<霧島診療所 18:13PM>
待合室のベンチに横になっている相沢祐一がまだ眠っていることを確認した長森瑞佳は彼を起こさないよう注意しながらドアを閉じた。
「まだ眠ってます」
そう言いながら振り返る。
「そうか。流石にあれだけの傷だ、そう簡単には回復しないみたいだな」
瑞佳の報告に霧島 聖は小さく頷いた。
「まぁ、昨日から彼は戦い尽くめだ。少しは休憩して貰ってもいいだろう」
そう言って聖が歩き出したので瑞佳は彼女について待合室から離れていく。診察室を抜け、母屋へと入っていくと客間では喫茶ホワイトのマスターがだらしなくのびていた。昼間遊びすぎ疲れ切ってダウンしているのだろう。
「まったく……」
ため息をつきながら瑞佳はマスターに近くにおいてあったタオルケットを掛けてやる。こんな所で風邪でも引かれたらたまらない。これくらいはやってあげるべきだろう。
「……さて、瑞佳君。後は任せても大丈夫か?」
不意に聖がそう言ったので瑞佳は彼女を振り返った。
聖はTシャツの上に厚手のジャケットを羽織り、その内ポケットに何本もメスを突っ込んでいる。
「……何を、しているんですか?」
だいたい見当がつかなくもなかったが、あえて瑞佳は尋ねてみた。そして聖から返ってきた答えはやはり彼女が予想していたものであった。
「佳乃を助けに行ってくる」
「無茶ですよ! 祐さんだってあれだけ怪我してるのに!!」
「……それでも、だ。私は佳乃を守らなければならない。あの子の唯一の肉親として」
「そんな事言って、佳乃ちゃんを助けられても先生の身に何かったら!!」
「あの子は強い。それに、君たちがいる。一時の悲しみにいつまで溺れているような子じゃない」
そう言って聖は口元に笑みを浮かべる。
もはや何を言っても聖を止めることは出来ないだろうと瑞佳は、彼女が浮かべた笑みを見て確信した。彼女はもう覚悟を決めてしまっている。例え自分が死んだとしても、絶対に佳乃だけは助け出してみせると言う壮絶なまでの決意を、覚悟を決めている。だから、誰が何を言おうとも彼女は止められないだろう。
「後は……頼む」
聖が瑞佳の肩にポンと手を置き、そしてそのまま出ていこうとしたその時だ。診療所の方のドアが開く音がまた聞こえてきたのだ。負傷した祐一を何者かが運び込んできた時と同じように。
はっとなった二人が慌てて診療所の方に駆け込むと、祐一の時と同じように空いているベンチの上に気を失っているらしい霧島佳乃が寝かされていた。
慌てて佳乃に駆け寄る聖。そして瑞佳はすぐに外に飛び出していった。もしかしたら佳乃をここまで連れてきた人物がいるかも知れないと思ったからだ。だが、祐一の時と同じく外に人の気配はまったくしなかった。周囲を見回してみても誰の姿もない。首を傾げながら診療所に戻っていく瑞佳を診療所の屋根の上にしゃがみ込んでいる牧師風の男がじっと見下ろしていた。

仮面ライダーカノン
Episode.55「神奈」


<海岸沿いの道路 18:32PM>
――身体が軽い。
――これならいくらでも走れそうだ。
夕陽に赤く染まる道をまるで風のように駆け抜けていく一つの影。常識的に有り得ない速度でその影は道路を駆け抜けていく。
あれから3時間以上走り続けているが息一つ乱れていない。それどころかもっと早く走れそうなぐらいだ。だが、あえて力をセーブしている。この先に何があるかまだわからない。もし何かトラブルでもあればそれを切り抜ける必要がある。その為の力は残しておくべきだろう。
目的地はまだ遠い。だが、この調子なら今夜のうちには辿り着くことが出来るだろう。何も問題がなければ、だが。

<都内某所・神尾家前 18:38PM>
国崎往人は気を失って倒れている神尾晴子をベッドの上に寝かせるとその上に薄手の掛け布団をかけてやった。それから割れた窓ガラスを適当に片付け、雨戸を閉めておく。
それだけやってから国崎は外に出てきた。
「待たせたな」
そう言って神尾家の玄関前に立っている女性を見る。手に大きめの、いかにも古そうな鏡を持った女性。その鏡は現代のものではなく、はっきり言ってしまえば遙か昔から続く由緒ある寺か神社に奉納されていても良さそうなもの、国宝級の代物と言っても良いだろう。
「……お優しいのですのね」
笑みを浮かべる女性を見て国崎は照れたように鼻の頭をかいた。
「そう言う訳じゃないさ。何て言うか、あの人には昔色々と世話になったからな。あれぐらいしてやるのは当然だろう?」
「受けた恩はきっちりと返す。当然と言えば当然ですわね」
そう言って女性が頷いた。
その口調に何となく嫌味なものを感じながらも国崎は停めてあった覆面車のドアを開けた。
「そう言えばあんたの名前を聞いていなかったな」
「名前ですか……この身体の? それともこの私の?」
何気なく尋ねたつもりの彼だったが、女性からは予想もしていない答えが返ってきてしまい、戸惑ってしまう。そんな国崎の様子がおかしかったのか、女性がクスリと笑っている。それを見て国崎は自分がからかわれていることに気付いた。
「あら、からかったつもりはございませんわ。この身体の持ち主の名前は前田 純。大学の講師という話です」
前田 純と名乗った女性はそう言うと、ゆったりと微笑んだ。
「私の方は、かつては”裏葉”と呼ばれておりましたが……まぁ、それは遙か昔のこと、今はこの鏡にその魂だけを封じ込めた存在、ですわ」
「魂を封じ込めた……?」
「そう言う術、ですわ。あなたにも多少なりと力は伝わっておりますでしょう? 昔はもっと力があったという話は聞いたこと、ありませんでしたか?」
前田は、いや、その身体を乗っ取っている裏葉と言う女性は微笑みを崩さない。微笑みを浮かべたまま、国崎の方へと一歩近寄った。
「力……法術のことか?」
国崎の言葉に裏葉はこくりと満足げに頷いた。
「流石にこれだけ時代が流れると血も薄れてしまって、力も衰えてしまったようですが、それでも少しは残っているようで安心致しましたわ」
「だが、俺に出来ることなんかごく僅かだ。あんたが何を企んでいて何を俺にやらせようとしているのか知らないが」
「大丈夫ですわ、あなたなら。何と言ってもあの方の直系の御方ですもの」
「……乗ってくれ」
国崎は短くそう言うと覆面車に乗り込んだ。
助手席側のドアを開け、裏葉も覆面車に乗り込んでいく。彼女がシートベルトを締めたのを確認すると、国崎はアクセルを踏み込んだ。
ゆっくりと覆面車が動き出す。
「何処に行けばいいんだ?」
「その都度お教え致しますわ」
素っ気なく言う裏葉。
どうしたのかと思って国崎が彼女の方を見ると、先程までとうってかわって裏葉はひどく辛そうな表情を浮かべていた。額には大粒の脂汗が浮かんでいる。
「お、おい! 大丈夫か!?」
「……少し力を使いすぎました。流石に何度も意識まで完全に乗っ取ると疲れます」
自分のことを心配してくれている国崎を無理矢理笑顔を浮かべて見返しながら裏葉はそう言い、目を閉じた。
「後は彼女に任せます。彼女には全て話してありますから、後は彼女に聞いて下さい」
そのまま裏葉の意識は失われていく。その代わりに、今まで身体どころではなく意識まで完全に彼女に奪われていた前田 純が目を覚ました。
キョトンとした表情で目を覚ました前田は自分がどうして車の中にいるかわかっていないようでキョロキョロと周囲を見回していた。やがて彼女の視線が運転している国崎を捕らえる。
「……えっと、君がそうなのか?」
「いきなりそう言われてもわからんのだが」
「あ〜……それもそうだった。裏葉さんが捜していた人と言うのは君なのか?」
「らしいな」
「そうか」
それきり前田は黙り込む。
国崎も黙り込んでいた。色々と聞きたいこともあったのだが、隣にいる彼女が話してくれるとはどうしても思えなかった。まだ時間はある。話す気になれば彼女の方から声をかけてくるかも知れない。
覆面車が近くにあったコンビニの前を通り過ぎる。そのコンビニから出てきたばかりの美坂香里は目の前を通り過ぎていく覆面車を見て、思わずあっと声をあげた。
「ちょ、ちょっと! 何処行くのよ!?」
そんな声をあげて通りにまで飛び出す香里だが、運転している国崎はまったく気がついていない様子でそのまま走り去っていってしまった。呆然とした面持ちで走り去っていった覆面車を見送るしかない香里の側に同じコンビニから出てきた遠野美凪が声をかけてきた。
「あの……香里さん……?」
「あ、あ、あの馬鹿ッ!! 覚えていないさいよ!!」
もはや見えなくなってしまっている覆面車に向かって香里は怒鳴り声を上げるのであった。

<霧島診療所 20:19PM>
目を覚ました祐一が診療所を抜けて母屋の方に入っていくと、リビングルームでマスターと瑞佳が夕食を取っていた。
「お!? ようやくお目覚めか、祐一」
マスターが入ってきた祐一に気付いてそう声をかける。
「まぁね」
祐一は苦笑を浮かべてマスターに答えるとちらりと瑞佳の方を見た。1時間ぐらいで起こしてくれと言っておいたのに、と言う非難の意思を込めて少しだけ睨み付けるような感じで。
それに気付いた瑞佳がマスターに見えないように手を合わせて謝る。
「ところで先生は?」
「ああ、聖先生なら佳乃につきっきりだぞ」
「佳乃ちゃんに!?」
イスに座ろうとしていた祐一がマスターの言葉を聞いて思わず大きな声をあげてしまう。
「何驚いてるんだよ。佳乃もお前も遊びすぎで疲れているんだろ? それでずっと寝ているんだって聞いていたぞ、俺は」
一人事情を知らないマスターにはそう言う説明がされていたらしい。瑞佳がそう説明したのか、それとも聖がそう説明したのかわからないが、何にせよ、今祐一にとって一番大事なことは、佳乃が帰ってきていると言うことだった。
「あ、俺、ちょっと佳乃ちゃんの様子見てきます!」
そう言って祐一はリビングルームを出て佳乃の部屋へと向かった。
ノックをしてからドアをそっと開けるとベッドの上に寝かされている佳乃とその側に座っている聖が見えた。
「先生、佳乃ちゃんは?」
「ああ、眠っているだけだ。特に外傷もないし、それほど詳しく調べたわけでもないが何かをされた様子もない」
聖は入ってきた祐一をちらりと見て、そう言う。
ベッドの上の佳乃は規則正しく寝息を立てている。その表情は安らかなもので、本当にただ、眠っているだけのようだ。
「一体あいつらは何で佳乃ちゃんを……」
「それはわからん。だが、見当だけはつく。君もそうじゃないか?」
聖に言われて、祐一は佳乃が見せたあの謎の力のことを思い出した。未確認生命体をもその細腕で絞め殺そうとしたのだ。あの時の力を聖は「呪い」と言った。
何の変哲もない、ごく普通の少女である佳乃が空を飛び、未確認すら絞め殺せる力を秘めている。奴らはその力の源が何かを知っていて、それを奪い取る為に佳乃を狙った。そう考えるのが一番無理がない。
「……奴らは佳乃ちゃんからあの力を奪った。それでもう必要の無くなった佳乃ちゃんを戻した。そう言うことですか?」
「おそらくはな。だが、奴らなら必要の無くなった佳乃を殺す。そう言う気がするんだが」
「……ええ、俺もそう思います」
「……気になることが幾つかある。まずは君のことだ、相沢君。君も気を失ったままここに運び込まれてきたが、その時にはもう誰もいなかった。次に佳乃が運び込まれてきたのだが、その時も外を確認しても誰もいなかった。そして最後なんだが、いつの間にかロードツイスターが表に停まっている」
そう言いながら聖が立ち上がり、祐一を伴って佳乃の部屋から外に出た。
「誰かが俺や佳乃ちゃんを助けてここにまで運んできた、と言うことですか」
「心当たりはないのか、相沢君?」
廊下を歩きながら聖がちらりと祐一を振り返る。だが、祐一は肩を竦めるだけだった。何と言われてもまったく心当たりはない。ここには彼の味方は、共に戦えるような味方は誰もいないのだ。
「そうか」
短くそう言い、聖は母屋を抜けて診察室の方へと入っていく。長い間使われていない診察室の電気をつけ、東京に出るまで愛用していたイスに腰を下ろす。
「かけたまえ。君の身体を診ておこう」
聖にそう言われて祐一は彼女の前に置いてある丸イスに腰を下ろし、上着を脱いだ。自分では気がついていなかったが、いつの間にか身体には包帯が巻かれている。その包帯に少し血が滲んでいるのは、傷が塞がる前に包帯が巻かれたからだろう。
「ふむ、やはりかなり丁寧だな。医療経験者でないとこうはいかないだろう」
祐一の身体に巻かれている包帯を見て聖がそう言う。
その包帯を自ら解き、肌を見せるともう傷は完全に塞がっていて、その痕跡すら見つけるが困難なほどだった。
「……相変わらず凄いな、君の身体は。痛みとかもないか?」
「ええ、もうまったく。これならいつでも動けますよ」
傷跡らしき場所をそっと手でさすりながら言う聖にそう答えて祐一はニヤリと笑った。
「……だが大事を取りたまえ。君は少し働きすぎだ」
そう言った聖の顔は真剣そのものだった。
確かにその通りだろう。こっちに来てからまだ一日ぐらいしか経ってないのに何度変身し、何度戦ったか。今のところ確認出来ているだけでも敵は、未確認生命体は5体はいる。その内の2体は何とか倒すことが出来たが、まだ3体、もしかしたらそれ以上の数が残っているのだ。
「……休んでばかりはいられませんよ。奴らを倒さないと、次は誰が狙われるかわかったもんじゃない」
少し暗い表情で祐一は言う。そうだ、佳乃から奪ったあの力を得た未確認生命体が動かないわけがない。新たな力を試す為に人々を襲う可能性はかなりのものと思っていいだろう。それがいつになるか。今すぐかも知れないし、今夜遅くかも知れない。明日の朝からの可能性もある。油断はならない。
「ただ、今回の連中は今までとは違うことだけは確かです。今までは無作為に人を殺していただけでしたが、今回は目的を持って行動している。それが気になると言えば気になります」
「佳乃を狙ったように、また誰かを狙うかも知れない……と言うことか?」
「わかりません。奴らが佳乃ちゃんからあの力を奪ったことでその目的を達成したのか、それともまだ他にも目的があるのか」
「ふむ……」
「どっちにしろ気になることは他にもあります。結局佳乃ちゃんのあの力が何だったのか解っていない。このまま何もないならいいんですが、何にせよ明日の朝にはあの神社に行って来ようと思ってます」
そう言ってから祐一は上着を手に立ち上がった。
「あそこには何かある、そう言う気がしますからね」
「気をつけたまえ。あそこで一度襲われてるんだ。もしかしたら奴らが隠れ家にしているのかも知れない」
聖が真剣な表情のまま言うと、祐一は大きく頷き、ニヤリと笑う。そして、彼女に向かって不敵な感じでこう答えた。
「もしそうなら好都合です。一気にカタをつけてやりますよ」

<??? ??:??>
――痛い。
――身体中が痛い。
――でも、守らなければ。
――我が身を犠牲にしても、守らなければ。
身体中に走る激痛に耐えながら、力を全て解放していく。同時に身体中が何かに蝕まれていく。それが何であるのか、彼女にはわかっていた。自分を恐れる愚かな者共がかけた呪詛。自分達とは違う者を恐れる心が生み出した恐れと憎しみの籠もった呪いの言霊。それがゆっくりと、力を解放していく事にその身体を蝕んでいく。
――痛い!
――身体が!
――心が!
自分の身を蝕んでいく呪いが、その身だけでなく心まで蝕んでいく。力を解放すればするほど、その心に沸き上がっていく憎しみ、怒り、悲しみ。
だが、それでも彼女は力の解放を止めることはなかった。それだけが助ける方法だったから。この絶体絶命の危機の中、それだけしか方法がない。自分が大好きだった二人を守る為に。自分をこの地に連れてきてくれた二人の恩に報いる為に。それを二人に言えば絶対に怒るだろうと思いながら、彼女は目に涙を浮かべながら自らの力を最大限に解放させた。
その背中に広がる白い翼、そこからいくつもの羽根が舞い落ちる。
――これで、いい。
眼下に広がる光景を見ながら、彼女はそう思う。幾人もの驚愕と恐怖に彩られた視線を一身に浴びながら。
――充分に時間は稼げただろう。
彼女は最後に微笑みを浮かべた。
何も出来ないと思っていた自分が最後に大きな事が出来た。あの二人を守ることが出来た。その事に満足したかのように、彼女は安らいだような微笑みを浮かべる。
その直後、彼女の全身に今までにない激しい痛みが襲った。
全身を襲う激しい痛みに身体を九の字に折り曲げ、苦悶の声を漏らす彼女。何とか顔を上げると、向こうの方に何かの呪文を唱えている法師風の男の姿が見えた。
あの者こそ、自分を恐れる者。恐れる故に、自分に呪いをかける者。恐れる故に、自分を憎む者。その恐れと憎しみが呪詛となって自分を苦しめる。自分を蝕んでいく。自分を堕としていく。
――お前が!
――その恐れが!!
――その憎しみが!!
彼女の心の中に沸き上がる負の感情。怒りと憎しみが、絶望と悲しみが、彼女の心を黒く燃え上がらせる。
次の瞬間、彼女の手はその男の身体を貫いていた。ゆっくりと手を引き抜いていくと、男の身体から血が噴き出し、彼女の身体を染めていく。
――今、何をした?
目の前で崩れ落ちていく男を見下ろしながら、彼女は考える。思考が追いつかない。いや、考えると言う行為を頭が放棄してしまっているようだ。何もわからなかった。
――今、何をした?
手を見ると、赤く染まっている。それが目の前で倒れている男の血だと気付かない。気付けない。気付くことを、頭が否定している。気付いてはならない。気付くな。気付いてはダメだ。
――今、何をした?
思考がループする。
――今、何をした?
考えるな。考えてはダメだ。
――今、何をした?
言うな。言わないでくれ。
――今、何をした?
お願いだから、何も言わないでくれ。
――今、何をした?
もうこれ以上、言わないで!!
そして、彼女の心は崩壊する。
背の白い翼が漆黒に染まり、舞い落ちた羽根が意思を持っているかのようにその場にいた全ての者に襲いかかる。あっと言う間にその場は惨劇の場と化した。その中に立ち尽くす彼女。その顔にはもはやあの安らいだ微笑みはない。憎しみに彩られた険しい表情が浮かんでいるだけ。
何に対しての憎しみなのか、もう彼女にはわかっていない。その心にはもう怒りと憎しみしかない。
そして、彼女は叫ぶ。声にならない叫びをあげる。その瞳から血の涙を流しながら。

<とあるビルの屋上 02:39AM>
月が煌々と輝く夜。
神尾観鈴はある高層ビルの屋上で横たわっていた。その背に生えている漆黒の翼も今は疲れているかのようにぺたりと、まるで萎れた花のように屋上の床に横たえられていた。
規則正しい呼吸音が彼女の口から漏れてくるところをみると、彼女は眠っているのだろう。その寝顔は年相応の少女らしい雰囲気が残っている。
この寝顔を見て、誰がこの少女に恐るべき力があると信じるだろうか。
今は疲れ切っているのか安らかな表情で眠っている観鈴。まだ長時間の飛行にはその身体が耐えきれなかったらしい。だが、目的地はそう遠くはない。ゆっくりと休んで、力を回復させてから乗り込むべきだろう。そこで何が待っているのか、彼女は薄々察知しているのだから。

<霧島診療所 08:12AM>
診療所の前の駐車場スペースで祐一は停めてあったロードツイスターの調子を確認していた。海の近くにおいてあったはずのこのロードツイスターがいつの間にか診療所の前まで戻ってきていたという。誰がここまで運んでくれたのかはわからないが感謝するべきだろう。あのまま海の近くに放置されたままだと潮風によってあちこち錆びてしまっていただろうから。
とりあえずホースで水をかけ、軽く拭いてからエンジンをかけてみる。エンジンは一発で掛かり、アクセルを回すとちゃんと噴いてくれる。電気系統にも異常は無さそうだ。
「これなら大丈夫だな」
そう呟いて、エンジンを切る。
これからあの山頂にあった神社にまで行かなければならない。ロードツイスターと言う最大の相棒がいれば危険もかなり軽減されるというものだ。ポンとシートを叩いてから祐一が診療所の中に戻ろうとした時、その診療所の屋根の上から誰かが飛び降りてきた。
思わず身構える祐一だが、屋根から飛び降りてきた人物はさっと両手をあげる。
「あんたに敵対する意思はないよ」
そう言ってニヤリと笑う。
「……何者だ、お前?」
あからさまなまでに警戒心を表しながら問う祐一。いきなり現れて敵対する意思は無いと言われても、それをそう簡単に信じることは出来なかった。何しろ、その気配は今まで何度も対峙してきた未確認生命体とまったく同じだったから。違う点はこちらに対する殺気が感じられないこと。そう言う意味では敵対する意思が無いと言うのは本当なのかも知れないが、それでも油断は出来なかった。
「あんたに忠告しておこうと思ってさ。わざわざやってきたんだよ」
言いながら両手を降ろすその人物。頭には赤いバンダナを巻き、着ている服はどう見ても女もの、確かにその顔つきも中性的だが、何かちぐはぐとしたものを感じてしまう。
「ちなみにあんたを助けたのはこのあたしと導師様。少しは感謝してよね」
「お前と、導師?」
「まーまー、今はそんな事どうでもいいじゃない。それよりも、あの山の上にある神社に行くの、やめといた方がいいよ」
そう言って、その少年は振り返った。視線の先にはおそらくあの山頂の神社があるのだろう。
「あそこにはこわーいおねーさんがいるからね〜。それにボディガード役の怖いお兄さんが3人も」
「何でそんな事を俺に?」
相変わらず警戒したまま祐一が尋ねると、少年は振り返ってニンマリと笑った。
「あんたに死なれちゃ困るからさ。あんたは、導師様曰く――我々の希望――だからね」
「希望――だと?」
「今はわからなくてもいーよ。あんたとはまた会う予定だし。それじゃ、伝えたからね」
少年はそれだけ言うと、祐一の目の前で変身した。蜂種怪人へと。蜂種怪人、シシュタ・ヴァ・ゴカパへと。
驚きのあまり呆然としている祐一の前でシシュタ・ヴァ・ゴカパは背の羽根を広げて飛び去っていく。だが、その行方は先程見た山頂の神社の方とはまったく違う方向。どちらかと言えば海の方へと飛び去っていく。
「な、何なんだよ、一体?」
吐き捨てるように祐一が言う。
何が何だか解らない。だが、奴らに自分は、自分だけではなくおそらくは佳乃も助けられたようだ。そのことに関しては奴らの言う通り――ちょっとしゃくだが――感謝するべきなのだろう。問題はその後。神社に行くなとはどう言うことだ。そこには少なくても4体の未確認がいると言う。そして、そこに行くと自分は死ぬとも。
「ヘッ、そんな脅しに乗る俺じゃないっての」
自分に言い聞かせるようにそう言い、祐一は不敵な笑みを浮かべた。そこで何が待っていようと構わない。自分に出来ること、自分にやれることをするだけだ。それが自分の信念、自分に課した使命なのだから。この力を得たその日から、それは変わらない。
さっと顔を上げて祐一は神社のある方を見た。
「待ってろよ。すぐに行くからな」
呟くようにそう言うと、祐一は診療所の中へと戻っていった。

<山頂の神社 08:32AM>
グリチ・ヴァ・ゴチナは昨夜から怒り狂っていた。
せっかくの新たな力だったのに、それをああもあっさりとあしらわれてしまった上に、あの小娘までまんまと奪われてしまった。満を持して得た新たな力が役に立たなかったことと、自分の子供達が何の役にも立たなかったことが腹立たしいことこの上ない。果たしてこの怒りを何処にぶつけてやろうか。
神社の周囲にある森はグリチ・ヴァ・ゴチナの怒りに触れ、あちこちで木が倒壊していた。一本や二本と言うレベルではない。何十本と木が無造作に倒されている。その力、恐るべしと言ったところなのだが、怒り狂うグリチ・ヴァ・ゴチナはそれに気付かない。
「リゼ! リッシェラモ・ゴスヌセン・シィサシュヂミ・ラゼシェゴリ!!」
怒りのままにそう命じるグリチ・ヴァ・ゴチナ。
側に控えていたボメショ・ヴァ・ゴバル、ラニマ・ヴァ・ゴカパ、イザタ・ヴァ・ゴカパはその命令に黙って従うしかなかった。何しろ昨夜は何の役にも立たず、手も足も出ないまま一方的にやられてしまっていたからだ。そう言う引け目もあり、面目躍如とばかりにすぐさま空へと舞い上がっていく3体の蜂種怪人達。もうこれ以上無様な姿を見せるわけには行かない。
「カノンザ・ニヲジャショバ・リレサシャ・ギャヅザ・カカヂジェシェ・グヅガソニデヲ」
先頭を飛んでいるボメショ・ヴァ・ゴバルが後ろについて来る二体の蜂種怪人を振り返りながら言う。
「ギャヅバ・ロデミ・サガネド・ロサレダバ・ラモゴスヌセン・ゴドネ」
「ノデジェ・リリモガ?」
そう尋ね返したのはイザタ・ヴァ・ゴカパだ。
「ガサヴァヲ」
短くそう答えるボメショ・ヴァ・ゴバル。今大事なことはグリチ・ヴァ・ゴチナの命令をきちんと果たすこと。あの小娘を血祭りに上げること。その邪魔をする奴は誰であろうとなんであろうと排除する。ボメショ・ヴァ・ゴバルはそう決意していた。
だが、イザタ・ヴァ・ゴカパはそんな事ではまたグリチ・ヴァ・ゴチナの不興を買うのではないか、と心配しているらしい。
「リリカメレガ・ロデシャシィバ・ロデシャシィモ・ニゾション・ヌヅジャゲジャ」
ラニマ・ヴァ・ゴカパはそう言ってニヤリと笑った。
カノンが死んだ以上、もはや自分達の邪魔をする者はあの裏切り者達だけ。その相手をボメショ・ヴァ・ゴバルがしてくれると言うのだ、これほど有り難いことはない。ボメショ・ヴァ・ゴバルが裏切り者の相手をしている間に自分達があの小娘を血祭りに上げる。手柄は自分達のものだ。
ラニマ・ヴァ・ゴカパはイザタ・ヴァ・ゴカパと違ってボメショ・ヴァ・ゴバルがどうなろうと知ったことではない。自分さえよければいいと思っているのだ。更に言えば、ボメショ・ヴァ・ゴバルですら自分にとっては邪魔な存在とすら思っている。今は実力は敵わないが、いずれ自分の方がより強くなって必ず倒してやる、そう考えているのだ、心の内では。
「リギザヅモ・バリリザ・ラニマ・ゴデリコル・モツアサマ・サメバヌヅマギョ」
ラニマ・ヴァ・ゴカパが何を考えているのかわかっているのかボメショ・ヴァ・ゴバルはそう言って嘲笑する。野心が強すぎて、今一つ成果が上がっていない。そんなラニマ・ヴァ・ゴカパのことを、ボメショ・ヴァ・ゴバルは愚かな奴と嘲り笑っている。
悔しそうな顔をするラニマ・ヴァ・ゴカパだが、まだボメショ・ヴァ・ゴバルに逆らえるだけの力はない。だから黙り込むしかなかった。
3体の蜂種怪人が夏の空を飛んでいく。その目的地は例の小娘がいる場所、つまりは霧島診療所だった。

<霧島診療所 09:02AM>
朝食を食べた後、釣りに行って来るというマスターを見送った瑞佳は同じく出掛けようとしている祐一に声をかけた。
「何処か行くの、祐さん?」
「ちょっとね」
短くそう答える祐一。手にヘルメットを持っていることからしてロードツイスターで出掛けるのだろうと言うことが解る。そして、マスターと違って遊びに行くわけではないと言うことも。
「昨日の今日だよ。大丈夫なの?」
「心配ご無用。だって俺、カノンだしね」
心配そうにそう言う瑞佳に安心させるように笑顔を浮かべて祐一は答えた。
嘘をついているわけではない。身体の傷も体力も既に完璧に回復している。これなら昨日のように奴らに後れを取ることはない。相手が2体であろうと3体であろうと今度は負ける事はない。それ以上に負けられない。
「昨日のようにはならないよ」
それは自分に言い聞かせているようでもあった。昨日の戦いはある意味自分のミスでもある。まだ敵が残っているにもかかわらず、赤の力を使ってしまい、変身できなくなってしまった。それでやられてしまったのだ。もしも助けが来なければあのまま死んでいたかも知れない。もうあんなミスは許されない。次も助けが来るとは限らないのだ。
「あの……東京にいる人に助けを頼んだらどうかな?」
「国崎さんとか北川とか?」
「うん。一人じゃ危ないよ。いくら祐さんがカノンだって言っても相手は……」
もっと数がいる。少なくても今回はまだ3体以上残っている。祐一がカノンだと言っても相手との数の差は大きい。その戦力差はかなり大きいはずだ。その差を少しでも埋めないと、また祐一は死ぬほどの怪我をするかも知れない。何時か、本当に死んでしまうかも知れない。彼を思う人がいると言うのに。彼が帰ってくるのを待っている人がいると言うのに。その彼女の為にも、少しでも安全な方法をとって欲しい。そう思う瑞佳だったが、祐一は首を左右に振るのだった。
「悪いけど、それは出来ないよ」
困ったように言う祐一。
「これは、あくまで俺の戦いなんだ。俺が、自分で選んだ運命なんだ。だから他の奴は呼べないし呼ばない」
「でもそれじゃ!」
「……始めは一人だった。でもいつの間にか、香里がいて、国崎さんがいて」
言いながら祐一の脳裏に香里の、国崎の姿が思い浮かぶ。
「北川がいて」
PSK−03となった北川 潤の姿。
「折原がいて」
もう一人の戦士・アインこと、折原浩平。
「いつの間にか俺は一人じゃなくなっていた。戦うのは俺一人じゃなくなっていたんだ。一人で戦うつもりだったのに、仲間がいてくれるのが当たり前のようになってた」
瑞佳は黙って聞いている。
「だから昨日は負けた。もし、あの場に北川や折原がいてくれたらって思った。でも」
そこで言葉を切る祐一。
「俺の……甘えなんだ、それは。一人で戦うつもりだったのに、こんな運命を背負うのは俺一人で充分だって思っていたのに、いつの間にか大勢の人を巻き込んでいる。もうこれ以上甘えるわけにはいかないんだよ」
祐一は厳しい表情を浮かべ、そう言いきった。
「……それは……自己犠牲が過ぎるんじゃないかな、祐さん」
しっかりと祐一の目を見返して瑞佳が言う。
「祐さん一人が傷付いて、何時か死んじゃうかも知れない。待っている方はたまらないよ、そんなの」
「わかってるよ、それは。でも……俺は選んだんだ、こう言う道を。誰かの為に何かが出来る力があって、誰かを守ることが出来る力があって、それを使わないのは俺の信念に反するんだ」
「でも!」
「大丈夫、俺は死なない。死ぬわけにはいかないんだ。約束したから」
そう言った彼の脳裏に浮かぶのは、彼が最も愛しいと思っている女性の姿。彼女との約束を、必ず帰ると言う約束を守る為に、絶対に死ぬわけにはいかない。
「何なら瑞佳さんとも約束しようか?」
祐一はそう言って笑った。
だが、瑞佳の顔からは不安そうな、心配そうな表情は消えない。
「祐さんは……やっぱり似てるよ」
そう言いながら瑞佳はそっと手を伸ばし、祐一の頬を触った。
彼女の脳裏に浮かぶのは幼馴染みの姿。あのいたずら者でひねくれ者でいつも自分に迷惑ばかりかけて、世話ばかり焼かせていた、でも妹思いの、本当は心優しい幼馴染み。彼は母親と最愛の妹を失った後、何処へともなく姿を消した。一度だけ、本当に一度だけ彼から手紙が届いたことがあったが、それには妹が眠っているお墓の場所とその命日が書かれており、そして自分に変わって花を添えてやってくれとだけ書いてあった。
彼もまた、自分だけで全てを片付けようとしていた。瑞佳の前では常に戯けて見せており、妹の病気のこととか母親が怪しげな宗教に傾倒していることも何も言わなかった。全て内に抱え込みながら、それでも表面上は笑顔でいたのだ。
そんな彼と祐一の姿が瑞佳には重なって見えた。どちらも自分の内側に何かを抱え込み、自分だけで解決しようとしている。その重みは違うだろうが、それでも二人はよく似ている。そんな気がする。
「……約束なんかしなくてもいいよ」
そう言って瑞佳は微笑む。
「約束なんかいらない。だから絶対に死んじゃダメだよ。祐さんには待ってる人がいるんだから、その人の為にも、無理はあまりしちゃダメだよ」
そうは言っても祐一は聞きはしないだろう。無理をして、無茶をして、それこそ命懸けで今日まで戦ってきたのだから。それでもそう言わないと、祐一はまた死ぬほどの無理無茶をしそうな気がした。イヤ、多分するだろう。それを止めることは彼女には出来ない。
「ああ、わかってる」
祐一が殊勝な面持ちで答えるのを聞いて、瑞佳は頷いた。
「でも約束はいらないって……」
ふと疑問に思ったことを祐一が尋ねようとした時、何処かでガラスの割れるような音が聞こえてきた。同時に祐一の脳裏に空中から降り立つ3体の蜂種怪人のイメージが駆け抜けていく。
「瑞佳さん、ここから動かないでください」
そう言うと祐一は母屋の方へと戻っていく。ガラスの割れるような音が聞こえてきたのはそっちの方だったはずだ。もしかしたらまた佳乃を狙ってやって来たのかも知れない。佳乃の部屋には確か聖がいたはずだが。
「先生!!」
佳乃の部屋の前まで来た祐一が中に向かって呼びかけ、同時にドアを開いた。そこではベッドの上で眠っている佳乃を背にした聖が2体の未確認生命体と対峙していた。流石に彼女の顔には余裕の表情はない。かなり焦りの浮かんだ表情を浮かべていたが、祐一が来たのを見ると口元だけで笑みを作った。
「なかなか失礼な連中だな。人の家のガラスを何だと思っている」
「そんな事こいつらに言っても無駄ですよ」
聖の軽口に付き合いながら祐一は2体の蜂種怪人を見やった。自分に忠告に来たと言っていた蜂種怪人はいない。別行動を取っているのか、それともこいつらとは離反したのか。だが、今はそんな事はどうでもいいことだ。まずは目の前にいるこいつらをどうにかする方が先決。
「おい、お前らの相手はこの俺がしてやる!」
そう言って祐一は一番近くにいる蜂種怪人――イザタ・ヴァ・ゴカパに飛びかかっていった。
「ギナサバ・カノン!!」
「リギシェ・リシャモガ!!」
いきなり飛びかかってきた祐一を見て、驚きの声をあげるイザタ・ヴァ・ゴカパとラニマ・ヴァ・ゴカパ。それに構わず祐一は肘をイザタ・ヴァ・ゴカパの腹に叩き込むとそのまま身体を回転させて後ろ回し蹴りをラニマ・ヴァ・ゴカパに放つ。その蹴り足を飛び退いてかわすラニマ・ヴァ・ゴカパ。
「ロソデ・ニミオゴマリザ!!」
そう言って右手を鋭い爪に変えて突き出すラニマ・ヴァ・ゴカパだが、祐一はしゃがみ込んでその一撃をかわす。そしてその手を掴むと一本背負いの要領で投げ飛ばした。
残っていた窓ガラスの枠ごと表に吹っ飛ばされるラニマ・ヴァ・ゴカパ。
「相沢君、後で請求書回してもいいか?」
「……出来れば勘弁してください」
後ろから聞こえてきた聖の声に振り返りもせずに答えると祐一は両手を腰の前で交差させた。そしてその手をそのまま胸の前まで挙げ、左手だけを腰まで引く。残った右手で宙に十字を描き、そして祐一は叫んだ。
「変身ッ!!」
彼の叫び声にあわせてその腰にベルトが浮かび上がり、中央にある霊石が眩い光を放つ。
「これが……」
初めて祐一が変身するところを目の当たりにした聖が驚きの声をあげた。目の前で祐一の身体が別のもの、戦士・カノンへと変わっていく。
完全に変身を遂げたカノンは先程肘打ちを喰らってよろめいているイザタ・ヴァ・ゴカパの腕を掴むと、そのまま一緒に表へと飛び出していった。この部屋の中で戦うわけにはいかないからだ。あそこで戦っていたら聖や佳乃にも被害が及びかねない。そう思ったからだ。
霧島家の庭先に降り立ったカノンはすかさずイザタ・ヴァ・ゴカパを投げ飛ばし、そして起きあがったばかりのラニマ・ヴァ・ゴカパに向き直ると鋭いパンチを叩き込んだ。よろめくラニマ・ヴァ・ゴカパに二度、三度とパンチを叩き込んでいく。更にもう一撃加えようとすると、いつの間にか起きあがってきていたイザタ・ヴァ・ゴカパがカノンの背後から飛びかかってきた。だが、カノンはイザタ・ヴァ・ゴカパの脇腹に肘を喰らわせるとすぐさま振り解きその頭を掴んで投げ飛ばす。
フラフラとしていたラニマ・ヴァ・ゴカパの上にイザタ・ヴァ・ゴカパが叩きつけられ、両者はそのまま地面に叩きつけられてしまった。
それを見たカノンがもつれ合って倒れている蜂種怪人達に近付こうとするが、上から物凄い殺気を感じその足を止めた。ほぼ同時にカノンの足下に何かが撃ち込まれる。さっと上を見上げると、上空には左手をこちらに向けたボメショ・ヴァ・ゴバルの姿があった。
「リギシェ・リシャガ・カノン」
忌々しげにそう言うボメショ・ヴァ・ゴバル。
「よぉ、そんなところにいないで降りて来いよ」
上を見上げながら挑発的にそう言い手招きするカノン。
「昨日の礼はたっぷりとさせて貰うぜ」
「ジャサデ・カノン!!」
ボメショ・ヴァ・ゴバルはムッとしたようにそう言うと左手から何かを射出する。
さっと横に飛んでそれをかわしたカノンは、再び上を見上げるとジャンプしようと身体を屈めた。そこに起きあがったイザタ・ヴァ・ゴカパが飛びかかってくる。カノンをジャンプさせまいとしているのだ。
「くっ、離せ!!」
カノンがしがみついてくるイザタ・ヴァ・ゴカパを振り解こうとするが予想以上の力でイザタ・ヴァ・ゴカパは離れない。
「ラニマ・ギャデ!!」
しがみついたままイザタ・ヴァ・ゴカパが叫ぶ。
起きあがったラニマ・ヴァ・ゴカパは右手を振り上げてイザタ・ヴァ・ゴカパによって身動きの取れなくなっているカノンに向かっていく。このままイザタ・ヴァ・ゴカパがカノンの身体を押さえている限りこの鋭い爪からは逃れられないはずだ。カノンの血の感触を思ってニヤリと笑うラニマ・ヴァ・ゴカパ。
割れた窓の側で戦いの様子を見ていた聖はカノンのピンチを知るとすぐさま上着の内ポケットに手を突っ込んだ。そこに納められてあるメスを数本取り出すとカノンに向かっていくラニマ・ヴァ・ゴカパに向かって投げつけた。メスはまるで吸い込まれるかのようにラニマ・ヴァ・ゴカパの背に突き刺さる。
突如背中に走った痛みにラニマ・ヴァ・ゴカパが足を止めて振り返る。そして背中に突き刺さっているメスを引き抜くと、地面に叩きつけた。
「カサン・ヌヅマ!!」
怒りと苛立ちを込めてそう言うとラニマ・ヴァ・ゴカパは聖の方へと駆け出した。せっかくの楽しみの邪魔をされたのだ、その怒り具合は非常に激しい。先に聖を血祭りに上げなければ気が済まない。
「これ以上、お前らの好きにはさせんぞ!!」
自分に向かってくるラニマ・ヴァ・ゴカパを見た聖はそう言いながら手に持ったメスを次々と投げつけていく。
だが、ラニマ・ヴァ・ゴカパは次々と飛んでくるメスを全て払い落としながら聖のすぐ側まで迫っていった。鋭い爪をもつ右手を振り上げ、その柔らかい肉を切り裂く感触を想像し、歓喜の笑みを浮かべる。
この爪を振り下ろせば聖など一溜まりもない。カノンの身体も貫けるほどの威力を秘めているのだ、ただの人間など。そう思って右手を振り下ろそうとするが、ラニマ・ヴァ・ゴカパの意志に反してその手は動かなかった。何事か、と思って振り返るとそこにはいつの間にかイザタ・ヴァ・ゴカパを振り解いたカノンが立っており、ラニマ・ヴァ・ゴカパの右手を掴んでいる。
「相手は俺だろ?」
カノンはそう言うと掴んでいるその手をパッと離した。次いでパンチをその顔面に叩き込む。
吹っ飛ばされるラニマ・ヴァ・ゴカパを見届けたカノンが聖の方を振り返って肩を竦めた。
「先生、無茶をしないで下さいよ」
「君がピンチだったんでな。見ていられなかったんだよ」
そう言って不敵な笑みを浮かべる聖。必ず彼が助けに来ると確信していたようだ。そうでなければあんな事はしなかっただろう。
「まったく……」
カノンはそう言いながらも先程振り解いたイザタ・ヴァ・ゴカパ、殴り飛ばしたラニマ・ヴァ・ゴカパ、そして空中にとどまり続けているボメショ・ヴァ・ゴバルを順番に見た。「さて、と……」
どいつを一番始めに倒すべきか。一番厄介なのは空中にいる奴だろう。あいつだけは遠距離攻撃が出来る。それをまず封じるべきだ。そうでないと他の奴と戦っている間に狙撃されてしまう。
「やっぱりあいつか!」
そう言ってカノンは隣家の庭に飛び込んだ。そして物干し竿を手にとって大きくジャンプする。
「フォームアップ!!」
カノンのベルトの霊石が青い光を放った。同時にカノンの身体が青く変化する。パワーをダウンさせ、俊敏性やジャンプ力をアップさせたのだ。
一度診療所の屋根の上に降り、そこから更に大きくジャンプした。カノンの手にある物干し竿が青いロッドへと変化し、遙か上空にいるボメショ・ヴァ・ゴバルに向かって突き出した。
「……!!」
青いカノンが自分のいるすぐ側までジャンプし、尚かつ手にした青いロッドで攻撃してきたことに驚き、慌てて後方に下がるボメショ・ヴァ・ゴバル。
「チィッ! 外したか!!」
ロッドが届かなかったことを知ったカノンが悔しそうにそう言う。
「ロソデ! ニメ・カノン!!」
落下していくカノンに向けて左手を突き出すボメショ・ヴァ・ゴバルだが、その落下スピードに狙いを定めることは出来なかった。
「ムウッ!!」
苛立たしげにボメショ・ヴァ・ゴバルは地上に着地したカノンを睨み付ける。
着地したカノンは、その着地するタイミングを狙って飛びかかってきたイザタ・ヴァ・ゴカパを手にした青いロッドで叩き伏せると、更にそのロッドを地面に突き立て、そこを支点にしてジャンプ、ラニマ・ヴァ・ゴカパに蹴りを食らわせた。
吹っ飛ばされるラニマ・ヴァ・ゴカパを見たボメショ・ヴァ・ゴバルはこのままではグリチ・ヴァ・ゴチナの命令を果たすどころか、逆にこちらがやられてしまうと思い、この場から撤退することに決めた。グリチ・ヴァ・ゴチナからは激しい叱責を受けるだろうが、それでもあの2体を失うよりはマシだ。何と言ってもカノンの力、あれは予想以上のもの。昨日のカノンとは比べものにならない。一体何があったと言うのか。一回死にかけたことでよりパワーアップしたとでも言うのか。そんなバカなことが。
「ビゲ! ゴゴバリシィイ・シェッシャリジャ!!」
悔しげにボメショ・ヴァ・ゴバルが言い、そのまま飛び去っていく。
ボメショ・ヴァ・ゴバルの声を聞いたイザタ・ヴァ・ゴカパとラニマ・ヴァ・ゴカパも背の羽根を広げて逃げ出していく。
「逃がすか!!」
カノンはそう言うと手に持っていたロッドを捨て、ジャンプした。一旦屋根の上に降り、そしてもう一度ジャンプして診療所の前に降り立つと、そこに停めてあったロードツイスターに跨る。すかさずエンジンをかけ、ロードツイスターを発進させると同時に青からまた白に戻り、更にロードツイスターもカノン専用マシンへと変貌を遂げさせた。これで全力が出せる。ロードツイスターに秘められている時速300キロオーバーのスピード、そして全地形走破のパワー、全てを引き出すことが可能になったのだ。
猛スピードで突っ走るロードツイスター。勿論前方の空に3体の蜂種怪人の姿を捕らえている。その向かう先はやはり山頂にある神社のようだ。ならば多少見失ったところで別に構わないだろう。
静かな町中を物凄い速度でロードツイスターが駆け抜けていく。

<とある港町 09:39AM>
路上に覆面車を止め、国崎はシートに倒れ込んでぐったりとしていた。一晩中運転してきたので流石に疲れ切っている。それだけじゃない。ここ数日、何か物凄く忙しかったような気がしていた。実際問題あの謎の鎧武者が出てきてからまだ1日2日ぐらいしか経ってないはずだ。なのに身体と神経の疲れ方は一週間ぐらい徹夜で働かされた時と同じぐらい。とにかく彼は今疲労しきっていた。
「……この程度で情けない」
そう言ったのは前田なのか裏葉なのかぐったりとしている国崎には判断出来なかった。
「まだこれからが本当に手伝って頂きたいんですよ?」
「少しは休ませろよ。あんたが道間違えたからこんな事になってんだぞ」
恨みがましくそう言う国崎だが、裏葉はそれをあっさりと聞き流す。
実際のところ、東京を出てから前田は見事に道を間違えてくれたのだ。しばらく走ってからそれに気がついたようで、そこからUターンしてここまで急いでやって来たのだが、この港町に着いたのがつい先程。国崎はもう何時間ぐらい休憩無しで運転し続けていたのか、覚えていないほどだった。
「そうですわね。少しは休まないと後々変な影響が出ても困りますし」
「……自分が道を間違えたって事は認めないんだな」
「何か飲み物が欲しいところですわね。買ってきて頂けます?」
「何で俺が!?」
「殿方は女性に優しく致しますものでしょう?」
そう言って微笑む裏葉。
何となく理不尽なものを感じながら車の外に出た国崎は自動販売機を探して歩き出した。
「あっちぃ〜〜」
夏の太陽に容赦無く照らされ、更にまったく風もない上に全身黒尽くめのスーツ姿の国崎である。一歩進むごとに汗が噴き出してくる。堤防沿いの道をしばらく歩き、やがて見えてきたのは駄菓子屋と言っても良いようなそんな店。「武田商店」と看板に書かれてあるその店の前に自動販売機があった。
「……気のせいだろ」
何となく見覚えのある看板にそう呟き、国崎はポケットから小銭を取り出した。もはや何で自分が金を出さなければならないのか、と言う疑問すら沸き上がってこない。とにかく何か飲み物を買って早く車に戻ろう。冷房の効いた車内で少しぐらい寝ないと身体がもたない。そう思いながら小銭を自動販売機に投入し、ボタンを押そうとしてその手が止まった。そこに並んでいるジュースのラインナップを見て、唖然となる。
「……ま、まさか」
思わず青くなる国崎。
少なくても警察に就職してからは一度も見たことの無かった、より正確に言えば思い出したくもなかったものがそこに並んでいる。一体何処のメーカーがこんな酔狂なものを考え、販売しているのか。そしてこれを好んで飲むような奴は彼の記憶の中では一人しかいない。
その一人とは、この街で出会った。まだ国崎が十代で、あちこちを放浪していた頃の話だ。ふらりと立ち寄ったこの町で彼は彼女と出会った。出会ったのは彼女だけではない。他にも何人かと、今でも付き合いのある何人かとこの町で出会っている。そう言う意味ではここは国崎にとって思い出深い町なのだ。同時に苦い思い出もたくさんある町でもあるのだが。
「まさか……ここに帰ってきちまうなんて……」
出来ればここには戻って来たくはなかった。何故かこの町に彼はそう言う印象を持っている。
と、その時だ。彼の後ろを猛スピードで何かが駆け抜けていく。ハッと振り返った国崎は走り去っていくカノンの後ろ姿をしっかりと捕らえていた。
「あれは……祐の字!?」
まさかこんな所であいつと遭遇するとは。それにカノンに変身していると言うことは未確認生命体が出た、と言うことなのだろう。もし、そうならばこんな所でぐずぐずしている暇はない。
すぐさまカノンを追って走り出そうとして、彼は足を止める。自動販売機に入れた硬貨を返却ボタンを押して取り戻すと、店の中に飛び込んでいく。中で売っていた牛乳のパックと適当なパンを買い、表に出てからパックを開け、一気に飲み込んだ。そしてパンの袋を破りながら走り出し、口にくわえる。行儀が悪いがそんな事を言っている場合ではない。
幸いにもこの町には結構長い間滞在していたから土地勘はある。ロードツイスターに乗ったカノンが何処へ向かっているか、だいたいの見当はついていた。夏の陽差しと溜まりに溜まった疲労にどうにかなりそうな気分だったが、それでも国崎は走った。未確認が出たなら、それを何とかするのが今の彼の仕事だからだ。

<山頂の神社 09:43AM>
山頂の神社に至る山道をロードツイスターが物凄い速度で登っていく。舗装されていない道だが、全地形走破を目指して作られたロードツイスターにはそんな事はまるで関係ない。更に祐一自身のバイクテクニックも手伝って、ロードツイスターはあっと言う間に山頂の神社の境内に辿り着いていた。
前に来た時と同じく社殿に続く石畳の上にロードツイスターを止め、周囲を見回すカノン。
霧島診療所から逃げ出した蜂種怪人達はここに降りたはずだ。その姿が見えないのは何処かに潜んでこちらを伺っているからか。静かな殺気がこの境内を包み込んでいるのを感じる。
(何処に隠れやがった……?)
ロードツイスターから降り、油断無く周囲を警戒しながら歩き始めるカノン。一番厄介な遠距離攻撃が出来る蜂種怪人がいつ、何処から狙撃してくるかわからない。銃などと違い、発射した時の音がほとんどない為にその所在を特定することは極めて難しい。こうなると診療所で奴にダメージを与えられなかったことが悔やまれた。
前に来た時は周囲の森の中に入っていって襲われた。今回もそっちに潜んでいる可能性は強いだろう。そう思って森の方を見ると、木々が何本も倒されている。一体どれだけの力があればそう言うことが出来るのか、と言うぐらいに何本もの木が倒されているのを見てカノンは驚きを隠せなかった。
「あいつが言ったことはこう言うことか」
自分に忠告しに現れた蜂種怪人。この神社に来ると自分が死ぬと言っていた。それは異常なほどの力を持つ怪物がここにいると言うことを示していたのだろう。
先程診療所に現れた3体の蜂種怪人にはこれほどの力はないはずだ。と言うことはその蜂種怪人を指揮している別の怪人。その怪人がたった一人でこれだけのことをしてのけたと言うことはカノンと言えども苦戦は免れない。
更なる緊張を感じながらカノンが歩き出すと、社殿の側で何かが動く気配を感じた。すぐさまそちらの方に駆け出すと、社殿の裏側に誰かが倒れているのが見えた。おそらくはこの神社の神主だったのであろう。だが、既にその命は奪われており、何日間か放置されていた所為か腐乱が始まっていた。
その側に片膝をつくとカノンはそっと手を合わせ、その神主の冥福を祈った。それぐらいしか自分にはしてやることは出来ない。後で警察に連絡を入れ、対応して貰うまではこのままにしておくしかないだろう。
カノンがしゃがみ込んでいると、その背後に誰かがすっと音もなく近寄ってきた。手に持っている刀のようなものをゆっくりと振り上げると、それをカノンの背に向けて一気に振り下ろしていく。
背後で急に膨れあがった殺気にカノンは振り返り、自分に向かって振り下ろされてきた刀を両手で挟み込んだ。いわゆる真剣白刃取りと言うものだが、そのタイミングはまさにギリギリ。後もうちょっと気付くのが遅ければ真っ二つにされていただろう。
両手で挟み込んだ刀を捻り、相手から奪い取るとカノンはそのまま肩から襲撃者に向かってぶつかっていった。相手が吹っ飛んだのを見ると、手で挟んでいた刀を脇に投げ捨て襲いかかってきた相手を見る。
「……舞!?」
尻餅をついてこちらを見上げている女性を見て、カノンが驚きの声をあげた。知っているどころの相手ではない。何故彼女がこんな所にいるのか、それが疑問だ。最後に彼女と会ったのは確かN県の山の奥だったはず。話によると武者修行の旅の途中だと言うことだったから移動していても不思議ではないが、よりによってどうしてこのタイミングでここに現れたのか。
「お前、どうしてここに」
そこまで言いかけた時、突如別の殺気が上から襲いかかってきた。
さっとその場を飛び退くカノン。見ると舞もすぐに身体を浮かせて後方に飛び下がっていた。流石に危機感知の能力に関しては並の人間以上のようだ。
そこに降り立ったのは一番好戦的なラニマ・ヴァ・ゴカパだった。今の一撃でカノンを仕留めるどころか傷一つ負わせられなかったのを見ると、ゆっくりと立ち上がる。
「カノン・リリギミ・マヅマ」
そう言うとラニマ・ヴァ・ゴカパは羽根を広げて空に舞い上がった。それを追ってジャンプしようとするカノンだが、社殿の下から這い出してきたイザタ・ヴァ・ゴカパがそんなカノンに飛びついていく。
「またお前かよ!!」
カノンは自分に飛びついてきた蜂種怪人を見て、うんざりしたように言った。
「リサジャ! ボメショ!!」
イザタ・ヴァ・ゴカパが空を見上げてそう叫ぶ。カノンも顔を上げると、そこには左手を構えたボメショ・ヴァ・ゴバルの姿があった。その隣にはラニマ・ヴァ・ゴカパの姿。どうやらラニマ・ヴァ・ゴカパが囮となってカノンの注意を引き、イザタ・ヴァ・ゴカパがカノンの動きを止め、最後にボメショ・ヴァ・ゴバルが仕留めると言う算段になっていたらしい。見事なほど綺麗に敵に罠に掛かってしまったようだ。
「しまった!」
だが、気付いた時にはもう遅い。ボメショ・ヴァ・ゴバルの左手から何かが射出される。その何かがカノンの胸を貫こうとしたその瞬間、すっと横から突き出された刀身がその何かを弾き飛ばしてしまった。
「……!!」
絶対の勝利を確信して疑わなかったボメショ・ヴァ・ゴバルは、突然の邪魔に思わず驚愕の表情を浮かべていた。
邪魔をしたのは勿論舞であった。彼女はそのまま手にした直刀でカノンにしがみついてその自由を奪っているイザタ・ヴァ・ゴカパに斬りつけていく。
いきなり斬りかかられたイザタ・ヴァ・ゴカパは慌ててカノンを離し、空へと舞い上がった。いくら何でもここまではあの直刀も届かない。せっかくの勝利の方程式を崩されたことに怒りを覚えていたイザタ・ヴァ・ゴカパはそこから急降下して舞に襲いかかっていく。空中から猛スピードで迫れば、相手はただの人間、対応出来るはずがない。そう考えての行動だ。だが、イザタ・ヴァ・ゴカパの予想に反して、いや、まったく予想もしてないことがイザタ・ヴァ・ゴカパの身に起こった。
「マヲジャショ!?」
直刀を構えている舞の前にウサギの耳のようなものをつけた少女の姿が浮かび上がり、その少女が自分に向かって手をかざすとその降下スピードが一気に落ちたのだ。まるで空気が水にでもなったかのように物凄い抵抗を感じる。その前方でウサギの耳をつけた少女が意地の悪そうな笑みを浮かべていた。
「やああああっ!!」
イザタ・ヴァ・ゴカパはその気合いの声を聞いてようやく我に返った。だが、その時にはもう直刀の切っ先がイザタ・ヴァ・ゴカパの左肩口に叩き込まれている。そのまま一気に押し切られ、イザタ・ヴァ・ゴカパの左腕が地面へと落下した。
「ギャアアアアッ!!」
左腕を肩口から斬り落とされたイザタ・ヴァ・ゴカパが激痛のあまり悲鳴を上げる。
「マ、マヲジャ・ラモビサンバ!?」
ただの人間と思っていた女性がイザタ・ヴァ・ゴカパの左腕をあっさりと斬り落とした。その信じられない光景にラニマ・ヴァ・ゴカパもボメショ・ヴァ・ゴバルも驚きを隠せない。自分達と互角以上に戦えるカノンやアインならいざ知らず、ただの人間にあれほどのダメージを与えることが出来るとは。とてもではないが信じられない。呆然としたまま、地上に落ち、苦しんでいるイザタ・ヴァ・ゴカパを見下ろすことしか出来ない。
その時、ようやく国崎がこの場に到着した。もはや汗だくでシャツは張り付き、額からは止めどなく汗が滴り落ちている。勿論息も荒い。だが、彼は地上で左腕を失って苦しみ悶えている蜂種怪人を見つけるとすかさず拳銃を手に取った。油断無くその蜂種怪人に近付こうとすると、カノンが彼に気付き、こっちに来るなとばかりに手を突き出してきた。
カノンのその行為で空中にいた蜂種怪人達も新たな乱入者に気付いてしまったようだ。ボメショ・ヴァ・ゴバルは地上にいるカノン、舞、国崎の3人の中で一番国崎が倒しやすいと考えたのか、その左手を彼に向ける。
「国崎さん、下がって!!」
カノンがそう叫ぶのと同時にボメショ・ヴァ・ゴバルの左手から何かが射出された。上空にいるボメショ・ヴァ・ゴバルとラニマ・ヴァ・ゴカパに気付いていなかった国崎が顔を上げる。駆け出そうとするカノンだがもう間に合わない。駆けつける頃にはボメショ・ヴァ・ゴバルの左手から射出された何かが国崎の胸を貫いているだろう。
(ダメだ、間に合わない!)
カノンがそう思った時、舞がボメショ・ヴァ・ゴバルの左手と国崎の胸元を結ぶ線上にすっと現れた。一体何時動いたのか誰にもわからないほどの速さで、間に割って入った舞が手に持った直刀を横に一閃する。
国崎は何が起こったのかわからないまま、その場に立ち尽くしていた。空にいる未確認が左手を向けていたが、一体何がしたかったのだろうか。間に割って入った舞は一体何をしたのだろうか。
カノンも何が起きたのか、全てを把握はしていなかった。だが、舞の行動により国崎は助かった。それは事実だ。そして、その時カノンはようやくボメショ・ヴァ・ゴバルが左手から射出していたものが何かを理解した。おそらくは舞が弾き飛ばしたのであろう、一本の鋭く細い針がカノンの足下に突き立っている。
その針を見、そして上空にいるボメショ・ヴァ・ゴバルを見上げたカノンはやはり先にボメショ・ヴァ・ゴバルを倒すべきだと考えた。あいつを倒しておかないとまた国崎や舞が危険に晒される。
「国崎さん!!」
「おう! 祐の字、これを使えっ!!」
自分を呼ぶカノンの意図を察したのか、国崎は手に持っていた拳銃をカノンに向かって放り投げた。
拳銃を受け取ったカノンが空を見上げ、そして左手で拳銃を構える。
「フォームアップ!!」
そう叫んだ瞬間、カノンのベルトの霊石が緑の光を放った。同時にカノンの身体が緑に変化する。更に手に持っている拳銃も緑色のボウガンへと変化していた。ボウガン後部のレバーを引いて、その内部に圧縮空気の矢を生み出す。
ボメショ・ヴァ・ゴバルは拳銃を受け取ったカノンが白から緑に変化したのを見ると左手をカノンに向けた。カノンがこちらへ攻撃してくるよりも早く、カノンを仕留めなければならない。
カノンもボウガンをボメショ・ヴァ・ゴバルに向けている。その時、ベルトの霊石から電光が走り、腕を伝ってボウガンに至った。ボウガンの先端に何かが形成されかけるがそれも一瞬のこと、すぐに消えてしまう。
「ニメ! カノン!!」
「行けっ!!」
ボメショ・ヴァ・ゴバルの左手から針が射出されるのとカノンがボウガンの引き金を引くのとはほぼ同時のタイミングだった。いつものようにボウガンの先端にエネルギーを込め、後部レバーを放してから引き金を引いたカノンはすぐさま横へと転がる。ほんの一瞬前までカノンが立っていたところに針が撃ち込まれ、上空ではボメショ・ヴァ・ゴバルの胸板をボウガンから放たれた圧縮空気の矢が貫いていた。
「グオオオッ!?」
胸に走る激痛に苦悶の声をあげるボメショ・ヴァ・ゴバル。
その胸に浮かび上がる古代文字。そこから光のひびが放射状に広がっていき、そのひびがある一点に到達した瞬間、ボメショ・ヴァ・ゴバルは爆発四散した。
「ボメショ!?」
自分のすぐ側で爆発したボメショ・ヴァ・ゴバルを見て、驚きの声をあげるラニマ・ヴァ・ゴカパ。そしてすぐさまラニマ・ヴァ・ゴカパは逃げ出した。次に狙われるのは自分だ。こんな所でやられてたまるか。まだ死ぬわけにはいかないのだ。
空中での爆発を見ながらカノンの姿が緑から白に戻る。これでまだ少しは戦うことが出来るはずだ。もっとも緑になったことでかなりエネルギーは消耗してしまったが。
「祐の字!!」
そう言って国崎がカノンに駆け寄ってきた。
「一体どう言うことだ? 説明……おい!!」
国崎がそこまで言った時、先程まで倒れていたイザタ・ヴァ・ゴカパがふらりと立ち上がっていた。そして森の中へと逃げ出していく。
「追いかけるぞ、祐の字!!」
「わかってます!」
国崎とカノンが森の中へと飛び込んでいくのを舞はぼんやりとした目で見送っていた。そこに彼女の意思はほとんど感じ取れそうにない。

<山頂の神社・森の中 10:14AM>
神社から少し離れた森の中、グリチ・ヴァ・ゴチナは怒りを静めるように瞑想していた。もうそろそろボメショ・ヴァ・ゴバル達から報告があるだろう。あの小娘を血祭りに上げたと言う報告が。だが、それだけでは修まらない。この町の住民を全て血祭りにあげて、それでようやくこの怒りは修まるだろう。
こちらに向かってくる気配を感じたグリチ・ヴァ・ゴチナがゆっくりと閉じていた目を開いた。おそらくはボメショ・ヴァ・ゴバル達のうちの誰かだろう。だが、どうしてこうも慌てた様子でこちらへと向かってくるのか。それに何故空からではなく、森の中を駆けてくるのか。
ガサガサと言う音と共にグリチ・ヴァ・ゴチナの前に飛び出してきたのは左腕を失い、血の気を失ったイザタ・ヴァ・ゴカパだった。
「ババカ! ババカ! シャヌゲシェグデ!!」
悲痛そうな叫び声をあげてグリチ・ヴァ・ゴチナに縋り付こうとするイザタ・ヴァ・ゴカパだが、そんなイザタ・ヴァ・ゴカパの姿にグリチ・ヴァ・ゴチナが覚えた感情は不甲斐ないイザタ・ヴァ・ゴカパに対する怒りだけであった。一体誰にやられたとか傷は大丈夫なのかと言うことは既に頭にはない。ただ、ただ、この不甲斐ない身内に怒りを覚えるだけ。
「ババカ!!」
助けを求めるようにそう言ってイザタ・ヴァ・ゴカパが手を伸ばすが、グリチ・ヴァ・ゴチナはその手を払い除けた。そして、射るような視線でイザタ・ヴァ・ゴカパを睨み付ける。
イザタ・ヴァ・ゴカパはその視線に込められたグリチ・ヴァ・ゴチナの怒りに気付くと、その場に立ち尽くし、青ざめた。このままではグリチ・ヴァ・ゴチナの怒りに触れ、自分が殺されてしまう。それを防ぐには、何か手柄となるようなことをしなければならない。だが、この片腕となった身で何が出来ると言うのか。
「国崎さん、こっちです!!」
イザタ・ヴァ・ゴカパが立ち尽くしていると、向こうの方から声が聞こえてきた。そして時をおかずしてその場にカノンと国崎が現れる。
「見つけたぞ!」
そう言って国崎が持っていた拳銃を構えた。勿論、これでダメージを与えることは出来ないと言うことを彼はよく知っている。だが牽制ぐらいにはなるはずだ。
カノンは片腕を失っているイザタ・ヴァ・ゴカパよりもその前に立っている蜂種怪人らしき姿の怪人に注目していた。今まで戦ってきた蜂種怪人は一目でそれとわかる姿をしていたが、この新たに姿を見せた怪人は蜂のような雰囲気を見せながらも何やらもっと禍々しいものを感じさせる。そして、その禍々しさの中に物凄い殺気も感じ取れてしまった。この怪人は今までにないほどの強敵だ。下手をすれば自分では敵わないかも知れない。
「カノン……ルッショルニ・リギャシュジャ」
グリチ・ヴァ・ゴチナがそう言って前に立っているイザタ・ヴァ・ゴカパを押しのけて前に進み出た。恐ろしいほどの、禍々しい気を放ちながらゆっくりとカノンと国崎の方に歩み寄ってくる。
「な、何だ、こいつは……」
ゆっくりと距離を詰めてくるグリチ・ヴァ・ゴチナに銃口を向ける国崎だが、その圧倒的な気に押されて引き金を引くことが出来ない。それはカノンも同様で、一歩も動けなくなっていた。
「サウバ・ロサレシャシィ・ガダシィサシュヂ・ミラゼシェ・ギャドル」
グリチ・ヴァ・ゴチナがそう言って不気味な笑みを浮かべたその時、突如空から何かが舞い降りてきた。
――それは、漆黒の翼をもった少女。
――神々しいまでの太陽の光を背に、その漆黒の翼をはためかせて少女が降り立つ。
地面に降り立った少女はゆっくりと周囲を見回した。
「…………観鈴?」
少女の顔を見た国崎が呟くようにそう言ったが、少女の耳には届かなかったようだ。例え届いていたとしても反応したかどうかは怪しいものだったが。
唖然としているカノン。
丁度少女を挟んでその向こう側にいたグリチ・ヴァ・ゴチナはその少女から発せられる物凄い力を感じ、彼女の方に無意識のうちに手を伸ばしていた。更に自分の胸に埋め込んだあの羽根が激しく反応しているのを感じる。どうやらあの羽根の持ち主がこの少女のようだ。と言うことは、たった一枚の羽根であれだけの力を得られたのだ。この少女の背に生えている翼からもっと羽根を奪うことが出来れば更に力を、より強力な力を得ることが出来るはず。そう思って一歩前に進み出る。
と、その時少女がグリチ・ヴァ・ゴチナの方を向いた。そして何か汚らわしいものでも見るように目を細める。
「触るな、下郎」
そう言って、少女がグリチ・ヴァ・ゴチナの方に手をかざした。次の瞬間、グリチ・ヴァ・ゴチナの身体が宙に舞う。
「な、何ぃっ!?」
吹っ飛んだグリチ・ヴァ・ゴチナを見たカノンが驚きの声をあげた。手も触れずに未確認生命体を吹っ飛ばすだけの力をこの翼ある少女は持っている。あの力は水瀬一族の力とは異質の力。下手をすれば水瀬一族の使う不可視の力などとは比べものにならないほど強力な力。
そんな力を、この翼ある少女は持っている。その事にカノンは戦慄を覚えるのだった。

Episode.55「神奈」Closed.
To be continued next Episode. by MaskedRiderKanon


次回予告
漆黒の翼を持つ観鈴の恐るべき力は蜂種怪人を一蹴する。
次にその力が向けられたのはカノンだった。
国崎「止めろ、観鈴!!」
舞「これは……あなたにしか出来ないことだから」
鏡に導かれた前田が、剣に導かれた舞がその場に集う。
為すべき事は一つ、少女にかけられた呪いを解くこと
前田「何ともお痛ましいお姿……」
観鈴「ありがとう……さようなら」
漆黒の翼が散る。
それは、1000年にも及ぶ恩讐の物語。
次回、仮面ライダーカノン「回帰―Air―」

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