人生一寸先は闇、とはよく言ったもので、でもまさかそれが自分の人生にも当てはまるなんて思っている人は極々少数派だと思う。しかしながら自分ではごく普通に人生を謳歌していると思っていても、その次の日には何かとんでもないトラブルに巻き込まれてしまったり、その逆にとんでもない幸運に恵まれたりすることもなきにしもあらずって訳で。でもまぁ、そう言う風なのは少数例で大多数の人は普通に人生を過ごしていくんだろうと思う。
 かく言う私だってずっと今の今まで極々平凡な人生を送っていたのだ。少なくても私自身はそのつもりだったし、これから先もずっとそう言う人生なのだと思っていた。極々平凡に学校を出て、極々平凡に社会人になって、極々平凡な恋をして、極々平凡に結婚して、極々平凡な家庭を作って。それが私の夢想であると思い知らされたのは、つい今し方のこと。母親からもたらされたその一言が私の人生を、極々平凡な人生を、二度と返らないものにしてしまったのだ。

STRIKE WITCHES

「炎城寺麻由良! あなたは実は魔法少女なのよ!!」
 朝起きて、顔を洗って歯を磨いて、着替えて学校に行く準備を終えてから朝ご飯を食べようとリビングの食卓に着いた私を待っていたのはそんな母の一言だった。
 焼きたてのトーストにバターを塗り、口にくわえようとした矢先の一言。ビシッと私を指差してそう言った母は何かとても嬉しそうな顔をしている。一瞬の沈黙and硬直の後、私は何事もなかったかのようにトーストを口にくわえた。うん、やっぱり焼きたてのトーストにはバターかマーガリンよね。どっちかって言えばバターの方がGOODだけど。今朝の朝食は卵焼きとハムのいわゆるハムエッグと買い置きのコールスローサラダ。実は目玉焼きが嫌いな私のわがままでハムエッグは目玉焼きじゃなくって卵焼きになっている。
「無視しないで〜、麻由良ちゃ〜ん」
 いきなり思い切り無視されたお母さんが泣きそうな顔でそう言うけど、あっさりと無視。朝っぱらお母さんの戯言につきあっている程暇ではないのだ。
「武文、ソースとって」
「はい、姉ちゃん」
 正面に座っている弟の武文にソースの瓶をとって貰う。流石はと言うか何と言うか、我が弟も見事なまでに母親の戯言をスルーしている。
「ひぃ〜ん、武文ちゃんまで〜」
 既に母は半泣きだが、それでも朝の貴重な時間を訳のわからない戯言で潰すわけにはいかない。朝ご飯を食べ終わった私はもう一度洗面所に向かい、今度は髪の毛を整え始めた。それほど長いわけでもないけど、寝癖とかあったらみっともないし。
「麻由良ちゃん、お話聞いて〜」
 うるうると瞳を潤ませて洗面所の入り口に縋り付いているお母さん。少し可哀想な気もしたが、それでも相手にはしない。今は髪の毛を整える方が大事だからだ。何と言うかかなり癖が強いから毎朝大変なのだ。我が髪の毛ながら。放っておいたら右に左に上に下にと跳ねまくってしまう。
「はいはい、帰ってきたら聞いてあげるからまた後でね」
 そう言って私は何とか髪の毛を整え、洗面所を後にする。
「麻由香ちゃん、時間がないのよ〜」
 泣きそうな声でそう言いながらお母さんが私の後をついてくる。
「私も時間がないの。そろそろ行かなきゃ遅刻しちゃう」
 ちょっと冷たいかな、と思わないでもないけど、時間がないと言うのは本当だ。こう見えても無遅刻無欠勤。成績はあんまりよくないけど、運動は得意の健康優良児を地でいっている私だ。お母さんの訳のわからない戯言を聞いていて遅刻するなんてとんでもない。さっさと通学用の鞄を手にして家から飛び出していく。
「いってきま〜〜す!!」
「麻由良ちゃ〜〜〜ん」
 後ろからお母さんの声が聞こえてきたけどここで足を止めるわけには行かない。遅刻ギリギリって訳じゃないけど、それでも学校まで距離もあることだし、一応帰ってきたらお母さんの戯言につきあってあげるって言っておいたし、これで充分だろう。

 通学路の途中にある桜並木。あれだけ咲き誇っていた桜も散り始めたらあっと言う間でもう葉桜って感じ。いつものようにその桜並木を軽く駆けながら通り抜けていると、後方からやってきたMTBが私を追い抜き、少し走ってから止まった。そして、乗っていた子が私の方を振り返り、片手をあげる。
「よっ、まゆっち」
「おはよう、浅葱」
 彼女は水前寺浅葱。小学校の頃からの私の大親友。超のつく健康優良児ただしバカという評価の私に対して浅葱は超のつくエリート少女。学業よし、運動神経よし、家柄もこの辺りでは名家に入る部類だし何と言っても背も高くスタイル抜群の上に超美少女。あえてマイナス点を上げるとすれば、その性格だろうか。クールと言うか素っ気ないと言うか、あんまり喜怒哀楽の表情を表に出さない、むしろ無表情すぎる少女。それが周りに取っ付きにくさを与えてしまうんだろうけど、実際つきあってみると意外な程気さくで友達づきあいのいい奴だと言うことがわかる。でなければ長年親友などやってない。
「この辺りで追いつくとは少し寝坊でもしたか?」
 薄く微笑んで浅葱がそう言う。彼女の家は私の家よりももっと学校から遠い位置にある。だからこそ自転車通学が許されているのだが。しかし、そこそこのお嬢様なのに自転車、しかもMTBで通学なんて。お嬢様ならお嬢様らしく車で送ってもらえばいいのに、と昔言ったことがあるがそれは彼女自身がイヤだと言って突っぱねているらしい。そう言うことをして周りから自分を見る目が変わるのがイヤなんだそうだ。
「浅葱が少し早かっただけじゃないの?」
 まさかお母さんが朝っぱら訳のわからないことを言いだしてそれで遅くなった、とは言えず、とりあえずそう言って誤魔化してみる。
「それはない。私はいつもと同じ時間に家を出た。それにいつもと同じペースでここまで来たのだからまゆっちの方が遅かったと言うことになるはずだ」
「イヤでもちょっとぐらい早かったという可能性も」
「その可能性は否定しないがそれでも微々たるものだろう。普段ならもっと先でまゆっちを捕捉するから、やはり今日はまゆっちの方が遅い」
 何か理路せーぜんと言い返されてしまった。こう言う時、自分が、平たく言えばバカだと何も言い返せなくて悔しくなる。ついつい悔しさのあまり頬を膨らませてしまう。
「しかしまぁ、充分間に合う時間帯だから別に構わないんだが」
「なら朝から絡まないでよ」
「まぁまぁ、そう言うな。こういう事が言えるのも長年の親友づきあいならではだろう?」
 そう言った浅葱の口調は何処か楽しそうだ。教室ではあまり喋らないでクールに振る舞っている彼女だが、実際のところはこんな奴だ。人をからかって楽しんでいる。その対象はいつも私。全く人をなんだと思っているんだか。
「そうむくれるな。可愛い顔が台無しだぞ」
「うるさい。浅葱なんか嫌いだ」
「では今日の帰りに何か奢ろうじゃないか? そう言えばオーヴの新作食べたがっていただろう」
 その発言に、何ともあっさりと私の怒りは吹き飛んでしまう。ちなみにオーヴとは駅前通商店街にある甘味屋のこと。うちの高校でも密かに大人気なスポットで、そこの新作のパフェを一度食べてみたいと思っていたんだけど、実はちょっとお金がなくって我慢していたんだけど、奢ってくれるというなら話は別だ。
「仕方ないわねぇ。それで手を打ってあげましょう」
「うん、そうしてくれるとありがたい」
 私がそう言うと、浅葱は満足げに頷いた。
 そこから学校まで私は他愛ない話をしながらMTBを降りて一緒に浅葱も歩いてくれる。これはまぁ、いつもと同じだ。私と合流するといつも浅葱はMTBを降りてくだらないおしゃべりをしながら学校まで歩いていく。と言っても色々喋っているのはもっぱら私の方で浅葱と言えば相槌をする程度。何でも私の話を聞いているのが楽しいんだそうだ。
 彼女の家は名家と言うだけに結構厳格な感じで、何度か遊びに行ったことがあるけど、初めて遊びに行った時は何と言うか余りにも厳格な雰囲気に息が詰まりそうになった。それだけに私がするテレビの話題やらうちの母親や弟、姉のくだらないエピソードがとても新鮮に聞こえるらしい。そう言うものなのだろうか、と思いつつも私も彼女に提供するエピソードに事欠かないのだから。小学校の頃に知り合い高校までずっと一緒でよく話が尽きないものだ、と自分でも呆れてしまう。

* * *

 桜並木をたくさんの学生が通り抜けていく。勿論その中には麻由良や浅葱の姿もある。他にも幾人もの学生がわいわい騒ぎながら桜並木の下を通り過ぎていく中、何やら黒い靄のようなものが一本の桜の木にまとわりつこうとしていた。
 それはまるで意思があるかのようにその桜の木に狙いを定めてその幹にまとわりついていく。するとどうだろう、その桜の木が見る見るうちに枯れだしたではないか。その一本を完全に枯らし終えると黒い靄は染み込むようにして桜の木の幹に同化していく。
 黒い靄が完全に桜の木に同化すると、今度は先ほどとは逆にどんどん木が若返っていった。あちこちに伸びた枝に若々しい葉が生え、まるで撮影した映像を逆戻しに再生するかのように葉が小さくなり花が咲いていく。明らかに異常現象だ。しかし、それに誰も気付かない。いや、気付けないのか。まるでそこだけ何かの結界でも張られているかのように、誰も桜の木の異変に気付かないまま通り過ぎていく。
 だが、そんな中、たった一人だけその異変に気付いているような感じの人物がいた。その人物は唐草模様の風呂敷で頬被りをして、更に四月も末の暖かい時期だと言うのにトレンチコートを着て、とある桜の木の陰に身を隠しているというとてつもなく怪しい様子であった。しかし、身を隠していると言っても一体何から身を隠しているつもりなのか、桜並木を歩く人たちには丸見えになっている。わかっていないっぽいのは当の本人だけ。
「遂に来ちゃったかぁ……この調子だと麻由良ちゃんが帰ってくるまでに何とかしないと成長しきっちゃうし。こんな時に夏芽里ちゃんがいてくれたらよかったんだけど……」
 何か非常に焦ったような感じでぶつぶつ呟いているその人物。声からすれば女性だと言うことは何となくわかる。しかし、端から見ればどう考えても不審人物だ。
「むうう〜。でもいないのは仕方ないし、こうなったらちょっと自信ないけど自分でやっちゃうしかないかなぁ……?」
 考え込むように腕を組み、俯く不審な女性。
 そんな彼女を見て、ひそひそ話しながら通り過ぎていく学生達。
 しばらくの間何事かを考えていた女性だが、やがて、ようやく決意を決めたのか大きく頷くとすっと立ち上がった。そしてその場を離れようと踵を返した時、彼女の前に制服を着た警官が立ち塞がった。
「……こ、こんにちわ〜」
 とりあえず友好的に挨拶してみる彼女だが、自分が今どう言った格好をしているかまるで思い至っていないらしい。どこからどう見ても、頭の上から足の先まで不審者だ。とてもじゃないが、警官が友好的に接してくれそうな格好ではない。
「オホン、とりあえず交番まで来て貰おうか。話はそこで聞くから」
 冷たくそう言って警官は彼女を連れて歩き出した。
「ひぃ〜〜ん、こんな事している場合じゃないのにぃ〜〜!!」
 流石に人気の無くなった桜並木に彼女の泣き声だけが響き渡る。
 そして、去っていく警官と不審女性の後方で例の桜の木はその根っこをまるで足のようにしてもぞもぞと動き出すのであった。

* * *

 時刻はお昼休み。とりあえずお弁当を、と思ったけど今日の朝はお母さんがあんな調子だったから作ってない、と言うことを思い出した。
「む〜〜、学食かぁ……」
 うちの高校の学食の評判はそれなり、だ。決しておいしくないわけでもないんだけど、あくまでそれなり。微妙なところだと思う、私としては。とりあえず学食と言うことで値段が安いのは大いに助かるんだけど、決してお小遣いが多いわけでもない私としてはなかなか考えてしまう選択肢ではある。
「まゆっち、お昼はどうするんだ?」
「今考え中」
「学食に行くのならつきあうぞ」
「だから今考え中」
「早くしないとパンも売り切れになってしまうからな。決めるなら早くしたほうがいい」
「ん〜。じゃあ行くか〜」
 そう言ってようやく立ち上がる私。その後ろからはお弁当を持った浅葱がついてくる。ちなみに彼女のお弁当は彼女の家にいる使用人が作ったものらしい。その腕前はプロ級ではっきり言ってうちのお母さんよりもおいしい。少しは見習え、我が母よ。最近手抜きが多いぞ。とまぁ、この場にいない母に文句を言っても仕方ない。
 とぼとぼと歩きながら何を食べようかなぁと考えてみる。お小遣いの残りと次のお小遣いのもらえる日を考えると……そう言えばいつも買っている雑誌の発売日がもうそろそろだったし……そうなるとやはりパンがいいか。しかし人気のあるパンはあっと言う間に売り切れるし、考えていて少し出遅れた感があるから残っているパンもたいしたものはないだろう。別に一食ぐらい抜いたところで我慢出来ない訳じゃないけど、それをすると浅葱がうるさいしなぁ。
「まゆっち」
「う〜〜〜〜ん」
 腕を組みながら何を食べるか考える私。気のせいか浅葱の声が聞こえたような気もしたが、それよりも何にしようかの方が今の私にとって優先する事項だ。
「聞こえないのか、まゆっち」
「う〜〜〜〜ん」
 未だ唸っている私。考えがまとまらない。パンにするか、それともうどんとかにするか、はたまた丼ものにするか。午後の授業のことを考えると何でも構わないんだけど。どーせ半分くらいは睡魔に負けてるんだろうし。
「……危ないぞ、まゆっち。警告はしたからな」
「う〜〜〜ん……って、警告!?」
 浅葱の口からでた物騒な言葉に思わず足を止めて振り返ると、浅葱は私のはるか後方にいた。どうやら随分大きい声でその警告とやらを発してくれていたのだとその時になってわかる。
「一体何なのよ、警告って」
 そう言いながら彼女の方に足を一歩踏み出した時だった。物凄い、それこそシャレにならない程の衝撃が私を襲う。
「うきゃああああああああああああっ!!!」
「ひいいいい〜〜〜〜〜〜〜〜んっ!!!!」
 そのシャレにならない衝撃に思い切り吹っ飛ばされ、何て言うかよくわからない悲鳴を上げる私。同時になんか聞き慣れた悲鳴も私の耳に飛び込んでくる。その悲鳴が誰のものか思い出すよりも早く、私の身体は何か浮遊感を感じていた。
 私と浅葱がいたのは校舎とは別棟にある食堂とをつなぐ渡り廊下。先ほどの衝撃はその渡り廊下をも吹き飛ばしてしまったらしい。窓ガラスの破片やらサッシやらコンクリートの瓦礫なんかと一緒に宙を舞う私の目に驚いている浅葱の顔が見える。何て言うか、随分下の方に。ああ、何と言うか派手に吹っ飛ばされているんだなぁと何処か冷静な部分の私が思う。このまま地面に叩きつけられたら、痛いだろうなぁとか。
 と、その地面がどんどん近付いてきた。いやはやニュートンさんは立派だ。彼はリンゴが自然落下するのを見て万有引力を発見したと言う。まさかそのリンゴと同じ経験が出来るとは。光栄……な訳がないでしょうにっ!! そ、そうだ。こう言う時は前に体育の時間で習った柔道の受け身をとれば! 理論上あれで衝撃を逃がせるはず! って、こんな速さ&高さで出来るか、そんなこと!! 冷静な部分の私と慌てている部分の私が激しいボケとツッコミを繰り返している。そんなことをしている間にも地面はどんどん迫ってきていて、もはやどうしようもない、と私が目をきつく閉じたその時だった。何かぽよんと柔らかいものに私の顔が包まれる。
「へ!?」
 何が何だかわからないけども、それでもその柔らかいものに包まれていると何故か安心出来た。
「舌噛まないようにしてなさい!」
 ギュッと私の方に腕が回されて、私を堅く抱きしめる。その分私の顔はその柔らかいもの――多分胸だと思う。しかもかなり豊満な――に押しつけられてしまう。それも息が出来ないほどに。
「我が身を守れ、”反射結界”!」
 耳に届くその声には確かに聞き覚えがあった。でも、それよりも先に私は自分たちの周囲に何かが発生したと言うことを感じ取っている。何でかはわからないけど、その何かが私たちを守ってくれると言うことを私は瞬時に理解していた。そして、事実私たちが地面に激突しそうになった瞬間、まるで見えないゴムボールにでも包まれているかのように私たちの身体は地面からバウンドしていた。それから二、三回程地面をバウンドしてからようやく周囲に発生していた何かが消えた。
「よし、久し振りだったけど成功だったわ。よかったぁ」
 私をギュッと抱きしめている人がそう言って安堵のため息を漏らす。のはいいんだけど、こっちはギュッと抱きしめられていて苦しいんですけど。と言うか、この頃にはこれが誰であるかわかっていた。だから思い切りもがいてやる。
「……あ、ごめんなさい、すっかり忘れてたわ」
 そう言って私をようやく解放する。
「ぷはぁ〜〜〜」
 解放された私は大きく息を吸い込むと、目の前に立っている人に向かって思い切り怒鳴りつけた。
「何やってるのよ、お母さんっ!!!」
「ひぃっ、助けてあげて第一声がそれ?」
「そもそも巻き込んだのもお母さんでしょうにっ!!」
「そ、それはそうだけどぉ。朝ちゃんと麻由良ちゃんがお話聞いてくれていたらこんな事にはならなかったのよぉ?」
「どー言う意味よ?」
 ジロッとお母さんを睨み付ける。しかし、よく見てみると何とも変な格好をお母さんはしている。いや、変と言うよりも自分の歳を考えろと言う格好か。肩丸出しのそれも胸元を妙なくらいに強調した赤が基調のフリフリドレス。スカートも短い目な上に中にワイヤーでもいれているのか妙な位に膨らんでいる。両腕には赤いラインの入った長手袋をして、履いているオーバーニーソックスは赤と白のツートン。足下には赤い編み上げブーツ。ついでにいつもは黒い髪の毛が今は真っ赤になっている。
 何処の魔法少女だ、これは。自分の歳を考えろと言いたい。子供が三人もいる母親のする格好じゃないだろう、これ。思わず脱力してしまい、その場に膝をついてしまう私。
「な、何て格好してるのよ。近所の人に見られたら恥ずかしくて出歩けないじゃない」
「大丈夫よぉ。ちゃんと不可視の防壁かけてるから魔力のない人には見えないようになってるって」
 お母さんはそう言うと何が嬉しいのか満面の笑みを浮かべて見せた。しかし、一体何を言っているんだろう、この人は。不可視の防壁だの魔力だの、ここまでアニメとか好きな人じゃなかったはずなんだけどな。
「全く、冗談言ってないで。ほら、そんなコスプレも止めてよね、もう」
 私はそう言ってこんな恥ずかしい格好のお母さんが他の人たちに見つからないように物陰へと引っ張っていこうとする。だけど、お母さんはそんな私の手を振り払ってじっと私の顔を覗き込んだ。
「コスプレじゃないわよぉ。それにさっき助けてあげたでしょ? もう忘れたの?」
「さっき?」
「ほら、大きく吹っ飛ばされたじゃない。麻由良ちゃんも一緒に」
 お母さんがすっと向こうを指差した。その指先の指し示すところを見てみると結構向こうの方に完全に崩れ落ちた渡り廊下だったものが見える。どうやら吹っ飛ばされたのは夢とかそう言うものではなかったらしい。と言うことはお母さんに助けられたと言うのも嘘ではないと言うことで。でもだからと言って……何て言うか、情報が無さ過ぎ。とりあえず説明して貰わないことには何が何だかわからない。
「とりあえず説明して。もう何が何だか」
 呆れたようにため息をつきつつ、私がそう言うとお母さんはようやく我が意を得たりと言った感じで大きく頷いた。だけど、すぐに自分が吹っ飛ばされてきた方向、つまりは渡り廊下のあった方向を見ると少しだけ険しい表情を浮かべて見せた。お母さんがこんな表情をすることあるなんて珍しい。いつも何考えているんだろうって位ニコニコと笑顔を絶やさない人なのに。こんな顔も出来るんだなぁっとちょっとだけ不謹慎にも思ってしまう。
「やばいわね。ちょっと予想外な展開って感じ?」
 何かそう呟くとお母さんは私の方を向いて、私の手をギュッと握った。そしてにっこりと微笑む。何かイヤな予感がする。お母さんのその微笑みを見た瞬間、私の直感がそう告げている。
「麻由良ちゃん、しっかり捕まっていてね?」
「は?」
 一体どう言うことかとお母さんに問いただすよりも先にお母さんと私の身体がふわりと宙に浮いた。
「え? ええ?」
 常識では有り得ないこの現象に地面とお母さんを見比べる私。
 お母さんはそんな私に向かってまたにっこりと微笑むとさっと左手を一回転させた。すると何もない空間からそこに箒が現れる。その箒にすっと慣れた感じで跨るお母さん。私はと言えばお母さんに手を引かれるまま、すぐ後ろに座らされる。
「ちょっと飛ばすからしっかり捕まってるのよ? 振り落とされないようにね?」
「え? ど、どう言うこと? ちゃんと説明……いぃぃぃっ!!!」
 最後まで言いきる間もなく、物凄い速さでお母さんと私を乗せた箒が発進した。自転車とかバイクとかの比じゃない。とんでもないスピードだ。振り落とされないようにお母さんの身体にしっかりと腕を回して抱きつく。これでもその速さに負けそう。何て言うか、有り得ないでしょ、これ。

 お母さんと私を乗せた箒が辿り着いたのは駅前の商店街の近くにあるビルの屋上だった。ようやくあの速度から解放された私は屋上に足をつけるなりぐったりとその場に踞ってしまう。
「な、何なのよ、今のは……」
 気のせいか物凄く体力を消費した気がする。多分気のせいじゃないと思う。そう言えばまだお昼ご飯も食べてないことだし。
「あちゃ〜……さっきよりも大きくなっちゃってる。この調子だと私じゃもうダメねぇ」
 そんなお母さんの声が聞こえたので私は何とか顔を上げてみた。お母さんの見ている先は駅前のロータリー。そこには満開の桜の木があった。ん? あんなところに桜など無かったような気がするんだけど。しかも何か根っこの辺りがもぞもぞと動いているし。
「う〜〜ん、ここはやっぱり次世代の麻由良ちゃんに任せちゃう方がいいかなぁ?」
「……何、あれ?」
 一人ぶつぶつ言っているお母さんに私は尋ねてみた。何て言うか、余りにも有り得ない状況に思考が麻痺しかけているような気がしないでもない。
「あれは、その、何て言うかぁ、私たちは”歪み”って呼んでいるんだけど、いわゆるこの世界における負の思念が寄り集まっちゃって生まれた怪物みたいなもの、かな?」
「ゴメン、よくわからないんだけど」
「簡単に言っちゃうと悪い奴なの。人に害を加える悪い奴。それを倒すことが出来るのは正義の魔法少女だけ。と言うことで麻由良ちゃん、ガンバ!」
「ガンバじゃない! 何で私がそんな事しなくっちゃいけないのよ! だいたい魔法少女ってアニメとかゲームとかじゃあるまいし現実にいるわけがないでしょうが!!」
「いるわよぉ、ちゃんと」
 私の言葉にあっさりとお母さんが応える。一体何を言っているの、と言いたげな顔で私を見ながら。
「何処にいるのよ、そんな怪しげなものが」
「麻由良ちゃんの目の前」
「目の前ってお母さんだけじゃ……ええ〜〜〜!?」
 思わず思い切り驚きの声をあげてしまう私。確かに言われてみればお母さんの格好は魔法少女のそれっぽい。し、しかし……いや、でもさっき本当に空飛んでたし。何か認めたくない自分がいてしまうのは何故だろう。
「でももうダメねぇ、お母さんじゃ。何て言うか、認めたくないけどもう若くないし、あまり無茶も出来ないし。ほら、お父さんとか麻由良ちゃんとか武文ちゃんとかいるしね」
「だ、だからってどうして私がっ!?」
「それは勿論私の娘だからよ!」
 そう言ってビシィッと私に指を突きつけるお母さん。何かとっても嬉しそう。
「お、お姉ちゃんだっているじゃない! 今はいないけど……あっちはどうなのよ!」
 そう、私には一人姉がいる。今は大学生で、現在イギリスに留学中。妹の私から見ても何て言うか、自堕落な人で家の中じゃ面倒くさいと言ってキャミソールだけで過ごしていたり、冬場だったらトレーナーにトレパンというとてもじゃないけど人前に出せないような格好でいたりする、何とも素敵なお姉さまだ。その姉を差し置いて何で私がお母さんの跡を継がなきゃならないんだか。
「何言ってるのよ。夏芽里ちゃんはもうとっくの昔に受け入れているわよ」
「へ?」
「そもそもイギリス留学って半分くらいはそっち関係の修行も兼ねてるしね」
「ホ、ホ○ワーツ!?」
「いや、流石にそれは……とにかくこれでわかったでしょ?」
「わかるわけあるかっ! お母さんが出来るならお母さんがやればいいじゃない! 私は極々普通の少女でいいの!!」
 私がそう怒鳴るとお母さんは少し悲しそうな顔をして、私から視線を外した。それからしゃがみ込み、いじいじと指をつきあわせる。
「そうよ、お母さんだって別に無理矢理やらしたい訳じゃないもの。でももうお母さんじゃどうにも出来ないもの。昔程魔力あるわけでもないし、出来るならやってあげたいけど、もう敵わないってさっき思い知らされちゃったし。やっぱり若い方がいいんだろうし。それにこの歳でもう魔法少女なんか名乗れないし」
 うわ〜、本気でいじけてるよ。と言うか、自分でもわかっていたのか、歳のことは。気のせいかちょっと前までノリノリだったような気もしないでもなかったけど。
 しかし、だからと言って私がお母さんに変わって魔法少女をやる理由にはならない。と言うか、出来る気がしない。本音を言えばやりたくはない。私は極々普通、平凡で充分なのだ。魔法少女などと言う訳のわからないものになりたくはない。だけど。
 チラリと駅前ロータリーにいるもぞもぞ動いている桜の木を見やる。さっきは気がつかなかったけど、よく見れば車を踏み潰していたり枝を伸ばしてパニックに陥っている人にちょっかいをかけたりしている。あれを止めることが出来るのは魔法少女だけ。で、その魔法少女であるお母さんはもう現役じゃないみたいであいつに敵わない、と。
「む〜〜〜」
 果たして自分が選ぶべき最良の選択肢は一体なんだろう。腕を組んで考えてみるけど、答えはなかなか見つからない。そんな風に考え事に夢中になっていた私にいつの間にか立ち上がっていたお母さんが近付いてきた。そして、すっと私の首に何かをかける。
「へ?」
 私が顔を上げるとお母さんがニコニコと私に微笑みかけてきた。何となくイヤな予感を覚えた私が視線を下げると胸元には赤い宝石っぽいものをあしらったペンダントがかけられている。
「麻由良ちゃん」
「な、何?」
 じっと私の顔を見つめながら微笑んでいるお母さん。何故か私は身構えてしまう。一体次に何を言い出すかわかったもんじゃない。思い切り警戒してしまう。
「それはお母さんのお母さん、つまり麻由良ちゃんのお婆ちゃんから貰った大事なものなの。無くしたりしないでね」
「お母さん……?」
 先までとちょっとお母さんの様子が違うと言うことはすぐにわかった。何か悲壮な、そんな感じがする。
「そんなにイヤなんじゃ仕方ないわ。お母さん、もうちょっと頑張ってくるから、ここで待っててね」
 そう言ってお母さんは私の肩をポンと叩くと、すっと私に背を向けた。そしてここに来るのに乗ってきた箒に跨り、すうっと宙に浮いたかと思うと一気に飛び出していった。それを見た私が慌てて屋上の一番端まで走っていくと、お母さんが桜の木の怪物に突っ込んでいくのが見える。さっき、ほんのついさっき自分じゃもう勝てないって言ってたのに。私が嫌がったから?
 箒に跨っていたお母さんがすっとその箒の上に立つ。そして両手を大きく振りかぶって前に突き出した。一体何をする気なんだろう。そう思って見ているとお母さんの手の先に炎が集まっていくのが見えた。
「必殺! ”灼熱の弾丸”!!」
 お母さんが叫ぶ声が聞こえたと思った瞬間、その手の先にあった炎が桜の木の怪物目掛けて飛んでいった。相手はいくら怪物だと言っても木であることには違いない。この一発で勝負はついた、と私は思ったけど、どうやら桜の怪物はお母さんの攻撃に気付いていたみたいで大量の花びらを飛ばしてお母さんの放った炎の玉を防御してしまう。
「ああっ、もうっ!」
 お母さんの攻撃をあっさりと防御する桜の木の怪物を見て、何故か私が悔しくなる。でもお母さんは防御されることがわかっていたのか、次々と炎の玉を生み出してはそれを桜の木の怪物目掛けて飛ばしていく。桜の木の怪物はそれこそ桜吹雪のように花びらを舞わせてその炎の玉を全て受けきってしまった。
「何で……何で通じないの?」
 いくら怪物化してるからって、それでも元は桜の木で、桜の花びらなんかで炎の玉を防御出来るなんて事は有り得ないはず。普通だったら燃え上がってしまうはずなのに。一体どうして? お母さんの魔力が弱くなっているから? それともあの怪物が強い所為? 何か急に不安がこみ上げてくる。
「お母さん……!」
 魔法少女の力がどれだけのものかわからないけど、無尽蔵に攻撃が出来るとは思えない。いつかは魔力が尽きてしまって、そうなったらお母さんが逆にやられちゃう。しかもそれはそう遠い話じゃない。何でかそう思った私は屋上なんかにいることが出来ず、階段へと走り出していた。
 エレベータなんか待っていられない。階段を一気に駆け下りていく。途中踊り場で何回か転んだけど、そんなことに構っている暇はない。早く行かないと、行ってどうなるものでもないけど、それでも行かないと。よりによって何でこんな高いビルの上になんか降りたのよ!

 汗だくになりながらようやくビルの一階にまで下りてきた私がガラス張りのドアを大きく開け放ったその時だった。桜の木の怪物の枝がお母さんの身体を貫いている、そんな信じられない、信じたくない光景がそこに広がっている。
「お母……さん……?」
 思わず口から漏れたのはたったのそれだけ。それだけの言葉を漏らすのにも私はひどく苦労したように思えた。ふらりとその場に膝から崩れ落ちてしまう。そんな私の目の前で桜の木の怪物がお母さんのぐったりとなった身体を放り捨てた。大きく放物線を描いて私の前に落ちてくるお母さん。
「お、お母さんっ!!」
 倒れてぐったりとしているお母さんの側に私は這いずるようにして近寄った。そして、お母さんの身体を抱き上げる。
「お母さん、なんで……どうして?」
 そう声をかけるとお母さんは力無く微笑んで私の頬の手を伸ばしてきた。
「ゴメンね、麻由良ちゃん。やっぱり勝てなかったみたい」
「勝てないってわかってて! 何で行ったのよ!!」
「誰かがやらなきゃ……放っておくわけにもいかないでしょ」
「だからって……だからってお母さんじゃなくても!!」
「今やれるのはお母さんだけ……麻由良ちゃんは嫌だったんでしょ? 無理強いしてもダメだから」
「そんなの……そんなのって……」
「泣かないで、麻由良ちゃん……お母さんはダメだったけど、麻由良ちゃんなら、あなたなら大丈夫。絶対に勝てるわ」
「お母さぁん……」
「やるの。あなたがやるのよ、麻由良ちゃん。悲しんでいる暇はないわ。あなたなら大丈夫だから」
 そう言うお母さんに私は泣きながら頷く。すると、それを見たお母さんが安心したように頷き返してくれた。
「で、でも、どうすればいいかわかんないよ。お母さんがいないと、どうしたらいいかわからないよ!」
 お母さんと違って私は魔法少女になったところでそうそう上手くは戦えないはずだ。何をどう言う風にすればいいのか全くわからない。お母さんがやったように箒で空を飛ぶ方法も手の先に炎を集めてそれを打ち出す方法も知らない。お母さんが教えてくれなきゃどうしようもないのに。そんな私の目の前でお母さんの身体が消えていく。まるで淡雪のように消えていってしまう。
「お母さんっ!!」
「大丈夫。あなたなら大丈夫だから……」
 微笑むお母さん。もうその身体のほとんどが消えかかっている。それを止めることは私には出来ない。
「頑張れ、私の後継者……」
 そう言って、お母さんの姿が完全に消えた。私の腕の中からお母さんの重みが消える。それが一体何を意味するか、私は一瞬理解出来なかった。でもすぐに理解してしまう。お母さんはもういない。もう二度とお母さんの声を聞くことも出来なければ、あの笑顔を見ることも出来ない。そう思うと、心の中に穴が空いたような気がした。
「お母さん……」
 ちゃんと話を聞いてあげればよかった。
「お母さん……」
 私に出来るんなら変わってあげればよかった。
「お母さぁん……!!」
 後悔ばかり。でも、もうお母さんは帰ってこない。お母さんはもういない。もう、いない。あの笑顔にもう会うことが出来ない。
 ゆらりと私は立ち上がる。そして、涙に濡れた目を手で拭うと、お母さんを奪った桜の木の怪物を睨み付ける。あいつが、あいつがお母さんを殺した。あいつが私から、私の家族からお母さんを奪った。あいつが年甲斐もなく子供っぽかったお母さんを。あいつが料理はあまり得意じゃなくって手抜きばかりしていたお母さんを。あいつが大好きだったお母さんを。
「このぉっ!!」
 私は何も考えずに飛び出していた。どうすればいいのか何て全くわからない。どうすれば魔法少女として戦えるのかなんかわからないから、そのまま突っ込んでいくしかなかった。
「よくもお母さんをぉっ!!」
 その声に桜の木の怪物も私に気付いたらしい。まるで目くらましのように桜の花びらを舞い散らせてくる。
「なっ!?」
 思わず足を止める私。目の前が桜一色に染め上げられる。何も見えない。もし、今攻撃されたら一溜まりもない、と考えていたら本当に攻撃された。桜の花びらの間をかいくぐるように鋭い枝が私に向かって突っ込んでくる。かわそうにも既に遅い、きつく目を閉じる私。
 ゴメン、お母さん、何も出来なかった。でも、すぐにそっちに行くね。そうしたらちゃんと謝るから。そう思った瞬間、胸のペンダントの宝石っぽいものがまばゆい光を放った。

 恐る恐る目を開けてみると、私の目の前で鋭い枝の先が止まっていた。
「え?」
 周囲を見回してみると、舞い散っていたはずの桜の花びらの一枚一枚も空中に静止している。まるで時間が止まってしまったかのように。
「ええ?」
 一体何がどうなったのか全然わからない。とりあえずおろおろしていると、私の目の前にふわりと火の玉が舞ってきた。
 その火の玉は私の周りを一周すると、私の前まで戻ってきてポンと弾けた。その中から現れたのは炎のような赤い髪の毛を逆立てた小憎たらしそうな顔の妖精っぽいものだった。
「ふぅん、あんたがそうなんだ?」
 その妖精っぽいものが私を指差して言う。
「何て言うか……冴えない顔」
 何なんだ、こいつは。いきなり出てきて人の顔を見て冴えない顔とは失礼な。心の広い私でも流石にムッとしてしまう。
「何なのよ、あんたこそ」
「あんたとか言うなー! あたいは火の精霊、サラマンダーだ! よぉく覚えておけー!!」
 サラマンダーとか名乗った火の精霊はぷんすかと頬を膨らませながらそう言って胸を張る。ふむ、その言動といい張った胸といい、一応性別があるとするならば女の子のようだ。精霊に性別があるのかどうかは知らないけど。
「それに今あんたを助けてやったんだから感謝しろー!」
 どうやらこの状況を作り出したのはこの子らしい。それを考えると実は物凄い力の持ち主なんじゃないだろうか。
「全く……で、そこの冴えないの、名前は?」
「誰が冴えないのよ、誰が」
 ムッとした私はサラマンダーの頬を両手で掴んで引っ張った。弟の武文が私の言うことを聞かなかった時によくやる技だ。しかし、予想外に柔らかいほっぺた。しかも結構伸びる。思わず何処まで伸びるのか試してみたい気分になってしまう。
「ひゃなへ〜!! ひふへひじゃぞ〜!!」
「う〜ん、何言ってるのか全然わからないわぁ」
 あ、何かちょっと楽しいかも。でも、そんな事している場合じゃないのよね。だから、少し名残惜しいけどサラマンダーの頬から手を放す。
「私は炎城寺麻由良。麻由良って呼んでくれたらいいわ」
 パンパンと手をはたきながら私が言うと、解放されたサラマンダーが私を恨みがましい目で見てくるのに気がついた。
「うう……前の契約者と言い今回のと言いどうしてこんな奴ばっかり……」
 何か嘆いている。よく見れば赤くなった頬を手で押さえて、少し涙目にもなっている。う〜ん、ちょっと可哀想だったかな?
「で、一体何なのよ、あんたは?」
「だからあんたって言うなー! あたいはサラマンダーって名前があるんだから!!」
「はいはい、わかったから。それと助けてくれたことに感謝はするわ。一応お礼もちゃんと言っておく。ありがとうね」
「むうう……まぁいいか。とりあえず契約するの?」
 ちょっと不服そうだったけど、とりあえずそれでもいいのか、サラマンダーが少し真剣な表情を浮かべてそう言ってきた。
「契約?」
「そう、契約。何、知らないの?」
「知らない」
「……あんた、何でここにいるのよ?」
「それは私が聞きたいわよ」
「いちいち説明するの面倒なんだけど……前の契約者から何も聞いてないの?」
「前の契約者ってお母さん……? お母さん、何も教えてくれなかった……」
 そう言いながら、私の頭の中にお母さんの最後の瞬間が思い起こされる。ちゃんとお母さんの話を聞いてさえいればこんな事にはならなかったかも知れないのに。お母さんだって死なないで済んだかも知れないのに。また目に涙が溢れ出してくる。
「わわっ!! 泣かないでよ!! あたいが悪い事したみたいじゃないのさ!!」
 私の目に浮かんだ涙を見てサラマンダーが慌てた声をあげる。何だ、こいつそれほど悪い奴じゃないみたい。慌てて私は目に浮かんだ涙を手の甲で拭った。
「ご、ゴメン」
「うう〜、何か調子狂うなぁ。とりあえずかいつまんで説明すると、あたいと契約するとあんたは魔法少女になれるのよ!」
 ビシッと私を指差して言うサラマンダー。何か物凄く自信たっぷりに言うんだけど、はっきり言わせてもらえれば、かいつまみすぎ。
「魔法少女になれば凄いわよぉ。とりあえずあたいはその名の通り炎の精霊だから基本的に火属性の魔法がメインになるけど、それ以外にも空を物凄い速さで飛べるようになったり、並大抵の攻撃って言うか物理衝撃は弾き返すことだって可能になるし、それに何と言っても若さが物凄い勢いで保てたりするし!」
 ああ、だからお母さんいつまでも若々しい訳なんだ。もういないけど。何か今頃色々とわかってくるなんて、ね。
「ああ、もう! だから何でそこで泣くのよぉっ!!」
 サラマンダーの慌てた声にようやく私はまた泣いていることを知った。お母さんのことを思い出すともう際限なく涙がこぼれだしてくる。これはもう、私にはどうしようもないことだった。止めようにもどうにも止められない。
「ねぇ……魔法少女になったら、お母さんの仇、討てるのかな?」
 小さい声で私が尋ねる。
「え?」
 よく聞こえなかったのか、サラマンダーが私の顔をじっと見てきた。
「お母さんの仇、討てるの?」
「……あんまりそう言う個人的なことに魔法を使うってのはお勧め出来ないことだけどね。でも、今回だけはあんたの事情を考えて、まぁ、許可するわ」
 少し神妙な顔になってサラマンダーがそう言う。
「それってつまり」
「討てるわよ。いいえ、討たせてあげる。あんたは、若いし、素質もある。そこにこのサラマンダー様の力が加わればあんな”歪み”なんかあっと言う間にぶっ飛ばせる」
 怖い程真剣な顔をして言うサラマンダー。さっきまでの彼女とはまるで違う表情に、思わず私は一歩足を引いてしまう。たじろいでしまう。
「でもそう言う風に魔法を使うのは今回だけ。個人的事情で魔法は本当は使っちゃいけない。あんたの気持ちがわかるから、今回だけは見逃してあげる」
 じっと私の目を見つめるサラマンダー。
「それと一つ言っておくけど、一度結んだ契約はそう簡単には破棄されないわよ。一生続くと思ってちょうだい。まぁ、それでも魔力ってのは歳と共に減退していくものだから、死ぬまで何かさせようって事はほとんど無いけど。それでもいいなら契約するわよ」
 ごくりとつばを飲み込む私。今、ここでサラマンダーと契約して魔法少女となったらもう二度と平凡な生活には戻れない。魔法少女としての生活が待っている。何をどうすればいいのかわからないけれど、何がこの先あるのかわからないけれど、それでも、お母さんと同じ道を行くんだと思ったら、すぐに決心が付いた。
「わかった。あんたと契約するわ」
 大きく頷きながら私がそう言うと、サラマンダーは笑みを浮かべて頷き返した。そして私の方にゆっくりと手を伸ばしてくる。
「あんた、名前は?」
「さっき言ったわよ」
「もう一回、ちゃんと聞かせて」
「もう、ちゃんと聞いておきなさいよ。私の名前は炎城寺麻由良。覚えた?」
「そう言う意味じゃないわよ。契約に必要なの。全く、これだから無知な人間てやなのよ……」
 ぶつぶつ言いながらサラマンダーの伸ばした手が私の頬に触れる。続けて身体を寄せて私の額と自分の額をくっつけてくる。
「我が名、火の精霊サラマンダー。彼の者の名、炎城寺麻由良。我が名と彼の者の名、二つを重ね、一つと為す。この一つを持って契約と為し、我が力、彼の者の力と為す」
 サラマンダーの口から聞いたことのない言語が漏れだしてくる。だけど、何を言っているか、その意味は頭の中で理解出来ていた。何でかはわからない。これこそが魔法少女、なのかも知れないとぼんやりと思う。
「ここに炎城寺麻由良を新たな魔法少女として認め、その力の行使を許可するものとする。”契約締結”!!」
 サラマンダーがそう言った瞬間、私の胸のペンダントがまばゆい光を放った。

 まばゆい光の中、私の着ている制服がはじけ飛ぶ。同時に真紅の炎が私の全身を包み込んだ。
 真紅の炎が私の足にまとわりつき、赤と白のツートンのニーソックスとなる。更にその上にも炎が絡み付き、赤い編み上げブーツとなった。ぴんと伸ばした両腕にも同じように炎が絡み付いて真っ赤なロンググローブになり、手首から肘にかけての辺りにはまるで籠手のような白い装甲が現れる。身体にはまず、白いレオタードのようなものがぴっちりと上から下まで包み込み、その上に赤いブラ状の胸当て、下半身は腰の辺りに太めのベルトが現れてそこからあまり長いとも言えないスカートが発生する。更に赤い縁取りのケープが肩にかけられて、そして、ペンダントの光が収まって、それで完成。
 全体的にお母さんとよく似ているけど、でもお母さん程豊満な体つきでもない私のスタイルを反映してか少し落ち着いた雰囲気の格好になっている。でもまぁ、それでもこれぞ魔法少女、と言う感じは否めないのだが。

 魔法少女への変身を完了した私が一応自分がどう言った格好をしているのか確かめていると、いきなり周囲の時間が動き出した。空中で静止していた桜の花びらが動き出して、そしてさっき私を貫こうとしていた枝が私の方へと突っ込んでくる。
「げげっ、すっかり忘れてた!!」
――大丈夫! 心配ないって
 頭の中に聞こえてくるサラマンダーの声。
 事実、サラマンダーの言う通り、私の目の前で、まるで見えない壁にでもぶつかったかのように突っ込んできていた枝が弾かれた。安堵のあまり思わず私はその場にへたり込んでしまう。
――言ったでしょ、物理衝撃は弾き返せるって。
 何処か楽しげなサラマンダーの声が直接頭の中に響いてくる。それはともかく、これならあの桜の木の怪物なんて怖くないわね。向こうの攻撃が通じないんじゃこっちが一方的にぶちのめせるってわけだし。
――一応注意しておくけど、そう何度も弾き返せるってわけでもないからね。
「はい?」
――何事にも限界ってあるの。この防御結界だって同じ。
「ええっ!?」
――それで弾き返せるのは物理衝撃のみ。魔法による攻撃は素通ししちゃうから要注意。
「P,P○装甲じゃないんだから! 何なのよ、それはっ!!」
――そう言うものなの! 理解しなさい!!
「くうっ……魔法少女と言えど何でも出来るってわけでもないのね。わかったわ」
 何かそれはそれで悔しいという気もしたが、そう言う仕様になっているのなら仕方ない。それに守ってばかりじゃどうすることも出来ない。お母さんの仇だって討てない。だからここは気を取り直して攻撃開始よ!
「で、どうすればいいの?」
――あれだけ威勢よくやっててそれはないと思う……。
 あからさまなまでに落胆したようなサラマンダーの声が聞こえてくる。でもわからないんだから仕方ないじゃない。だいたい私はまだ魔法少女初心者なのよ。車で言えば教習所出て免許貰ったばかりの若葉マーク付。いやいや、教習所に行って初めて車に乗った状態って言った方がいいか。
――その例えはよくわからないんだけど、とりあえず魔法の使い方ね。わかったわ。
 気のせいか、サラマンダーの声が少し呆れているように感じる。失礼な。誰だって始めてやるゲーム、説明書無しでなんかやれないでしょうに。新しく買った家電、説明書無しじゃわけわかんないでしょ。
――わかったって言ったでしょ! もう例えはいいからこっちの話聞きなさい!!
 うわ、キレられた。
――あんたねぇ……。
 う〜ん、声が怒ってる。いい加減にしないと魔法の使い方とか教えてもらえなくなっちゃうかな。
「わかった、わかりました。それじゃ早く教えてよ」
――何か納得のいかないものを感じるけど、とりあえず今は保留にしておくわ。えっと、まずは精神を集中させて。相手の攻撃は大丈夫、防げるはずだから。
 すっと目を閉じて言われた通り精神を集中させる。耳には桜の木の怪物がバシバシと防御結界を叩いている音が聞こえてくるが、それはあえて無視。心からも閉め出す。
――次はイメージ。あたいは火の精霊だからそれ関係の攻撃方法をイメージして。
 サラマンダーの声を聞きながら私はお母さんがやったように火の玉をイメージした。すると自然と身体が動く。両手を広げて、ゆっくりと前へと構える。
――OK、それじゃこれが最後よ。イメージしたものを具現化する。魔力を込めるの。
 魔力を、込める。これが一番難しい。一体どうやってそれをすればいいのかまるでわからなかったからだ。
――心配しない。出来る、そう信じて。お母さんの仇、討つんでしょ?
 そうだ。最低でもそれだけはやらなきゃならない。意地でも何でも、この桜の木の怪物だけはこの手で倒さなきゃならないのだ。そう、絶対に。
 心の中で強くそう思った瞬間、何かが私の手の先に生まれるのを感じた。ゆっくりと目を開けてみるとそこには赤々と輝く炎の固まりがある。
「……出来た……?」
 思わず驚きの声をあげてしまう私。これはお母さんがやったのと同じ魔法。お母さんは通じなかったけど、この私なら通じるはず。お母さんが勝てなかった奴に、お母さんの使った魔法で、娘の私が勝つ。絶対に、絶対に負けないんだから!
――よし! やっちゃえー!!
 サラマンダーの声に後押しされるように、私はその手の先に生まれた炎の固まりを桜の木の怪物目掛けて放った。
「喰らえぇっ!! ”灼熱の砲弾”っ!!」
 私の叫び声と共に放たれた炎の固まりは舞い散る桜の花びらを燃え上がらせながらその本体である桜の木の怪物に直撃、一瞬にして全体を燃え上がらせた。
 ぱちぱちと音を立てながら炎上する桜の木の怪物。立ち上る煙と共に何か黒い靄のようなものが木から離れて天に昇っていくのが見えた。
――あれが”歪み”よ。何かものに取り憑いてこういう風に怪物化させて悪さをする。
「それを倒すことが出来るのは私みたいな魔法少女だけ、なのよね」
――それは知っていたんだ。
「……お母さんが言ってた」
――そう……
 何をするわけでもなく私はじっと燃え上がる桜の木を見つめている。何かで「復讐なんかしたってむなしいだけ」って言っていたけど、その通りだな、と思う。こんな事したってお母さんは帰ってこない。あるのは何とも言えないむなしさだけ。
 また、目から涙がこぼれ落ちるのを私は感じていた。でも、それを拭おうとはもう思えない。ただ、じっと燃え上がる桜の木を見つめていることしか、今の私には出来なかった。

 とぼとぼと夕暮れの街を歩いて、ようやく私は家の近くまで帰ってきてた。もう変身を解いており、いつもの制服姿だ。ただ、お昼休みに連れ出されたから鞄は学校にある。後で取りに行かないと。ぼんやりとした頭でそう思いながら、何とか足を進める私。
「……はぁ」
「ため息ばかりついていると幸せ逃すわよ」
 胸のペンダントの宝石の中にいるサラマンダーがそう言ってくるけど、ため息は収まらない。お父さんや武文に何と言って説明すればいいのか、それを考えると気が重い。余計にため息が出てくる。
「ねぇ、何かいい方法ないかなぁ?」
「そこまではあたいも面倒見切れないよ」
「冷たいなぁ。あんた火の精霊でしょ?」
「あんた、火の精霊をなんだと思ってるのよ」
「……はぁ」
 また一つため息をつく。
 本当にどうしよう。お母さんが怪物と戦って死んだなんて、そんなこと言えるわけない。それを説明しようと思ったらお母さんが魔法少女で、それでお姉ちゃんも私も魔法少女だと言うことをいわなくっちゃいけないし。と言うか、何処の誰が信じるんだ、こんな話。私だって全然信じてなかったんだから、お父さんや武文が信じるとはとても思えない。それに、私だってまだ完全にショックから回復した訳じゃないし。それでも、お母さんを殺した怪物は何とか倒せたわけで、でも何と言うかむなしいだけで、心の中が空っぽになってしまっているみたいと言えば一番今の状態にあうだろうか。
「……はぁ」
 口からでるのはため息ばかり。サラマンダーも呆れてしまったのか、もう声をかけてこようとはしなかった。
 足取り重く、それでも家の前まで辿り着く。と、そこで私は意外な人物の姿を見た。うちの家の門柱にもたれかかるようにして浅葱が立っている。彼女愛用のMTBもちゃんと止められている。彼女の家はこっちとは方角が違うのに何でここにいるんだろう?
「鞄、持ってきてやったぞ」
 仏頂面でそう言う浅葱。どうやらあのまま帰ってこなかったことを怒っているみたいだ。そうか、午後の授業全部パスしちゃった形になってるものね。
「ついでにノートもとっておいた。感謝するように」
 ぶっきらぼうにそう言う親友の顔を見た私は、不意に胸の奥に抑え込んでいた感情がどうしようもなく溢れ出してくるのを感じた。
「浅葱ぃ……」
 ボロボロ涙をこぼして立ちつくす私。
「ど、どうした、まゆっち。そんな泣く程感動してもらえることでもないと思うんだが!!」
 いきなり泣き出した私を見て浅葱が慌てる。普段の私を知っているだけに、いきなり泣き出した私をどうすればいいのかわからないと言う感じだ。
「な、何があったんだ? 何か誰かにひどいことでもされたか? もしそうなら水前寺家の力を総動員してそいつに復讐してやるから! その……もしかして、身体を汚されたとか言うならいい病院をすぐに手配してやるから! だからとりあえず泣くな!」
 必死に私をなだめようとする浅葱だけど、私はもう自分の感情をどうにも制御出来なくなってしまっていて、ただただそこで泣き喚くだけ。
「ふわぁぁぁん、浅葱ぃ〜」
「ああ、もう! 泣くんじゃないってば!」
 そう言って浅葱は私の身体を抱き寄せた。そしてギュッと私の頭を抱きしめる。彼女の方が背が高いから、丁度私の頭は彼女の肩ぐらいになる。その肩に私は顔を押しつけて泣き続けた。
「……何か辛いことがあったんだな、まゆっち。普段のまゆっちは泣かないいい子だからな。よし、わかった。今は許す。思う存分泣けばいい。私が全部受け止めてやるから」
 浅葱がそう言いながら私の頭を撫でてくれた。
 少しの間私は声をあげて泣いていたけど、その間浅葱はずっと私の頭を撫で続けてくれた。私が落ち着くのをずっと待っていてくれた。何だかんだ言って友達思いの優しい奴なんだ、浅葱は。
「落ち着いたか?」
 私が泣きやむのを待って、浅葱が声をかけてくる。ポケットから取り出したハンカチをすっと私の方に差し出してくる。
「うん、ゴメンね、浅葱」
 ハンカチを受け取り、涙を拭く。多分目は真っ赤になっているだろうな、と思いつつ、それでも何とか笑顔を浮かべてみようと頑張ってみる。
「無理はするな。今は無理でも明日、明日がダメなら明後日笑えればいい」
「……ありがとう、浅葱。あんたやっぱりいい奴だね」
「何を今更」
「ううん、ちょっと再確認しただけ」
 私はそう言うと、ハンカチでもう一度涙を拭いた。何と言うか、この肌触りの良さは何なんだろう。さすがはお嬢様、ハンカチ一つとってもいいものを使っていらっしゃる。とりあえず洗って返すべきなんだろうけど、こういう高級品って普通に洗濯機に突っ込んでいいものやら、ちょっと困ってしまう。
「ハンカチなら気にするな。それくらいのものだったら腐る程持ってるから」
 困っているのがわかったのか浅葱がそう言ってくれた。けど、それって何げに自慢されているのではないだろうか。本人にそのつもりは微塵もないのだろうけど、こういう高級品を「それくらい」とか「腐るほどある」とか言われると何故かムッとしてしまう。ああ、悲しきかな、小市民。
「どうやらようやくいつものまゆっちに戻ってきたみたいだな。これで少しは安心した」
 そう言って浅葱が微笑んだ。普段滅多に見せない浅葱の笑顔。彼女は「こんな表情を見せるのはまゆっちの前ぐらいだな」と言っていた。それは同性である私でもドキッとする程のいい笑顔。魅力的な笑顔。
「何かあったら話はいつでも聞くぞ。まゆっちの為なら二十四時間営業だ」
「ありがと、コンビニ浅葱」
「その呼び名は遠慮しておく。それでは遅くなるといけないからまた明日だ」
「うん。それじゃ、気をつけてね、浅葱」
「ああ」
 止めてあったMTBに軽やかに跨り、すっと走り出す浅葱。
 その後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、私は玄関の方を向いた。どう言う風にお母さんの死を説明したらいいのかわからないけど、それでも浅葱のお陰でかなり今は落ち着いている。こうなれば行き当たりばったりでやるしかない。何か間違った決意の仕方のような気がするけど、良い考えが思いつかない以上、最後はもう全部ぶちまけるぐらいの気持ちで行くしかないだろう。そう思ってドアノブに手をかけてドアを思い切り開ける。
「た、ただいまっ!!」
「あらぁ、お帰り、麻由良ちゃん」
 少し、ほんの少しだけ躊躇いがちに、だけど何かヤケになったように大きい声でそう言った私を出迎えたのは買い物籠を持ったお母さんだった。
 一瞬私の思考が停止する。
 あれ? 確かお母さんってあの桜の木の怪物にやられて死んじゃったんじゃないの? 私の目の前で消えちゃったんじゃないの? それじゃ今、私の目の前にいるのは誰? これってお母さんじゃないの? でもでもっ、お母さんが怪物にやられちゃったのは事実で、私の腕の中で消えちゃったのも確かで、あれは夢じゃなかったし、え? なに? 一体どう言うこと?
 呆然としている私の頭の中でまとまらないと言うか、許容範囲を超えた事態に思考がぐるぐる回る。
「な、な、な、なななななな」
 言葉にならない言葉が私の口から漏れる。
「な、何で!? 何でお母さんいるの!?」
 言いたいことは他にも色々あるような気もするけど、とりあえず口からようやく出たのはそれだけだった。生きててよかった、とかどうやって助かったの、とか聞きたいことは山のようにあるんだけど、まずはどうしてここにいるのかを一番知りたい。
「えっとぉ。お母さん自身もすっかり忘れていたんだけど。もしもの時の為に身代わり人形君作っておいてあったみたいなの。で、あの時許容範囲以上のダメージを受けちゃって……」
 どうやらお母さんが現役魔法少女だった頃にもしもの時の為用として自分の受けたダメージが一定以上になるとその全てを変わりに受け止めてくれる身代わり人形君というマジックアイテムを作っておいたそうだ。結局現役の頃はそれを使うことはなかったらしいんだけど、それを何でか大切に保管してあったらしく、今回あの桜の怪物に大ダメージ、それこそ死ぬんじゃないかって言う程のダメージを受けた瞬間、その身代わり人形君が発動した、と言うことらしい。流石に現役の頃からは随分遠ざかっていたし、魔力も弱まっていたから身代わり人形君とのリンクが微妙に切れかかっていて転送されるのに時間がかかってしまったらしい。つまり、私が見た消えるお母さんって言うのは身代わり人形君にダメージが行って、その代わりにお母さんが転送されるところ、だったのだ。
「そう言うことなの。わかった?」
 何か非常に嬉しそうなお母様。
 ええ、それはそれでよかったわ。生きているんだもの、これについては物凄く嬉しいですわよ、私も。ええ、お父さんや武文に色々と説明しなくて済んだんですもの。
 だけど、だけどね。
 お母さんが死んだと思った私のあの悲しさはどうなるのよ! 何か思いっきり本気で泣いた私の涙はどうなるのよ! 何て言うか、今物凄くやりきれない思いで一杯なんですけど!! ここに帰ってくるまであれだけどう説明しようとか思って悩んでいたのは何だったのよ!!
「こ、こ、こ、この……」
 ダメだ、もう抑えきれない。何て言うか、溜まっていた感情が一気に爆発する。それを止める気は毛頭ないのだが。
「この馬鹿親ぁっ!!!!」
「ひぃ〜ん、麻由良ちゃん、何で怒るのぉ?」
「うるさぁいっ!! 私の涙を返せぇっ!!!!」
「ひぃ〜ん、ドメスチックな暴力はんた〜い!!」

 まぁ、そんなこんなで半ば騙されたような感じがしないでもないけど、私の魔法少女としての日常が始まるのでした。
 ああ、さよなら平凡な日々。グッバイ、平凡な未来。
 これから私、炎城寺麻由良は非日常的な日常を送ることになります。
 神様、せめて一言だけ言わせてください。

 何で私がこんな事しなきゃいけないのよっ!!!!!



とりあえず終わり

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