「な、何なんですか、あの怪物は!!」
 開口一番、万城目の口から飛び出したのは十分に予想出来るものであった。出来るものであったのだが、その答えを早田 真は持ち合わせていないのが困りものだった。何しろ彼自身は彼の言う怪物とやらを目にしていないのだから。
 つい先ほど、自分の目の前で同じ道場で共に真から武術を習う兄弟弟子である江戸川百合子が見たこともない化け物、蜥蜴のような異形にさらわれてしまった。万城目はとっさに応戦しようとするもまるで通じず、身につけていた拳銃を発砲したのだがそれすら通用しない。そんな化け物を前に彼はただその場にへたり込むことしか出来なかった。
 そんなところに飛び出してきたのが真の孫であり彼にとって弟弟子に当たる流星だった。彼は眼光鋭く蜥蜴のような異形の怪物としばし睨み合っていたが、やがて蜥蜴のような異形の怪物が屋根伝いに逃げていくのを見て、彼が出てきた道場の方を振り返った。そこにいたのは万城目には見覚えのない少女。その少女と母屋からやって来たらしい真と何やら話したり怒鳴ったり更には土下座までした後、何かわからないが長方形の小さな箱のようなものを託され、流星は彼が愛用しているマウンテンバイクで蜥蜴のような異形を追いかけるように飛び出していったのだ。
 それから数秒後、ようやく我に返ったらしい万城目が真に詰め寄り、口にしたのがあの質問だ。
「……正直な話、儂にもよくわからんよ。言えることはただ一つ、あれは人類の敵だってことぐらいだ。そうだな、嬢ちゃん?」
 真がそう言って傍らに立っている少女をチラリと見る。この程度ぐらいならば話してもいいだろうと確認を取るかのように。
 小さくコクリと頷く少女。それから彼女はじっと万城目の方を見て口を開いた。
「あいつらにはそんな拳銃なんか通じない。この事は忘れた方がいいわ」
 それだけ言うと少女は踵を返して道場の方へと戻っていった。
 呆然とした様子で少女の背中を見送る万城目。だがすぐに我に返ると慌てた様子で腰につけてある無線機を手に取った。
「何をする気だ、万城目君?」
「署に連絡して応援を呼ぶんです!」
 何を言っているんだと言う風に真を見て答える万城目だが、真は首を左右に振ってみせる。
「やめておけ。下手に手出しをすれば怪我人が増えるだけだ」
「何を言ってるんですか! 市民を守るのが警察の仕事です!」
「だからと言って拳銃すら通じない奴を相手にどうするつもりだ? 怪我人を出すだけで奴を倒せはせんぞ」
「それでも!」
「それに、だ。あんな化け物のことを君はどう説明するつもりだ? 姿を見た者はともかく見てない者に拳銃が通用しない化け物がいたなどと言っても信じては貰えんぞ」
 そう言われて万城目はようやく理解できたと言うような顔をした。
 確かに真の言う通り、あの蜥蜴のような異形の怪物を実際に見た自分や百合子、流星ならその存在を信じることが出来るだろう。だが実際に見ていない人物にその存在を信じてもらうのはかなり難しいことだ。下手をすれば自分の頭がおかしいのではないかとさえ思われてしまうだろう。それほどあの蜥蜴のような異形の怪物は有り得ない存在なのだ。
「で、でも、百合子君をあのまま見捨てることなんか出来ません!」
 少しの間考えた後、万城目はそう言って無線機を手に取った。
「怪物のことはぼかして、ただ百合子君が誘拐されたと言うことで応援を呼びます」
「その方がいいだろうな」
 万城目の決断に真が頷く。
 その後、応援にやってきたパトカーと合流した万城目は海辺の廃倉庫の中で気を失って倒れている百合子と疲れ切ったように大の字になっていた流星を発見することになる。しかし百合子は気を失ったままで流星の方もすぐに眠り込んでしまった為に二人から話を聞くことが出来ず、蜥蜴のような異形が何処へ消えたのか、どうして百合子を解放したのか不明のまま、その日は終わることになるのであった。

仮面ライダーZodiacXU
Episode.16「セイギノミカタ-Ally of justice-」

 早田家の母屋に連なる道場の中、流星はこの間戦った蜥蜴のような異形を思い出しながら一人稽古に励んでいた。顔も着ている空手着も汗でびっしょりと濡れていることからかなりの時間やっていることがわかる。
 何故彼がこの様に稽古に励んでいるのかと言うと、やはり前回の戦いがその理由だった。自分の予想よりも遙かに苦戦した。仮面ライダーに変身さえすれば簡単にあの怪物を倒すことが出来ると過信していたこともあるが、それ以上に相手が人間とは違うと言うことを完全に失念していたのだ。軽々と人間の身長を超えるジャンプ力、その姿さながらに天井や壁を自由にはい回り、こちらの死角から攻撃を仕掛けてくる。力も人間などをはるかに越え、そのタフネスさは異常な程だ。
 仮面ライダーとはそんな相手と互角に戦う為に生み出されたシステムだと次の日になってから流星はようやくこの仮面ライダーに変身できるためのアイテム――ゾディアックライダーシステムの肝であるゾディアックガードルと変身用のカード、そしてカードリーダー――を託してくれた相沢秋穂から聞かされていた。
 あくまで互角に戦えるだけであって、それ以上ではなく相手を倒すのは変身した者の技量による。勿論変身者が敵に力及ばなかった場合、負けてしまうのだ。必ず勝てると言うシステムではない。
(そう言うことはもっと早く言っておいてくれ)
 そう思う流星だが、前回はそう言う説明など聞いている暇がなかったというのもまた事実だし、説明を聞かずに飛びだしていったのは自分だ。秋穂を責めるわけには行かない。
 とにかくこの先仮面ライダーとして戦い勝っていく為には自らを鍛えに鍛え、その技量を上げていくしかない。前回の戦いで自らの未熟さを思い知らされた身としては、それしか方法がなかった。
 頭の中で蜥蜴のような異形を思い浮かべ、その動きを想像しながらそれに対応した攻撃方法を探る。突き、蹴り、掴んでの投げ技、とにかくあらゆる攻撃方法を模索し、身体を動かしていく。
「しかしまぁ、一人でやる乗って限界があるよな、実際」
 そう呟き、天井から吊されているサンドバッグを見据える流星。そこに向かって駆け出し、その前で軽くジャンプしながらの回し蹴りを叩き込む。前回、蜥蜴のような異形を倒した時に使った技だ。その衝撃に大きく揺れるサンドバッグ。
「……こんなもんじゃ足りねぇ」
 揺れるサンドバッグを手で押さえ込み、流星は再び呟いた。
 蜥蜴のような異形はこれで倒せたが次に現れる奴もこれで倒せるかどうかはわからない。勝つ為にはもっともっと稽古を積み、自らを鍛え上げていくしかない。
「……とにかく……シャワーでも浴びるか」
 時計を見るとそろそろ朝食の時間だ。先にシャワーを浴びて汗を流しておかないとどうにも気分が良くない。そう思って流星は道場を後にした。
 道場から母屋にある浴室に向かいながらも頭の中で考えることはいかにしてこれから現れるであろう怪物達と戦うかと言うこと。自分が負けると言うことは自らの命も失ってしまうばかりか彼が守りたいと思っている大切なものが全て奪われてしまうことを意味する。決して負けられない戦い。だからこそいつ如何なる時もどの様に戦うかを考えておかなければならない。
 そんなことを考えていたから流星は浴室に先客がいることに気付かなかった。汗を吸って重たくなった空手着を脱ぎ捨て、ガラガラと浴室のドアを開く。
「はぁ〜、朝っぱらからちょっと張り切りすぎ……」
 そう言いながら流星が顔を上げると、目の前で硬直している秋穂の姿があった。おそらく朝からシャワーでも浴びていたのだろう、長い髪の毛が肌に貼り付いている。顔には驚きと言うか唖然と言うか、とにかく得も言われぬ表情が浮かんでいる。
「……あ、いや、その……」
 流石に引きつった顔をして、且つ視線はあくまでそらせて言い訳しようとする流星だが、それでもやはりそれなりのお年頃、ついついちらちらと秋穂の裸身の方へと目が向いてしまい口ごもってしまう。
 そして次の瞬間、秋穂が普段の彼女からはとてもじゃないが信じられない程の大声で悲鳴を上げるのであった。

「まったく貴様という奴は一度ならず二度までも……」
「いやだから謝ったじゃねぇか。それにあれは事故だって言ってんだろ。まさか朝からシャワー浴びてるなんて思いもしなかったし」
 不機嫌そうに言いながら箸を動かしている真と顔中を腫らしまくりながら言い返す流星。
 場所は変わってダイニングにあるテーブル。向かい合って座っている二人の他に人の姿はない。秋穂はと言うとまた裸を見られたショックからか、彼女に与えられている部屋に引きこもってしまっている。
「女の子は色々とある、と百合子君が言っておった。その辺、お前も少し考えろ」
「爺ちゃんだってそれほど詳しくわかってる訳じゃねぇだろ」
「お前よりはマシだ」
 真はそう言うと思い出したように隣の椅子においてあったゾディアックガードルを取り出し、テーブルの上に置いた。
「あの嬢ちゃんがこれをいつも携帯しておくよう言っておった。いつあの怪物どもが現れるかわからんからな」
「……道理で見当たらないと思ったらあいつが持ってたのか」
 箸を止めることなく流星はテーブルの上に置かれたゾディアックガードルを見る。
 先日の戦いの後、気を失うようにその場で眠ってしまった為にあれから何がどうなったのか一切記憶にない。とりあえず目を覚ました時にはもう自分の部屋で、身につけていたはずのゾディアックガードルが無くなっていたのだ。一見しただけではどうやって外せばいいのかわからないはずなので、誰か別の人間が持っていったと言うことは考えていなかった。持っていったとしたら外し方を知っている人間、すなわち秋穂だと言うことになる。だからそれほど驚きはしなかった。
「嬢ちゃん曰くお前用に微調整しておいたそうだ。それとこれも預かっておる」
 続けて真が出したのは数枚のカード。そのどれもに星座の絵が描かれている。
 流石に箸を置き、流星は真がテーブルに置いたカードを手に取った。聞いたことのある名前の星座もあれば聞いたことのないようなものもある。これらのカードを使えば何らかの特殊な攻撃などが出来るようになると言うのはこの間の戦いでわかった。だがどう言った効果が出るのかは使ってみるまでわからないだろう。
「それと儂からお前に言っておくことがある」
「ん?」
 カードを手に取り、一枚一枚眺めていた流星は真の言葉に顔を上げた。
「あの怪物どものこと、それにお前が変身出来て且つあの怪物どもと戦えることは出来る限り秘密にしておけ」
 真の言葉に流星は黙って頷く。
 あの怪物どもを実際見てない連中にはその存在が信じられないだろうし、自分がそんな奴らと戦えると言っても笑われるだけだろう。それに下手をしたら自分と怪物達との戦いに巻き込んでしまう。それだけは避けたかった。
「それといつ如何なる時に敵が出てくるかわからん。常に心構えだけはしておけ」
「早田家家訓、男子たるもの常日頃から油断せず、常にその身戦場にあると思え。それをマジで実践しろてことだろ?」
「その通り。だが今までとは桁違いの心構えが必要だぞ。何せ敵はお前を殺そうとかかってくるんだからな」
「わかってる。俺だって死にたくないし」
 流星はそう言うと立ち上がった。そろそろ学校に出掛ける時間だ。いつ怪物どもが現れるかわからないが、それでも休むわけにはいかない。何と言っても流星はまだ学生、学業第一なのだ。
 腰のベルトの後ろ側にゾディアックガードルを引っかけ、テーブルの上のカードをポケットに突っ込んでから鞄を掴む。それから急ぎ足で玄関に向かう。
「帰ってきたらすぐに道場に来い。今まで以上にしごいてやるからな」
「へいへい」
 ダイニングから出ていく流星の背に向かって真がそう言うのに、おざなりに流星は答えた。
 祖父である真の特訓はシャレにならない程厳しい。それが今まで以上のものとなるともはや拷問と言ってもいいものとなるだろう。今からそれが憂鬱だった。

 玄関で靴を履きながらふと流星は秋穂のことを考える。
 見た感じ彼女は自分とそう年齢は変わらないはずだ。学校とか行かなくていいのだろうか。
「……まぁ、俺には関係のないことだけど」
 あっさりと考えたことを放棄し、玄関から外に出る。
 朝の日差しを浴びながら欠伸をしつつ、流星が学校に向かって歩き出そうとすると自分の家の門柱に誰かがもたれていることに気がついた。
「……万城目さん?」
 何故か恐る恐る声をかける流星。理由としては何となくだが門柱にもたれて立っている男、万城目が怖い程真剣な、何か思い詰めたような顔をしていたからだ。
 流星からすれば万城目は真を師匠とする同じ道場の先輩である。流星がまだ幼い頃には色々と世話もしてもらった程だ。それだけに彼がどう言う人間であるかをよく知っている。普段は気さくでいい人だが起こらせるととんでもなく怖い人だと言うことも。
 その彼が何やら思い詰めたような顔をして自分の家の門柱に背をもたれさせて立っていたのだ。声をかけるのを一瞬躊躇してしまってもある意味、仕方ないことだろうと自己弁護してしまう。
「流星君か。丁度よかった、君に話があるんだが」
 門柱から離れ、流星の方に近寄りながら万城目が言う。その目は流星に有無を言わせない程の迫力が込められていた。
 その迫力に飲まれたのか、流星はただ頷くだけで精一杯になってしまった。
「これから学校だろう? 歩きながらで構わないぞ」
「それはこっちのセリフですよ」
 ようやく笑みを浮かべてみせた万城目に流星は何とか自分も笑みを浮かべてそう返す。
 並んで歩き出す二人。話があると言っていたはずの万城目は何故か黙り込み、流星も何となく気まずい空気に無言のまま。少しの間そんな状態が続き、やがてそんな空気に耐えられなくなったのか流星の方が口を開いた。
「万城目さん、話って何?」
「あ、ああ……」
 流星に声をかけられ、万城目はちょっと口籠もってしまう。実のところ彼は何をどうやって説明すればいいのかを考えていたのだ。それがまとまりきらないうちに声をかけられた為に思わず口籠もってしまったのだが、このまま考えていても仕方ないと思ったのか一つ頷くと流星の方に顔だけを向ける。
「この間のこと、覚えているか?」
「この間のこと? 何かあったっけ?」
 おそらくは例の蜥蜴のような異形が出た時のことだろうと見当をつける流星だがあえてしらばっくれる。家を出る直前に祖父から言われたこともあるし、下手なことを話すと万城目をこの戦いに巻き込んでしまいかねない。
 そもそもこの万城目という男、正義感の固まりのような男でありその為に警察官になったようなところがある。彼が早田道場で武術を習っているのも正義を為す為にはある程度の力が必要だという考えの基だ。
 そんな彼に決して人類と相容れることのない怪物の存在など教えようものなら、例え敵わないとしても挑みかかっていくに違いない。人々の命を守る為ならば自分の命を省みないと言う無鉄砲な部分を彼が持っていると言うことも付き合いの長い流星はよくわかっていた。
 だからこそ、彼には迂闊なことは言えない。出来る限りこの話題は避け、誤魔化し、しらばっくれるしかない。
 しかし、そんな流星の気も知らず万城目は少し困ったような笑みを浮かべた。
「おいおい、まさか忘れたとか言わないよな? あれだけ強烈なインパクトのあったことだぞ」
「そんなこと言われても……何のことやらさっぱり」
 そうすっとぼけて苦笑を浮かべる流星。このまま誤魔化されてくれればありがたいのだが、などと内心思っていたのだが相手もそうは甘くはない。
「お前だって見ただろ。あの蜥蜴の化け物が百合子君をさらって逃げていくのを」
 ズバリと万城目がそう言ったので流石に流星も頷くしかなかった。何と言っても蜥蜴のような異形が百合子を片手に抱いて屋根から屋根へと逃げていくのを悔しそうに睨み付けていたところには万城目も一緒にいたのだから否定の仕様も誤魔化しの仕様もない。
「あの後、お前は先生と一緒にいた女の子から何かを受け取って大急ぎで出ていった。次に俺がお前を廃倉庫の中で見つけた時には蜥蜴の化け物はいなくなっていてお前と百合子君が一緒にいた。一体あの倉庫の中で何があったんだ? あの蜥蜴の化け物は何処に行ったんだ?」
 いつの間にか二人とも足を止めていた。互いに向かい合うようにして万城目は流星が自分の質問に答えるのを待っている。
 少しの間流星は万城目の顔を見つめていたが、やがて諦めとも取れるようなため息をつき、肩を竦めてみせた。
「悪いけど万城目さんの質問には答えられないよ」
「どうしてだ?」
 やや厳しめの表情を浮かべてすかさず万城目がそう言ってくる。だが、これは流星にとっても想定内のことだ。だから返す答えも既に決まっている。
「だって俺が百合姉を見つけた時にはもうあそこには誰もいなかったんだし。あの蜥蜴の化け物も含めてね。百合姉があそこで倒れていただけ。俺は百合姉を見つけた安堵感からそこでばたんキューってな訳」
「それは……本当か?」
「万城目さんに嘘ついたって仕方ないじゃん」
「なら……蜥蜴の化け物は何処に……まさかまだこの街に?」
「それはないと……っと、そろそろ行かなきゃマジでやばいかも。それじゃ!」
 わざとらしく腕時計を見てそう言うと流星はこれで話は打ち切りだとばかりに片手を上げて駆け出した。実際のところ、まだ時間に余裕がないこともないのだが、これ以上万城目と話をしていると何か自分でボロを出してしまいそうな気がしたので無理矢理打ち切ったのだ。事実、ちょっとやばいことを言いかけていたと自分でも理解している。
 いきなり駆け出した流星を万城目は無言で見送っている。
 おそらくこれ以上彼に何を聞いても無駄だろう。本当のことを言っているにしろ嘘をついているにしろ、後はのらりくらりと話をかわそうとするに違いない。何故かそう言う確信が彼にはあった。
「となると……次は百合子君か」
 そう呟き、万城目は歩き出した。向かう先は病院。百合子はあの時のショックからまだ覚めきっておらず、未だに病院で療養中なのだ。もっとも今日、明日中には退院出来るらしいのだが。
 しかしながら自分を誘拐しようとしたのがこの世のものとはとても思えない蜥蜴の化け物。百合子が受けたショックと恐怖は一体如何なるものか、万城目には想像もつかない。だから彼女が一体どれだけのことを覚えていてどれだけのことを話してくれるのか、これまた彼には想像もつかないのであった。

 薄暗い倉庫のようなところでテンガロンハットにポンチョを着た大男が木箱に腰掛け、骨付きの生肉を貪っている。ただひたすら生肉を貪ることに夢中になっているように見えて、それでいて自分の背後に現れた気配に敏感に反応する。振り返りもせずに持っていた骨付きの生肉をそちらへと投げつけたのだ。
 物凄い勢いで投げられた骨付きの生肉だったが、それは空中ので一点で制止すると一瞬のうちに真っ二つ、いや更に真っ二つ、計四分割にされて倉庫の床面に叩きつけられた。
「相変わらず見事な腕だ、地猖星。地耗星に続いて地劣星も何者かにやられた。おそらくは仮面ライダー……貴様の役目はその仮面ライダーを抹殺することだ。かなり下位のものだとは言え我らが仲間を二体も倒した奴、油断するな」
 自分の背後に立つ気配に、矢張り振り向くことすらせずにテンガロンハットの男は命じる。だが、背後の気配は動く素振りを見せようとはしない。それどころかテンガロンハットの男に対して猛烈な殺気を放ってきた。
 今にも襲い掛かろうとしているその気配に対し、テンガロンハットの男は微動だにしない。動けないのではない、動く必要がないのだ。それに何やら楽しそうに口元を歪ませて笑ってさえいる。
「くっくっく……いいだろう。お前が首尾よく仮面ライダーを抹殺することが出来たならばこの俺と戦うことを許してやる」
 テンガロンハットの男のその言葉を聞き、ようやく背後の気配は殺気を消して更にその気配さえも消した。仮面ライダーを抹殺する為に動き出したらしい。
「くっくっく……少しは楽しませてくれるといいのだがな」
 口元に壮絶な笑みを浮かべ、テンガロンハットの男が呟く。

「まずいよなぁ……あの様子だと万城目さん、絶対に諦めないぞ」
 教室の自分の机にガックリと倒れ込んだまま流星が呟いた。
 朝、万城目の追求から逃げ出してきたものの、あのまま彼が真相究明を諦めてくれるとはとてもじゃないが思えなかった。そもそも彼があの一件にこだわるのはまだ蜥蜴の怪物がこの街に潜伏しているかも知れない、そいつがまた誰かを襲う前に何とかしなければならないと言う彼なりの正義感によるものだ。
 万城目の正義感の強さには定評がある。その正義感が時に彼を無謀な行動へと走らせる。だが、今度ばっかりは相手が悪い。相手は人間ではなく、人間を屁とも思わない怪物達だ。いくら万城目が腕に覚えがあっても敵う相手ではない。それは前回のことで充分証明されているのだが、彼はそれでも決して戦うことを諦めはしないだろう。
「何とかしないとなぁ……癪だけど爺ちゃんに頼んでみるか」
 万城目に言うことを聞かせられるとしたら流星の祖父程適任はいないだろう。しかし、万城目の正義感の強さが真の影響力を上回る可能性もある。そうなると彼を止めることはほぼ不可能だ。後は彼自身が何らかの事情でもって諦める他無い。その何らかの事情が例の怪物達との直接戦闘による負傷や死亡で無ければいいのだが、今のままだとそうなる可能性が非常に高い。
 どうにもこうにも、流星の思考は堂々巡りをし続ける。元々それほど頭がいいわけでもない彼にとってはこの辺が限界なのかも知れないが。
 とにかく家に帰ったら真と、後秋穂にも相談してみよう。秋穂は今の段階では一番敵である怪物のことを知っている人間だ。その彼女なら何か万城目を諦めさせるようないい情報を知っているかも知れない。
「お〜い、流星っ! 何朝っぱらから疲れ切ってるんだよ!!」
 無理矢理考えをまとめた流星に耳に飛び込んでくるやたらとテンションの高い声。顔を上げてみると幼馴染み五人組の一人、弾 悠司が自分の方に向かってくるのが見えた。
「……朝っぱらから随分ハイテンションじゃねぇか」
 ちょっと睨むように目を細める流星。
「まーなー。何せ徹夜だからなー、昨日は! ちなみにこれで三日目」
 悠司はニヤリと笑いながらそう言うと指を三本程立てて流星の方に突き出してきた。
 そんな彼を呆れたように見上げる流星。
「三日も連続で徹夜って何やってんだよ、お前?」
「イヤー、ほら、ちょっと前にあった首ちょんぱ事件とかこの前の百合子さん誘拐未遂事件とか未解決事件が多いじゃんか。うちの親父がその解決に向けて物凄い張り切ってて」
「お前全然関係無いじゃん」
「いや、だから俺も親父に協力する為に色々と考えた訳よ」
 そう言って腕を組み、したり顔で頷く悠司。
 何となく嫌な予感を覚えながらも流星は先を促した。
「まず首ちょんぱ事件の方の犯人。あいつはもういないね」
「どうでもいいがその首ちょんぱ事件というネーミングは何とかならなかったのか?」
 人差し指を立てて喋り出す悠司に向かって、先ほどから気になっていたことを流星は尋ねてみる。
「首切断事件だと何と言うか殺伐としすぎていて嫌じゃないか? 首ちょんぱだと何となく柔らかい感じがしていいと思ったんだが」
「お前のそのセンスに俺はある意味神がかったものを感じるよ」
 少し投げやりに言う流星だったが悠司はまったく気付いた様子もなく話を続けた。もはや流星が聞いていようといまいとどうでもいいらしい。むしろ自分の推理を誰かに聞いてもらいたいだけみたいだった。
 その一発目が自分だったと言うことに自らの運の無さを感じる流星。どうやら今日は色々とついてない日のようだ。この調子だとこの先また何かあるかも知れない。今日はさっさと家に帰って不貞寝でもするべきか、などと考えながら小さくため息をつくのであった。

 流星が教室で悠司の推理を聞かされていたのと同じ頃、万城目は市内にある病院に入院中の百合子を訪ねていた。目的は勿論、この間のこと――百合子が蜥蜴のような怪物に襲われ、連れ去られそうになったときのこと――について話を聞く為だ。
 あの化け物に抱え上げられ、連れ去られそうになった張本人である百合子からなら何かあの怪物が実在した証拠となるような証言を取れると思っていたのだが、現実はそう甘くはなかった。
「ごめんなさい、ずっと気を失っていたから何も覚えてないのよ」
 申し訳なさそうに言う百合子に万城目は手を振る。
「いや、こっちの方こそ悪かった。嫌なことを思い出させてしまって」
 万城目は百合子に頭を下げるとすぐに病院から出た。何も情報を得られないのに彼女の側にいて、余計に嫌なことを思い出させないようにする為の配慮という意味もある。
 しかしながら何の証言も得られなかったと言うことに少々失望している自分がいることもまた確かであった。少し苛立たしげに上着のポケットの中からタバコを取りだして一本口にくわえてから、ライターが何処だったか探しはじめる。
「お探しのものはこれですかい?」
 男の声と共に横からさっとライターが差し出された。更にカチッと言う音と共に火がつけられる。
 万城目は差し出されたライターでタバコに火をつけ、それからライターを差し出してきた男の顔を見た。サングラスをかけているのではっきりとはわからないが、少なくても知り合いでは無さそうだ。
「誰だ、君は?」
「ああ、こりゃ失礼しました。俺はこう言うもんです」
 男はニヤリと笑うとライターをしまい、換わりに名刺を差し出してきた。そこには「フリージャーナリスト 鮫島湧悟」とだけ書かれてある。他はまるで余白の極めてシンプルな名刺であった。
 いかにも胡散臭そうなその男に万城目が露骨なまでに顔をしかめてみせる。
「フリーのジャーナリストが何の用だ? 俺は一介の警官で君が欲しいような情報は持ってないぞ」
「いやいやいや」
 男はそう言って出した名刺をちょっと残念そうに胸ポケットに戻した。万城目が名刺を受け取ってくれなかったことがショックだったらしい。
「逆ですよ、逆」
「逆?」
「そう。俺が情報を欲しいんじゃなくって情報が欲しいのはあんた。違いますか?」
 男が万城目を指差してそう言う。口元には相変わらずニヤニヤとした下品な笑みを浮かべながら。
「生憎だが情報屋とかには用はないんでな。さっきも言ったが俺は刑事じゃなくただの警官だ。情報を売りたいなら別の奴にするんだな」
 男の指を払いのけながら万城目はそう言い、歩き出した。
「ここ最近東京の方で奇妙な怪物が何度も目撃されていましてね。それと同時に人がいなくなっただの殺されただの、色んな事件が続発中。後おまけにその怪物達はいつのまにやら、まるで初めからいなかったかのように消えちゃってるって言うんですがね」
 わざと万城目に聞こえるように男が大きい声で言う。
「何処かで聞いたような事件だと思いませんか?」
 万城目は足を止めると男の方を振り返った。そして先ほどよりも速い足取りで男に詰め寄っていく。
「貴様……一体何を知っている!?」
 気の小さい者が見れば即座に逃げ出したくなるような程怖い形相で男に詰め寄り、低い声で尋ねる。端から見れば脅しているようにしか見えないのだが、そんなことに構っている暇はなかった。
 しかし、サングラスの男はそんな万城目を前にしても一切怯えた様子など見せず、先ほどまでよりもより一層楽しげな表情さえ浮かべている。
「この街で起きた首を一刀のもとに落とされた死体が見つかった事件、そしてついこの間にあった怪物による女性拉致事件……どっちもまだ犯人は見つかってない。違いますか?」
「何でそれを知っている? 貴様、一体何者だ?」
 そう言って万城目はサングラスの男の胸ぐらを掴み上げた。首切断事件も百合子埒未遂事件もどちらも未解決は未解決だがその辺りの情報はほとんど流れていないはずだ。特に百合子埒未遂事件は拉致されてから一時間ぐらいで彼女が見つかっていただけにほとんど誰にも知られていない。それにもかかわらずこのサングラスの男はこの二つの事件のことを知っている。
 思わず手が伸びてしまったのは、この情報を知っている男に対して警戒を覚えたからだ。
 するとサングラスの男は慌てた様子で降参とばかりに両手を上に挙げた。口元に浮かんでいた下品そうなニヤニヤ笑いも焦りの為か消えている。
「ちょ、ちょっと! 暴力は無しにしてもらいたいんですがね」
「……話を聞かせろ」
 サングラスの男の胸ぐらを掴んでいた手を離し、万城目は低く押し殺したような声でそう言った。この男が一体何を考えて自分に声をかけてきたのかはわからないが、とにかく何か知っているのならその情報を全て聞き出してやる。半ば恫喝するような感じで万城目はサングラスの男を睨み付けるのだった。

 万城目が鮫島と名乗る怪しげな自称フリージャーナリストと話をしていたのと同じ頃。
 先日起きた若い男が首を切断された死体で発見された事件の犯人が未だ見つからず、且つ犯人がこの街にまだ潜み隠れているのではないかという疑念の元、地元の警察はパトロールを強化して次なる凶行を防ぐ為に頑張っている。この時も二人の警官が自転車に乗って現場である防風林の辺りをパトロールしていた。
「しかし本当に何処に消えたんでしょうね、犯人」
「もうこの街にいないんじゃないかって話もあるけどな」
「だったらいいんですけどね〜」
 こんな事を話ながら二人の警官が自転車をこいでいる。
 その二人をじっと見つめている目があった。まるで目の前を通りかかった獲物をじっと見定めるかのように。
 警官達二人はその視線にまるで気付かないまま、その場を過ぎ去ろうとしている。どちらも視線に込められている溢れんばかりの殺意にも少しも気付いていないようだ。
 視線の主からすれば相手が気付いていいようと気付いていなかろうとそんなことはどうでもいいこと。本来の仕事をする前に少し腹ごなしと行こう。ただそれだけのことだ。
 二人の警官が通り過ぎ少しだけ離れた時、視線の主は行動を開始した。
 のそりと立ち上がると背を向け自転車をこぎながら喋っている警官達の側へと一気に近寄っていき、やや後ろ、自分に近い方の警官の首筋をまるで鋭い鎌のようになっている手で一閃した。
「まったくこうやってパトロールしてる時に襲われでもしたらどうするんだよな?」
 先行する警官がそう言うが、相棒からの返事がない。何かいい返事でも考えているのかと思って少し待ってみるが、矢張り何の反応もないのでどうしたのかと振り返ってみて、彼は仰天した。少し後ろを走っていた彼の相棒たる警官の首から上が無く、まるで噴水のように血を噴き出しながらフラフラと自転車をこいでいたからだ。
「う、うわぁぁぁっ!!」
 悲鳴を上げながらガシャンと自転車を倒しながらその場に警官は転んでしまった。その彼の目前をフラフラと首無し警官の自転車が進み、そしてバランスを失って倒れる。ゆっくりと地面に広がっていく血の海を見て、警官がまた悲鳴を上げる。
「ひ、ひぃぃぃっ!!」
 何とかその場から逃げようとするのだが、腰が抜けてしまって立ち上がることが出来ない。それでも這うようにして少しずつ、まるで自分の方へと広がってくる血の海から逃げようとする。
 と、その前に何者かが現れ、彼の行く手を遮った。半泣きの表情で彼が顔を上げ、そしてそこで見たものはまるで鎌のようになった両腕を振り上げ、こちらを表情のまるで読めない大きな目で見下ろしている蟷螂のような怪物の姿であった。
「ひぃぃぃぃぃっ!!」
 またしても悲鳴を上げ、今度はその怪物から逃げようとする警官だったがそれよりも早く蟷螂のような怪物は振り上げた腕を振り下ろしていた。次の瞬間、彼の首が胴体から離れ、切断面から血が噴水のように噴き出す。更に一瞬遅れて上半身と下半身が別れた。そこから新たに血が大量に噴き出し、蟷螂のような怪物の全身を返り血で真っ赤に染めていく。
 真っ赤な血にその身を赤く染めながら蟷螂のような怪物は何処か嬉しそうにその鎌のようになった腕に舌を這わせているのだった。

 警官二人が何者かによって斬殺されたという情報が流星達の元にもたらされたのは丁度お昼休みの真っ最中だった。その情報を持ってきたのは勿論悠司だ。
「たまに思うんだけど一体何処からそう言う情報を手に入れてくるんだ、悠司?」
 思い切りジロリと彼を睨み付けてそう尋ねたのは幼馴染み五人組の紅一点、北斗拓海だ。時刻は丁度お昼休み、お弁当を広げていたところにそう言った血生臭い情報を持ってきた彼に対してかなりご立腹らしい。こめかみの辺りがピクピクと痙攣しているが見て取れた。
「はっはっは、そんなこと教えるわけないだろうが」
 何故か胸を張って答える悠司。
 それを見て同じ場所に集まっていた残りの幼馴染み五人組、松戸 豪と座頭晃太、そして流星は揃って頭を抱えた。普段からあまり空気の読まない悠司だが、今回は最悪だ。この五人の中で一番怒らせてはならないのは拓海であり、女でありながらその勝ち気っぷりと腕っ節の強さとカッとなりやすいのと手の早いことは彼ら幼馴染みの間だけではなくかなり有名なのだ。
 そっと気付かれないように自分の弁当を持って避難する流星達。その直後、物凄い勢いで拓海が立ち上がり、ほぼ間をおかずに全力のパンチが悠司に叩き込まれていた。
「お昼時に何ちゅうこと言ってるんじゃ、お前はぁッ!!」
「ぐほぉっ!!」
 つい先ほどまで流星達が集まっていた机を吹っ飛ばしながら床に倒れる悠司。ピクピクと指先を痙攣させていたが、それもほんの少しの間のことですぐ力尽きたようにバタリと気を失ってしまうのだった。
「まったく……楽しいお弁当タイムに……」
 悠司を殴り倒した時についた彼の血やら鼻水やら唾液やらをわざわざ彼の上着のポケットに入っていたハンカチで拭いながら拓海がブツブツ呟いている。そんな彼女を少し離れたところで流星達は見ていた。少し青ざめながら。
 やはり彼女は怒らせてはならない。絶対に敵に回してはならないと改めて決意しながら。
 しかしこう言ったことは実は始めてではなく、彼らの間では日常的によく起こっている風景で、気を失っている悠司を容赦なく脇にどけ、流星達は昼食を再開する。
「ところで流星、最近疲れ気味って感じだけどどうしたのさ?」
「ああ、ちょっと色々あってな」
 話しかけてきた拓海にそう答えながら流星は同じことを悠司にも言われたと言うことを思い出していた。端から見るとそんなに疲れているように見えるのか、と軽く驚き、あまり周りに心配をかけないよう何とかしないと、と考える。
「色々なぁ……」
 ぼそりとそう言ったのは豪だ。普段あまり喋らず、ただニコニコと笑顔を浮かべているだけの彼が珍しく口を開いたので皆が一斉に彼の方を見る。特に流星は彼が何か知っているのではないかと不安そうな顔をして。
「あ……いや、最近色々とあるなぁと思って」
 一斉に注目を浴びたせいか、ちょっと照れたように赤くなりながら豪がまたぼそぼそと弁解する。体格はこの五人中で一番大きくがっしりとしている割に声はあまり大きくない。どっちかと言うと小柄なくせに目立ちたがり屋の悠司とは好対照だ。
「そうだな。さっきの悠司じゃないがちょっと妙な事件が続き過ぎているというのも事実だ」
 今度口を開いたのは晃太。何やら考え込むように腕を組みながら、視線を素早く豪、拓海、そして流星の方へと走らせる。
「ちょっと止めてよね。お昼ご飯食べてる時にそう言う話って」
 明らかに嫌そうな顔をする拓海だが、晃太はあえてそれを聞き流す。
「しかし例の事件の犯人も未だ見つかってないと聞く。そしてまた似たような事件が起こった。その間には百合子さんが誘拐されそうになった事件もあるし、何やら怪物を見たと言う噂話もある。全てここ最近の話だ。今までごく普通に平和だったこの街にいきなりこれだけのことが発生すると思うか?」
「それはまぁ……あたしもおかしいとは思うけど」
「何かそう言う事件を引き寄せるような特異点的な存在がこの街に現れたのかも知れないな」
「……何だと思えば晃太お得意のオカルト的解釈かよ。聞いてて損した」
 呆れたようにそう言ったのはいつのまにやら復活していた悠司だった。まだ鼻から血を垂れ流してはいるが、他はもうピンピンしているようだ。
「あんたもう復活したの? 相変わらずタフだわねぇ」
 鼻血をだらだら流している悠司にこっちに来るなとばかりに手を振りながら言う拓海。殴り倒した張本人でありながら悠司の復活の早さというかタフネスさに少し感心してもいる。それでも鼻血をだらだら垂れ流している彼に側には来て貰いたくは無さそうだ。
「フッフッフ。お前らの相手をする為にはタフでなくっちゃな」
 何故か自慢げに言い、胸を張る悠司。その鼻からは依然だらだらと鼻血が流れ落ちているが。
 流石に見かねたらしい豪がポケットからポケットティッシュを出して悠司に手渡した。
「サンキュー、豪。お前は他の奴らと違っていい奴だな〜」
 そう言いながらティッシュを受け取り、早速鼻血の流れている鼻に詰める悠司。
 そんな彼を明らかにうざそうな顔をして拓海が見ている。
「とりあえず近寄らないでくれる? 血とかついたら洗うの大変だし」
「なかなか落ちないからな、血って」
「それ専用の洗剤とか開発すれば結構売れるかもな」
「誰に売るんだ、そんな使用目的が限定された奴なんか」
「うむ……やはりそう言う手合いの連中かな。ケンカとかが日常茶飯事の連中なら喜んで買うかも知れないぞ」
「そもそもそう言った人達が自分で洗濯なんかするかって」
「それもそうか」
「何人を無視して妙な話題で盛り上がってんだよ、お前ら」
 ムッとしている悠司の前で弁当を食べながら未だにその話題を続ける流星達。
「なら日頃から怪我の絶えないお前ならどうだ、流星?」
「別段血だらけになったりしねぇから必要ない」
「いや、血のシミってのは案外に小さいものの方が取れにくいものだぞ」
「だからと言ってわざわざそれ専門の洗剤なんているか」
「だから俺を無視するなぁっ!!」
 今度は大声を上げる悠司。
 そんな彼を見上げる流星、晃太、拓海の三人。一方で豪はハァハァと肩で息をしている悠司を宥めようとしている。
「……まだいたの、あんた?」
「あんまり頭に血を上らせると脳卒中とかの可能性がでてくるぞ」
「それにお前昼飯どうするんだ? 早く購買行かないと全部売り切れるぞ」
「うがぁぁぁぁっ!! 覚えてろよ、お前らー!!」
 あまりにも冷静な拓海、晃太、流星の言葉に半泣きになりながら悠司がどっちかと言うと負け惜しみに近い台詞を言いながら逃げるように駆け去っていった。
「あーあ、いっちまった」
 教室から出ていった悠司を惜しむように流星が言う。
「どうせすぐに帰ってくるさ。売れ残りのパンを持ってな」
「そうそう、気にする必要ないって」
 晃太、拓海が口々に言い、更に同意するように毫も頷いたので流星も同じように頷いた。元々それほど悠司に対して同情しているわけでもない。むしろからかう対象がいなくなったのが残念だと思っていたぐらいだ。
 そして、晃太の言った通り程なくして明らかに売れ残りとわかる人気の無さそうなパンの山を持って悠司は戻ってきた。
「おー、大漁じゃねぇか」
 からかうようにそう言った流星をジロリと睨み付ける悠司。
「そうじゃねぇよ。売れ残りだからって逆に購買のおばちゃんに押しつけられたんだ……定価の半分で」
「まぁ、売れ残っても困るだけだからな」
 ガックリと肩を落として言う悠司に更に追い打ちをかけたのは晃太だ。
「定価の半分ならいい方じゃないか?」
「なぁ、誰かいらね?」
「生憎だけどもうお昼食べ終わっちゃった」
「何つーか、友達甲斐のない連中だな」
 笑いながら言う拓海を恨めしそうに見ながらため息をつき、悠司は自分の椅子に座って持っていたパンの袋を開け、かじりつく。
「悠司が戻ってきたところで話を戻すが、さっきの話は本当なのか?」
 もそもそとパンにかじりついている悠司を見ながら晃太が尋ねる。だが、悠司は彼の言う”さっきの話”というのが何のことなのか思い至らないらしく首を傾げるだけだった。
 それを見て呆れたようにため息をついたのは拓海だ。
「あんたがあたしに殴り倒された時の話よ。ほら、また誰かが殺されただの何だのって言っていたでしょ?」
「ああ、あれか。マジもマジ、大マジだよ。殺されたのはパトロール中の警官。しかも殺され方がかなり凄い。一人は首ちょんぱでもう一人は首ちょんぱの上に胴体まで真っ二つ」
 拓海に言われてようやく思い出したのか、悠司はやたら真剣な表情を浮かべて小声で言う。一応周りの人間に聞かれないようにと言う配慮だろう。この幼馴染み達はともかく他の生徒達にはあまり漏らしていいような話ではない。もっとも幼馴染みにも本当は漏らしてはいけない話なのだろうが、その辺は彼にとってはどうでもいいことのようだ。
「手口は前の時のと似てるんだ」
「前の首ちょんぱ事件だろ? だから同じ犯人がまたって」
「いや、それはない」
 拓海の言葉に頷きながら口を開いた悠司を遮るようにして少し硬い表情をした流星が言った。前の時と同じ犯人――それだけは絶対に有り得ない。何故ならそいつは謎の怪物で、そいつを自分が仮面ライダーに変身して倒したからだ。あの怪物は確かに倒した。爆発したところを見ている。あれで倒してないと言ったら嘘になるだろう。
 黙ってそんなことを考えていた流星は、皆が自分の顔をじっと見ていることに気がついた。それから自分が失言をしたと言うことに気付く。前にあった首切り死体事件の犯人が謎の怪物であり、それを自分が倒したと言うことを知っている者は彼自身の他は祖父、そして秋穂だけだ。他の人間に話したところで誰も信じないだろうし、下手をすれば他の人間を自分の戦いに巻き込んでしまう可能性がある以上、この話は秘密にしておかなければならない。
「あ……いや、そうじゃないかなって思っただけで」
 自分でも苦しい言い訳と言うか言い訳にすらなってないような気がしないでもないが、それでも誤魔化す為に言ってみる。
「おいおい、流星〜。当てずっぽうとか思っただけってのは一番ダメな推理だぜ〜」
 笑いながら悠司がそう言い、流星の肩を叩いた。このお馬鹿と言うか何処か微妙に抜けている幼馴染みが見事なまでに苦しい流星の言い訳を真に受けてくれたお陰で流星はちょっと安心する。チラリと他の三人を見てみると豪はぼんやりとした顔のままだったが、晃太と拓海はちょっと不審げな視線を流星の方に向けていた。流石にこの二人まであの言い訳で誤魔化すのは難しいようだ。
「まー、流星のダメ推理はともかくとしてだな、俺としてはこの犯人は……」
 まるでその場の空気を読まない悠司がまた口を開き、何処にあるのかよくわからない自信たっぷりの犯人像のプロファイリングを四人に披露する。もっともほとんど聞き流されているのだが、当の本人はそんなことに気付かずに喋り続けていた。
「……流星、あんたさ」
「あ、そ、そうだ!」
 拓海がジロリと流星を睨み付けるようにしながらそう言いかけるのを、流星はいかにも今思い出しました、と言う風に慌てた様子で遮る。そしてさっと晃太と豪の方に振り向き、手を出した。
「悪い、どっちかちょっと携帯貸してくれないか?」
「どうしたんだ、いきなり?」
 やはり訝しげな顔をして晃太が尋ねてくる。
「いや、悠司の言ったことが本当ならうちのじじいに家から出ないように言っておかないと。あのじじい、年寄りなら年寄りらしく家で盆栽でもいじってりゃいいのにしょっちゅう何処かに出掛けてやがるからな」
「あのお爺ちゃんなら大丈夫そうって言うか、むしろ逆に犯人捕まえちゃいそうな気がするけど」
 いかにもとってつけたような理由だが、すぐに拓海が笑いながらそう続けたので流星は苦笑を浮かべて彼女の方を見た。どうやらさっきの失言から上手く話題をそらせそうだ。追求しようとした彼女がこの話題に乗ってきたのだから、他の連中もさっきの話題に無理の話を戻そうとはしないだろう。
「俺もそうは思うけどな、あれでも一応歳だろ。もしものことがあったらたまんねぇし」
「それもそうか。流星にとっちゃあのお爺ちゃんが唯一の肉親だもんね」
「そう言うこと。ほれ、さっさと貸せ」
「……まったく携帯ぐらい自分で持てといつも言っているだろう」
 ブツブツ言いながら自分の携帯電話を取り出し、流星に手渡す晃太。
「じじいが許してくれねぇからな。そう言うんなら晃太が説得してくれ」
 携帯電話を受け取りながらそう言う流星に晃太は顔を引きつらせて首を左右に振った。彼もまた流星の家の道場に通う練習生の一人であり、流星の祖父である真の恐ろしさは身に染みてよく知っている。少し昔気質な面があり、携帯電話などをあまり好いてない真に「流星に携帯電話を持たせてやってくれ」と説得するのは至難の業だ。やれと言われてもやりたいことではない。
「それじゃ借りていくぜ」
 そう言って流星は教室から飛び出していった。
「……何で外に出ていったんだ、あいつ?」
「電話ならここでしてもいいのに」
 電話をする為だけにわざわざ教室から出ていった流星を見送りつつ、首を傾げる晃太と拓海。
「俺に遠慮したんでねーの?」
「いや、それはない」
 何故か上機嫌で言う悠司に二人は口を揃えてそう言うのであった。

 屋上へと続く階段の踊り場まで来て流星はようやく立ち止まり、周囲に誰もいないかを確認した。特に警戒するべきは幼馴染みの四人だ。
 今現在流星の家には祖父以外にもう一人住人がいる。
 相沢秋穂。この辺りでは見かけたことのない程の美少女。口数はあまり多くないが、その美少女っぷりは流星自身も思わず見とれてしまう程だ。一体どう言った理由でこの街に流れてきたのか、どうして仮面ライダーに変身する為のアイテム――ゾディアックガードルを所持していたのか、彼女に関する謎はまだまだ山のようにある。そもそもその名前だって本当なのかどうか怪しいものだ。
 しかし、それを抜いても彼女が美少女であるということに変わりはない。そんな美少女と今、一つ屋根の下で暮らしているなどと言うことがあの四人、特に悠司辺りに知られた日には紹介しろだの何だのとうるさいこと間違い無しだ。
 だから、彼女の存在をあの連中から隠す為にもこうやってわざわざ場所を移動してきたのだ。
 折り畳み式の携帯電話を開き、家の電話番号をプッシュする。自分で持っていないがこれくらいの操作は出来る。当たり前だと言えば当たり前だが。
 数回のコールの後、ようやく相手が出た。
『も、もしもし……えっと、あの、早田……ですが』
 明らかに戸惑ったような、そして緊張しているのがありありとわかる声が聞こえてきて、流星はため息をついた。まさか彼女が電話に出てくるとは思わなかったのだが、それは取りも直さずもう一人、家にいなければならないはずの人物がいないと言うことなのだろう。
「何でお前が出てるんだよ」
 だいたい見当はついているのだが、とりあえずそう言ってみる。
『あ……えっと、お爺さん、”釣りに行く”って……』
「……あのじじい、ちったぁじっとしてるってことが出来ねぇのかよ」
 電話の向こうにいる秋穂も駆けてきたのが流星だとわかって少し安心したのか、やや緊張の解けた声で返してくる。それに対して流星はまたため息をついた。どうやら嫌な方向で予想が的中したらしい。
『何か……あったの?』
「……またあの怪物が出たらしい。いいか、お前は絶対に家から出るなよ。出来れば戸締まりとかして、何処かに隠れてろ。誰か来ても出るんじゃねぇ。わかったな?」
『う、うん……わかった……あ、あの』
「何だよ?」
『気をつけて。油断しちゃダメだよ……』
「わかってる」
 心配そうな秋穂の声にそう答え、流星は通話を終わらせた。携帯電話を折り畳み、ポケットの中に突っ込むと大急ぎで階段を駆け下りていく。自分の教室のある階をも越えて彼が向かった先は下足室だ。
 靴を履き替えるとすぐさま彼は校舎から出て、外へと飛び出していく。一刻も早く新たに現れた怪物を見つけ、そして倒さなければならない。それが仮面ライダーとなった自分の使命であり、大切な仲間達を守る為の手段なのだ。まだ戦い慣れているわけでもなく、未熟な自分だがそれでもやらなければならない。勝たなければならない。その為に全力を尽くすだけ。そう決意して流星は走る。

 何処にいるのかわからない新たな怪物の姿を探して街中を走る流星。相手が何処にいるのかわからない為にひたすらあちこちを走り回っている。
「クソ、せめて悠司が言ってた事件が何処だったかわかってれば」
 このままだと怪物を見つける前にこっちの体力が尽きてしまいそうだ。こっちの体力のあるうちに見つけないといざと言う時に戦えない。何にせよ敵の居場所がわからないと言うのは非常に厄介だ。今後何とかしなければならないことの優先順位の上の方にこの事項は入れておかなければ。
 そんなことを考えながら流星は足を海の方へと向ける。祖父である真は釣りに行ったと秋穂は言っていた。ならばとりあえず何処にいるかわからない怪物を探すよりも先に真を見つけておくべきだろう。
 海辺、特に港の方に向かって駆け出した流星だが、そんな彼の行く手を遮るように一人の男が飛び出してきた。危うく男とぶつかりそうになった流星だが、何とか回避したたらを踏みながら男の方を振り返る。
「あぶねぇだろ! 何処に目つけてんだよって、万城目さん!?」
「……流星、まだ学校だろう?」
 流星がぶつかりそうになった男、それは万城目だった。かなり怖い顔でじっと流星の方を見つめている。
「あ、いや、ちょっと急用思い出して……そう言えば爺ちゃん見なかったかな? 探してるんだけど」
 何か今日はこんな事ばっかりだな、と思いながらも流星はまた苦しい言い訳をする。もっとも後半部分の真を探していると言うのは事実なのだが。
 そんな流星を万城目は無言でじっと見つめ続けている。まるで何かを推し量っているかのようだ。
 その視線に何やら不穏なものと不快なものを感じた流星はムッとしたような顔をして見せた。
「万城目さん、用がないんだったらこれで失礼するよ。爺ちゃん探さなきゃならないし、他にも用があるし」
 それだけ言って万城目に背を向けてまた走り出そうとした流星だが、その肩を万城目が掴んで引き留める。本当に何か用があるのかと振り返った流星の目前にいきなり数枚の写真が突きつけられた。
 そこに映っているのは蜥蜴のような怪物と戦う仮面ライダータリウスの姿。望遠レンズで撮られたらしく、それほど鮮明ではないがタリウスの姿と蜥蜴の化け物の姿はしっかりとわかるようになっている。
「こ、これ!?」
 思わず驚きの声をあげてしまう流星。一体誰が、いつの間にこんな写真を撮っていたのか。あの時、あの場所には他に誰もいなかったはずだ。考えられるとすれば苦戦するタリウスを助けてくれた謎のサングラスにスーツ姿の男。この写真を撮れた人間というならばそいつしかいない。
 しかし、どうして万城目がこの写真を持っているのか。あの時のサングラスの男は万城目ではなかった。少なくてもこの街の住民ではないはずだ。それにあの男は仮面ライダーのことも知っていた。それだけでも外部の人間だと断定出来る。
 万城目がこの写真を持っていると言うことはそのサングラスの男と万城目との間に何らかの繋がりがあると言うことなのか。あんな何処の誰とも知れない男と万城目が一体どう繋がるのか、少なくても流星の知っている万城目はああ言う奴とはあまり関わりを持たないタイプのはずだ。
 だが、流星の胸に浮かんだ疑問は更なる驚きによって塗り潰される。写真にはまだ続きがあり、それにはタリウスから変身を解いて立ち尽くす流星の姿も映し出されていたからだ。
「……どう言うことか話を聞かせて貰えるか、流星?」
 驚愕の表情を浮かべている流星の目をじっと見つめながら万城目が重苦しい口調で言う。今朝会った時には何も知らないと言っていた流星だが、実は彼が変身して実在していた蜥蜴の怪物と戦っていた。そこにどう言った事情があったにしろ、流星が嘘をついていたと言うことが許せない。更に言えばどうして流星が戦っていたのか、何故彼でなければならなかったのかと言うことも万城目を憤らせている。
「……今は詳しい事情を話してる暇がないよ、万城目さん。その写真に写っている奴の仲間がまた現れたんだ」
 驚きの表情から一転して、真剣な目つきになった流星は正々堂々と万城目の視線を真っ向から受け止めながら言った。
「そいつを見つけて倒す。話はそれからするよ」
 そう言って万城目に背を向けようとするが、またしてもその肩を万城目が掴んで彼を引き留める。
「ちょっと待て。何でお前が戦わなきゃならないんだ?」
「写真見ただろ。俺が変身出来るからだよ」
 面倒くさそうに振り返りながら答える流星。今は一刻も早く新たに現れた怪物を見つけなければならないのにどうして邪魔をするのか。正直なところ、苛立たしさすら覚え始めている。
「何でお前が変身なんて出来るんだ?」
「こいつだよ! これとこれで変身出来るようなシステムになってんの!」
 今度ははっきりと苛立たしげな口調で流星は万城目の質問に答えながら、ベルトの後ろ側に引っかけていたゾディアックガードルとポケットの中に納めていたカードとカードリーダーを取り出した。
「このカードをこいつに差し込んでからこのベルトのここに差し込む! そうしたら仮面ライダーに変身出来るんだよ! もういい? 俺、急ぐから!」
 わざわざ変身方法まで説明して、ようやく万城目が少しだけ納得したような顔をしたので流星はまた彼に背を向けようとした。だが、三度万城目が彼の肩を掴む。
「もう、何だよ、万城目さ――ぐふっ!!」
 如何にも苛々してますよ、と言う感じで振り返った流星の腹に重い衝撃。万城目に腹を殴られたのだと気付いた時にはもう身体が地面に倒れ込んでしまっていた。
「な、何を……」
 倒れた自分をじっと見下ろしている万城目を恨めしそうに見上げる流星。
 万城目は倒れた流星の側にしゃがみ込むと素早く彼からゾディアックガードルとカード、カードリーダーの一式を奪い取った。
「スマンな流星。だけどな、ああ言った奴らと戦うのはお前みたいな子供のやることじゃない。大人の仕事だ。こいつは借りていく」
 それだけ言うと万城目は倒れている流星をそのままに、何処かへと走り去っていってしまった。
 流石に気を失うまでも行かなかったが、万城目の重いパンチをまったく警戒も何もしていないところにまともに喰らったのだ。今の流星は立ち上がることすら出来ず、呻き声を上げながら走り去っていく万城目を見送るだけしか出来ない。
「だ、ダメだ、万城目さん……そいつは……万城目さんには使えない……」
 勿論その声は万城目に届くことはなかった。

 漁港の方から自宅に続く道を釣り竿とバケツを手に歩きながら真は苦笑を浮かべていた。
 少し早めにお昼ご飯を食べ、秋穂を家に残して釣りに出掛けてきたのはいいのだがただの一匹も釣れない。秋穂には出掛ける時に「今夜は新鮮な魚を食わせてやる」と言って出てきた手前釣果ゼロでは家に帰れないと思った真は漁港の方に立ち寄り、知り合いの漁師から魚をわけてもらってきたのだ。自分で釣ったのではないにしろ、これで秋穂との約束は守れそうだ。彼女自身はイエスともノーとも言ってないが、特に好き嫌いもないようだし取れたての魚料理なら喜んでくれるはず。これで少しは笑顔の一つでも浮かべてくれればいいのだが、その為にはとにかくうっかり者の孫を先に何とかせねばならないか。
 そんなことを考えながら歩いていた真だが、不意に足を止めた。そして険しい表情を浮かべて周囲をさっと見回す。
(……何と言う殺気……それにこれは……血の臭い?)
 周囲に人の姿はない。しかし確実に殺気を感じる。それもかなり強烈なものだ。下手に飲まれてしまえば動くことすら出来なくなる程の濃密な殺気。並大抵の者に出せるものではない。
 更に感じる血の臭い。極短時間の間にかなりの量の血を浴びたか吸ったかしたのだろう。これもまたかなり濃密なものだ。
「……出てこい。いるのはわかっておる」
 何処に隠れてこちらを見ているのか、殺気の主に対して真は呼びかけてみた。
 多少の相手ならば決して後れをとることはないと言う自信のある真だが、その相手の姿が見えないのではどうにもやりようがない。しかし、これだけの殺気と血の臭いをさせている者を黙って見逃してやれる程甘くもない。何とか姿を見つけ、捕らえるなり何なりしなければ。
 そう思っていると、殺気に変化が起きた。
 その変化に気付くと同時に身を翻す真。さっきまで左手に持っていたバケツが中程から真っ二つになり、中に入っていた魚が海水と共に地面にこぼれ落ちる。
「ようやく現れたようじゃの……しかし、これで約束は反故になってしまったか」
 バケツを真っ二つに切り裂いた犯人である蟷螂のような怪物を目にし、それから真は地面の上に転がり砂だらけになった魚を如何にももったいなさそうに見やった。今ならまだ洗えば充分食べられるか、とも思ったが目の前にいる蟷螂のような怪物がそれを許してくれるかどうか。いや、許してはくれないだろう。それどころか自分を切り刻みたくてうずうずしているようだ。
「まったく無粋な奴だな。嬢ちゃんもきっと楽しみにしていてくれただろうに。これは少々お仕置きしてやらんとな」
 両手が鋭い鎌のようになった蟷螂の怪物を前にしながらも真は余裕たっぷりに言う。実際のところ、相手の放つ殺気に少々気圧され気味なのだが、ここで相手にそれを悟られてはまずい。ここは例え虚勢でも張って、相手に弱気な部分を見せてはならない。弱気なところを見せれば奴はたちまち襲ってきて、あの鋭い鎌のような腕の一撃を浴びせられるだろう。
 じっと睨み合う真と蟷螂のような怪物。
(これが嬢ちゃんの言っておった”人類の敵たる百八の怪物”のうちの一体か……流石に隙がない。それに仮面ライダーとやらに変身出来ないと相手にすらならんと言っておったがそれも本当のようじゃの)
 その姿から相手は昆虫の蟷螂の能力を持ち合わせているのだろう。蟷螂が人間大になっただけでもそのスペックは人間以上のもの。果たしてこの様な化け物相手にどうやって戦うか。
(何とかこの場から逃げて流星に知らせんとな。あいつしかこの連中の相手が出来んのだから仕方ない)
 果たしてこの蟷螂の怪物を相手に流星が勝てるのかどうか、その問題はさておき今はどうやってこの怪物の前から姿をくらませるかが問題だ。そう易々と見逃してくれようはずがない。秋穂の言っていた通りならばこの怪物達にとって自分たち人間はエサ以外の何者でもないのだから。
 睨み合いは続く。
 蟷螂の怪物から見て、真はなかなかに油断ならない相手のようだ。自分の殺気に気付いただけではなく、先ほどの一撃もかわしている。先に殺した二人の警官とは大違いだ。そんなことを考えながら、真の隙を見つけようとしているのか。
 しばしの睨み合いの末、先に動いたのは蟷螂の怪物だった。我慢の限界だったのか、猛然と真に向かって鎌状の両腕を振り上げ突っ込んでいく。
 それを見た真は未だに左手に持っていた半分だけになったバケツの残骸を蟷螂の怪物に向かって投げつけながら後ろへと下がる。
 蟷螂の怪物は真が投げたバケツの残骸を左の鎌で切り落とし、更に右の鎌で真に斬りつけようと腕を伸ばしてきた。だが、それよりも早く何かが蟷螂の怪物の顔面を激しく打ち据える。ダメージはそれほどでもないが、あまりにも突然だったので思わず顔を押さえて後退してしまう。
「殺意が先走りすぎておるな。それでは見え見えだ」
 少し離れたところから真の声が聞こえてくる。蟷螂の怪物が顔を上げると、もう真は鎌の届かない場所まで下がっていた。一歩や二歩踏み出したところでそう簡単に鎌は届かないだろう。
 その真の右手には釣り竿が握られている。おそらく先ほど蟷螂の怪物の顔面を打ち据えたのはその釣り竿だろう。先端に向けて細くなっており、よくしなるその釣り竿をまるで鞭のように振り回し、それで蟷螂の怪物の顔を打ったのだ。バケツの残骸を放り投げたのはその為の牽制だったのだ。
(さて、一度は凌いだが同じ手が通じるかどうかは怪しいもんだな)
 再び始まる睨み合い。先ほどから蟷螂の怪物の優位は変わらないが、対する真の不利具合は先ほどより増している。今度は蟷螂の怪物も警戒するだろう。先ほどのように何か牽制する為のものはない。持っている釣り竿で与えられるダメージなど微々たるものだ。まさにジリ貧。
 真の額から頬を汗が伝い落ちる。
 ジリジリと蟷螂の怪物が真との距離を詰め始めた。このまま睨み合っていても仕方がないと判断したのだろう。釣り竿で受けるダメージは大したことはないのだから一気に突っ込んでいってもいいのだろうが、そこは真の腕を警戒したのだろう。
 少しずつ詰まっていく両者の距離。真が腕を伸ばし、釣り竿を振るえば届く程にまで距離が詰まったその時、一台のスクーターが両者の間に飛び込んできた。急ブレーキをかけて止まろうとするがそこは特に舗装されていない地面だったので、止まりきれず、タイヤが滑ってそのまま横倒しになってしまう。
 あまりにも突然のそのスクーターの登場に真も蟷螂の怪物も一瞬呆気にとられてしまう。両者が唖然としたまま見ている中、スクーターに乗っていた男はゆっくりと立ち上がり、被っていたフルフェイスのヘルメットをその場に脱ぎ捨てた。
「先生、下がってください!」
 その声を聞いて真は更に驚いた。
「ま、万城目君!? 一体どうしてここに!?」
「この化け物の相手は俺がします! 先生は早く逃げてください!」
 真の驚きの声に万城目は振り返りもせずにそう答え、目の前にいる蟷螂の怪物を睨み付ける。
「ば、馬鹿もん! そいつは少しぐらい腕に自信があっても戦えるような奴では!」
「知っています! でも大丈夫、俺に任せてください!」
 万城目はそう言うとベルトの脇に吊してあったゾディアックガードルを取り出し、腰に装着した。
 それを見た真が更に驚きの声をあげる。
「お、お前! そいつをどうして!?」
「先生、どう言った事情があるのかは知りませんが……流星のような子供に戦わせるなんて俺には許せません! こんな奴らと戦うべきなのは俺たちみたいな大人のはず!」
 言いながら今度は一枚のカードとカードリーダーを取り出し、カードをカードリーダーに挿入した。

 聞こえてくる機械で合成された音声。
「や、止めろ! 止めるんだ、万城目! そいつはお前には!」
 真が必死に制止の声をあげるが万城目は聞かない。あえて聞こえない振りをする。
「戦うのは俺たちみたいな大人だ! 俺はその為に今まで鍛えてきたんだ! みんなを守る為に、俺はこの手でみんなを守る為に強くなったんだ!! 変身っ!!」
 それだけ叫んで万城目は満を持してゾディアックガードルにカードリーダーを差し込んだ。こうすれば仮面ライダーに変身出来るとあのサングラスの男から聞いた。流星にも確認してある。だが次の瞬間、彼の身に激しい衝撃が襲い掛かった。
 腰に固定されていたはずのゾディアックガードルがまるで磁石の同極を近づけたかのように彼の身体から弾き飛ばされたのだ。その反動を受け、万城目も吹っ飛ばされて地面の上を転がる。
「な、何だ……?」
 一体何事が起こったのか。身体に走る痛みに顔をしかめながら、頭を上げてみると先ほど弾き飛ばされたゾディアックガードルから機械で合成された音声が聞こえてきた。
『Error! Error!』
 何度も繰り返されるその音声に愕然となる万城目。
「ど、どう言うことだ……あれで変身出来るんじゃなかったのか……?」
 呆然と呟く万城目。
「馬鹿もんが……あの装置は特定の人間にしか使えんようになっているんだ! だから流星が持っていた! そうでなければ儂とてあの馬鹿孫になど持たせるものか!!」
 未だ倒れたままの万城目に向かって真がそう怒鳴りつけた。
 そう、彼とて好き好んで孫を死ぬかも知れない戦いに送り出しているわけではない。もし自分が代われるのならばすぐにでも代わっている。しかし、ゾディアックガードドルが、あのカードが選んだのは流星だ。仮面ライダーに変身出来るのが流星だけな以上、自分に出来ることは彼を死なせないよう鍛え、そして勝つと信じて送り出すことだけ。それしか彼には出来ないのだ。
 倒れていた万城目もそんな真の心情がわかったのだろう、悔しそうに歯を噛み締めながら身を起こし、落ちているゾディアックガードルを拾い上げた。そして後ろにいる真に向かって放り投げる。
「先生、流星にそいつを返しておいてください」
「……何をする気だ?」
 何処か悲壮感すら漂わせている万城目の言葉に思わず真が尋ね返す。
「こいつをここで足止めします。俺はちょっと思い上がっていた。そいつがあれば俺は昔からの夢だった正義の味方になれる、そう思ってた。それで流星に迷惑をかけた。その罪滅ぼしです」
「死ぬ気か、万城目?」
 こちらを向こうとはしない万城目の背中に険しい顔をして真が声をかけた。彼の言葉から感じられる気迫には死ぬ覚悟が混じっているように感じられる。もし自分が死んでもいいなどと思っているのならばそれを黙って見過ごすわけには行かない。殴りつけてでもそれを止めなければ。
「まさか……俺だってまだまだやりたいことがあるんですよ。ここで死ぬなんてまっぴらです」
 真の予想に反して返ってきた万城目の声には少しの明るさが含まれていた。
「正義の味方は無理でもそれを鍛えるコーチの役ぐらいは俺でも出来る。パートナー役とかもね。そうでしょう?」
 どうやら彼の正義の味方に対するこだわりはかなりのものらしい。そのことを思い知らされて真は苦笑するしかなかった。
「……そうだな、お前なら充分その役が務まるはずだ。だから決して無理はするな」
「逃げ回れば死にはしませんよ。でも出来る限り早めにお願いします」
「わかった。だが充分気をつけろ」
 万城目は弟子の中でもかなり優秀な部類に入る。だが、その彼でもこの蟷螂の怪物を相手にするのは危険すぎる行為だ。真に出来ることは一刻も早く流星を見つけてこの場に連れてくること。万城目の身に何か起こる前に、だ。
 後ろ髪を引かれる思いでその場から駆け出そうとする真だが、すぐに足を止めた。その視界によろよろと歩きながらだが流星の姿を捕らえたからだ。
「流星!」
 大声で孫の名を呼ぶと向こうも気付いたようだ。駆け足になってこっちに向かってくる。
「このクソジジイ! 何処ほっつき回ってやがった!!」
 そう悪態をつきながらやって来た流星は真の後方で睨み合っている万城目と蟷螂の怪物を見て表情を一変させた。いつになく真剣な表情を浮かべて万城目越しに蟷螂の怪物の姿を見据える。
「あいつが……」
「ここからはお前の仕事だ。油断するな。奴はかなり強いぞ」
 そう言いながら真は流星にゾディアックガードルを渡す。
 万城目に持ち去られたはずのゾディアックガードルを真から手渡された流星は一瞬ぎょっとしたような顔を真に向けるのだが、すぐに頷き、ゾディアックガードルを腰にあてがった。ガードルの左右からベルトが伸び、腰に固定されたのを確認してからカードリーダーにカードを挿入する。
『Zodiac Rider System Preparation Start』
 聞こえてくる機械で合成されたような音声。それを耳にしながら流星は高らかに叫んだ。
「変身っ!!」
 叫びながらゾディアックガードルにカードリーダーを差し込む。
『Completion of an Setup Code ”Sagittarius”』
 再び聞こえてくる機械による合成音声。それと共にゾディアックガードルから光が放たれ、彼の前に光の幕を作り出す。そこに輝く射手座を象った光点を見ながら流星は駆け出した。
 頭から光の幕をくぐり抜け、幕の向こう側に躍り出た彼の姿が変わる。青いボディに銀色のアーマーを身につけた仮面ライダータリウスへと。
「万城目さん、後は俺が!」
 そう言って駆け出すタリウス。
 そしてその声を聞いた蟷螂の怪物も万城目の後方からこちらに向かってくるタリウスに気付いたようで、その標的を対峙している万城目からタリウスに切り替えたようだ。万城目を無視してタリウスを迎え撃つべく駆け出した。
「この! 俺を無視するかっ!」
 まるで風のように万城目の脇を通り抜け、彼が振り返っても一切無視してタリウスに飛びかかっていく蟷螂の怪物。
 両腕の鎌を振り上げながら襲い掛かってくる蟷螂の怪物の懐へと果敢に飛び込んだタリウスは振り下ろそうとする鎌を両腕を広げて受け止めるとその腹に向かって膝を叩き込む。相手がよろけるのを見て一歩下がって、そして回し蹴り。
 その一撃を食らい、吹っ飛ばされる蟷螂の怪物。そこへと追い縋り、更なる一撃を加えようとするタリウスだが、蟷螂の怪物は近寄ってきたタリウスの足をかき切ろうと倒れたままの状態でゆっくりと鎌を振り上げる。
「流星! 飛べ!」
 突然聞こえてきた祖父の声にはっとなったタリウスがその場でジャンプする。その直後、タリウスの足下を蟷螂の怪物の鎌が通過した。まさしく間一髪のタイミング。後もう少し遅ければタリウスの両足は真っ二つになっていただろう。
 祖父のアドバイスに心の中だけで感謝しながら、タリウスは蟷螂の怪物と距離を取った。
 タリウスの足を切断することに失敗した蟷螂の怪物が素早く起き上がり、タリウスと改めて対峙する。今度は迂闊に飛びかかったりはしない。じっくりと相手を見定めてからだ。
「流星、油断するな! そいつはかなり強い!」
「わかってる!」
 再び背中側からかけられる祖父の声にそう答えながらタリウスは蟷螂の怪物の隙を窺う。祖父の言う通りこの蟷螂の怪物は先に戦った二体の怪物よりも強い。タイプ的には初めて戦った怪物と同じような感じだが、あの怪物とこの怪物との違いは鎌のようになっている両腕だろう。初めて戦った怪物は刃物のようになった両腕を交差させて初めて相手を切ることが出来る、いわばハサミみたいな腕をしていたが、今度の怪物はその姿と同じく蟷螂のように鎌のようになっている両腕を自由に使うことが出来る。攻撃手段が二倍になっただけでも充分以上の脅威だ。
(どうやって戦う……?)
 ただ睨み合っているだけではどうしようもない。相手が逃げることもなければ倒すことだって出来ないだろう。しかし、相手に付け入るような隙はない。互いに攻め手を失っている、そんな感じだ。
 少しの間睨み合いが続き、先に痺れを切らせて動きだしたのはやはり蟷螂の怪物だった。ジリジリと、少しずつタリウスとの距離を詰めていく。
 と、その時だ。蟷螂の怪物の後ろにいた万城目が地面の上に落ちていた魚を振り上げて蟷螂の怪物の後頭部を殴りつけたのだ。それほど大きくもなく、特に冷凍もされてないので棍棒代わりにするにはあまりにも心許ないものだったが、それでもないよりマシだと判断したのだろうか。勿論、衝撃もそれほどではなく、単に蟷螂の怪物の注意をタリウスから自分の方へと引き寄せるだけの結果に終わった。
「今だ!」
 万城目の突然の行動により蟷螂の怪物の意識が自分から彼の方に移ったのを見て、タリウスは駆け出した。自分が求めていた隙が敵に生まれたのだ。このチャンスを逃す手はない。
「いかん! 流星、戻れ!」
 後ろから真の声が聞こえてきたがタリウスは止まらない。止まれるわけがない。万城目が決死の覚悟で作ってくれたチャンスだ。このチャンスを逃さす、一撃を蟷螂の怪物に叩き込む。今の彼はそれしか考えていないのだ。
 だから彼はどうして真が自分を止めようと声をあげたのか気付かなかった。わかろうともしなかった。そして彼がそれに気付いたのは、彼の身体に激しい痛みと衝撃が叩き込まれた直後だった。
 何が自分の身に起こったのかまるでわからないまま、タリウスは大きく吹っ飛ばされ、地面の上を転がる。
「な、何が……」
 何とか起き上がろうとするものの、身体中に走る激痛の為に起き上がることが出来ない。それでも顔だけ上げてみると蟷螂の怪物がこちらへと向かってきているのが見えた。
 このまま倒れているとあの鎌の餌食になってしまうだろう。何とか起き上がらなければ。そう思うのだが身体は言うことを聞かない。
「くう……」
 激痛を堪えながら必死に地面に手をつき身体を持ち上げていくタリウス。しかしその間にも蟷螂の怪物はタリウスの側へと近付き、とどめを刺そうとばかりに鋭い鎌のようになっている腕を振り上げていた。その腕が振り下ろされればタリウスの首と身体が離ればなれになってしまうことは想像に難くない。だが、それでもタリウスの身体は動こうとはしなかった。
「流星!」
 真の叫び声が聞こえるがもはやどうすることも出来ない。激痛の為に身体は動かず、蟷螂の怪物が振り下ろそうとしている鎌をただ待つだけ。
 今の仮面ライダータリウス――流星に出来ることはやがて来る死を待つだけだった。

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