「第三班はそっちに回れ! 第五班はその奥だ! 第七班、ライルから目を離すな!」
 神聖ブリガンダイン王国近衛騎士団の一員であるフレデリック=ギャンズの声が街灯の一つもない暗いスラム街に響き渡る。
 彼ら近衛騎士団達は先刻王宮に忍び込み、国王であるジョアン十二世に危害を加えようとした謎の賊、蝙蝠人間を追ってこのスラム街にまでやって来ていた。しかし、その蝙蝠人間はスラム街の住人を操り、近衛騎士団の追求を逃れて何処かへと消えてしまったのだ。今は再び蝙蝠人間を見つけだすべく、行動部隊の再編成を行っている真っ最中である。
「何だ、その私から目を離すなと言うのは……」
 いちいち指示を出しているフレデリックの側にいた若い男が顔を顰めて彼に尋ねる。
「お前は放っておいたら一人でどんどん勝手に動くだろう! 副団長がそれじゃ困るんだよ! 第六班! お前らは左の路地だ!」
 フレデリックがそう怒鳴り、傍らにいた若い男が肩を竦めてみせた。その様子からして、あまり反省したようには見えない。
「大体こう言う指示も本来ならお前が出すべきだろうが!」
「あまりそう言うのは得意じゃないんだよ」
「お前副団長だろう!? そんなこっちゃサンドリュージュ伯爵家の名が泣くぞ!」
「……それを言われると辛いな」
「ならちょっとは自覚持てよ! 次期近衛騎士団の団長候補なんだし!」
「よし、それじゃここの指揮はフレッド、お前に任せた。第七班! 行くぞ!」
 まるで漫才のような会話の後、若い男――近衛騎士団副団長ライル=ヴェルホード=サンドリュージュは他の近衛騎士三人を引き連れて歩き出した。その様子はまるでこれ以上フレデリックからの小言を聞きたくないから逃げようとしているみたいだ。いや、事実逃げたのだろう。さっさと、迷路のように張り巡らされたスラム街の通路の一角に消えていく。
「あの野郎……逃げやがったな」
 路地の一つに部下を引き連れて消えていったライルの後ろ姿を見送り、フレデリックは苦虫を噛み潰したような顔になる。
 彼とライルは近衛騎士団の騎士として叙任される前からの付き合いだ。その頃から二人の関係はほとんど変わらない。その実力の高さと父親がかつて近衛騎士団の団長を勤めていたという実績から独断専行しがちなライルを時に引き留め、時にバックアップし、必死に尻拭いさせられてきた。いい加減付き合うのを止めようかと思ったことも何度かあったが、ライルが独断専行をするのは自分以外の人間が傷つくのを見るのが嫌だと言うことを知っており、且つフレデリック自身かなりのお人好しと自認している為に今だに親友として付き合い続けている。それに今現在、近衛騎士団の副団長であるライルに気兼ねなく文句を言えるのは彼だけだ。いずれライルが近衛騎士団の団長になれば、副団長は間違いなく彼、フレデリックだろうと噂されている。
「全く……第一班、俺に続け! 行くぞ!」
 この一件が終わったら一度きっちりと話さなければならないな、と思いながらフレデリックは二人の騎士を引き連れ、自らもスラムの路地に入っていくのだった。

仮面ライダーマギウス
Episode.W Desperate fight at dark night


 スラムの闇は濃密だ。街灯がないと言うこともあるが、貧民層が多い為にそれぞれの住居となっている粗末な小屋の中にはろくな明かりすらない。明かりとなる油を買えないからだ。それ故にスラムの住人の夜は早く、朝も早い。
 そんな闇を切り裂くように明るい光が小屋の外壁を照らし出している。松明やランタンではこうも明るくならない。魔法による光だ。
「何処にもいませんね」
 そう言ったのはライトの魔法を使っている若い騎士。近衛騎士団の一員だ。
「出来れば朝になる前に見つけたいな。でないと王都警備隊の連中にもこの騒ぎを聞きつけられる」
 今度口を開いたのは魔法を使っている騎士の隣を歩いている、これまた若い近衛騎士だった。
 この二人はまだ近衛騎士団に入って間がない。だが、王族の警護を担当し、いざと言う時はその身を犠牲にしてでも彼らを守らねばならない役目にある以上、彼らもまたかなりの使い手である。もっともこの平和なご時世ではそれほど実戦経験がある訳でもないのだが。
「無駄口を叩くな。それよりももっと周囲に気を配れ。あの化け物が何処に潜伏しているのかわからないんだぞ。何処から襲ってくるか……」
 二人の若い騎士を嗜めるようにそう言ったのはフレデリックだ。彼がリーダーとなってこの二人を引き連れ、逃げた蝙蝠人間を捜索しているのだ。
「お、脅かさないでくださいよ」
 フレデリックの言葉にびくりと身体を震わせたのは魔法を使っていない方の騎士。慌てた様子で後ろを振り返っている。
「脅かしなんかじゃないさ。この暗い中だとどう考えても俺たちの方が不利だ。何せ相手は蝙蝠の化け物だからな。闇は奴にとって大好物だろうよ」
 そう言いながらもフレデリックは周囲の警戒を怠らない。本当に、何時、何処から襲われてもおかしくない状況なのだ。更に、この二人には言わなかったが他にも懸念すべき事がある。
 あの蝙蝠人間を見つけた時、ライルがスラムの住人に襲われていた。おそらくはあの蝙蝠人間に操られていたのだろう。つまり、蝙蝠人間には何かしらの力で人間を自在に操る能力を持っていると言うことだ。その力でスラムの住人を操りライルを襲わせたのだろうが、果たしてどれだけの住人が操られているのか。もしもスラムの全ての住人が操られているのならば、かなり危険なことになる。自分たちはみすみす敵のど真ん中に飛び込んだと言うことになるからだ。
「とにかく気をつけろ。何時、何処から襲われてもいいように注意しておけ」
 フレデリックがそう言ったまさにその瞬間だった。突如、周囲を照らし出していた光が消え、一気に辺りが真っ暗闇に包まれる。
「何っ!?」
「な、何が!?」
 あがった声は二つ。あまりにも突然光が消えた為にまるで視界はきかないが、声をあげたのはライトの魔法を使っていた騎士ではなく、もう一人の騎士の方だ。ならばもう一人、ライトの魔法を使っていた騎士はどうした。そう思ってフレデリックが闇の中をじっと見据える。
「う、うわぁっ!?」
 聞こえてきた新たな声は勿論、もう一人の騎士の声。はっとフレデリックが彼のいた方を見るが、未だこの闇に目が慣れていない所為か何も見えない。だが、そこにあったはずの気配が感じられなくなっていた。
(クソッ、懸念した通りか!)
 どうやら自分たちは敵中ど真ん中に来てしまったらしい。始めにライトの魔法を使っていた騎士を襲い、こっちの視界を奪った上で一人ずつ始末しようと言うのか。
(敵は何処だ……何人いる……?)
 素早く剣を引き抜き、フレデリックは周囲を見やった。あまりにも濃密な闇。何も見えないが気配を察知することぐらいは出来る。
 ごそり、と背後で何かが動く気配がした。すぐさま振り返ったフレデリックは迷うことなく手にした剣を気配の下方向へと向かって突き出す。剣先が何かを貫く手応え。どうやら後ろから自分を襲おうとしていた輩を一人始末出来たようだ。
 これが例の蝙蝠人間であればいいのだが、と思いながら剣を引き抜こうとするフレデリックだったが、剣はなかなか抜けない。何かに引っ掛かっているのか、それとも剣で貫かれた輩が最後の抵抗で剣が抜けるのを邪魔しているのか。小さく舌打ちするとフレデリックは一歩前に出た。もう片方の手で剣が貫いている輩の身体を押しのけようと思ったのだ。しかし――
「ギギギ……馬鹿め」
 いきなり闇の中から聞こえてきたその声にフレデリックは全身を強張らせた。あまりにも不気味極まりなく、そして人を苛立たせる不愉快な声。そんなものが突然闇の中から聞こえてきたのだ。神聖ブリガンダイン王国軍においてエリート中のエリートしか叙任されることのない近衛騎士と言えども、つい動揺してしまう。
「貴様は……!?」
「この闇の中でただの人間が我らに勝てようはずもない。愚かなり、人間よ」
 フレデリックの誰何の声に答えず、闇の中から返ってきたのは人を小馬鹿にしたような声だけだった。しかし、そのお陰でフレデリックは冷静さを取り戻すことが出来た。更に聞こえてくる声から相手が何処にいるのかも想像がつく。
 そっとフレデリックは剣の柄から手を放す。今だに剣は引き抜けない。ならばこの剣を捨てて別の武器を使うまでだと判断したのだ。もしものことを考えて剣以外の武器も準備している。もっとも、この平和なご時世ではそれは護身用程度の代物なのだが。
 素早くフレデリックは腰のベルトから大振りなナイフを取り出した。分類的にはショートソードと言ってもいい程のものだが、あくまでこれは護身用として作られたもので彼もそう認識している。そのナイフをギュッと握りしめ、声の聞こえてきた方へと一気に突き出した。
 声の大きさから相手はそう離れた場所にいる訳ではない、と彼は判断している。この距離ならば持っていたナイフでも充分届くはずだと。しかし、彼のナイフは空を切った。彼がいると思っていた場所に声の主、蝙蝠人間はいなかったのだ。
「ギギギ……愚かなり」
 再び不気味な声が聞こえてきた。しかも自分の真後ろから。
 一体何時後ろに回り込まれたのか。相手が動く気配など一つも感じ取れなかった。その事にやや動揺しながらも、フレデリックは後ろを振り返り、再びナイフを突き出そうとした。だが、それよりも早く、闇の中からにゅっと伸びてきた手が彼の顔面を鷲掴む。
「ぐうっ!?」
 鼻と口を押さえられ、呼吸を阻害されたことでフレデリックが苦悶の声を漏らした。そんな彼の目が驚愕に大きく見開かれる。
 段々と目が慣れてきた闇の中、そこに浮かぶ不気味な顔を。蝙蝠と人間を混ぜ合わせたような醜悪な顔がニヤリと笑うのを彼は見てしまったのだ。
 その目に浮かぶ邪悪な意思。それが自分に何をしようと言うのか、何をさせようとしているのか。フレデリックの身体は石になったかのように身動き一つ出来ず、出来たのはただ迫り来る邪悪に恐怖と絶望の表情を浮かべる事だけだった。

 近衛騎士団にとって、ライルにとって長い夜が明けた。
 結局あれから蝙蝠人間の姿を見つけることは出来ず、今、彼は最後に蝙蝠人間を見かけたスラムの中の広場に来ている。ここに何らかの手がかりがないかを捜しに来た訳ではない。別のことをしに来たのだ。
 昨夜ここで蝙蝠人間を見つけた時に、その蝙蝠人間に操られているスラムの住人をライルは何人も斬り捨てている。近衛騎士たる彼からすればスラムの住人など塵芥に等しい。彼が守るべきは王家に連なる者であって、この様な貧民層など死のうが生きようがどうでもいいのだ。だからどれだけ斬り捨てようと全く良心の呵責もないのだが、それでも彼は一つの死体の側にしゃがみ込み、何やら熱心にその死体を観察していた。
 もはや物言わぬ亡骸の手や足を持ち上げ、身体をひっくり返しなど色々とした後でまた別の死体の側に行き、同じ事を繰り返す。それを幾度か繰り返した後、彼は退屈そうに広場に入り口に立っている騎士に声をかけた。
「生き残っていた連中はどうした?」
 昨夜この広場に集まってきていたスラムの住人は相当な数だ。初めはライル一人だったが、途中から近衛騎士団がここに突入してきて乱戦となった。とは言っても武装した近衛騎士団に対して相手は武器すら持たぬスラムの住人。ほとんど一方的な虐殺みたいになってしまっていたが、その最中蝙蝠人間が怪しげな術を使って逃亡、スラムの住人は勿論近衛騎士団もその術の被害を受け、次々と倒れてしまったのだ。近衛騎士団、いやライルからすればその所為で蝙蝠人間を取り逃がしてしまった訳なのだが、スラムの住人達からすればそのお陰で全滅を免れたと言える。もっとも、その後ライルやフレデリック達が部隊の再編成をしている間に生き残ったスラムの住人達は彼らによって捕縛されていたのだが。
 突然ライルにそんな生き残りのスラムの住人達のことを聞かれた騎士は慌てて直立し直した。ライルが何を熱心にやっているのか、まるで理解出来ずぼんやりとしていたからだ。
「は、はっ! 連中は今、近くの小屋に押し込めてあります!」
「抵抗とかはしなかったのか?」
「はっ! 一切抵抗ありませんでした!」
 騎士の返答を聞いてライルは訝しげに眉を寄せる。
 近衛騎士達がスラムの住人を塵芥のようにしか思っていないのと同じく、スラムの住人にとって近衛騎士は、いや彼らだけではなく身分の高い者達は羨望の対象であり、恐怖の対象であり、また嫌悪の対象でもある。特にスラムの住人達は自分たちを塵芥同様に扱う近衛騎士達への反発は強く、彼らに命令されても従わないこともあった。もっともそんな場合は容赦なく斬り捨てられるから、住人達は渋々従っているのだ。
 そんな彼らが自分たちの仲間を殺した近衛騎士の言うことに抵抗することなく唯々諾々と従うだろうか。否、とライルは考える。そしてまだあの蝙蝠人間の術は解けていないのだろうと。
(そう言えばあの化け物、死ぬまでこの術が解けることはないと言っていたな……)
 そんなことを蝙蝠人間が言っていたのを思い出し、ライルは一人頷いた。
 小屋の中に押し込められているスラムの住人達はまだ蝙蝠人間の術中にあるのだ。操り人間にされた彼らは、命令を下す者がいないと何も出来なくなってしまうのだろう。
「なら無抵抗にも納得出来る……」
「え?」
「ああ、いや、こっちのことだ。その小屋に案内してくれ」
 ライルの呟きを聞き咎めた騎士にそう答え、彼に案内されて近くにある比較的大きな小屋へと向かう。そこでライルは小屋の中から一人の男だけ外に引きずり出し、その首筋を見やった。男はライルの為すがままで、まるで抵抗しない。しようともせず、ぼんやりとした虚ろな視線を彷徨わせているだけだった。
「……やはりな」
 男の首筋にある並んだ小さな二つの傷を見つけ、ライルは小さく呟いた。先程、幾多の死体を観察していた時にも同じ傷を彼は発見している。だから生きている連中にも同じ傷があるのではないかと思って確認しに来たのだ。
 ライルは男を再び小屋の中へと押し込むと、彼をここまで案内してきた騎士を振り返った。
「すぐに応援を呼べ。それからこの小屋の中にいる者は皆殺しにし、その後この小屋ごと燃やせ」
「ええっ!?」
 突然のライルの命令に騎士が目を丸くする。確かに彼ら近衛騎士にとってスラムの住人など塵芥に過ぎない。だが、皆殺しの上小屋ごと燃やせと言うのはいささかやりすぎではないのだろうか。そんなことをすれば、他のスラムの住人達が反乱を起こすかも知れない。今でさえ彼らは鬱屈や憤懣が溜まっているのだから。
「命令だ」
「しかし、そんな事をすれば……」
「この小屋にいる連中は吸血鬼にやられた可能性がある。被害を増やさない為にもそうするしかない」
「きゅ、吸血鬼……?」
 騎士が驚きの表情を顔に浮かべるのを無視してライルは広場を後にした。後はあの騎士が命令通りにしてくれるはずだと信じて。
 スラムを出たライルは大急ぎでラジェンドラ城へと戻り、そのまま衛兵の詰め所へと向かう。どうしても確認しなければならない事があったからだ。
 詰め所にいた衛兵に昨夜国王の寝室に賊を案内した衛兵達を閉じこめた牢の場所を聞き出し、すぐさまそこに向かうライル。牢の中ではその衛兵達が相変わらずぼんやりと、魂の抜けたような表情をしたまま床に座り込んでいた。牢の外から見ても二人が二人とも無気力の塊のようになっているのがわかる。これはスラムで見た蝙蝠人間に操られていた住人達と同じ症状だ。
 ライルは牢番に声をかけて扉を開けさせると、中に入り二人の首筋を確かめた。
(……やはり……)
 衛兵二人の首筋にスラムの住人達と同じ並んだ二つの小さな傷を見つけたライルは小さく嘆息すると、すぐさま腰の剣を引き抜き、何も言わずに二人を刺し貫く。
「ら、ライル様!?」
 驚きの声をあげる牢番を一睨みして黙らせるとライルは二人の衛兵の死体をそのままに立ち上がった。
「この死体を外に出して燃やすんだ。こいつらは吸血鬼にやられた。早くしろ」
 殺意すら感じられるライルの鋭い視線に牢番はただただ頷くことしか出来ない。そんな牢番を残してライルは再び詰め所に戻るべく歩き出した。
(あの蝙蝠の化け物が本当に吸血鬼ならば何故陛下を狙う?)
 彼の知る吸血鬼は不死者の王、自らの眷属のみを従え、何者にも縛られる事のない孤高の存在。闇の者ではあるがその知性は高く、その飢えと乾きを満たす為に人間を襲う事はあるが、わざわざ自分の首を絞めるようなレベルの事はしない。一国の国王を狙うなどもってのほかだ。そんな事をすれば、その国の軍隊が乗り出してきて殲滅されてしまう可能性を十分すぎる程理解しているのだから。
(わからないな……もしかしてあの化け物の背後には誰か黒幕がいるのか? 仮にいるとしても、吸血鬼を操れるような者がいるとは思えないが)
 歩きながらライルの思考はどんどん深みにはまっていく。彼はあの蝙蝠人間が次元を越えてこの世界に現れた”デスボロス”という謎の組織の改造人間だと言う事を知らない。どうしてもこの世界での常識でしか考えることしか出来ないのだ。だから彼の思考は堂々巡りを繰り返し続けるのみで、一向に結論に辿り着けない。
「ライル様!」
 突然自分を呼ぶ声が聞こえてきたのでライルは足を止め、顔を上げた。いつの間にかラジェンドラ城の中庭へと来てしまっていたらしいと、周囲を見回して初めて気付く。思考に没頭するあまり何処をどう歩いてここに辿り着いたのかまるで見当が付かなかった。
「ライル様ってば!」
 再び自分の名を呼ぶ声に振り返ってみると、すぐ側に一人の少女が頬を膨らませながら自分をじっと睨み付けているではないか。腰にまで届きそうな程の長く美しい金色の髪、まだ少女らしいあどけなさを残してはいるがその容姿は充分すぎる程美しい。着ているものも一目で上等なものだとわかる白いドレス。その全身から放つ雰囲気は如何にも気品に溢れ、彼女が身分のかなり高い者だと言う事を窺わせている。
「これはこれは、姫様。ご機嫌麗しゅう」
 少女の姿を見たライルが慌てて片膝をつき、臣下の礼をとった。
 彼女こそこの神聖ブリガンダイン王国の国王ジョアン十二世の一人娘レイラ姫だ。一人娘と言う事で我が儘し放題なのかと言えばそうでもない。ジョアン十二世の方針で彼女は相当厳しく躾られ、また教育も為されており、表向き非常に慎ましやかな少女へと育っているのだ。もっともあくまでそれは表向きで、実際のところはそう言う厳しい躾や教育に少々ウンザリしているところもあったりするごく普通の少女なのだが。
 そんな彼女の今一番のお気に入りは近衛騎士団の次期団長と噂される現副団長であるライルだった。仕事熱心な上に冷静沈着、その剣の腕前も近衛騎士団随一、おまけにかなりの美男子と来れば王女である以前に年頃の少女でもある彼女が熱を上げるのも無理はない事だろう。事実、彼女は暇さえあればライルの姿を探し求めて城中を歩き回り、彼女付きの侍女や衛兵、更には近衛騎士団の団員からもライルの様々な情報を仕入れている。何処かに出掛けるような時には勿論彼を護衛として指名する事を忘れない。彼女にとってライルはまさに御伽話で聞く勇者であり、白馬の王子様なのだ。
 もっとも当のライル自身は彼女の思いに気付いているのかいないのか、その態度はあくまで臣下としての領分を越える事はない。少なくても彼女に気に入られていると言う事ぐらいは薄々わかっているようなのだが、決してそれを表に出す事はなかった。
「おはようございます、ライル様。昨夜は色々とあったようですね?」
 レイラ姫の寝室は国王の寝室に近い場所にある。昨夜の騒ぎが聞こえていてもおかしくはない。
「申し訳ありません、姫様。次からは姫様のお眠りを妨げる事など無きよう、より一層注意致します」
 頭を垂れたままそう言うライルにレイラはそっと手を伸ばし、彼の肩にその手を触れさせた。
「構いませんわ。あなたはお父様の命を救ってくれた。それだけでも充分過ぎます。多少の騒ぎは気にしなくても結構、その職務を果たす事を優先させてくださいませ」
「ありがたきお言葉、恐悦至極にございます」
「それで……何がありましたの?」
「……それはお聞きにならぬ方がよろしいかと。ですがご安心ください。この私の身命に変えても姫様をお守り致します故」
 ライルのその言葉にレイラはうっとりとした表情を浮かべる。憧れの彼に”命を懸けて守る”と言われたのだ。それが彼の任務であり仕事であると言う事は頭の中でわかっているが、それでも嬉しい事には変わりない。
「ありがとうございます、ライル様。ですが、あなたが傷つくのは私としても嫌ですわ。どうかお気をつけてくださいませ」
「誠にもってお恐れ多いお言葉。肝に銘じます」
 レイラはかなり本気でそう言ったのだが、ライルから返ってきたのはやはり臣下としての領分を越えない返答だった。その事をちょっと不満に思わないでもないのだが、それを表に出す事はしない。それくらいの事は出来る。
「それで、ここで何をしておりましたの?」
「少々考え事を」
「昨夜の事についてかしら?」
「はい」
「なら私は聞かない方がいいのでしょうね?」
「申し訳ございません」
「いいえ、構いませんわ。それではライル様、しっかりと私を守ってくださいませね」
「もちろんでございます。この身が……」
「そう言うのは嫌だって申しましたわ」
「……申し訳ございません」
 会話をしている最中、ずっとレイラはライルを見下ろしていた。ライルはあくまでも臣下の礼をとったまま、顔を上げようとはしない。その事にちょっとした不満を覚えてしまう。彼の整った顔をもっと見たいし、自分の顔を見つめて欲しい。そう言った乙女心がちょっとした悪戯心を呼び起こした。
 肩に置いていた手をそっと動かし、彼の頬を撫でる。一瞬、驚いたようにビクッと肩を震わせるライルだが、それでも動かず、レイラのしたいようにさせていた。
 レイラとしてはこの行為で顔を上げてくれる事を期待したのだが、どうやら彼の方が一枚上手のようだ。流石はエリート中のエリート、近衛騎士団の副団長を若いながらも務めているだけのことはある。
「……ライル様、今夜はお父様ではなく私の部屋に来て、私だけを守って頂けますか?」
「……お戯れを。私は近衛騎士でございます。我が使命は姫様だけではなく陛下や御一族を守る事」
「わ、わかっておりますわ。申し訳ありません、我が儘でした。では」
 そう言ってレイラはライルの頬から手を放し、今だに臣下の礼をとり続けている彼をその場に残して走り去ってしまった。
「全くもう! 私は本気で言ってたのに!!」
 そんな事を呟きながら去っていくレイラの後ろ姿をライルは微笑みを浮かべながら見送っている。彼はあくまで臣下として、表向きの彼女の事しか知らない。彼女に気に入られていると言う事はわかっているが、それ以上の好意を寄せられているなどと思ってもいない。更に言えば彼にとってレイラは守るべき対象であり、言ってみれば妹のような存在でしかないからだ。
 レイラはライルの一番下の弟、ルインやその幼馴染みのシャルルと同じ歳だ。だからどうしてもその二人と彼女を重ねてしまう。王族に対する不敬だとは思わないでもないのだが、どうしても一人の女性として見る事は出来ないのだった。
 レイラが完全に見えなくなってから、ライルはようやく立ち上がった。やらなければならない事はたくさんある。まずは一つ一つそれをこなしていこう。そう思い、彼は衛兵の詰め所の方へと向かうのだった。

 一方、その頃王都ブリガニアからかなり離れたところにあるサンドリュージュ伯爵領では、領主であるリュシアン=ヴィガード=サンドリュージュに自らの事やサンドリュージュ家の屋敷に突如現れた蜘蛛人間のことなどを説明している最中に突如倒れた牧村将吾がようやく意識を取り戻していた。
「……ここは……」
 そう呟きながら身体を起こすと、将吾は周囲を見回した。いきなり自分を襲った強烈な睡魔に負けて、倒れてしまったのは確か広間だったはずだ。だが、今いるのはこの屋敷に来た時に彼に与えられた客室だった。どうやら倒れた後、ここに運ばれたらしい。
「何だったんだ、あれは……?」
 突然襲い掛かってきたあの強烈な睡魔。今まであんなものに襲われた事など一度もなかった。体調は決して悪くはない。考えられるのは次元門を通ってこの世界へとやって来た時の影響だろうか。ならば、この世界での仮面ライダーとしての力が微妙に衰えている事も同じく次元門を抜けた影響の一つだと思われた。
「くっ……」
 今度と言う今度こそ奴ら”デスボロス”の野望を叩き潰さなければならないと言うのに、こんな事でどうする。この世界に自分を送り出す為に犠牲になった連中に何と言う。あまりにも不甲斐なさ過ぎるではないか。悔しさに歯をギリッと音がする程噛み締める将吾。
 と、そんな時だった。客室のドアが開いてメイド服を着た一人の少女が入って来、ベッドの上に上半身を起こしている将吾を見て驚きの表情を浮かべる。
「よかった! 目を覚まされたんですね!!」
 驚きの表情から一変、今度は嬉しそうな顔になったメイドの少女はそう言うと、将吾の元へと駆け寄ってきた。ベッドのすぐ側にまで来た少女は将吾に向かって深々と頭を下げる。
「な、何だ?」
 少女にいきなり頭を下げられて将吾は思わず面食らってしまう。この少女に見覚えなどなかったし、頭を下げられる理由もまるで思いつかなかったからだ。
「あ、す、すいません。えっと、ルイン様から聞きました。昨夜、私をあの化け物から助けてくれたのがあなただって。私、すぐ気を失っちゃってたんでよく覚えていないんですが、お礼を言わなくっちゃってずっと思ってて」
 メイドの少女のその言葉でようやく将吾は彼女が昨夜蜘蛛人間に襲われ、人質になっていた少女だと言う事を思い出した。昨夜は暗かった上、彼女が気を失っていてぐったりとしていた為にその顔をよく見ていなかったし、何より彼自身蜘蛛人間を倒す事ばかり考えていた為に彼女の事などほとんど気にかけていなかったのだ。すぐに思い出せなくても当然だろう。
「ああ、いや……君を助けたのは俺じゃ」
 正確に言えば将吾は直接彼女を助けた訳ではない。蜘蛛人間の方が彼女を手放したのだ。結果だけ見れば将吾が――仮面ライダーが彼女を蜘蛛人間の魔の手から救い出したようにも見えるが、実際のところ彼は何もしてないに等しい。だからお礼など言われる筋合いはないのだが。
「そんなご謙遜を。あ、そうだ! あなたが目を覚まされた事をルイン様達に報告しなきゃ! すいません、失礼しますね!」
 どうやら彼女は将吾の態度を謙遜として受け取ったらしい。ニッコリ笑顔でそう言うと、ベッドの側まで来た時と同じように慌ただしく客室から出ていってしまった。
「……何なんだ、あいつは」
 そう呟いて頭をかく将吾。それから少ししてルインとシャルルが先程の少女を引き連れて駆け込んできた。
「ちょっと、大丈夫なの、あんた?」
 開口一番、シャルルがそう尋ねてくるのを将吾は頷くことで答えた。それからすぐさま立ち上がる。
「あれからどれくらい時間が経った?」
「あれから?」
 将吾の質問に首を傾げるルイン。そんな彼に少々の苛立ちを感じながらも、将吾は再び口を開く。
「俺が倒れてからだ」
「それなら」
「そうね、大体だけどもう五時間以上は過ぎているわ。あんたが倒れた時はまだ夜が明けていなかったけど、もう完全にお日様が昇っているし」
 ルインが答えようとするのを、まるで邪魔するかのように横からシャルルがそう言う。ちょっとだけムッとしたような表情を浮かべるルインだったが、シャルルに思い切り睨み付けられてすぐにその表情を引っ込めた。
「くっ……」
 将吾は顔を顰めると、ベッドの脇に置いてある椅子の背もたれにかけられてあった自分の上着を手に取った。素早く袖に手を通すと、何も言わずに部屋から出ていこうとする。
「ちょ、ちょっと! 何処行くのよ!?」
 まるで彼を引き留めるように声をあげたのは、やはりシャルルだった。
「まだ話は終わってなかったでしょ! リュシアンのおじさまも待っているわ! さっさと」
「そんなことをしている暇はない」
 シャルルの言葉を遮るようにそう言い、将吾は部屋を出る。
「待ちなさいよ! そんな勝手なこと、していいとでも思ってるの!」
 声を荒げながらシャルルが部屋を出た将吾を追いかけた。その後をぞろぞろとルイン、メイドの少女がついてくる。二人とも何処か不安げな表情を浮かべていた。いかにも怒ってますと言う感じのシャルルとは対照的だ。
「何処にいくつもり!? おじさまが待ってるってさっきも言ったでしょっ!!」
「のんびり話なんかしている暇はない。俺は奴ら……デスボロスのしようとしていることをぶっ潰す。それだけだ」
 苛立ちを隠そうともせずに怒鳴り声をあげるシャルルでさえ怯む程低く、威圧するような声で将吾はそう言い放つ。更に鋭く、射抜くような視線をシャルルに向け、彼女を無理矢理に黙らせた。
 将吾のあまりと言えばあまりもの敵意の籠もった視線を受け、思わずその場に立ち尽くしてしまうシャルル。その家柄や彼女自身の才能、容姿などで今まで幾多の羨望や嫉妬の視線に晒されてきた彼女だったが、この様な視線を受けたことはない。邪魔をするならばお前を殺す、そう言わんばかりの殺気すら込められた視線。それに恐怖し、彼女は動けなくなってしまったのだ。
 ルインは立ち尽くしてしまったシャルルに気遣うような視線を向けたが、プライドの高い彼女がそのような視線を向けられることを非常に嫌がるのを思い出し、廊下をどんどん進んでいく将吾の背を追いかけることにした。一緒にいたメイドの少女にシャルルのことを任せて、だ。
 少し小走りになって、ようやく将吾に追いついたルインは恐る恐る彼に声をかける。
「あの……ショーゴさん」
「何だ?」
 今度はシャルルの時と違ってルインの方をチラリとも見ようとしない。不機嫌そのものと言った感じで短く言葉を返すだけだ。
「王都へ向かうんですよね?」
「ああ」
「今から行っても到着するのは明日の朝になります。いえ、夜になると危険ですから、それを考えると到着するのはもっと遅くなるでしょう。その頃にはもう兄さん達が何とかしていると思います」
「……無理だな。お前の一番上の兄貴がどの程度のものかは知らないが、相手がデスボロスの怪人なら人間じゃ勝ち目はない。怪人を倒せるのは俺だけだ」
 話しながらも将吾は立ち止まろうとはしない。
「それは……そうかも知れませんけど」
 将吾の言うことはおそらく事実だろう。昨夜、この屋敷に現れた蜘蛛人間とルインの父親であるリュシアンが戦ったらしいが、リュシアンはどうしても蜘蛛人間に勝てなかった。かつては近衛騎士団の団長まで勤め、剣技では並ぶ者無しとまで言われた彼が勝てなかった上、相当の苦戦を強いられたのだ。ただの人間では勝ち目がないだろう。
「でも、兄さん達がいれば!」
「さっきも言ったぞ。例えあの筋肉馬鹿ともう一人、お前の一番上の兄が凄腕だとしても奴らには勝てない。次元が違うんだ」
「で、でも……ショーゴさんは兄さん達の実力を知らないから!」
 尊敬する兄たちを言下に否定され、思わず声を荒げてしまうルイン。
 長兄であるライルは近衛騎士団の副団長を務める実力者。その剣の腕前も近衛騎士団随一だと言う。次兄のリオンは王都警備隊の部隊長。その大柄な体格から繰り出されるパワー、それでいて器用に小技を織り込んでくる手強い強者。どちらもルインにとっては尊敬出来、頼れる兄たちだ。二人が揃えばどの様な敵だとて必ず駆逐出来ると、半ばそう信じている。
「……確かにお前の言う通り俺はお前の兄たちの実力がどんなものか知らない。だが、お前もデスボロスの怪人がどの様なものかを知らないだろう?」
 将吾にそう言われてルインははっとなる。確かに彼はブルーニュの森の中、そして屋敷の屋根の上にいる蜘蛛人間を見ただけで、直接戦った訳ではない。だからその恐ろしさがわからない。わかるのは直接戦った将吾だけだろう。
「それに俺は……これ以上の犠牲を増やしたくない」
 呟くようにそう言った将吾の顔に苦渋の表情が浮かんだ。それを見たルインは思わず黙り込んでしまう。昨夜将吾自身の口から聞かされた、彼が救えなかった世界のことを思い出したのだ。
「わかったならもう黙ってろ。それと馬を貸してくれ」
「馬ですか? それは構いませんけどさっきも言いましたが、今から出ても」
「大丈夫だ。俺の相棒のところに行くだけだからな」
「相棒?」
 ルインの再度の問いには答えず、将吾はどんどん進んでいく。
「えっと……厩はこっちです」
 少し申し訳なさそうに言いながらルインが指差したのは将吾が歩いていこうとするのとはまったく違う方向だった。

 厩から馬を出し、ルインと共に将吾は彼と出会った森へと向かっていた。何故ルインが一緒にいるのかと言うと、それが馬を将吾に貸す交換条件だったからだ。
「でも何で初めて会った時にその相棒さんを」
「あの時はちょっと混乱していたからな」
 二頭の馬を並べて走らせながら問いかけてくるルインにあっさりと将吾が答える。そう言われてルインはブルーニュの森で初めて将吾と出会った時のことを思い出した。まだ一日ぐらいしかたっていないのだが、随分昔に思えてしまう。あの時の将吾はひどく憔悴していた。彼の話に寄れば次元扉を越えた時の影響が残っていた為だと言うことらしいのだが、とにかくあれだけ憔悴し、身体も消耗している上でルイン達を助ける為に変身し、更に彼を追ってきたらしい蜘蛛人間とも戦っているのだ。その相棒とやらのことを少しくらい忘れていてもおかしくはないだろう。
 ブルーニュの森にまで辿り着くと、その入り口の辺りで将吾は馬を止めた。そしてルインの方を見る。
「ここまででいい。後は俺がやるからお前は帰れ」
 そう言って自身は馬から下り、森の中へと入っていく。ルインの返事を聞かなかったのは、彼が自分の言うことを素直に聞くと思っているからのようだ。
 少しの間ルインは馬上でどうするかを考えていたが、やがて自分も馬から下りると手近な木の枝に手綱をくくりつけた。それから将吾の後を追って森の中に踏み入ろうと一歩踏み出したその時だ。何やら低い唸り声のようなものが聞こえてき、思わずルインは足を止めて周囲を見回す。
 このブルーニュの森にはさほど危険な生物は住み着いていない。特に大型の肉食獣などはもってのほかだ。だからこそ昨日将吾や蜘蛛人間によって全滅させられたゴブリンが住み着いたのだろう。それにここは森のほんの入り口だ。仮に大型肉食獣などが住み着いていたとしてもこんなところにまで出てくるとは思えない。しかし、その低い唸り声のようなものはどんどん近付いてくる。
「な、何だ……?」
 恐怖のあまりルインはその場から動けなくなってしまっていた。今、彼には身を守る為の武器などは一つもない。慌てて出てきたから、と言うのもあるが、彼が普段身につけていた特注の剣は昨日ゴブリン達からシャルルを守る時に折れてしまっている。屋敷にはいくつも武器があるにはあるが線が細く、身体に筋肉がそれほどない彼が扱えるようなものは一つもない。せめてナイフの一本でも持ってきておけば、と今更ながら思うのだが、そんなものがあったとしてもろくに戦闘訓練など受けていない彼では焼け石に水だろう。
 そうこうしている間にも唸り声のようなものはどんどん近付いてくる。もうダメだ、とばかりにルインが頭を抱えてその場に踞ったまさにその直後、その頭上を何かが唸り声を上げながら飛び越えていった。
 ルインの頭上を飛び越えた何かがその少し後方に着地したようだ。頭を抱えて踞っている彼の耳にもその着地音が聞こえてくる。
「……どうしたんだ?」
 ガクガク震えているルインにそんな声が掛けられる。恐る恐る顔を上げてみると銀色に光る何かに跨った将吾がキョトンとした顔でしゃがみ込んでいるルインを見つめていた。
「しょ、ショーゴさん……?」
「何やってるんだ、お前?」
「あ、いえ……その、相棒さんは?」
「ああ、無事だった」
「何処ですか? 僕も会ってみたいんですが」
 自分の無様な姿を見られたことにちょっと赤くなりながらも、それを誤魔化すようにルインがそう言うと、将吾は訝しげな顔をして見せた。少し考えた後、ようやく合点がいったようにポンと手を叩く。
「相棒な。お前の目の前にいるのがそうだ」
 ニヤリと悪戯っぽく笑い、将吾は自分が跨っている銀色の何かのボディをポンと叩いて見せた。ルインがこの銀色の何かがオートバイであると言うことを勿論知らない。そして相棒と言うのがこの銀のマシンではなく、別の何か、いや誰かだと勘違いしていると言う事を理解して彼をからかっているのだ。
「え……?」
 ポカンとした顔になるルインを見て、将吾が肩を震わせながら、もう堪えきれないと言う風に笑い出す。そんな将吾を見て、ようやくルインは自分がからかわれたのだと気付き、顔を更に赤くして将吾に詰め寄っていく。
「ショーゴさん! 僕は心配してたんですよ! あなたの相棒さんがこの森の中に置き去りにされたって言うから……確かにほとんどのゴブリンは昨日ショーゴさんが倒したのかも知れませんが、もしかしたらまだ残っているかも知れないから」
「ああ、悪い悪い。からかったことは謝る。だが、俺は別に間違ったことは言ってないぞ」
 予想外に語気荒く、だが目には少し涙を浮かべながらそう言ってくるルインに対し、将吾は少々驚きながらもそう答えた。それから再び銀のマシンのボディを手でポンと叩く。
「こいつが俺の相棒だ」
 しかし、それはまた自分をからかっているのだとルインは思ってしまう。如何にもムッとしてますよ、と言うのをアピールするように頬を膨らませる。
「そんな冗談に何度も引っ掛かる僕じゃありませんよ」
「本当だよ。こいつと共に俺はこの世界にやってきたんだからな」
 今度そう言った将吾の顔は真剣そのものだった。
「こいつは元々俺の世界のものだ。それを前にいた世界の連中が改造して、こいつと共に俺はこの世界にやってきた。デスボロスの奴らを倒す為にな」
 銀のマシンのボディを撫でながら将吾が言い、それからルインの方を見やる。流石に冗談ではないのだとわかったようで、ルインは神妙な顔つきになり、しげしげと銀のマシンを見つめていた。こんなものを見たことがないので興味があるのだろう。
「これ……生きているんですか?」
「生きてるって言うか……こいつは機械だからな」
 恐る恐る銀のマシンに近寄ってきながらそう尋ねてくるルインに将吾は苦笑を浮かべる。この世界は魔法で発展した文明の世界だ。将吾が元々いた機械による文明の世界ではない為、移動手段などは馬などの生物に頼らざるを得ない。内燃機関による移動用の乗り物など存在しないのだから、ルインの疑問ももっともなものだ。
「機械、ですか?」
 それがどう言ったものなのかわからないと言う風にルインが首を傾げた。
「まぁ……一々説明するのも何だから簡単に説明するが……言ってみればどれだけ走っても疲れることのない馬のようなもの、だな」
「はぁ……」
 イマイチわからないといった顔をするルインに、将吾は自分の説明力不足を痛感する。元々頭を使うことはそれほど得意ではない。そもそもが体育会系なのだから。
「まぁ、あまり気にするな。説明したってどうせわからないだろうし、俺も説明できるほど頭が言い訳じゃない。それにここでお別れだしな」
「え?」
 将吾の、あまりにも突然のお別れ宣言にルインが戸惑いの声を漏らした。
「お別れって……」
「お前はこれ以上俺に関わるな。きっとろくな目にあわないからな」
 少し自嘲するように笑いながら将吾はそう言い、それから真剣な表情を浮かべてルインを見る。
「世話になった事は感謝している。だが、ここまでだ。お前は帰って今まで通りの生活をしていろ。奴らは俺が必ず倒す」
 話はこれで終わりだ、とばかりに将吾が視線をルインから外した。そして銀のマシンのエンジンを噴かす。その音は、つい先程までルインが何か大型の肉食獣らしきものの唸り声と勘違いしたものとまったく一緒だった。
「じゃあな」
 そう言って銀のマシンを発進させようとすると、いきなりルインがその前に躍り出た。通せんぼするみたいに両手を広げて将吾の進行方向の前に立ちはだかる。
「……何のつもりだ?」
 ジロリとルインを睨み付ける将吾。彼には何故ルインがこんな事をしたのかまるでわからない。その所為か、少し苛立ったように声を荒げてしまう。
「ぼ、僕も一緒に連れて行ってください!」
 殺気すら孕んでいる将吾の視線に少々怯えを見せながらも、ルインははっきりとそう言った。更に彼はしっかりと将吾の目を見据えている。どうやらその場の流れで口にしたようではないみたいだ。
「僕はもう知ってしまいました。この世界を狙う何者かがいるって事を。そんな奴らがいるって言うのに、何もせずに、今まで通りの生活なんか出来るはずがありません!」
 叫ぶようにそう言うルインを将吾は何も言わず、ただじっと見つめている。
「僕は見ての通り、身体も細いし、剣だってろくに振るえません! でも、それでも何か出来る事があるはずです! 僕にだって役に立てる事があるはずです! お願いします、ショーゴさん! 足手纏いになるって事は充分わかってます! それでも僕はこの国を、この世界を守りたいんです!」
 必死に、将吾の心を動かす為に必死になっているルイン。
 そんな彼を見て、将吾は小さく頭を振った。どうやら彼のこの世界を何とかデスボロスと言う異世界からの侵略者から守りたいという気持ちは本物のようだ。確かに本人の言う通り、戦闘では役にたたないし、むしろ足手纏いになるだろう。それでも何かをしたい。何か出来る事があるはずだ。頑なにそう信じ、その為に彼は一歩も引かないだろう。だが、同時にそこには危うさがあった。それこそ彼自身の命を投げ出しかねないと言う危うさが。
 付き合いは短い。まだ彼と出会って一日ぐらいしか経過していない。だが、ルインが好意的な人物だと言う事はわかっている。仮に彼をこの場に残していったとしても、いずれ彼はデスボロスとの戦いに勝手に参加して、そして命を落とすだろう。出来ればそう言う姿は見たくない。
「……お前のその気持ちは立派だよ。でもな、お前には無理だ。無駄死にするだけだ。だから止めておけ」
「無理とか無駄とか……そんなのやってみないとわからないじゃないですか!」
「何度も言っているが、デスボロスの怪人に対抗出来るのは俺だけだ。お前の兄貴であるあの筋肉バカが五人十人集まったところで勝ち目はない。お前の一番上の兄貴がどれだけの剣士かは知らないが、それも同じだ」
「ちょ、直接戦う事が出来なくてもやれる事はあるはずです!」
「余計に止めておけ。俺に関わりがあるとわかれば奴らは容赦なくお前の命も狙ってくる。俺一人じゃもしお前に何かあった時に助けてやれないかも知れない」
「そんなの覚悟の上です! 僕だって武門の家系に生まれたんです! 何時死んだって構いません!」
「バカ野郎! お前はそれでいいかも知れないがな、残された者の身になってみろ! お前一人が死んで、どれだけの人間が悲しむかわかってそんな事言ってんのか!?」
 いきなり怒鳴りつけてきた将吾にルインは驚きを禁じ得なかった。だが、同時に彼がどうしてこんな事を言うのかも理解した。彼は残された側の人間なのだ。何人もの犠牲の上に彼は成り立っているのだ。言っていたではないか、これ以上の犠牲は出したくないと。
「す、すいません……」
「……謝らなくてもいい。お前の気持ちはわかるつもりだ。でもな」
 素直に頭を下げるルインに将吾はそう言いかけ、そして言葉を留める。説教など自分には似合わないとでも思ったのだろうか。ちょっとばつが悪そうに頬を指で掻いている。
「わかったんならいい。それじゃ、今度こそお別れだ」
 ぶっきらぼうにそう言って将吾が銀のマシンを発進させようとするが、ルインは未だ彼の進行方向から動こうとはしない。まだ何かあるのかと思って彼の方を見ると、ルインは少し苦笑いを浮かべていた。
「……えっと、ショーゴさん」
「何だよ?」
「王都までの道、わかります?」

 それから十分後、王都へと向かう街道を銀のマシンが疾走していた。乗っているのは二人。将吾と、彼の説得に成功したルインである。

 王都ブリガニアにまた夜の帳が降りてくる。
 ラジェンドラ城の正門前ではライルが険しい表情を浮かべて立っていた。彼は忌々しげに沈んでいく太陽を眺めている。
 昨夜、王の寝室にまで忍び込んだ賊はおそらく吸血鬼。ならば昼間はそれほど活発に行動はしないだろう。出来るならば昼間の間に吸血鬼を見つけ出し、殲滅してしまいたかったのだが、スラム中を隈無く捜索したにも関わらずその姿を発見する事は出来なかった。
(一体何処に雲隠れしたんだ……いや、それよりも)
 すっと空を見上げる。雲が多い。この調子だと今夜は曇り空だろう。下手をすれば雨が降るかも知れない。もし、そうなったら厄介だ。あの吸血鬼が何処から、どの様にしてこの城に侵入してくるか分かり辛くなる。
(城の警備は倍に増やしたが……奴が吸血鬼である以上、油断は出来ない。陛下や姫様には隠れて頂いた方がいいかもな)
 再び沈む太陽の方を見やるライル。毒々しいまでの赤い空、そしてその上に広がる漆黒の闇。今夜は長くなりそうだ。

 ラジェンドラ城の正門前で焚かれている篝火がおりからの強風に激しく揺れている。空を見上げれば厚く黒い雲が立ち込めていて、如何にも不気味な様相を呈していた。これから何があるのか。そう言った不安を誰にもかきたてさせてしまう。
 陽が落ちた頃ぐらいから城下町に例の吸血鬼を探索に出ていた近衛騎士団の面々が続々と帰還していた。そんな彼らを正門前でライルが出迎えている。だが、戻ってきた誰もが吉報を持ち合わせてはいない。依然として国王を襲った吸血鬼は行方不明のままだ。その所為か、ライルの表情は非常に硬く、険しかった。
 城内では通常の衛兵や近衛騎士団の団員の他にも、この国の虎の子とも言える魔法衛士隊までもが動員され、国王やその一族の警備に当たっている。近衛騎士団団長ルスラン=ハルハーゲンは普段会議室として使われている広間の一つを本営として、城の警備の全てを取り仕切っていた。本来彼の管轄外であるはずの魔法衛士隊にも指示を出しているのは、今回の一件で全権を任されているからだ。
「状況はいかがかな、ハルハーゲン隊長」
 そう言いながら広間に入ってきたのは、宮廷魔法使いであるカストゥルモール公爵だった。やや線は細めなものの、それなりに高い上背、ピンと伸ばした背筋。立派な髭を蓄えた精悍な顔つき。一見して魔法使いとは誰も思えない風貌の持ち主だ。
「おお、これはこれは、カストゥルモール公。見ての通り、今はまだ何事も起きておりません」
 やや大げさに驚きながらもルスランは入ってきた公爵を出迎える。
「むしろこれからが大変なのでしょうな。お借りした魔法衛士隊にも頑張って貰わなければなりません」
「我が目で選抜した魔法衛士隊だ。決して近衛騎士団にも遅れは取らんと思うが、存分に使ってくだされよ」
 そう言って微笑む公爵。
 魔法衛士隊は厳しい試験をくぐり抜けた者の中から更に宮廷魔法使いであるカストゥルモール公爵が自らの目で選びぬた精鋭中の精鋭で構成されている。単純な戦闘能力では近衛騎士団の方が上だが、魔法に関しては近衛騎士団を遙かに凌駕する実力を持っているのだ。
 その所為か、両者の関係は余りよいものではない。どちらかと言えば反目しあっている感じだ。そもそも、魔法衛士隊の管轄は魔法に関する事であって城中警備などは管轄外の事なのだ。それは魔法衛士隊の指揮をしているのが宮廷魔法使いであるカストゥルモール公爵である事からも分かる。
 今回近衛騎士団と協力しているのは相手が吸血鬼であると言う事、そしてその吸血鬼が国王を狙っていると言う事からだ。そうでなければ両者が手を取る事など有り得ないだろう。それこそこの国が侵略でも受けない限り。
「ご協力感謝致します、公爵殿」
「ふむ、頑張ってくだされよ、隊長。私はこれより陛下に謁見し、その後は執務室におりますので、何かあればいつでも声をおかけくだされ」
 それだけ言ってカストゥルモール公爵は広間を後にした。その後ろ姿を見送り、広間のドアが完全に閉じられた後、ルスランはチッと舌打ちする。
「あのうらなりが……貴様ごときに何が出来るというのだ。陛下のお気に入りと大きな顔をしおって」
 如何にも不快そうに言い捨てるルスラン。
 彼は自身が魔法を使えない所為か、魔法使いを非常に嫌う傾向にあった。更に彼は自らの実力のみで今の地位を手に入れた為、その血統だけである程度の地位を約束されている貴族も嫌っている。だが、決してそれを表に出そうとはしない。利用出来るものはとことん利用し、もっと上の地位を狙っているのだ。その為ならば嫌いな魔法使いや貴族にだっていくらでもへつらう事が出来た。
「今に見ていろ……貴様らなぞ……」
 ギリギリと歯を噛み締めつつ、ルスランは呟くのだった。

 正門の前では未だライルが一人、腕を組んでじっと立っていた。探索に出ていた近衛騎士もほとんどがもう城に帰還しており、今は城のあちこちに配備されている。しかし、まだ城に帰還していない者が少しだけいた。これだけ遅いと言う事は何か発見したのかも知れない。もしかしたら例の吸血鬼を見つけ、見事に仕留めたのかも知れない。彼はその報告を待っているのだ。
(遅いな……フレッドの奴、何をやっているんだ……?)
 戻ってきていないのはライルにとって莫逆の友であるフレデリックの隊だけだ。彼がいるからには何か間違いがあったとは思えない。だが、これだけ遅いのは何かがあったと考えて間違いないだろう。
(あいつがあの吸血鬼を見つけ出してくれてくれていればいいんだが)
 もしもフレデリックが吸血鬼を見つけ出していてくれれば、先手を打ってこちらから奴を殲滅しに行く事が出来る。そうすれば、とりあえずこんな厳戒態勢は終わりだ。事後処理が色々とあるだろうが、またいつも通りの平和で退屈な日常が戻ってくる。
(出来れば早くそうなって貰いたいものだが……)
 そんな事を考えていると、奥の方から彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
「副団長! 団長がお呼びです!」
「団長が?」
 少し驚いたようにライルが振り返る。近衛騎士団団長であるルスランがライルの事をあまり快く思っていないと言うのは周知の事実だ。余程の事がない限りルスランがライルを直接呼び出す事はない。ライル自身もそれをよく分かっているからこそ、驚いたのだ。
「はい。副団長にすぐに来るようにと」
 伝令としてやって来たのはまだまだ若い騎士だ。近衛騎士団には入ったばかりなのであろう。だからルスランとライルの不仲を知らなかったに違いない。知っていれば、何か裏があると思うはずだろうから。彼はただ単に団長であるルスランが副団長であるライルに何か相談事があって呼んだだけだと思っているみたいだった。
「……分かった。それじゃ悪いがここを頼む。フレッドの隊がまだ帰ってきてないんだ」
「了解しました!」
 ぴしっと敬礼する若い騎士を見てライルは苦笑を浮かべつつ城の中へと歩き出した。果たしてあのルスランが、一体何の用事があって自分をわざわざ呼びだしたのか。今は身内でいがみ合っている場合ではないと言うのに、それが分かっているのだろうか。少しの苛立ちを胸に秘めながら彼はルスランがいるであろう広間へと向かうのだった。

 ライルが城の中へと向かってしばらくして、正門前にふらりと三つの人影が現れた。頭まですっぽりと覆うフード付きの外套に身を包み、ゆらゆらと、まるで陽炎のように揺れながら正門に近付いてくる。
「ま、待て!」
 ライルに替わって正門前を任されていた若い騎士が何も言わずに門を潜ろうとしていた人影を呼び止める。今のこの非常時にこんな不気味な連中を容易く城に入れる訳には行かない。それに何と言っても近衛騎士団副団長であるライルにこの場を任されたのだ。その期待に応える為にも、彼は不気味な三人組の前に躍り出る。
「この城に何の用だ!?」
 腰に帯びている剣をいつでも引き抜く事が出来るよう手をかけながら彼が三人組に近付いていった。一番先頭にいる者のフードに手をかけようとすると、それよりも先に自分でそのフードを脱いでみせた。その下から現れた顔を見て、若い騎士は慌てて剣の柄にかけていた手を外し、彼に向かって敬礼する。
「も、申し訳ありません、フレデリック様!」
 そう言われたフード付きの外套を着ていた男、フレデリックは小さく頷くと後ろに立つ二人を振り返る。するとその二人もフードを下ろし、自らの顔を見せた。どちらも若い騎士の見知った顔。フレデリックと共に小隊を組んでいた者だ。
「お疲れさまでした! 団長も副団長もお待ちしております!」
 ぴしっと敬礼したまま若い騎士がそう言うのにフレデリックは鷹揚に頷き、そして何も言わずに彼の腹部を手に持っていた剣を刺し貫いた。
「え……?」
 一瞬何が起こったのか分からず、しかし腹部に感じる焼けるような熱さと遅れて感じる激痛。自分が刺されたのだと理解するまで数秒かかった。
「フレデ……リック様……?」
 一体何故自分が刺されたのか、訳が分からないと言う表情を浮かべて若い騎士がフレデリックに向かって手を伸ばそうとする。だが、それよりも早く残る二人がそれぞれ左右から彼の身体を刺し貫いた。
「ぐ……は……」
 フレデリックを含む三人が同時に若い騎士の身体から剣を引き抜いた。彼の顔は依然として訳が分からないと言う表情を浮かべている。どうしてフレデリックが自分を刺したのか。他の二人もどうして自分を刺したのか。一体どうして自分は刺されなければならなかったのか。何一つ分からないまま、若い騎士は絶命しただろう。
 もはやピクリとも動かなくなった若い騎士をフレデリックは少し澱んだ、虚ろな目で見下ろしていた。

 ルスランがライルを呼び出したのは本当にくだらない理由だった。単にずっと正門前でフレデリックの帰ってくるのを待っていた事を叱責する為。曰く、この忙しい時に副団長たる者が何もせず、ただ待ち呆けているとは何事か、と言う事らしい。いちいち反論するのも面倒だったし、事実何もしていなかったのでライルは何も言わずに謝罪するだけに留めた。
 十分程ルスランの説教を受け、ようやく解放されたライルは城内の見回りを命じられ、現在広いテラスの脇にある通路を歩いていた。この通路をずっと進んでいけば国王の、そして姫君の寝室がある。
 この通路を歩いているのは見回りと言う事もあるのだが、午前中に出会ったレイラ姫とかわした会話のこともあった。”自分の部屋に来て自分だけを守って欲しい”とレイラ姫は言っていた。おそらくはライルをからかう為の戯れであったのだろうが、それだけライルの事を信頼してくれているのだろう。ならば近衛騎士としてその期待に応えなければならない。
 一応ライルは国王やレイラ姫の寝室を別のところに替えて貰うよう進言した。だが、それはルスランによってあっさりと退けられてしまう。彼に言わせればそれは逃げであり、自分たちの無能を証明する事なのだそうだ。いつもとまったく変わらない状況で吸血鬼と思われる謎の賊から国王や姫君を守れなくては近衛騎士団としての威信に関わると言ったのだ。だから国王や姫君はいつもと同じ寝室で過ごしている。国王も姫もおそらく不安でいっぱいだろう。
 ほぼ一定間隔で立っている衛兵達の様子を見ながらライルは進んでいく。誰もが緊張した面持ちだ。何せ敵は吸血鬼。危険極まりない存在なのだから、緊張しない訳がない。
 やがて彼はとある部屋の前で立ち止まった。少しの間、ドアの前で躊躇し、それから意を決したようにノックをする。
「どなたでしょうか?」
「近衛騎士ライル=ヴェルホード=サンドリュージュにございます」
 中から聞こえてきた誰何の声にライルは丁寧にそう答えた。すると中からぱたぱたとドアの方に向かってくる足音が聞こえて来、程なくしてドアが開かれる。中から顔を覗かせたのはこの部屋の主であるレイラ姫だ。満面の笑みを浮かべてライルの腕を取り、彼を中に招き入れようとする。
「どうぞお入りになって、ライル様」
「いえ、どうかお許しを」
 レイラの申し出を丁重に断りつつ、ライルは自分の腕を掴む彼女の手を外す。
「姫様、少々軽率でございますぞ。もしも賊が私の声を真似ていたらいかがなさるおつもりですか」
 諭すように、だが厳しい口調でレイラを諫めるライル。それを聞いてレイラがしゅんと落ち込んだ顔を見せた。どうやらライルが言わんとしている事を即座に理解したらしい。
「姫様は聡明な御方、私の言う事を理解して頂き恐悦です。この後は誰が来ようとそう簡単にドアを開けたりは致しませぬよう」
 そう言うとライルは少しだけ優しい笑みを浮かべてみせた。レイラが落ち込んでいるのを見て、少し可哀想になったからだ。
「姫様、今宵で全ての決着をつけてみせます。どうか我らを信じてお待ちくださいませ」
「信じますわ、ライル様。でもお気をつけくださいませね」
「ありがたき幸せ」
 レイラに向かって頭を下げると、ライルは静かにドアを閉じる。それから近くにいた衛兵を呼び、改めてレイラの部屋の警護を命じてから今度は国王の寝室へと向かおうと足をそちらへと向けた時だった。突然、遠くの方から剣と剣が打ち合うような音が聞こえて来たのだ。
(何だ? まさか奴が現れたのか?)
 剣戟の音が聞こえてくる方へとライルは走り出した。途中途中で出会う衛兵達には動かないよう申しつけ、彼自身は更に音の大きく聞こえてくる方へと急ぐ。そして彼が辿り着いたところは城の中庭だった。
 そこでは既に何人かの衛兵や近衛騎士、他には魔法衛士が倒れ伏している。その誰もがほとんど一撃で斬り倒されており、この事から相手は相当の使い手だと判断出来た。しかし、逆にその事がライルに違和感を抱かせてしまう。
 彼が昨夜見た賊、吸血鬼と思われる正体不明の賊は蝙蝠と人間を掛け合わせたような姿をしていた。それに怪しげな術を使ってはいたが、直接剣などを手に戦うような事はしなかった。少なくても、こうして衛兵や魔法衛士達はともかく剣の腕前も一流クラス揃いの近衛騎士が一撃で倒せるような実力を持っているようには思えない。もっともこれはライル個人がそう思うだけなのでそうでない可能性は少なくなかったが。
 倒れ伏している衛兵の側にしゃがみ込み、改めてその傷を確認するライル。まさしく一刀両断。持っていた槍も真っ二つにされている。更に近くに倒れている魔法衛士に向かうとこちらも先程の衛兵と同じく一刀両断にされていた。おそらく魔法を使う暇すらなかったに違いない。魔法衛士に任命されるぐらいなのだからかなり優秀な魔法使いのはずなのだが、そんな人物が詠唱すら出来ずに斬り殺されている。容易ならざる相手、自分では勝てるかどうかも怪しい相手だと認識せざるを得ない。
「ら……ライル様、後ろ……」
 不意に聞こえてきた弱々しい声にライルがすぐさまその場を飛び退いた。直後、彼のいた場所を何者かの剣が横薙ぎに通過していく。もし後数瞬でも遅ければ彼の首と胴は離れ離れになっていただろう。
 何とか不意打ちをかわす事の出来たライルはすかさず腰に帯びている剣を引き抜き、誰何の声をあげる。
「何者だ!?」
 相手は答えない。空は厚い雲に覆われており、月明かりはおろか星の光すらない。おまけにこの中庭に焚かれていたはずの篝火も全て消え失せてしまっている。つまりはライルの方から相手の顔はよく見えていないのだ。完全な闇ではないにしろ、相当暗い。わかるのは相手が剣を手に持っていると言う事ぐらい。
(くっ……何者かはわからんが……やるしかない!)
 こんなところでむざむざと殺される気はライルには毛頭無い。手にした剣を構え、ライルは闇の中にいる襲撃者に向かっていった。
 前に足を踏み出しながら剣を横に薙ぐ。相手が何者かはわからないが、出来れば殺さずに捕獲したい。それが出来れば国王を狙った賊の正体、もしくはその手がかりが掴めるかも知れないからだ。
 しかし、無傷で、とは考えない。相手はかなりの剣の使い手だ。下手に無傷で捕らえようとすれば、逆に殺されてしまうだろう。死ななければいい。そのくらいの考えでライルは剣を振るう。
 初めの一撃はかわされた。相手が後ろに下がってその切っ先をかわしたの察すると、更に一歩踏み込んでいく。今度は後ろに下がってもかわされないように剣を突き出しながら。
「……!」
 防御を考えないその突きに相手は少なからず驚いたようだ。だが、すぐさまライルの剣を右に動いてかわすと手にした剣を振り上げ、彼の首へと向かって振り下ろした。
 首筋に迫る殺気を纏った白刃にライルは身体を沈み込ませながらあえて突っ込んでいく。剣をかわすと同時に相手に体当たりを喰らわせ、相手を吹っ飛ばす。背中から倒れた襲撃者に駆け寄り、手にしている剣を蹴り飛ばしてから、その喉元に剣を突きつけた。
「ここまでだ。抵抗しなければ命までは奪いはしない。少なくても今はな」
 そう言いながら襲撃者の顔を見ようと身体を屈めた時だった。突如、ライルの背後で巨大な炎の柱が立ったかと思うと、その炎の柱が彼に向かって迫ってきたのだ。
「くっ!」
 背中に迫る圧倒的な熱量を感じたライルは思わずその場から横へと大きく飛び退いていた。履いているブーツの底を炎の柱が炙っていく。
 芝生の上に倒れ伏したライルがすぐさま身体を起こすと、先程彼が倒した襲撃者が炎の柱に巻き込まれ、黒こげになっているのが見える。飛び退くがもう少し遅ければあそこで黒こげになっているのはあの襲撃者ではなく自分だったかも知れない。
 素早く立ち上がり、ライルは剣を構え直した。あの炎の柱は明らかに魔法によるものだ。と言う事は近くに魔法使いがいるに違いない。そしてその魔法使いが敵である事はほぼ間違いがないだろう。
 未だ燃え続ける炎の柱を背にライルは素早く周囲を見回す。これだけの光源があるのだ。魔法使いの姿が見えてもおかしくはない。
 と、一人の近衛騎士が中庭の隅に立っているのが見えた。先程までの剣戟の音を聞いて、ライルと同じようにここにやってきたのだろうか。とりあえず彼に声をかけようとライルが近寄っていこうとすると、突然後ろにあった炎の柱が消え失せた。その為に周囲がまた一気に暗くなる。
 今まであった明かりが消えた事で目が眩んでしまったライルは改めて警戒心を露わにするが、その直後に腹部に激しい衝撃を受け、大きく後方へと吹っ飛ばされてしまう。一瞬何が起きたのかわからない。わからないまま、背中を芝生に叩きつけられてしまう。
 背中の痛みに顔を顰めるライル。だが、頭上に殺気を感じ、すぐさま横に転がった。次の瞬間、彼の頭があったところに剣が振り下ろされる。
(何だ……賊は一人じゃないのか?)
 始めにライルに襲い掛かってきた賊は魔法による炎で焼き殺された。さっき受けた腹部の衝撃もまた魔法によるものだろう。つまりこれは同一人物の仕業だとわかる。だが、ライルはかなり大きく吹っ飛ばされた。それで倒れ込んだ彼の頭部に剣を振り下ろす事は別人でなければ無理だろう。
(あの吸血鬼……どれだけの人間を支配下に置いたんだ!?)
 スラムの人間の大半を支配下に置いた吸血鬼だ、他にも大勢の人間を支配下に置いていても不思議はない。その中にこれほどの剣技の持ち主や魔法使いがいるのは正直言ってライルにとっても予想外であったが。
 横に転がった勢いを利用して起き上がったライルは牽制とばかりに剣を突き出すが、それはすぐさま打ち払われてしまった。しかもかなり強い力でそれをやられた為、思わず右手から剣が離れていってしまう。
「なっ!」
 吹っ飛ばされた剣の方に目をやったライルの眼前に相手の剣が突きつけられる。
 悔しげにライルが顔を上げ、自らに剣を突きつけている人物の顔を見ると、その表情が一変した。悔しげだったものから一気に驚愕に彩られたものへと。
「お、お前は……」
 これ以上言葉が出てこなかった。有り得ないと言うか信じたくなかったが、しかし、ここにいる人物ならばこの中庭に倒れている大勢のように一刀のもとに次々と衛兵や魔法衛士、そして近衛騎士も斬り倒す事が可能だろう。
「何をやっている……」
 必死に、絞り出すようにライルが声を出す。その時、頭上の黒雲から稲妻が迸った。その光の中、ライルに剣を突きつけている人物の顔が浮かび上がる。
 虚ろで何処か濁った目。自らの意思を感じさせないその瞳でじっとライルを見据え、剣を突きつけているのは――
「何をやっているんだ、フレッド!!」
 ――彼の親友であるフレデリックだった。

Episode Over.
To be continued next Episode.

 
Next Episode Preview.
操られたかつての親友を前にライルが下した決断。
苦悩を振り払い、ライルは蝙蝠人間を追う。
暗闇に覆われる街の中、銀の閃光と共に現れる仮面ライダーに彼は何を思うのか……。
次回、Episode.X Encounter in the dark and approaching poison person

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