夕闇迫る海岸沿いの防風林の中を一人の少女が必死に走っている。胸元には大事そうに大きめのアタッシュケースを両腕で、まるで抱きしめるかのように抱え、時折後ろを振り返りながら走っている。何者かに追われていてそれから逃げているかのように。
 既に何度も転んだのだろう、少女が着ているワンピースのスカートのあちこちに泥や土が付いていて茶色くなってしまっている。元の白さが既に伺えなくなっている程に。
 走る少女の息はかなり荒い。必死に走っているのだろうが、既に体力の元気はとうに過ぎてしまっているらしく歩いているのとほとんど大差ない速さだ。今にも倒れそうなくらいフラフラと、それでも少女は必死に走っている。
 走る少女の後方、防風林の間を縫うように一体の異形が悠然と歩いている。少女の姿をその視界に納めつつ、いつでも簡単に追いつけるとばかりに悠然と歩いている。時折、前方を走る少女を威嚇するようにまるで鎌のようになっている両手を交差させ、音を立てる。その様子からこの異形が完全に楽しんでいるのがわかる。
 少女を捕まえないのはそう命じられているからに過ぎない。その命令に反したことをすれば自分が命を奪われる。だから精々目の前を走る少女を怖がらせるだけ。その恐怖に怯える様を見て楽しむだけ。
 後ろから音が聞こえるたびに少女がビクッと身体を震わせ、後ろを振り返る。その目には明らかに怯えの色が見て取れた。いつ追いつかれるか、気が気ではないだろう。追いつかれたら最後、少女の細腕では抵抗することもままならない。
 とにかく逃げなければ、そう思って疲労によって既に限界を超えている身体にむち打って前に向かおうとするが、どうやら身体が拒否反応を示してしまったらしい。足が動かずにその場に少女は豪快に転んでしまった。それでも胸元に抱えたアタッシュケースだけは手放さない。
「ハァハァハァ……」
 荒い息をしながら何とか起き上がろうとするが腕も足も彼女の言うことを聞こうとはしなかった。元々それほど体力のある方ではない。それなのに限界を超えてここまで走ってきたのだ。彼女の身体は悲鳴を上げているし、休息を求めている。
 少女が転んだのを見て異形も足を止めていた。だが、わざとらしく両腕を何度も交差させて音を立て、少女の恐怖を煽っていく。
 後ろから聞こえてくる金属的な音に少女はまたビクッと身体を震わせた。そしてそのまま這うように前へと移動しようとする。とにかく逃げる。服が汚れようと、そんなことに構っている暇はない。
「ハァハァハァ……」
 土の上に手の跡を残しながら必死に前へと進もうとする少女。それでもほとんど身体は動いていない。気持ちだけが前に行くのだが、実際の身体がついてきていない。
 と、そんな少女の前に一人の男が現れた。日に焼けた、どことなく柄の悪そうな男ではあったが、少女には天の助けだと思えたのだろう。縋るような顔をしてその男を見上げる。
 男の方は特に宛もなくブラブラしていただけらしく、いきなり目の前に倒れている少女を見つけて一体どうすればいいのか少し戸惑っているようだ。だが、自分を縋るように見上げている少女が予想外に可愛かったのと周囲に誰もいないと言うことからスケベ心が湧き上がったようだ。
「だ、大丈夫か?」
 そう言って少女の方に手をさしのべて彼女を起こしてやる。
「なぁ、君、この辺じゃ見かけない顔だけど、どこから来たの? 一人?」
 不安そうに後方をちらちらと見ている少女に向かって男が声をかけるが、少女は後ろが気になっていて男の声を聞いていなかった。
「ん? 誰もいないって。なぁ、それよりもさぁ……」
 男も少女が気にしている方を見てみたが、そこには何もいない。少なくても彼には何も発見することは出来なかった。だからか、気安げに少女の肩に手を回して自分の方に引き寄せる。
「俺といい事しない?」
 そう言ってニヤリと笑う男。そこには明らかな邪心が見えていたのだが、疲れ切っていた少女はそれに気付くことが出来なかったようだ。ただ、少し躊躇った後に抱いていたアタッシュケースを彼に手渡そうとする。だが、男はアタッシュケースをチラリと見ただけですぐに興味を無くしてしまったようだ。一回それを受け取っておいてからすぐに足下にそれを置いて改めて少女の身体を抱き寄せる。
「いいだろ? 君も一人、俺も一人、誰も見てないしさ」
 男はそう言って少女の身体を近くの木の幹に押しつけた。そして唇を奪おうと彼女の顔に自分の顔を寄せていく。
 その時になって少女はようやくこの男の邪心に気がついたようだ。必死に抵抗しようとするのだが、先ほどまでの疲れの為かあっさりと男に押さえ込まれてしまう。
 少女のあまり大きくない胸を鷲掴みにしながら男が顔を近づけ、少女の唇を今にも奪おうとしたその時だった。後ろからにゅっと伸びてきた手が男の襟首を掴み、そのまま彼を少女から引き剥がす。
「な、何だ!?」
 いきなり物凄い力で少女から引き剥がされた男は慌てて後ろを振り返ろうとするが、それよりも先に男の視界が一回転した。自分が投げ飛ばされたのだと理解した時には背中を思い切り地面に打ち付けている。
「な、何しやがる!!」
 激痛に顔をしかめながら身体を起こした男が自分を投げ飛ばした何者かに向かって怒鳴るが、すぐさまその胸ぐらを掴まれ引き起こされる。
「嫌がる少女を無理矢理手込めにしようとしていた奴に天誅を加えてやっただけじゃ。文句があるか?」
 そう言ったのは作務衣を着た白髪の男。かなり歳をとっているように見えるが、その迫力は並のものではない。圧倒的に年の若い男が圧倒されてしまっている。
「な、何言ってるんだよ……ど、同意の上……」
「そうなのか、お嬢ちゃん?」
 男がそう言ったので少女の方を振り返り確認するように尋ねる白髪の老人。その眼光は鋭く、嘘をついてもすぐにわかるぞ、と言いたげだった。しかし、少女の方は嘘をつくつもりなど毛頭ない。ヘナヘナと座り込んでいた少女は白髪の老人の眼光の鋭さに少々怯えながらも首を左右に振った。それを見て老人が満足げに頷く。
「さて、お前さんはもう一つ罪を増やしたな。あのお嬢ちゃんを手込めにしようとしたこと、それにこの儂に対して嘘をついたこと」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「問答無用!!」
 まだ何かいいわけをしようとした男を老人は思いきり投げ飛ばした。あまりにも見事すぎる背負い投げ。男に柔道の心得があれば受け身をとることによりそのダメージを軽減出来たのだろうが、生憎と男にそう言う心得はなかった。もっとも老人の方としてもそれは分かっていたので最後の最後で力を抜いてやったのだが、それでも投げ飛ばされた男は目を回して気を失ってしまっている。
「全く近頃の若いもんは……っと、お嬢ちゃん、大丈夫か?」
 呆然とした感じで老人とその老人に投げ飛ばされて気を失ってしまった男を見ていた少女だが、老人に声をかけられてはっと我に返ったようだ。慌てたようにうんうんと大きく頷いている。
「ふむ……どこから来たのかしらんがあまりこう言う手合いに簡単に心を許すものではないぞ。こう言う手合いの奴はお嬢ちゃんみたいな可愛い子だとすぐにがっついてくるからな」
 少女に諭すように声をかけ、手を差し出してくる老人。この人は悪い人ではない、と思ったのか少女はその手を取って何とか立ち上がり、微笑みを浮かべて、そのまま気を失ってしまった。
「お、おい!? お嬢ちゃん!?」
 立ち上がったはいいが、そのまま自分の方に倒れかかってきた少女に老人が今度は慌てふためく番だった。何とか少女の身体を受け止め、果たしてどうしたものかと少し思案する。
 とりあえず少女をこの場においていくことは出来ないだろう。ならば自分の家に連れて行くしかあるまい。少女の家族が彼女を捜しているかも知れないが、とりあえずこの少女が目を覚ましてくれなければ連絡を取ることも出来ない。目を覚ますまで、それならば別に構わないだろうと思い、老人は少女を背負って歩き出した。

仮面ライダーZodiacXU
Episode.14「少女との邂逅-The girl meets the boy-」

 少女が目を覚ましたのは彼女が全く見覚えのない和室の中であった。ゆっくりと身を起こし、キョロキョロと左右を見回してからどうして自分はここにいるのだろうと首を傾げる。少しの間考えてみて、ようやく気を失う前のことを思い出し、少女はポンと手を叩いていた。しかし、ここが一体何処なのかは見当もつかない。今度は困ったような顔をして首を傾げてみるが、それでどうなるものでもないと自分でも気づき、顔をしかめてみた。
 とりあえずここにこうしていても何ら事態は変わらない。それに思い当たった少女はもう一度ポンと手を叩いた。それからゆっくりと立ち上がろうとする。まだ身体はだるかったが、それでも体力は結構回復しているようで立ち上がること自体に何の支障もなかった。
 寝かされていた布団の上から畳の上に一歩踏み出した時、少女は自分の格好にようやく気がついた。確か気を失う前まではワンピースを着ていたはずなのだが、今は何故か浴衣姿になっている。流石に下着などはそのままであったが、誰かが勝手に自分を着替えさせたのだろう。思わず真っ赤になってしまう少女。
 そんな時、いきなり障子戸が開いて一人の女性が顔を覗かせた。
「あら? 何か音がしたと思ったら目が覚めたのね。先生、あの子、起きたわよ〜」
 女性は真っ赤になって立ちつくしている少女を見るとニコッと微笑んでから、後ろの方を振り返ってそこにいる誰かに声をかける。
「おう、そうかそうか。これで一安心だな」
 そんな声がして更に障子戸が大きく開かれ、白髪の老人がニコニコと笑顔を浮かべて中に入ってきた。呆然としている少女を見てから、その肩をポンポンと優しげに叩く。
「元気そうでよかった。目の前で気を失われた時にはどうしようかと思ったぞ」
 老人にそう言われて少女は申し訳なさそうな顔をしてぺこりと頭を下げた。
「ああ、いや、謝って貰う必要はない。お嬢ちゃんの様子からかなり無理をしとったようだしな。ちなみにお嬢ちゃんの着替えはこいつにやって貰ったでな。安心しなさい」
「君の服、かなり汚れていたから勝手に選択させて貰ってるわ。今日中には無理だけど、明日には乾くと思うから我慢してね」
 老人に続き、女性もニコリと再び微笑む。
「まぁ、立ち話も何だ。ちょっと向こうで話さんか?」
 まだ少女がこの状況に戸惑っている様子が見て取れたので老人がそう言うと、少女はとりあえずと言った感じで小さく頷いた。だが、そこに女性が割り込んでくる。
「先生、それよりも先にこの子、お風呂に入れてあげた方がいいわ。さっき着替えさせて上げた時に少し身体とかふいてあげたんだけど、そんなんじゃイヤでしょ?」
 女性にそう言われてもまだ少女はどうしたらいいのかわからないと言う顔をしている。確かに女性の言う通り、お風呂に入って身体を洗ってさっぱりとしたい気分ではある。だが、全く見知らぬこの人達の好意にここまで甘えていいものだろうか。それにこの人達が本当に信用出来る人達なのかどうかもわからない。
「何迷ってるのよ。こう言う行為は素直に受けておきなさいって! それじゃ先生、この子、お風呂に案内してくるわね」
 少女がまだ迷っているのを見て女性がそう言って彼女の手を引いて和室から連れ出していった。和室に残されたのは老人一人。とりあえずここにいても仕方ないと思ったのか老人もさっさとこの和室を後にするのであった。

 夕暮れ迫る弓道場の中、制服姿の一人の少年が弓に矢をつがえ、じっと的を見つめている。ゆっくりと弓を構え、そして矢を放つ。
 放たれた矢が空気を切り裂き、的に向かって飛んでいく。だが、その矢は的に命中することはなく、その脇に突き刺さってしまう。
 矢が的を外れたのを見て取った少年があれ、と言う顔をする。
「あーあ、やっぱりダメじゃん」
「ふむ、格好だけは決まっているのだがな、流星は」
「おっしゃ、俺の勝ち! ジュース一本ゲット!!」
「何やってんだよ〜、流星〜」
 弓を持っている少年の後ろの方にいた野次馬達が口々の声をあげた。少年はそっとの方を振り返ると不機嫌そうな顔をして怒鳴りつける。
「うるせー! 勝手なこと言ってんじゃねーぞ、お前ら!!」
 それだけ言うと、少し離れたところで腕を組んでこっちを見ていた弓道衣を着ている少女の方を見た。
「ほれ、返すぜ。期待に応えられなくて悪かったな」
 少女に向かって弓を渡しながら少年が言う。
 弓を受け取った少女は小さく嘆息してから彼の顔を見返した。
「本気を出して欲しかったわね、早田君。君の本気なら的に当てることは簡単でしょう?」
 呆れたように言う少女だが、少年はただ苦笑してみせただけだ。
「悪いな。俺はじいちゃんと比べると出来が悪いんでな。あれが本気だよ」
「よく言うわ。一度も本気なんか見せたことないくせに」
「それは買いかぶりだって」
「本当にそうかしら……」
「おいおい、信じろよな〜」
「……まぁ、今日のところはいいわ。あのうるさい連中連れてさっさと出ていってくれる? 大会近いんだし、もう少し練習したいから」
「ああ、それじゃ頑張れよ」
 少年はそう言うと先ほど自分が怒鳴りつけた連中の方へと歩いていった。

 弓道場を出た少年達がわいわいと騒ぎながら校門の方へと歩いていく。
「だいたい流星はあれだ、いざと言う時に弱いんだよ」
 そう言ったのはこの面子の中では一番体つきが小さい少年だった。
「プレッシャーに弱い、と言うことか? 俺はそうは思わないが」
 体つきの小さい少年の言葉に反応したのはこの中で一番理知的なメガネをかけた少年だ。彼はいたって冷静な口調で続ける。
「流星は単にやる気がないだけだ。今回のことも考えてみれば富士さんに言われたからやってみただけなんだろう。こいつがやる気になればそれはもう凄いと思うのだがな」
「買い被りすぎだって、晃太」
「そうそう、流星がそんな凄い奴なら今頃お爺ちゃんから一本ぐらい取れてるって」
 晃太と言う名のメガネの少年にそう反論したのは先ほどの体つきの小さい少年とショートカットの少女。更にその隣にいる大柄な少年も同意するように頷いていた。
「おまえら言いたい放題だな。うちのあのクソジジイは例外だろ。あれはもう人間じゃねぇ。妖怪だ、ありゃ」
 先ほどからずっと話題の中にいる少年が口を尖らせながらそう言って仲間達を振り返っる。だが、その顔にはそれほど怒っているという様子はない。
「そんなこと言っていいのかなぁ、流星君。壁に耳あり障子に目あり、一体どこからお爺ちゃんの耳に入るかわかったもんじゃないよ〜」
「じょ、冗談じゃねぇ……それこそ妖怪じゃねぇかよ、マジで」
 からかうようにそう言ったショートカットの少女に本気で慌てたように答える少年。それからその場にいる五人揃って笑い出す。
「まぁ、あのクソジジイのこったからな。その可能性は充分にあり得るか」
「その結果修行という名の折檻を受けるのは流星一人だから別に構わないけどな〜」
「ほほう、言ってくれるではないかね、悠司君。そんな君を今度の日曜日我が家へご招待してあげよう」
「げげっ、まさか俺も付き合わせるつもりか、流星!?」
「死なば諸共じゃ〜!」
 そう言って少年は体つきの小さい少年にヘッドロックをかける。そんな二人のじゃれあう様子を一歩下がったところでメガネの少年が実に涼しい顔で眺めていた。
「ふむ、相変わらず見ていて飽きないコンビだな、流星と悠司は」
「何自分は関係者じゃないみたいな言い方してるのよ」
「周りから見たら俺らは五人一まとめだってことわかってるか、晃太?」
 ショートカットの少女と大柄な少年に口々に言われてメガネの少年はうっと押し黙った。どうやら軽くショックを受けてしまったらしい。
「これからは少し君たちとの付き合い方を考えることにしよう」
「今更手遅れだっての」
 苦し紛れにそう言うメガネの少年を見てヘッドロックから抜け出したらしい体つきの小さい少年が振り返って笑う。
「諦めろ、晃太。どうせ俺たち五人は腐れ縁の幼馴染みだ。この縁はなかなか切れねぇよ」
 そう言って少年がニヤリと笑った。

 この五人組の少年少女、同じ学校に通う仲間であり先ほどその内の一人が言っていた通りの幼馴染み同士でもある。
 体つきの小さい少年が弾 悠司。
 メガネの少年が座頭晃太。
 ショートカットの少女が北斗拓海。
 大柄な少年が松戸 豪。
 残る少年が早田流星。
 流星を除いて他の四人は同じ病院で生まれ、その後流星を加えて幼稚園に上がる前からずっと仲良し五人組として過ごしてきた。その腐れ縁たるや幼稚園時代から今に至るまでその五人が別のクラスになったことがないと言う程である。更には流星の実家で彼の祖父が半ば趣味でやっている武術の道場の道場生でもあった。
「さてと、悠司。忘れちゃいないでしょうね?」
 拓海がそう言って悠司の方を振り返り、ニヤッと笑う。その笑顔を見ているとなかなかの美少女なのだが、普段の言動がどうにも男勝り過ぎていて今一つその魅力が半減してしまっている。もっとも同じ女性には大人気であるのだが。勿論、本人はそんなこと一切気にしていない。
「チッ、やっぱり覚えてやがったか」
 悔しそうな顔をして悠司がポケットに手を突っ込んだ。ごそごそと中をまさぐってから手を引き抜いて開く。
「ひーふーみーの……うお、足りねぇ!?」
 彼がポケットの中からとりだしたのは小銭だった。掌の上にある小銭は百円玉が三つと十円玉が四つ。
「弾は勝つ気満々だったからな」
 相変わらずすましたような顔で晃太が言い、その横で豪が大きく頷いている。
 そんな二人を見て流星が口を開いた。
「拓海が俺に賭けねぇのはわかるんだが、お前らはどうだったんだ?」
「そんなこと決まっている」
 あっさりと晃太がそう言ってメガネをくいっと持ち上げた。
「で、どっち?」
「外す方に、だ」
「だろうと思ったよ。豪も同じか?」
「悪いな、流星。俺は分の悪い賭けはしないことにしているんだ」
 呆れたようにため息をつきつつ、もう一人の方を見やる流星だがそのもう一人もどうやら裏切り者のようであった。更に深くため息をつく流星。
「普段の流星見てたらわかることじゃない。あんたってばやる気のない時は本当に何やらしてもダメなんだし。富士さんも一体あんたの何処に目をつけたんだか」
 悠司の掌から容赦なく百円玉一つと十円玉二つを奪い取りながら拓海が流星の方を見て言い放つ。容赦のない言い方だ。
「うるせーな。俺だってやる気をだしゃ……」
「だったらあの時出してくれよな〜」
 泣きそうな声で悠司が拓海に言い返そうとしていた流星に声をかける。彼の方を振り返ってみると悠司の側で晃太が何やらメモ帳に書き込んでいる姿が目に入った。
「これで良し。一応幼馴染みと言うことで金利は無し。期限は一週間だ」
「二十円ぐらいで細かいよ、晃太」
「何を言うか。金の貸し借りは人間関係をダメにする第一歩だ。だからこそこう言うことはきっちりしておかなければな」
 呆れたように言う拓海に晃太は大まじめな顔をして言い返し、広げていたメモ帳を閉じた。それからポケットの中から十円玉を二つ取り出して悠司の掌の上に載せる。
「……なぁ、俺の分は?」
 流星が尋ねると悠司がキッと彼の方を向いて思い切り睨み付けてきた。
「何でお前にも奢らなきゃいけねぇんだよ! お前の所為でこいつらに奢る羽目になってんだぞ!!」
「人をダシにして賭けやってたのはお前らの勝手じゃねぇか。ダシになってやった分出せ」
 そう言って容赦なく手を出す流星。
 悠司が泣きそうな目をしてまた晃太の方を見やった。
「ふむ、貸しが二十円から百四十円にアップだな」
 そう言って晃太がまたメモ帳を開くのだった。
 
 ちなみに今回の賭け云々の件だが、そもそも同じ学校の弓道部の部長である富士暁子が流星に弓道の腕前を見せて欲しいと頼んできたことに端を発する。
 流星の祖父がやっている武術道場では武芸全般を教えていることもあり、その中には勿論弓道も含まれている。どうやらその辺の話を彼女は何処かから聞き込んできて、それで話しかけてきたようだ。初めは断った流星だったが、暁子がしつこく食い下がった為半ば諦めの境地で承諾、それを聞きつけた悠司が早速仲良し五人組を集めて賭けが始まったと言うことらしい。もっともその言い出しっぺである弾が最終的に賭けに負けることになったのだが。

 仲良し五人組がわいわいと騒ぎながら家路を急いでいたのと同じ頃、海岸沿いの防風林では、白髪の老人に投げ飛ばされ気を失ってしまっていた男がようやく意識を取り戻していた。
「あいてて……何だったんだよ、あのクソジジイは……」
 身体を起こし、頭を大きく振って意識をはっきりさせる。その口から出るのは自分を投げ飛ばした老人への悪態。
「……しっかし惜しかったな。あの子、かなり可愛かったし、その上世間知らずっぽかって……もう一回会えたら絶対に……」
 ブツブツと邪なことを考えながら男がにへらと相好を崩す。
 そんな男の姿をじっと見つめている者がいた。ジリジリとボケッとしている男の方へと近付いていく。
 男の方は自分に近付いてくる何者かに全く気がついていないようだ。どうやら邪なことを考えるのに一生懸命になってしまっているらしい。その為に彼がそれの存在に気がついた時にはもう手遅れだった。
 自分のすぐ側に立つ異形の存在に気付き、男がはっと顔を上げたその瞬間、男の首が胴体と離れ宙を舞った。驚きの表情を貼り付けたまま、大きく宙を舞ってから地面に転がる男の首。
 首を無くした男の胴体が血を噴き出しながら前のめりに倒れていく。その返り血を浴びながら、今し方男の首を切り飛ばした異形がゆっくりと後ろを振り返り、歩き出した。時折、まるで鎌のようになっている手を重ね合わせながら。
 後に残されたのは首を無くした男の死体と切り落とされた首。それぞれの断面から流れ出す血がゆっくりと地面に広がっていく。

 古めかしい武家屋敷のような門をくぐり、母屋の玄関のドアを開けてそっと中の様子をうかがう流星。普段ならば彼の祖父である早田 真が帰ってきたばかりの彼を強襲してきたりするのだ。それもこれも真に言わせれば「日々是修行」とのことで、それについてどれだけ流星が文句を言っても聞き入れてはくれない。だから家に帰ってきた時はまず中の様子をうかがい、玄関の近くに祖父がいないかどうかを確認する癖が流星にはついてしまっていた。
「……いねぇな……」
 玄関の周囲には祖父の気配はない。もっとも彼の祖父は武芸に関しては達人級で気配を消すことなど造作もない。そのことを念頭に置いていてもやはり誰の気配も感じられなかった。
「……成る程、百合姉が来てるからか」
 玄関にそろえておいてある女物の靴を見て何故玄関に祖父がいないのかようやく流星は納得した。祖父のやっている武芸道場の高弟である江戸川百合子が来ている為らしい。
 この家は真と流星の男二人暮らし。どちらもそれほど家事能力が高くない為、近くに住んでいる百合子が時折やってきては二人に代わって家のことを色々とやってくれているのだ。流石にそう言う時にまで真が流星を強襲しようとはしない。百合子にとって流星は可愛い弟のようなもの、その彼女の前で道場での修行でもないのに容赦ない攻撃をするわけにもいかないのだろう。
「よし、まずは一安心だな。さてと、それじゃ先に風呂にでも入ってくるかな」
 そう呟くと鞄を玄関の脇に置き、流星は先に風呂場に向かうのだった。その時、彼は玄関に並べられているもう一つ見慣れない靴があると言うことをすっかり見落としていた。
 鼻歌を歌いながら機嫌良く風呂場の隣にある脱衣場出来ている服をポンポン脱いでいく。備え付けてある洗濯機に汗などで汚れたシャツを突っ込もうとして、その洗濯機が現在使用中であることに気がついた。
「こんな時間に洗濯って……百合姉にしては珍しい」
 動いている洗濯機を見て流星が呟いた。
 普段、百合子が来る時は朝からで洗濯なども午前中にやってしまっている。その為に、こんな時間にこの洗濯機が動いていることは彼女が来ている割には珍しいことなのだ。
 少し訝しげに思った流星だが、まぁたまにはそう言うこともあるだろうと思い、タオルを片手に風呂場のガラス戸に手をかけた。そして一気に開き中に入ろうとして、そこでようやく中に誰かいることに気付き、思わず硬直してしまう。
 そこにいたのは彼が今まで見たこともないような美少女。髪の長い色白の美少女が、丁度お風呂から出ようとしていたのだろう、バスタブの中で立ち上がったまま流星と同じように硬直してしまっている。
 勿論二人とも全裸。流星もそうだが、美少女の方も前を隠すと言うことをすっかり忘れてしまったかのように互いに固まってしまっている。実際に硬直していたのはそれほど長くはないだろう。ほんの一秒か二秒程。だがそれはどちらにもかなり長い時間のように感じられた。
 その硬直から先に回復したのは美少女の方だった。顔を真っ赤にして、その場にしゃがみ込む。
 そんな美少女の様子を見ていた流星の鼻からつーっと血が流れ落ち、その直後美少女の口から絶叫が飛び出した。
「きゃあああああああああっ!!」
 美少女の絶叫にようやく我に返った流星はすぐさま後ろを向いた。そして何か言おうとしたのだが、それよりも先に脱衣場に飛び込んできた彼の祖父、真が思い切り彼を殴りつけた。
 あまりにも容赦のない一撃に思い切り吹っ飛ばされる流星。
「こんのバカもんがぁッ!!!」
 全裸のまま吹っ飛ばされ、目を回している流星に向かって真が思い切り怒鳴りつける。それからすぐに風呂場の方を振り返る。
「嬢ちゃん、大丈夫か? 何もされておらんか?」
 バスタブの中にしゃがみ込みながら少女がコクコクと連続して頷いた。それを見て、ホッと安堵の息をつく真。
「先生! 早く出ていってあげて! 流星君も連れてよ!」
 後ろからいきなり聞こえてきた怒鳴り声に真が振り返ると、そこには百合子が怒った顔をして立っている。どうやら彼女も真と同じく少女の絶叫を聞いて飛んできたのだろう。情けない格好で気を失ってしまっている流星と風呂場の方を見ている真とを見て、何とも嘆かわしいと言う風にため息をつく。
「ま、待て百合子! これは誤解だ! 儂はこの子の叫び声を聞いてだな……」
「はいはい、わかってますよ。そこで伸びている流星君見れば一目瞭然です。とにかくいつまでもそこにいたら彼女が出られないでしょう。早く向こうに行ってください!」
「う、うむ……それじゃ後は頼むぞ、百合子」
 真は少し落ち込んだようにそう言うと気を失っている流星を抱え上げ脱衣場から出ていった。その後ろ姿を見送ってから百合子が風呂場の方を覗き込んだ。
「ゴメンね、流星君のことすっかり忘れてたわ。あの子、一番風呂が大好きなのよ。悪気はなかったと思うから、その……許してあげてくれる?」
 申し訳なさそうに言ってくる百合子に少女は小さく頷いて答える。
「悪いんだけどさっきまで着てた浴衣、また着てくれるかな。下着とかはさっき買いに行ってきたんだけど、サイズとか合わなかったら言って。また買いに行ってくるから」
 またコクリと頷く少女。
「それじゃまた後でね。ご飯の用意もそろそろ出来ると思うし……お風呂上がったらさっきの部屋にいて。呼びに行くわ」
 百合子はそう言って手を振ってからガラス戸を閉めた。それから脱衣場を出て大急ぎで台所の方に向かう。晩ご飯の準備の途中だったのだ。
 百合子が脱衣場から去っていく気配を感じ、そこに誰もいなくなったことを確認してから少女は小さくため息をつく。それから先ほどばったりと出会った少年のことを思い出してまた顔を真っ赤にするのであった。

 四角いテーブルの上に並べられた豪勢な料理を見て思わず真は唸り声をあげてしまった。
「むむむ……これは一体何の記念日かね、百合子君?」
 普段呼び捨ての百合子に対して思わず君付けしてしまう程に今日の夕飯は豪華だ。別段今日は何もなかったはずなのだが、と思いながらカレンダーの方をチラリと見てしまう。
「あの子、何が好きで何が嫌いかわからなかったから色々作っちゃいました」
 そう言っててへっと笑う百合子。確実に二十歳は超えているはずなのだが、こう言う仕草は何とも子供っぽい。
「全く誰が金を出すと思っているんだ、お前は」
 呆れたように百合子を見る真。だが別段責めるつもりはない。それほど料理が得意なわけでもないし、代わりに作ってくれる彼女には普段から感謝しているのだから。
「それじゃあの子呼んできますね」
「そうじゃの。それと流星にも一応声をかけてやってくれるか。もしかしたら目を覚ましておるかもしれん」
「あれだけ豪快にぶん殴られてもう目を覚ましていたらそれはそれで凄いと思いますよ、先生」
 あくまでついで、と言う感じでそう言った真に今度は百合子が呆れ顔で答える。だが真はあっさりと笑い飛ばした。
「何、あれはああ見えて頑丈じゃよ。仮にまだ気を失っておっても百合子が声をかければすぐに起きてくるわい」
「はいはい、それじゃ行ってきますね。つまみ食いなんかしちゃダメですよ」
「誰がするか!!」
 バカにするな、と言う感じで百合子を怒鳴りつける真。だが百合子は全く堪えていないかのように笑いながら居間から出ていくのであった。
 弟子としてはかなり優秀なのだが、どうにも尊敬していなさそうな感じの百合子に対して真は思わずため息を漏らしながらも、テーブルの前に腰を下ろした。料理の腕はかなりのものだ。家事能力もかなり高いのだが、何故か浮いた噂の一つも聞いたことがない。縁がないのか男運がないのか。などと少々お節介なことを考えていると百合子が少女を連れて戻ってきた。
「はいはい、座って座って」
 少女の肩を後ろから掴んで半ば強引に座らせる百合子。
 座らされた少女はと言うとテーブルの上の様々な料理に目を丸くしている。それから不安そうな顔をして真と百合子の顔を交互に見やった。
「ああ、気にせんでもいい。どうせ余りはせんしの」
「流星君が全部平らげちゃうだろうし、余ったら余ったで明日食べればいいしね」
 二人にそう言われても少女はまだ不安そうな顔を崩さなかった。果たして自分がこんな好待遇を受けていいのかどうか、それを気にしているらしい。
「じゃから気にせんでもいいと言っておるだろうに」
「君の服、勝手に洗濯しちゃってるからね。先生とも話したんだけど今夜はお世話になっておきなさいって。倒れちゃう程疲れていたんでしょ?」
 それでも、まだ少女の顔からは不安そうな表情は消えない。と、その少女のお腹がぐぅっと鳴った。途端に顔を真っ赤にして俯いてしまう少女。どうやらかなり空腹のようだ。
「まぁ、細かい話は後じゃな。遠慮はいらん。好きなだけ食べたらいい」
 真が笑みを浮かべてそう言った。
 その隣では百合子も笑顔を浮かべて頷いている。
 少女はまだ真っ赤な顔をしていたが、どうやら空腹には勝てなかったらしい。そっと手を合わせて何事かを呟くと前に置かれた箸に手を伸ばした。
 彼女が始めに選んだのは一番近くにある肉じゃが。いい感じに煮込まれているジャガイモをお箸で掴んでそっと口に運ぶ。真と百合子が見ている中、ジャガイモを口に入れた少女は少しの間熱そうに口をもごもごさせていたが、やがてうっすらと笑みを浮かべた。
「どうかな? お口にあった?」
 百合子が尋ねると、少女は彼女の方を向いてこっくりと頷いた。
「よかったぁ。ねぇ、これはどうかな?」
 そう言って百合子が唐揚げの載った皿を少女の前に差し出す。遠慮がちに唐揚げを一個箸で掴み、口に運ぶ少女。こくんと飲み込んでからまた少女が笑みを浮かべてみせた。
「ね、ね、次はこれ。これなんかお勧めなんだけど」
 どうやら百合子は少女が自分の料理を食べて笑顔を見せてくれるのが嬉しくなってきたらしく次々と少女に自分の作った料理を勧めていくのだった。
 と、そんなところにドタドタドタと廊下を誰かが走ってくる音が聞こえてきた。その足音は三人がいる居間の前で止まり、続けて障子戸が思い切り開かれる。
「こぉら、このクソジジイ!! いきなり何しやがるっ!!」
 そう怒鳴り込んできたのは先ほど真によって豪快に殴り倒され目を回して気絶した流星だった。おそらく目を覚ますと同時に自分が何をされたかを思い出し、怒りの余りそのまま自分の部屋から飛び出してきたのだろう。彼は自分が気絶した時のままの格好だった。つまりは全裸。ちなみに怒り心頭に来ている彼はそれに全く気がついていないようだ。
 いきなり怒鳴り込んできた流星を見て硬直する少女。硬直したのは彼が全裸だったのと、同時に自分も全裸を見られてしまったのだと言うことを思い出してしまった為。すぐに、まるで瞬間湯沸かし器のように顔を真っ赤にして俯いてしまう少女。
 真は呆れかえったという感じで額に手をやり、百合子に至ってはマジマジと流星の方を見つめている。
「な、何だよ……?」
 すぐに真が怒鳴り返してくると思っていた流星だが、予想外の反応に思わず戸惑ってしまう。
 そこに百合子がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら声をかけてきた。
「イヤ〜、流星君も大人になったわねぇ」
「は? 何言ってんだよ、百合姉」
 百合子の発言に首を傾げる流星。まだ自分の格好に気がついていない様子だ。と、その彼の視線が顔を真っ赤にして俯いている少女に向けられる。
「あー!! お前はさっき風呂にいた!!」
 少女の方を指差してそう言った次の瞬間、彼も少女の裸を見たと言うことを思い出したのだろう、その鼻から一筋の血が流れ落ちる。
「このバカもんがぁッ!!」
「うごぉっ!?」
 鼻血が流れ落ちた瞬間、まるでそのタイミングを狙い澄ましたかのように真の鉄拳が流星の頬に直撃した。風呂場の時と同じように豪快に吹っ飛ばされる流星。板張りの廊下をゴロゴロと転がり、ばったりと倒れる。だが、今回は気絶まではしなかったようですぐに顔を上げ、自分を殴り倒した真を睨み付けた。
「何しやがる、クソジジイ!!」
「おのれは一度ならず二度までもあの嬢ちゃんを視姦しておきながら……しかもそんな粗末なものまで見せびらかせおって……」
 ピクピクとこめかみを震わせながら真が流星の前に立つ。拳をギュッと握りしめ、じっと流星を物凄い怒りの形相で見下ろす。
「……あ、ちょ、ちょっと待ってくれ」
 何か普段と祖父の様子が違う。このままでは冗談抜きに殺されるのではないかと思った流星がそう言って身体を起こそうとした。その時になって彼は自分が全裸であると言うことに気付く。
「……あ」
 そして先ほど百合子の言った言葉の意味がわかり、真っ赤になってしまう。
「あれ? お、俺、何で……」
「こんのバカもんがぁッ!!!」
 真の怒鳴り声と共に容赦の欠片もない鉄拳が彼の頭の上に振り下ろされた。しかも一発や二発ではない。
「はいはい、君は聞かない方がいいわよ〜」
 苦笑を浮かべながら百合子は少女の耳を手で押さえるのであった。

 祖父の手によってぼこぼこにされた流星がぶすっとした顔をしてすっかり冷めてしまった晩ご飯を食べている。他の三人は彼が気を失っている間に食べ終わってしまったらしく、食べているのは彼一人だ。しかもまるで邪魔者扱いされているかのように小さめのテーブルに皿は移され、居間の隅っこの方で。
「何で俺が……」
 ブツブツ呟きながら百合子の作ってくれた料理を口に運んでいる流星。
 そんな彼の後ろ、居間の中央では真が少女と向かい合っていた。
「さてと、それじゃ嬢ちゃんに少し聞きたいことがあるんでの。答えて貰うとこっちとしては非常に助かるんじゃが」
 真がそう言って少女の方を見ると少女は小さくだが、しっかりと頷いた。どうやら始めに持っていた警戒心のようなものはかなり薄らいでいるらしい。
「それじゃまずは名前かの。儂は早田 真。そこの隅でいじけておるのは孫の流星。あの食事を作ってくれたのは江戸川百合子と言ってここの近所に住んでおる、まぁ身内みたいなもんじゃ。で、嬢ちゃんの名前は?」
「……相沢……秋穂……と言います」
 聞き取るのがやっとな程小さい声で少女が名乗る。
「秋穂ちゃんかぁ。いい名前じゃない」
 そう言って百合子が居間に戻ってきた。手にはお盆を持っており、その上には湯飲みが三つと急須が乗っている。どうやらお茶の準備をしてきたらしい。
「で、秋穂ちゃんはどこから来たのかな? この辺りの子じゃないよね。見かけない顔だもの」
 百合子の問いに少女――相沢秋穂は無言で首を左右に振った。どうやら答えたくないか答えられないと言うことらしい。その顔には少し悲しげな表情が浮かんでいる。
「ふむ……家族の方はどうしたんじゃ? 一緒ではないのか?」
 真がそう尋ねると秋穂は先ほどよりも更に強い感じに首を左右に振ってみせる。その様子から何か事情がありそうだと真は察した。
「先生……」
 チラリと真の方を見る百合子。彼女も秋穂に何やら複雑な事情があるようだと察したらしい。
 真はコクリと頷くと立ち上がった。
「ちょっと待っていてくれるかの」
 秋穂に向かってそう言うと彼は百合子を連れて居間から出ていく。
「家出でもしてきたのかしら? 大人しそうな子だと思ったんだけど」
 廊下に出るなり百合子が小さい声でそう言った。中にいる秋穂に聞こえないように配慮してあえて声は小さくしている。
「ふむ……あの子を初めて見た時の感じではそうとは思えんかったんだが……あの子の持ち物で何か身元のわかりそうなものはなかったのか?」
「全く。あの子、あのワンピース着たきりだったみたい。お財布とかそんなものも持ってなかったわ」
「じゃとすると一体どうやってここまでやって来たのか……誰かがここまで連れてきたのかもしれんな」
「まさか誘拐? それとも駆け落ち?」
「それは何とも言えんな。とりあえず今夜はゆっくり休ませてやろう。明日になったら一応警察に届けて……」
 真の言葉に百合子が頷いていた頃、居間の中では相変わらず隅っこの方でブツブツ言いながらご飯を食べている流星の方に秋穂がそっと近寄ろうとしていた。その気配を感じたらしい流星が振り返り、拗ねたような視線で彼女を睨み付ける。
「何だよ。何か用かよ?」
 ぶすっと不機嫌そうな顔をしてそう言う流星を見て、秋穂はおどおどしながら手に持った湯飲みを彼に差し出した。
「あ、あの……お茶……」
 どうやらお茶を入れてくれたらしい。何となく間が持たなかったのだろう。それに彼が真に散々殴られたのはある意味秋穂の所為でもあり、少し気にしていたようだ。
「あ……サ、サンキュ」
 まさか秋穂がこうして声をかけてくるとは思ってなかった流星は少し驚きつつ、それよりも戸惑いつつも礼を言い彼女が差し出した湯飲みを受け取った。それから彼女の方をじっと見る。風呂場でばったり会った時から思っていたのだが、かなりの美少女だ。少なくても今まで彼が会ったことのあるどんな女性よりも秋穂の方が可愛い。はっきりそう言えるだろう。
 じっと自分を見つめている流星を少しの間キョトンとした表情で見返していた秋穂だが、やがて顔を真っ赤にして俯いてしまった。どうやらまたお風呂場でのことを思い出してしまったらしい。
「あ……あのさ、さっきは、その、悪かったな。あれは、その……事故! そう、事故なんだよ!」
「う、うん……わかってる……」
 秋穂が顔を赤くしたのは先ほど自分が豪快に全裸を晒してこの居間に現れたからだと思った流星が慌てた様子で弁解するのを聞いて、秋穂は小さく頷いてみせる。その顔に少し笑みが浮かんでいるのは流星が慌てて弁解している様子がおかしかったからであろう。
 微笑んでいる秋穂の顔に思わず流星は見惚れてしまう。
(な、何だ……こいつ、めっちゃ可愛いかも。少なくても拓海なんて目じゃねぇな)
 などと拓海に聞かれたら本気でぶん殴られそうなことを考えていると、不意に秋穂が何かを思い出したかのように立ち上がった。今まで以上に不安そうな顔をして、すぐさま居間から出ていってしまう。
「お、おい! どうしたんだよ!!」
 いきなり飛び出していった秋穂に声をかける流星だが、もうその声は届かない。代わりに真と百合子が顔を見せた。
「流星、お前何をやった?」
「流星君、若さ故の暴走ってはわからないでもないけど居間はそんな場合じゃないでしょう」
 明らかに誤解している二人に向かって流星は両手をバタバタと振った。
「ま、待ってくれ! 誤解だ、それは! あいつが何かいきなり出ていったんだよ! 俺は何もしてない!!」
 これ以上殴られてはかなわないとばかりに必死の形相で訴えかける流星。その様子からどうやら彼が嘘を言っていないと判断した真は百合子の方をチラリと見ると互いに頷き合い、秋穂の出ていった方へと走り出した。
「待ってくれよ! 俺も行く」
「早田家家訓!!」
 慌てて立ち上がろうとしかけた流星に向かって真が怒鳴る。
「食事の最中に立ち上がるな!」
「こんな時にんなこと言っている場合かよ!!」
「ならばお前は明日一日飯抜き!」
「くっ……」
 真にそう言われては従うしかない。そもそもこの早田家の家訓は絶対なのだ。流星もそれは嫌と言う程知っている。だから、渋々また座るのであった。

 秋穂は自分が始めに寝かされていた部屋に戻ってくると大慌てで何かを探し始めた。だが、部屋の中の何処を探しても目当てのものは見つからなかったらしく、秋穂は不安を通り越して絶望的な気分になってくる。
 思わずその場にぺたんと座り込んでしまう秋穂。あれを無くしてしまっては自分がこうして生き延びた意味がない。自分をかばって死んだ人間がいるというのに、その人に対して何と申し開きが出来ようか。泣きそうな気分になっていると、そこに彼女を追いかけてきたらしい真が顔を見せた。
「おお、ここにおったか。一体どうしたんじゃ?」
 秋穂の姿を見て少し安心したようにそう尋ねてくる。
 そんな真を見て秋穂は彼に縋り付いた。
「あ、あ、あの、その、あ、あれが……」
「とにかく落ち着きなさい。一体どうしたんじゃ?」
 慌てふためき、何が言いたいのか混乱してしまっている秋穂を落ち着かせるようにその方に手を置く真。
「だ、だ、大事なものなんです! あれは絶対になくしちゃいけないって……」
 泣きそうな顔をして秋穂が訴える。
 しかし、真には一体何のことかまるでわからない。わかるのは秋穂が何か大事なものを無くしてしまっており、それを探していると言うことぐらいだ。
「一体何を無くしたんじゃ?」
 秋穂を落ち着かせるように優しく尋ねる真。彼が秋穂を見つけた時、彼女は何も持っていなかった。彼女が着ていた服にも何もなかったと言うことは百合子が証言している。では一体彼女が無くした大事なものとは何だったのだろうか。もしかしたらそれを見つけることで彼女のことが何かわかるかも知れない。そう言う期待も少なからず込められている。
「あ、あの、アタッシュケース……これくらいの……」
 そう言って秋穂が手でだいたいの大きさを示す。
 真は秋穂を見つけた時のことを思い出してみた。あの時、若い男に迫られていた秋穂は確かに何も持っていなかった。だが、迫っていた男の足下に何やらアタッシュケースのようなものがなかったか。あの時はいきなり気を失った秋穂のことで頭が一杯だったが、考えてみると確かに秋穂の言うような大きさのアタッシュケースがあったような気がする。
「うむ……嬢ちゃんを見つけた場所にあったような気がしないでもないが……」
 とりあえずそう言ってみたが、余り自信はなかった。しかし、それでも秋穂は充分だったのだろう。真に向かって頭を下げると彼が止める間もなく部屋を飛び出していく。
 慌てて秋穂を追いかける真だったが、彼女は予想外に足が速いらしくもう玄関から外へと出ていってしまった後だった。すぐさま彼女を追いかけるべく表に飛び出した真だが、そこにやってきた警官とぶつかりそうになってしまう。
「おお、すまん! ちょっと急いでおるでな」
 ぶつかりそうになった警官にそう謝って先を急ごうとする真だったが、その警官が彼を呼び止めた。
「先生、話があるんですよ! ちょっと待ってください!」
「ん? 誰かと思えば万城目君か。スマンが今ちょっと……」
「ダメですよ! 大事な話なんです!」
 万城目という名の警官は真の腕を掴んで彼を引き留めた。真のことを「先生」と呼んでいるのは彼も真の道場の練習生らしい。
「海沿いの防風林で若い男の死体が見つかったんです。しかも首と胴がばっさりと切り離されて。犯人が何者なのかわかりませんけど、まだこの近くに潜伏している可能性が高いんで、余り出歩かないように注意しに来たんですよ」
 万城目の話を聞いて真は腕を組んで何かを考え始めた。防風林で若い男。まさか自分が投げ飛ばし、気を失ったあの時の男のことではないだろうか。
「それでですね、その首と胴がばっさりってことなんですけれど、ノコギリとか何かで切り離したんじゃなくって何か鋭利な刃物で一撃、一発で切り落としたってことで。そんな奴がこの辺りにいるかも知れないんで……先生なら自分で倒しちゃいそうですけど危ないですからここは俺たちに任せて貰おうって」
 自らの手で首をかき切る仕草をしながら言う万城目。
 だが真はほとんど彼の話を聞いていなかった。何故か飛び出していった秋穂のことが非常に気にかかる。おそらく彼女が向かった先は防風林のところ。もしあの場所に若い男を殺した犯人がいれば次に彼女が狙われるかも知れない。
「これはいかんな」
「どうしたんです、先生?」
「詳しいことは後で話すがその防風林の方へうちで預かっておる子が向かっているはずなんだ。万城目君、悪いが見つけ次第彼女を保護してやってくれんか?」
「それは構いませんけど……こっちも犯人捜索でかなりの人員が割かれていますからね。先生の期待に添えられるかどうか」
 真の頼みに万城目が申し訳なさそうな顔をして答える。それもそうだろう。一体何者なのかわからないが犯人は人間の首と胴を一撃で切り落とせるような離れ業を持った奴だ。一刻も早くその身柄を取り押さえなければ第二第三の被害者が出る可能性がある。そしてそれを防ぐのが警察の仕事だ。そんな時に一人の少女を捜してくれと言う方が無理だろう。
「うむ、わかった。出来れば、で構わない。その子を探すのは儂と流星でやろう」
「ちょ、そんな! 危ないですよ!」
 真の発言に万城目が慌てたような声をあげる。
「何、心配は無用だ。儂の実力はお前もよく知っているだろう。それに流星だって逃げることにだけ専念させればそうそうやられることはない」
「そう言う問題じゃ」
「万城目、お前さんの忠告はありがたいが儂はあの子のことがどうにも心配なんじゃよ。スマンが見逃してくれ」
「……わかりました。でも気をつけてくださいね。犯人が持ってると思われる武器の特定もまだ出来ていませんから」
 不承不承と言う感じだが万城目はそう言って頷いた。彼もまた真の弟子であり、師である真が一度言い出したら滅多なことでは引き下がらないことを知っている。それに歳はとっていても真は武術の達人だ。そう簡単に殺されるようなへまはしないだろう。
 万城目が頷いたのを見て真はすぐに家の方に戻っていった。早く秋穂を見つけないと彼女が危険だ。
「流星!」
「何だよ?」
 今に駆け込むとどうやら流星は晩ご飯を食べ終わったらしく、自分で急須から湯飲みにお茶を注ぎ込んでいるところだった。
「嬢ちゃんを探しに行く! お前も手伝え!」
「……あいつ、どこ行ったのかわかるのかよ?」
「いいからついてこい!」
 散々殴られた上に先ほどは家訓まで持ち出されてこの場に残されたことを拗ねているのか、流星は何とも不服そうだ。だが、それでも祖父の様子がいつもと違うことから渋々と言った感じで立ち上がる。
「何そんなに慌ててんだよ。行き先わかってんなら追いかけたら見つかるだろ?」
「そんな悠長なことを言っている暇はない! さっき万城目君が来て言っておったのだが、どうやら今この街にとんでもない犯罪者が紛れ込んでいるそうだ。下手をすれば嬢ちゃんが次に狙われる!」
「とんでもないってどんな奴なんだよ?」
「人間の首と胴体を一発で真っ二つに出来るような奴だ!」
 あくまで渋々という感じで玄関までついてきた流星に苛立ちながら答える真。
 だが、それを聞いて流星の顔色が変わった。
「ちょっと待てよ! 何だよ、それ、滅茶苦茶やばいじゃねぇか! もっと早く言えよ、そんなことは!」
 そう言って大慌てでスニーカーを履く流星。
「で、あいつ何処にいるんだ?」
「防風林のところにいるはずじゃ。いいか、もし犯人に出会っても決して戦おうとするな。とにかく逃げることに専念しろ」
「わかってるよ。俺は爺ちゃんみたいに化け物みたいに強くないからな」
 真の忠告を聞いて流星がすぐさま外に飛び出していく。続けて真も孫を追いかけるように家を飛び出していくのであった。

 早田家を飛び出し、道に迷いながらも何とか防風林のところまで辿り着いた秋穂だったがそこには何故か警官達が一杯で近付くことさえ出来なかった。ここで自分に迫ってきた男が惨殺死体となって発見されたことなど彼女が知ろうはずもない。だから一体どうしてこんなに警官達がいるのかわからず、ただおろおろするだけだ。警官に声をかけようとしても、元々人見知りの激しい彼女だ、実際には近付くことすら出来ないでいた。
(ど、どうしよう……アタッシュケースがないと……)
 不安げに周囲を見回す秋穂。すると見慣れたアタッシュケースが近くの木の根元に置いてあるのが見えた。
「あ……」
 アタッシュケースが無事だったと言うこととそれを無事に発見出来たと言うことで秋穂の口から安堵のため息が漏れた。だが、すぐにその表情が曇る。アタッシュケースに近寄ろうと思ったら警官達の封鎖を越えなければならないからだ。勿論見つかればすぐに止められるだろう。それにあのアタッシュケースが自分のものだと証明する術が彼女にはない。
(どうしよう……)
 どうすればいいのかわからなくなり、またおろおろし始める秋穂。と、そんな彼女に耳にカチンと金属をこすり合わせるような音が聞こえてきた。
 その音を聞いた瞬間、ビクッと身体を震わせる秋穂。ゆっくりと振り返ると、闇の中じっとこちらを見つめている異形の姿が目に入った。巧妙に闇に隠れ、気配を消し、だがじっとこちらを見つめている。
(……見つかった……!!)
 自分をずっと追いかけてきていた謎の異形の怪物。今度と言う今度こそ殺されてしまう。その不安が顔に出てしまったのか、真っ青になる秋穂。
(に、逃げなきゃ……で、でも……)
 さっとアタッシュケースの方を振り返る。あれを無くしてしまうわけにはいかない。あれは絶対に持っていなければならないのだ。
 もはや迷っている暇はなかった。秋穂はその場から駆け出すと現場封鎖用のロープを素早くくぐり抜ける。彼女の姿を見つけた警官が制止の声をあげるが、止まっている暇も余裕もない。木の根元に置いてあるアタッシュケースを掴むとそのまま向こうの方へと走り抜ける。
 足を止めるわけにはいかなかった。自分の命もさることながら他の人を巻き込み、危険に晒してしまうことは彼女にはどうしても出来ない、許容出来ないことだったからだ。だが、元より不慣れな町。あっと言う間に彼女は道に迷ってしまう。
「あ……ああ……」
 キョロキョロと周囲を見回してみてもまるでここがどこだかわからない。どっちに行けば何処に出るのか、自分を助けてくれたあの老人の家は一体何処なのか、全くわからない。胸の中に不安と恐怖が湧き上がってくる。
 この町で自分を知っている人はおらず、自分を助け、守ってくれる人もいない。更に自分一人ではどうすることも出来ない。何も出来ないのだ。湧き上がる不安に涙が溢れ出してくる。
 そこに聞こえてくる何か金属をこすり合わせるような音。どうやら例の異形の怪物が追いついてきたらしい。
 秋穂は涙を手の甲で拭うとアタッシュケースを地面に置いてロックを外した。中に入っていたのは長方形の箱のような装置――ゾディアックガードルとそれに差し込むカードリーダー、そして数枚のカードだった。
 さっとゾディアックガードルを腰にあてがうとその左右からベルトが伸び、彼女の腰に固定される。それからカードリーダーと一枚のカードを持ち、そのカードをカードリーダーに挿入した。
『Zodiac Rider System Preparation Start』
 機械で合成されたような音声が流れる。
「へ、変身……」
 続けて弱々しい声で秋穂が言った。だがしかし、次の瞬間彼女を襲ったのは激しい衝撃だった。
 腰に固定されていたゾディアックガードルが彼女の身体からまるで磁石の同極を近づけたかのように弾き飛ばされたのだ。その衝撃により秋穂の身体は吹っ飛ばされ、地面の上に倒れ込んでしまう。
「あ、あう……」
 痛みに顔をしかめながらも何が起こったか確かめようと秋穂が顔を上げる。少し離れたところに落ちているゾディアックガードル。そこからやはり機械で合成された音声が聞こえてくる。
『Error! Error!』
 繰り返し聞こえてくる合成音に秋穂はますます泣きたい気分になってきた。イヤ実際目には大粒の涙が浮かんでいる。
 誰も頼りに出来ないこの状況で自らの身を守る為に必死の思いを込めてゾディアックガードルを手にしたというのに、自分では使えない。それはもはや彼女にはどうしようもない、まさしく絶望的な状況を表している。後はあの異形の怪物に為す術もなく殺されてしまうだけ。
(やだ……まだ死にたくない……パパやママ、お兄ちゃん、お姉ちゃんにもう一度会うまでは……死にたくない……)
 そう思って痛む身体を無理矢理立ち上がらせようとする。だが、先ほど転んだ時に足をくじいてしまったのか、すぐにその場でまた倒れてしまう。
 と、転んだ彼女の頭上で何かが閃いた。一瞬遅れて彼女の後ろにあった木がゆっくりと後方に倒れていく。
「……!!」
 大きな音を立てて倒れた木を見た秋穂が青ざめた顔をして上を見上げると、すぐ側に異形の怪物が立っていた。じっと感情のない目でこちらを見下ろしている。
「あ……ああ……」
 恐怖の余り声が出ない。口から漏れるのは声にならない声。
 そんな秋穂をじっと見下ろしていた異形の怪物がゆっくりとその腕を振り上げた。肘から先はまるで鎌のような鋭利な刃物状になっている。先ほど木を真っ二つに切り裂いたのもこの腕なのだろう。これならば秋穂の身体を真っ二つにするのも容易い。そして、これからそれを為そうとしているのだ。
 秋穂は青ざめ、涙の浮かんだ目で異形の怪物をただ見上げていることしか出来ない。もはや逃げることすら不可能。ただ異形の怪物の腕が振り下ろされるのを待つのみ。
「うおおおおおおおっ!!」
 異形の怪物がその腕を振り下ろそうとしたその瞬間、雄叫びと共に物凄い勢いで何かが突っ込んできた。それは思い切り異形の怪物にぶつかり、そのまま異形の怪物を巻き込みつつ豪快に地面に倒れ込んでいく。
「だ、大丈夫か!?」
 そう言って起き上がったのは流星だった。地面に倒れた時にぶつけたのだろう、額からは血が出ていたが、それに構わず秋穂の方に手を伸ばしてくる。
 少しの間キョトンとしていた秋穂だが、すぐにコクリと頷く。
「よし、なら……逃げるぞ!!」
 秋穂の手を掴んで彼女を引き起こし、走り出そうとする流星だが秋穂が悲しげな顔をして首を左右に振った。
「どうしたんだよ! 早く逃げねぇと……」
 少し苛立ったようにそう言い、流星は先ほど自分が思いきり体当たりして吹っ飛ばした異形の怪物の方を見やった。どうやら打ち所が悪かったらしく異形の怪物は未だに起き上がってこない。だがそれも時間の問題だろう。何せ相手は異形の怪物だ。自分ではどうすることも出来ない。
 しかし、秋穂はやはり首を左右に振る。それから自分の足を見た。この足では走ることは出来ない。それどころか歩くことすらままならない。今の自分は彼の足手まといなだけだ。
「私はいいから……早く逃げて」
 絞り出すような声で言う秋穂。流星は関係ない。自分を取り巻いている状況に流星は何の関係もない。ただ自分を助けてくれたおじいさんの孫。それだけだ。巻き込んで命の危険に晒してはならない。
「何バカなこと言ってんだよ、お前!」
 だが流星はそんな秋穂を容赦なく怒鳴りつけた。
「こんなところに一人置いていけるわけないだろうが! 早く来いって!」
 そう言って手を引っ張ろうとするが秋穂は頑なに動こうとはしない。
「ダメ……あなたは関係ないから……巻き込んじゃいけないの」
「何言ってんだよ、お前は! いいから来い!」
「……それに私、歩けないし」
「はぁ?」
 秋穂の言葉に流星が訝しげな顔をして彼女の足を見た。くじいたところが赤く腫れている。確かにこれでは歩けないだろう。
「くっ……こうなったら!」
 流星はそう言うと秋穂の身体を自分の方に引き寄せると有無を言わせず彼女を抱き上げた。所謂お姫様抱っこという状態だ。抱き上げられた秋穂が思わず真っ赤になる。
「し、しっかり捕まってろよ!」
 そう言って走り出そうとした流星だが、その前にいつの間にか起き上がっていたらしい異形の怪物が立ちはだかった。感情のないはずの目に、うっすらと怒りの感情を浮かべながら流星達を見ている。
「……何かやばいかも……」
 苦笑しながらそう呟く流星。
 そこに異形の怪物が襲い掛かってきた。鎌のような両手を振り回しながら突っ込んでくる。
「うおっ!?」
 振り回される鎌のような腕を慌ててかわす流星。
「おおっ! うおおっ!」
 二度三度と何とかかわすことに成功する流星だが、秋穂を抱き上げたままでは流石にその動きはいつもよりも鈍る。その内に足をもつれさせて彼は後ろ向きに転んでしまった。
「アタタタ……」
 すぐに身を起こす流星だが、そこに異形の怪物が鎌のような腕を振り下ろしてきた。
「うわっ!!」
 間一髪のところで後ろに飛び退き、異形の怪物の一撃をかわすことに成功する流星。だが、その背中が何かにぶつかった。チラリと後ろを見てみるとそこには一本の木。さっと前を向いてみると異形の怪物が目を爛々と輝かせてこちらを見ている。
「こいつはもしかしなくても大ピンチって奴かぁ?」
 頬を伝う汗。唇を舌で舐め、自分を殺そうとしている異形の怪物を見やる。まさしく絶体絶命の大ピンチであるというのに何故か心が高揚している。この状況を何処かで待ち望んでいたような、そんな感じがする。もしもこの場を切り抜けることが出来れば何かが変わるような気さえしていた。
「さて……どうするよ?」
 鎌のような両腕をカチンカチンと音を立てながら重ね合わせ、ジリジリと迫ってくる異形の怪物。それを見ながら流星はニヤリと口元に笑みを浮かべていた。初めて感じるこの生か死か、ギリギリの緊張感。それを楽しんでいると、不意に秋穂の姿が目に入った。
 彼女は這いずるようにして地面の上に転がっているゾディアックガードルを手に掴んでいた。それをギュッと抱きしめるように持ち、そして流星の方をじっと見つめている。その口が開き何かを使えるように動いた。
(こっちに来て)
 それを見て取った流星は小さく頷くと異形の怪物に向かって走り出した。
 まさか流星が自分に向かってくるとは思ってもいなかった異形の怪物が一瞬虚をつかれたように硬直する。だが、すぐに突っ込んでくる流星に向かって鎌のような腕を振るった。
「早田家家訓! 死中に活あり! 意地でも拾え!」
 そう叫びながら異形の怪物の鎌のような腕をかいくぐる流星。地面の上を転がりながらも何とか秋穂の側まで行った彼は彼女を守るようにその前で立ち上がった。
 その流星の腰に秋穂がゾディアックガードルをあてがう。この場を切り抜けるにはもはやこれに賭けるしかない。少なくても自分ではダメだった。しかし流星なら使えるかも知れない。もし流星でもダメなら二人ともここで死ぬだけだ。まさしく一縷の望みをかけて秋穂は彼を見上げる。
「な、何だよ、これ?」
 流星はいきなり秋穂が腰にあてがってきたゾディアックガードルを見て戸惑っている。更にそのゾディアックガードルからベルトが伸び、腰に固定されるとその戸惑いは増した。一体これは何なのか。何故秋穂がこれを自分につけたのか、まるでわからないからだ。
 そんな流星をよそに秋穂はカードリーダーにカードを挿入していた。
『Zodiac Rider System Preparation Start』
 聞こえてくる機械で合成された音声。
「お願い、上手く行って!」
 願いを込めるようにそう言いながら秋穂がゾディアックガードルにカードリーダーを差し込んだ。
『Completion of an Setup Code ”Sagittarius”』
 続けて聞こえてきた機械で合成された音声に秋穂が驚きの表情を浮かべる。
 その彼女の目の前で流星の腰につけられたゾディアックガードルから光が放たれた。その光が流星の前に光の幕を作り出す。そこに輝くのは射手座を象った光点。
「な……」
 何が起こっているのか流星にはまるでわからない。わかっていることと言えば秋穂がこれを自分の腰につけ、更に何かをこれに差し込んだら目の前に光の幕が現れたと言うことだけ。
「くぐって!」
「は?」
「早くあれをくぐって!」
 秋穂がそう言って光の幕を指で示す。
 異形の怪物はいきなり現れた光の幕にまるで怯えたようにじっとしていたが、流星がまだ戸惑っているのを見ると猛然と腕を振り上げながら突っ込んできた。今ならまだ倒せると思ったのか。
「早く!」
 必死に言う秋穂。その彼女の熱意に負けたのか、流星は戸惑いながらも光の幕へと走り出した。異形の怪物が振り下ろす鎌のような腕をかわしながら、頭から光の幕に突っ込んでいく。
 光の幕を流星の身体がくぐり抜けると同時に彼の姿は変わっていた。
 青いボディに銀色のアーマーを身につけた新たなる仮面ライダー、仮面ライダータリウスへと。
「こ、これは……」
 いきなり変わった自分の姿に流星、イヤ仮面ライダータリウスは戸惑いを隠せない。だが、異形の怪物にはそんなことは関係なかった。戸惑っているタリウスに向かって鎌のような腕を振り下ろしてくる。
「あ、あぶな……」
 秋穂が声をかけようとするよりも早くタリウスはすっと身体を退いて異形の怪物の腕をかわした。
「……何だかわからねぇが……」
 タリウスはそう呟くと軽く手を振ってからゆっくりと身構える。
「これならやれそうだ」
 先ほどの一撃をかわされた異形の怪物が再び腕を振り上げタリウスに襲い掛かるが、タリウスは異形の怪物の方に踏み出し、振り下ろされてくる異形の怪物の腕をあっさりと受け止めた。そしてお返しとばかりにギュッと拳を握りしめて、強烈なパンチを叩き込む。
 たった一発のパンチ、だがそれを食らった異形の怪物が大きく吹っ飛ばされ、並んで立っている木の一本にその身体を打ち付けてしまう。
「おお〜、こいつはすげぇ」
 異形の怪物を吹っ飛ばした自分の拳をしげしげと見て、感慨深げに呟くタリウス。
「これならやれる……な」
 その仮面の下でニヤリと笑い、タリウスがよろよろと起き上がろうとしていた異形の怪物に向かって走り出した。あっと言う間に距離を詰めると鋭いパンチを異形の怪物に叩き込んでいく。そして最後に身体を回転させて勢いをつけた回し蹴り。
 またしても大きく吹っ飛ばされる異形の怪物。フラフラと起き上がろうとするが、すぐに力尽きたようにその場に倒れ伏した。次の瞬間、倒れた異形の怪物が大爆発を起こす。だが、その爆発はすぐに収束し、その後には小さな水晶玉が残された。
「何だこりゃ?」
 落ちている水晶玉に手を伸ばし拾い上げるタリウス。どこからどう見てもただの水晶玉にしか見えない。
 少し離れたところでその様子を見ていた秋穂はにっこりと微笑むと、そのまま気を失ってしまい、倒れ込んでしまう。
「お、おい! これどうやったら元に戻るんだよ! 気を失うならそれ説明してからしろよ!!」
 倒れた秋穂に駆け寄りながら慌てたように言うタリウス。だが、秋穂は満足げな表情を浮かべて完全に意識を手放してしまっているのであった。

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