まるで血のように赤い空。
 その空に浮かぶ暗雲から時折雷光が姿を見せている。
 そんな空の下、地上は荒涼とした砂漠。草木はなく、ただただ荒涼とした岩と大地が剥き出しになっている。
 その中で不思議なのは紫色をした水晶の柱がまるで木々のように所々に立っていること。それだけがこの荒涼とした世界の中で一際異彩を放っている。
 林立する紫の水晶柱の間を縫うようにして二つの人間と思しき影が走り抜けていく。頭の上から全身を覆うフード付きのローブに身を包んだその人影達はしばらく走った後、巨大な岩山の前へと辿り着いた。
 片方のローブ姿の人物がそっと手を伸ばし、岩山の剥き出しになっている岩肌に触れるとそこに魔法陣が浮かび上がり、継いで大きな洞窟の入り口が姿を現した。
「こっちよ」
 岩山に入り口を作り出したローブ姿の人物がそう言い、もう一人のローブ姿の人物を伴って入り口の中に入る。すると二人の後ろに再び魔法陣が浮かび上がり、再び岩で入り口は塞がれてしまった。
 それを見て後から入ってきたローブ姿の人物が少し驚いたような素振りを見せる。
「大丈夫。ただの目眩ましだから。今となってはあまり意味がないことだけど」
 少しだけ、ほんの少しだけ笑いを堪えるようにもう片方、先にこの洞窟に入ったローブ姿の人物が言い、そしてすぐに奥へと向かって歩き出した。慌てて追いかけるもう一人のローブ姿の人物。
 洞窟の中は薄暗いが、奥の方には何やら明かりがあるらしく歩くのに不自由はなかった。少しの間無言で歩き、二人は大きく広がった空間へと辿り着く。そこは自然に出来た空間ではなく、明らかに人の手が入った空間だった。高い天井、それを支える巨大な柱。奥の方には祭壇のようなものがあり、まるで何かの神殿の内部のような、そんな空間。
 二人がそこにやってくるのを見て、祭壇の向こうから二人と同じくローブを着た人物が数人姿を現した。入ってきた二人と違う点はフードを被っていないと言うこと。そしてその内の数人が自身の身長程もある杖のようなものを持っていると言うことだろうか。
「遅かったな、リム」
 先頭に立つ銀髪の男が二人を見てそう言った。
 それを受けて、今「リム」と呼ばれた方がフードを降ろす。そこから出てきたのは長い栗色の髪の女性だった。
「すいません、彼が……」
 栗色の髪の女性は銀髪の男に申し訳なさそうにそう言うと少し後ろにいるもう一人のフードの方を振り返った。すると、フードを降ろしながらその人物がリムを押しのけるようにして銀髪の男の前へと進んでくる。フードの下から現れたのは黒髪の青年の顔。
「一体どう言うつもりだ、ヨシュア!」
 苛立った声を銀髪の男に向け、彼の胸ぐらを掴む青年。
「まだ終わった訳じゃない! 俺はまだ戦える! こんなところで諦めるつもりか!?」
 怒鳴りつけるようにそう言った青年の顔にうっすらと浮かび上がるルーン文字。それはまるで何かの傷跡のようにも見える。
「少し落ち着きたまえ」
 胸ぐらを掴まれながらも銀髪の男は冷静な声でそう言った。そして自らの胸ぐらを掴む青年の手をゆっくりとした動作で外していく。
「君一人が戦ったところでもう遅い。そのことは君だって理解出来るだろう」
「だがこのまま滅びるのを黙って待つなんてこと出来るか!」
「もう何をしても無駄だ。この世界のマナは尽き果てようとしている。例え奴らを全て倒したとしてもマナの枯渇は止められない」
「だからこのまま諦めるのか!? 何もしないで滅びていくのを待つつもりなのか!?」
 その言葉は銀髪の男にだけ向けられたものではない。その場にいる全ての者に対して向けられた言葉だった。
「あいつらに一矢報いてやろうという気はないのか? お前ら、もうそう言う気概の一つすらなくしてしまったって言うのか!?」
 この場にいる全ての者を奮い立たせようと青年が叫ぶが、誰もが顔を背けるだけだった。そのことに更なる苛立ちを募らせたように青年は彼らに背を向ける。そしてそのまま歩き出した。
「何処に行くつもりだ?」
 銀髪の男がこの場から去ろうとしている青年の背中に向かって呼びかける。
「あいつらをぶっ倒しに行く!」
「無駄だと言っただろう。奴らを倒してももはやこの世界は救えない」
「それでもだ! このまま滅びるのをじっと待っているなんて俺にはできっこないんだよ!」
 決して振り返ろうとはせずに青年は、まるで吐き捨てるように言った。その肩が小刻みに震えているのが見て取れる。
「……君を行かせるわけにはいかない」
 銀髪の男がそう言って手にした杖を青年の背に向けた。続けて静かに呪文を紡ぐ。すると杖の先に何やら複雑な紋様の描かれた魔法陣が現れた。
 男が杖を一振りすると杖の先に現れた魔法陣が青年の方へと飛んでいき、彼の身体をその中心に捉えてしまう。
「くっ!? 何を!?」
 魔法陣に囚われた青年は自分の足が、いや身体が動かないことを知り声を荒げた。
「身封じの魔道。知っているはずよ、あなたも」
 動けなくなった青年にそっと声をかけたのは彼をこの場へと誘った栗色の髪の女性だった。悲痛な表情を浮かべ、彼女は青年の方を見つめている。
「あなたを無駄死にさせるわけにはいかないのよ。だから私はあなたをここに連れてきた」
「無駄死にだと……?」
「今飛び出していってこの地に残る奴らを倒したところで意味はない。この世界に残っているのは奴らにとってもはや必要のない連中だけだ。そのような奴らと共に君を死なせるわけにはいかないのだ、この世界の住人である我らの責任として」
 銀髪の男はそう言うと自らの魔道でその動きを封じた青年の側へと歩み寄っていく。
「ヨシュア、一体何を?」
 青年には銀髪の男が何を言おうとしているのか今一つわからなかった。だが何か重要なことを言おうとしていることだけはわかる。
 と、その時だった。青年と栗色の髪の女性が入ってきた方から爆発のような音が聞こえてきたのは。
「どうやら見つかってしまったようだな、ここも」
 銀髪の男が落胆したようにそう呟くと、彼に続いて祭壇から出てきて今まで一歩も動こうともしなかったローブ姿の男達が一斉に走り出した。彼らは銀髪の男、栗色の髪の女性、魔法陣に囚われている青年には見向きもせずに、そのまま入り口の方へと向かっていく。
「時間はもう残されてはいない。彼らとて魔道の心得はあるが……」
 銀髪の男はそう言って首を左右に振った。そこに聞こえてくる悲鳴と奇声。悲鳴は先ほど入り口に向かった男達のもの、奇声はこの洞窟に入ってきた者のものだろう。
「やはり奴らは……もう時間がない。彼らが命を懸けて奴らを防いでいる間に我らは果たすべき事を果たさなければ」
 銀髪の男はそう言うと青年の身体を拘束している魔法陣を杖の先端で軽く叩いた。すると、その魔法陣は光の粒子となって空気中へと消えていく。それを見届け、銀髪の男は祭壇の方へと振り返った。
「付いてこい」
 ようやく自由になった青年に向かってそう言い、祭壇へと歩き出す銀髪の男。
 青年は少しだけ祭壇へと向かう銀髪の男の方を見てから、意を決したように先ほどローブ姿の男達が走っていた方へと歩き出そうとした。だが、それを栗色の髪の女性が止める。彼女は悲しげな目をして青年を見、そして首を左右に振った。
「……わかった」
 青年は少し不服そうにそれだけ言い、祭壇の方を振り返る。既に銀髪の男は祭壇の上に立ち、青年が来るのを待っていた。
 自分を見下ろす銀髪の男の元へと急ぎ足で向かう青年。
 祭壇の上に上がると銀髪の男は更に奥へと向かって歩き出した。青年も後に続き、更にその後ろには栗色の髪の女性が続く。
 薄暗い通路の中を奥へと進み、やがて三人は大きな石造りの扉の前へと辿り着いた。
「何だ、これは?」
 見上げる程の巨大な石の扉を見て青年が銀髪の男に尋ねる。
「次元門だ」
 銀髪の男は短くそう答えると扉の側にある何やら布を被せられたものの側へと歩み寄った。そして、その布を取り去る。するとそこに現れたのは銀色に輝くオンロードタイプのバイクだった。
「こいつは……!」
 銀のオンロードバイクを見て青年が驚きの声をあげる。
「あなたがこの世界にやってきた時に乗っていたものよ。私たちで多少手を加えさせて貰っているけど、それほど違いはないと思うわ」
 栗色の髪の女性がそう言って微笑んだ。だが、その微笑みもすぐに消える。自分たちが通ってきた通路の方から足音が聞こえてきたからだ。その乱雑な足音はおそらくはこの洞窟に侵入してきた敵のもの。
「もう説明している暇もないようだ。早くそれに乗れ。次元門を開く」
 栗色の髪の女性と同じく銀髪の男もこちらへと迫ってくる足音に気付いたらしい。険しい表情を浮かべると杖を扉の方へと向け、呪文を唱え始めた。
「一体どう言うことなんだよ? リム、お前説明出来ないのか?」
 銀のバイクに乗りながら青年が栗色の髪の女性に尋ねる。何が何だかわからないが、とりあえずこの状況にただ流されるわけにはいかない、と考えたからだ。
「私もヨシュアから聞いただけなんだけど、奴らの本隊はこの世界のマナの大半を使って別の次元への扉を無理矢理作り出したの。その所為でこの世界のマナが枯渇して……」
 頻りに通路の方を気にしながら栗色の髪の女性が口を開く。もし、この場に奴らが現れたならば自分が身体を張って奴らを止めなければならない。決して銀髪の男の邪魔をさせてはならないし、この青年をこの場に留まらせて戦わせるわけにもいかないからだ。
「もうこの世界は助からないわ。でも奴らを放っておく訳にもいかない。この世界のように他の世界を征服させて滅ぼさせるわけにはいかないのよ。この次元門は別の世界、例えばあなたのいた世界のような別の世界とこの世界を繋げる為のもの……」
「まさか……俺に……?」
 栗色の髪の女性が何を言いたいのか、青年にもだいたい見当が付いた。
 この世界のマナを奪い尽くし別の次元世界へと消えた奴らを追って、この世界と同じようなことにさせない為にその野望を阻止する。その役目を彼に担わせようと言うつもりらしい。
 青年が自らに何を期待されているかを理解したのを見て、栗色の髪の女性は優しく微笑みながら頷いた。
「だけど、俺は……」
「あなたなら大丈夫、出来るわ。確かにこの世界は守れなかった。でもその苦い経験はきっとあなたを強くするはず」
 栗色の髪の女性はそう言うと青年の側から離れた。そして懐からまるで指揮棒のような杖を取り出す。
「リム、何を?」
「ここは私が死守するわ。あなたは……」
 振り返って微笑む栗色の髪の女性。
 と、彼女の前に不気味な容貌の怪物が姿を現した。太った豚のような醜い顔、粗末な毛皮で出来た衣服を身につけ、手にはやはり粗末な作りの蛮刀を持っている――この世界を滅びへと導いた邪悪の先兵、オーク兵だ。
 素早くそちらの方へと向き直り、栗色の髪の女性が呪文を紡ぐ。続いて手にしている杖を一振りすると、オーク兵の前に魔法陣が現れた。
 先ほど銀髪の男が青年の身体を拘束したものとは描かれている紋様が違っている。この魔法陣は物理的な障壁となり敵であるオーク兵の侵入を止める為のもの。足止めをする為の魔道だ。
 事実、オーク兵は目の前に現れた魔法陣に阻まれ、そこから一歩も先へは進めていなかった。
「リム!」
「あまり長くは保たないわ。この世界のマナはもう尽き果ててる。私たちの使う魔道もマナを使っている以上……」
 心配そうに声をかけてくる青年にそう答え、栗色の髪の女性は再び杖を振るう。オーク兵の足を止めている魔法陣のすぐ後ろに新たな魔法陣が現れた。しかし今度のものは先ほどのものよりは小さく、放っている光も弱い。
「……俺も戦う!」
 青年がそう言ってバイクから降りようとしたが、それを栗色の髪の女性が杖を持っているのとは逆の手で制した。
「忘れないで。あなたにはやるべき事がある。少なくても今ここで戦うことではないわ」
「だが!」
「大丈夫。オーク兵ぐらいなら私でも足止め出来るから」
 彼を安心させるようにそう言う女性だが、その額には大粒の汗が浮かんでいる。本来魔道を使うにはマナが必要だ。だがそのマナが枯渇しかけている現状では今発動している魔道を維持するだけでも精一杯、足りない分は自らの身体の中にあるマナを使っているぐらいだ。
 通路全体を覆う一つ目の魔法陣が徐々に光を失い、遂に消えてしまう。それを見たオーク兵がこちら側に飛び込んでこようとするが、それをもう一つの魔法陣が防いだ。
「ヨシュア! 急いで!」
 栗色の髪の女性がまた杖を一振りして新たな魔法陣を生み出しながら、銀髪の男の方へと叫んだ。その声に余裕はない。事実、彼女が生み出した最新の魔法陣は二つ目のものよりも更に小さく、その光も薄い。彼女の体内のマナも限界に近いのだ。
「リム!」
 彼女のことを気遣ってか、青年がまたバイクから降りようとする。だが、その彼の前で今まで閉ざされていた石造りの扉がゆっくりと、その内側から眩い光を放ちながら開き始めた。
「次元門が開いた! 急げ! そう長くは維持出来ない!」
 銀髪の男が青年の方を振り返りながら叫ぶ。栗色の髪の女性と同じく彼の声にも余裕はなかった。更に加えてその顔色も悪い。蒼白と言っていい程だ。
「しかしリムが!」
「彼女に構うな! 君は自分の果たすべきことを果たせ!」
 まだ躊躇いを見せる青年に向かって銀髪の男が鋭く叫んだ。
「行って、将吾! ここは大丈夫だから!」
 栗色の髪の女性も銀髪の男と同じように青年に向かって必死の声で叫ぶ。彼女の顔色もかなり悪くなってきていた。もはや限界なのだろう。それを必死に気力だけで持ち堪えさせている、そう言う感じだ。
「……行けるわけがない! お前らを見捨てて俺一人が……!」
 青年が悲痛な声で叫び返すが、彼の側にいた銀髪の男がそれは違うとばかりに首を左右に振って見せた。
「君は我らを見捨てていくのではない。君は我らの願いを託されたのだ。我らの最後の願いを叶える為に君は行くのだ」
 そう言うと銀髪の男は完全に開かれ、光が溢れている扉を指差す。
「行ってくれ、将吾。奴らの為に我らのこの世界と同じような運命を辿る世界があってはならない。奴らを止めることが出来るのは君だけだ」
「私たちのことは気にしないで。気にしてくれるのなら……私たちの思いを受け取って。奴らの野望を食い止めて」
「ヨシュア……リム……!」
 この世界を滅ぼした敵を追うことの出来る次元門を開いた銀髪の男、奴らの残党を必死に食い止めている栗色の髪の女性。二人の顔を見渡し、青年は悔しそうに歯を噛み締めてハンドルを固く握った。一回強く目を閉じてから、何かを振り切るようにカッとその目を開き正面にある光溢れる扉を見つめる。
「奴らがどの世界に行ったかわかるのか、ヨシュア?」
「それはわからん。だが必ず君は奴らと同じ世界に辿り着く。そう確信している」
「わかった。何が何でも奴らを止めてやる」
 青年はそう言うとアクセルを回し、エンジンを噴かした。後はギヤをローに落とせばいつでも発進することが出来る。
 だが、それなのに彼はバイクを発進させることが出来なかった。
「何をしている! もう時間がないぞ!」
 銀髪の男が叱咤する。確かに彼の言う通り、開かれた扉が徐々に閉じ始めていた。完全に扉が閉じてしまうまでそれほど時間はないだろう。
「閉じてしまったらもう開くことは出来ないんだぞ、将吾! 早くしろ!」
「……だが!」
 青年が再び後ろを振り返った。そこにいるのは必死な顔をして魔法陣を維持し続けている栗色の髪の女性。続けて銀髪の男の顔を見る。青年がこの世界に召還されてからこの二人には言い表せない程世話になってきた。今自分がこうしてあるのは二人のお陰だと言っても過言ではない。そんな二人をこのまま、この様な状況下で置いていくことなど青年には出来なかった。
「……将吾、君の気持ちはありがたい。だが、今は迷惑だ。我らのことを思うなら一刻も早く行ってくれ」
 冷たい口調で言う銀髪の男。
 彼の顔を見て、青年は小さく頷いた。そして再びエンジンを噴かすと今度こそギヤをローに入れてバイクを発進させる。
「行け、そして他の世界を、我らの世界に代わって救ってくれ」
 ゆっくりと閉じていく扉の向こうにバイクと青年の姿が消えていく。それを見送りながら銀髪の男が感慨深げに呟いた。
 銀髪の男の目の前で石造りの扉が完全に閉まりきろうとしたその瞬間、何かが滑り込むようにして扉の内側へと飛び込んでいく。
 はっとなった男が振り返ると、そこには蛮刀を振り上げているオーク兵の姿があった。どうやら栗色の髪の女性の魔法陣は打ち破られたらしい。おそらく彼女もオーク兵の手にかかっているに違いないだろう。だがそれでも構わない。もはや我らの果たすべき役割は全て果たしたのだから。
「後は頼んだぞ、仮面ライダー」
 それがこの銀髪の男の最後の言葉だった。

仮面ライダーマギウス
Episode.T A man who came from another world

 小さな森の中、少し開けたところで一人の少年が木製の剣を振るっていた。端から見ると滅茶苦茶に振り回してみるように見えるが、本人的には剣術の練習中なのだろう。だが、我流の為かどう贔屓目に見てもただ単に木剣を振り回しているだけにしか見えない。
「ハァハァハァ……」
 肩を大きく上下させ、荒い息をしながら、それでも彼は木剣を振るのをやめようとはしない。まるで何かに取り憑かれたように必死にトレーニングを続けている。
 少年が一心不乱に木剣を右に左に振り回しているのと同じ頃、その森の入り口付近で立派な栗毛の馬に乗った少女が一人の農夫を呼び止めて何事かを尋ねていた。農夫が森の方を指差すと少女は満足げに頷き、そちらの方へと馬を走らせる。余程乗馬の腕に自信があるのか森の中に入っても馬から下りようとはせず、そのまま目的の場所へと向かっていく。
 しばらく馬を走らせていると、やがて少し開けた場所へと出た。少女はすぐに馬を止めると周囲を見渡した。まるでその場にいるはずの誰かを捜しているようだったが、そこには誰もいないと言うことを悟ると更に奥へと馬を走らせる。
 この森のことを少女はよく知っていた。幼い頃はここでよく泥だらけになるまで遊んでいて親に怒られたものだ。だから、この先に何があるかを彼女はわかっている。先ほどの場所に目的の人物がいなければ何処にいるのかさえも。
 少しの間――彼女が森の入り口から少し開けた場所へと辿り着くよりも短い時間――馬を走らせ、その視界の先に太陽の光を美しく反射した湖が見えてくると少女は馬の速度を落とした。
 馬をゆっくりと歩かせながら少女は湖の畔へと来、そして先ほどと同じく誰かを捜すように周囲を見渡した。と、その視界に一人の少年の姿が飛び込んでくる。
 少年は上半身裸になって湖の水を手ですくって顔を洗っている。筋肉など少しもついてないような華奢な体つき。腕もか弱い女性のように細い。女性ものの服を着せれば立派に女性として通用するだろう。もっとも本人はいやがるだろうが。
 しばしの間少女は少年の裸の上半身に見とれていたが、やがて我に返ったかのように頭を強く左右に振ると急にムスッとした顔になる。
「ルイン! ルイン=ヴェルド=サンドリュージュ!!」
 少女が強い口調で言う。
 その声に顔を洗っていた少年がはっと顔を上げた。それから声の主を捜すようにキョロキョロと周囲を見回す。やがて馬に乗った少女の姿を見つけると少年は明らかに驚いたような表情を浮かべた。
「シャルル……どうしてここに?」
 慌てた様子で、それでも必死に狼狽しているのを隠すように――果たしてそれが成功しているのかどうかは別問題だが――少年は馬上の少女に向かって声をかける。こんなところに彼女がいきなり現れるとは思っていなかったからだ。
「どうして? 何を言っているのよ! 今日は私の遠乗りに付き合ってくれる約束だったじゃない! いつまで経ってもあんたが迎えに来ないから私の方から出向いてあげたのよ!」
 私は不機嫌ですよ、と言うことを殊更アピールするように一気に少女は少年に向かって言い放った。ついでに彼を思い切り睨み付けることも忘れない。
 少女のあまりに厳しい視線に少年はタジタジになる。だが、それでも一応弁解を試みてみようと口を開いた。
「あ、あのさ、遠乗りの約束って確か明日じゃなかったかなぁと」
 そう、自分の記憶が確かならば彼女との約束は翌日のはずだ。屋敷の自分の部屋にあるカレンダーにも印がついてあるのは翌日の日付。自分の勘違いと言うことはおそらくないはずで、もしそうならば約束の日を勘違いしているのは。
 彼女もそれに気付いたようで、一瞬にして顔を真っ赤にするが、すぐさま気を取り直したようにまた少年を睨み付けて怒鳴ってきた。
「き、気が変わったのよ! いい! 遠乗りに行くのは今日! さっさと準備してきなさい!!」
 少女は顔を真っ赤にしながらそれだけ言い放つと、馬を返して森の中へと消えていった。
 その場に残された少年は少しの間ぽかんとしていたが、やがて我に返ると大慌てで彼女を追うようにして森の中へと駆け戻っていく。だが、すぐに湖の畔へと戻ってくると手近な木の枝に引っかけておいた上着のシャツと置きっぱなしになっていた木剣を拾い上げてからまた森の中へと戻っていった。

 少年の名はルイン=ヴェルド=サンドリュージュ。
 この地方の領主、サンドリュージュ家の三男坊。御歳十六歳。
 サンドリュージュ家はかつて起きた戦争で名をあげ伯爵の位を王家から貰い受け、その後は王家の近衛騎士団に何人もの優秀な騎士を輩出している武門においての名家だ。事実、ルインの父親は現役を退いたもののかつては近衛騎士団の団長を務めていたし、二人の兄も長兄は近衛騎士団の副団長、次兄は王都警備隊の一部隊を率いる隊長を務めている。
 そんな父親や二人の兄に比べてルインはどちらかと言うと病弱だった母親に似た為か線が細く、とてもではないが武門の一族としては見えなかった。本人もそれを気にしているらしく、人知れず努力を重ねているのだが、その華奢な体つきが災いしてかその努力はなかなか実にならないでいる。
 それはさておき、森から出た彼は大急ぎで屋敷に戻ると大慌てで乗馬用の服に着替え、馬小屋へと飛び出していった。そこでは先ほどの少女がやっぱりムスッとした顔で彼が来るのを待っている。彼女はルインが来たのを見ると、一瞬嬉しそうな顔をするが、すぐにまた不機嫌そうな表情を作った。
「遅いわよ、ルイン! 一体どれっくらい私を待たせる気なの!!」
 少女がそう言ってくるのにルインは苦笑を浮かべるだけだった。下手に何か言い返せばそれの五倍くらいまた怒鳴られるのがわかっているからだ。
「ゴメン、シャルル。これでも急いできたつもりなんだけど」
「言い訳はいいわ! 早くなさい!」
 少女にそう言われてルインは馬小屋の中から自分の愛馬を連れ出した。少女の乗っている栗毛の馬とは違い、彼の愛馬は黒い駿馬だ。
「……相変わらず馬だけはいいのよね」
 ちょっとだけ羨ましそうにルインの黒毛の駿馬を見て呟く少女。
「うちは武門の家系だよ。いざって時に困るだろ」
 少女にそう答えながらルインは黒毛の駿馬に飛び乗った。
「で、今日は何処まで行くつもり?」
「そうねぇ……ルインがぐずぐずしてたからあまり時間もないことだし」
「ひどいなぁ、それ。だいたいそもそもの約束は明日の」
「うるさいわねっ! ほら、行くわよ!」
 少女はそう言うと栗毛の馬を走らせ始めた。それを見て慌ててルインも自分の馬を走らせ始める。

 少女の名はシャルル=ヴィルヌール=ド=カストゥルモール。
 神聖ブリガンダイン王国の現宮廷魔法使いルアーフ=ド=カストゥルモール公爵の三番目の娘。歳はルインと同じく十六歳。
 カストゥルモール公爵家は代々神聖ブリガンダイン王国の宮廷魔法使いを勤めてきた家柄であり、彼女の両親、更に二人の姉も優秀な魔法使いであった。シャルル自身は未だ修行中の身であり、しかし優秀な魔法使いの才能の片鱗は既に見せ始めている。ゆくゆくは神聖ブリガンダイン王国に使える魔法使いとなるであろう。本人もそのつもりでいるようだ。
 そんな彼女とルインは幼馴染みである。互いの父親が王宮に仕えていた縁で幼い時に知り合い、勝ち気で我が儘なお嬢様であるシャルルがルインのことをまるで家来のように従え振り回しつつ、そう言う関係が未だに続いている。

「ねぇ、何処まで行くのさ?」
 前方を走る栗毛の馬へと追いつくとルインは手綱を掴んでいるシャルルに問いかけた。彼女が何処へ行こうととりあえずついていくつもりではあるが、あまり遠くまで行くとなると陽が落ちるまでに帰ってくるのが難しくなる。出来ればそれは避けたかった。
「そうね……」
 軽快に走る馬を操りながらシャルルは左手の人差し指で唇を押さえた。何かを考える時の彼女の癖だ。
 その様子からルインはシャルルが特に何も考えずに馬を走らせていたのだと言うことを悟る。だが苦笑を浮かべるだけで特に何も言おうとはしなかった。下手なことを口にすればその何倍もの文句を言われるのがわかっているからだ。伊達に付き合いが長いわけではない。
「とりあえずブルーニュの森辺りまで行ってみましょうか? あそこぐらいなら陽が沈む前に帰ってこれるでしょ?」
「ブルーニュの森かぁ」
 シャルルの口から出た地名を聞いたルインが顔をしかめた。
「確かあそこには最近ゴブリンの一団が住み着いたって話があるんだけど……」
「そんなに奥にまで行くつもりはないって。それにもしゴブリンとかがでてもあんたがいるじゃない。守ってくれるんでしょ、騎士様?」
「はいはい、わかりましたよ、お嬢様」
 少しからかうように笑顔を見せたシャルルにルインはまたも苦笑を浮かべて頷くしかなかった。
 彼女の口にした「騎士様」と言うのは彼の家が武門で名を成した家柄だということからのちょっとした揶揄なのだが、そんなことを気にするような彼ではない。あくまで新興の貴族であるサンドリュージュ家に対する陰口は多い。しかしそんなことをいちいち気にしていたらやっていけないのも事実であり、ルインもその辺のことは徹底して教え込まれている。
 それよりもシャルルがそれを口にした場合はむしろルインの華奢な体つきに対する揶揄の方が意味合い的に大きいだろう。女性と見間違う程の華奢な体つきに顔立ち、にもかかわらず彼自身は父や兄と同じように武門で身を立てようとしている。シャルルとしてはルインのその細身の身体の方が彼らしくていいと思っているし、どれだけ頑張ってもなかなか上達しない剣術などをやっているよりももっと別のことを頑張った方がいいのではないかと思うのだが、それをきちんと口に出すことがどうしても出来ない。だからああやってからかうような感じになってしまうのだった。

 それからも二人して他愛ないことを話ながら馬を走らせ、目的地であるブルーニュの森へとたどり着く。近頃ゴブリン――猿のような姿の醜悪な小鬼だ。邪悪で人間に対立する人型生物で独自の言語を持ち、粗野ではあるが独自の部族社会を形成している――の一団がこの森に住み着いたと父親が配下の者と話しているのを耳にした。近々そのゴブリンの一団を退治する為に父自らが部隊を率いて出陣するらしいとも。
 この森にある様々なものを得て、それを収入としている領民もいるから領主としては当然のことだろう。何せゴブリンは一匹一匹は弱いが集団で人を襲うのだから。下手に放置していては領民の為にもならないし、何よりも領主としての手腕すら疑われてしまう。ゴブリンなどの人間と対立する種族が跋扈するような土地に人は住まない。領民が自らの領地から去ってしまうことは領主の無能さを露呈することになる。それに領主にとって領民は大事な税収入の源だ。領民がいなければ領主などいてもいなくても同じだろう。
 何にせよゴブリンと遭遇することだけは避けなければ、とルインは思う。剣をとってシャルルを守りきれるかどうかの自信もないし(いざとなればこの身を盾にしても彼女だけは守るつもりではあるのだが)、下手なことをすれば家名にも傷が付く。
「シャルル、あまり奥には行かないように……」
 ルインがそう言ってシャルルの方を振り返るが、そこには既に彼女の姿はなかった。周囲を見回すと彼女はもう森の中へと進んでいるではないか。慌てて彼女の後をルインは追いかけた。
「シャルル! ちょっと待って!」
 大声で前方を行くシャルルに呼びかけ、彼女が馬を止めて振り返るのを見てからルインは自分の馬を彼女の馬と並べた。
「何処にゴブリンの集団がいるのかわからないんだよ? 考え無しに森の中に入ったらダメだって」
 少し咎めるように言うルインだが、そんな彼を見てシャルルはフンと鼻を鳴らす。
「なぁに言ってんのよ。たかがゴブリンの一匹や二匹、それくらいならあんたでも充分何とか出来るでしょ。数が出てきたなら私が魔法で一発どかんとやれば」
 そう言いながらシャルルが両手を大きく広げた。おそらくは自分がいざという時に放つであろう魔法の威力をそれで表しているのだろう。
「それでお終い。あんたのところのお父様が出る必要もなくなるってもんよ」
 言い終わるとニッコリと微笑む。その笑顔はまさしく天使の笑みと言ってもいいだろう、それくらい可憐な笑みだ。心の中で何を考えているのかを想像しなければ、だが。
 何も知らない人間が彼女の天使の笑みを見れば一発で魅了されてしまうだろう。もっとも彼女との付き合いが長いルインにはその笑顔の下に隠された彼女の本性というものが見えてしまっているのであまり意味はない。
「その自信が何処から来るのか僕にはわからないけど」
 実際のところシャルルの使う魔法に彼女の思う程の威力はない。その素質はかなりのものだが、何と言っても彼女はまだまだ修行中の身。使える魔法もそこそこならその威力もそこそこでしかない。それを知っているだけにルインとしてはただ苦笑を浮かべるしかなかった。
「何にせよあまり奥には行かない方がいいと思うよ。危ないからね」
「相変わらず心配性ね、ルインは。まだ陽は高いのよ。ゴブリンだってそうそう出てこないって」
 ルインの忠告を一笑に付し、シャルルはまた馬を走らせはじめた。
 そんな彼女を追ってルインも馬を走らせる。このブルーニュの森は自然に出来たものではなく、植樹によって作られた森なので馬を走らせるだけの道がちゃんと存在しているのだ。しかし、それもある程度のことで、奥に行けば行く程鬱蒼とした森へとなっている。ゴブリン達が住み着いたというのもそんな奥の方だ。
 お転婆で有名でもあるシャルルだが、まさかそんなところまでは行かないだろう。そう思ってルインは黙って彼女の後を追いかけていく。

 しかしルインの予想は見事に外れることになった。シャルルは馬を止めようとはせずにどんどん森の奥へと進んでいくのだ。
 ルインとしてはいつゴブリンが現れるか気が気でないのだがシャルルはまったく気にならないらしくどんどん奥の方へと向かっていく。仕方なさそうにため息を一つつくと、ルインは自分の馬を彼女の馬に並べさせた。それから手を伸ばして彼女の馬の手綱を掴む。
「シャルル、もうこの辺で引き返そう。これ以上は危ないよ」
「何言ってるのよ。この先に確か綺麗な湖があるって前に言ってたでしょ? そこまで行くのよ!」
 そう言って森の奥を指差すシャルル。
 ルインは彼女の言葉を聞いてまた小さくため息をついた。
「違うよ。それは君が来た時に僕がいた森のこと。このブルーニュの森の奥には湖なんかないよ」
「え?」
 少し呆れたようなルインの言葉にシャルルが一瞬ぽかんとした顔になる。どうやら約束の日を間違えたことに続いて、二度目の勘違いをしていたようだと彼女が思い至ると同時にその顔が羞恥のあまり真っ赤になる。
「う、うるさい!」
 真っ赤になったまま、シャルルが怒鳴った。
「うるさいうるさいうるさい! いいからあんたは黙って私の言うこと聞けばいいの!」
 一気にそう言い放つとルインの返事も待たずに彼女は再び馬を走らせ始める。それがあまりにも突然だったのでルインは一瞬反応しきれず、だがすぐに気を取り直すとすぐさま彼女の馬を追いかけた。

 カッとなったまましばらく馬を走らせていたシャルルだが、周囲に差していた光が段々少なくなり薄暗くなってきたことで、徐々に不安感が心の中にもたげてきた。先程はついつい恥ずかしさのあまりそれを誤魔化すように怒鳴りつけ、ルインをおいてここまでやって来てしまったが、本当ならばこれほどまで森の奥にやってくるつもりはなかったのだ。
 何と言うか意地っ張りな自分はカッとなるとついつい後先考えずに行動してしまう悪い癖を持っている。それが後々悪い結果を生むと自分でも一応わかってはいるのだが、なかなか治らない。特に直そうともしていないのだが。その理由はだいたいにおいてシャルルの暴走に巻き込まれ、その後始末をする羽目になるのがルインだから、と言うこともあるだろう。
 幼馴染みの気安さか、シャルルは他人はともかくルインを自分の我が儘、暴走に巻き込むことを特に厭わない。それどころかかなり強引に巻き込んでいくことが多い。何だかんだで彼のことを信頼していると言うか、役に立つ子分とでも思っているのか。
 それはさておき、周囲がより鬱蒼とした森の中、薄暗くなってきたと言うことで勝ち気な彼女も流石に不安になってきた。例えゴブリンが出てきても自分の魔法で倒せると言う自信があるのだが、魔法を使う為にはそれなりに準備が実用だ。まだまだ未熟な彼女の場合だと魔法を使う為には呪文の詠唱をしなければならず、その詠唱の時間も威力を増そうと思えば思う程長くなる。勿論、その間彼女は完全に無防備になり、その間に攻撃されたら一溜まりもないだろう。
 今、彼女が感じている不安はそう言う類のものだ。余程高位の魔法使い――それこそ彼女の父親のような宮廷魔法使いに代表されるようなレベルの魔法使いだ――でもない限り一人で危険な場所へ行くことはない。彼女は一瞬の羞恥による暴走でそのタブーを犯してしまったのだ。
 馬の歩みを止めて、不安げに周囲を見回すシャルル。何処からともなく、誰かがじっとこちらを見ているような気がしてならない。もうゴブリンの集団の住む領域に侵入してしまっているのかも知れない。もしそうなら、いつ何処から襲い掛かられてきてもおかしくないだろう。とりあえずいつでも呪文の詠唱が出来るように、馬の鞍に結びつけていた小さめの杖を手に取る。
「く、来るならきなさいよ……私の魔法の威力、思い知らせてやるんだから!」
 杖を持つ手がちょっと震えているが、それに構わずシャルルは強気にそう言い放った。チラリと後方を見てみるが、未だにルインは追いついてこない。それほど早く馬を走らせたつもりはなかったのだが、予想以上に距離を開けてしまったようだ。今更ながら自分の暴走っぷりに後悔する。
 とりあえずルインが来るまで警戒を怠らないように、周囲を見回してみる。私は一人でも大丈夫なんだから、だからさっさと追いついてきなさいよ、などと心の中で幼馴染みに呼びかけていると、不意に右手側の茂みががさっと物音を立てた。
「ひぃっ!」
 短く悲鳴を上げて、びくりと身体を大きく震わせるシャルル。恐る恐る右側の茂みの方を見ると、茂みががさがさと揺れている。ドキドキと心臓が早鐘のように鼓動を刻んでいるが、とりあえず杖を茂みの方に向けた。呪文の詠唱を始めようとするが、上手く舌が回らない。
 そうこうしているうちに茂みのがさがさが大きくなってきていた。どうやら近付いてきているらしい。
 この森の中、こんな奥にまで自分たち以外の人間が来ているとは思えない。ただでさえゴブリンが住み着いているのだ、近くの住民は近寄りもしないだろう。と言うことは、今近付いてきているのはゴブリンに違いない。
「よ、よし……ルインが来ないんだったら」
 ゴクリと唾を飲み込んでから改めて杖を茂みの方へと向ける。いつそこからゴブリンが飛び出してきてもいいように心の準備と魔法の準備をし、じっと茂みを睨み付けた。今、準備したのは極々初歩の魔法だ。これなら今の彼女でも呪文の詠唱無しで発動出来る。その魔法ではとりあえず相手を驚かせて追い払うだけしか出来ないが、それでもルインが来るまでの時間を稼ぐことぐらいは出来るはずだ。大がかりな魔法はルインが来てからでもいい。とにかく今は時間を稼ぐこと。
 と、茂みの中から手が飛び出してきた。
「ひいぃっ!!」
 思わず悲鳴を上げてしまうシャルル。
 そんな間に茂みの中から手が、身体が出てくる。やがて茂みの中から現れたのは一人の男だった。
 彼は茂みから出てくると、馬上のシャルルの方を見、それからその場にバタリと倒れてしまう。
「ちょ、ちょっと! あんた!!」
 いきなり茂みの中から現れ、そして目の前で倒れてしまった男を見てシャルルが慌てた声をあげる。
 そんなところにようやくルインが追いついてきた。
「シャルル! よかった、無事だったんだね」
 ルインはそう言うとシャルルの馬に自分の馬を並べる。それからようやく地面に倒れている男に気付いたようで、すぐさま馬から下りて男の側に駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか?」
 倒れた男を介抱しようと男の身体を抱き起こそうとするが、倒れている男の体格はルインよりも遙かによく、彼の力では抱き起こすことは出来なかった。仕方なくルインは未だ馬上のシャルルの方を見上げる。
「見てないで手伝ってよ」
「何言ってるのよ。何で私が……」
「倒れている人を見捨てることが君にとって正しいこと?」
「……わかったわよ! 手伝えばいいんでしょ!」
 ちょっと不服そうにそう言ったシャルルが馬から下り、ルインの方に歩み寄ってきた。彼女からすれば先程散々怖がらせてくれたこの男をどうして助けなければならないのか、更に貴族である自分が何で一般庶民ごときを助けてやらなければならないのか、今一つ納得いかないらしい。
 しかし、ルインに咎めるような目で見つめられては仕方ない。こんな事ぐらいで彼と仲違いはしたくないし、それに貴族の寛容さとかそう言うものを見せてもいいだろう。
「それで、どうしたらいいの? 言っておくけどその人を担げとか言われても無理だからね」
「わかってるって。誰もそんなことシャルルに期待してないから」
 苦笑を浮かべながらルインはそう言うと、立ち上がった。
「とりあえずここじゃどうしようもないから近くの集落まで運ぼう。シャルル、レビテーションの魔法は使えるよね? それでこの人を僕の馬の上に」
 自分の馬を指差しながらそこまで言ったルインだが、不意に聞こえてきたガサリと言う音に身体を強張らせる。非常に嫌な予感がする。今、この森の中には自分たち以外の人間はいないはずだ。今の物音が気の所為とか風の所為でなければ、そこにいるのはほぼ確実にゴブリンだろう。
 ガサガサと葉の擦れあう音が段々増えてくるのを聞きながらルインは腰に帯びていた剣の柄に手をかけた。ちょっと手が震えているが、それでも彼は油断無く周囲を見回す。どれだけの数のゴブリンがここに来ているのか、いつ襲い掛かってくるのか。不安要素だらけだが、それでもシャルルともう一人、この男の人だけは守らなければならない。何と言っても自分は男だし、それにサンドリュージュ家は武門で身を立てた騎士の家系。敵を前にして退くわけにはいかない。
「ちょ……ルイン?」
「ここは僕が何とかする。シャルルはその人を早く馬に乗せてここから逃げて!」
「何とかって……あんた一人で何とか出来る訳なんか無いでしょ! その細腕でそんな剣なんか振り回したって勝てるわけないじゃない!」
 シャルルが怒鳴るがルインは黙って首を左右に振る。
「悪いけど……僕は男なんだ。どれだけ貧弱でもね」
 それだけ言うとルインは剣を引き抜いた。彼の細腕でも存分に振り回せるよう細身の剣だ。その分強度などが犠牲にされているのだが、それでも今ここにある武器はこれだけ。
「早く行って! 囲まれたらお終いだよ!」
 そう言うルインだが、今度はシャルルの方が首を左右に振り、拒否する意思を見せた。
「あんた一人をここに残して私だけが逃げれるわけないでしょ!」
 そう怒鳴るとすぐさま彼の背中に自分の背中を当てた。互いに背中を向き合わせた形になる。
「呪文が完成するまで踏ん張りなさい!」
 言うが早いか呪文の詠唱を始めるシャルル。おそらくこの場を脱する為に彼女の知る最大級の攻撃魔法を使うつもりなのだろう。魔法に関してはからきしのルインでもそれがわかった。一体どれだけの威力があるのかわからないが、今はそれに頼るしかない。その為にも詠唱が終わるまで彼女を守らなければならない。
(僕に出来るのか、そんなこと……いや、やらなきゃいけないんだ!!)
 そう改めて決意するとルインは剣を構え直した。いつ、何処から襲い掛かってこられてもいいように全周囲に気を配る。
 と、彼の前方にある茂みの中から猿のような醜悪な小鬼が飛び出してきた。その姿に一瞬驚くルインだが、すぐさま気を取り直して飛び出してきたゴブリンに手にした剣を振り下ろしていく。
 粗末なボロ布のようなものしか身に纏っていないゴブリンはルインの剣に易々とその身を切り裂かれ、その場に倒れ伏す。ピクピクと断末魔の痙攣をしているそのゴブリンが口を大きく開けて何事かを叫んだ。ゴブリン達が使う独自の言語だとルインはすぐに気付いたがもう遅い。茂みの中から次々とゴブリンがその醜悪な姿を現したのだ。
 新たに現れたゴブリン達は始めに現れた一匹目とは違い、その手に粗末ながらも武器を携えていた。そこら辺にある木を削って作った棍棒、何らかの猛獣の牙をその棍棒に取り付けたピック状のもの、他には石斧のようなものを持っているものもいる。そいつらはじっとルインを見据え、警戒するように距離を置き、それでいて物凄い殺気を全身から立ち上らせていた。
 その殺気を受けてルインは思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう。簡単に言えば気圧されてしまったのだ。
 ルインは騎士の家系に生まれながらもその如何にも貧弱そうな見た目の為か、命のやりとりをするような場に出たことは一度もない。勿論戦場にもだ。だから、自身に向けられる殺気にも慣れていない。これは幾多の命のやりとりの場を経験して慣れていくしかないのだが、まだ若く経験もないルインではどうしようもなかった。
 急に怖くなって、剣を持つ手が震えだす。今すぐにでもこの場から逃げ出したい気分になるが、それをするわけにはいかなかった。今も自分の後ろには自分を信じて呪文の詠唱を続けている幼馴染みの少女がいる。彼女を守るのは自分の役目だ。彼女の信頼を裏切ってはならない。萎えそうになる心に必死にそう言い聞かせ、ルインは勇気を振り絞って剣を構え直した。
「く、来るなら来い! 僕が相手をしてやる!」
 じっと自分の様子をうかがっているゴブリン達に向かって、震える声でそう言い放った。彼的には勇気を振り絞り、且つ自分を奮い立たせる為のものだったのだが、その声は他から見てもわかるくらい震えている。
 それはゴブリン達も同様で、その震えた声から彼が素人であり恐れるに足りないと言うことがわかってしまう。互いに頷きあったゴブリン達が少しずつルインとの距離を詰め始めた。そしてまず一匹、石斧を持ったゴブリンが前に出て彼に飛びかかっていく。
「う、うわぁっ!!」
 物凄い勢いで石斧を振り下ろしてくるゴブリンに対し、ルインはそれを防ぐだけで精一杯だった。何度も何度も間断無く振り下ろされる石斧。必死にルインはそれを細身の剣で受け止める。だが、その行為がいわば自殺行為にも等しいと言うことは彼は理解していなかった。
 この細身の剣はサンドリュージュ家に仕えている刀剣鍛冶がどう見ても貧弱なルインでも扱えるように特別にあつらえたものだ。先程も述べた通り、その強度を犠牲にして彼でも存分に振り回すことが可能な軽さを実現させている。故に今彼がやっているように相手の攻撃を正面から受け止めることなど初めから想定されていないのだ。もっと言うならばこの様に実戦に使用されると言うことすらも。まさしく彼の剣は飾り物に過ぎない。
 しかし、それをルインは知らなかった。だからこそ彼はその剣で必死にゴブリンの攻撃を受け止め続けているのだが、またゴブリンが力任せに振り下ろした石斧の一撃をその剣で受け止めた時、遂に限界が来たのだろう。その細身の剣の刀身が中程から折れてしまったのだ。
「なっ!?」
 折れた剣を見て思わず驚きの声をあげるルイン。それを見たゴブリンが彼に向かって容赦なく石斧を振り下ろしてくる。
 慌てて身を翻しその一撃をかわしたルインだが、勢い余って転んでしまう。そこを狙ってゴブリンが更に石斧を振り下ろしてきた。
「うわぁっ!!」
 情けない声をあげつつも何とか振り下ろされた石斧をかわしたルインは中程から折れ、既に使い物にならなくなった剣を投げ捨て、代わりにその剣を収めていた鞘を手に取った。これならばまだ折れた剣よりもリーチがある。シャルルが呪文の詠唱を完成させるぐらいまではこれで何とか出来るはずだ。そう考えた彼だが、その鞘もゴブリンの石斧の一撃を受けるとあっさりと砕けてしまう。
「くうっ!」
 予想以上にあっさりと砕けてしまった鞘を投げ捨て、ルインは後ろにいるシャルルをチラリと窺い見る。丁度その時、彼女は呪文の詠唱を完成させていた。
 シャルルの周囲に魔力が満ちあふれ、それが彼女の持つ杖の先に収束していく。
「喰らいなさい! ”ブレイズファイア”!」
 そう叫ぶと同時に杖の先から炎が飛び出し、ルインと戦っていたゴブリンを包み込んだ。更に後方でルインと石斧を持ったゴブリンとの戦いを見物していたゴブリン達へも炎は向かっていき、次々と包み込んでいく。
「どんなもんよ……って、あれ?」
 自慢げに胸を張ろうとするシャルルだが、ゴブリン達を包み込んだはずの炎がすぐに消えたのを見て訝しげな表情になる。詠唱は完璧だったはずだ。魔力も今の自分がつぎ込めるほとんど全てを注ぎ込んだ。にもかかわらずゴブリン達は焼け死ぬどころかちょっと火傷をした程度。
 実はこの魔法、シャルルが使うには少しレベルが高かったのだ。単体に対する攻撃魔法ならば今の彼女でも充分使いこなせるのだが、今使用したのは複数を同時に攻撃する魔法。これに使用される魔力はかなりのものが必要で、彼女の場合は発動までは出来たがただそれだけ。ダメージを与えるまでには至らなかったのだ。もっとも今の彼女でこの魔法を発動出来ただけでも充分凄いと言うべきことなのだが、何にせよ今はそんなことを言っている場合ではない。
 ゴブリン達を全滅させられるはずだと意気込んでいただけにシャルルのショックは大きい。そして、ルインも彼女の魔法が最後の頼みだっただけに落胆の度合いは彼女に劣らなかった。しかし、それでも彼は男である。すぐさま立ち直るとシャルルを自分の後ろにかばい、両腕を広げた。
「シャルル、こいつらは僕が引きつける。君はその間に逃げるんだ」
 ルインがそう言うがシャルルは何も答えなかった。ショックのあまり言葉を失っているようだ。
「シャルル! しっかりして! 君はこんなところで死ぬつもりはないんだろ!」
 茫然自失しているシャルルにルインは強い口調で言う。
「言ってたじゃないか! お姉さん達に負けない魔法使いになってお父さんの跡を継ぐんだって! だったらこんなところでボケッとしていていいわけないだろ!」
「ルイン……」
 背中側から聞こえてくるシャルルの弱気な声。普段の彼女からはとてもじゃないが想像のつかない声音だ。それだけショックが大きかったと言うことか。いや、それだけではないだろう。先程の魔法が失敗したと言うことは自分たちが死ぬ可能性が増したと言うことだ。今までそれほど近くに感じることはなかった”死”と言うものが今、現実にそこまで迫っていると言うことに恐怖を覚えているのだろう。
 それはルインとて同じことなのだが、それでも彼は騎士の家系に生まれただけに彼女よりも耐性はある。少し足が震えていたりするが、幼馴染みの彼女を守ろうという意思は強く、この場から逃げようとは少しも思わなかった。
「早く行って! 僕なら大丈夫だから!」
「な、何言ってるのよ。武器も無しで……」
「早く!」
 これ以上シャルルと問答している暇はない。彼女の魔法によって火傷を負わされたゴブリン達は怒り狂っていつ襲い掛かってきてもおかしくない状態だ。逃げるタイミングを逃すと彼女も一緒に殺されてしまう。それだけはどうしても避けたかった。
 だから、ルインはぐっと拳を握りしめ、ゴブリン達に向かって走り出そうとした。たいして筋肉のついていない身体だが、彼女を逃がす間の盾ぐらいにはなるはずだ。そう言うつもりで駆け出そうとした彼だが、その肩を何者かが掴んで引き留めた。
「え?」
 肩に置かれた手はシャルルのものではなく、明らかに男性のものだ。振り返ってみると先程彼が助け起こそうとした男が殺気立った目をゴブリン達に向けているではないか。
 男は無言のままルインを押しのけるようにして前に出ると両腕を顔の前で交差させた。
「ハァァァァァッ!!」
 大きく息を吐きながら交差させていた腕を腰へと引く。すると男の顔にルインやシャルルが見たことのないルーン文字が浮かび上がった。それはさながら傷跡のようにも見える。
 更に男の身体中のあちこちにもルーン文字が光りながら浮かび上がった。続けて男を中心に円を描くようにルーン文字で構成された魔法陣が浮かび上がる。
 その魔法陣が眩い光を放ち、その光の中、男の姿が変わっていく。全身を半光沢の皮のようなものが覆っていき、それが完全に男の身体を包み終わると上半身や腕、足に金属的なプロテクターが装着された。頭部は髑髏と昆虫の頭を混ぜ合わせたような異形で不気味極まりない。その口の部分が開き、鋭い牙が何本も生えそろっているところが覗いた。
「ウオオオオッ!!」
 異形の怪人と化した男が雄叫びをあげてゴブリン達の方へと突っ込んでいった。
 いきなり姿の変化した男に唖然としていたゴブリンの一体が男のパンチを顔面に叩き込まれて、目や鼻、口から血を噴き出しながら吹っ飛ばされる。地面に倒れ、ピクピクと全身を痙攣させるゴブリン。よく見ればその顔面は男の拳の形に陥没していた。たった一発のパンチで頭蓋骨を破壊され、そのダメージは脳にまで達している。恐るべき力だ。
 ゴブリンの血で汚れた拳をそのままに異形と化した男は他のゴブリン達の方を振り返った。そして、髑髏とも昆虫ともつかない頭部がニヤリと壮絶な笑みを浮かべる。
 異形と化した男が浮かべた笑みを見たゴブリン達の表情が変わる。武器を無くしたルインを見てニヤリと笑っていたのが男が異形に変じたのを見て呆気にとられ、そして今は異形の男が浮かべた壮絶な笑みを見て、戦意を全て失ったかのように青ざめている。いや、仲間が一体、一撃で屠られたのを見た所為か。どちらにしろゴブリン達はこの異形を前に戦う意欲を完全になくしてしまったらしい。今にも逃げだそうとしている。
 だが、異形と化した男はそれを許さなかった。地を蹴り、風のようにゴブリンの一体に近寄るとその顔面に膝を叩き込む。そこから着地もせずに身体を捻りながら後ろにいる一体に回し蹴りを喰らわせると一旦着地してから大きく上へとジャンプ、空中から唖然とした様子でジャンプした男を見ているゴブリン達に向かって鋭く重い蹴りを次々と叩き込んでいった。やがて最後の一体に蹴りを叩き込むと、そこを足場代わりにして大きくジャンプし、地に降り立った。
 ゆっくりと立ち上がる異形の男。その後方ではゴブリン達がバタバタと倒れている。
 倒れたゴブリンのどれもが断末魔の痙攣を起こしていた。異形の男の一撃を受け、どの個体もそれだけで致命傷を負ったらしい。ある個体は首が有り得ない方向へと折れ曲がり、ある個体は顔面が陥没していて、様々なところから血を噴き出している。
 そのあまりにも凄惨な光景にシャルルだけでなくルインも思わず顔を背けてしまっていた。だが、ルインはすぐに顔を上げ、異形の男の背中に恐る恐ると言う感じで声をかける。
「あ、あの……」
 その声に異形の男がゆっくりと振り返った。ゴブリン達に向けた壮絶な笑みはもう消えていて、今はまったく表情が読めない。それが余計にルインに恐怖心を植え付ける。
「えっと、その……あ、ありがとうございます」
 そう言ってルインは頭を下げる。どう言う形にせよ、彼に助けてもらったことに変わりはない。礼を言っても間違いはないはずだ。
 異形の男は頭を下げているルインを少し不思議そうな感じで見つめていた。それに気付いたルインが顔を上げる。どうやらこちらの言葉が異形の男には通じていないらしい。果たしてどうしたものかとルインがシャルルの方を振り返った時だった。
 何処からともなく白い糸が飛んできてシャルルの身体を絡め取る。悲鳴を上げる間もなく、シャルルの身体が宙を舞い、そのまま近くの木の枝の上に立っているこれまた異形の腕の中へと収まった。
「フフフフフ……見つけたぞ」
 シャルルを腕の中に収めた異形がルインともう一人の異形を見下ろし、そう言った。ルインにもはっきり何と言ったのかわかったことからこの異形はどうやら言葉が通じるらしい。
「シャルルを返せ! 彼女は関係ないだろう!!」
 ルインがそう叫ぶが木の上の異形はつまらなさそうに彼を見ただけだった。どうやらこの異形が関心を持っているのはもう一人の異形の方らしい。ルインなどそこら辺に転がっている石ころと同じなのだろう、この異形にとっては。
「この小娘は人質だ。この小娘の命が惜しければ……わかっているな?」
 木の上の異形はそう言うと気を失ってしまっているらしいシャルルを小脇に抱えて大きくジャンプした。そのまま別の木の枝の上に降り、そこから更にまたジャンプしてどんどん森の奥へと入っていく。
「ま、待て!」
 森の奥へと消えていった異形を追ってルインが走り出そうとするが、それよりも早く、先程ゴブリンの一団をあっさりと屠った異形が森の奥へと向かって駆け出している。あまりにも突然で、且つ異形の男の足がまるで馬のように速かった為にルインはその背を見送ることしか出来なかった。

 少しの間呆然としていたルインだが、すぐに我に返り、異形の男を追うかのように森の奥へと走り出した。
 彼がシャルルと共にゴブリンの一団に取り囲まれていた場所から少し先まではまだ道らしき道があったのだが、それ以上先へと進むとほとんど獣道としか言いようのない道しかない。大きく張り出した枝や足下を這うように生えている下草に何度も足を取られたりしながらもどんどん奥へと進んでいくと、やがて少し開けた場所へと出てきた。
 そこには粗末ながらも小屋のようなものが建てられていたりしていて、どうやらあのゴブリン達はここら辺りを住処にしていたらしいことがわかる。しかし、今は何の気配も感じられない。
 先程自分たちを取り囲んでいたのが全てだとはとても思えなかったのだが、それでもこの場にまるで気配を感じられないと言うことはあれが本当にこの森に住み着いた全てのゴブリンだったのか。いや、そんなことよりも今はシャルルをさらった異形とそれを追っていったもう一人の異形が一体何処へ行ったのかと言うことの方が優先順位が高い。
 追いかけていった方の異形は途中からシャルルをさらった方の異形と同じく木の枝を伝っていったのか、地面に彼のものらしい足跡は何処にも残っていなかった。おそらくこちらへと行ったのだろうと見当をつけてやって来たのだが、何処にもその気配も感じられない。
(……こっちじゃなかったのかな?)
 そう思って一旦引き返そうとルインが踵を返した時だった。ガサガサと頭上の木の葉が揺れ、そこから一人の男が飛び降りてきたのだ。
 その男は軽やかに着地すると、ゆっくりと立ち上がる。その腕の中には気を失ったままのシャルルが抱きかかえられていた。
「シャルル!」
 男の腕の中のシャルルを見て、ルインが彼の側に駆け寄った。彼女を見てみると特に怪我をしている様子はない。単に気を失っているだけのようだ。
「よかった……」
 幼馴染みが無事で安堵の息を漏らすルイン。
 そんな彼を見てシャルルを抱きかかえている男が何事かを言った。だが、ルインには男が何を言ったのかまるで理解出来ない。使っている言語が違うのだろう。先程声をかけた時も通じなかったことを思い出す。
「あー、えっと、どうすればいいんだろう?」
 とりあえず困ったような顔をルインはしてみた。相手は同じ人間、表情から読みとれるものは変わらないはずだ。そう考えてのことだが、男は彼の表情を見て小さく頷くと抱きかかえていたシャルルを地面へと降ろした。それから自分の額に右手の人差し指と中指を押し当て何事かを呟く。
 その呟きが呪文の詠唱に似ているな、とルインがそう思った直後、男が自分の額に押し当てていた指をルインの額へと押し当てた。少しの間そのままにしていた指を男が放し、それからニヤリと笑ってみせる。
「これで通じるな?」
 男がそう言ったのをルインははっきりと聞き、思わず驚きの表情を浮かべてしまう。
「な、何で……さっきまで通じてなかったのに?」
「種を明かせば簡単だ。お前さんの頭の中からこの世界の言葉に関する情報を読みとらせてもらったんだよ。俺が前にいた世界じゃこれは結構初歩的な魔道だったんだがな」
 男の説明を聞いてもルインには何が何だかわからないままだった。そう言う表情を浮かべると、男は小さくため息をつく。
「やれやれ、説明とかするのは苦手なんだが……」
 そこまで言ってから男は何かに気付いたかのように後ろを振り返った。その表情は今までになく険しいものだ。まるで何らかの危険が差し迫っているかのように。
「フハハハハハハ!!」
 突然響き渡る不気味な笑い声。
 その声にルインが周囲を見回すが、何処にも声の主の姿は見つからない。だが、その声には聞き覚えがあった。先程シャルルをさらっていった異形の声だ。
「さっきは不覚を取ったが今度はそうはいかん! ここで死ぬがいい!」
 それだけ言ってルイン達の頭上から一体の異形が飛び降りてくる。
「危ない!」
 飛び降りてくる異形を見て、男はルインを突き飛ばし、自らも地面を蹴って横へと飛んだ。
 突然突き飛ばされ、為す術もなく地面に倒れたルインが痛みに顔をしかめながら身を起こす。そして彼は見た。標的を失い、ただ着地しただけの異形の更なる変化を。
 両腕の下、脇腹から更に四本の腕が生えて来、全身が黒い毛に覆われていく。その顔面も人間のものから不気味な蜘蛛のようなものへと変わっていく。その姿は蜘蛛人間と言ってもいいようなものだ。
 そのあまりにも不気味な蜘蛛人間の姿を目の当たりにしたルインは思わず言葉を失ってしまった。青ざめた顔のまま、ただじっとその蜘蛛人間を見つめてしまう。
「フフフフフ……ここがお前の墓場だ。死ぬがいい、仮面ライダー!」
 蜘蛛人間は地面に片膝をついてじっと自分を睨み付けている男に向かってそう言うと、地面を蹴って彼に飛びかかっていく。
 男は自分に向かってくる蜘蛛人間を充分引きつけた上で大きくジャンプし、蜘蛛人間をかわした。着地すると同時に蜘蛛人間の方を振り返り、両腕を顔の前で交差させる。
「変身!」
 そう言うと同時に男は交差させていた腕を腰へと引いた。その直後、彼の姿が眩い光に包まれ、異形へと変化する。
 ルインはその様子を呆然とただ見ていることしか出来なかった。もはや何が何だかわからない。完全に理解の範疇を越えてしまっている。今の彼に出来ることと言えば目の前の二人の異形を見ていることぐらいだった。
 そんな状態の彼をたった一人の観客に、二人の異形は対峙する。片や不気味極まりない蜘蛛人間。片や何処か凄惨なものを感じさせる髑髏仮面。
 二人の異形が同時に地を蹴り、互いに向かって飛び出していった。

Episode Over.
To be continued next Episode.


Next Episode Preview.
突如現れた異形に変身する男。
彼は自ら”仮面ライダー”と名乗り、蜘蛛人間と死闘を繰り広げる。
そしてルインはその戦いを呆然と見ていることしか出来なかった……。
次回、Episode.U Invader from the different world

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