<文京区内某所 06:49AM>
 早朝の街を一人の青年が走っている。額からは汗が流れ落ち、着ているジャージも汗を吸って色が変わっていた。どうやらかなりの長時間走っているらしい。
 額から流れる汗を拭おうともせずに、まるで何かを振り切ろうとするかのようにただ走り続けている青年――相沢祐一。彼の脳裏には先日戦った恐るべき敵、蠍種怪人ヌゴチ・ゴクツの姿が浮かんでいた。
 こちらのありとあらゆる攻撃をはねのけた強敵。全力での一撃ですら凌ぎきった今までに無い恐るべき強敵。次に戦う時、前回のように追い払うことが出来るのかどうか、その自信はない。
 もっとも追い払う事が出来たとしてもそこで全ての力を使い果たしてしまっていては意味がない。少なくてももう一体の未確認生命体が今殺戮行動をしているのだ。それを止めることこそ祐一に課せられた使命。戦士・カノンという力を持った自分の使命、やらなければならないことなのだ。
 しかしその為にはまずヌゴチ・ゴクツを何とかしなければならない。こちらがもう一体の未確認生命体を倒そうとするならば確実にその前に立ちはだかるはずだからだ。
(だけど……どうすれば奴を倒せる?)
 生半可な攻撃は一切通用しない。全力での攻撃も奴は耐え凌いだのだ。まだ試していない攻撃方法がいくつか残っているにしても、それが通じる保証は何処にもない。
(それでも……やるしかないんだ)
 あの強敵を倒すことが出来るのはおそらく自分だけ。警察では対抗することすら出来ないだろうし、PSK−03でも力及ばないだろう。弱音を吐いている場合ではない。自分がやらなければ一体誰がやるというのだ。
 だから祐一は走り続ける。今の自分では勝ち目は薄い。ならばこの身を鍛えて更に強くなるだけ。
(俺がやるしか……)
 一心不乱に走り続ける祐一。その彼をじっと見つめている影がいたことを彼はまだ知らない。

仮面ライダーカノン
Episode.61「強敵」

<警視庁未確認生命体対策本部 09:32AM>
「こんのドアホウッ!!」
 警視庁未確認生命体対策本部が使用している会議室に響き渡る怒鳴り声。
 声の主はこの未確認生命体対策本部の実質bQ格の神尾晴子警部である。そして怒鳴られているのは勿論、未確認生命体対策本部きってのスタンドプレーヤーである国崎往人刑事であった。
「ええか、お前が独断専行で勝手なことするたんびにやな、どれだけ周りに迷惑かかってるかってことをよう考えぇ! 今回は救援が間に合ったからええもんの、次も同じように間に合うかどうかわからへんねんでぇ! ええ加減その辺のこと考えて行動せぇっ!!」
 一頻り怒鳴り終えると晴子は正面にいる国崎の頭を一発殴りつけ、会議室から足早に出ていった。まるで彼の顔など見ていたくないと言わんばかりの態度だ。
「う〜ん……今日はいつも以上に不機嫌だな、晴子さんは」
 殴られた頭をさすりつつ国崎がそう呟くと、少し離れたところで二人の様子を見ていたらしい住井 護が近寄ってきた。
「心配してくれているって事ですよ、それだけ」
 住井はそう言うと国崎の前にコーヒーの入った紙コップを置く。
「国崎さんと神尾さんってかなり昔からの知り合いなんでしょう?」
「まぁな。俺が警察に入る前少しの間居候させて貰っていたこともあったしな」
「神尾さんからすればその頃と同じなんでしょうね。放っておけないんですよ、きっと。それに観鈴ちゃんのこともあるし」
「観鈴のことは別問題だろ」
「さて、それはどうですかね。まぁそれはともかく少しの間くらいは単独行動自重した方がいいですよ。それでなくても最近国崎さんのスタンドプレーヤーぶりは目立っていますからね」
 それだけ言うと住井は国崎の側から離れていった。
 国崎は離れていく住井の背中を見ながら前に置いてある紙コップに手を伸ばした。程良く冷えたコーヒーを飲みながら、国崎はこの間の祐一のことを思い出す。
 あの晩、何かに怯えるように真っ青だった祐一。ただ単に彼を足止めしていた未確認生命体が強かっただけではなさそうだ。何かが彼の身にあったのだろう。だがそれを聞き出そうにも祐一と会っている暇がなかった。会ったところで素直に話すとも思えなかったが。祐一は自分のことになると結構抱え込んでしまうタイプだと言うことはここ半年ばかりの付き合いでよくわかっている。
(やっぱり無理にでも聞き出すか……かといって俺に何か出来るわけでもないんだがな)
 空になった紙コップを握りつぶしながら立ち上がる国崎。
 椅子の背もたれに掛けていた上着を手に会議室から出ていこうとすると、それを見つけた住井に呼び止められる。
「国崎さん、どこ行くんですか?」
「暇つぶしにパトロールでもしてくる。何かあったらすぐに呼んでくれ」
「また勝手な事して……神尾さんに怒られますよ?」
「パトロールなんだから大丈夫だろ」
 苦笑を浮かべている住井にそう言い、国崎は会議室を後にした。
 未確認生命体第31号、白蟻種怪人ニドラ・ゴバルは東京駅での一件以来姿を見せていない。どうやら予想以上に例の殺虫剤入りカプセルによるダメージが大きいようだ。お陰で例の蟻酸に対する中和剤も完成にこぎ着けている。だが、それも何処まで通用するかわからない。必勝を期する為にはどうしても未確認生命体第3号ことカノン――相沢祐一の協力が不可欠だと国崎自身は考えている。

<倉田重工第7研究所 10:11AM>
 作業室内ではPSK−03の修理が二十四時間態勢が続けられていた。前回、未確認生命体B種の蠍人間と未確認生命体第31号との連戦で受けたダメージはかなりのものであった。幸いにも装着員である北川 潤へのダメージはほとんど無かったもののPSK−03自体は二十四時間フル稼働で修理しても十日はかかるほどのダメージ。良く無事に帰って来れたものである。
 作業室内で修理の行われているPSK−03を見ながら七瀬留美はそんなことを考えていた。
「それにしても中和剤のデータが科警研から貰えたのは大きいわね」
 そんな声が聞こえたので振り返ってみると、ドアのところにPSKシリーズ装備開発担当の深山雪見が立っていた。彼女は振り返った留美に向かって片手を挙げて挨拶してから、留美の隣にまでやって来て修理中のPSK−03を見やる。
「今度はここまでやられることはないわよ。安心なさい」
「第31号に関してはそれほど心配していません。問題はそれよりもこれから先のことです」
 そう言って小さくため息をつく留美。
 PSK−03は現時点で考えられる最高の素材や技術を駆使して開発された。しかし、そのPSK−03を持ってしても人智を越える敵――未確認生命体や未確認生命体B種には敵わなくなってきている。敵の情報が少なすぎると言うこともあるが、それでもやはりこちらの力不足は否めなくなってきているのだろう。これから先、未確認生命体などの敵と渡り合って行くにはPSK−03の更なる強化は必須なのかも知れない。だが、それをやるには問題がある。
「これ以上の強化は人間じゃついて来れない、か……」
 雪見には留美の悩みがわかっていた。そもそものPSK−03にしてもその性能には並の人間では対応しきれないものがあったのだ。更に搭載しているAI”ベルセルガ”は並の人間ではとても反応しきれない対応速度を装着員に要求する。PSK−03正規装着員である潤はそれを血の滲むような努力と根性でねじ伏せたのだ。再び彼にそれを要求するのは何とも酷なことである。
「かと言って今のままだと北川君、いつか死ぬわよ」
「わかっています。だから……何とかしたいんですけど」
「難しいところね。でもとりあえず今は目先のことに集中しましょう。未確認第31号、いつまた動き出すかわからないしね」
「はい」
 留美の少し力無い返事を聞いた雪見は苦笑を浮かべると、彼女の背中をバンと叩いた。
「元気出しなさい! 北川君がちゃんと帰ってこられるようにフォローするのもあんたの仕事なんでしょう! だからしっかりしなさい!」
 雪見はそれだけ言うと作業室から出ていった。やらなければならないことは山のようにある。対第31号用の中和剤の完成とそれを封入した弾丸などの作成、前回の出撃時に破壊されてしまったフライトユニットの再開発、他にもPSK−03用の様々な装備の調整なども彼女の仕事だ。時間はいくらあっても足りないくらいなのだ。
 出ていった雪見を見送ってから留美はまた修理中のPSK−03を見やった。実のところ彼女はPSK−03を越えるものの開発に既に着手している。だが、その完成の為には現状の技術や素材では足りないのだ。それに装着員にかかる負荷も大きすぎる。下手をすればただ装着して戦闘をしただけで装着員は再起不能な程のダメージを負ってしまうだろう。
「もう……北川君にそんなことはさせられない」
 PSK−03の装着員として戦い始めた頃、彼がどれだけ傷つき、そして苦悩していたか。それを知っているだけに尚更彼に今まで以上の負担はかけられないと思う。
「今のままでやれるだけやるしかない……」
 その為には何をしなければならないのか。少なくてもこうして修理されているPSK−03を見ていることではないだろう。
 くるりと踵を返し、留美は歩き出した。この先戦っていく為にも今ある装備を駆使しなければならない。その為にも今あるデータを全て洗い直さなければ。そして見つけるのだ、PSK−03がこの先戦っていく為の方法を。

<都内某所・小さな森の中 06:27AM>
 朝靄に煙る森の中、空から舞い降りる一羽の白鳥。木々の間を縫って降り注ぐ朝日に照らされたその姿は神々しさすら感じられる。ただ、その大きさだけが普通ではない。人間くらいの大きさがある。
 地上に降り立った白鳥がその姿を人間のものに変えた。白いスーツに白いスカーフを巻いた美しい女性の姿へと。
 白いスカーフを巻いた女性は少しの間キョロキョロと何かを探すように周囲を見回していたが、目的のものが見つからなかった所為か、ゆっくりと歩き出した。だが少し歩いたところですぐに足を止める。
 その少し前の地面がいきなり盛り上がり、中から顔中泥だらけの男が姿を見せた。更に近くの木の上からするすると頭を下向きにして降りてくる男、地面に積もった落ち葉を巻き上げながら姿を現す男が次々と現れる。
「ロサレシャシィ・ジャゲガ?」
 男達を見回しながら白いスカーフの女性が尋ねると、彼女の背後から何の気配もさせず目つきの鋭い女性が姿を現した。
「マヲモ・ギョルジャ・ヌヴァヲ?」
 まるで相手をその視線で射抜かんとばかりに睨み付けながら目つきの鋭い女性が白いスカーフの女性に尋ねる。
「ニドラバ・ジョゴジャ?」
 目つきの鋭い女性の視線をさらりと受け流し、白いスカーフの女性が周囲を見回した。だが求める相手の姿はない。他の男達を見て皆知らないと言った風だ。
「ジェシェゴリ・ニドラ」
 白いスカーフの女がそう言うと近くの木の幹を食い破るようにして白蟻種怪人ニドラ・ゴバルが姿を現した。その体表のあちこちに爛れた跡が見て取れるがそれは既に単なる傷跡のようなもの、ダメージはほとんど回復している。
「マヲモ・ギョルジャ・ヌヴァヲ?」
 ニドラ・ゴバルが人間の姿にその姿を変えながら白いスカーフの女性に尋ねる。ただし、彼女を見るその視線はかなり険しいものだ。彼女のことを歓迎していないことがありありとわかる。
「ヴァヌデシャ・ヴァゲジェバ・ラリジャドルマ・ソルイガヲバ・ボショヲジョ・マリオ」
「ヴァガッシェリヅ・ラショマリヲミヲ・ショルーミシィソ・ラデタ・カルツヲジャ」
 ニドラ・ゴバルの変身した白いスーツ姿の男の視線をものともせず、白いスカーフの女性は鷹揚に頷いた。それからニドラ・ゴバル以上に険しい目をして周囲にいる男女を見回す。
「ヴァガッシェリヅマ・ニッタリバ・ニジャショ・リルゴション」
 それだけ言うと白いスカーフの女性はこの場にはもう用がないとばかりに歩き出した。一切振り返ることもなく、そのまま森の奥へと消え去ってしまう。
 その後ろ姿をその場に残された男女が忌々しげに見送っていた。

<警視庁未確認生命体対策本部 10:56AM>
 東京駅から消えた未確認生命体第31号の行方は未だに杳として知れなかった。プラットホームに開けられた穴の追跡調査も倉田重工第7研究所の協力の下行われたが、それはかなり離れた地上へと繋がっているだけでそこから先の行方の手がかりは残されていない。現在未確認生命体対策本部は所轄署の協力の下、穴の出口周辺を中心に警戒線を張っているところだった。
「しかしこんな事でいいのかねぇ?」
 未確認生命体対策本部が使用している会議室の中、椅子の背もたれに背を預けながら呟く国崎。
「何がですか?」
 国崎の呟きに応えたのは彼の隣で地図を広げている住井だ。未確認生命体対策本部きってのスタンドプレイヤーである国崎のお目付役として彼が今回もまたコンビを組まされているらしい。彼が一番国崎と馬が合うから、と言う理由もあるのかも知れない。何にせよ国崎の尻ぬぐいやら後始末やらフォローやらをやらされる彼自身には不幸なことなのだが。
 ちなみにこの会議室の中には二人しかいない。他の人員は全て警戒線周辺のパトロールに向かっている。この二人がここに残っているのはいざと言うときの為であるのと同時に国崎が勝手な独断行動を起こさないようにする為でもあった。もちろんそう命じたのは晴子である。
「もう第31号はどっか別のところに行っちまったかも知れないってのにな、今更非常線張ったって意味無いんじゃないかって思ってな」
「それはそうかも知れませんけど、他に第31号が何処に行ったか手がかりになるようなものもありませんし、仕方ありませんよ」
「それはそうと何で地図なんか広げてるんだよ?」
「ちょっと気になることがありまして……」
 そう言って住井は手に持った地図を国崎にも見えるようにする。
「この間の会議の時にも言いましたけど第31号は複数の路線が集まる駅をその犯行の現場として選んでいる節があるんですよ」
「そう言えばそんなこと言ってたな」
「はい。それで第31号が東京駅からの逃走に使った穴の出口がここになります」
 住井がボールペンで地図のあるところに×印を描いた。
「第31号がどれだけのダメージを受けたのかはわかりませんがそう遠くへ逃げた訳じゃないと仮定して」
 ×印を中心にくるりと円を描く。
「この範囲内で今までに第31号が現れた場所と同じ条件を満たす駅……」
 住井がそう言って地図のある一点を指差した。
「新木場か……」
 住井が指で示した駅の名前を国崎が読み上げる。
「あくまで可能性でしかありませんけど……次に奴が現れるとしたら」
「よし! それなら話は早い!」
 住井がまだ続けようとするのを遮るように国崎が言い、椅子から立ち上がった。椅子の背もたれに引っかけてあった背広を手に取り、会議室から出ていこうとする。
「ちょ、ちょっと! どこ行くんですか、国崎さん!!」
 会議室を出ようとする国崎を慌てて呼び止める住井。
「何言ってんだよ、お前は。奴が次に現れそうな場所の見当を今つけたんだろ? そこを重点的にパトロールしてりゃ奴に行き当たるじゃねぇか」
「あくまで現れるかも知れないってだけですよ!」
 面倒くさそうな顔をして言う国崎に住井が少し声を荒げる。今、国崎に勝手な行動をされては困る。そもそも彼の勝手な行動を諫める為のお目付役であり、それにもしも新木場ではなく別の場所に第31号が現れた場合の対応が遅くなる。助けられる命も助けられなくなってしまう。
「可能性が少しでもありゃ充分だ。それに付いて来いなんて言ってないぜ。俺一人で充分だしな」
 そう言ってニヤリと国崎が笑う。彼自身、自分がどうしてこの会議室に留め置かれているのかをよく理解している。それに住井がどうして付き合っているかも充分承知の上だ。わかっていて、あえてこの行動を取ろうと言うつもりらしい。
「一人でなんか行かせませんよ。その為に俺がいるんですから……わかりました! 付き合いますよ!」
 半ば自棄になったように住井はそう言い、椅子から立ち上がった。国崎と同じように椅子の背もたれに引っかけていた上着を手にすると、彼が待っている会議室の入り口へと向かう。
「大丈夫だよ。こっちには中和剤もあるし、あの殺虫剤カプセルもあるんだ。もし第31号を俺たちで倒してみろ。晴子さんも何の文句も言えないさ」
「何でそう楽観的なんですか……」
 エレベータへと向かう廊下を歩きながらそう言う国崎に対し、住井は何とも言えない不安を抱え、ため息をつくのであった。

<都内某所・薄暗い部屋の中 11:34AM>
 上半身裸の禿頭の大男が粗末な椅子に腰掛け、両の掌を開いたり握ったりしている。その背中から汗がまるで水蒸気のように立ち上っていた。足下には同じく汗が水溜まりを作っている。
「ガリブグ・ミシャガ?」
 いきなり聞こえてきたその声に禿頭の大男が振り返ると、この部屋の入り口となるドアのところに白いスカーフを首に巻いた女性が立っているのが見えた。
「何の用だ、ヌヴァヲ?」
 禿頭の大男が地の底から響くような低い声でそう言い、白いスカーフの女性を睨み付ける。この女性の登場をあまり歓迎はしていないらしい。
「マエ・カノンン・ゴドナマ・ガッシャ?」
 白いスカーフの女性は禿頭の大男の視線などものともしないと言う風に、少し居丈高な感じでそう尋ねた。自分はあくまでこの禿頭の大男よりも立場が上なのだと言うことを示すかのように。
 だが、禿頭の大男はそんな白いスカーフの女性をつまらなさそうな目で見返すだけだ。何も言わず、無言のままただじっと白いスカーフの女性を見つめるのみ。ぴくりとも動かず、無言で見つめるのみ。
「ヌゴチ! ゴシャレド!」
 禿頭の大男の沈黙に苛立ったように白いスカーフの女性が声を荒げる。それでも禿頭の大男は無言のまま。その目は相変わらず何かつまらないものを見るような感じだ。
 その視線に白いスカーフの女性はますます苛立ちを募らせていた。だが、必死にそれを押し殺す。ここで怒鳴り散らすのは簡単だが、それではこの禿頭の大男に何か負けてしまったような感じになってしまう。自分はこの男よりも上の立場なのだ。もっと寛容にならなければならない。そう思って必死に苛立ちを押し殺す。
 妙な緊張を孕んだ沈黙が両者の間に流れ、だがそれを嫌ったかのように先に破ったのはやはり白いスカーフの女性だった。
「何故カノンを殺さなかった?」
 少し辿々しいながらも白いスカーフの女性も先ほどの禿頭の大男と同じように日本語でそう尋ねた。彼女の視線には禿頭の大男を非難するかのような少し険しいものがある。
 その視線を受けながらも禿頭の大男は口元にニヤリと笑みを浮かべた。
「フフフ……やれば出来る、か。郷に入りては郷に従えと言う言葉がある。ビサンの言葉だ。今の時代に生きる以上ビサンの言葉を使えるようになっておく必要はあるだろう?」
「質問に答えろ、ヌゴチ。何故カノンを殺さなかった? お前の役目はカノンを殺すことだったはずだ」
 禿頭の大男の言葉にまた苛立ちを覚えながらも、それでもぐっとその感情を押し殺す白いスカーフの女性。
「我が役目はゼースの邪魔をする者を排除することだ」
「カノンこそがゼースの最大の邪魔者。奴を排除することこそ奴を殺すことに他ならない」
「要はゼースの邪魔をさせなければいいだけのこと。我はゼースに参加出来ぬ。故に殺しはせん」
「貴様! 戯れ言を!」
 もはや我慢ならぬとばかりに白いスカーフの女性はその姿を人間のものから白き翼を持つ白鳥の怪人のものへと変える。ヌヴァヲ・シィチナ。白鳥種怪人。一見すると戦闘力など無さそうだが、その身には今目の前にしている禿頭の大男の真の姿、蠍種怪人ヌゴチ・ゴクツに匹敵する戦闘能力を秘めているのだ。
 今にも飛びかかってきそうなヌヴァヲ・シィチナを前に禿頭の大男はゆっくりとした動作で椅子から立ち上がった。そしてやはりゆっくりとした動作で両手を広げていく。それは自分に敵対する意思がないことの証明。
「聞け、ヌヴァヲ。現世のカノン、奴は我らが知っているカノンの誰よりも弱く、そして強い。しかし、その強さも我には及ばん。我がいる限り現世のカノンがゼースの邪魔をすることは決して出来ん」
「その言葉に偽りはないな?」
「戦士の誇りに懸けて」
 至って真剣な表情で禿頭の大男が言い、それを聞いたヌヴァヲ・シィチナは白いスカーフの女性の姿に戻って大きく頷いた。
「ニドラがゼースを再開する。カノンだけではない。何者にもゼースの邪魔をさせるな」
 白いスカーフの女性の言葉に今度は禿頭の大男の方が頷く番だった。無言で、だがその口元には笑みが浮かんでいる。ゼースが始まれば確実にカノンが姿を現すだろう。かつて自分たちを封印した時のカノンよりも弱いが、その代わり頭はいい。力で負ける部分を頭で補うタイプ。前回は決着がつけられなかったが今度こそは。そう思うと今から期待に胸の奥が熱くなってくる。
「現世のカノン……楽しみだぞ、お前と再び相見える時がな」

<都内某所・教団施設内部 11:45AM>
 誰もいない白い通路を一人の細身の男が歩いている。サングラスで表情は読みとれないが、その足取りは軽く今にも鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だ。
「随分と上機嫌そうですね」
 いきなりかけられた声は女性のもの。男が足を止めゆっくりと振り返るとそこには教団東京支部の幹部の一人、鹿沼葉子が立っていた。その顔には何の表情も浮かんでいない。声をかけてきたのも偶々だろう。実のところ、男と葉子はほとんど面識がないのだから。
「これこれはお珍しいですね。まさかあなたの方から声をかけていただけるとは」
 わざとらしい程仰々しい態度で頭を下げるサングラスの男。
 だが葉子はそんな態度の彼を見ても眉一つ動かそうとはしない。無表情にサングラスの男を見つめている。
「一体何処へ行くつもりですか? あなたには確か待機命令が出ていたと思いますが」
「もう待ちくたびれたんですよ。それに少しは運動をしておかないと身体が鈍って仕方がない。そうなってはいざと言う時にお役に立てないでしょう?」
 サングラスの男はそう言ってニヤリと笑った。だがその笑みは上辺だけのこと。胸の奥では葉子が一体何の為に自分を呼び止めたのかが気になっている。
「”聖戦”は既に始まっています。勝手な行動は慎んで頂きたいのですが」
「あなた方のその”聖戦”とやらに支障が出るような行動はしませんよ。そうですね、少し挨拶をしてくるだけですよ」
「挨拶?」
「ええ、私が健在だと言うことを……カノンやアインにね」
 それだけ言うとサングラスの男はもうこの場には用はないとばかりに歩き出した。
 その後ろ姿を葉子は未だ無表情のまま見送っている。と、彼女の背後にすうっと一人の少年が姿を見せた。それと同時に葉子の身体が急に力を失ったようにその場に崩れ落ちる。
 彼女の身体を受け止めつつ、少年はじっとサングラスの男が歩き去っていった廊下を見つめていた。その顔には何か険しい表情が浮かんでいる。
「あれが……そうなのか?」
 何処へともなく少年の口から呟きが放たれる。疑問系、質問の形を取ったその言葉に応えるものは誰もいない。この廊下にある人影は彼と彼が受け止めている葉子の二つしかないからだ。
「そう……あれが哀れな妄執の生み出した不完全なカノン……どっちかと言うとアインの方に近いのかな?」
 少年の問いに答えるように、どこからともなくそんな声が聞こえてきた。同時にどこからともなく黒いタートルネックのサマーセーターを着た少女が現れた。
 真っ白い空間にぽっと現れた黒い少女。明らかな違和感を感じさせるというのに少年はそんなことなどどうでもよさそうに黒い少女の方を振り返る。
「あれの存在を君は許すのかい?」
「どのみちあれは不完全体だよ。それにそう長くは保たないだろうし……それよりも何か楽しいことをしているみたいだね、君も」
 黒い少女がその身に纏っている雰囲気とはちぐはぐな笑みを浮かべてみせた。彼女が纏っている雰囲気、それは何処か深く暗い闇を思い起こさせるもの。だがその顔に浮かんでいる笑みはまるで太陽のような無邪気な笑み。明らかに相反している。
 少年はそんな少女に少し嫌そうな顔を見せた。あからさまな不快感。それが見て取れる表情をしてみせる。
「そんな顔してどうしたの?」
 黒い少女は少年の不快そうな表情に気付いていながらも、わざとらしくそう尋ねてきた。少年が一体何に対して不快感を感じているのかわかっていてやっている。何とも嫌味なことだ。
「ところでここの連中、君を苦しめているみたいだね。助けてあげようか?」 
 不意に黒い少女の顔から笑みが消え、代わりに冷酷な表情が浮かんだ。少年の返答如何によってはここを叩き潰し、皆殺しにしてもいい。そう言った感情が伺い知れる表情。そして少年はこの黒い少女がそれを出来るだけの力を持っていることを知っている。
「君らしくないな。本当の目的は何だい?」
「やっぱり君を助けるって口実はダメ? まぁ、本当のことを言うとここの連中のやっていることが気に入らないってところかな」
 少年の質問に対し、黒い少女は一瞬だけまた無邪気な笑みを浮かべてみせた。だが、すぐにその笑みは消え、何とも不敵な表情を浮かべる。
「彼らがやっていることは……」
「だからだよ。だからこそ気に入らない。ここの連中は神にでもなろうとしているんじゃないの?」
 今度は相手を馬鹿にしたような、呆れたようなそんな表情。だが同時に何処か自嘲するような表情でもあった。
「人は神にはなれないんだ。そのことを思い知らせてあげようかと」
「それをやるのはこの僕の仕事だ。その為に僕はここにいる」
「そうだったんだ。だからこんなところにいるのかぁ。てっきり逃げ出せないんだと思ってたよ」
「それもあるけどね。とにかく君がここに手を出す必要はないよ」
「ふぅん……それじゃ見学させて貰うよ。是非とも面白い見せ物になることを祈ってるね」
 苦笑を浮かべて言う少年の顔を少しの間黒い少女は見つめていたが、やがてニヤリとした笑みを口元に浮かべてそう言うと、現れた時と同じようにすぅっとその姿を消していく。まるで幻であったかのように黒い少女の姿が消え失せ、周囲が再び静寂に包まれる中、葉子の身体を抱き留めていた少年が小さくため息をついた。
「やれやれ……そんなに時間は残ってないってことか」
 彼のその呟きは周りの白い空間へと吸い込まれるように消えていく。

<江東区新木場 12:19PM>
 あちこちに張られている警察の非常警戒線を器用にかわしながら新木場の駅前までやって来た国崎と住井は乗ってきた覆面車の中で周辺を警戒しながら車内でパンなどかじっていた。
「しかし本当に現れるかねぇ?」
 パンをかじりながら国崎が言う。会議室にいるよりはマシかと思ってこうして飛び出してきたのだが、本当に第31号がこの場に現れるのかどうかはわからない。住井の推理に従って比較的可能性の高そうなここにやってきたのだが、こうしていつ現れるかわからない未確認生命体を待っているだけというのは正直苦痛に他ならなかった。
「あくまで可能性があるって言うだけですからね。別の場所に現れる可能性だってありますよ」
 コーヒーを飲みながら応える住井。
「もし他の場所に現れでもしたら晴子さんに合わせる顔無いな〜」
「考えると恐ろしくて……」
 二人揃って脳裏に怒りまくった晴子の顔を思い浮かべ、げんなりとしたため息をつく。と、そんな二人の前を真っ白いスーツを着た男が通り過ぎていった。住井は興味なさそうに通り過ぎている男を見送っただけだったが、国崎は何かに気付いたように男の姿を目で追っていた。
 白いスーツ姿の男が駅の方へ入っていくのを見届けると、国崎は持っていたパンの袋を丸めて住井に手渡し、自らは覆面車を降りていく。そして慌ただしい足取りで白スーツの男を追うように駅の方へと歩いていった。
 あまりにも唐突な国崎の行動に住井は目を丸くするばかりだ。だが、一人で出ていった国崎をそのままにしておくわけにもいかない。彼を追いかけるように自分も覆面車から降りる。
「国崎さ……!!」
 国崎の姿を探して駅の方に走り、彼の姿を見つけて声をかけようとした住井だが、すぐにその言葉を飲み込んだ。国崎が真剣な表情で白スーツの男と対峙していたからだ。
 白スーツの男は忌々しげな顔をして国崎の方を睨み付けている。どうやらこの白スーツの男は国崎のことを知っているらしい。その表情からするとあまりいい関係でも無さそうだが。
「く、国崎さん?」
 恐る恐ると言った感じで国崎に声をかけながら彼の方に近寄ろうとする住井。
 国崎はチラリと近寄ってくる住井を見ると、さっと手を出して彼を止めた。それから対峙している白スーツの男の方を指で示す。
「ま、まさか!?」
 白スーツの男を指差す国崎の顔からこの白スーツの男が何者であるかを悟り、住井は信じられないと言う顔をする。まさかこの白スーツの男が未確認生命体第31号だと言うのか。確かに未確認生命体は人間体への変身能力を持っているが、ここまで堂々と現れるとは思ってもみなかったのだ。
 思わず懐に手を突っ込んで拳銃を取り出そうとする住井だが、周囲には何も知らない人達が大勢いる。一体何事かと白スーツの男と黒いスーツ姿の国崎を取り巻くようにしている。下手をすればその人達を巻き込んでしまうかも知れない。それ以前にこんなところで拳銃など取り出したらパニックが起こるだろう。
 果たしてどうすればこの場にいる何の関係もない人達を無事に外に逃がすことが出来るのか。周囲を見回し、何か無いかと探していた住井の目に火災警報機が飛び込んできた。
「上手く行ってくれよ」
 祈るように呟き、火災警報機の側に駆け寄った住井は思い切りボタンを殴りつけた。すぐさま駅中に鳴り響く非常ベル。
 突然鳴り始めた非常ベルにその場にいた人々がざわめきだした。住井はすぐさま駅員の方に駆け寄り、持っていた身分証を見せて手短に事情を話し協力を要請する。一瞬戸惑ったような顔を見せた駅員だが、この場に未確認生命体がいると知ると急に青ざめ、首を大きく縦に振った。
『え、駅構内にいる皆さん! ただいま火災が発生しました! 速やかにこの駅から……』
 少し慌てたような口調で駅員が駅内に放送をかける。それを聞きながら住井は国崎と白スーツの男の方に目を向けていた。周りが駅員による火災発生に放送に大騒ぎになっているのに対し、その二人だけはまるでそんな騒ぎの中から切り離されたように静かに対峙し続けている。
(あいつが……本当に第31号なのか……?)
 今更ながらそう言う疑問が思い浮かぶ。だが、一度東京駅で第31号と対峙したことのある国崎がそう断じているのだ。彼の勘違いと言うこともあり得るが、それならどうして睨み付けられている白スーツの男が逃げようとしないのかという疑問が出てくる。まぁ、国崎はかなり目つきが悪い方だから、そんな彼に睨み付けられて怖くて動けないと言う可能性もないではなかったが。
 しばらく見ていると、突然白スーツの男が逃げまどう人々の中へと走り出した。
「野郎! 逃がすか!!」
 怒鳴るようにそう言って国崎が白スーツの男を追って走り出す。更にそれを見て慌てて住井も国崎の後を追った。だが、すぐに思い直したように足を止めると逆の方向へと走り出す。
 駅の外に止めっぱなしになっている覆面車の元へとやってくると車内に搭載してあったアタッシュケースを取り出した。中に入っているのは前回第31号を撃退するのに大いに役立った殺虫剤入りカプセル。前回は通常の殺虫剤を三十倍にまで濃縮したものだったが今回は更に五十倍にまで濃縮している。三十倍でもかなりの効果があったのだから今回の五十倍のものならばより効果があるだろう。
 更に続けて後部座席に無造作におかれてあったライフルケースを引っ張り出す。中に入っているのは未確認生命体対策本部の面々が使用するライフルだ。勿論通常のものよりも強化されており、使用する弾丸も様々なものが特別に用意されている。普段は炸裂弾と言う威力の強化に主眼がおかれた特殊弾丸が使用されているが、今回は第31号が白蟻の怪人であると言うこと、そしてその武器が強力な蟻酸だと言うことでその蟻酸に対する中和剤の込められた弾丸が用意されていた。
「あれが本当に第31号なら……」
 小さくそう呟くと住井はアタッシュケースとライフルケースを手に、国崎のいるであろう方向に向かって走り出した。
 その頃、駅から出た白スーツの男と国崎は南の方へ南の方へと移動していた。千石橋を越え、更に南下していく。
「この野郎、待ちやがれ!」
 吠えるようにそう言って懐から拳銃を取り出す国崎。走りながら前にいる白スーツの男に狙いを定め引き金を引く。
 放たれた弾丸は正確に白スーツの男の背に命中し、白スーツの男がその場にバタリと倒れる。それを見た国崎は更に速度を上げて白スーツの男の側へと駆け寄った。
 白スーツの男は国崎が近付いて来てもぴくりとも動かない。もしかしたらこの白スーツの男は未確認生命体じゃなかったのかも知れないな、と少々不安に思いながら男の方を覗き込んでみる国崎。
 倒れている男の背中にある銃痕。そこからは血が流れていない。それを国崎が確認したまさにその時、倒れていた白スーツの男がいきなり立ち上がり、更にその姿を未確認生命体第31号、白蟻種怪人ニドラ・ゴバルへと姿を転じながら振り返ってくる。
「テメェ! やっぱりか!!」
 そう言って国崎が手に持っていた拳銃をニドラ・ゴバルに突きつけようとするが、それよりも早くニドラ・ゴバルがその手を払いのけた。その容赦のない力に国崎の手から拳銃がこぼれ落ちる。
「なっ!? ぐおっ!?」
 国崎が驚きの声をあげるのと同時にニドラ・ゴバルが彼を突き飛ばす。
 地面に尻餅をつく国崎を見てニドラ・ゴバルがニヤリと笑い、その口を開いた。そこから吐き出す強力な蟻酸で彼を溶かしてしまおうと言うつもりなのか。
 今にもその口から蟻酸が吐き出されようとしたその瞬間、銃声が轟き、ニドラ・ゴバルがよろけた。続けて二発三発と銃声が響き渡り、その都度ニドラ・ゴバルがよろけて少しずつ国崎から離れていく。
 呆然としていた国崎だが、駆け寄ってくる足音に気付いて振り返ってみた。
「大丈夫ですか、国崎さん?」
「ああ、助かったぜ、住井」
 ライフルを片手に国崎の側に駆け寄ってきたのは住井であった。ようやく追いついてきたらしい。
 ライフル弾の直撃を受けてよろけていたニドラ・ゴバルだったが、すぐに体勢を整え直すと未だに尻餅をついている国崎と新たに現れた住井に向かって口内の蟻酸を噴きつけていった。
「うわぁっ!!」
 二人がニドラ・ゴバルの噴き出した蟻酸をまともに浴び、その蟻酸の威力を知っている国崎が悲鳴にも似た声をあげる。だが、その一方で住井は平然とした顔をして立っていた。
 少しの間ニドラ・ゴバルはニヤニヤした表情を浮かべていたが、いつまで経っても二人に何の変化も起こらないので首を傾げ始めた。そして、突然苦しそうに身体を九の字に折り曲げ、地面に膝をついてしまう。更に先ほど蟻酸を吐いた口からは涎のように透明な泡を噴き出していた。
「な、何だ……?」
 突如苦しみだしたニドラ・ゴバルを見て国崎が疑問の声をあげる。
「中和剤、どうやら上手く効いたみたいですね」
 ちょっとホッとしたように呟く住井。手にしているライフルに装填されている中和剤入りの弾丸がその効力を発揮していることに安心しているらしい。どうやら本当に効果があるのか少し不安に思っていたらしい。
「流石は科警研、いい仕事してますね」
 先ほどの発言から今一つ中和剤入りの弾丸の効果を信じていなかったっぽい住井をジロリと睨み付けてくる国崎に白々しい口調で、あからさまに視線を逸らしながら住井はそう言った。
「何にせよチャンスですよ、国崎さん! 今なら奴の蟻酸は無効化されています!」
「そ、そうか! よし!」
 国崎は住井の言葉に頷くと先ほど振り払われた拳銃を拾い上げ、立ち上がった。
(こいつで奴にどれだけのダメージが与えられるかってのが問題だけどな)
 自分の拳銃を見つめてそんなことを考える国崎。だが、すぐに顔を上げ、拳銃の銃口を未だ膝をついて苦しんでいるニドラ・ゴバルに向ける。
 その間に住井はライフルの他に持ってきていたアタッシュケースの中から五十倍濃縮の殺虫剤入りカプセルを取り出していた。
「国崎さん、これを」
 そう言ってカプセルを国崎に放り投げる住井。それを国崎が受け取るよりも先にニドラ・ゴバルが起き上がり、カプセルをその手で叩き落としてしまう。
 地面に落ちたカプセルが割れて、中から白い霧のように殺虫剤が噴き出した。それを見て慌てて口元を手で覆って後ろに下がる国崎。五十倍にまで濃縮されている殺虫剤だ。人間だって吸い込めばダメージになる。
「うわぁっ!!」
 白い霧のように殺虫剤が広がり、その視界を覆ってしまった中、住井の声が聞こえてきた。
「住井!? どうした!?」
 殺虫剤の霧越しに国崎が声をかけるが住井の返事はない。
「くそ!」
 何が起こったかだいたいの見当をつけながら国崎は意を決して殺虫剤の霧の中に飛び込んだ。片手で口を覆い、もう片方の手で白い霧を振り払いながらその霧の中を抜けると住井が地面に倒れていた。
「住井!!」
 そう言って住井の側に駆け寄る国崎。だが、彼は単に殴り倒され気を失っているだけだった。それを知って安心した国崎はポケットの中から携帯電話を取り出した。メモリーからとある番号を呼び出し、通話ボタンを押す。
『……晴子さんか? 第31号が現れた! 場所は……』

<倉田重工第7研究所 12:49PM>
 未確認生命体第31号出現の報はPSKチームの所属する倉田重工第7研究所にも即座にもたらされていた。
「PSK−03は出られますか?」
 第7研究所の所長である倉田佐祐理がいつになく真剣な表情を浮かべて尋ねる。相手は勿論PSKチームのリーダーである七瀬留美だ。
「まだ修理が終わっていません。現時点での出撃は非常に危険です」
「何言ってるんですか、七瀬さん! 危険は承知の上です! 行きましょう!」
 横から口を挟んできたのはPSK−03の装着員である北川 潤。
 その彼の顔をジロリと睨み付ける留美。
「今のPSK−03は通常時の半分以下の性能しか出せないわ。それでもいいの? 下手をしたら死ぬのはあなたなのよ?」
「……あいつは……いつだって生きるか死ぬかの瀬戸際で戦ってたんだ。俺はあいつと肩を並べたい」
 潤は静かに、だが決意の籠もった口調でそう言い、留美の顔を見返した。彼の言う”あいつ”というのが一体誰のことであるか、この部屋にいる者でわからない者はいない。未確認生命体第3号、知っている者は戦士・カノンと呼ぶ存在。
「彼とあなたは違うわ」
「わかってます。でも、だからこそ俺は」
 そう言った潤の瞳に固い決意を見て取った留美は小さくため息をついた。もはや何を言っても彼の決意を翻すことは不可能だろう。ならば後はこちらが全力でバックアップするだけだ。
「わかったわ。そこまで言うのなら出動しましょう。でもさっきも言った通りPSK−03の修理はまだ終わってないわ。いつもの半分以下の力しか出せないけどいいわね?」
 留美の言葉に潤が力強く、しっかりと頷いた。
 それを見てから留美は佐祐理の方を振り返る。
「そう言うことになりましたので。これより出動します」
「わかりました。充分気をつけてくださいね」
 少し心配そうな、だがそれでも笑顔を浮かべて佐祐理がそう言った。もはや彼女に出来ることなど何もない。PSKチームの皆が無事に帰ってくることを祈るぐらいしか佐祐理には出来ないのだ。だからこそ彼女は笑顔で彼らを見送る。一人として欠けることなく無事に彼らが帰ってくると信じて、笑顔で彼らを送り出すのだ。

 第7研究所内の地下駐車場にあるPSKチームの移動指揮所であるKトレーラーの側には雪見が留美と潤の来るのを今か今かと待っていた。その二人が駐車場に姿を見せると、雪見は大きく手を振って二人を急がせた。
「どうしたんですか深山さん?」
 潤が雪見に声をかけると、彼女はニンマリと笑って手に持っていたアタッシュケースを掲げて見せた。
「それは?」
「第31号が出たなら絶対に行くだろうと思ってね。ちょっと急がせたのよ」
 そう言ってアタッシュケースを開いてみせる。中にはブレイバーバルカンやガンセイバーに使用している特殊弾丸が入っている。更には一本のナイフが納められていた。
「科警研から貰った中和剤のデータから作った特製の中和剤入りの弾丸。ブレイバーバルカンで使う程の量は間に合わなかったけどガンセイバーで使うなら問題ないはずよ」
 続けて雪見がナイフの方を指差す。
「こっちのナイフなんだけど、これには前回警察が使った殺虫剤を濃縮したものを柄の中に詰め込んでいるわ。一応通常のものよりも五十倍に濃縮してあるから効果はきっとあるはずよ。上手くこれを第31号に突き刺すことが出来たらこの柄の後ろを押して。そうすればナイフの刀身から殺虫剤が直接体内に投与出来るわ」
「わかりました。使わせて貰います」
 雪見の手からアタッシュケースを受け取り、潤が頭を下げる。
 PSKシリーズの様々な装備を開発してきた雪見。彼女の開発したものに助けられたことは何度もある。たまに妙なものも作ったりするが、その大半は信用がおけるものだ。だから今回もきっと役に立つはず。
「北川君、行くわよ!」
「はい!」
 先にKトレーラーに乗り込んでいた留美が潤を急かすように声をかけてきた。慌てて潤もKトレーラーに乗り込んでいく。
 雪見が見ている前でKトレーラーが未確認生命体第31号の元へと発進していった。

<江東区夢の島 13:12PM>
 未確認生命体第31号が出現した新木場へと続く道を祐一はロードツイスターで疾走していた。国崎からの連絡を受け、「お昼時だってのに」とブツブツ文句を言うマスターを瑞佳に任せて喫茶ホワイトから飛び出してきたのだ。
(また奴が現れるかも知れない……その時はどうすればいい?)
 前回自分の行く手を遮った強敵、蠍種怪人ヌゴチ・ゴクツ。カノンのほとんどの攻撃が通じず、必殺のキックすら耐えきった恐るべき敵。
 この未だかつてない強敵に対する策は今の祐一にはない。何せ前回どうやって追い払ったのかすら覚えていない程なのだ。どうやってこの怪物の手をかいくぐり第31号の元へと行くことが出来るのか。今は奴が自分の前に現れないことを祈るばかりだ。
 だが、そんな彼の思いとは裏腹に走るロードツイスターの前方、夢の島大橋のど真ん中に一人の禿頭の大男が立っているのが見えた。
「あいつは……!!」
 急ブレーキをかけ、ロードツイスターを停止させる祐一。あの禿頭の大男には見覚えがある。あいつこそが前回彼を苦しめたヌゴチ・ゴクツの人間体に他ならない。あの姿のままでロードツイスターの突進を受け止め、且つ逆に投げ飛ばしてしまう程の膂力の持ち主。下手な小細工は一切通用しないだろう。
「やるしか……ないか!」
 意を決して祐一は腰の前で両腕を交差させた。勝てる見込みはない。それでも奴を倒さなければ先に進むことは出来ないだろう。そう思いながら交差させた腕を胸の前まで上げ、左手を腰まで引き、残った右手で空に十字を描く。
「変し……」
 そこまで祐一が言いかけた時だった。突然彼の周囲にぴかぴか光るものが降り注いできた。
「何だ?」
 突然降ってきたものに思わず周囲を見回してしまう祐一。と、その背中を何者かが突き飛ばした。
「うわっ!!」
 ロードツイスターから叩き落とされ、地面の上を転がる祐一。素早く顔を上げ、自分を突き飛ばしたものの正体を見ると、そこには極彩色の羽を持つ怪人がロードツイスターの上に立っていた。
「相沢祐一! いや戦士カノン! お前には死んで貰う!」
 やけに甲高い声でそう言い、その怪人が倒れている祐一に飛びかかって来た。
「この! 俺の邪魔をするな!」
 地面を転がり、怪人をかわした祐一は転がった勢いを利用して起き上がると再び右手で空に十字を描いた。
「そうはさせん!」
 変身しようとする祐一を見て怪人が再びその背の極彩色の羽を広げた。そしてその羽を大きくはためかせる。するとその羽からぴかぴか光るものが飛び、祐一の方へと飛んでいく。
 そのぴかぴか光る何かを浴びた祐一の手が急に震え始める。
「な、何だ?」
 震えは少しも止まらない。それどころか段々腕から力が抜けていくではないか。いや、腕だけではない。震えは全身に広がり、身体中から力が抜けていく。
「ま、まさか……」
 そう呟きながら祐一は正面に立つ極彩色の羽を持つ怪人を睨み付けた。
「フハハハハ! 今頃気付いたか! この毒鱗粉、お前の体の自由を奪うだけではないぞ! お前の命も奪うのだ!!」
 極彩色の羽を持つ怪人――毒蛾人間が相変わらず甲高い、気に障る声で笑う。毒蛾人間の羽から放たれたぴかぴか光るもの、それは毒の鱗粉。それが祐一の体の自由を奪い、その力をも奪っているのだ。
「くっ……」
 相手の特殊能力に気付いてももはや手遅れだった。既に全身に毒鱗粉を浴び、祐一は酷い脱力感に苛まれながら地面に倒れてしまう。立ち上がることはおろか頭を毒蛾人間の方に向けることすらままならない。
「相沢祐一! 貴様の命はこの俺様が貰った! お前も折原浩平のように地獄に堕ちるがいい!」
 毒蛾人間は勝ち誇ったようにそう言って倒れている祐一の側へと歩み寄ると、その頭を思い切り踏みつけた。ぐりぐりと地面に擦り込むように足に力を込めていく。
 毒鱗粉により身体中の力が抜けている祐一はなすがままだ。悔しそうに歯を噛み締めることすら出来ない。
「フハハハハハッ!!」
 甲高い、勘に障る声で笑う毒蛾人間。と、突然その笑いが途切れ、毒蛾人間の身体が大きく宙を舞う。
「ぐおっ!?」
 アスファルトの地面に上に叩きつけられた毒蛾人間だが、すぐに起き上がり自分を吹っ飛ばしたものを睨み付けた。
「な、何をする、貴様!」
「黙れ」
 毒蛾人間を突き飛ばした禿頭の大男が地の底から響くような低い声で言う。その声に含まれた威圧感は並のものではない。毒蛾人間も思わず黙り込んでしまう。
「無粋な奴め。貴様、何処のものだ?」
「……どうやらお前はヌヴァラグの者だな。我らは貴様らよりもより進化した存在! 貴様らヌヴァラグは我らにひれ伏すがいい!」
 少しの間禿頭の大男をじっと見ていた毒蛾人間だが、やがてニヤリと笑うとそう言って背中の羽を広げた。祐一と同じく毒鱗粉の餌食にしようと言うつもりなのだろう。
「どうやら貴様は新たに生み出された者のようだな。ならば貴様に戦士の誇りなどないと言うことにも理解が及ぶ」
 禿頭の大男はそう言ってその姿を転じ始めた。人間の姿から蠍種怪人ヌゴチ・ゴクツへと。
「貴様に身をもって教えてやろう、戦士の誇りと言うものを」
 ヌゴチ・ゴクツはそう言うと毒鱗粉を全身に浴びながら、まったくそれを意にも介せずに毒蛾人間に突っ込んでいく。唸りを上げて右手のハサミが毒蛾人間に襲い掛かるが、毒蛾人間は素早く宙へと舞い上がり、その一撃をかわす。
「たいしたものだな。我が毒鱗粉を受けてそこまで動けるとは。だがそれもいつまで保つかな?」
 空中から更に毒鱗粉をヌゴチ・ゴクツに向かって降らせる毒蛾人間。
 ヌゴチ・ゴクツは毒鱗粉を全身に受けながらも空中にいる毒蛾人間をじっと睨み付けている。流石のヌゴチ・ゴクツと言えども空を飛ぶことは出来ない。おそらくだがその体重が重すぎてジャンプしても毒蛾人間には届かないだろう。だからただじっと見ているだけなのか。イヤそうではあるまい。何かを考えているのだ。
 倒れている祐一だったがそれくらいのことはわかった。何かを企んでいる。この蠍種怪人は何かを企み、じっとタイミングを待っているのだ。
 と、いきなりヌゴチ・ゴクツが片膝をついた。遂にその身に浴びた毒鱗粉の影響が出てきたのか。それを見た毒蛾人間がまた甲高い声で笑い出す。
「フハハハハ! ヌヴァラグと言えどやはり同じ! 我らの前にはただひれ伏すのみ!!」
 そう言いながらゆっくりと地上に降りてくる毒蛾人間。毒鱗粉の影響が出た時点でヌゴチ・ゴクツと言えどももはや敵ではないと思ったのだろうか。
「何が戦士の誇りだ! 笑わせるな! そのようなものなど我らが力の前には何の役にもたたん!」
 毒蛾人間がそう言って更に高らかに笑う。
 だが、その次の瞬間、毒蛾人間の笑い声が止まった。その口からは笑い声の代わりにどす黒い血が噴き出す。
「な、何だと……?」
 だらだらと口からどす黒い血を流しながら毒蛾人間が驚きの声を漏らす。その腹には深々とヌゴチ・ゴクツの後頭部から伸びた蠍の尾が突き刺さり、その背へと貫通していた。
「き、貴様、我が毒鱗粉が……」
「この様なもので我が動きを止めることは出来ん。我は戦士、如何なる毒も我が身には通用などせん」
 ヌゴチ・ゴクツはそう言いながら頭を巡らし、毒蛾人間の腹から蠍の尾を引き抜いた。継いで地を駆け、毒蛾人間の脇を走り抜けながら右手のハサミを一閃させる。
「戦士の誇りを汚した者には死あるのみ」
 その声を受け、毒蛾人間の上半身と下半身が真っ二つに別れる。一瞬遅れて起こる爆発。それを見ながらヌゴチ・ゴクツが倒れている祐一の方へと振り返った。
「無様なり、現世のカノン。あのような輩の術中にはまるとはな」
「くっ」
 何とか起き上がろうとする祐一だが未だ彼の体には毒蛾人間の毒鱗粉の効力が残っている。力がまったく入らない。立つことはおろか起き上がることすら出来ない。
「貴様のそのような無様な姿、見るに耐えん。我がその命、断ってやろう」
 ヌゴチ・ゴクツがそう言って倒れている祐一の側へと一歩一歩歩み寄ってくる。今攻撃を受けたら一溜まりもないだろう。何とか逃げなければと思うのだが、やはり身体は動かない。指一本でさえもぴくりとも動かないのだ。
 このまま為す術もなくやられるのか。目の前に立つヌゴチ・ゴクツの姿を見て、祐一は悔しそうに歯を噛む。その力すら弱々しいのが何とも腹立たしかった。
「苦しまずに死なせてやる。それが戦士としての我の手向けだ」
 倒れている祐一を見下ろしながらヌゴチ・ゴクツがその手を振り上げた。アスファルトの道路を軽々と穿つことの出来る力を持つその手が振り下ろされれば祐一の頭など簡単に粉砕されるだろう。それこそ痛いとか苦しいとか思う暇すらなく、だ。
(クソ、ここまでか!)
 身体の動かないこの状況ではもはやどうすることも出来なかった。こんな不甲斐ない最期を遂げると言うことに悔しい思いをしつつ、それでも覚悟を決めて目を閉じる。
「やれやれ、そんなところで諦めて貰っては困るんですがねぇ」
 突然そんな声が聞こえて来、ヌゴチ・ゴクツは今にも振り下ろそうとしていた手を止めて声の聞こえてきた方を振り返った。
 そこにいたのはサングラスをかけた細身の男。彼のすぐ後ろには車高の低いアメリカンバイクが止められている。
「フフフ……お久し振りですねぇ。私のこと、まだ覚えているでしょう?」
 サングラスの男はヌゴチ・ゴクツのことを無視して倒れている祐一に話しかける。その口調は何処か人を食ったような、そんな感じのもの。そして祐一はその口調、男のその容姿に見覚えがあった。
「お前は……!!」
「どうやら覚えて貰えていたようですね。フフ、なかなか面白い場面ですが……こう言う時、彼ならこう言うんでしょうねぇ、きっと」
 そこまで言ってサングラスの男は一度咳払いをした。次に口を開いた時、男の口からはまったく別人のものとわかる声が飛び出してきた。
「さて、真打ち登場ってな」
 言ってから面白そうに笑い出すサングラスの男。その声は元の男のものに戻っている。
「フハハハハ! 傑作ですね、これは。あのキザな折原浩平の言いそうなことでしょう?」
 何がそんなに面白いのか、サングラスの男が笑い続ける。
 その様子を祐一にとどめを刺す邪魔をされた形のヌゴチ・ゴクツが苛立たしげに見つめていた。
「貴様、何者だ?」
 相変わらずの低い声で誰何すると、サングラスの男は笑うのを止めてマジマジとヌゴチ・ゴクツの方を見た。まるで今、そこにヌゴチ・ゴクツがいるのに気付いたかのように。
「へぇ……一体あんたが何者かは知りませんが人に名を尋ねる時はまず自分から、と言う常識を知らないようですねぇ」
 馬鹿にしたようにそう言うサングラスの男をヌゴチ・ゴクツがジロリと睨み付けるが、サングラスの男はその視線を受けてもその態度は崩さない。
「我が名はヌゴチ・ゴクツ。ヌヴァラグの誇り高き戦士」
「フフッ、では私もお答えしましょう。我が名はキリト、またの名をオウガ」
 名乗りながら男はかけていたサングラスを外していく。
「悪いんですがね、カノンは私の獲物。あんたに殺させるわけにはいかないんですよ」
 キリトは外したサングラスを胸ポケットに納めると大きく両手を円を描くように回し、腰の前で拳を合わせた。そこに浮かび上がるのは中央に宝玉を持つベルト。続けて両腕を前に突き出し、素早く顔の前で交差させてから一気に左右に振り払う。
「変身ッ!!」
 ベルトの中央の宝玉が光を放ち、その光の中キリトの姿が変わる。紫の鬼、戦士・オウガへと。
「ほう……貴様も戦士か」
 面白い、とでも言いたげな顔をしてヌゴチ・ゴクツが身構えた。今のカノンを相手にするよりもこの新たに現れたオウガとか言う戦士を相手にする方が何倍も楽しそうだ。先ほど非常に不愉快でつまらない奴をこの手で屠っただけに、その思いは尚一層強まっている。
「フフフ……遊んでやりましょう、少しの間だけね」
 オウガはそう言ってからチラリと祐一の方を見やった。
「さて、その前に」
 ゆらりとまるで陽炎が揺らめくようにオウガの身体が揺れ、次の瞬間にはオウガの姿が祐一のすぐ側へと移動する。
「ぬう!?」
 余りものその動きの速さに思わず目を見張るヌゴチ・ゴクツ。
 オウガはそんなヌゴチ・ゴクツに構わず倒れている祐一の胸ぐらを掴んで無理矢理引き起こすとニヤリと笑った。
「そんなところで倒れられていると邪魔ですよ。少し頭を冷やしてくるんですね」
 言うが早いか、オウガは祐一を橋の上から下へと投げ落とした。橋の下を流れる砂町運河に大きな水しぶきを上げて祐一の身体が突っ込む。それを確認してからオウガはヌゴチ・ゴクツの方を振り返った。
「これで邪魔者はいなくなりました。さぁ、楽しませて貰いましょう」
「……貴様はカノンの仲間ではないのか?」
「さっきも言ったはずですよ。カノンは私の獲物だと。後から出てきて獲物を横取りするなんて無粋な真似は気に入りませんねぇ」
 ヌゴチ・ゴクツの質問にやはり人を食ったような口調で言い返し、オウガはまたゆらりと倒れ込むようにしてヌゴチ・ゴクツとの距離を詰めた。ほぼ一瞬にしてヌゴチ・ゴクツの懐に入り込んだオウガはその腹に肘を叩き込んでいく。だが、カノン必殺のキックすら耐えきったその腹筋に逆に弾き返されてしまう。
「その程度か」
 そう言ってヌゴチ・ゴクツが両腕を回しオウガを締め上げようとする。
 が、それよりも早くオウガがジャンプしてヌゴチ・ゴクツの頭上へと抜け、その頭部に蹴りを喰らわしつつ後方へと飛び下がり着地した。
「これはこれは。なかなか楽しめそうですね」
 余裕綽々と言う感じでオウガが言う。
 ヌゴチ・ゴクツは蹴りを喰らった頭部を軽く回転させ、ジロリとオウガを睨み付けた。このオウガという戦士、まだまだ実力を隠しているようだ。動きの速さだけではない。何やら底の知れ無さを感じさせる。下手に油断をすればやられるのは自分だろう。
「貴様の全力を見せろ!」
 そう言ってヌゴチ・ゴクツが両腕を振り上げてオウガに襲い掛かっていく。

 その頃、砂町運河に落ちた祐一はぐったりとしたまま水中に沈んでいた。毒鱗粉のお陰で力が出せないと言うところにこうやって水中に投げ落とされたのだ。後は沈み、溺れ死ぬだけ。
(クソ、こんなところで!)
 何とか藻掻こうとするが、やはり手に力が入らない。徐々に底へと向かって身体が沈んでいく。
(何で……何で浮き上がらないんだよ!?)
 普通ならば浮力が働いて身体が浮かぶはずだ。しかしながら祐一の身体は沈んでいく一方。これもあの毒鱗粉の所為なのか。
 一体どれくらい沈んだのか、底が見えてきた。もう息を止めているのも限界だ。このまま底に着き、そのまま沈んでしまえばもはや浮かび上がることなど不可能だろう。
(これで……終わりなのか……)
 心の中に浮かび上がる諦め。
 だが、それを振り払うように祐一は首を左右に振った。
(まだだ! こんなところで終われるか! 俺にはまだやらなきゃならないことがある!!)
 運河の底に足が着く。そのまま沈み込みそうになるのを見て、祐一は慌てて手をかいた。すると今までまるで力が入らなかった腕が力強く動くではないか。どうやら水中に投げ落とされたことで身体中に付着した毒鱗粉が洗い流されたらしい。
(これなら!)
 素早く水中で右手を突き出し、十字を描く。
「変身っ!!」
 水中にもかかわらず祐一が叫び、それと同時に彼の腰にベルトが浮かび上がる。そのベルトの中央に埋め込まれている霊石が眩い光を放ち、その光の中祐一の姿が戦士・カノンへと変わった。

 オウガは素早い動きでヌゴチ・ゴクツが振り回す両腕のハサミをかわしている。一発でも当たれば致命傷に程近いダメージが与えられるであろうそのハサミを巧みに、紙一重の距離でかわし続けるのは至難の業だ。それを軽々とやってのけるオウガ。その能力はやはり並大抵のものではない。
「どれだけ威力があろうとも当たらなければどうと言うことはありません」
 そう言ってまたハサミをかわすオウガ。
 とその時だ。二人の戦う橋の下から突如水柱が立ち上り、その中からカノンが飛び出してきたではないか。
 カノンは空中で一回転すると橋の欄干の上に着地した。
「これはこれは。復活してしまいましたか」
 欄干の上に立つカノンを見てオウガが楽しそうに言う。
「これで役者は揃ったと言うところですかねぇ?」
 続けてオウガがヌゴチ・ゴクツの方を見る。何処までもこの状況を楽しんでいる、そんな口調だ。
「……どう言うつもりだ、オウガ?」
 カノンが欄干から飛び降りながらオウガに尋ねる。自分を水中へと投げ落としたのはオウガだ。だが、そのお陰で身体の力を奪っていた毒鱗粉を洗い流すことが出来た。わかっていてやったことなのか、それとも違うのか。どちらにしろオウガの意図が読めない。
「フフフ、何のことかはわかりませんが……言ったでしょう。あなたを倒すのはこの私だと。それだけのことですよ」
 そう言って肩を竦めるオウガ。
 どうやら自分の手でカノンを倒す為に祐一を、カノンを助けたらしい。オウガのセリフからそれがわかったカノンだが、助けられたと言うことに変わりはない。
「礼は言わないぞ」
「ええ、言って貰いたくはありませんね。私はあくまで私の為にやったことですから。それともう一つ。今私はこの方と戦うので忙しい。あなたは邪魔なのでさっさと何処かへ行って貰えますかね?」
「……いいのか?」
「邪魔だと言いましたよ。私の楽しみの邪魔をするならあなたも一緒に相手をしますが?」
 オウガが一体何を考えているかまるでわからない、と言う感じで首を傾げるカノンだが、この場でヌゴチ・ゴクツ、オウガと両方の相手を同時にするのは正直辛すぎることだ。ここはその言葉に従っておくとしよう。
 カノンは止めてあったロードツイスターに駆け寄ると素早く跨り、エンジンを始動させた。
「ぬうっ! 逃げるか、カノン!?」
 ロードツイスターを走り出させようとするカノンの前にヌゴチ・ゴクツが立ちはだかろうとするが、その前に更にオウガが立ちはだかった。
「何処へ行くんです? あんたの相手はこの私ですよ?」
 そう言って挑発するように人差し指をクイクイッと動かす。
「おのれ!!」
 ヌゴチ・ゴクツが激昂したようにそう言って両腕を振り上げた。猛然とその腕を振り下ろす。
 オウガは軽く後ろへステップするように下がると今度はちょんと軽くジャンプしてヌゴチ・ゴクツの振り下ろした腕の上に降り、鋭い回し蹴りを頭部に叩き込んだ。
 その予想外に重い一撃に思わずよろけるヌゴチ・ゴクツ。
 その様子を背にカノンはロードツイスターを走らせていった。それを見送ってからオウガがヌゴチ・ゴクツに振り返る。
「さぁ、邪魔者はいなくなりましたよ。存分に楽しみましょう?」
 言うが早いかオウガがヌゴチ・ゴクツへと飛びかかっていく。

<都内某所・教団施設内 13:39PM>
 涼しげな風が白いカーテンを揺らす。
 その部屋の中にある小さなベッドの上、そこに一人の女性が寝かされていた。
 女性の名は天沢郁未。
 後々新宿事件と記録される例の事件の日に鹿沼葉子と少年の手によって謎の手術を受けてから彼女はずっと眠り続けている。手術の時に施された麻酔はとっくの昔に切れており、本当ならばもう目覚めていなければならないはずだ。
 再び風がカーテンを揺らした。今度は先ほどよりもやや強めの風。それが眠っている郁未の頬を撫でていったのだろう、彼女がゆっくりと閉じていた瞳を開いた。
「私は……一体……?」
 自分が今どう言った状況におかれているのかわからないと言った表情で郁未が小さく呟く。
 そしてその様子を別室で見ている男がいた。
 教団東京支部支部長、巳間良祐。彼はモニターの中、ゆっくりと上半身を起こした郁未を見るとニヤリと笑った。
「ようやくお目覚めか……だがこれで計画は第二段階に入る」
 そう呟くと彼はゆっくりと後ろを振り返った。そこには巨大なカプセルがあり、その中は何らかの溶液に満たされ、そこに一人の青年がまるで胎児のように身体を丸めて浮かんでいる。
「お姫様がお目覚めだ。次はお前の番だぞ、ジョルガ」
 まるで愛しい者に話しかけるかのように優しく良祐はカプセルの中に浮かぶ青年に話しかける。
「お前が目覚めた時こそ……全てが始まるんだ」
 良祐のその声は果たしてその青年に届いているのだろうか。
 青年は眠っているかのように目を閉じているだけ。

Episode.61「強敵」Closed.
To be continued next Episode. by MaskedRiderKanon


次回予告
遂に始まるニドラ・ゴバルとの決戦。
その最中、再びカノンの身に異変が起こる。
潤「な、何なんだよ、一体!?」
香里「まやかしの力ってこう言うことだったのね」
突如東京の空に現れる白き翼の天使。
敵か味方か、果たしてその正体とは?
国崎「今度は本物の天使かよ」
良祐「これが聖戦の第二段階の始まりだ」
蠢く陰謀。
そんな中、一人苦悩する祐一。
次回、仮面ライダーカノン「天使」
動き出す、闇の中の赤い月……




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