。慌ててその腕をかわそうと身体をよじるカノンだが、少し遅く、ハイエナ怪人の鋭い爪がカノンの生体装甲を浅く切り裂いていく。
 ハイエナ怪人は更に両腕を振り回し、カノンのボディに傷を付けていく。
(こいつ……思ったよりも動きが速い!?)
 一つ一つの傷は深くない。ダメージらしいダメージもまだ受けていないのだが、あまりもの連続攻撃に反撃の糸口が掴めない。このままではじわじわと体力を奪われてしまうだけだ。
「このっ!」
 ダメージを覚悟でカノンはハイエナ怪人の方に踏み込んだ。肩からぶつかるようにして、同時に肘をハイエナ怪人の腹部に叩き込む。
「ぐふっ!」
 カノンの肘打ちを喰らい、吹っ飛ばされるハイエナ怪人。
 倒れたハイエナ怪人を見て、カノンはその場で両足を前後に広げて腰を落とした。一気に勝負をつけるべく必殺のキックの体勢の入ったのだ。しかし、いざ走り出そうとしたカノンの両肩を後ろからギュッと何者かが物凄い力で掴む。そして、そのままカノンの身体を持ち上げると、右方向へと投げ飛ばした。
「何をしている、B−43」
「済まない、助かったB−67」
 カノンを物凄い力で投げ飛ばし、ハイエナ怪人に声をかけたのは直立したゾウのような怪人だった。そのゾウ怪人の手を借りて起き上がったハイエナ怪人は投げ飛ばされたカノンの方を振り返る。だが、その先にカノンの姿はなかった。
「何!?」
 驚きの声をあげるハイエナ怪人。
「ここだよ!」
 聞こえてきたカノンの声にハイエナ怪人とゾウ怪人が後ろを振り返る。そこにはボディを白から青に変えたカノンが青いロッドを手に立っていた。
「援軍がいたとは、ちょっと油断したぜ……だけどそのお陰で確信出来た。この近くにお前らの基地があるってな!」
 そう言って青いカノンは手にしたロッドを振り上げながらハイエナ怪人とゾウ怪人に向かって走り出した。両怪人の少し手前で振り上げた青いロッドを一気に振り下ろし、その先端を支点に自らの身体を宙に浮かせる。
「とおりゃあっ!」
 雄叫びをあげながら青いカノンはハイエナ怪人とゾウ怪人の頭部に開脚蹴りを放った。青いカノンは他の色の時と違って俊敏性やジャンプ力に優れている。その分、防御力やパワーの面において他の色の時と比べて劣ってしまうのだが、それでもこの蹴りは充分相手を怯ませることが出来たようだ。蹴られた頭部を手で押さえながらよろめくように後ろに後退するハイエナ怪人とゾウ怪人を尻目に着地した青いカノンは、素早く青いロッドを大きく振り回してハイエナ怪人の足を払った。
 足を払われ、無様に倒れるハイエナ怪人を見たゾウ怪人が青いカノンに向かって突っ込んでくる。しかし、青いカノンはゾウ怪人の突進をジャンプしてかわし、同時にその後頭部に蹴りを叩き込んでいた。その一撃を喰らってゾウ怪人は前のめりに倒れてしまう。
「さて……まだやるか?」
 倒れたハイエナ怪人、ゾウ怪人の間に立つカノンがそれぞれを見やって尋ねた。これで逃げるなら後をつけて敵の基地を見つけだす。逃げずに挑んでくるならこの場で叩きのめす。果たしてこの怪人達がどちらを選ぶのか、どちらを選んだところで最終的にこの怪人達を倒すことには変わらないが。
「くうっ……」
 呻きながら地面を爪でひっかき、身を起こすハイエナ怪人。悔しいが自分たちではカノンに敵いそうにもない。しかし、このままカノンが自分たちをあっさりと見逃してくれるとは思えなかった。
「ぬううっ!」
 そんな声をあげながらいきなりゾウ怪人が立ち上がった。振り返ると同時にその長い鼻を振り回し、カノンを打ち据えようとする。
「そう来るかよ!」
 青いカノンは大きくジャンプしてゾウ怪人の鼻をかわす。そのまま落下しながらゾウ怪人の胸板目掛けて手にした青いロッドを突き出した。
 ロッドの先端部がゾウ怪人の胸板に叩き込まれ、ゾウ怪人がよろめきながら後退った。青いカノンのロッドが叩き込まれたところには古代文字が浮かび上がっている。直後、ゾウ怪人はその場にバタリと倒れ、爆発四散した。
 その爆発を見たカノンはすぐさまハイエナ怪人の方を振り返った。しかし、そこにハイエナ怪人の姿はない。どうやらゾウ怪人を倒している間に逃げてしまったようだ。
「……薄情な奴だな。自分は助けて貰っておきながら」
 周囲にハイエナ怪人の気配がないことを確認してから、カノンは祐一の姿に戻る。倒れたロードツイスターの元に歩み寄り、その車体を起こしていると向こうの方から住井が走ってくるのが見えた。
「相沢君、大丈夫か?」
 そう声をかけてくる住井の手にはライフルが握られていた。おそらくは祐一を、カノンを援護するつもりだったのだろう。
「ああ、見ての通りです。でも俺たちを見ていた奴は逃がしちゃいましたけどね」
 言いながら祐一はロードツイスターのスタンドを立て、それから森の奥を見やる。おそらくそちらの方向にハイエナ怪人は逃げていったのだろう。
 少しの間じっと森の奥を見ていた祐一だが、やがて思い出したように住井の方を振り返った。逃げていったハイエナ怪人も気になるが、他にも気になることはある。
「そう言えばあっちは?」
「ああ、消防を呼んでおいた。もうやってきて消火活動を始めているはずだよ」
「それで、神崎さんは?」
「あー……可哀想だったんだけど、当て身を喰らわせておいた。そうでもしないと止められなかったからね」
 確かに山小屋が燃えているのを見た美優は半狂乱になっていた。あのような状態の彼女を止める為には当て身も仕方ないのだろう。住井が鎮静剤など持ち合わせているはずもないのだから。
「大丈夫なんですか? 彼女、女の子ですよ?」
「あー……首筋にやったから多分……」
 苦笑を浮かべながらそう尋ねる祐一に少しニュアンスの違った苦笑を浮かべて答える住井。それから二人は示し合わせたかのように同じ方向を向いた。おそらくはハイエナ怪人が逃げていったであろう森の奥。その先には未確認B種を操る”教団”という組織の基地があるはずだ。
「行きますか?」
「ああ」
 表情を引き締め、互いに頷きあうと二人は森の奥へと歩き出した。

<教団施設内・廃棄区画 09:11AM>
 この廃棄区画は教団施設の中でもかなり地下深くにあり、太陽の光が入ることはない。従って太陽の光の差し込む角度などで時間が計れはしない。おまけに時計なども存在しないので一体今が何時ぐらいなのかは誰にもわからない。
 寝起きのぼんやりする頭で名倉由依はそんなことを考えていた。
「……何時だろう……?」
 そう呟き、自分用に設えた簡易ベッドから降りる。仕切り代わりのカーテンを抜け、皆との共同スペースに出ていくと、そこで思いもかけない光景に出会い、思わず数歩後退ってしまった。
「な、何やってるんですか!?」
 思わず大声でそう言いながら由依はそこにある巨大な水槽へと駆け寄っていった。
「あ、おはようございます、由依さん」
「うっす」
 返ってきた声は両方とも水槽の中からだった。
「うっすじゃないですよ! あなた、何やってるんですか!?」
 そう言いながら水槽の側に駆け寄る由依。
 水槽の中では半裸の浩平とほぼ全裸のみさおがキョトンとした顔で互いの顔を見合わせていた。
「何やってるって言われてもなぁ?」
「何かおかしいんですか?」
 二人には由依が一体何を怒っているのか、まるでわからないらしい。二人して首を傾げている。
「何って……みさおちゃん、自分がどう言った格好しているかわかってるんですか?」
「うん、わかってるよ」
「だったら」
「……私とお兄ちゃんはちゃんと血の繋がった兄妹だよ、由依さん」
 由依の指摘にもみさおはやはり首を傾げるばかり。
 由依に言わせればほぼ全裸のみさおとパンツ一丁と言う半裸の浩平が同じ水槽の中にいると言うことが信じられないのだろう。二人ともそれなりの年なのに、一体何を考えているのだろうか。
「なぁに、気にすることはないさ。大体俺はみさおの世話を昔っから散々やってきたからな。風呂に入れてやるのも当たり前だったし。な?」
「うん。良く一緒にお風呂入ったよね、お兄ちゃん」
「そ、そう言う問題じゃないでしょうがっ!!」
 昔を思い出したのか、ニコニコしながら頷きあう浩平とみさおを見て、再び由依は怒鳴った。
 それを聞いた浩平は面倒臭そうに首を回すと上に向かって泳ぎ始める。この水槽の頭頂部に人一人が通ることの出来るぐらいの大きさの穴があり、おそらく浩平はそこから水槽の中に入ったのだろう。
「よっと」
 そんなかけ声をあげながら水槽から出てきた浩平は軽やかに床面に飛び降りてきた。着地すると同時に、まるで犬のように全身を震わせて身体中の水滴を振り払う。
「わわっ!」
 近くに立っていた由依は慌てて浩平から離れる。彼が全身から飛ばした水滴をかわす為だ。
「な、何するんですか!」
「ああ、悪かったな。生憎タオルとか持ってなかったから」
 何一つ悪びれることなく浩平がそう言い放つのを由依は頬を膨らませながらじっと睨み付けていた。少しの間じっとそのまま浩平を睨んでいたが、やがて自分の居住用のスペースに足早に戻っていき、そこから大きめのタオルを手に浩平の元に戻ってきた。
「はい!」
 不機嫌そうにそう言いながら手にしたタオルを浩平に突き出す由依。
 ニヤリと笑いながらそのタオルを受け取り、濡れた全身を浩平は拭き始めた。それを横目に由依は水槽の側に歩み寄る。
「みさおちゃん、いくら兄妹だからって言っても」
「わかってるよ、由依さん。でもね、物凄く久し振りに会えたんだ。ちょっとくらいは許して欲しいな」
 みさおを嗜めようとする由依だが、そのみさおにそう言われてはそれ以上何も言うことが出来なかった。みさおはともかく浩平は彼女が死んだものだとずっと思っていた。みさおにしても、この身体では外を出歩くこともままならず、二度と浩平には会うことが出来ないと思っていた。それがどう言う運命の運びになったのか、こうして再び巡り会うことが出来たのだ。少々羽目を外してしまうのも仕方ないのかも知れない。
「……えっと、一応みさおちゃんもそれなりの年齢なんですから、今回はもういいですけど、もうちょっと考えてくださいね」
「はい、わかりました」
 由依の言葉に素直に頷くみさお。
 全く、と言う風にため息をつく由依の背中に浩平が声をかけてきた。
「なぁ、パンツの替えとかは……ないよな」
 振り返ると同時に浩平を由依は思い切り睨み付ける。その剣幕に恐れを為したのか、浩平はおとなしく引き下がった。
「何で着替えもないのに水槽の中に入ったりしたんですか?」
 呆れたような感じで由依がそう尋ねると、浩平は先程由依から借りたタオルを腰に巻きながら彼女の方を振り返った。
「みさおが中に入れって言うからな。しかし凄いなあの液体。中にいても普通に呼吸とか出来たし、何か身体が軽くなったような感じだし」
 濡れたパンツを脱ぎながら答える浩平。そこに由依がいるのに全く気にせずに、だ。慌てて由依が背中を向けたのを見て、ニヤニヤ笑っている始末。
「それで、これからどうするんですか?」
 背中を向けたままの由依がそう聞いてきたので、浩平は腕を組んで考え始めた。
 そもそも浩平は教団の施設をぶっ潰す為にここに潜入したのであって、こうして妹のみさおと出会えたことは完全に予想外のことだった。こうなってくると妹が大事な彼としては優先順位が変わってくる。初めは今自分がいる教団の施設をぶっ潰すことであったが、みさおと再会した今では彼女を無事にここから連れ出すと言うことが最優先事項となっていた。
(しかし……)
 みさおをこの施設から連れ出すには問題があった。
 再会してからみさおに色々と話を聞いたところ、浩平は失敗して処分されたと聞かされていたのだが、実際には改造処置には成功したものの水中でしか活動出来ない種の怪人としてその力が発現してしまい、結果として彼らの目的にはそぐわないとしてこの廃棄区画に送られたらしい。本来ならばそこで死を待つだけの彼女だったのだが、そこにふらりと現れた一人の少年の手によって今程の大きさではないものの、そこそこの大きさの水槽を用意して貰い、何とか命を長らえたそうなのだ。その後、次々と失敗作としてこの廃棄区画に送られてくる人々と共に廃棄区画の一部を何とか生活が出来るまでに整え、今に至るとのこと。
 この話からみさおは水の外では長時間活動出来ないと言うことで、そうなるとここから連れて逃げるのはかなり難しいことになる。と言うか、どの程度みさおが水の外で生きられるのかによっては逃げ出すこと自体が不可能と言うことにもなるのだ。
(どうすればいい……このままここにずっとみさおを閉じこめておく訳にも……)
「お兄ちゃん?」
 じっと考え込んでいる浩平を心配そうな目で見つめているみさおが、少し不安げに声をかけてきた。険しい表情を浮かべて黙り込んだ兄が、急に遠くなってしまったように感じられたのだろうか。
 妹の声にはっと我に返った浩平は笑顔を浮かべて水槽の方を振り返った。出来る限りみさおに心配や不安を与えないように、明るい笑顔を浮かべて。
「ああ、済まない。ちょっと考え事しててな。何、みさおは何も心配するな。俺に任せておけばいい」
 キリッとしたさわやかな笑顔でそう言う浩平にみさおは大きく頷いた。その彼女のいる水槽の前に立っていた由依はキリッとしたさわやかな笑みを浮かべている浩平が大きなタオルを腰に巻いているだけのほぼ全裸でいるのを見て、大きなため息をついているのであった。

<警視庁未確認生命体対策本部 09:53AM>
 警視庁にある未確認生命体対策本部が入っている会議室では神尾晴子が如何にも不機嫌そうな顔をして、真正面に小さくなって座っている科警研の南を睨み付けていた。
「……で?」
「あー……いや、”で”って言われても」
 そう反論する南を更に威圧するように睨み付け、晴子はまた口を開く。
「……で?」
「いえ、ですから」
「……で?」
 先程から全く同じ反応しか晴子は返さない。ただ違っているのは一回「……で?」と尋ねる度に彼女の不機嫌度が上がり、南を睨み付ける目が細められていく。はっきり言って怖いことこの上ない。これなら問答無用で一発殴られた方が遙かにマシだ。
 何故南がこの様にして晴子に尋問されているのか。それには理由がある。先日から行方不明中の国崎往人に最後に会っていた人物が彼だと晴子が調べ上げたからだ。それでこうして呼びだして話を聞いている訳だが、彼は国崎と会っていたことは認めたものの、国崎がその後何処に行ったのかは知らず、更に国崎と何を話していたかすらも話そうとはしないのだ。晴子は二人が話していた内容に何かヒントがあるに違いないと踏んでいるみたいなのだが、南としてはあの話はあくまで荒唐無稽な推論でしかなく、おまけに国崎自身に口止めされているので晴子に話す訳にもいかず、何とか誤魔化そうとしている。それでこの膠着した状況が続いているのだ。
「いや、ですからね」
「……で?」
 もう何度目かわからないこのやりとりがまた繰り返された時だった。
「あの〜」
 恐る恐ると言う感じで会議室を一人の女性警官が覗き込んでいる。
 この日この時間、偶々なのだが、この会議室内には晴子と南しかいなかった。他の面々はパトロールやら何やらで出掛けていて不在だったのだ。だから彼女はこの二人に声をかけるしかなかったのだが、晴子の傍目に見てもわかる程の不機嫌さとそれに怯える南の姿を見て声をかけていいものかどうかかなり躊躇ったらしい。それでも声をかけてきたのは余程大事な用があるからみたいだ。
「何や?」
 ジロリと、南を睨み付けていた視線をそのまま会議室を覗き込んでいる女性警官に向ける晴子。そのあまりにも強烈な視線に思わず「ひっ」と戦きの声を漏らしてしまう女性警官。それを見た晴子は自分が今、どう言った顔をしていたかを思い出し、慌てた様子で顔に笑みを浮かべた。
「ああ、スマンかったな〜。別にあんたを怖がらそうとかそう言うのは思ってなかったんやけどな。こいつがあまりにもウチの言うこときかんから」
 どっちかと言うと苦笑と言う部類に分けられる笑みを浮かべながら晴子は立ち上がり、ドアの側にいる女性警官に歩み寄っていく。
「で、未確認対策本部に何か用か?」
「あ、あの、この間の天使様の中継を見てちょっと気になったことがあって……」
 にこやかに、出来る限りフレンドリーな口調でそう言う晴子だが、女性警官は未だ少し怯えているような感じだ。それでも必死に彼女は言葉を続ける。
「あの天使様に私、見覚えがあったんです。それで調べてみたんですが、あの天使様、何年か前に家出人捜索願が出されている子に瓜二つなんです」
「へ?」
 女性警官の発言に目を丸くする晴子。
「その子の名前は”名倉友里”。今は彼女の妹の由依ちゃんも行方不明で捜索願が出されています」
 そう言って女性警官が一枚の写真と晴子に差し出した。そこに映っているのは満面の笑みを受けべた、あの天使様に瓜二つの少女。少しの違和感を覚えるのはおそらく写真の少女の笑顔が本物の笑顔であるからだろう。あの天使様は柔和な笑みを浮かべていたが、あれは何処か作り物めいた笑顔だった。その辺の差が違和感となって感じられるのだろう。
「……確かに天使様そっくりですね」
 晴子のちょっと後ろから写真を覗き込んだ南がぽつりと漏らす。
「……そうなると……これは一体どう言うことなんや?」
 じっと写真を見つめながら晴子が呆然としたような口調で呟いた。

<教団施設内・廃棄区画 10:32AM>
 妹のいる水槽の部屋を離れ、浩平は一人廃棄区画の中を歩き回っていた。みさおや由依には一人で考え事をしたいと言って出てきたのだが、実際のところはそうではない。昨夜、追っ手をどうにか捲いたものの、あれからも自分や由依の捜索は続いていたはずで、自分たちが廃棄区画の中に逃げ込んだと言うことは既に向こうもわかっているだろう。後は何時追っ手がこの廃棄区画にやってくるかと言うことで、浩平はそれを警戒して見回りに出てきたのだ。
 何と言っても廃棄区画にいる者は皆、改造変異体の失敗作とされた者で戦闘能力はほぼ皆無と言ってもいいくらいなのだ。そんな場所に改造変異体として成功し、更に戦闘訓練なども受けた奴らがやってくれば、どの様な惨劇が待ち受けているか想像に難くない。
(最悪でもみさおだけでも守らないとな……)
 最優先なのは妹の身の安全。その為ならば由依や他にあの場にいる連中を犠牲にだってしよう。だが、それをやれば確実にみさおは怒る。それは避けなければならない。
(それに……どうすればここからみさおを無事に連れ出せる?)
 教団による改造処置の末に水中適応型の改造変異体にされてしまったみさお。いや、水中でしか生きられない身体にされてしまった、と言うべきか。何にせよ、あの巨大な水槽を抱えてこの施設から逃げ出すことは不可能だ。それに、仮に逃げ出せたとしてもその後どうすればいいのかわからない。みさおのあの身体では一般社会に復帰することは不可能だからだ。
「くそっ!」
 自分ではどうすることも出来ない悔しさに浩平はぐっと拳を握りこんだ。
 折角、もはや二度と会うことなど出来ないと思っていた最愛の妹に再び出会うことが出来たと言うのに、その妹の力に自分は何もなってやれない。それが歯痒くて、悔しくて、自分のあまりもの不甲斐なさに涙が出そうになる。
 と、そんな時だった。不意に殺気を感じた浩平は素早くその場を飛び退き、壁際へと身を躍らせる。直後、彼の立っていた場所に十字手裏剣が三つ、打ち込まれた。
(どうやら……おいでなすったようだな)
 壁に背を預け、周囲を窺う浩平。
 相手はおそらく改造変異体による忍者集団。狼頭の怪人が率いる忍者装束の集団はかなり手強い相手だ。昨夜、逃げ切れたのは運が良かったとしか言いようがない程に。
「まさかこんなところにいたとはな……出てこい、折原浩平」
 そんな声と共に一人の男が姿を現した。白衣を着た若い男だ。その背後には音もなく、気配もなく狼頭の怪人が付き従っている。改造変異体忍者集団のリーダーである狼頭の怪人が護衛と言うことはこの白衣の男、かなりの大物なのだろう。
「いるのはわかっている。出てこないなら……わかるだろう?」
 浩平自身は隠れているつもりはない。だが向こうから丁度死角になっているようでこちらの姿が見えないのだろう。おそらく狼頭の怪人は自分が何処にいるのかわかっているはずなのだろうが、何故それを白衣の男に教えないのかが少々疑問であったが。
「早く出てきて貰いたいな。でなければ私はこの廃棄区画を消滅させなければならなくなる」
 白衣の男の言葉が本当なのかどうかは浩平には判断出来なかった。”消滅”という言葉が一体どう言う意味での消滅なのか、それもわからない。だが、本気であることだけは伺えた。このまま隠れ続けていれば、もしくはこの場から逃げ出せばあの白衣の男は自らの言葉を即座に実行に移すだろう。
(何にしろ……有利なのは向こう側か)
 ここは相手に従うしかない。何と言ってもこの地は浩平にとって完全アウェイ、敵だらけなのだから。
 すっと壁から離れ、浩平は白衣の男の前に姿を現した。
「久し振りだな、折原浩平……いや、アインと呼んだ方がいいかな?」
 ニヤニヤ笑いながら白衣の男が両腕を広げ、歓迎の意を表す。だが、浩平は白衣の男の顔を見ると自分の顔に憤怒の形相を浮かべて彼に掴みかかった。
 白衣の男の顔を浩平は知っている。忘れようと思っても忘れることは出来ない。自らの身体に戦士・アインへと変身することの出来るベルトを嬉々として埋め込んだ男。何の感慨もなく、冷徹に母の死と妹の実験失敗を告げた男。浩平の復讐行の、様々な意味で力になった男だ。
「テメェはっ!!」
 しかし、浩平の手は白衣の男には届かなかった。素早く白衣の男の前に出てきた狼頭の怪人と、もう一人、今まで何処にいたのかわからないがサングラスをかけた優男が現れ、浩平の手を横合いから押さえたからだ。
「少し落ち着きなさい、折原浩平」
 そう言ったのは口元に不敵な笑みを浮かべたサングラスの優男。
 狼頭の怪人はそんなサングラスの優男を一睨みすると、無言で浩平の手を放し、白衣の男の後ろへと下がった。
「やれやれ……今まで何処にいたんだい、キリト?」
「いちいち居場所まで報告する必要があったんですか?」
 声をかけてきた白衣の男に振り返りもせずにそう返し、サングラスの優男――キリトは掴んでいた浩平の手を放す。それからポンと浩平の肩を後ろへと押しやった。
「下手なことは考えない方がいい……身の為ですよ」
 まるで忠告するかのように不敵な笑みを浮かべつつキリトが言う。いや、事実忠告なのだろう。浩平が白衣の男を害しようとすれば自分と狼頭の怪人を二人同時に相手にすることになる。そうなればいくら浩平でも勝ち目は薄いだろうし、キリトとしては浩平は自分一人で殺したい相手。二人がかりで嬲り殺しにするのは彼の美学に反する行為なのだろう。
「さて、アイン」
「……俺は折原浩平だ」
 話しかけてきた白衣の男を睨み付けながらそう言う浩平。あくまで自分は人間・折原浩平であり、未確認生命体や改造変異体とほぼ同一の存在である戦士・アインではないと言う宣言なのだろう。身体は変わっても心は人間なのだと。
 それを聞いた白衣の男は小さく肩を竦めて、背後に立つ狼頭の怪人を振り返った。浩平の言っていることの意味が理解出来なかったのだろう。
「まぁ、いいさ。さて、折原君、君に相談があるのだがね。私は君と交渉しようと思ってここに来たんだが、話を聞いて貰えるかな?」
「交渉だと……?」
 再び浩平に視線を移した白衣の男の言葉に浩平は油断無くそう応えた。今まで何度も自分を殺そうとしてきた連中が何を今更「交渉」などと言い出すのか。白衣の男の真意を読みとれず、浩平はじっと白衣の男を睨み続けるだけだ。
「その通り。君の力は非常に強力だ。各地の支部を潰してきた君を殺したいのは山々なんだが、その力が惜しいのでね。出来れば我々の計画に協力して貰いたい。勿論、それなりの見返りは用意させて頂くよ」
 白衣の男の言葉を聞いて浩平は相手を睨み付けながら考える。
 この男が一体何を考えてこの話を持ち出してきたのかはわからないが、自分が素直に協力するとは考えていないだろう。しかし、ここですかさず「否」と答えたならば、先程身を隠していた時に男が言った脅しをすぐさま実行するかも知れない。今はおとなしく話を聞くしかないか。
「俺に……何をさせたいんだ?」
 正直に言うとこの男に従うのは反吐がでる程嫌なのだが、これも妹たちを守る為だと必死に自分に言い聞かせる浩平。
「話が早くて助かるよ。とりあえず今はまだ何もする必要はない。君にして貰いたいことが出来れば連絡させて貰う」
「……わかった。で、俺に対する見返りってのは何だ?」
「そうですね……廃棄区画に隠れている連中の身の安全と言うところでどうです?」
「もう一つだ。妹の身体を元に戻せ」
 浩平がそう言うと、白衣の男が少し驚いたような表情を浮かべてみせた。どうやら浩平の妹であるみさおが生きていたとは思っていなかったらしい。
「……わかった。善処しよう。ではまた後で」
 少しの沈黙の後、白衣の男はそう言って浩平に背を向け歩き出す。これで話は終わりのようだ。ジロリと浩平の顔を一回睨み付けてから狼頭の怪人が白衣の男の背を追いかけ、更にその後をニヤニヤ笑いながらキリトが続く。
 去っていく三人を見送りながら浩平はギリギリと悔しそうに歯を噛み締めた。最大の仇を目の前にしながら何も出来なかったばかりか、いいように利用されようとしている。一体自分は何をしているんだ、と浩平は握りしめた拳で近くにあった壁を殴りつけるのだった。

 浩平が悔しげに壁に八つ当たりをしていた頃、白衣の男、巳間良祐は口元に楽しげな笑みを浮かべながら上の階へと続く階段を上がっていた。そのすぐ後ろには狼頭の怪人が、更にキリトがその後ろに続いている。
「……一体……何を考えているんです?」
「何を、とは?」
 キリトがそう質問してきたので、良祐は足を止めずにそう返す。
「折原浩平は教団にとってもっとも始末したいはずの相手。それをわざわざ仲間にしようなどと……」
「不服ですか?」
「支部長、私も疑問です。一体何故奴を」
 狼頭の怪人もそう言ったので良祐は足を止め、二人を振り返った。
「昨夜の話なんだがね、何者かがこの支部内に潜入したらしいんだよ。一体何処の誰だかわからないが、警備員を感電死させたあげく行方を眩ませてしまったらしい」
「その報告はこちらも受けております。手の者に侵入者を捜させているのですが」
 申し訳なさそうに言う狼頭の怪人を良祐は手で制する。
「別に構わないさ。君の部隊は別の仕事があるからね。で、今は聖戦の真っ最中でいちいち侵入者に人員を割いている余裕はない」
「成る程、それで折原浩平を、と言う訳ですか」
 少々納得がいかない、と言う感じでキリトがそう言ったので良祐は彼を見た。
「不満だろうがもう少し待って貰いたいね、キリト。侵入者さえ始末出来れば彼をどうしようと君の自由だ」
「了解。それじゃ私はこれで」
 階段を上りきったところでキリトは良祐達とは別の方へと歩き出す。
 そもそもキリトはただの雇われであり、彼らと行動を共にする必要はそれほどない。いざ彼の力が必要とされた時に、その場にいてその力を行使さえすればいいので、普段の彼は自由行動が許されているのだ。もっとも立ち入り禁止区画には流石の彼も立ち入ることは許されていないのだが。
 去っていくキリトの背中を見送りながら狼頭の怪人が小さくため息をついた。
「一体何時まであの男を自由にさせておくつもりですか?」
「どう言うことだい?」
「あの男は信用なりません。先日もカノンと共にヌヴァラグと戦っていた様子。何時、奴が裏切るか……」
 心配そうな声を漏らす狼頭の怪人を良祐は一笑に伏す。
「心配いらないよ。キリトが裏切らない。それに……あれが目覚めれば彼はもう用済みになる……」
 良祐の漏らした最後の言葉は小さく、狼頭の怪人には届かなかった。だが、その言葉に彼は多大なる自信を込めていたことだけは間違いない。

 一方、浩平はみさおのいる水槽のある部屋へと戻ってきていた。
「随分長い散歩でしたね」
 浩平の姿を見つけるなり由依が嫌みったらしくそう言う。だが、浩平が眉間に皺を寄せているのを見て、すぐさま何かがあったと悟る。
「何か……あったんですか?」
 今度浩平にかけた声は水槽の中にいるみさおや水槽の側にいるいわゆる失敗作の改造変異体達に聞こえないようかなり小さなものだった。それだけ彼に近寄っていった訳だが、それが少しみさおには不審に見えたようで、首を傾げているのが浩平から見てとれた。
「奴らの幹部と会った」
 由依と同じく小さい声で答える浩平。
 その言葉に由依の肩がビクッと震えた。
「一体誰に会ったんですか?」
「名前までは知らないが……奴は俺を改造した奴だ。みさおもな。後、狼みたいな奴を従えていた」
「狼みたいなのって……昨日の夜、私達を襲ってきた……」
「その通りだ」
 浩平の返事を聞いて由依は自分で自分を抱きしめるようにし、それからガタガタと震え始める。まるで何か聞いてはいけないものを聞いてしまったかのように。
「知っているのか、あの野郎のこと?」
「狼の怪人を従えているなんて幹部はこの東京支部じゃ一人しかいません。巳間良祐。この東京支部の支部長です!」
 その由依の告白を聞いて、浩平の身体に衝撃が走った。自分に交渉を持ちかけてきたあの白衣の男。母と妹の身体を改造し、更に自らの身体にアインのベルトを埋め込んだ男。自分にとって最大の仇敵とも言える男の名は巳間良祐。この東京支部の支部長を勤める大物。
「そうか、あの野郎が……」
 そう呟いた浩平の顔に凶悪な笑みが浮かぶ。何を考えて自分と交渉してきたのかはわからないが、このままいいように利用はされない。必ずこの身につけた牙を剥かせて貰う。それまでその首を洗って待っていろ。そう言わんばかりの笑みだ。
 浩平のそんな笑みを由依は未だガタガタ震えながら見ているだけだった。

<教団施設敷地外縁部 10:53AM>
 鬱蒼とした森の中を抜け、その先にあるフェンスで覆われた一角。明らかに私有地とわかるその場所こそ教団の東京支部の施設の一つ。もっとも看板が出ている訳ではないのだが。
 今、そのフェンスの前に祐一と住井は立っていた。
「あのハイエナ野郎が逃げていった先はきっとここでしょうね」
 フェンスの向こうに広がる庭園とその更に先に見えるコンクリートで作られた無骨な建物を見やって祐一が言う。彼言うところの”ハイエナ野郎”ことハイエナ怪人が逃げ込んだのは、おそらくここで間違いないだろう。問題なのはどうやって中に入るかと言うこと。正面から行って中に入れてくれるとは到底思えない。ここが敵の本拠地、もしくは支部施設であるなら尚更だろう。
「さてと、どうします?」
 祐一がそう尋ねると住井は腕を組んで考えはじめた。これが国崎ならば問答無用且つ速攻で強行突入を提案してくるのだろうが、その辺はやはり国崎の抑え役として周りから認知されているだけあって彼は慎重なようだ。
「……そうだなぁ……素直に入れてくれって言っても絶対に無理だろうし」
「ここは強行突入するしか無さそうですね」
 少し困った顔をしてそう言う住井に祐一は苦笑を浮かべてそう言い、フェンスの方に歩み寄る。そしてフェンスに手をかけようとした時だった。いきなり後ろから住井が手を伸ばし、祐一の手を止める。
「どうしたんですか、住井さん?」
 訝しげな顔をして祐一が振り返ると住井は何も言わずに彼の手を放し、地面に落ちていた枯れ枝を拾い上げた。そしてそれをフェンスに向かって放り投げる。枯れ枝がフェンスに触れた瞬間、バチバチッと激しい火花が飛び、枯れ枝が一瞬にして黒こげになった。
「高圧電流……」
 黒こげになり、地面に落ちてあっさりと崩れ落ちた枯れ枝とフェンスを交互に見やり、息を呑む祐一。もし住井が止めてくれなければああなっていたのは自分の手指だ。下手をすれば高圧電流が全身に周り、死に至っていた可能性だってある。
「何となくだったけど、予想通りだったな」
 少し青ざめながら住井がそう言った。予想通りと言いながらも、このフェンスに流れている高圧電流は彼の予想の範疇を越えていたみたいだ。そのあまりもの威力に驚きを通り越して唖然としているのだろう。
「これじゃ中に入れないな」
「それもそうですけど……一旦場所を変えましょう」
 ため息をつく住井にそう言い、祐一は歩き出す。おそらく敵はハイエナ怪人が逃げ帰ったことにより警戒しているはずだ。今のフェンスへの枯れ枝の接触で自分たちの接近が気付かれた可能性がある。せめて中に入るまでは敵との接触を避けたかった。
 一旦フェンス際から離れ、二人はフェンスにそってしばらく移動し、やがて入り口のような場所へと辿り着いた。しかし、勿論そこは施錠されており、入れそうな雰囲気ではない。
「ここも高圧電流……」
 少し不安そうにフェンスとそれを施錠している鎖付きの鍵を見る祐一。
「ここが入り口っぽいから多分大丈夫だと思うけど……」
 住井もそう言うが、流石に手を伸ばして試してみようと言う気にはなれないらしい。当然と言えば当然だが。
「……飛び越えましょう。俺が変身して住井さんを抱えてジャンプすればこんなフェンスぐらい」
 初めからそうすれば良かったと思いながら祐一が変身ポーズをとろうとすると、誰もいないのに鍵が独りでに外れた。ぎょっとする二人の前で鎖も外れて地面に落ち、ゆっくりと入り口が開いていく。
「どう言う……ことだ?」
 住井がそう言って助けを求めるように祐一を見る。
「入ってこいってことでしょうね。待っているのはきっと――罠」
 そう言いながら祐一はフェンスを押しやって敷地の中に入った。
 一見静かで何も無さそうだが、ここはあのハイエナ怪人を初めとする怪人達の巣窟だ。何が起こっても、何処から襲ってこられてもおかしくない。
「油断しないでください、住井さん」
「わかってる。ここは敵の本拠地なんだろ」
 肩に担いでいたライフルを手にし、住井も中に入ってくる。その手が少し震えているのは緊張によるものだろう。未確認生命体対策本部に所属する刑事と言っても所詮は人間、未確認生命体や未確認B種には敵わない。多数に襲われたら一溜まりもないのだ。緊張して当たり前だと言える。
「後、俺から離れないでください」
「ああ、わかった。頼んだよ」
 そう言いながら二人は静かな庭園の中を進んでいく。
 そんな二人を建物の影から一人の女性が見ていたのだが、二人はそれに気付くことなかった。であるから、その女性が昨日、美優の祖父を殺し、祐一達を襲った巳間晴香であることも勿論二人は気付くことはない。

<教団施設内廃棄区画 11:15AM>
 水槽の部屋の端の方で浩平は険しい表情をしたまま壁により掛かって座っている。そんな彼を離れたところから心配そうに由依が見つめていた。
「一体何があったんですか?」
 水槽の中からみさおが尋ねてくるが、由依はただ首を左右に振るだけで答えようとはしなかった。まさか浩平がここの支部長である巳間良祐とな何らかの取引をしたのだと言えるはずもなく、出来るのは何も言わないことぐらいだ。だが、それが余計にみさおの不安を煽っていることはわかっている。それでも言うことは出来ない。浩平にみさおにだけは何も言うなと釘を刺されているからだ。
 由依は何も答えない、答えるつもりがない。それがわかったみさおは視線を浩平に移した。今までみさおが見たことのない表情を先程兄は浮かべていた。会えなかった数年の間に一体兄の身に何があったのだろうか。信じられない程の邪悪な笑みを浮かべていた兄を思いだし、みさおは身体を震わせた。
 と、そんな時だった。音も気配もなく一人の男がいきなりその場に現れる。
「折原浩平。貴様の出番だ」
 それは巳間良祐に影のように付き添っていた狼頭の怪人だった。先程は支部長たる良祐のボディガードとして、今度は彼のメッセンジャーとしてこの場に現れたらしい。
「侵入者を始末しろ」
「……わかった」
 不機嫌そうにそう言い、ゆっくりと立ち上がる浩平。
 それを見た狼頭の怪人は現れた時と同じように音もなく気配もないその場からかき消える用に姿を消した。
「流石は忍者ってことか……名倉、みさおを頼むぞ」
 苦笑のようなものを浮かべ、浩平が歩き出す。
 浩平は水槽のある部屋を出ていくと、由依がおもむろに彼を追いかけて部屋の外に出た。
「折原さん!」
 廃棄区画から出ていこうとする浩平に追いついた由依が彼の背に声をかける。
「一体何処行くんですか?」
「聞いていただろう。侵入者やらが出たんでそれを退治しに行くだけだ」
 足を止め、由依の方を振り返り浩平はこともなげにそう言う。しかしながら、その顔にやる気は微塵も感じられない。
「どうしてあなたがそんなことを?」
「交渉したって言っただろ。あいつらはあの廃棄区画にいる連中に手を出さない。その代わりに俺はあいつらの言うことを聞く。交換条件だ」
「そんな!? 今まで上の人達は廃棄区画には近寄りもしなかったのに、なんで!?」
「放置していても特に問題なかったからな。だが、今は事情が変わった。はっきり言ってしまえば俺とお前の所為だ」
 浩平のその言葉に由依は驚きの表情を浮かべた。
「まずお前だ。お前はこの教団にとって裏切り者。その裏切り者が廃棄区画に潜んでいる。それだけでも奴らが廃棄区画を襲う充分な理由になる」
 それを聞いた由依の顔が青くなる。
「次に俺だ。裏切り者のお前が教団にとって最大の敵である俺と接触し、やはり廃棄区画に逃げ込んだ。奴らからすれば廃棄区画はもう放っておけない場所になった。わかるだろ?」
「で、でも……それでもあなたが……」
「俺はみさおを助けたい。出来るならあの水槽の中からも解放してやりたいんだ。その為なら何だってやる。悪魔にだって魂を売ってやるさ」
 浩平はそれだけ言うと話は終わりだという風に由依に背を向けて歩き出した。侵入者が一体何者かはわからないが、早く行って排除しなければならない。でなければ交渉相手である教団側が何をしてくるかわからないからだ。
「わ、罠に決まってますよ、そんなの! それに、あいつらが約束を守るかどうかなんて」
「それでもだ。名倉、お前はみさおを頼む。俺が戻ってくるまででいい。あいつを宥めておいてくれ」
 必死に引き留めるような由依にそう答え、浩平は今度こそ廃棄区画を後にする。その先に誰が待っているかなどと考えもしないで。

<教団施設敷地内庭園 11:28AM>
 庭園の向こう側にある建物の側までやって来た祐一と住井だが、どの建物にも入り口らしい入り口がないことに戸惑っていた。
「一体何処から出入りするんだ、これ?」
 トントンと壁を叩きながら住井がそう言うのを祐一は建物の壁を見上げながら聞いている。考えているのは住井と同じことだ。出入り口らしい部分が一つもないこの建物群。一体何処から出入りしているというのか。それとも何処か別に入り口があるというのだろうか。
(しかし……静かすぎるな)
 自分たちが敷地内に入ったことは相手も知っているはずだ。にも関わらず誰も出てこない。いや、それだけではない。この庭園に誰の姿もないことが逆に考えればおかしいことだ。芝生の整備や花の手入れ、向こうの方に見えるビニールハウスでの作業に従事している人間がいてもいいはずなのに、その姿もない。辺りを見回し、祐一はその違和感に気付く。
「おかしいですよ、住井さん。これは……!?」
 そう言いながら更に祐一が周囲に目を向けた時だった。いつの間にか一人の男が庭園の中央に立ち、自分たちをじっと見つめていることに気がついたのだ。そして、その男の顔を見て、思わず言葉を無くしてしまう。
「……よぉ、久し振りだな。まさかお前が侵入者だとはな、正直驚いたぜ」
 男――折原浩平が気軽な感じで祐一に声をかけてくる。だが、祐一を見るその目つきには何やら険しい光が宿っていた。
「テメェは……」
 祐一も浩平と同じように険しい表情を浮かべて彼を見返した。今、このタイミングでの再会と先程の言葉。そこから考えられ、導かれる答えは一つだ。
「悪いな。お前には何の恨みもないが……死んで貰うぜ」
 ニヤリと笑って浩平は両手を交差させながら前に突き出す。
「俺はお前にまだ貸しがあると思ってるが……ここで殺される訳にはいかないんでな」
 そう言いながら祐一は右手を前に突き出した。
 そして二人は同時に変身の為のポーズをとる。浩平は両手を腰にまで引き、それから右手をゆっくりと突き出していく。祐一は突き出した右手で宙に十字を描く。続けて二人の口から全く同じ言葉が飛び出した。
「変身っ!」
 浩平の腰にベルトが浮かび上がり、その中央の霊石が、左右にある赤と青の秘石が光を放つ。
「変身っ!」
 祐一の腰にベルトが浮かび上がり、その中央にある霊石が眩い光を放つ。
 二つの光が治まった時、そこには二人の戦士が対峙していた。方や紫を基調とする荒々しき戦士・アイン。方や白を基調とする凛々しき戦士・カノン。
「悪く思うなよ、相沢」
 そう言いながら身構えるアイン。
「住井さん、下がっていてください。あいつは……手強いですから本気出します」
 住井を後ろにかばいながらカノンはそう言い、アインと同じように身構えた。
 その住井と言えば、突然現れ、祐一と同じように変身してのけた男の存在に驚き、言葉も出ないようだ。カノンに言われるままに何度か頷き、そして更に後ろに下がっていく。
「行くぞぉっ!」
 住井が下がったのを見てからアインがカノンに向かって突っ込んでくる。大きく拳を振り上げ、カノンに向かってパンチをくり出しながら。
 カノンもまた、突っ込んでくるアインを迎え撃つように拳を振りかぶっていた。
 二人の戦士の激突が、今再び始まろうとしていた。

<教団施設内廃棄区画 11:34AM>
 丁度アインとカノンが同時変身を遂げた時だった。巨大水槽の中でみさおがはっと顔を上げる。まるで何かを感じ取ったかのように。
「どうしたんですか、みさおちゃん?」
 みさおの様子に気付いた由依が声をかけるが、みさおには聞こえていないようだ。彼女は驚き、焦燥感たっぷりの表情を浮かべて天井を見上げている。
「……ダメ、お兄ちゃん! その人と戦っちゃダメ!!」
 突然そう叫んだみさおを由依だけでなくその場にいた誰もが不審げに見つめていた。

<教団施設内某研究室 11:38AM>
 ガンッと言う音と共にフェンスが落ちてくる。続けて一人の男がひらりと飛び降りてきた。
「やれやれ、この様な泥棒の真似事をしなければならないとは……」
 そう言いながら肩についた埃を払うキリト。
 この部屋に侵入する為に彼はわざわざ通風口の中を這いずってきたのだ。こうでもしなければこの研究室に入ることが出来なかったとは言え、出来ればこう言ったスマートではない真似はしたくはない。そう思いながらキリトは歩き出した。
「さて、ここが支部長殿の研究室ですか。一体何を研究しているのやら」
 そう呟きながらキリトは奥へと進んでいく。
 教団東京支部支部長、巳間良祐。五年程前に教団入りし、その後異例のスピードで支部長へと上り詰めた男。
 東京支部には彼以外に後二人幹部クラスのがいるのだが、その二人がそれぞれ機械と肉体の融合による改造変異体の強化、遺伝子レベルでの改造を施した上での改造変異体の強化と分かり易い研究をしているのに比べて良祐は何を研究しているのか今一つ不明。にも関わらず彼は支部長という地位に上り詰めた。教団上層部からの信頼も厚いらしい。
 それだけの男がどの様な研究をしているのか、それにキリトは興味を持ったのだ。その為にこうして危険を冒して彼の研究室にやってきたのだが、特に目新しいものはない。他の人物が使用している研究室と何ら変わりはなかった。
「やれやれ、これは無駄足でしたか」
 小さくため息をつき、戻ろうと足を止めようとした時だった。研究室の一番奥に巧妙に隠された扉があることに気付いたキリトは口の端を歪めてニヤリと笑うと、すぐさまその扉に歩み寄った。
 ゆっくりと扉を開き、中に入ったキリトは我が目を疑った。
「これは……まさか……」
 そこにあったのは何かの液体に満たされた巨大なカプセル。そしてその中には膝を抱えた状態で一人の少年が眠っている。その少年の顔を見てキリトは言葉を無くしたのだ。
「相沢祐一……いや、折原浩平か?」
 少年の顔は確かにキリトが口にした二人の顔によく似ていた。だが、同時にどちらの顔でもないとも言える。
「一体これは……」
 何とも言えない、悪寒にも似た禍々しいものを感じながらキリトは思わず後退っていた。その頬を一条の汗が伝い落ちる。
 その時、眠っているはずの少年の口元が笑みを形作ったことに彼は気付けなかった。

Episode.67「交渉」Closed.
To be continued next Episode. by MaskedRiderKanon


次回予告
運命は再び祐一と浩平を激突させる。
しかし、そこに意外な横槍が入った。
由依「無茶苦茶ですよ、そんなの!」
浩平「悪く思うなって言っただろ?」
密かに潜入した恐るべき刺客、グダゼ・ガクツの暗躍が始まる。
その混乱の中、国崎は脱出に成功するが……。
みさお「お願いです、お兄ちゃんを止めてください」
国崎「何なんだよ、お前らは……」
天に浮かぶ赤い月の下、恐るべきものが遂に目を覚ます。
大きく高笑いをする良祐の野望が遂に動き始めた。
良祐「さぁ、目覚めるがいい、我が最高傑作よ!」
次回、仮面ライダーカノン「悪意」
動き出す、闇の中の赤い月……


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