<港区東京タワー周辺 17:45PM>
 一目天使様の姿を見ようと東京中、いや近隣の県からもかなりの野次馬が集まってきている。その数は増える一方だ。
 新宿で起きた大量の未確認生命体B種出現事件のほとぼりも冷めない内にまたこれだけの人集り。あの時の恐怖を皆忘れてしまったとでも言うのだろうか。そんなことを考えながら警視庁未確認生命体対策本部所属の刑事、国崎往人は野次馬達に混じって天使様の姿を見上げていた。
 もっともその天使様がいるのは東京タワーの一番上なので、地上からではその姿は見ることが出来ない。そのご尊顔を拝するならばテレビ中継を見るのが一番なのだが、それでも実際に自分の目で見たいという人々が多いらしい。
(こんなところに未確認なりB種なりが現れたら厄介極まりないな)
 一番怖いのはそれだ。どちらが現れるにしろ、ここで起きるパニックは恐ろしいものになるだろう。未確認なりB種なりに寄って殺される人間よりもパニックに陥って怪我をしたり死んだりする人間の方が多いに違いない。
 しかし、あの天使様、一体何者なんだろうか。
 今日のお昼過ぎぐらいにどこからともなく現れ、東京の空を悠々と我が物顔で飛んでいて、そして数時間の後、東京タワーの天辺でその羽根を休めている。
 見た目はごく普通の女性、まだ少女と言ってもいいような容姿だ。しかし、その背中には白く大きな翼。これだけでも普通の人間では有り得ない。おまけにその翼で空を飛ぶのだから、そんなことが出来るのは人間ではなく未確認生命体かそのB種ではないかと疑うのも仕方ないだろう。
 これが未確認生命体ならその目的は大量の人間を一つところに集めた理由は考えやすい。一気に大量の人間を殺害しようと言うつもりなのだろう。未確認の傾向としてはあまり一気に大量殺人をするようなことはないのだが、中には例外があるのかも知れない。
 未確認B種と呼ばれるタイプならば話はもう少々厄介になる。通常の未確認生命体などと違ってこの連中は何者かの意思によって動いている節があるのだ。しかも新宿の時のように一気に大量に出現することもある。誰がどう言うつもりでこの未確認B種を操っているのかは未だ不明だが、これだけの人間を集めたと言うことはまた何か何かやらかそうと言うつもりなのだろう。
 どっちにしろこれから厄介なことになりそうな予感だけはひしひしとしてしまう。
 苦々しい表情を浮かべて国崎は天使様がいるであろう東京タワーの方から視線を外した。それから人混みを掻き分けるようにして歩き出す。
 何か非常に嫌な予感がする。やはりこの場にあいつを呼びだしておいた方がいいだろう。あまり気分が乗らないと言っていたが、何か起こってからでは遅いのだ。
 そう思って自分が乗ってきた覆面車の方に歩み寄っていく。
 と、そんな時だった。突如彼のいる場所から少し離れたところにあったマンホールが吹っ飛び、そこからもぞもぞと一体の異形が這い出してきた。
 まるで芋虫のような姿の異形。それを見た国崎はすかさず上着の下、ショルダーホルスターから自分の拳銃を取り出した。未確認生命体やB種に対してこの拳銃が役に立ったことなどほとんど無い。ダメージを与えることはほとんど出来ず、牽制程度にしかならないのだが何よりはマシだ。
「クソッ! こんな時に!」
 そう言いながら国崎が銃口を芋虫のような異形に向けたその時だった。
 突然歓声が上がったかと思うと国崎と芋虫のような異形の前にふわりと白い翼をはためかせて天使様が舞い降りてきたのだ。
「なっ!?」
 思わず驚きの声を漏らす国崎。だが、すぐさま自分の前に立ち、まるで自分を守るかのようにその翼を広げる天使様の背中を睨み付ける。
(一体……何のつもりだ、こいつ?)
 突然現れた芋虫のような異形がどう言った能力を持っているかはわからない。だが、それでもこの天使様が敵うような相手ではないだろう。何せこの天使様は見た目はごく普通の少女だからだ。
 芋虫のような異形が天使様に飛びかかっていく。それを見ていた周りの野次馬から悲鳴のような声が挙がった。
 しかし、周りの悲鳴をよそに天使様はすっと手を芋虫のような異形に向けるとニッコリと微笑んだ。するとどうだろう、その手から閃光が迸り、それを受けた芋虫のような異形が消し飛んでしまったではないか。
「なっ、何だと!?」
 再び驚きの声を漏らしてしまう国崎。今自分の目の前で起こった光景が信じられない。この何の力もないような、ごく普通の、翼がある以外ごく普通の少女に見えるこの天使様がおそらくは未確認B種だと思われる異形をあっさりと消して見せたのだ。
「まさか……?」
 口から漏れるのはそんな言葉ばかり。
 呆然としている国崎を天使様は振り返り、そしてニッコリと微笑む。まるで「大丈夫でしたか?」と尋ねるかのように。そして国崎の無事を確認すると天使様は大きく翼を広げて空へと舞い上がった。
 周りでまた歓声が上がる。一瞬で未確認と思われる存在を消し去った天使様への賛美の声が挙がる。
 そんな中、国崎は未だ呆然と立ち尽くすのであった。

仮面ライダーカノン
Episode.63「猛襲」

<都内某所・教団施設内 18:01PM>
「まずは上出来、だな」
 モニターに映る天使様を見て、巳間良祐が満足げに呟いた。
「フフフ、これから忙しくなるぞ」
「やれやれ、とんだ茶番ですね」
 ニヤリと笑う良祐の耳に飛び込んでくる新たな声。何処か呆れたような、少し馬鹿にしたようなその声に良祐の顔から笑みが消え、険しいものになる。
「何処に行っていた?」
「カノンに久し振りの挨拶をしに、と言うと言うところですか」
 新たに室内に現れたサングラスをかけた人物がニヤニヤ笑いながら良祐の問いに答える。
「勝手な真似は謹んで貰いたいな。もう」
「”聖戦”は始まっている、ですか? 聞き飽きましたね。それにあなた方が言う”聖戦”、一体どう言うものかまるで見えてこない。そのようなものの為にいつまでも待たされていては敵いません」
 サングラスの人物はそう言って肩を竦めた。
「貴様!」
 サングラスの人物の態度に腹が立ったのか、良祐の後ろに控えていた怪人が一歩前に出る。今にもサングラスの人物に掴みかかろうとする勢いだが、それを良祐が手で制した。
「わかった。これからは君の好きにするがいい。ただ、我らの計画に君が必要となった場合はこちらを優先させて貰うぞ」
「流石は支部長殿、理解頂き光栄です」
 良祐の言葉を聞いて、サングラスの人物が慇懃無礼に頭を下げる。そして、くるりと彼に背を向けると部屋から出ていった。
「支部長、あのような奴に一体何故!?」
 先程彼に制された怪人が不満を彼にぶつけるようにそう尋ねた。
「彼にはまだ利用価値がある。少しぐらい自由に泳がせてやった方がいい……今後の計画の為にもな」
 じっとサングラスの人物が出ていったドアを見つめながら良祐はまたニヤリと笑うのであった。

<倉田重工第7研究所 19:39PM>
 倉田重工第7研究所内にある所長である倉田佐祐理の執務室。そこに今、PSKチームのリーダーである七瀬留美、PSKシリーズ装備開発チームのリーダー、深山雪見の姿があった。勿論、所長である佐祐理もその場にいる。
「それで……お話とは?」
 何やら重苦しい表情をしている二人に佐祐理が話をするように促した。
「はい……PSK−03に関してなんですが」
 ちょっと躊躇いがちに留美が口を開く。
「先程各部パーツをチェックしたところ、もう限界に来ていることが判明しました。これ以上の戦闘行為は危険だと判断します」
「……これ以上戦えば北川さんの身に危険が迫る、と言うことですか?」
「このまま修理をして戦闘に赴いた場合、いつ何処でどの様な不具合が現れるかわかりません。下手をすれば北川君の命にも関わります」
「未確認にしてもB種にしてもどんどん強くなってきてるからねぇ。ある意味仕方ないか」
 横からそう言ったのは雪見だ。
 PSK−03が使用している装備の大半は彼女が制作したものだ。ブレイバーバルカンやガンセイバー、パイルバンカーなど正式装備として役に立っているものもあるが中には一度か二度使用しただけでお蔵入りになったものもある。様々な問題点があった、と言う事もあるがPSK−03でも扱いきれない、と言う厄介な問題を持つものも多い。その代表格がマックスヴォルケーノと呼ばれる携帯式レールガンだ。そのあまりもの威力と反動はPSK−03装着員である北川 潤を一ヶ月近くも入院させてしまった程である。
 彼女からすれば次々と強くなって現れる未確認や未確認B種に対して、より強力な装備で挑んで貰おう、そうすれば潤の生還率が上がると考えているようなのだが、その装備自体の為に潤の身が危険に晒されることもあり、どうにも本末転倒感が否めない。
「それで、何か対策は?」
 普段浮かべている笑みが佐祐理の顔から消える。事態は思った以上に深刻だと彼女もわかったらしい。
「今のところはまだ。とりあえずPSK−03の修理は急がせていますが、完全に修理が完了するまではどれくらいかかるか不明です」
 重い表情のまま留美が言った。
 そもそもPSK−03は試作品と言ってもいい代物だ。それ故に交換用のパーツなども少なく、一度壊れれば修理にも時間がかかる。それに今までのダメージの蓄積、各部パーツの消耗などもかなり深刻だった。にもかかわらず未確認生命体が出たとなれば出動しなければならず、そこで更にダメージを受けて、の悪循環の繰り返し。もはや限界を通り越して危険なレベルに達していると言ってもいい程なのだ。
 それでも何とかしなければならない。強力な力を持つ未確認生命体と真正面から戦えるのはPSK−03のみなのだから。そう世間に認知されている以上、ここで投げ出す訳には行かないのだ。様々な意味で。
「こんな時に未確認とかが出たら厄介ね。北川君は修理が終わっていなくても『行く!』とか言い出しそうだし」
 そう言って雪見がため息をつく。
「……所長、お願いがあります」
 何かを考えていたのだろう、少し間をおいてから留美が口を開いた。その目には少しの不安と決意が伺える。
「何でしょう?」
「PSK−03の出動を控えるってのは多分無理よ。北川君自身がそれを許さないだろうし、警察もきっと出動を要請してくる。あの彼がちゃんと来てくれるかどうかもここ最近ちょっと微妙な感じだし」
 横から雪見が妙に真剣な顔をして口を挟んできた。
「それにあの映像見せて貰ったけど……彼もちょっとやばそうだし」
「それはわかっています。所長にお願いしたいことは別のことです」
 雪見にそう答え、また留美は佐祐理を見る。
「あれを……回収したPSK−04の使用を許可して頂きたいんですが」
 留美の発言に佐祐理も雪見も驚いたように彼女の顔を見返した。二人とも有り得ないというような表情を浮かべ、じっと留美を見つめ、そして彼女が真剣に言っていると言うことをその表情から悟る。
 PSK−04。PSK計画において封印された禁断のPSKシリーズ。何者かによってそのデータは持ち出され、倉田重工USAにおいて開発、完成を見るもPSK−03をも越える負担に耐えられるものがおらず、装着者を次々に死に至らしめてしまった悪夢のマシン。あまりもの事に倉田重工USAが封印するも何故かFBIに下げ渡され、その後とある事件に置いて日本に上陸を果たす。
 PSS−04A、コードネーム”ドミニオン”。そう改名されてやって来たPSK−04だが、その事件の最中、暴走を開始、装着員であったFBI特別捜査官を死に至らしめた後、PSK−03の決死の行動によりその活動をようやく停止させた。
 事件解決後、FBIはPSK−04を廃棄することに決め、その処分は倉田重工側に一任される。倉田重工もPSK−04をとりあえず第7研究所に回収させ、表向きには破壊処分したと言うことにしているが、実際には処分せずにそのまま修理、そして今は厳重に封印させている。PSK−04に使われている倉田重工USAの最先端技術などを解析し、自分たちの方にフィードバックさせる為だ。
「……七瀬さん、それ、どう言う意味かわかって言ってる?」
 睨み付けるかのようにじっと留美を見つめて雪見が口を開いた。PSK−04の恐ろしさは彼女が一番よくわかっているはずだ。そもそもPSK−04の開発計画の凍結を言い出したのは彼女自身だし、それに彼女は装着員が最後どうなるかをその目で見ているはずである。にもかかわらずそう言ったことを言い出した。そこまで追いつめられていると言うことなのだろうか。
「どう言う意味、とは?」
「あなたは北川君を殺したいの!?」
 あえて問い返してきた留美に雪見は苛立ったように答える。二人きりならば彼女に掴みかかって殴り飛ばしていただろう。だが、この場には佐祐理がいる。だからそれは必死で堪えたのだ。
「PSK−04がどう言ったものかあなたが一番よくわかっているはずよ! よくそんなことを言い出せたわね!」
「PSK−04のAIにはリミッターをかけます。PSK−03も初めの頃はそれで運用していましたし、北川君ならきっと」
「04と03のAIは違うでしょうが!」
「根本的なプログラムはそう変わりません。04の方がより戦闘に勝利することに傾倒しているだけで」
「それが一番問題なんでしょうが! あなたは彼を戦闘マシンにしたあげく死なせてしまうつもりなの!?」
「しかし、今のままでは!」
 段々感情的になる雪見と留美。だが、そこに響いた手を叩く音に二人は言い争うのを止め、手を叩いた人物――勿論佐祐理なのだが――を見た。
「はい、そこまで。とりあえず二人とも落ち着いてください」
 いつものように柔らかい微笑みを浮かべながら佐祐理はそう言うと、佐祐理はゆっくりと立ち上がった。そして室内に備え付けられているコーヒーメーカーからコーヒーを二人分の紙コップに注ぎ込む。そしてその紙コップを留美と雪見に手渡した。
「少し休憩にしませんか?」
「……はい」
 佐祐理に促され、二人は所長室内にある応接用のソファに腰掛けた。
 しばらく無言でコーヒーを飲む音だけが室内に響く。やがて二人が充分クールダウンしたと見た佐祐理は相変わらずの笑みを浮かべながら口を開いた。
「七瀬さんの気持ちはわかりました」
「では?」
「ダメです。それは許可出来ません」
 一瞬喜色を浮かべかけた留美だが、続いた佐祐理の言葉に一気に落胆したように肩を落とした。
「北川さんの生命に関わるような事態は避けなければなりません。今のままでも危険というなら、出来る限りその可能性を減らす。バックアップをする私達の役目はそれだと思いませんか?」
 佐祐理の説明を聞いて小さく頷く雪見と留美。
「修理の方は急がせてください。必要な部品などがあれば言ってください。何としてでも都合させます」
「所長……」
「佐祐理に出来ることはそれぐらいですから」
 そう言って佐祐理は再び微笑むのだった。

<喫茶ホワイト 21:56PM>
「それじゃ今日はこの辺にしておくか。祐一、看板片付けてくれ」
「はいよ」
 城西大学のすぐ側にある喫茶ホワイト。ここの閉店時間は客の入り具合にもよるが、大抵マスターの気分次第になる。この日は夜の十時、一応看板に書かれている閉店時間の通りに閉店するようだ。
 ここの住み込みアルバイトの相沢祐一はマスターに言われた通りに店の外に出て、店の看板を片付け始めた。コンセントを抜き、看板を持ち上げて店の中に戻ろうとするとどこからともなくこちらに向けられている殺気に気付き、足を止める。
(何だ……?)
 異妖なまでの殺気。しかも何処かで感じたことのある殺気だ。
 祐一は持っていた看板を地面に下ろすと、周囲を警戒しながら道路の方へと出た。左右を見回してみるとやたらと体格のいい禿頭の大男が腕を組んで道路のど真ん中に立ち、祐一の方をじっと見つめているではないか。しかも全身から物凄い殺気を放ち、それを隠そうともしていない。
「……お前は!」
 殺気の主の正体を確認し、祐一は身構える。この男が如何に危険極まりないか、彼はよく知っていた。一対一で戦って勝てるかどうかはかなり難しいと言える強敵。それにこんなところで戦えば周囲にどれくらいの被害が出るかわからない。
 それよりも最大の問題はこの怪物が自分の居場所を探し当てた、と言うことだ。この怪物がその気でなればいつでもここを襲ってこれると言うことは祐一にとって何よりも恐ろしいことだった。自分に関わる人々が自分の為に危険に晒されること、今の祐一にとってそれが何よりも恐ろしい。
 この怪物は必ず倒さなければならない。こいつが他の未確認生命体にこの場所を話していたとするならば、尚更だ。
「……この場所を他に奴に教える気はない」
 禿頭の大男がまるで祐一の考えを読んだかのようにそう言ってきた。
「そしてこの場で戦う気もない。ここでは邪魔が入りやすいからな。貴様との戦いは何者の邪魔も入らない場所でやる。その方が貴様もいいだろう?」
 そう言うと禿頭の大男は全身から放っていた殺気を消す。そして祐一の方へと歩み寄ってきた。
 とりあえずこの場で戦う気はないと言った大男の言葉を信じ、一旦は身構えるのを止めた祐一だが、すぐに歩み寄ってきた大男に警戒するようにまた身構えてしまう。
「案ずるな、現世のカノン。このヌゴチ・ゴクツ、一度口にした言葉を違えるような真似はせん」
「信じろって言うのか、それを?」
「無理強いはせん。貴様にとって我は敵なのだからな」
 目の前、手を伸ばせば届くような位置まで来た大男を祐一は睨み付けた。身長はこの大男の方が遙かに高い。だからどうして見上げるような感じになってしまうのが少々悔しいところだが。
 しかし、そんな祐一を禿頭の大男はニヤニヤしながら見下ろしていた。まるで子供が精一杯背伸びをして大人を見上げ、反抗しているかのような、そんな感じがしているのだろうか。
「貴様と決着をつける時が来た。我は全力でもって貴様を叩き潰す。貴様も全力を持って我と戦え」
「……なっ!?」
 突然顔から笑みを消し、真剣な表情になってそう言う禿頭の大男に祐一は戦慄を感じた。思わず一歩、足が下がってしまう。
「場所は特に指定せん。時は明日の正午から。貴様と我が出会った時、その時が始まりだ」
 それだけ言うと禿頭の大男はじっと祐一を見下ろす。その様子はまるで祐一がどう答えるのかを待っているかのようだ。
 祐一はそんな禿頭の大男の目をじっと見返すと、口元を歪めて笑ってみせた。
「出来る限り邪魔の入らないところがいいんだよな?」
「そうだ。その言葉、肯定したと受け取っていいのだな?」
「ああ。ここまで真正面から挑戦状叩きつけられて、逃げるってのは男らしくないからな」
 そう言いながらも、祐一の頬を一筋の汗が伝っている。緊張の為の汗か、それとも恐るべき強敵の挑戦に戦く冷や汗か。どちらであったにしろ、今の祐一が虚勢を張っていることはバレバレだ。それでも彼は逃げようとは思わない。いずれにしろこの強敵とは決着をつける必要がある。それが少し早くなっただけのことだ。
「では明日の正午、いずれかの地にて貴様と出会うのを楽しみにしているぞ。さらばだ、現世のカノン。精々今の生を楽しむことだ」
 禿頭の大男はそれだけ言い残すと踵を返して歩き出した。
 その後ろ姿が見えなくなるまで見送り、完全に見えなくなってから祐一は大きく息を吐く。そしていつの間にかギュッと強く握り込んでいた拳を開いた。あまりにも強く握りしめていた所為で掌には大量の汗をかいてしまっている。
「……クソッ」
 果たして今の自分の状態であの強敵とまともに戦うことが出来るのだろうか。いつ自分が自分でなくなってしまうのかわからない恐怖と戦いながら、あの恐るべき強敵と戦うことが出来るのだろうか。
 仮に戦うことが出来たとしても、勝つことは難しいだろう。前に戦った時にはロクに有効打を与えられなかったばかりか、必殺の赤の力ですらとどめを刺すことは出来なかった。おそらくそれは今度も変わらないだろう。
 状況は圧倒的に不利。だが逃げる訳には行かない戦い。悪態の一つもつきたくなると言うものだ。
「どうやって……どうやればあいつに勝てる……?」
 歯をギリギリと噛み締めながら悔しそうに呟く祐一。
 そんな彼を物陰からじっと見つめている黒い僧服姿の男がいたのだが、勿論今の祐一は気付く由もなかった。

<警視庁未確認生命体対策本部 22:36PM>
 警視庁未確認生命体対策本部がその拠点として使用している会議室。
 未確認生命体第31号撃滅の喜びもよそに、ここの面々は新たに持ち上がった案件にそれぞれ顔をしかめている。
 新たに持ち上がった案件とは勿論東京タワーに現れ、その後姿を消した天使様のことだ。敵か味方かすらわからない。そもそも何者なのか、本物の天使であるのかどうかすら不明。未確認生命体なのか、そのB種と呼ばれるタイプなのか。まさしくその正体は不明だ。
「……一体何者なんやろうな、あの天使様は?」
 呟くようにそう言ったのはこの未確認生命体対策本部のbQ格である神尾晴子警部だ。眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな表情を隠そうともしない。先程の呟きにも苛立ちが隠し切れていない。
「その目で見たんはお前だけなんやろ。どうやったんや?」
「どうだったって言われてもな……どっちかと言うと俺も唖然としていた方だし」
 憮然とした表情で晴子の問いに答えたのは国崎だ。
「正直なところを言うと信じられないってのが一番だ。未だに目の前で何が起こったのかよくわからんし」
「……まぁ、そうやろうな」
 ちゃんとした答えを期待していた訳ではないのだろう、晴子はあっさりと引き下がった。
「せやけどほんまに何者なんやろうなぁ、あれ」
 はっきりとした正体がわからない以上、警戒することぐらいしか出来ない。ただでさえ未確認生命体やそのB種と言った連中のことで手が一杯なのに、そこにこの正体不明の天使様が加わるとなると人員がいくらあっても足りないではないか。せめて敵か味方か、それがわかれば対応のしようもあるのだが。そう言った空気が会議室内には流れている。
「あれが何者であれ、警戒するべき相手であるのは間違いないだろうな」
 突然聞こえてきたその声に会議室内にいた者が全員振り返った。そして座っていた者は皆立ち上がり、一斉に敬礼する。
「ああ、別にかまわんよ。楽にしてくれ」
 そう言いながら入ってきたのはこの未確認生命体対策本部の本部長を務める鍵山警視だった。先程まで行われていた会議がようやく終わったのだろう、少し疲れた表情をしている。
「諸君、未確認生命体第31号撃破の件は本当にご苦労だった。本来なら祝杯の一つもあげたいところだがそうもいかない新たな事態が発生したことは皆も知っていることだと思う」
「あの天使様の件ですか?」
「そうだ。一体何者なのか、我々にとって敵なのか味方なのか一切が不明。我々警察としても警戒せざるを得ない」
 鍵山の言葉に、皆黙って頷く。
「日夜諸君が頑張ってくれていることは充分承知している。だが、これからは一層警戒レベルを上げて対処するしかない。申し訳ないが、今少し頑張ってくれ」
 その言葉から今回も増員は無しだと言うことがわかり、それぞれの顔に少しの落胆の色が浮かぶ。
 この未確認生命体対策本部は未確認生命体と直接対峙することも多く、怪我人が絶えない。下手をすれば殉職してしまう可能性だってある危険な部署だ。好き好んでここに来ようと言う物好きはいない。
 これまでにこの未確認生命体対策本部に配属になった警官で殉職した者もそれなりにいるのだが、その増員すらままならないのがここの現状だった。
 ただでさえ手が足りないところに増員が無いとなれば、今いる人員だけでやっていかなければならない。それは今まで以上に忙しくなると言うことだ。この中には家族がいるというのにろくに家に帰れていない者だっているだろう。それがこれからも続くどころか更に忙しくなるのだ。憂鬱な気分の一つにもなろうものだ。
 そう言うところに一人の警官が飛び込んできた。
「テレビ局から例の映像が届きました!」
 警官のその言葉に皆が一斉に彼の方を向く。
 その警官は会議室の中に入ってくると、モニターに繋がっているパソコンに持っていたDVDをセットした。少ししてモニターに映し出されたのは国崎が目の前で見た光景だった。あの時は気付いていなかったがどうやらテレビ局もあの場、東京タワーの下に来ていたらしい。そこで偶々あの芋虫のような異形が現れたのを見つけ、カメラに収めていたのだろう。
 国崎は目の前で見ていたことなのだが、他の者は初めて見る映像だ。皆食い入るようにしてモニターを見つめている。
 モニターの中では丁度空から天使様が舞い降りてきたところだった。カメラは国崎の後ろから撮影していたらしく天使様の背中しか見えない。その内に芋虫のような異形が天使様の方に飛びかかっていき、そしてその異形に向かって天使様が手をかざした。すると物凄い閃光が走り、その閃光の中に芋虫のような異形は消え去ってしまう。
「……おおー、こりゃ凄い」
 ほとんど棒読みのような口調で国崎が呟く。
 他の者も彼と同じ意見なのか何も言わず、じっとモニターを見つめている。映像が既に終了しているのにもかかわらず、だ。
「今のをこっちに使われとったらたまらんなぁ」
 ぼそりと晴子が言い、誰とはなしに頷いた。一瞬にして未確認生命体だか未確認B種だかを消し去った力。あれが人間に向けられればどうすることも出来ないだろう。
「……とりあえず今の映像は科警研、それと倉田重工のPSKチームにも回して置いてくれ。あの力の解析はいずれにしろ必要だろう」
「了解しました」
 鍵山の指示を受けて警官はDVDをパソコンから取り出した。そしてすぐさま会議室から出ていく。
 それを見送りながら国崎は何やら妙な気分に囚われ、一人首を傾げている。先程の映像を見て、何か違和感のようなものを感じてしまったのだ。
「どうかしたんか、居候?」
「……ああ、いや。何でもない」
 声をかけてきた晴子にそう返しつつ、国崎はもう一度あの映像を見てみる必要性を感じていた。

<関東医大病院 10:38AM>
 関東医大病院にあるとある診察室。そこに今、祐一の姿があった。
「この前の検査の結果はすぐに出ると言っておいたはずなんだがな」
 しかめっ面をしながらそう言ったのはこの関東医大病院に在籍しており、時に未確認生命体によって命を奪われた人の解剖も行う監察医も兼任している女医、霧島 聖だ。更に彼女はこの世界で唯一の祐一の、戦士・カノンのかかりつけ医師を自任している。
「すいません、ちょっと色々とあったもんで」
 そう言って素直に頭を下げる祐一。どうにも彼女には頭が上がらない。自分の身体を専任で診て貰っていると言うのもあるが、おそらくその男勝りの性格にも負けているのだろう。
「まぁ、君にも色々とあるんだろうがな。とりあえず定期的に来て貰わなければ困る。何かあってからでは遅いからな」
「そう……ですね」
 少し歯切れの悪い返事を返す祐一に訝しげな目を向けつつも、聖は彼のカルテを手に取った。
「とりあえず今のところ特に異常らしい異常は見当たらないな。気になると言えば例の石だが……前までと少し輝きが違っているような感じだ」
「輝きが違う……?」
 カルテを見ながら言い、今度はレントゲン写真を取り出す聖。机の上に置いてあったボールペンである一点を指し示す。
「今までよりも輝きを増しているような感じなんだが……不安定な感じに思える。これはこれから観察していかなければ何とも言えないんだがな」
「そうですか」
「出来れば暇を見つけて来て欲しい。なるべく間隔は短めでな」
「善処します」
 そう言って祐一は苦笑を浮かべた。
 果たしてこの聖のと約束は守れるだろうか。今から一時間もすればあの強敵、ヌゴチ・ゴクツとの死闘が待っているのだ。負けて死ぬかも知れない。勝てたとしても未確認生命体と同様の怪物になってしまうかも知れない。無事に戻ってこれる保証など何処にもない。
「……佳乃から聞いたんだが」
 そんな祐一の様子に気付いたのか、少し間をあけてから聖が口を開いた。
「ここ最近、何か悩んでいるみたいじゃないか。よかったら話してみないか? 強制するつもりはない。君さえよければ、だが」
「いや、別にそんな悩みなんか」
「隠しているつもりなのかも知れないが、あの佳乃が気付いたんだぞ」
 否定しようとする祐一を遮るように聖は言い、ため息をつく。祐一と同じ喫茶ホワイトで働いている聖の妹、佳乃。普段から明るく元気な彼女にまで心配されるぐらいだから、相当根深い悩みなのだろう。しかもあまり人には話せないような。
「私は君のかかりつけだ。他言する気はない。話してみてくれないか? 話せば楽になるって事もあるぞ」
 そう言った聖の顔には本当に心配そうな表情が浮かんでいた。
 彼女にとって祐一は色々な意味で複雑な存在だ。人類を守る為にその身を犠牲にして戦っている戦士・カノン。しかし、その実体はごく普通の青年であり、その彼には妹である佳乃を何度と無く助けて貰っている。今や身内と言っても過言ではないだろう、それくらいに付き合いは深くなっている。おそらく祐一もそれは同じであろうが、その一方で彼は一人で思い悩むことが多い。何でも自分の中へ抱え込み、周りに漏らそうとはしない傾向があるのだ。それが時に彼を窮地へと追い込んでしまうこともあると言うのに。
「……いえ、これはやっぱり話せません。俺が解決しないといけないことですから」
 祐一はそう言うと椅子から立ち上がった。
「心配してくれてありがとうございます。出来れば佳乃ちゃんには何でもない、考えすぎだって言っておいてあげてください」
「……わかった」
 決して納得は出来ていないのだろうが、それでも聖はそれ以上何も言わず、ただ祐一の顔を見返すだけだった。おそらく祐一が話す気になるまで待つ気なのであろう。
「私ならいつでも君の相談に乗るからな。それを忘れないでくれ」
 無言のまま一礼し、出ていこうとする祐一の背にそう声をかけ、聖は笑みを浮かべた。話す気がない者をこれ以上引き留めても決して話してはくれないだろう。ならば自分に出来ることは相手を信じることだけだ。
「ありがとうございます、先生」
 振り返らずにそう言い、祐一が診察室から出ていく。その背を見送りながら聖は何やら複雑そうな表情を浮かべるのであった。

<喫茶ホワイト 11:19AM>
 関東医大病院を出た祐一は真っ直ぐ喫茶ホワイトにまで戻ってきていた。ロードツイスターをガレージに停め、キーを抜いてから店の方に戻ろうとすると、店の入り口、ドアの横の壁にもたれかかり腕を組んで立っている女性の姿に気がついた。美坂香里だ。店の中でなく外にいると言うことはきっと祐一を待っていたのだろう。
「……何処行ってたの、相沢君?」
「……病院だよ。定期検診みたいなもんだ」
 不機嫌そうなしかめっ面をした香里がそう声をかけてくるのにぶっきらぼうに答えながら祐一はドアノブに手をかける。だが、香里は彼の手をつかむとドアノブから離れさせて、自分の方へと向かせた。
「話があるの。ちょっと来てくれる?」
 有無を言わせぬ強い口調でそう言い、香里はつかんでいた祐一の手を放して歩き出した。
 香里の相変わらずのその勝ち気な態度に祐一は苦笑を浮かべつつ、後を追いかけるように歩き出す。
 香里が向かった先は少し歩いた先にある城西大学の裏門だった。まだ午前中で講義の真っ最中でもある為、人の気配は何処にも感じられない。裏門から中に入り、更に少し歩いてから芝生の広がった広場のような場所まで来て香里はようやく足を止めた。そしてようやく祐一の方を振り返る。
「あんまり時間がないんだけどな。この後、約束があるし」
 ようやくこちらを振り返った香里に対し、祐一はやはりぶっきらぼうな口調で言った。勿論この約束というのは強敵ヌゴチ・ゴクツとの対戦の約束である。その時までもう一時間を切っている。生きて帰れるかどうか、まったく保証のない戦いに望むのだ。出来れば戦いに赴く前に世話になった人達に挨拶だけでもしておきたい。そう考えていたのだが、香里にはそんな祐一の気持ちなどわかろうはずもなかった。
「今、何を恐れているのかしら?」
 何の前触れもなく、香里が切り込んでくる。
「この間の戦い、第31号だったかしら……ある人達からその様子を見せて貰ったの。また、あの姿になったのよね?」
「……あの姿?」
「まやかしの力のカノンよ」
 その声には少しの苛立ちが含まれている。祐一が素直に言わないからだろう。彼がこの事を隠そうとしていることがありありとわかるからだ。
「心の中に恐れとかそう言うものがあった場合カノンはあの姿になる。それは前にも話したはずよ」
「……そうだったな。後は体調が著しく悪い時とかにもなったりするが」
 言いながら苦笑を浮かべる祐一。だが、それは香里の勘に障ったようだ。明らかに怒ったような表情になり、彼に詰め寄ってくる。
「何言ってるのよ! あんな姿になるってことは何かに恐れを持っているって事なんでしょ!」
「な、何怒ってるんだよ」
 目の前まで詰め寄られ、大きい声で怒鳴りつけられ、少し戸惑ったような感じの声を祐一は返した。
「色々と考えてみたの。もしかして……相沢君、最近身体の調子がおかしくない?」
 祐一の様子を見て、少し冷静さを取り戻したように香里の口調は先程とは違い、落ち着いたものへと変わっている。だが、眼光は相変わらず鋭く、射抜くかのようにじっと祐一を捉えて放さない。
「何言ってんだよ。さっきも言ったが今日聖先生のところに行ってきたばかりなんだぜ。至って健康、何の問題も無し」
「本当にそうかしら? 瑞佳さんも佳乃ちゃんも相沢君の様子がおかしいって心配してくれてるの、気付いてた?」
 肩を竦めてそう言う祐一に香里の追撃は止まらない。おそらくは心当たりがあるのだろう、祐一はうっと言葉を詰まらせる。
「昔みたいに命を削りながら戦っているとかそう言うのならもう止めて。私だけじゃない。瑞佳さんも、佳乃ちゃんも、それに名雪だって悲しむわ。戦えるのは相沢君一人じゃない。北川君だって、それに折原浩平だっている。相沢君は今までよくやったわ。少しぐらい休んでも罰は当たらない」
「それは……違うな、香里」
 一気にそう捲したてた香里を遮るように祐一は言う。
「確かに戦えるのは俺一人じゃない。でもやると決めたのは俺だ。この手に力がある以上、俺は戦い続ける。そう決めた」
 その目に不退転の決意を浮かべながらそう言い、祐一は香里に背を向けた。これ以上話すことはない、その背中がそう語っている。
「今、相沢君が死んだりしたら名雪はどうなるのよ!」
 歩き出そうとしていた祐一の背中に香里が呼びかける。
「あの子はずっと待ってるわよ! 一生、あの子はあなたのこと待ち続けるわよ! それでもいいの!?」
「……俺は……死なない。死ぬつもりもない……少なくても今はまだな」
 絞り出すようにそう言い、祐一は歩き出した。
 今はまだ本当のことを言うことは出来ない。昔の時と違い、今のこのカノンの力を持ったのは香里達を助ける為だ。その為に今、自分がやばい状況にあると知れば香里は自分の責任のように感じるだろう。例え、祐一が自ら望んでこの力を得たのだとしても。
 しかし、正直なところ、名雪――祐一の従姉妹で恋人の水瀬名雪のことだ――を持ち出されたのはかなり痛かった。自分が自分で無くなり、未確認生命体と同じ様な存在になるかも知れない今、一番気がかりになるのはやはり彼女のことだ。香里の言う通り、名雪はいつまでも祐一が帰ってくるのを待ち続けるだろう。かつては七年、互いの思いを通じ合うまで更に五年。次はおそらく死ぬまで。きっと彼女は待ち続ける。彼女の幸せを願うならそれは出来れば避けたいことなのだが、誰が言ってもきっと彼女は自分の考えを変えることはしないだろう。これが自分にとっての幸せなのだと言って。
(負けられない理由が一つ出来た、な)
 口元を歪めて祐一は笑う。名雪の為にも自分は生きて帰ってこなければならない。彼女と話すまでは死ぬ訳には行かない。
 そんな祐一の背に香里の怒鳴り声が聞こえてきた。
「この馬鹿野郎!」
 香里の声を聞きながら祐一は城西大学を後にするのだった。

<喫茶ホワイト 11:57AM>
(そろそろ時間だな……)
 チラリと時計を見た祐一は静かに席を立った。
 マスターがそんな彼をチラリと見たが何も言わず、また広げていた新聞に目を戻す。今日はお昼時だというのに随分と暇だ。だから祐一が何をしようと干渉する気が起こらないのだろう。
「マスター、ちょっと出掛けてくる」
「おお、勝手に行ってこい。夜までには帰ってくるんだろ?」
「多分……」
 少々曖昧な返事を返しながら祐一が出ていこうとする。すると、彼の後を追うかのようにこの店のウエイトレスをしている長森瑞佳が一緒に店の外に出てきた。
「祐さん、ちょっとだけお話、いいかな?」
 声をかけられて、初めて祐一は瑞佳がそこにいるのに気付いたようだ。少し驚いた表情を浮かべて彼女の方を振り返る。
「あんまり時間無いんだけど……ちょっと約束があってさ」
 苦笑を浮かべながらそう言い、祐一がロードツイスターに歩み寄る。話があるならこのまま聞くと言うことなのだろう。だから瑞佳は特に気にせず口を開いた。
「ここ最近何か悩んでるよね?」
「……そう見える?」
「見えるよ。何か無理矢理普段の祐さんを装ってる。そう言う風にしか見えない」
「それは瑞佳さんの考えすぎだよ」
「私だけじゃないよ。佳乃ちゃんも、マスターだって同じ事考えてる」
「……みんな考えすぎだって。まぁ、確かにここ最近色々とあって思い悩むことはあるけど。そんな、みんなで気にする程の事じゃ」
 佳乃のみならずマスターまで知っていたのか、と少し驚きながら祐一はそれでも曖昧な笑みを浮かべて答える。これで誤魔化されてくれればいいけど、そう思うのだが、じっとこちらを見ている瑞佳の目は先程までと変わらず、いやより一層険しいものとなっている。どうやら誤魔化されてくれるどころかより一層疑惑を増してしまったようだ。
「……悪いけど時間なんだ。俺、もう行くから」
 チラリと時計を見て、祐一はそう言った。相手は何処にいるのかわからないし、いつ襲ってくるのかもわからない。誰にも邪魔されないところと言っていたが、信用出来るものなのかどうか。もし、今この場で襲われたら瑞佳を守りながら戦わなければならない訳で、それはただでさえ不利なところにより一層不利な条件を加えることになってしまう。それだけは避けなければならない。何と言っても瑞佳の安全の為にも。
「……帰ってきたら話を聞かせてくれる?」
「無事に帰って来れたらね」
「無事にって……まさか約束の相手って」
「大丈夫だよ。俺は必ず帰ってくる。今までだってそうだったでしょ」
 先程までの祐一の妙な様子の理由を察したのか、瑞佳が急に青ざめる。だが、そんな彼女に祐一は安心させるかのように笑みを浮かべてみせた。
「……強いんだね、今度の相手?」
「まぁ……でもいつも何とか勝って来れたし大丈夫だよ」
「嘘だよ。今度の相手はそんな楽観的なこと言えない程なんでしょ? だからこの間から」
「それは違うよ。まぁ、何にせよ、そいつとの約束があるんだ。そろそろ行かないと」
 これで話は終わりと言う風に祐一はミラーにかけていたヘルメットを手に取った。すっとヘルメットを被り、ロードツイスターに跨ってスタンドを戻す。それからエンジンをかけて軽く噴かした。
「祐さん……」
「帰ってくるよ、そんなに心配しなくても」
「……さっき名雪さんから電話があったんだ。何か祐一の身に悪いことがおきそうだから気をつけておいてって。祐一は自分のことはあまり話さない人だから余計にって」
「……」
「名雪さんの為にも、絶対に帰って来なきゃダメだよ、祐さん」
「……わかった」
 瑞佳の言う名雪からの電話が本当なのかどうかはわからない。もしかしたら嘘なのかも知れないが、それでもその嘘は自分のことを思っての嘘だ。だからあえてその事には触れず、ただ頷くだけ。
 それ以上瑞佳は何も言わず、祐一も口を開こうとはしなかった。
 祐一はロードツイスターのエンジンを噴かし、そしてギヤをニュートラルからローへと落とす。唸りを上げて走り出すロードツイスター。
 物凄い速さで走り去るロードツイスターを瑞佳はどことなく不安げな視線で見送っていた。

<都内某所・路上 12:15PM>
 一体何処でヌゴチ・ゴクツは待っているのか、祐一にはまるで見当がついていない。しかし、それでもロードツイスターを走らせていればきっと何処かで確実に出会うだろうと言う確信があった。だからこそ、こうして当て所もなくロードツイスターを走らせているのだ。
 喫茶ホワイトを出てから少し行き、大通りに出ようとした時だった。すっと角から現れた一人の男が祐一とロードツイスターの行く手を塞ぐ。
 一瞬ヌゴチ・ゴクツかと思った祐一だが、行く手を塞いだ男が何処かの神父のような黒い僧服を着ているのを見て、思わず安堵したようなため息を漏らしてしまう。だが。
「これから死地に向かうのかね、現世のカノン?」
 僧服の男にそう言われた瞬間、祐一の背筋に戦慄が走った。これから彼が赴こうとしていた先はまさしく死地。それを言い当てただけではなく、自分のことを現世のカノンと呼んだ。自分のことをそう呼ぶのは敵であるヌゴチ・ゴクツだけ。もしかしたら敵である未確認生命体、ヌヴァラグの連中は自分をそう呼んでいるのかも知れないが(何と言っても過去において戦士・カノンは何度もこのヌヴァラグ達と戦ってきたのだから。前に現世の、とつくのは過去のカノンと区別する為か)。そう言うことになるとこの僧服の男も未確認生命体の一味だと言うことになる。
「……お前も未確認の仲間か?」
 ジロリと僧服の男を睨み付けて言う祐一。
「ヌヴァラグかと言われればその通りとしか答える他無い。だが、私は他のヌヴァラグとは違うつもりだ」
「違う? どう言うことだ?」
 僧服の男の言う言葉に訝しげな表情を浮かべて尋ね返す。
「今は話している暇はない。だがいずれ……君がこの先も戦い続ける限り、いつか話す時がくるだろう」
「はぐらかすつもりかよ?」
「時間がないのはむしろ君の方だと思うのだが。奴……ヌゴチ・ゴクツはおそらく君が戦った中でも一、二を争う強敵だ。心してかからなければ勝てんぞ」
「そんなことは言われなくてもわかってる」
「ならばいい。だが……今の君の心には何か迷いがあるようだ。それでは死ぬぞ」
 じっと真剣な目で僧服の男に見つめられ、祐一は息を呑んだ。ヘルメット越しでこっちの表情などほとんどわからないはずなのに、それでもこの男は自分の心の中に宿る不安のようなものを見抜いた。恐るべき眼力だと言えるだろう。
「現世のカノンよ、君はまだ死んではならない。出来ることなら君を死地に赴かせたくはないのだが」
 そう言った僧服の男の目には本当に祐一のことを心配しているような感じの色が浮かんでいる。しかし、同時に決して祐一を止めることは出来ないだろうと言うこともわかっているようで、少しの諦観もそこには含まれていた。
「生憎だがそう言う訳にもいかないんだ。あの野郎は真正面から堂々と俺に挑戦状を叩きつけてきたんだ。それで逃げたら男が廃るってもんだろ?」
 そう言って祐一はヘルメットの中で薄く笑った。逃げるも何も、この先戦っていくのならばいつか必ずヌゴチ・ゴクツと戦う日がやってくる。それが早いか遅いか、それだけの差だ。男が廃るのどうのこうのは単なる建前に過ぎない。
「……やはり止めても無駄のようだな。ならば忠告しておこう。ヌゴチは死ぬ気でかかってくる。君も死ぬ気でかからねば勝てん」
「忠告どうも。それじゃそろそろ俺は行かせて貰うぜ」
「後一つ」
 ロードツイスターを再び発進させようとした祐一の前に僧服の男が人差し指を突き出してきた。祐一が胡散臭そうに僧服の男を見るが、彼の目は真剣そのものだ。
「これだけは決して忘れるな。君は何の為にその力を得たのか。君のその力は何の為にあるのか。もし、戦いの中で君の心に迷いが湧き上がったならばそれをもう一度思い出せ」
 そう言った僧服の男の目は本当に真剣そのものだった。思わずゴクリと唾を飲み込み、祐一は男の迫力に負けたかのように押し黙りながら頷いてしまう。
 祐一が頷いたのを見た僧服の男は満足げに頷くと、彼に背を向けて歩き出した。
「君が無事に帰って来れたらまた会おう。その時を待っているぞ、現世のカノン。いや、相沢祐一よ」
 僧服の男のその呟きはロードツイスターの轟くエンジン音にかき消され、祐一の耳に届くことはなかった。だが、それでも僧服の男は何処か満足げな笑みを口元に浮かべている。

<都内某所・ビル建設現場 13:37PM>
 建設途中のビルの一番上、鉄骨が剥き出しになったところ。その鉄骨の上に仁王立ちになり、一人の禿頭の大男が下を見下ろしている。そこに一台のバイクがやってきたのを見て、大男の口元に凶暴そうな笑みが浮かんだ。
「ようやく現れたか」
 そう呟き、禿頭の大男が鉄骨の上から飛び降りた。
 地響きをあげながら地面の上に降り立ったその男は目の前にいたバイクに乗った青年を見ると再びニヤリと笑う。
「遅かったな、現世のカノン。待ちくたびれたぞ」
「場所の指定もしないでよく言うぜ。こっちは探し回ったんだぞ」
「フフフ……だが貴様は我が何処にいるかを探り当てた。やはり我らは戦う宿命にあると見える」
 何処か嬉しそうに言う禿頭の大男をバイクの青年、祐一はヘルメットを脱ぎ捨て睨み付けた。
「ここで逃げたってお前とは絶対にやり合うんだろうからな。決着は早い方がいいだろ」
 そう言う祐一の頬を一筋の汗が伝い落ちる。
 何処か余裕ありげな禿頭の大男とは違い、今の祐一は何処か一杯一杯な様子が見て取れた。今までにない程の強敵、それが自らの命を懸けて自分に向かってくる。果たしてこれほどの敵に勝てるのだろうか。その不安はどうしても拭い去ることが出来ない。
「そうだな、確かに決着をつけるのは早い方がいい。ならば、来るがいい……貴様の全力を持って!」
 禿頭の大男はそう言うと、その姿を変じた。人間の姿から蠍種怪人ヌゴチ・ゴクツへと。
 それを見た祐一は素早く右手を前に突き出した。その右手で十字を描き、そして叫ぶ。
「変身っ!!」
 祐一の叫びを受けて彼の腰にベルトが浮かび上がり、その中央に埋め込まれている霊石が眩い光を放った。その光の中、祐一の姿が戦士・カノンへと変わる。更に彼が乗っていたバイク――ロードツイスターも光を受けてカノン専用マシンへと変貌を遂げていた。
「来い、カノン!」
 ヌゴチ・ゴクツはそう言うと威嚇するかのようにハサミ状になった両腕を振り上げた。どの様な攻撃をしてきても耐え切れると言う自信の現れなのだろうか。全くの無防備。所謂ノーガード戦法と言うことか。
「行くぞ!」
 アクセルを思い切り回し、ロードツイスターごと突っ込んでいくカノン。以前にも同じ事をやったのだが、あの時はあっさりと受け止められた。おそらく今回もあの時と同様にあっさりと受け止められるだろう。だが、それは勿論考慮済みだ。だからただ突っ込んでいくだけではない。
「おおりゃあっ!」
 更にアクセルを回してスピードを上げたロードツイスターのシートの上に立ち、そこからカノンはヌゴチ・ゴクツに向かってジャンプした。空中で回転しながら右足を突き出していく。カノン必殺のキックの体勢だ。
 これも以前戦った時には通じなかった。だが今回も通じないとは限らない。そう言う願いに近い思いを込めながらカノンはキックをヌゴチ・ゴクツに叩き込む。
「むぅんっ!」
 胸板に直撃したカノンのキックを気合い一発で弾き飛ばし、更に無人で突っ込んできたロードツイスターの前輪を片足で受け止めるヌゴチ・ゴクツ。
「この程度か、カノン。我を失望させるな」
 地面に倒れたカノンを見下ろし、そう言ったヌゴチ・ゴクツは大きく振り上げていた両腕をカノン目掛けて振り下ろした。
 慌てて飛び退くカノンだが、そこにヌゴチ・ゴクツの後頭部に生えている蠍の尻尾が追いかけてくる。尻尾の先端には鋭い針が覗いており、それでカノンを刺し貫こうと言うつもりなのか。
「くうっ!」
 何とか地面を転がるようにして尻尾の先端にある針をかわすカノン。その手に何かが触れたので、すかさずそれを掴んで襲い来る尻尾を弾き飛ばした。それから手に持ったものが鉄パイプであることを見て取ったカノンは素早く起き上がると、その鉄パイプを両手で構えた。
「フォームアップ!」
 そう叫ぶと同時にベルトの中央にある霊石が青い光を放ち、カノンの姿も白から青へと変化する。更に手に持った鉄パイプが青いロッドへと変わり、その両端がすっと伸びた。
 青いロッドを頭上で一回転させ、改めて構え直すカノン。
「姿を変えたところで!」
 青くなったカノンに向かってヌゴチ・ゴクツが突っ込んできた。
 すかさずロッドを地面に突き立て、カノンはジャンプしてヌゴチ・ゴクツをかわす。そのまま頭上を越えてヌゴチ・ゴクツの後ろへと降り立ったカノンはその背中へと向かってロッドを突き出した。だが、そのロッドがヌゴチ・ゴクツに届くことはなかった。ヌゴチ・ゴクツの後頭部から伸びた蠍の尻尾がカノンの突き出したロッドの先端を受け止めていたからだ。
「チィッ!」
 悔しそうに舌打ちしながら後ろに下がるカノン。その目の前をヌゴチ・ゴクツの左腕が通り過ぎていく。振り返り様に放った一撃なのだろう。元々当たるとは思っていなかったようでカノンの方へと向き直ったヌゴチ・ゴクツの顔に悔しそうな表情はない。
「全力で来いと言ったはずだ」
 そう言いながらヌゴチ・ゴクツが一歩前に出る。
「我を倒したくば全力を見せろ、カノン」
 更にそう言って一歩前に出たヌゴチ・ゴクツに対してカノンは素早くロッドを突き出した。しかし、その一撃をヌゴチ・ゴクツは右手のハサミの先端で軽々と受け止めてしまう。それでもカノンは何度も何度もロッドを突き出していった。まるでこうする以外に手が無いという風に。
(考えろ、考えろ、考えろ! どうすればこいつを倒せる? どうすればこいつにダメージを与えられる? 考えるんだ!)
 何度もロッドを突き出していくが、その全てをヌゴチ・ゴクツは受け止め続けている。何の考えもなくこの強敵に向かっていってもダメだ。しかし、何をどう考えてもヌゴチ・ゴクツを倒せる手段が思いつかない。
 そもそも初めてこのヌゴチ・ゴクツと戦った時はなんとか引き分けに持ち込めたのだが、その時どうやってこの怪物にダメージを与えることが出来たのかまるで思い出せないのだ。思い出すことが出来れば多少は戦いやすくなりそうなものだが、それはおそらくカノン、祐一にとって非常に危険なことになるだろう。所謂戦闘思考――それに支配され続ければきっと自分を無くし、未確認生命体と同じ殺戮マシーンとなってしまう。今の祐一にとってそれがもっとも恐れることだった。だからこそ、必死に自分の頭で考えるのだ。この怪物を倒す方法を。
 カノンが必死にヌゴチ・ゴクツ攻略法を考えながらロッドを突き出しているのを、ヌゴチ・ゴクツは軽々と受け止め続けていたが、それに飽きたのかいきなりロッドをハサミで掴み取った。
「その程度か、カノン」
 そう言ってカノンを睨み付けるヌゴチ・ゴクツ。
「失望させるなと言ったはずだぞ」
 言いながらハサミでロッドを締め付け、その先端部分を切断する。
「まだこれからだ! フォームアップ!」
 後ろに下がりながらそう言ったカノンのベルトの中央の霊石が今度は紫の光を放った。その光を受け、カノンの姿が青から紫へと変わり、手に持った青いロッドも紫の刀身を持つ剣へと姿を変える。
 青のカノンは俊敏性に長けた戦士。これに対して紫のカノンは防御力とパワーに長けた戦士だ。スピードには難があるが青のカノンはスピードを重視するあまりパワーなどに難がある。まさに青と紫の力は対極に位置する力だった。
「また姿を変えたか、カノン! しかしそれで!」
 ヌゴチ・ゴクツが思い切り振りかぶった左腕のハサミを振り下ろしてきた。アスファルトやコンクリートに易々と穴を穿つ程の威力のある一撃だ。これをまともに受ければ紫のカノンとて一溜まりもないだろう。
 だからカノンは振り下ろされてくる左手をじっと見極め、右足を一歩だけ前に出した。そしてギリギリのところでハサミをかわし、手に持った紫の剣を相手の脇腹に叩き込む。しかし、その手に帰ってきたのはまるで岩を叩いたような衝撃だった。紫の剣は弾き返され、柄を握っていた手に痺れが走る程の衝撃。
「甘いぞ、カノン!」
 その声と共に振り回された左腕がカノンを直撃、カノンの体が大きく宙を舞う。地面に叩きつけられながらも剣を手放さなかったのは僥倖と言うべきか。何とか身を起こすと、じっとこちらを見ているヌゴチ・ゴクツと目が合った。
 ヌゴチ・ゴクツはニヤリと笑うとすっと左腕をあげて見せた。その下に見える脇腹には先程カノンが紫の剣を叩きつけたであろう場所に一筋の赤い痣のようなものがある。だがそれは脇腹を守る鎧のようなものの上。その下にある肉体にダメージは抜けていないらしい。それを教える為にヌゴチ・ゴクツはわざわざ左腕をあげて見せたのだ。吹っ飛んだカノンを追わず、その場に立ったまま。
「へっ、余裕って訳かよ」
 そう言いながら立ち上がるカノン。悔しいが相手の実力は相当上だ。今のままでは勝ち目はないだろう。あの余裕もよくわかる。しかし、ここで負けて死ぬ訳には行かない。まだまだやらなければならないことは山のようにあるのだ。
「だけどな、俺だって負けられないんだよ」
 紫の剣を構え直し、カノンはヌゴチ・ゴクツに向かって走り出した。
「テメェらを全部倒すまではな!」
 大きく頭上へと振り上げた紫の剣を一気に振り下ろすカノン。だが、その一撃を易々と左のハサミでヌゴチ・ゴクツは受け止める。すかさず右のハサミでカノンのボディを狙っていくが、カノンもそれは予想していたらしく剣を受け止められると同時に後ろへと下がっていた。
 目の前をハサミが唸りを上げて通り過ぎていくのを見て、カノンはまた前へと踏み出した。同時に剣を思い切り振り下ろしている。
 ヌゴチ・ゴクツが振り下ろされた剣を逆に弾き返そうと左のハサミを突き出す。ハサミとカノンの剣がぶつかり合い、カノンの方が吹っ飛ばされてしまった。二、三歩よろめきながら後退するカノンを見て、ヌゴチ・ゴクツが攻勢に出る。右から左から唸りを上げながらハサミがカノンに襲い掛かり、更に時折頭上から蠍の尻尾が強襲をかける。
 息もつかせぬヌゴチ・ゴクツの連続攻撃をカノンは手にした剣で弾き、時には身をかわし、何とか凌いでいく。しかし、反撃の糸口は掴めない。ヌゴチ・ゴクツの攻撃が早すぎ、防御するだけで精一杯なのだ。更にヌゴチ・ゴクツの攻撃スピードは徐々に速くなってきている。このままだといつか確実に直撃を受けるだろう。
(こいつ……本当に化け物だな!)
 必死に連続して突き込まれてくるハサミを紫の剣で弾くカノン。と、その剣がいきなり動かなくなった。見ると弾き返したはずのハサミが剣をギュッと挟み込んでいるではないか。
「何っ!?」
「甘いぞ、カノン!」
 カノンが驚きの声をあげるのと同時にヌゴチ・ゴクツがニヤリと笑う。次の瞬間、カノンのボディに物凄い衝撃を叩き込まれた。剣を掴んでいるのとは逆のハサミがカノンのがら空きとなっていた腹を直撃、その身体を大きく吹っ飛ばしたのだ。
 ヌゴチ・ゴクツのその強烈な一撃を受けたカノンの体が大きく宙を舞い、そのまま建設途中のビルの中へと飛び込んでいく。それを見たヌゴチ・ゴクツは挟んでいた紫の剣――カノンの手から放れたことによってそれは元の鉄パイプに戻っていた――を投げ捨て、建設途中のビルに向かって歩き出した。

<ビル建設現場内部 13:57PM>
 カノンが吹っ飛ばされたのは丁度作りかけのフロアだった。天井には剥き出しの鉄骨の姿が見え、内装もまだ手つかずの状態。建設機材も床に散らばっているような状態だ。
 地上からそんなところまで吹っ飛ばされたカノンは床に手をつくと何とか起き上がった。その姿が戦士・カノンから祐一のものへと戻っていく。
「クソッ、あの化け物が……何て馬鹿力だ」
 そう毒づきながら祐一はズキンと痛んだ胸を手で押さえた。ここまで吹っ飛ばしてくれたあの強烈すぎる一撃でどうやら肋骨が何本かやられたらしい。幸いにも内臓や肺に刺さっているようなことは無いみたいだが、それでもダメージとしては充分だ。カノンとなってから得た超回復能力のお陰で既に折れた肋骨の修復は始まっているのだろうが、多分この戦闘の最中には回復しきらないだろう。
「こいつはちょっとまずい、か……」
 痛む胸を押さえながら立ち上がる祐一。ただでさえ勝ち目の薄い相手だ。ダメージを受けたこの状態では益々勝ち目は遠のいただろう。こちらが回復するまで待ってくれるような優しい相手ではない。だいたい敵である自分の回復を何で待ってくれるだろうか。そんなことをするのはただの馬鹿だ。勿論あの化け物はそんな馬鹿ではない。
「今はちょっとでも……」
 ヌゴチ・ゴクツはここを目指してビルの中へと踏み込んでいるはずだ。見つかるまでは少しでも身体を休めてダメージの回復を計るべきだろう。そう思って改めて床に座り込む祐一。
(しかし……一体どうやればあいつを倒せる? どうすればダメージを与えられるんだ?)
 白でもダメ、青でもダメ、紫でもダメ。以前に戦った時は一体何をどうやって引き分けに持ち込んだのか未だに思い出せない。気がついた時には変身が解けていたので緑か赤のどちらか――あの時の状況から考えておそらくは赤の力のはずだ――を使ったのだろうが、一体どう言う風にしてヌゴチ・ゴクツにダメージを与えたのだろうか。それを思い出せれば少しは好機が訪れるのかも知れないが、思い出せないものはどうしようもない。
 どうすればあの強敵、ヌゴチ・ゴクツにダメージを与えられるのか。祐一の思考がその事で一杯になりかけた時、彼の耳にこちらへと近付いてくる足音が聞こえてきた。このビルの建設現場にいるのは自分とヌゴチ・ゴクツだけなのだからこの足音の主は考えるまでもなくヌゴチ・ゴクツのものだろう。
「……意外と早かったな」
 ここに来るまでもっと時間がかかるかと思っていたが、どうやら敵は予想以上に正確にこちらの居場所を掴んでいたらしい。何処か自嘲めいた笑みを口元に浮かべ、祐一はヌゴチ・ゴクツが来るのを座ったまま待つ。今更ここから逃げたり何処かに隠れたりしても仕方ないだろう。
「……こんなところにいたか、カノン」
「ちょっと休憩中だ」
「戯れ言を」
 座ったままの祐一を見つけたヌゴチ・ゴクツがニヤリと笑う。
「さぁ、続きだ。準備しろ、カノン」
 ヌゴチ・ゴクツに言われて祐一は立ち上がった。胸の痛みは先程よりもだいぶん治まっているが、それでも先程よりはマシな程度だ。折れた肋骨がくっついた訳ではないだろう。変身してしまえば回復に回っていた力も戦闘の方に振り分けられるから益々回復は遅くなる。しかし、それでも変身しない訳にはいかない。ヌゴチ・ゴクツも祐一がカノンに変身するのを待っている。
「……変身!」
 覚悟を決めて祐一は右手で宙に十字を描いた。腰にベルトが浮かび上がり、その中央の霊石が眩い光を放つ。その光の中、祐一の姿が再びカノンへと変わった。
 身構えるカノンを見て、ヌゴチ・ゴクツもまた身構える。
「覚えているか、カノン。貴様と我が初めて相対した日のことを」
「何?」
「あの時貴様は我を一瞬圧倒した。あの強さを再び我に見せよ。でなければここで叩き潰すのみ」
「何だと!?」
 カノンが驚いたのはヌゴチ・ゴクツを自分が一瞬とは言え圧倒したという一言。何をやってもダメージの一つも与えられなかったこの化け物を自分が一瞬とは言え圧倒した。はっきり言って信じられない。
 そんな風にカノンが戸惑っているところにヌゴチ・ゴクツは一気に迫り、カノンを叩き潰そうと両腕を振り上げた。
 はっと我に返ったカノンは素早く後方へと飛び下がり、ヌゴチ・ゴクツの振り下ろした両腕を何とかかわす。着地すると同時に膝を曲げ、反動をつけて上に向かってジャンプ。天井で剥き出しになっている鉄骨を足場にしてヌゴチ・ゴクツへと向けて急降下気味のキックを放つ。
「おおりゃあっ!」
 雄叫びと共に放たれた蹴り足が光に包まれた。しかし、そのキックをヌゴチ・ゴクツは左のハサミで受け止める。
「ぬううっ!」
 カノンのキックの勢いはこの戦いが始まった直後に放たれたものよりも増しており、ヌゴチ・ゴクツはその勢いを殺しきれず、そのままの体勢で後方へと滑っていく。だが何とか踏みとどまると左腕を振り、カノンを吹っ飛ばした。
 空中でくるりと一回転して着地するカノン。その前方ではヌゴチ・ゴクツがカノンのキックを受け止めた左手のハサミをじっと見つめている。そこには「封滅」を意味する古代文字が焼き付けられていた。うっすらと白煙を上げている古代文字をしばし見つめていたヌゴチ・ゴクツだったが、やがてその左腕に力を込め、大きく振り払う。するとハサミの上に浮かんでいた古代文字が消し飛んでしまったではないか。
「まだまだぁっ!」
 そう言いながらカノンがヌゴチ・ゴクツに向かって突っ込んでいく。
「無謀なり、カノン!」
 真っ直ぐに迫ってくるカノンに向かってヌゴチ・ゴクツが右のハサミを突き出した。まともに当たればコンクリートの壁ですら易々と穴を穿つ程の威力の突き。カノンとて一溜まりもないはずだ。
 しかし、カノンはその突きをギリギリのところでジャンプしてかわすとそのハサミの上に足をつき、そこから膝をヌゴチ・ゴクツの顔面に叩き込んだ。
 カノンの膝をヌゴチ・ゴクツはあえて身動き一つせず真正面から受け止める。そう、文字通り受け止めたのだ。鍛えに鍛えられた首は勢いよく膝を顔面に叩き込まれながらもびくともせず、逆にカノンの動きを止めてしまう。
「なっ!?」
「見くびるな、カノン!」
 膝を顔面に叩き込んだそのままの姿勢で驚きの声をあげるカノンをヌゴチ・ゴクツは右のハサミでその背後から掴んだ。そしてそのままカノンを引き剥がし、大きく頭上まで振り上げてから一気に床へと叩きつける。あまりにも勢いよく叩きつけたので床がまるでクレーターのように陥没した。
「ぐはぁっ!」
 思い切り床に叩きつけられたカノンが呻き声を上げる。床がクレーターのように陥没する程の力で叩きつけられたのだ。受けたダメージはかなりのものだろう。事実カノンはすぐには起きあがれない。
 そんな倒れたままのカノンを見下ろし、ヌゴチ・ゴクツは鼻と思しきところから流れ落ちる血をハサミ状の手で拭った。そしてカノンを踏み潰そうと足を振り上げる。
 ヌゴチ・ゴクツが足を振り上げたのに気がついたのだろう、カノンは素早く身体を回転させる。更に床に手をつき、まるでブレイクダンスのように身体を回転させながら逆立ちすると、そこから腕の力だけでジャンプした。空中で身体を捻りながら更に回転を増し、そのまま回し蹴りをヌゴチ・ゴクツに叩き込む。
 側頭部にカノンの回し蹴りを喰らったヌゴチ・ゴクツがよろめいた。そこに着地したカノンが床を蹴って飛び込んでいく。その速さは白いカノンでありながらも青いカノンに匹敵する程だ。
 ヌゴチ・ゴクツの懐に入り込んだカノンがその鳩尾に肘を叩き込む。
「ぬうっ!」
 人体の急所に一撃を見舞われ、ヌゴチ・ゴクツが身体を折り曲げた。未確認生命体と言えども急所は人間と変わらないらしい。流石のヌゴチ・ゴクツも思わず身体を九の字に折り曲げてしまった程だ。
 と、そこにカノンのアッパーが襲い掛かり、ヌゴチ・ゴクツの顔面を捉える。今度は逆方向に九の字に身体を折り曲げながら、のけぞるようにヌゴチ・ゴクツの巨体が宙に浮いた。そのままどさりと音を立てて床に背中から倒れていく。
「……ぬう……やるな、カノン。そうでなくてはつまらん」
 ヌゴチ・ゴクツがそう言いながら身を起こすのを見て、カノンはようやく我に返ったようにそちらを振り返った。
(何だ……今、俺は何をした?)
 ゆっくりと立ち上がるヌゴチ・ゴクツを警戒するように見据えながらカノンは今自分が何をしたのかを思い出そうとする。だが、ほとんど何も思い出せない。覚えているのは背中から床に思い切り叩きつけられたことぐらいで、そこから意識が無く、今どうやってヌゴチ・ゴクツを吹っ飛ばしたのかまるでわからない。
(また、か……またなのか? クソッ、あれじゃダメだってのにっ!)
 自分が気を失っていた間、また戦闘思考に囚われていたのだろう。だからこそ、強敵ヌゴチ・ゴクツにダメージを与えることが出来た。だが、それでは意味がない。戦闘思考に頼ることなく、自分の意思を保ったままの状態でヌゴチ・ゴクツにダメージを与え、倒すことが出来なければ意味がないのだ。
「これで少しは面白くなってきた。行くぞ、カノン!」
 立ち上がったヌゴチ・ゴクツがカノンに向かって走り出した。その巨体に似合わず、かなりのスピードでカノンとの距離を一気に詰めてくる。
 少し考え事に没頭していたカノンはヌゴチ・ゴクツの接近にギリギリまで気付かず、はっと気がついた時にはもう手遅れ。ヌゴチ・ゴクツのショルダータックルをまともに喰らい、大きく吹っ飛ばされてしまう。
 吹っ飛ばされたカノンが作りかけの壁に背中を打ち付け、前のめりに倒れ込んだ。
「くうっ……」
 倒れたカノンから呻き声が上がる。今度は意識を失うことはなかったらしい。だが、果たしてそれが良かったのか悪かったのか、今のカノンには判断がつかなかった。
 それを見たヌゴチ・ゴクツが猛然と倒れているカノンに向かって駆け出した。このまま一気に倒してしまおうと言うつもりらしい。
 足音からヌゴチ・ゴクツが自分の方に迫ってきているのがわかるカノンだが、身体を起こすことは出来ない。それほどダメージが大きいのだ。だから逃げることも出来ず、出来ることと言えばただ最後の時を待つことだけだった。
(クソッ、ここまでか……)
 半ば諦めの境地にカノンが達したその時、突如天井の一部が崩れ落ち、そこから一人の男が飛び降りてきた。その男は倒れているカノンとヌゴチ・ゴクツとの間に降り立つとニヤリと笑いながら手に持ったナイフをヌゴチ・ゴクツに向かって投げつける。
 突然現れた男が投げたのは所謂スローイングナイフという投げることを前提に作られた投げナイフ。細身のそのナイフが一度に数本、ヌゴチ・ゴクツへと向かっていく。
「むっ!?」
 カノンへと向かって駆けていたヌゴチ・ゴクツだったが、突然目の前に飛び降りてきた男がナイフを投げてきたのを見て、慌てて立ち止まり、ナイフを右手で払いのけた。そして、ナイフを投げてきた男を睨み付ける。
「……貴様、邪魔をするか」
「前にも言ったはずでしょう。この男は私の獲物だと。先約はあくまでこの私、横取りはしないで頂きたいんですがね」
 ナイフを投げた男はニヤニヤ笑いながらそう言ってのけた。ヌゴチ・ゴクツの視線をものともしていない。大した度胸の持ち主だ。
「……確かオウガと言ったな」
「覚えて頂いて光栄です、ミスター……」
「ヌゴチ・ゴクツ」
「そうそう、ミスターヌゴチ」
 そう言って笑う男。だが、すぐのその顔から笑みが消える。
「前の時はお預けとなりましたが、今日はその続きをしたいと思いましてね」
「今度はあの時のように逃げることはないと言うのか?」
「ええ、しっかりと最後までお付き合いしますよ」
 そう言うとその男、キリトは大きく両手を円を描くように回し、腰の前で拳を合わせた。そこに浮かび上がるのは中央に宝玉を持つベルト。続けて両腕を前に突き出し、素早く顔の前で交差させてから一気に左右に振り払う。
「変身ッ!!」
 ベルトの中央の宝玉が光を放ち、その光の中キリトの姿が変わる。紫の鬼、戦士・オウガへと。
「ま、待ちやがれ……そいつと戦っていたのは俺だぞ」
 目の前で変身したオウガに向かって起き上がりながらカノンが言った。勝つにしろ負けるにしろ、何にせよ後から来た奴に、しかもそれがよりによって自分の命を狙っているオウガにこの戦いの邪魔はされたくない。カノンに、祐一にとってこのヌゴチ・ゴクツはこの先戦っていく為にもどうしても自分の手で倒さなければならない相手なのだから。
 しかし、オウガはフラフラと立ち上がったカノンを振り返ってただ肩を竦めるのみ。
「何を言っているんですか。あんな無様な戦いをこれ以上黙って見ていろとでも言うのですか。冗談じゃない。私はそこまで温厚ではありませんよ」
 それからオウガはカノンの側に歩み寄る。
「言っておきますが私はあなたを助けに来た訳じゃない。ただ、あなたに死んで貰っては困るんですよ。あなたを殺すのはこの私の役目なのでね。折原浩平共々この私が直々に殺さないと気が済まないだけ。勘違いしないように」
 それだけ言うとオウガはヌゴチ・ゴクツの方へと向き直った。そして両手を広げる。
「さぁ、始めましょうか」
「……よかろう。カノン、貴様も隙あらばいつでも掛かってくるがいい。例え二人がかりでも我は一向に構わん」
 ヌゴチ・ゴクツはオウガの肩越しにカノンを見てそう言い、そして威嚇するように両腕を振り上げる。
「随分と自信がおありのようですが……その過剰な自信が油断へ繋がるかも知れないと言うことをお忘れ無く!」
 オウガがそう言って床を蹴ってジャンプした。予備動作はまるで無し。まさに直立した状態から宙へと舞い上がって見せたのだ。そしてそこから放たれる前蹴り。オウガの足先がヌゴチ・ゴクツの顎を捉える。
 しかし、その蹴りを受けてもヌゴチ・ゴクツはびくともしなかった。カノンの勢いのついた膝蹴りを受けてもびくともしなかっただけにこれは当然だろう。むしろ空中にいるオウガを狙って右のハサミを突き出してさえいるぐらいだ。
 ヌゴチ・ゴクツの鋭い突きをオウガは両手で軽く押さえ、その頭上を飛び越えようとする。だが、そこをヌゴチ・ゴクツの後頭部に生える蠍の尻尾が襲った。鋭い針がオウガを串刺しにしようとする。その針をオウガが両手で掴み、そして身体を回転させるようにしてヌゴチ・ゴクツの背に蹴りを叩き込んだ。
 思わずたたらをふんで前のめりに倒れるヌゴチ・ゴクツ。
 それを尻目にオウガが床へと華麗に降り立った。
「さぁ……ショータイムはまだこれからですよ、ミスター?」

Episode.63「猛襲」Closed.
To be continued next Episode. by MaskedRiderKanon


次回予告
ヌゴチ・ゴクツとの死闘の最中、オウガに突如訪れる異変。
それを見たカノンの取った意外な行動とは?
キリト「ま、まさか……こんな時に……!」
祐一「飛べ! キリト!」
その一方、天使を奉じる謎の集団に潜入する国崎。
そこで彼に迫る危機。
国崎「何なんだよ、こいつら?」
ヌゴチ・ゴクツ「楽しかったぞ、カノン!」
一つの戦いが終わり、新たな戦いが始まる。
そして、再びあの男が戦いのステージに帰ってきた。
次回、仮面ライダーカノン「潜入」
動き出す、闇の中の赤い月……



NEXT
BACK

本・漫画・DVD・アニメ・家電・ゲーム | さまざまな報酬パターン | 共有エディタOverleaf
業界NO1のライブチャット | ライブチャット「BBchatTV」  無料お試し期間中で今だけお得に!
35000人以上の女性とライブチャット[BBchatTV] | 最新ニュース | Web検索 | ドメイン | 無料HPスペース