<東京都奥多摩町青梅線奥多摩駅前 19:43PM>
 もうすっかり陽が落ちて辺りは暗くなっている。
 そんな中、相沢祐一は愛車であるロードツイスターを駅舎の前に止め、油断なく周囲を見回していた。彼が警戒しているのは駅舎の中で休んでいる神崎美優と言う名の少女を狙って未確認B種がここに出現しないかと言うこと。つい先程も美優の祖父の所有する山小屋でナマケモノのような怪人と謎の女性に襲われたばかりだ。そいつらが美優と自分を追ってここに現れてもおかしくはない。
 それともう一つ、彼が駅舎の外に出て周囲を見回している理由があった。
「……もうそろそろ来てもいい頃なんだが」
 そう呟き、祐一は腕時計を見る。
 待ち合わせ場所として決めたこの駅に来てから三十分以上が経っていた。連絡をつけてからすぐに出発したとしても、もうそろそろ着いてもいいはずだ。まだ現れないと言うのは何か予想外のアクシデントがあったか、それとも。
 段々考えが嫌な方向へと向かいはじめた時、ようやく向こうの方からこちらへと向かってくる車のヘッドライトが見えてきた。
「……来た」
 ヘッドライトが近付いてくるに連れ、その車が見覚えのあるものだと言うことがわかってくる。祐一が未確認生命体第3号、戦士・カノンであると言うことを知る数少ない人物の一人、警視庁未確認生命体対策本部に所属する刑事、国崎往人が普段から愛用している覆面車だ。もっともその覆面車を愛用している当の本人は現在行方不明。今運転しているのは別の人間だ。
 やがて覆面車は祐一の少し手前で停車し、中から若い男が降りてきた。
「君が……相沢君か?」
 恐る恐るという感じで尋ねてくる若い男に祐一は黙って頷く。
「あんたが住井さんか?」
 祐一は警戒を解かず、そう尋ね返した。
 今、祐一が対峙している若い男の名は住井 護。国崎と同じく警視庁未確認生命体対策本部に籍を置く刑事だ。行方不明になった国崎の手がかりがないかと彼の愛用している覆面車をあさっていたところに、祐一からの連絡があった。祐一の愛車であるロードツイスターと国崎の覆面車には専用の無線機が取り付けられているのだ。祐一としては未確認B種に狙われている美優を保護して貰いたく、住井としては行方不明の国崎の情報を突然連絡してきた祐一が何か持ってはいないかと思い、両者の思惑が一致したので二人はこの駅で待ち合わせをすることにしたのだ。
 しかしながらどちらも互いの顔を知らない。祐一の方はカノンの時に何度か未確認生命体対策本部の面々の前に姿を現しているのだが、いちいち顔まで見ている訳ではないので覚えているはずもなく、住井に至っては初対面だ。二人の間に緊張にも似た微妙な空気が流れてもおかしくはない。
「悪いが俺はあんたを知らない。それはそっちも同じだろうが……今、俺たちは未確認B種に追われている。あんたが奴らが化けた者かどうかも判断出来ない」
 祐一が警戒を解かないのは、今目の前にいる住井が未確認B種が変身した者ではないかという疑いを捨てきれないからだ。未確認生命体や未確認B種は自在に人間の姿に変身する。特に未確認B種は通常の未確認生命体と違って日本語なども流暢に喋る為、人間の姿のままだと判別がつかない。故に今この場にいる住井と名乗った男が本物の警視庁未確認生命体対策本部に勤める住井 護と言う刑事なのか、それとも何処かからか彼と祐一が会うという情報を知った未確認B種が変身した者なのかはわからないのだ。
「警察手帳……は証明にはならないか。うーん、どうすればいいかなぁ?」
 腕を組み首を傾げる住井。本当にどうすれば祐一に自分が本物の住井 護であるかを証明出来るのかを考えているらしい。
 そんな住井を見て祐一は彼が本物の住井 護であると確信した。偽者であるならば、この様に自分が本物であると言うことを証明する為に悩んだりはしないだろう。もっと早く、こちらが隙を見せた時に襲えばいいのだから。
「とりあえずあんたを信じる。それで」
 祐一がそこまで言った時、突然、闇の空から何かが二人に向かって飛来してきた。
「危ないっ!」
 素早くこちらに向かってくる何かを察知した祐一が住井を突き飛ばしつつ、自分も地面を転がる。直後、二人の頭上を飛来した何かが通り抜けた。
 その何かは二人の頭上を通り抜けた後、大きく旋回してから地面へと降り立った。
「見つけたぞ! ここがお前らの墓場と知れ!」
 着地した何かがそう言い、両腕を広げる。腕の下から脇腹にかけて大きな膜のようなものが広がっており、どうやらそれで先程は滑空してきたらしい。その姿はまるでモモンガのようだ。
「未確認!? いや、B種の方か!?」
 モモンガのような姿の怪人を見た住井がそう言い、懐から拳銃を取り出した。国崎が使用しているコルトパイソンと同様のものだ。これで未確認生命体や未確認B種を倒すことは出来ないが、牽制程度には役にたつ。
「相沢君! 君を狙っているのはこいつなのか!?」
「違う! こんな奴はいなかった!」
 住井の質問に答えながら祐一はこのモモンガ怪人が山小屋で見た謎の女性が変身したものなのかと考える。だが、即座に首を左右に振ってその考えを振り捨てた。あの時見たあの女性とモモンガ怪人とはイメージが被らない。
 二人を威嚇するように両腕を振り上げたままジリジリと迫り寄ってくるモモンガ怪人。それを見た住井が拳銃の引き金を引くが、モモンガ怪人は怯みもしない。その歩みを止めることなく、住井と祐一に向かってくる。
「くそっ!」
「……ここは俺が何とかします。住井さんは駅の中にいる美優ちゃんのことをお願いします」
 全く拳銃が通用しないことに苛立ちと焦りを見せる住井にそう言い、祐一は彼を押しのけるようにして前に出た。
 いきなり前に出てきた祐一を見てモモンガ怪人が足を止める。警戒するようにその距離を維持しながら、訝しげな視線を彼に向けている。
「何とかするって、君!」
「大丈夫ですよ。ああ、一つだけお願いがあるんですが」
 そう言いながら祐一は腰の前で両腕を交差させた。直後、彼の腰にベルトが浮かび上がる。
「これから見たことは誰にも言わないでくださいよ」
 振り返りもせずにそう言い、祐一は右手を前に突き出し、左手を腰へと引いた。続けて右手で中に十字を描く。
「変身っ!!」
 ベルトの中央にある霊石から眩い光が放たれ、住井の見ている前で祐一の姿が戦士・カノンへと変身していく。驚きのあまり唖然として声も出ない住井をよそに変身を遂げたカノンは真正面に立っているモモンガ怪人に殴りかかっていった。

仮面ライダーカノン
Episode.66「動揺」

<東京都奥多摩町青梅線奥多摩駅前 19:57PM>
 カノンのパンチを食らって吹っ飛ばされるモモンガ怪人。それを見たカノンはすかさず住井の方へと振り返った。
「住井さん! 早く中へ!」
 その声にようやく住井は我に返ったようだ。はっとなったように顔を上げてカノンを見て、それから頷き、駅舎の方に向かって走り出す。
 カノンが駅舎に向かって走っていく住井の後ろ姿を見送っていると、先程パンチを受けて吹っ飛ばされたはずのモモンガ怪人がカノンの背中に向かって飛びかかって来た。手に生えた鋭い爪でカノンの背中を切り裂く。
「ぐわっ!」
 背に走る激痛に思わずよろけてしまうカノン。だが、何とか倒れ込むのだけは足を踏ん張って堪えた。
 その間にモモンガ怪人は地面を蹴ってすっかり闇に覆われた空へと舞い上がっていた。地上にいるカノンを見下ろしながらモモンガ怪人は右に左にと空を飛び続ける。
「フハハハハ! カノン! お前が如何に強かろうと空を飛べないお前ではこの俺には勝てん!」
 地面の上から空を飛び回るモモンガ怪人を見上げているカノンに向かってモモンガ怪人が言い放つ。しかし、カノンはじっとモモンガ怪人を見上げているだけだった。
 実際のところ、カノンは以前に何度か空を飛ぶ怪人を相手にしたことがある。それらの怪人をカノンは全て倒してきたのだ。だからこのモモンガ怪人も決して倒せない相手ではない。確かに今はジャンプしたところで届かない距離だが、それでも必ずチャンスは巡ってくる。そう信じてカノンはモモンガ怪人の動きをじっと見つめているのだ。
「フハハハハ! 死ね、カノン!」
 そう言いながらモモンガ怪人がカノンに向かって急降下してきた。
「待ってたぜ、そう来るのをな」
 自分に向かって物凄いスピードで突っ込んでくるモモンガ怪人を見据えながらカノンが言う。その口で言った通り、カノンはモモンガ怪人が突っ込んでくるのを待っていたのだ。
 先程までじっと空を飛ぶモモンガ怪人を見ていてわかったのは、このモモンガ怪人は遠距離からの攻撃方法を持っていないと言うことだった。遠距離攻撃の手段を持っているのならば空中にいる間に地上にいるカノンを攻撃してこない訳がない。それをしてこなかったことからモモンガ怪人の攻撃手段は接近戦、おそらくはカノンの背中を切り裂いた爪が最大の武器なのだろう。空を飛ぶのは移動と相手を攪乱する為で、とどめとなる攻撃は必ずこちらに近寄ってくるはず。それがわかれば後はその瞬間を待ち受けていればいい。これは今まで幾多の強敵との戦いを勝ち抜いてきたカノンの、祐一の経験の賜物だ。
 一直線に突っ込んでくるモモンガ怪人。この一撃でカノンを倒せると確信しているのだろう。
 だが、カノンは冷静にタイミングを計り、モモンガ怪人が突っ込んでくる直前のタイミングでその右足を思い切り振り抜いた。
 カノンの回し蹴りを横っ面に喰らい、何が起こったのかまるでわからないままモモンガ怪人は地面に叩きつけられる。
「舐めるなよ。こう見えてもお前みたいな奴とは何度も戦ってきてるんだぜ、俺は」
 地面に倒れたモモンガ怪人を見やりながらカノンはそう言い、両足を前後に広げて腰を落とした。必殺のキックの体勢だ。
「行くぞ!」
 そう言って駆け出すカノン。ある程度の距離にまで接近するとジャンプする。空中で身体を丸めて一回転し、右足を突き出す。
 モモンガ怪人はようやく、フラフラと起き上がったところだった。そのような状態ではカノンの必殺キックをかわすことは出来るはずもない。顔を上げ、迫り来るカノンの右足を見て表情を引きつらせる。もはやどうすることも出来ない。ことここに至っては、奇跡でも起こらない限りあのキックをかわすことは出来ないだろう。
 完全にモモンガ怪人が諦めきった時、その奇跡が起こった。突然物凄い衝撃波が横殴りにカノンを襲い、彼を吹っ飛ばしたのだ。
「ぐうっ!? な、何だ!?」
 地面に落下したカノンだがすぐさま身を起こし、自分を襲った衝撃波の来た方向を見る。するとそこには一人の女性がカノンに向けて手を突き出した格好で立っていた。暗いのでわかりにくかったが、その女性が美優の祖父の山小屋の中で出会った女性だと言うことに何とか気付く。
「お前は……!」
「カノン。相沢祐一。特A級要注意人物。その戦闘能力は未知数。抹殺出来うるならば抹殺せよとの命令を受けている」
 女性は目を閉じたままそう言い、一歩、カノンの方に踏み出してきた。それから目を閉じたままの状態でモモンガ怪人の方に顔を向ける。
「C−39、先走ったな。私が命令したのはカノンと神崎の孫娘の追跡と監視。それ以上は我々の到着を待てと言ったはずだ」
「も、申し訳ありません!」
 自分を助けてくれたであろう女性にモモンガ怪人はそう言って平伏する。どうやらモモンガ怪人よりもこの女性の方が立場が上のようだ。そんなことよりもカノンが気になったのは先程自分を吹っ飛ばした衝撃波のこと。おそらくはこの女性は放ったものなのだろうが、一体何をどうやって衝撃波を発生させたと言うのだろうか。
 と、カノンがそんなことを考えながら女性の方を見ていると、その後ろからのっそりとナマケモノのような姿の怪人が姿を見せた。こいつも美優の祖父の山小屋で出会った怪人だ。見た目に反してその動きは素早く、そして軽い。更にその力も並大抵のものではない。
「何か……厄介なことになってきたな」
 モモンガ怪人にナマケモノ怪人、それに加えて衝撃波を放つことが出来るらしい謎の女性。二体の怪人と謎の女性を相手に美優と住井を守って戦わなければならない。自分で呟いた通り、厄介なことになってきたようだ。それでもカノンは改めて拳を握りしめ、戦闘態勢をとるのであった。

<都内某所・教団施設内特別病棟 18:54PM>
 時間は一時間程遡る。
「あなたは……誰なの?」
 ベッドの上に座っている、まるで能面のように無表情な女性が乱入してきた包帯だらけの男に声をかけてきた。突然の包帯男の乱入に警戒して、と言う雰囲気の口調ではない。単純に入ってきたのが誰かを気にしているだけのようだ。
「……俺は……」
 包帯男――折原浩平はそこまで口にして、端と思い止まる。今、自分がいるのは味方など一人もいない完全な敵地の真っ只中。更に追われて何とか逃げ込んだのがこの部屋だ。ベッドの上に座っている無表情な女性も、この場にいると言うことを考えれば敵の仲間のはず。果たして名乗っていいものかどうか。
 浩平が名乗るのを躊躇しているのを女性は無言でじっと見つめていた。沈黙だけが少しの間二人を支配する。と、その静寂を破るかのようにいくつかの足音が聞こえてきた。閉じたドアの向こう側から聞こえてくるその足音の数はそこそこのものだ。どうやら浩平を追っている連中は一人や二人ではないらしい。
「チッ、もう追ってきやがったか……」
 とりあえずこのままでは見つかってしまうだろう。戦って切り抜けられないことはないが、以前の戦闘で受けた傷が完全に癒えた訳ではない。確認した訳ではないが、変身しての戦闘は出来れば控えておきたい。
 ならば後はこの場から逃げるだけだ。そう思って浩平は窓に駆け寄るが、外を見やってまた舌打ちする。この部屋があるのは地上三階。あまり飛び降りたくはない高さだ。これが何ともない普段の状態なら躊躇うことなく試したのだろうが、今は見た目の通り負傷した傷の癒えない身。戦闘ですら控えたいのにそう言う無茶は止めておくのが身の為だろう。
(何てこった……あいつの言うことに従ってこれじゃ……やっぱりあいつ)
 脳裏に浮かぶのはこの場所――今いるこの部屋のことではなく、この区画一帯のことである特別病棟のことだ――に行くよう示唆した謎の少年の顔だ。穏やかな笑みを浮かべたあの少年は自分に何かをやらせたいようであったが、今の状況を考えてみるに、やはり罠だったようだ。そう考えるのが一番しっくりと来る。
 だが、心の何処かで決してそうではなかったのだろうと思う自分もいる。何か間違いがあったのか、それとも予想外のことがあったのか。
 何にせよ、その事の結論は今は後回しにしなければならない。今は何としても捕まる訳には行かないのだ。
「やるしかねぇか……」
 低くそう呟いた浩平はドアの方に振り返りながら両手を伸ばして、その先で交差させた。果たして変身出来るのか、変身出来たとしてもどれだけ戦えるのか。不安だらけではあるが、この場を切り抜けるにはやるしかない。
「……待って」
 不意に女性がそう声をかけて来たので浩平は彼女の方へと視線を向ける。しかし、手はそのままだ。聞こえてくる足音はどんどん近くなっている。もう間もなくこの部屋にやってくるだろう。今の状態で戦うならば選ぶ手段は奇襲。長時間は戦えないだろうから、先手をとり敵が混乱している間にまた逃げる。だからこそいつでも変身出来るよう、その手を崩すことはしない。
「こっち」
 女性はそう言うと腰の辺りまで覆っている掛け布団をめくりあげた。それからポンポンと敷き布団を叩く。おそらくはここに隠れろと言うことなのだろう。相変わらずの無表情だが、何となく彼女がそう言っているような気がした。
「あ、いや……ちょっとそれは、な」
 手を伸ばしたままの姿勢で苦笑する浩平。流石に女性のベッドの中に潜り込むというのは、今の追いつめられたこの状況を脱する為でも出来れば遠慮したいところだ。
 しかし、女性は敷き布団をトントンと叩くのを止めようとはしない。浩平の意見や気持ちなどは一切無視し、彼がここに隠れると言うことは彼女の中で既に決定しているらしい。じっと浩平の顔を無表情ではあるが見つめたまま、敷き布団を叩くのを止めようとはしない。
「あー……、わかった。俺の負けだ」
 女性が引くつもりがないらしいと言うことがわかった浩平は小さくため息をつき、手を下ろした。そして、女性のいるベッドに近寄っていく。
「それじゃちょっと失礼」
 そう言ってベッドの上に上がろうとする浩平を見て、女性は身体をずらしてスペースを作る。そこに浩平が身体を潜り込ませてくるのを確認してからめくりあげていた掛け布団を戻した。しっかりと浩平の身体が覆い隠されるようにしながら、だ。
 もっともそこは一人用のさほど大きくないベッドの上だ。浩平が潜り込んだことで不自然な膨らみが出来てしまう。
 女性は浩平が潜り込んでいる辺りを掛け布団の上から見つめながら少し考えた。そして、伸ばしていた膝を曲げて掛け布団を持ち上げる。
「……もっとくっついて」
「は?」
「もっとくっつかないと不自然だから」
「あ、いや、だからそれは」
「早く」
 布団の中にいる浩平の表情は女性にはわからない。わかったところで先程の発言を撤回しようと言う気も更々無い。今はとにかく彼を守ってあげようと言うだけだ。
 浩平は仕方なく彼女に従うことにした。一度言い出したら彼女はそれを決して曲げようとはしないだろう。それは先程のことで充分すぎる程思い知らされた。それにこの場を切り抜けることが先決。恥ずかしいとかそんなことを言っている場合ではないのだ。
 陸上でもやっていたのか、意外としっかりとした肉付きの太股を顔の横にしながら、浩平は息を潜める。直後、乱暴にこの部屋のドアが開け放たれた。
「失礼致します」
 慇懃無礼な感じでそう言いながら入ってきたのは時代錯誤な忍者装束を身に纏った男達だった。
「不審者がこちらの方に来たと思われますが」
「知らない」
 覆面をつけた忍者装束の一人がそう言うが、女性はあっさりそう答える。忍者装束の男の方を見ようともせずに、だ。
「失礼ではありますがこの部屋を調べさせて」
「必要ない」
 短く、だがはっきりとそう言う女性。その声音からは完全な拒絶が感じられる。もっと言うならば一刻も早くこの部屋から出ていけと言うニュアンスすら感じられた。もっともそれは彼女に匿われている浩平がそう感じただけなのだが。しかし、実際に調べられて困るのは浩平自身だ。ここは何とか女性に頑張って貰いたい。
「しかし」
「彼女の言う通りよ。ここは調べる必要はないわ」
 潜入した不審者を捜し出さなければならないと言う任務を請け負っているらしい忍者装束の男達が何とか食い下がろうとするが、新たに聞こえてきた声にその場にいた忍者装束の男達全員が声のした方へと振り返った。
 そこに立っていたのは白衣を着た女性だ。ジロリと忍者装束の男達を一瞥すると、彼らを掻き分けるようにして部屋の中へと入ってくる。
「ここの責任者はこの私よ。その私が必要ないと言っているの。早く出て行きなさい」
 怜悧な視線で忍者装束の男達を見回し、そう言う白衣の女性。有無を言わさない迫力がその言葉と視線にはあった。それにこの白衣の女性は忍者装束の男達よりも立場が上なのだろう。責任者と言っていたことからもそれが伺える。
「それとも何? あなた達は女性の病室を不躾にも集団で引っかき回そうとでも言うの?」
「……引き上げるぞ」
 白衣の女性に更に畳みかけられ、忍者装束の男達のリーダー格が渋々そう言った。そう言うしかないと言う感じで、まるで吐き捨てるかのようにそう言い、他の忍者装束の男達を引き連れて部屋から出ていく。
 その後ろ姿を見送った後、白衣の女性はベッドの上に座っている女性に目を向ける。
「これでよかった?」
 そう言った白衣の女性にコクリと頷き、ベッドの上の女性は掛け布団をめくりあげた。しかし、そこになければいけないはずの浩平の姿はない。思わず首を傾げる彼女だが、すぐに何かを感じ取ったかのように白衣の女性の方を見た。
「葉子さん、もういいから」
「そう。何かあったらいつでも呼んでちょうだい」
 白衣の女性はそう言うとすぐにこの部屋から出ていく。その様子はまるでベッドの上の女性に操られているロボットのようだ。彼女が出ていき、ドアが閉じられるのを確認してからベッドの上の女性は室内をぐるりと見回した。
「もういいわよ」
 何処へともなく女性がそう言うと、ベッドの下からもぞもぞと浩平が這い出してきた。どうやらいつの間にかベッドの中からベッドの下へと移動していたらしい。流石に若い女性と狭いベッドの中にいると言うことに耐えきれなかったようだ。
「やれやれ、何とか切り抜けられたってところか。あんたが一体どう言うつもりだったのかは知らないが、とりあえず礼を言わせて貰う」
 口ではそう言う浩平だが、どことなく警戒したような目でベッドの上の女性を見つめている。この女性が一体何者なのか。丁度いいタイミングで現れたあの白衣の女性との関係は一体何なのか。浩平にわかることはこの女性は既に自分の体内にある霊石だか魔石だかを同じように埋め込まれてしまっていると言うことだけだ。
 今まで浩平は自身の敵であり、そして最愛の妹の仇でもある教団の施設をいくつかその手で叩き潰してきた。そこで何度か体内に霊石や秘石、または魔石と教団の研究者達が呼んでいるものを体内に埋め込む手術を受けた人間を見たことがある。その誰もが感情というものを無くし、まるで能面のような無表情になってしまっていた。例外と言えるのは自分や祐一を初めとするどうやって変身能力を得たのか不明な数名の彼の知り合いぐらい。どうして自分たちが例外的に今まで通りに感情を持ち合わせているのか浩平にもわからない。しかし、これで相手が改造変異体にされているかどうかの判別はつくようになっていた。
 既にこの女性は改造変異体にされてしまっている。一体どの様な能力を持ち、どの様な姿に変身するのかはわからないが、いずれは敵となる可能性が非常に高い。ならば今のうちに始末しておくべきか。だが、彼女は、一体どう言うつもりなのかわからないが自分を助けてくれた。遠くない未来にはおそらく敵として自分の前に現れるだろうが、それでも今ここで彼女を倒すのは忍びない。
「……お前は……敵なのか?」
 少し考えた末に浩平はそう尋ねた。
 自分にここに行くように言ったあの少年と言い、追いつめられたはずの自分を匿ったこの女性と言い、敵だらけのはずのこの場所で何故自分を助けるのか。はっきり言って訳がわからない、と言うのが本音だ。だからこそそう尋ねたのだ。
「……」
 女性は浩平の質問の意味がわからないと言う感じで首を傾げている。
 そんな女性を浩平は黙ってじっと見つめていた。だが、やがて何かを諦めたかのようにため息をつくとドアの方に向かって歩き出す。
 これ以上この部屋にいる訳にはいかないだろう。いずれは敵対する相手だ、一度匿って貰っただけでも充分なのにこれ以上世話になったら情が生まれてしまう。それに加えて、自分は若い男で相手は若い女性だ。何時何があってどんな間違いが起こるかわからない。
 ドアノブに手をかけようと手を伸ばした時だった。それよりも早くドアが開かれ、浩平は思わず身構えてしまう。先程彼を捜しに来た連中が戻ってきたのかと思ったからだ。しかし、開いたドアの隙間から顔を覗かせたのはまだ少女と言っても差し支えの無さそうな容貌の女性だった。
「……!?」
 その女性は包帯だらけの浩平を見て一瞬目を丸くしたものの、すぐにジロジロと彼のことを品定めでもするかのように見つめはじめた。少しの間、浩平の頭の天辺から足先まで見回していた女性だったが、やがて満足したように頷いた。そして、続けて出てきた彼女の言葉に浩平は思わず硬直してしまう。
「あなたが彼女のお兄さんですね? 彼女――折原みさおの」

<東京都奥多摩町青梅線奥多摩駅前 20:08PM>
 唸りを上げて襲い掛かるナマケモノ怪人の長い腕を地面を転がってかわすカノン。転がった先で待ち受けていたモモンガ怪人の腹に向けて右足を突き出し、蹴り飛ばす。
「ぐへぇっ!」
 奇妙な声をあげて地面に倒れるモモンガ怪人を尻目に立ち上がるカノンだが、そこに先程長い腕での一撃を見事にかわされてしまったナマケモノ怪人が飛びかかって来た。再び長い両腕を振り上げ、それを勢いよくカノンに向かって振り下ろそうとする。しかし、そんな見え見えの隙の大きい攻撃をまともに受けるカノンではない。素早く横に跳んでその一撃をかわし、着地したばかりのナマケモノ怪人の後頭部に回し蹴りを叩き込む。
 地面に頭をめり込ませるかのように勢いよく倒れるナマケモノ怪人。それを見てからカノンはこの戦いを少し離れたところで窺っている一人の女性の方を向いた。
 女性は相変わらず目を閉じたままで、しかしカノンと二体の怪人との戦いの様子をじっと窺っていた。先程モモンガ怪人に必殺のキックを食らわそうとした時に横合いから喰らった衝撃波はおそらくはこの女性が放ったものだろう。しかし、あれから彼女は何もしてこない。目を閉じたまま、それでも気配でわかるのかカノンとモモンガ怪人、ナマケモノ怪人の戦いを窺っているだけだ。
(何で何もしてこないんだ? どう見てもこいつらの方が不利だとわかるだろうに……あの衝撃波はそう連発出来ないのか?)
 身構えたまま目を閉じている女性――巳間晴香という名前なのだが勿論それをカノンが知っているはずもない――の様子をうかがうカノン。
「何で神崎さんを狙う?」
 今まで未確認B種と呼ばれている怪人達は本来の未確認生命体とは違って一般市民を無作為に襲おうというようなマネはしてこなかった。しかし、今度に限っては神崎美優と言う単なる女子大生を襲ってきている。彼女の祖父が未確認B種の手によって殺されていると言うことは美優本人の口から聞いているのだが、わざわざ彼女を追ってきてまで殺そうというのは彼女の祖父を殺した現場を見られた口封じの為なのか。それにしても少し執拗ではないだろうか。偶々あの場に自分が居合わせたお陰で美優は今のところ無事なのだが、わざわざ追加の怪人まで投入してまで彼女を殺そうとする――追加の怪人はどちらかと言うと自分用に送り込まれた可能性の方が高いのだが――のは何か腑に落ちないものがある。
「あの娘が神崎の孫娘だからだ」
 晴香から返ってきた答えはカノンの予想外のものだった。いや、そもそも答えが返ってくるとは思っていなかっただけに、晴香が答えただけでも驚きだったのだが、その内容に更に驚きを感じてしまう。
「その様子だと……神崎さんのお爺さんは」
「そう、お前の想像通り我々の仲間だった」
 ここに来る前に何となく危惧していた通り、美優の祖父は未確認B種を影で操っているらしい組織『教団』の一員だった。おそらく神崎老人は教団を裏切ったに違いない。その理由は不明だし、今となっては聞くことも叶わないが、その為に奴らに殺されてしまったのだろう。美優を執拗なまでに狙うのはその現場を見られたと言うこともあるのだろうが、それ以上に制裁、教団と言う組織を裏切った神崎老人の身内も皆殺しにすると言う制裁の意味合いの方が強いのだろう。もし、美優があの山小屋に行くことなく神崎老人が死んだところを見なくてもいずれ彼女の元に刺客が送られていたに違いない。
「神崎は我々を裏切った。その上特A級要注意人物であるお前に手紙まで送ろうとしていた。お前に我々の崇高なる計画を知られる訳にはいかん。だから殺した」
「神崎さんを狙っているのは」
「それも想像出来ているのだろう、カノン? お前の考えている通り、あの娘を殺すのは見せしめだ。裏切り者には死を、その家族もまた同罪だと言うな」
 何の感情もなくそう言い放つ晴香にカノンは怒りを隠せなかった。ぐっと拳を固く握りしめ、晴香を睨み付ける。
「巫山戯るな! 何が崇高な計画だ! 自分たちのいいように世界を作り替えようなんて計画なんざ成功する訳ねぇだろうが!」
 晴香に向かってそう怒鳴るカノン。
「そんな馬鹿げた計画の為にどれだけの人間を殺してきたんだ、テメェらは! 俺は絶対に許さねぇぞ! そんな馬鹿げた計画、絶対に叩き潰してやる!」
 それだけ言うとカノンは晴香に向かって走り出していた。相手は見た目ただの人間で、しかも女性ではあるが、こっちに向かって衝撃波を放ってきたり目を閉じたままで戦闘の状況を理解していたりと通常の人間では有り得ない力を持っている。更に未確認B種を二体も従えていることから彼女も確実に未確認B種のはず。遠慮など必要ない。
「愚かな……お前一人で何が出来る」
 晴香がそう言い、右手を走ってくるカノンに向けて伸ばし、それから閉じていた目を開いた。その直後、衝撃波が発生し、カノンを吹き飛ばす。大きく吹っ飛ばされ、地面に倒れるカノンを見据えながら晴香は不甲斐なく倒れているモモンガ怪人とナマケモノ怪人に叱咤の声を飛ばす。
「いつまで寝ているつもりだ! 早くカノンを抹殺しろ!」
 彼女のその声にはっとなったようにモモンガ怪人とナマケモノ怪人が身を起こし、倒れているカノンに飛びかかっていく。だが、カノンは二体の怪人が自分に掴みかかるよりも早く地面から跳ね上がるようにジャンプしていた。その為、モモンガ怪人とナマケモノ怪人は互いの頭部を思い切りぶつけ合ってしまう。弾けるようにのけぞりあうモモンガ怪人とナマケモノ怪人の頭にカノンの両足がそれぞれに叩き込まれた。更にそこを支点にして再度ジャンプしたカノンが空中で大きく一回転してから地面に着地する。
「……お前……まさか」
 着地したカノンが少し驚いたように晴香を見ながら言う。先程まで閉じられていた彼女の瞳が今、大きく開かれていた。その瞳の色は金。それが何を意味しているかをカノンは嫌と言う程知っていた。
「水瀬一族……なのか?」
 水瀬一族――かつて祐一を、カノンを苦しめた女系一族。しかし、彼自身もその一族の一人であり、更に数少ない男であった為にその命を執拗に狙われることになる。更に一族の総領である大婆様と呼ばれる老女が彼の従姉妹である水瀬名雪を自らの後継者、いや新たなる自らの寄り代にしようとしたことから祐一やその仲間達による逆襲を受けて大婆様は倒され、一族はほぼ壊滅した。もっとも邪なる心を持っていたのは大婆様だけで他の者はそのほとんどが大婆様に洗脳されていたり利用されていただけ。今は皆、普通の生活に戻っている。もっともそのほとんどの者を祐一は知らない訳だが。彼が知っているのは従姉妹とその母親、自分の母親にあの時敵対した何人かだけで他の水瀬一族に連なる者は全く知らないと言ってもいい。だが、水瀬一族だと言うことを判別することは彼には可能だった。
 水瀬一族に連なる女性は”不可視の力”と呼ばれる超能力のような者を持つ。一人一人その能力は異なるのだが、唯一共通していることがある。それはその力を行使する時、瞳が金色に輝くと言うことだ。
 その為に今、対峙している晴香の瞳が金色に輝いていることから彼女が水瀬一族の一員ではないかとカノンが思ったのも無理はないだろう。
「……水瀬一族……知らないわね。もっとも……その血が流れているらしいけども」
 晴香の言葉にカノンは小さく頷いていた。
 水瀬一族の歴史は古い。カノンの出自と同じくする程に。だから、その血を知らずに受け継いでいる者もきっと多くいるのだろう。しかし水瀬一族のようにある一定の年齢に達するとその力が発現する訳ではなく、多くの者はその力を自覚することなく生きているに違いない。晴香のように何らかの切っ掛けでその力を発現させてしまう方が希有なのだろう。その切っ掛けというものが一体何なのかと言うことが気にかかるところだが。
「水瀬一族か……その力を悪用するなら俺が倒す。何て言っても俺は”水瀬を滅ぼす者”だからな」
 そう言いつつもカノンは晴香に対する警戒度をワンランクアップさせていた。水瀬一族の持つ不可視の力はかなり強い。カノンにも、いや祐一にも水瀬の力は備わっている。比類なき超強力な力が。しかし、その力がもたらす反動もまた大きい。自分自身も滅ぼしてしまいかねない程に。
 晴香が見せたのは衝撃波の発生。果たしてそれ以外にも何か出来るかどうかは不明だが、油断は出来ないだろう。
 カノンがそう思って改めて拳を握りしめた時だった。突然晴香が苦しげに顔をしかめ、そして額に手を押し当ててその身体をよろめかせる。その瞳の色も金から元の色に戻り、フラフラとする足を何とか踏み止まらせる。
「くっ……C−23、C−39、カノンを」
 そう言うが早いか、晴香はカノンに背を向けて歩き出した。逃げるように、実際に逃げているのだろうが、足早にその場から去ろうとしている。
「逃がすか!」
 カノンが闇の中へと消えようとしている晴香を追いかけようとするが、その前にモモンガ怪人とナマケモノ怪人が立ち塞がる。晴香が出した最後の命令に従って、カノンを足止めしようと言うつもりなのだろう。
「邪魔をする気か、お前ら?」
 ジロリと立ち塞がるモモンガ怪人とナマケモノ怪人を見やるカノン。先程までの攻防からもわかる通り、この二体の怪人ではカノンに敵うはずもない。それがわかっていて尚、どちらの怪人も退こうとはしなかった。それが先程逃げていった晴香の命令によるものなのか、それともカノンに勝って自らの地位を上げたいという功名心の為なのかはわからなかったが、何にせよこのまま放っておく訳にはいかない。何と言ってもこの怪人達は美優の祖父を殺したのだし、更に美優の命も狙ってきているのだから。
「死ね! カノン!」
 そう言って先に飛びかかって来たのはモモンガ怪人だった。鋭い爪の生えた手を突き出し、カノンの心臓を抉ろうと突っ込んでくる。一瞬遅れてナマケモノ怪人が両腕を振り上げながら大きくジャンプした。時間差攻撃、と言う訳でもないだろう。それほどまでにこの二体の怪人は連携が取れている訳ではないからだ。だが、それは結果的に時間差攻撃の様相を呈していた。
「くっ!」
 舌打ちしながらもカノンは突っ込んでくるモモンガ怪人の手をかわし、更に前に飛び出すように地面を転がりナマケモノ怪人の一撃をかわす。起き上がると同時にすぐ後ろに着地したナマケモノ怪人の尻を蹴り飛ばし、その先に立っているモモンガ怪人とぶつけさせた。
 もつれ合うようにして倒れるモモンガ怪人とナマケモノ怪人を尻目に立ち上がったカノンはすぐさま振り返ると腰を落として両足を前後に開いた。そこからよろよろと起き上がろうとしているナマケモノ怪人とその下敷きになっているモモンガ怪人に向かってジャンプする。そして空中で身体に捻りを加えて回転をつけ、そのまま右足を突き出した。
「うおおおりゃああっ!」
 カノンの雄叫びと共に突き出した右足が光に包まれ、それが起き上がったばかりのナマケモノ怪人の背中に直撃、大きく吹っ飛ばす。その後、地面に叩きつけられたナマケモノ怪人が一瞬身を起こしかけるが、力及ばず地面に倒れ伏し、直後爆発が起こる。
「おおお……」
 仲間であったナマケモノ怪人が爆発したのを見て、モモンガ怪人が嘆きの声を漏らした。次にああなるのはほぼ確実に自分に違いない。死を恐れる訳ではないが、それでも出来ることならば生き長らえたい。それは生物としての本能だ。だからと言う訳ではないが、モモンガ怪人はチラリとカノンの方を見て、それから数歩後退った。本能的にモモンガ怪人はこの場からの逃亡を選択したのだ。
 しかし、それを簡単に許すカノンではない。ナマケモノ怪人が爆発四散した後からずっとモモンガ怪人の方を見つめている。その目が決して逃がしはしないと語っていた。
「ぐっ……」
 一体どうすればこの場を切り抜けられるのか、モモンガ怪人はカノンの一挙一動を見ながら考える。まともに戦えば負けるのは確実だ。しかし、背を向けて逃げようとしても無駄だろう。カノンが自分を見逃すはずがない。
(このままでは……何か隙でも出来れば……)
 ギリギリと歯を噛み締めながらカノンを見据えるモモンガ怪人。
 と、その時だ。駅舎の方から住井が恐る恐る出てきたのだ。先程のナマケモノ怪人が爆発した音を聞いて、戦闘が終わったものと思って顔を出したのだろう。
「相沢君、さっきの音は……」
 そこまで言いかけて住井はまだそこに存在するモモンガ怪人の姿に気がついた。まだ戦闘は終わっていない。その事を理解し、すぐさま拳銃を取り出してモモンガ怪人に向けようとするが、それよりも早くモモンガ怪人が住井のすぐ側まで迫り、彼の拳銃を持つ手を振り払った。
 未確認B種の物凄い力による一撃を受け、住井の手からあっさりと拳銃が弾き飛ばされてしまう。
「住井さん!」
 このままでは住井が殺されてしまう。そう思ったカノンがすぐさまモモンガ怪人の背に飛びかかろうとするが、モモンガ怪人はカノンの手が届く前に住井を突き飛ばし、そのまま大きくジャンプした。
 カノンの攻撃が届かない空にさえ逃げてしまえば、後は大丈夫。自分もそうだがカノンも遠距離を攻撃する術は持ち合わせていないはずだ。逃げ帰ればどうなるかは不明だが、何とかこの場を生き延びることは出来た。この後は上手く隙をついて美優を殺してしまえば多少は逃げた罪も軽くなるはずだ。そう思ってモモンガ怪人は腕の下にある膜を広げて闇夜の空を滑空する。
 空を飛び、逃げていこうとするモモンガ怪人を見上げたカノンはすぐさま地面の上に転がっている住井の拳銃を拾い上げた。
「住井さん、これ、借ります!」
 そう言うと同時に停めてあったロードツイスターに飛び乗る。すかさずエンジンをかけると逃げていくモモンガ怪人を追ってロードツイスターを発進させた。
「来い! ガイム!」
 ロードツイスターを疾走させながらカノンがそう叫ぶと、その頭上に巨大な三本角の甲虫が飛来してきた。この三本角の甲虫は戦士・カノンを支援する生体メカである聖鎧虫であり、しばらく名前がなかったものをカノン――祐一が「ガイム」と名付けたものだ。聖鎧虫という名の通り、カノン自身の、そしてカノンが操るロードツイスターの強化パーツとなることも出来る。それ単体での戦闘能力も高いが、それ以上にカノンが重宝しているのはその飛行能力だった。しかしながら今回はその飛行能力を見込んでガイムを呼んだ訳ではない。事実、ガイムはカノンの意図を汲んだようにロードツイスターの頭上でその身を分解し、ロードツイスターが纏う鎧となる。
「行くぞ!」
 カノンがアクセルを回すとガイムの合体したロードツイスター――ガイムツイスターとでも呼ぶべきか――が更に加速した。通常時では時速300キロを誇るロードツイスターだが、ガイムが合体した状態だとその性能は更にアップする。最高時速は500キロほどにまで上がり、その超加速能力を生かした必殺技も有するようになるのだ。その物凄い加速でガイムツイスターはあっと言う間にモモンガ怪人を追い越していく。
 路上にタイヤ痕を残しながらガイムツイスターが反転しながら急停止する。ハンドルを握っていたカノンはさっと闇の空を見上げると、先程住井から一方的に借りてきた拳銃を左手に持ち、空へと向けた。
「フォームアップッ!」
 そう叫ぶのと同時にカノンのベルトの中央にある霊石が緑の光を放った。その光の中、カノンの姿が白から緑へと変わる。
 緑のカノンは視力聴力などの感覚が鋭敏化される。それによりはるか上空にいる敵の姿すら発見することなどが可能になる代わりに、その変身可能時間はかなり短くなってしまうのだ。それはおそらく超感覚に対する脳への負担を減らす為なのだろう。同時にその超感覚を維持する為にカノンの変身時におけるエネルギーの消耗が大きいからでもある。
 カノンが左手に持つ拳銃がカノンの変化に伴い緑色のボウガンへと変化した。その後部にあるレバーを引き、内部に圧縮空気の矢を生み出す。その時、カノンのベルトの霊石から電光が走り、腕を伝ってボウガンに達した。するとボウガンの先端に黄金に輝く銃身が形成された。
 一瞬、いきなり発生した黄金の銃身に驚くカノンだが、すぐに気を取り直し、意識を集中させてこちらへと向かっているはずのモモンガ怪人の姿を探した。闇夜の空、空高くを滑るように跳ぶモモンガ怪人の姿を見つけることは容易いことではない。しかし、今のカノンなら、緑のカノンならばそれは不可能なことではなかった。
「……そこか!」
 カノンの目がモモンガ怪人の姿を捉える。次の瞬間、カノンは迷わずボウガンの引き金を引いていた。ボウガンの先端部にエネルギーを込め、同時に引いていた後部レバーを放し、圧縮空気の矢を撃ち出す。いつもならば単発なのだが、今回は三連発。地上から三発の圧縮空気の矢がモモンガ怪人に襲い掛かる。
 モモンガ怪人はカノンが何時の間にやら自分を追い越し、前方に回り込んでいることなどまるで気付かず、闇の空を滑空していた。ここまで来ればもう大丈夫だろう。空を飛べないカノンに自分を攻撃する手段はない。無事に逃げ延びたと思って安心した瞬間だった。地上から跳んできた圧縮空気の矢が三発、モモンガ怪人の胸板を貫いていった。
「なっ……!?」
 一瞬、何が起こったのかわからないと言うような顔をするモモンガ怪人。だが、直後、地上にカノンの姿を認め、自分が攻撃されて致命的なダメージを受けたことを知る。
「まさか……カノンには……」
 遠距離攻撃の手段があったのか、と口だけを動かして続け、その一瞬後、モモンガ怪人は空中で大爆発を起こした。普段の時とは違い、その爆発の規模はかなり大きい。まさしく大爆発と言った感じで、その爆発時の光が周囲を明るく照らし出す程だった。

<東京都奥多摩町青梅線奥多摩駅前 20:26PM>
 モモンガ怪人が倒された時の爆発の光はかなり離れた位置にいる住井達にも確認されていた。
「何だ、あれは?」
 目を細めながら、闇夜の空を照らす爆発光を見つめる住井。その光が完全に消え、再び空が闇に閉ざされてから少し経ってから彼の前にカノンが戻ってきた。乗っているのはガイムツイスターだが、その姿は緑から白に戻っている。
「終わった……のか?」
 ガイムツイスターから降り、自分の方に向かってくるカノンに住井は恐る恐る尋ねた。彼からすればカノンは未確認生命体第3号に過ぎない。例えその正体が自分たちとそう年齢の変わらなさそうな青年だとしても、違和感と言うか恐怖心と言うかそう言った類のものはそう簡単に拭い去れるものではない。何と言っても彼は未確認生命体と最前線で戦う警視庁未確認生命体対策本部の一員なのだから。
「とりあえずは、ですが」
 そう言いながらカノンは変身を解いた。それから持っていた拳銃を住井に手渡す。
「ありがとうございました。こいつのお陰であいつを倒せました」
 祐一はそう言いながら笑みを浮かべる。
 住井は受け取った拳銃をホルスターに戻しながら、今自分の正面に立っている青年が本当に未確認生命体第3号なのかと言うことを考えていた。
 未確認生命体第3号――未確認生命体でありながら他の未確認生命体を次々倒していると言う謎の存在。他の多くの未確認生命体のように人間を襲ったと言う話は今のところ無く、一部では人類の味方ではないかと言う噂もあるぐらいだ。もっとも未確認生命体対策本部の中では噂はあくまで噂と言うことで、やはり第3号も対処する対象になっている。今のところ、第3号が一般市民を襲ったりせず、逆に一般市民や未確認生命体と戦う警官達を助けているようなところがある為に積極的に排除するようなことにはなっていないが、いずれはそう言うことになるのかも知れない。
 さて、この相沢祐一という青年だ。穏やかな笑顔を浮かべている彼と未確認生命体第3号。何処にでもいそうな感じの青年である祐一と、凶悪無比な未確認生命体に果敢に戦いを挑み、勝利を掴んでいる未確認生命体第3号。先程目の前で彼がその第3号に変身するところを目の当たりにしたと言うのに、住井の中では二人のイメージがどうしても重ならない。
「まさか、君が……」
 一体何を言えばいいのか、住井自身よくわからないまま口を開いた。とりあえず助けて貰った礼を言うべきなのか、それともどうして彼が未確認生命体であるのに同じ未確認生命体を倒しているのかを尋ねるべきなのか。いや、それ以前に彼は一体何者なのかと言う根本的なことを聞くべきなのか。軽く混乱したまま、複雑な表情を浮かべる住井。
「ええ、俺が未確認生命体第3号です。詳しいことは国崎さんにでも聞いてください。もっと詳しいことを知りたいなら、いい奴を紹介しますからそいつにでも」
 笑みを浮かべたままそう言う祐一に住井は思わず呆気にとられたような表情を浮かべてしまう。彼がこうもあっさりと自分のことを認めるとは思わなかったからだ。
「そ、それじゃ君も、あの未確認と同じ」
「ああ、いやそれは違います。俺はれっきとした現代の人間ですよ。とにかく詳しい話はまた今度にしてください。今は」
 そう言って祐一が駅舎の方を見たので住井もそっちの方を向いた。駅舎の入り口のところに不安そうな表情を浮かべた美優がいて、二人の様子をうかがうように見つめている。
「彼女から話は聞いた。お爺さんが未確認B種に殺されたと言う話だったが」
「さっき襲ってきた連中です。もっとも一人は逃がしましたけど」
 チラリと美優の方を見て二人は彼女の方に向かって歩き出す。
「逃げた奴が応援を連れて戻ってくるかも知れないな。ここから離れた方がいいと思うんだが」
「そうですね。俺も同感です」
「しかし……彼女は警察には行きたくないって言っているんだ」
 住井の言葉に祐一は足を止めた。
 現状を考えると美優のことは警察に預けるのが一番安全なはずだ。それは彼女自身もわかっているはずだし、住井がここに来るまでの間に説明はしておいたはずなのだが、一体どうしてそんなことを急に言い出したのだろうか。
「一体どうして?」
「それは話してくれなかった。むしろ君の方がわかるんじゃないか?」
 少し小走りになって先行した住井に追いつきながらそう尋ねる祐一。しかし、住井から返ってきたのは祐一が抱いたのと同じ質問だった。
 住井からすれば美優は過去に一度会ったことがあるとは言え、あの時は未確認生命体29号事件の最中のことで面識が少しある程度。はっきり言ってしまえば出会ったばかりも同然だ。彼女が一体どう言った事情の持ち主で、彼女の祖父がどう言った理由で未確認B種に殺されたのかもわからない。むしろ、一緒にいた祐一の方がその辺の事情には詳しいだろう。そう思って質問を返したのだが、祐一の方も困惑したような表情を浮かべるだけだった。

<倉田重工第7研究所 20:43PM>
 その日の業務を全て終え、この倉田重工第7研究所所長の倉田佐祐理は小さくため息をついた。
 未確認生命体第31号が倒されてから新たな未確認生命体はB種も含めて出現しておらず、表向き平和な日々が続いている。しかし、この第7研究所では連日連夜PSK−03の改修作業に追われ、まるで戦場の様相を呈していた。もっともそれはPSKシリーズ開発メンバーの一人でPSKチームのリーダーである七瀬留美や装備開発部主任の深山雪見を初めとする技術者連中がそうなっているだけのことで、そう言う面では何の知識も技術もない佐祐理は精々彼らがきちんと仕事を出来るようにサポートする程度のことしか出来ていない。それが何とも心苦しくて、ついそれがため息となって出てきてしまったのだ。
「でも……仕方ありませんね。佐祐理には何も出来ませんから」
 そう呟いてぐったりと椅子の背もたれに背中を預ける佐祐理。
 次から次へと出現し、その凶悪度を更に増していく未確認生命体。それに立ち向かう為に開発されたPSK−03だが、人類の英知を結集して作られたと言っても過言ではないこの戦闘用強化服も未確認生命体には苦戦を強いられている。幾度も傷つき、その度に修理をしなければならず、更に強力になる未確認生命体を倒す為に新たな装備を開発しなければならない。PSKシリーズ全体に注ぎ込まれている金額は莫大なものとなっているだろう。実は今、その事が少々問題となっていた。
 開発当初のPSK−01ではそれほど上がらなかった実績もPSK−03になってからは徐々に上がってきており、PSK−03だけで、と言う訳には行かないのだがそれでも未確認生命体を何度か倒すことに成功している。だからこそ表だっては言われないのだが、倉田重工の一部の幹部からはPSKシリーズとそれを擁する第7研究所のことを湯水のように金を食い潰す全く生産性のない最悪の部署だと陰口をたたかれている。
 確かに彼らの言う通り、第7研究所の開発したPSKシリーズは現時点で民間への転用が全く図られておらず、かと言って警察や軍隊へのその技術の利用もされていない。そのくせ、やれ修理費だ、やれ新装備開発費だと経費だけは大量に持っていくのだから恨まれていても仕方ないのかもしれない。
 しかし、PSK−03を初めとするPSKシリーズは今や未確認生命体を倒すことの出来る、頼りになる人類の味方として世間には認知されてしまっている。倉田重工サイドもその辺のところは意識しており、企業のイメージアップという面からも一応のサポートは続けられてはいるのだが、第7研究所にかかる費用が倉田重工グループの年間予算の半分以上を持っていくに連れて、徐々に疎ましく思うようになってきたのだろう。佐祐理が本社に訪れるたびに彼女のことを渋面を作って出迎える人間が増えていく。社長である彼女の叔父ですらそうなのだから、PSKシリーズが、ひいては第7研究所がどう思われているのかは考えるまでもない。
「はぁ……」
 またため息をつく佐祐理。
「……ため息をつくと幸せが逃げるって言いますよ、所長」
 不意にそう声をかけられ、佐祐理は驚いたように顔を上げた。
 自分以外誰もいなかったはずの所長室に、何時の間にやら留美と雪見の二人が入ってきている。二人とも寝不足そうで、目の下にはくっきりと隈が出来ていた。この二人は今現在も行われているPSK−03の改修作業の中心人物だ。他のメンバーと違って不眠不休でずっと作業を続けているに違いない。一度だけ佐祐理が休むように言ったのだが、二人は揃って首を左右に振ってしまった。自分たちがいなければ作業が滞る。今は一分一秒でも早くPSK−03の改修作業を終わらせるのが先決だと言って。それ以降、佐祐理は二人に何も言えなくなってしまった。二人の気迫に気圧されてしまったのだ。それからは二人のことを邪魔にならないようにサポートするように勤めている。
 さて、その二人が現場を離れてこの所長室にいると言うのは一体どうしたことだろうか。PSK−03の改修作業が終了したのか、それとも予算が足りなくなったので申請に来たのか。出来れば後者は避けて貰いたいと思いつつ、佐祐理は並んで立っている二人の顔を見上げた。
「いかがなさいました?」
「所長に報告がありまして」
 そう言ったのは留美だ。手に持った分厚そうなファイルをテーブルの上に置く。
「これは?」
「PSK−03の改修後のデータです。ある程度の目処が立ったので先にお見せしようと思いまして」
 留美の声を聞きながら佐祐理はファイルを手にとって開いた。そこに書かれているものにさっと目を通し、それから少し驚いた表情を浮かべる。
「現状、PSK−03の修理用のパーツなど不足しているものが多数ありますがこれならそれを何とか補うことが出来ます。しかしながらこの改修はPSK−03の最大の特徴である状況に応じての拡張性が犠牲になってしまいます。それでも充分戦えるように調整はしていますが」
「装備の方はこの改修を見据えて現在調整中です。今までの全ての武器、その他の装備も見直しをし、改良を始めています」
 二人の言葉を聞きながら佐祐理は素早くファイルに目を通す。そこに書かれていることは確かに留美の言う通りで、これならば更なる予算の申請など当面は必要なくなるだろう。渋面を作る叔父やその他の幹部達と顔を合わせなくても済む。それはひいてはその事によるストレスから最近よく痛みを訴えるようになってきたので服用することになった胃薬の量を減らすことにも繋がるし、自分の健康面にもいいことだろう。もっともその為に犠牲になるのはPSK−03の最大の特徴である拡張性の喪失とPSK−03運用及び整備スタッフの体力だろうが。
 ファイルの全てに目を通した後、佐祐理は留美と雪見の二人を改めて見上げた。それからニコリと笑う。
「……七瀬さん」
「何でしょうか?」
「もうこの改修、始めちゃっていますよね?」
「…………」
 佐祐理の質問に留美は苦笑のようなものを浮かべる。どうやら肯定のようだ。実際のところ、目処が立ったどころの話ではないだろう。もはや完成しているかその一歩手前ぐらいまで来ているはずだ。今頃このファイルを持ってきたのは、PSK−03改修計画を佐祐理の許可を待たずに始めてしまったことを思い出したからなのかも知れない。
「このまま進めてくれて結構です。それと深山さん、あなたは出来る限りPSK−03用の特殊装備を無駄にしない方向で調整をお願いします。無駄にしていいものなんか何一つありませんから」
「了解しました!」
「了解です、所長」
 留美と雪見の声が重なり、それを聞いた佐祐理が満足げに頷いた。その彼女の手元にあるファイルの表紙にはこんな文字が書かれている。”PSK−03改修計画―PSK−03EX―”と。

<都内某所・教団施設内 21:11PM>
 薄暗く、狭い通路を浩平はまだ少女と言っても差し支えのない容貌の女性と共に歩いていた。
「おい、一体何処まで連れて行く気だ?」
 前方を歩く女性にそう声をかけるが、女性は立ち止まりもしなければ振り返りもしない。ずっと黙ったまま歩き続けている。
 二時間程前、特別病棟と呼ばれている一角でこの女性と出会い、浩平は驚くべき事実を伝えられた。ずっと死んだものとばかり思っていた彼の妹、折原みさおが生きていると言うのだ。彼女は浩平がこの施設にやってきたことを知り、女性を迎えに寄越したらしい。そして浩平は女性の案内で妹のいる場所へと向かっているのだ。
 しかし二時間近く、いやそれ以上歩いていると言うのに今だに目的地に着かないと言うのは一体どう言うことなのだろうか。確かに女性が先導して進んでいるこの通路は迷路のように入り組んでいる。もはや自分がどの方角を向いて進んでいるのかさえもわからない。
「……お前、前に一度会ってるよな?」
 このまま沈黙を続けたまま歩くのが苦痛になってきたのか、浩平が再び口を開く。すると彼の前を行く女性がビクッと肩を震わせ、恐る恐ると言う感じで彼の方を振り返ってきた。
「お、覚えていたんですか?」
「いや、あんまり自信はなかったんだがな。まぁ、何と言うか、無理矢理奢らされた記憶だけははっきり残ってる。確か……名倉由依だったか?」
 流石に浩平が自分の名前まで覚えていたとは思ってもみなかったらしい。女性、名倉由依は驚きの表情を隠そうともしないで彼の顔をマジマジと見つめた。それから小さくため息をつく。
「……凄いですね。彼女が自慢するのもわかる気がします」
 それだけ言うと由依はまた前を向いて歩き出した。
「……みさおのことか?」
「他に誰があなたの自慢をするって言うんですか?」
 歩き出した由依の背中に向かってそう質問すると、由依は振り返りもしないでそう返してくる。苦笑を浮かべつつ、浩平は彼女を追って歩き出した。
「俺の記憶が確かなら……お前には仲間がいたんじゃなかったか? 倉田重工第7研の襲撃を俺に教えてきたのはお前じゃなかったと思うんだが」
 その質問は浩平にとっては何気ないもので、単に会話を続けるだけの為のものだったのだが、由依にとってはその質問は鬼門だったらしい。再びビクッと大きく肩を震わせて足を止めてしまう。
「……どうした?」
「な、何でもありません!」
 強い口調でそう言い、由依はまた歩き出した。まるで何かを振り切るような彼女の態度に浩平はどうやら地雷を踏んでしまったらしいと気付く。
「悪いことを聞いちまったか?」
「……いえ」
 何かを拒絶するようなオーラを放っている由依の背中にそう問いかけると、短い返事が返ってくる。これ以上は聞くな、と言う雰囲気が伝わってくるのだが、それでも浩平はあえて口を開いた。何故だかわからないが、聞かなければならないと言う気がしたからだ。
「教えろよ。一体何があったんだ?」
 先程よりも歩く速度を上げた由依を追いかけ、浩平は彼女の隣に並んだ。
 自分の隣に並んできた浩平を由依はチラリとだけ見て、それから小さくため息をつく。何があったか話をしなければ浩平はしつこく質問を続けてくるだろう。何となくだがそう言う気がしてならない。そして、はっきり言ってそれはウザイことこの上ない。それならば、あまり話したくはないのだが、話してしまった方がいいだろう。
「新宿での事件を覚えていますか?」
「ああ。生憎と新宿に向かう前にトラブルがあったんで現地には行けなかったが」
「あの日、私は晴香さん……巳間晴香さんに呼び出されていつもの集合場所に向かいました。でもそれは罠で……同じように晴香さんも私に呼び出されたって言ってそこに来たところを」
「襲われたってことか」
「はい。でも晴香さんは必死に私を逃がしてくれて、私は私で無我夢中で逃げてて」
「……よく捕まらなかったな、お前。で、その晴香って女は」
「詳しいことはわかりません。でも、多分郁未さんと同じように改造されたと思います」
「郁未?」
 由依の口から出てきた新たな名前に浩平は首を傾げる。浩平が知っている由依の仲間はもう一人、巳間晴香と言う女性だけだ。それ以外にも由依には仲間がいたのだろう。
「さっきまで一緒にいた人ですよ」
「あいつか……確かにありゃ改造処置済みだったな」
 そう言いながら浩平は自分をどうした訳か助けてくれた女性のことを思い出していた。既に改造処置を受け、一体何を考えているかその表情からは読みとれなかったのだが、自分を助けてくれたのには間違いない。それはこの由依の仲間であったからだろうか。
 由依達は教団にいながらその教団を倒そうとしている。その為には何だって利用するつもりのようで、事実自分や祐一にも接触し教団の陰謀を叩き潰させているのだ。
 浩平は郁未とは直接の面識はない。だが由依達経由で自分のことを色々と聞いていたのだろう。それに加えて浩平はこの教団という組織にとって排除するべきブラックリストのトップに名を連ねる一員だ。それはつまりこの教団という組織を内側から倒そうとしている彼女達にとってはまだまだ有用な人物なのだだろう。だから助けてくれたのかも知れない。
(もっとも、あの女に何処まで自分の意思があったかは微妙なところだろうけどな)
 改造処置を受け、全くの無表情となったあの郁未と言う女が自分の意思だけで浩平を助けたとは思い難い。考えられるのは浩平に郁未のいる特別病棟へ行けと言ったあの謎の少年、彼の意志が何処かで働いていると言うこと。そうなると、今度はあの少年が一体何者なのかという疑問が出てくるのだが、その事を由依に問おうとは思わなかった。聞いたところで彼女が知っているとも思えなかったからだ。
「よくお前は今まで無事だったな」
 代わりにそう浩平は言った。
 新宿でのあの事件から今日までは結構日が経っている。にもかかわらず、由依がこの敵だらけの施設内で今日まで捕まりもせずに無事にいられたことは奇跡に程近いことだ。
「……あなたの妹さんに助けて貰ったんですよ」
「みさおに?」
「彼女に会えばわかります」
 由依はそれだけ言うと、もう話すことはないとばかりに歩くスピードを上げた。それに追いつくべく浩平も足を速めようとし、すぐに立ち止まる。眉を寄せ、険しい表情をしつつ周囲をさっと見回すと、浩平は前方を行く由依に飛びかかるようにして床に押し倒した。
「ちょっ!? いきなり何を」
 由依が自分に覆い被さっている浩平に文句を言おうと顔を彼の方に向けると、そのすぐ真横に十字手裏剣が突き立った。
「……へ?」
 思わず冷や汗を流しながら間抜けな声をあげる由依をよそに浩平は素早く立ち上がり、頭上を睨み付ける。それから、ほんの少しだけ口元を歪めた。
「どうやら追いつかれたみたいだな」
「そんな! 今まで誰もこの辺りには来なかったのに!」
 浩平の呟きを聞いた由依がそう言うが、浩平はそれを無視して周囲を見回した。それほど広い通路ではない。身を隠すところなどほとんど見当たらなかった。これでは先程のように床に伏せでもしない限り、飛んでくる手裏剣などのいい的になってしまうだろう。
「おい、目的地は近いのか?」
「え?」
「お前が俺を連れて行こうとしていた場所だよ! そこまでは奴らは来ないはずなんだろ?」
 少し苛立たしげにそう尋ねてくる浩平に由依は無言でコクリコクリと首を縦に振る。
「なら走れ!」
 浩平がそう言うのと同時に彼の正面に三体の人影が降り立った。黒い忍者装束を身につけ、頭も同じ様な黒い覆面で覆い、その表情は読みとれない。しかし、覆面から覗く唯一の部分、目の部分からは明らかな殺意が読みとるまでもなく感じ取れた。
「ようやく見つけたぞ、折原浩平。そして裏切り者、名倉由依も一緒とは好都合だ」
 三つの忍者装束の後ろからそんな声が聞こえてくる。
 その声を耳にした浩平が思わず舌打ちを漏らした。声に聞き覚えがあったからだ。いや、むしろ忘れたいくらいだったのだが、どうやら頭の中に刻み込まれていたらしい。彼が舌打ちしたのは声の主がこの場に現れたのと、その声をしっかりと覚えていたと言う事実に嫌気がさしたのとの二重の意味が込められている。
「ここで二人まとめてあの世に送ってやろう」
「生憎だが……そいつは御免被るぜ!」
 三つの忍者装束の後ろに狼頭の怪人の姿を見据えつつ、浩平は両手を交差させて胸の前に突き出した。その交差させた腕をゆっくり左右に開き、左手を腰の左側へ、右手を同じく腰の左側へと引き寄せる。それからゆっくりと右手を前に突き出した。
「変身っ!!」
 浩平がそう叫ぶが何も起こらない。普段ならば先程の声に反応するかのように腰にベルトが浮かび上がり、その中央にある霊石と霊石の左右に配置されている赤と青の秘石が光を放って浩平の姿を戦士・アインへと変えるのだが、先頃瀕死の重傷を負った彼の身体を癒す為にその力の大半を使い、まだ変身するまでに回復しきっていないようだ。
「……くっ!?」
 変身出来なかった自分の両手を思わず浩平は見てしまう。どうやら最悪の結果が出てしまったようだ。ある程度は予想していたとは言え、この追いつめられた状況でこの最悪の結果。このままではただ為す術もなく殺されてしまうだけだ。それだけは絶対に避けなければならない。生きているという妹に一目でも会うまでは。
「逃げるぞ!」
 そう言って走り出す浩平。慌てて由依がその背を追いかけ、更に一瞬遅れて忍者装束の集団が走り出す。後に残ったのは腕を組み、じっと走り去っていく忍者装束の集団を見送る狼頭の怪人のみ。
「……この先にあるのは廃棄区画のみ……そこに何かあると言うのか?」
 訝しげな顔をして狼頭の怪人は呟き、それから逃げていった浩平達と部下である三体の忍者装束を追いかけるように歩き始めた。

<教団施設内・廃棄区画 21:45PM>
 必死に走ったお陰か、浩平と由依はどうにか忍者装束を振り切ることに成功していた。
「どうやら捲いたみたいだな」
 荒い息をしながら浩平がチラリと後ろを振り返り、誰の姿もないことを確認してそう呟く。その隣では由依が四つん這いになって必死に呼吸を整えていた。言葉を返す余裕もないようだ。
「しかし……何なんだ、ここは?」
 少し呼吸も落ち着いた浩平はぐるりと周囲を見回してみた。明らかに他の場所とは違い、何やら不気味な印象を抱かせる。つい先程までいたあの狭い通路もそうだったが、ここはそこ以上で何と言うか生理的に嫌悪感を抱いてしまう。
「廃……棄……区画……です」
 必死に息を整えながら由依がそう言ってくる。どうやら会話が出来る程度には何とか回復したみたいだ。しかし、それでもまだ息は荒く、肩も大きく上下している。
「廃棄区画?」
「よ、読んで字の通りって奴ですよ。改造変異体の失敗作を、ゴホッ」
 問い返してくる浩平に由依はそう答えかけ、咳き込んだ。呼吸を整え切れていなかった為、むせてしまったらしい。
「おいおい、大丈夫かよ?」
 咳き込んでいる由依の背中を少々呆れながら撫でてやる浩平。
「それにしてもちょっと体力ねーぞ、お前」
「あ、あなたがあり過ぎなんですよ! あたしは普通ですっ!」
 それだけ言うとまた由依はむせたように咳き込んだ。
「ほらほら、無理すんなって」
 浩平は苦笑しながら更に由依の背中をさすってやる。
「それよりも何だって?」
「だから廃棄区画ですよ。改造処置されても能力が低すぎたり、そもそも適応出来なかったりと言ったいわゆる失敗作がこの廃棄区画に送られてくるんです」
 ようやく身を起こした由依が悲しげな表情を浮かべてそう言い、周囲を見回した。同じように浩平も再び周囲を見回し、そして言葉を失ってしまう。先程はまだ目が慣れていなかったのでわからなかったが、壁際におそらくは適応しきれなかったのであろう、半ば怪人と化しながら苦悶の表情を浮かべて倒れている人影があった。浩平達を見てもピクリともしないところから、既に死んでいるのだろうと言うことがわかる。
「酷いな」
 顔をしかめ、短く吐き捨てるように言う浩平。その短い言葉の中にもしかしたら自分もこの中にいたのかも知れないと言う恐怖と、失敗作としてこの様な場所へと送り込まれた最愛の妹のことを思っての怒りが込められていることに側にいる由依は気付かない。
「本当に酷い話です……こうやって改造処置された人の中には騙されてここに来た人もいるって言う話ですし」
 そう言って由依は歩き出した。彼女は周囲に同じ様な死体が無造作に倒れていても顔色一つ変えることなく目的地に向かって進んでいく。どうやらこの様な光景に既に慣れてしまっているらしい。
 そんな彼女と対照的に浩平は胸が悪くなるような気分を感じていた。それでも先を行く由依を追いかけるように歩き出す。
「……こんな場所にみさおが?」
 由依に追いつき、そう尋ねる浩平。
 周囲を見てみるとやはり同じ様な死体がいくつも転がっている。漂う腐臭からかなり長い間放置されていたのだろう。環境は劣悪を通り越して最悪、もはや人間が生きていけるような状況ではないはずだ。
 しかし、この様な環境の中でみさおは生き延びた。そして由依も、あの新宿事件以降はこの場に潜んでいた。奥に行けばどうにか生きていくだけの環境になっているのかも知れない。
「一番奥です」
 由依はそれだけ言うと足を速める。つられて浩平も歩く速度を上げ、しばし二人は無言で腐臭漂う中を進んだ。
 やがて二人の前方に重そうな扉が現れた。その隙間から光が漏れている。
「ここです。準備はいいですか?」
 扉の前に立ち、由依が確認するように浩平を見る。
「準備?」
「心の準備ですよ。はっきり言いますが……あなたの想像しているような状態じゃありません。覚悟しておいてください」
 首を傾げている浩平にそう言うと、由依はゆっくりと重そうな扉を押し開いた。そして浩平に中に入るように促した。
 ゴクリと唾を飲み込み、浩平は光の溢れている扉の向こう側へと歩を進める。
 そこにあったのは巨大な球状の水槽。中を満たしているのは薄い緑色をした液体。その水槽を照らし出すようにいくつもの照明が地面に設置されている。更に水槽の周囲には失敗作との烙印を押されたのであろう怪人が数体立っていて、虚ろな瞳でじっと浩平を見つめていた。
「みさ……お……?」
 自分を見つめている怪人達に向かって浩平が一歩踏み出そうとした時、彼の耳に声が聞こえてきた。
「……また……会えたね……」
 その声を聞いた浩平の身体が硬直する。この声こそ彼を郁未の病室へと誘った声。あの時はわからなかったが、今こうして改めて、そしてはっきり聞いてみるとわかる。この声が誰の声であるかが。
「みさお!?」
「うん……久し振りだね、お兄ちゃん」
 声が何処から聞こえてくるのか、必死になって探す浩平だが水槽の周囲にいる怪人達が声を出している様子はない。では一体何処から声が聞こえてくるのか。
「みさお、何処だ? 姿を……」
「彼女ならそこにいますよ、始めっから」
 そう言ったのはいつの間にか浩平のすぐ後ろまで来ていた由依だった。彼女が指差す方向を見ると、そこにあるのは巨大な水槽だけ。じっと目を凝らして水槽を見てみると、そこに何かいるのがわかる。
「嘘だろ……」
 信じられないと言った気持ちで浩平はフラフラと水槽に近寄っていく。そして水槽の表面に手をついた。
「みさお……なのか?」
「……そうだよ、お兄ちゃん」
 水槽の内側にいる何かが浩平の手に自分の手を重ねてきた。勿論、二人の間には水槽の壁があるので直接手と手が重なることはない。しかし、それでも何故か暖かいものを感じることが出来たように浩平は思えた。
「……みさお……」
 呟くように妹の名を呼び、浩平は目をきつく閉じる。その目から涙がこぼれ落ちた。
 そんな彼を水槽の内側から何かが見つめていた。と、その姿が徐々に浮かび上がってくる。それは水中に漂う妖精、クリオネのような姿。だが、すぐにその姿が一人の少女のものへと変貌する。そう、折原みさおの姿へと。

<教団施設敷地内 22:03PM>
 教団の施設がある敷地内を流れている小さな川。
 その川縁に一人の男が倒れていた。彼が着ている服は何処かの警備員が着ているような制服。もっとも今はあちこちが焼き焦げたようになっているのだが。いや、それだけではない。露出している手や顔も真っ黒に焼き焦げてしまっている。
 一体彼の身に何があったと言うのだろうか。
 その倒れている警備員風の男のすぐ側から向こうに見える教団施設に向かって濡れた足跡が続いていた。
「み〜な〜ご〜ろ〜し〜」
 聞こえてくる歌うような声。
「あ〜いつもこ〜いつもひ〜とりの〜こら〜ずみ〜なご〜ろし〜」
 歌っているのは全身ずぶ濡れの若い男。虚ろでありながらも、何処か嬉しそうな怪しげな笑みを浮かべながら男はゆらゆらと身体を左右に揺らしながら教団施設へと向かっている。
「み〜な〜ご〜ろ〜し〜」

Episode.66「動揺」Closed.
To be continued next Episode. by MaskedRiderKanon


次回予告
遂に再会した浩平とみさお。
しかし、その喜びはほんのつかの間のことであった。
良祐「折原君、君に相談があるんだがね」
由依「罠に決まってますよ、そんなの!」
教団施設に潜入する祐一達。
だが、そこで思わぬ事態が待ち受ける。
祐一「テメェは……」
キリト「何を考えているんです?」
教団施設という狭い世界で何かが始まろうとしている。
その先にあるのは、果たして希望か絶望か?
次回、仮面ライダーカノン「交渉」
動き出す、闇の中の赤い月……



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