空に浮かぶ満月が夜の街を照らし出している。
 その光すら届かぬビルの谷間にその男は駆け込んでいった。そして、すぐさま後ろを振り返り、誰もいないかを確認する。どうやら何者かに追われているらしい。
 追いかけてくる者がいないとわかると男は安堵したように胸を撫で下ろした。だが、それもほんの一瞬のこと、自分が駆け込んだビルの谷間の更に奥の方に人の気配を感じ、驚きの表情を浮かべてそちらを見やる。
 そこには一人の女性が立っていた。見た感じからだけではわかりにくいがその女性が纏っている雰囲気はどことなくまだ少女っぽい。しかし着ている巫女装束の下のボディはかなり成熟している女性のものだった。
「鬼ごっこは終わりかしら?」
 女性が男を睨み付けながら静かにそう言う。
 男は一瞬焦りの表情を浮かべたが、女性が一人だけなのに気付くとニヤリと笑みを浮かべてみせた。彼女一人なら充分勝てる。そう判断したらしい。
「ああ、終わりだ。神に逆らいし鬼使いの一族」
 そう言って男が女性と対峙する。
 少しの間睨み合いが続き、先に動いたのは男の方だった。すっと右手を女性の方に向けて突き出すと、掌から光が飛び出し、女性に向かっていく。
 男の掌から飛び出した光が女性に直撃する寸前、女性は胸元から細長い短冊のようなものを取り出し、自分の前へと突き出す。すると、男の掌から放たれた光がその短冊状のものに当たって拡散して消えてしまう。
「この程度のものが通じるとでも?」
 少し相手を虚仮にしたように女性が言う。
 しかし、男の表情は揺るがない。先ほどの攻撃はまるで小手調べとでも言わんばかりの表情を浮かべて女性の方を睨み付けている。
「擬態を解きなさい。真の姿を見せないままで私を倒せるとは思わない方がいいわ」
「随分な自信だな、鬼使いの娘。だが所詮は人間、自惚れないことだ」
「それはこちらのセリフよ。自分たちの力に自惚れて一体何人のお仲間が滅されたかを思い出しなさい」
 女性はそう言うとまた胸元から一枚の短冊のようなものを取り出した。それは護符。様々な力を封じ込めた符。その符から指を放し、ふっと息を吹きかけると符は鳥のような姿へと変化し、男の方に向かって飛んでいった。
「それと訂正しておくわ。私たちは確かに”神に逆らいし者”だけど”鬼使い”じゃない」
 鳥が男に襲いかかるのを見ながら女性が静かな口調で言う。
「私たちは”鬼の力を得し者”よ」
 女性のその言葉を聞いた男は自分に襲いかかってきていた鳥をガシッと掴み、そして地面に叩きつけてから、改めて女性の顔を睨み付けた。そこに先ほどまでの余裕はない。侮りもない。あるのは驚愕、そして怒り。
「そうか、お前は”鬼神衆”の末裔か」
 確認を取るように男はそう言い、一歩だけ後ろに後退する。
「ならば手加減は無用、と言うことだな?」
「初めからそう言ってるわ」
 男の様子の変化にわずかな緊張を覚えながらも、それでも女性は静かな口調を崩さない。
 それを見た男の口元が歪んだ。笑っている。女性が、ほんの少しだけその身体を緊張させたのがわかったかのように。そして、男の姿が突然変異を始めた。全身の筋肉が盛り上がり、それとは対照的に腕や足は妙なくらい細くなっていく。顔も普通の人間のものから無表情且つ無機物的な仮面のようなものへと変化し、そしてその背中に生える真っ白な翼。
 何とも言えない異形の姿に変化した男を見て、女性は少しだけ表情を変える。何か汚らわしいものでも見たかのように、眉を寄せる。
「何万年と言う時が過ぎてもあんた達の美的センスは理解不能だわ」
 吐き捨てるようにそう言い、女性は符を数枚取り出した。先手必勝とばかりにその符を異形の姿へと変貌した男に向かって投げつける。女性の手を放れた符が光の矢となって異形の男に襲いかかるが、異形の男はその細長い手を一振りするだけでその光の矢を消し去ってしまった。
「そのようなもので倒せるとでも思ったか」
 異形の男がニヤリと笑う。いや、仮面のような表情は一つも動いていない。だが、何となく笑ったように感じられたのだ。
「今度はこちらの番だ」
 そう言って異形の男が細長い手を上に掲げ、一気に振り下ろした。するとそこに三日月状の光が発生し、それが女性に向かって一直線に飛んでいく。
 女性は緋袴の裾を翻しながら横に飛び、三日月状の光をかわすと新たな符を取り出し異形の男の方へと投げつけた。符が今度は青白い火の玉となって異形の男に襲いかかるが、やはり異形の男はその手で青白い火の玉を薙ぎ払ってしまう。だが、今度は先ほどの光の矢と違い、青白い炎は消えず、異形の男の腕に絡み付き、一気に異形の男の全身へと燃え広がった。
「おおおっ!」
 全身を青白い炎に包み込まれた異形の男が悲鳴のような声をあげてよろめく。
 これをチャンスと見たのか女性は数枚の符を取り出すとよろめている異形に向かって投げつけていった。再び符が光の矢となり、異形の男に向かって加速する。
 光の矢が異形の男の身体を貫いた。更に次々と光の矢が異形の男の身体を貫通していく。フラフラと二、三歩よろめいたあげく異形の男がその場に崩れ落ちた。
 未だ消えない青白い炎を纏い倒れている異形の男に向かって女性はゆっくりと近付いていった。あの程度で倒せたとは思っていない。彼ら異形の者の生命力もまた異形なのだ。だからより一層警戒しつつ近付いていく。
 女性の足が後少しで倒れている異形の男に届くところまで来た時だった。今までぴくりともしなかった異形の男がいきなり背の翼を大きく広げ、女性をその翼で弾き飛ばしたのだ。続けてゆらりと重力を無視したような感じで起き上がると自らが弾き飛ばした女性の首を左手で掴む。
「くうっ!!」
 首を掴まれた女性が苦しそうな表情を浮かべる。
「あの程度の術で殺せるとでも思ったか。愚かな」
 異形の男はそう言いながら女性の身体を持ち上げた。そして右手に光を纏わせ、それを女性の顔へと近づける。
「惜しいな。人間にしては美しいが、我らに刃向かった罪は重い。その顔を二目と見られぬようにしてから死なせてやろう」
 何処か楽しげにそう言い、異形の男が光を纏った右手を女性の顔へと更に近づけた。
 異形の男の手が纏う光が放つ熱に女性が顔をしかめる。このままあの手を押し当てられたらその熱で顔の皮膚は焼けただれ、男の言う通り二目と見られぬ顔になることだろう。そして、その上で殺されるのだ。おそらく男は彼女の死体を放置し晒し者にするであろう。焼けただれ、二目と見られなくなったままの顔で放置され、晒し者にされる。これは彼女にとって最大の屈辱になる。そう男が考えているのがわかる。
「巫山戯た真似を……」
 苦しそうに、そして男の手から逃れようと必死に顔を背ける女性だが、それもほんのわずかな抵抗に過ぎない。徐々に男の光を纏った右手が女性の顔に近付いていく。
 その光が女性の顔の肌に触れようとしたその時だった。闇の中から銀光が一閃し、光を纏っていた男の右手が肘の辺りから斬り落とされる。余りにも突然、そして余りにも綺麗すぎる切り口に血すら噴き出すことがない。いや、そもそもこの男に血が流れているのかどうか。
 突然右手を斬り落とされた異形の男が女性の首から手を放し、右側を向いた。そこにある闇の中に先ほど自分の右腕を斬り落とした何者かが潜んでいるかのように。
「……出てこい」
「あー、後ろだ、後ろ」
 鋭く闇の中を見つめて言う異形の男の背中から少し気怠そうな声がかけられた。異形の男が振り返ると、座り込んでいる女性の前にまるで闇に溶け込むかのような黒いコートを着た赤毛の男が何処かつまらなさそうな顔をして立っていた。
「貴様は……」
 異形の男が黒いコートの男に声をかけようとするが、黒いコートの男は異形の男を無視して座り込み咳き込んでいる女性を振り返ってしゃがみ込んだ。
「おーい、大丈夫か、姉貴?」
「く、来るのが遅い!」
「いや、姉貴が動き回るから見つけるのに手間どっちまってさ」
 黒いコートの男はさも面倒くさそうにそう言うと、ニヤッと笑ってみせる。
 一方完全に無視された形になった異形の男はしゃがみ込んでいる二人の方に近寄りつつあった。確実に仕留めることの出来る位置まで移動し、残る左手で二人一気に仕留めてしまうつもりのようだ。
「しかしまぁ、流石は姉貴だな。たった一人で戦おうなんざ、流石は……」
「流石は、何かしら?」
 指をパキパキと鳴らしながら、笑顔を浮かべて黒いコートの男を見つめる女性。返答次第によってはそこからアイアンクローが行くぞ、と言う意思表示だろう。
 それを見た黒いコートの男が顔を引きつらせる。
「い、いや、まぁ、何だ、その……あれだよ! 流石は我が尊敬すべき姉上だなと」
「……本気でそう思ってる?」
「も、勿論ですよ、姉上」
 ジロリと真顔で女性に睨み付けられ、少々どころでなく慌てた様子で答える黒いコートの男。
 その背後では異形の男が左腕に光を宿し、その手を振り上げているところであった。この手に宿っている光にはこの異形の男が放てる最大級の破壊力が込められている。ここにいる二人など跡形も残らずに消し去ることが出来るぐらいの。
「……やめておけよ」
 振り返りもせずに黒いコートの男の声が飛ぶ。
「それを放つよりも先に俺の剣がお前の腕をぶった斬ってるぜ」
 その言葉に異形の男の足が止まる。いや、止められる。黒いコートの男の言葉にはそれだけの迫力が込められていたのだ。
「何なら腕だけじゃない……真っ二つにだって出来る」
 そう言いながら黒いコートの男はゆっくりと立ち上がった。ニヤリと笑いながら異形の男の方を向き、手に持った刀を突きつける。
「もっともこのままお前を見逃すって訳にもいかないんだがな」
 異形の男に突きつけていた刀を降ろし、左手に持ち替える黒いコートの男。その間に異形の男は大きく後方へと飛び下がっていた。着地すると同時に左手に宿していた光を黒いコートの男の方へと投げつける。
 自分の方に向かってくる光を見た黒いコートの男は口の端を歪ませてニヤリと笑うと、左手に持っている刀の柄に手をかけた。そして、光が充分迫ってくるのを待って一気に抜き放つ。すると、彼に向かっていた光が左右に真っ二つに分かれ、そのまま消えてしまう。
「な、何!?」
 思わず驚きの声をあげてしまう異形の男。まさか自分の攻撃をああいう形で防がれるとは思ってもみなかったのだ。それ以前に光を切り裂く刀の存在など聞いたことがない。
「貴、貴様、一体……」
「へっ、姉貴が言ってただろ。”鬼の力を得し者”だってよ」
 何処かつまらなさそうに黒いコートの男は言い、抜いた刀を鞘に収める。
「……そうか、貴様があの……」
 異形の男の全身に緊張が走った。今自分が相対しているこの男の噂を耳にしたことがあったからだ。曰く”神に逆らいし者”、曰く”悪魔の僕”、曰く”天使食いの鬼”……どの噂も異形の男にとってはいいイメージを抱かせるものではない。そう、”天使”である彼にとっては。
「お前らに何て呼ばれてるか何て興味はねぇけどよ、やることさっさとやって帰りてぇんだわ、俺としては」
 やはり面倒くさそうにそう言いながら黒いコートの男が異形の男の方へと近寄っていく。その足取りは軽く、異形の男を警戒しているような感じは全くしない。
 異形の男は再び左手に光を宿すと、その手をこちらに向かってきている黒いコートの男の方に突き出した。再び放たれる破壊の光。
 黒いコートの男が抜刀し、その光を二つに切り裂くが、その先にいるべき異形の男の姿はそこにはなかった。どうやらあの光による攻撃は目くらましのようだ。
「チッ、面倒くせぇな」
 舌打ちしながら黒いコートの男が刀を鞘に収める。そうしながら周囲に視線を走らせ、異形の男の姿を探す。奴らの中には完全に姿を消すことの出来る奴がいると言う話だが、少なくても先ほどまでここにいた奴はそう言うことは出来ないタイプだったはずだ。だから何処かにいる。必ずこの周囲にいるはずだ。
「刀弥! 後ろ!」
 聞こえてきたのは姉の声。
 その声が聞こえるのと同時に黒いコートの男はそのコートの裾をはためかせながら振り返り、同時に抜刀していた刀をそこに叩き込んだ。ガキィンと金属同士がぶつかるような音が響き、黒いコートの男の刀が異形の男の左手の平から伸びた光の剣に受け止められる。
「へっ、なかなかやるじゃんか」
 黒いコートの男は自らの放った一撃を受け止められたと言うのに何処か楽しそうな声を出した。
「面倒くさいけどよ、少しは楽しませてもらえそうだな」
 そう言ってニヤリと笑うと黒いコートの男はくるりと一回転しながら後方へと下がり、異形の男と距離を取って対峙した。今度は刀を鞘には戻さず、右手でその切っ先は異形の男の方に向けたまま。
「行くぜ」
 黒いコートの男の足が地面を蹴る。一気に異形の男との距離を詰め、右手の刀で斬りつけていく。目にも止まらぬ速さの斬撃であったが、異形の男はそれを左手の光の剣で受け止めてしまう。
 ぐいっと力を込めて刀を押し込もうとするが、異形の男は左手一本にもかかわらず黒いコートの男の力を上回る力を発揮しているようだ。ぴくりとも動かない。それどころか、異形の男が左腕を振り、黒いコートの男を弾き飛ばしてしまった。
 その思わぬ力に黒いコートの男の身体が宙に舞う。そのまま壁に叩きつけられそうになるところを素早く足を突き出してその衝撃を受け止め、更に両足をそろえて壁を蹴って大きくジャンプする。空中で大上段に刀を構えて地上にいる異形の男に向かって振り下ろしていくが、異形の男は背中の翼を広げるとすぅっと音もなく後方へと下がっていき、黒いコートの男の斬撃をかわしてしまう。
 黒いコートの男が着地するところを見計らって左手の光の剣を黒いコートの男に向かって射出。それは光の矢となって黒いコートの男を襲うが、黒いコートの男は手にした刀で迫り来る光の矢をあっさりと斬り捨てた。続けて異形の男に向かって駆け出す黒いコートの男。
 異形の男は背中の翼をはためかせて後退する。だが、それよりも黒いコートの男の足の方が早いのかその距離がどんどん詰まっていく。
「むうっ!!」
 異形の男の口から漏れる焦りの声。同時に後退を続けていた異形の男の身体が今度は上へと舞い上がった。相手がいくら強くても人間である以上空を飛ぶことは出来ない。そう考えて上へと移動したのだが、黒いコートの男はまるでビルの壁を駆け上がるようにして異形の男を追ってきた。
「オオオッ!!」
 雄叫びをあげながら黒いコートの男がジャンプし、異形の男の頭上へと躍り出た。大上段に構えた刀が異形の男に向かって振り降ろそうとする。だが、異形の男はすっと後方へと移動し、その一撃をかわしてしまった。
「チィッ!!」
 黒いコートの男が舌打ちしながら地面へと落下していく。高さは十五メートル程だが、それでも地面に落ちればただでは済まないだろう。少なくとも先ほどまでのような動きは出来なくなるはずだ。そう判断して異形の男は落下していく黒いコートの男を追いかけるように自らも降下していった。だが、その判断が誤りだったと言うことを彼はすぐに知ることになる。
 地面に降り立った黒いコートの男はそのまま地面を転がり、その衝撃を受け流したのだ。いわゆる受け身を取ったのである。
「何っ!?」
 思わず驚きの声を漏らしながら異形の男が地面に降り立つ。そこに黒いコートの男が飛び込んできた。今度は刀を斬るのではなく突くように、水平にしながら。
 とっさに横に飛び、刀の切っ先を何とかかわす異形の男。着地すると同時に左腕を上から下へと振り下ろす。するとそこに三日月状の光が生まれ、それが黒いコートの男に向かって飛んでいった。
 自分に向かって飛んでくる三日月状の光を手にした刀で叩き伏せ、黒いコートの男が異形の男に向かって踏み出そうとしたが、彼のその行動を予測していた異形の男が背中の翼を殊更大きく広げた。まるで威嚇するかのように。だが、ただ威嚇するだけではなかった。翼から抜けた無数の羽根が彼に向かって襲いかかっていったのだ。
「チィッ!!」
 また黒いコートの男の舌打ちが聞こえてくる。彼は襲い来る羽根を目にも止まらぬ程の速さで次々と叩き落としていた。だが、羽根の数は圧倒的に多く、叩き落とすにも限界がある。宙を舞い、襲い来る羽根の何本かは彼の着ている黒いコートに突き刺さっていた。
「フフフ……」
 必死に羽根を叩き落としている黒いコートの男を見て異形の男が笑い声を漏らした。
「”鬼の力を得し者”と言えどたかが人間風情。神の僕たる我らに敵うはずもない」
 背中に生える羽根を飛ばしながら、その羽根が黒いコートの男の身体にどんどん突き刺さっていくのを異形の男が何処か楽しげな様子で見ている。
「自らの愚かさを噛み締めながら死ぬがいい」
 異形の男がそう言うのと同時に黒いコートの男を襲う羽根の量が増大した。それでも黒いコートの男は必死で羽根を叩き落としていったが、その量の前には敵わず、あっと言う間に全身を羽根で覆われてしまう。
「刀弥!!」
 異形の男の放った羽根に覆われてしまった黒いコートの男を見て女性が叫び声を上げる。
「ふはははは! 愚か者め! たかが人間が我らに勝てると思ったのが間違いなのだ!」
 女性の声を聞きながら異形の男が笑い声を上げた。その目前で異形の男の放った羽根に覆われた黒いコートの男の身体が崩れ落ちる。
 それは文字通り「崩れ落ちる」と言う表現がぴったりの光景だった。まるでそこに人などいなかったように、それは文字通り”崩れ落ちた”のだ。さぁっと地面に広がる白い羽根。そこに一緒に倒れているべき人の姿はない。
「……!?」
 異形の男が驚愕のあまりに一歩後ずさってしまう。
 驚愕したと言う意味では先ほど叫び声をあげた女性も同様だった。地面に散らばる白い羽根と黒いコートだけを見て、呆然としている。
「忍法、変わり身の術……なんてな」
 その声は異形の男の頭上から聞こえてきた。
 はっとしたように上を向いた異形の男は自分の頭上三メートル程のところに逆さまに立っている男の姿を発見する。いや、よく見ればビルの壁に刀を突き刺し、その峰に足をかけて宙づりになっているだけだ。決して重力に逆らって逆さまに立っているわけではなかった。
「なかなか面白い芸を見せて貰ったぜ。しかし凄いもんだよな。あれだけやってもその羽根が無くなるって事はないんだから」
 少し感心したように逆さまになっている男が言う。だが、異形の男はそれを馬鹿にされた、侮辱されたと受け取ってしまったらしい。左手に光を宿すとそれを男の方に投げつけてくる。
「よっと」
 腹筋運動をするように上体を曲げて異形の男が放った光をかわした男は壁に突き刺している刀の柄を掴むと、刀を壁から引き抜きながら地上へと降り立った。そして白い羽根まみれになっている自分のコートを見て、悲しげな顔をする。
「おいおい、結構高かったんだぜ、これ」
 彼が着ていたコートは白い羽根まみれになっているだけでなく、あまり綺麗でもないビルとビルの谷間の路地の地面の泥に汚れ、更にボロボロになってしまっていた。おそらく修繕するのは不可能だろう。
「姉貴、新しいの買ってくれよな」
 小さくため息をついてから女性の方をチラリとだけ振り返る。
「何言ってんのよ。自分で招いたことでしょう」
 少々ムッとしたような感じで答える女性。先ほどの一瞬、彼がやられたと思ってしまい、思わず不安と悲しみに襲われていただけにその反動もあるのだろう、その声には余計に棘がある。
「こんなところに追いつめなけりゃこうなることはなかったと思うんだが……」
 そう言いつつも、これ以上は何を言っても無駄だと言うことは彼自身がよくわかっていた。下手に文句を続けると後で制裁を喰らわされてしまうだろうと言うことも、長年の付き合いでよくわかっている。
「まっ、しゃあねぇか」
 わざとらしく、女性に聞こえるようにそう言いながら異形の男の方に向き直る男。そして、ニヤリと笑う。
「種明かしが欲しそうな顔してるな?」
「何!?」
「だが教えねぇ。教えたら面白くねぇからな」
 手に持った刀を構え直しながら異形の男をじっと見る。そろそろ決着をつけるべきだろう。少々遊びが過ぎた。この調子だと朝起きてからが辛い。それにコートを台無しにされた分もある。
「刀弥、そろそろ決めなさい」
 背後にいる女性からも催促の声が飛んできた。
「やれやれ、しゃあねぇなぁ……」
 そう言いながら男は構えた刀を鞘に収めた。継いで、どこからともなく角の生えた仮面を取りだし、それを自らの顔にあてがった。
「”鬼身招来”」
 仮面から手を放すと同時に、呟くように男がそう言う。次の瞬間、男の足下に光が走った。その光が地面に六芒星を描き、更なる光を放つ。余りにも眩いその光に思わず異形の男は手で顔を覆ってしまう。
 光が収まり、異形の男が顔を覆っていた手をどけると、目の前には男の姿はなく、代わりに一体の鬼が立っていた。西洋風のものと日本のものとを折衷したような鎧に身を固め、顔を覆う仮面はまるで怒りの形相を思わせる。その額からは二本の鋭い角が天に向かって伸びており、燃えるような赤い長髪はまるで鬣のようだ。それに体格も黒いコートを着ていた男と比べて一回り以上大きくなっている。
「……き、貴様が……”天使食いの鬼”……」
 自分の目の前に立つ赤い鬣の鬼を見た異形の男が呆然と呟く。その声音には恐れと驚愕が少なからず込められていた。
「さぁ……終わらせるぜ」
 赤い鬣の鬼がそう言い、手に持った刀を異形の男の方に突きつける。何時の間に抜き放たれていたのか。その刀も黒いコートを着ていた男が持っていたものとはその形状を違えていた。その刀身はより長く、より分厚く、より鋭利になっていた。それはもはや刀と言うよりも大太刀と言うべき代物だろう。
「お、おのれ!!」
 異形の男が左手に光を宿し、それをすかさず赤い鬣の鬼に向かって投げつけた。
 赤い鬣の鬼はそれをかわそうともせず、ただ、刀を持っていない方の手であっさりと払いのけた。そして、力強く一歩踏みだし、異形の男を睨み据える。
「オオオオオッ!!」
 鬼の口から漏れる雄叫びと共に赤い鬣の鬼の身体が宙を舞った。大太刀を振り上げながら異形の男へと迫っていく。
 異形の男は自分に向かって飛んでくる赤い鬣の鬼に向かって必死に破壊の光を放つが、完全に気圧されてしまっているのかそれは異形の男が思うような威力を発揮せず、鬼が身に纏っている鎧の表面にぶつかっては霧散していくだけだった。
 そして、鬼の持つ大太刀が一閃する。
 その一撃は異形の男の身体を、右肩から左の腰へと、真っ二つにしていた。
「う、うぎゃあああっ!!」
 自らの身体を真っ二つにされた異形の男が断末魔の悲鳴を上げながら白い炎に包まれていく。
 異形の男を真っ二つにした赤い鬣の鬼は、白い炎に包まれている異形の男をバックにその大太刀を鞘に収めていた。それから大きく息を吐く。
「き、貴様ら……このままで済むと思うな! 神に逆らいし者がどう言う運命を辿るか」
「そんなことは百も承知よ」
 白い炎に包まれた異形の男の最後の言葉を遮るように女性がはっきりと言う。
「それでも私たちはやめないわ。私たちは人の未来を信じているもの」
「おおおおっ!!!」
 これで終わりだとばかりに女性がきつく異形の男を睨み付けると、異形の男を包んでいる白い炎が更に勢いを増し、異形の男の身体を焼き尽くした。文字通り、”跡形もなく”完全に焼き尽くしたのだ。
 それを見た女性は小さく息を吐くと、赤い鬣の鬼の方を振り返った。だが、そこに赤い鬣の鬼の姿はなく、代わりにボロボロのコートを拾い上げて情けない顔をした男が居るだけだった。
「あ〜あ、結構気に入っていたのになぁ……」
 そう言ってため息をつく男。
「……ご苦労様、刀弥。さて、それじゃ帰るわよ」
 そんな彼の肩を叩きながらそう言い、女性は歩き出した。
 男はもう一度ため息をつき、それからボロボロのコートを脇に抱えると女性の後を追うように自分も歩き出す。ビルとビルとの谷間を抜け、夜の街の中へと。
「なぁ、マジで金出してくれない?」
「ダメよ。さっきも言った通り自分で招いたことなんだから」
「ハァ……助けになんかこなけりゃよかった」
「何か言った?」
「何でもございません、姉上」
 つい先ほどまで異形の怪人と戦っていたとは思えないような、そんな感じの会話をしながら二人の姿は夜の街へと消えていった。

 翌朝。
 住宅地を抜けて少し行ったところにある河川敷の桜並木のところに昨夜異形の男と戦っていた男女の姿があった。二人とも昨夜とは違い、ごく普通の制服姿である。
「もうそろそろ来る頃ね」
 腕時計で時間を確認しながら女性が呟く。その隣では男が大きく口を開けて欠伸をしていた。
「しっかしいつもの事ながら何で俺たちの方が先に来てるんだかな。あいつらの方がよっぽど平和に過ごしているはずなのによ」
「あの二人の前でその話は無しって言ってるでしょ。絶対に巻き込んじゃいけないんだから。わかってる?」
「わかってる、わかってるよ。俺だってあいつらをああいうややこしい話に巻き込みたいとは思ってないさ」
 そう言って男が目を伏せる。
 本音を言わせてもらえれば自分だってあんな戦いをやるのはご免被りたい。だが、誰かが戦わなければこの世界が、人類の未来が閉ざされてしまう。そう言われて、そして自分こそがそれを止める力があると言われてしまったらやるしかない。嫌だと言ってもやらされるのは目に見えていたし。
 薄く目を開けて隣に立っている女性の方を見る。同じ血を分けた実の姉。だが纏っている雰囲気は大分違う。凛とした涼やかなる風。それがこの女性ならば自分は少しよどんだ生暖かい、気怠げな風だろう。だが、それはこの女性の表面にしか過ぎないことを彼はよく知っている。その内側は激しさと荒々しさと唯我独尊に満ちている。
(女は化けるって言うが本当だねぇ〜)
 決して口には出さない。出した瞬間何らかの制裁を加えられる。だが、うっかり表情に出ていたのだろう、女性の表情が険しくなった。そして、女性の手がすっと伸び。
「いでででででっ!!!」
 いきなり耳を思い切り引っ張られて男が悲鳴を上げた。横を見ると彼の耳を引っ張っている女性が実に嫌な笑みを浮かべているのが見える。
「お、お姉さま……?」
「なぁに考えていたのかなぁ、刀弥君?」
「いやいやいや、いつ見てもお姉さまはお美しいなぁと」
「本当にそう思っているなら許してあげるわ。でも、そうじゃないなら……わかってるわよね?」
 にっこりと笑みをたたえながら言う女性。だが、笑っているのは表面上だけのことで、心の中では全く笑っていないことがわかる。笑っていないどころかかなり不機嫌、はっきり言ってしまえば怒っている。
「あ、姉貴、いた、いた、ち、ちぎれるって……」
 余りもの激痛に悲鳴すら上げられない。その姿はとてもではないが、昨夜異形の男と互角以上に戦った男には見えなかった。
 と、そんなところに一人の少女が駆け寄ってきた。
「お待たせ、珠里お姉ちゃん!」
 元気のいい声でそう呼びかけてくる少女を見た女性は男の耳から手を放して、今度こそ本物の笑みを浮かべて少女の方を振り返った。
「おはよう、真帆。それに……空也も」
 そう言って苦笑を浮かべる女性。苦笑の理由は少女の後ろにいる大きく肩を上下させながら荒い息をしている少年を見たからだ。おそらく二人を見つけた少女がいきなり駆け出してきたのを必死に追ってきたのだろう。
「何だ何だ、情けねぇな、空也」
 まだ息の整わないらしい少年を見て男がニヤニヤ笑いながら声をかける。
「最近運動不足なんじゃない、空兄?」
 少女も少年の方を振り返って、少し顔をしかめてそう言った。だが、それはどちらかと言うと少年のことを心配している、と言う感じであった。
「お、お前が無意味に元気すぎるんだよ」
 必死に息を整えながら少年が少女に言い返す。
「確かに運動不足っぽいわね、空也は」
 女性がそう言いながら少年の側に近寄り、その顔を覗き込んだ。
「ちょっと鍛え直した方がいいんじゃない? 刀弥と一緒に鍛えてあげるわよ?」
「な、何で俺までっ!?」
 女性の発言を聞いて、少年が何か言うよりも先に男の方が反応する。すると女性は彼の方をジロッと睨み付けた。
「あんたも似たようなものでしょ」
「ご冗談。俺は空也よりも体力あると思うぜ」
「酷い言われようだなぁ」
 ようやく息の整ったらしい少年がそう言って苦笑を浮かべた。
「一応俺はこの歳の高校生の平均ぐらいの体力はあるつもりだよ、珠里姉。真帆が体力有り余ってるって言うか足が速すぎるって言うか」
「そんなこと無いよ〜」
 少女が頬を膨らませて少年に抗議するが少年はあえてそれを無視する。
「それより早く行かないと遅刻になるよ」
「それもそうね。それじゃ行こっか」
 女性が少年の提案に頷いて答え、先頭に立って歩き出した。
 その女性の横にちょこんと少女が並び、その後ろに少年と男の二人が続く。これがこの四人にとってのいつもの光景なのだ。

 この四人はかなり付き合いの長い幼馴染み同士である。それこそ生まれた時から一緒と言うぐらいにその付き合いの歴史は長い。
 女性――神坂珠里を一番上として、その一年下に男――珠里の実の弟の神坂刀弥と、少年――御剣空也、更にその下に空也の家のお隣さんである少女――日向真帆。子供の頃からいつも一緒にいた四人組。リーダー格の珠里にいつも引っ張り回されていた刀弥と空也、そして空也の後ろにいつもくっついてきていた真帆。その構図は未だに変わらない。
 一時期、丁度小学校に上がる頃に珠里はとある全寮制の私立校に通うことになり、その構図が崩れていた頃もあったがそれもこの春におもむろに帰って来、刀弥や空也、そして真帆の居る高校へと編入してきたことでまた復活している。もっとも彼女が帰ってきた真の理由を知っているのは刀弥だけなのだが。

 何が嬉しいのか真帆は終始笑顔で珠里に話しかけている。珠里の方も優しい笑みを浮かべて真帆の話に頷いたり答えたりしている。
 そんな二人を刀弥は少し後ろを歩きながら見つめていた。
(守ってやらなきゃいけないんだよな……あの笑顔を)
 守らなければならないものはたくさんある、と珠里は――姉は言っていた。一番大きいものは人類の未来。だが、刀弥にすればそんなものはどうでもよかった。いや、正確に言えばどうでもいいと言うわけではないのだが、それは余りにも大きすぎて彼の手には負えないと思っているのだ。だから、彼はとりあえず自分の手に届くものを守ろうと決意した。幼馴染みの少女の笑顔や、少し頼りない親友の笑顔を守ろうと。
「……刀弥?」
 隣を歩いていた空也が心配そうな顔をして刀弥の顔を覗き込んできた。どうやら知らないうちに表情が険しくなってしまっていたらしい。慌てて、取り繕うかのように笑みを浮かべる刀弥。
「いやいや、何でもねぇよ」
「……そうか?」
「ああ、ちょっと考え事してただけだって」
「刀弥の考える事って言うことは……」
「きっとあれよ。くだらないことに決まっているわ」
 いきなり珠里が口を挟んできた。どうやら二人の会話を聞いていたらしい。
「勝手に決めつけるなよ。俺だってたまにはまともなこと考えるんだぜ」
 口をとがらせて反論してみるが、姉は何処吹く風という感じで受け流してしまう。
「はいはい、朝っぱらから不毛なこと考えないの」
「だから勝手にそう決めつけんなっての!」
「はいはい、わかったわかった」
「だから、ちっとは人の話を聞けっての!」
「刀弥、もうやめておけよ。珠里姉には言うだけ無駄だってお前もよくわかってるだろ」
 そう言って空也が刀弥の肩に手を置いた。
 よく言えばリーダー格、悪く言えばガキ大将だった珠里には幼い頃から散々引っ張り回されてきた二人だ。少々唯我独尊気味の彼女には如何なる反論も通用しない、と言うことは嫌と言う程思い知らされてきている。それでもあえて反抗しては容赦のない実力行使によって黙らされるのが実弟の刀弥で、珠里にとって可愛い弟分である空也は半ば諦めの境地に達している。後もう一人、真帆に関しては同性と言うこともあってか、かなり甘いのだが。
「いや、ここで引き下がったら一生姉貴に言われっぱなしになる! ここは断固……」
 刀弥がそこまで言った時、横合いから手が伸びてきて彼の耳を掴んだ。そして思い切り引っ張る。
「いだだだだだだだだっ!! ち、ちぎれるっ!! 耳、ちぎれるっ!!」
 思い切り悲鳴を上げる刀弥の耳を何故か嬉しそうな笑顔で珠里が引っ張っている。それを少々引きつった表情を浮かべて見ている空也と、笑っている真帆。
 これが彼らの日常だった。
 刀弥と珠里の守るべき日常。二人が謎の怪人と戦う理由の一つ。

 そしてまた夜が来る。
 巫女装束に身を包んだ珠里がその手に符を持ち、それをまるで彼女から逃げるように前方を走る男の背に向かって投げつける。珠里の手を放れると同時に符は光の矢となり、走る男の背に向かって加速した。光の矢が男の背に突き刺さろうとしたその瞬間、男の着ている服を破って白い翼がその背中に生え、光の矢を弾き飛ばしてしまう。
「ちぃっ!」
 弾かれた光の矢を見て珠里が小さく舌打ちする。
 白い翼を背に生やした男は軽く地を蹴ってジャンプすると、そのまま空へと舞い上がった。そしてくるりと方向転換し、珠里を見下ろす。
「我らを狩る者がいると聞いていたが、どうやら女、お前がその一人のようだな?」
 やけに高飛車な口調で背に翼を生やした男が言う。珠里を見下ろすその視線は鋭く、まるで刺し貫こうとするかのようだ。
「我らを何故に狩ろうと言うかあえて聞くまい。だが、それがいかに愚かな行為であるかを身をもって教えてやろう」
「あんた達って似たような性格の奴らばかりなのね。つい昨日も同じようなこと言っていた奴が居たけど」
 自らを睨み付ける男の視線を悠然と受け止めながら珠里が男に向かって言い返した。こちらは何処か不敵な笑みを浮かべている。
「そいつは私たちが倒させて貰ったわよ」
「フッ、お前達人間風情にやられるような奴は下級。そのような奴と同じだと思って貰っては困るな!」
 そう言った男の姿が変わっていく。頭部はまるで鴉のようになり、全身も黒くなる。その姿はさながら鴉天狗とでも言うべきだろうか。ただ、よく知られる鴉天狗の姿とは違い、全身真っ黒、手の先には鋭い爪を伸ばした異形の姿。その背中に生えている翼だけが激しく違和感を感じさせる程に白い。
「……あんた達って本当にこっちの思いも寄らないビジュアルよね。今まで見たことある天使の絵とかを疑いたくなってくるわ」
 鴉人間――いや、鴉天使とでも呼ぶべきか?――と化した男の姿を見て、珠里が顔をしかめつつ嘆息した。
 あの姿を見て、誰が天使だと思うだろうか。だが、それでも今珠里が対峙している相手は”天使”なのだ。神々の僕たる”天使”なのだ。
「愚か者。自らの行いを恥じ、そして天に帰るがいい……いや、地に帰るべきか?」
 鴉天使がそう言ってニヤリといやらしい笑みを浮かべ、珠里に向かって突っ込んでいく。鋭い爪の生えた手を突き出し、それで彼女を一気に貫こうと言うつもりらしい。
 自分に向かって突っ込んでくる鴉天使を見た珠里はさっと胸元から数枚の符を取り出し、それを自分の前方にばらまいた。すると、その符が宙に固定され、そのそれぞれから光が伸び六芒星を描く。
 珠里の前に現れた光の六芒星に鴉天使が突っ込んでくる。
「そんなもので何が出来る!」
「舐めてもらっちゃ困るわね」
 鴉天使の言葉に余裕綽々と言う感じで答える珠里。どうやら自分の術に彼女は相当の自信があるらしい。事実、突っ込んできた鴉天使は光の六芒星に弾き飛ばされてしまう。
「なっ!? たかが人間風情が……!!」
 自分が弾き飛ばされたと言う事実に驚きを隠せない鴉天使。
「言ったじゃない。舐めてもらっちゃ困るって」
 そう言いながら珠里は新たな符を取り出す。すかさずその符を鴉天使に向かって投げつけると、符は光の矢と化して鴉人間に向かって飛んでいく。
「むうっ!!」
 少し慌てたように鴉天使がジャンプして光の矢をかわした。どうやら先ほど自分の攻撃を弾かれたことで少し警戒しているらしい。
「たかが人間と思って侮っていたらやられるのはあんた。まぁ、そっちの方がこっちとしては都合いいけどね」
 そう言ってニヤリと笑う珠里。だが、内心では少々焦っていた。彼女の力だけでは”天使”を倒すことは出来ない。ダメージを与えることは出来るがどうしても決定力に欠けてしまうのだ。
(全く、何やってるのよ、あのバカは!!)
 ”天使”の攻撃をも切り裂くヒヒイロカネで作られた刀を持ち、鬼としての力を制限時間付きながら自在に操ることの出来る男――神坂刀弥。珠里の実弟で、彼女の知るところ”天使”を倒すことの出来る唯一の男。現代に甦った伝説の”鬼”。
 しかしながらその刀弥は共に行動していない。一緒にいたはずなのにいつの間にか姿を消してしまっていた。だから珠里が一人で鴉人間を追い、そして戦っているのである。
(今度から首に縄でもつけておこうかしら?)
 そんなことを考えながら鴉天使の様子をうかがう珠里。向こうも珠里の様子をうかがっているようで、特に動きはない。どうやら珠里の術者としての能力を警戒しているらしい。先ほどの突進を防いだことが鴉天使にとって余程驚くことだったみたいだ。だが、珠里が動かないことを見て取ると、不意にニヤリと口元を歪めて笑った。
「フフッ、そう言うことか」
 鴉天使がニヤリと笑いながらそう言ったので珠里が片方の眉をぴくりと動かした。
「何よ?」
「フフフ……お前の力は確かに凄い。だが、お前には我らを滅する程の力はない」
 自らの弱点とも言うべき点を言い当てられ、流石の珠里の顔にも動揺の色が浮かぶ。
 それを見た鴉天使が更に顔を歪ませる。嬉しそうに、楽しそうに、珠里が苦況に陥っていくのを心底快さげに。
「だからこそ、お前はこちらを伺っている。どうすればいいのか、いやもう手詰まり。それを理解しているからこそ、もはや打つ手など無いとわかっているからこそ、自分から攻撃してこない」
 ニヤニヤ笑いながら鴉天使がそう言い、鋭い爪の生えた手を挙げて珠里を指差した。
「フフフ……いつまでこちらの攻撃を防げるか楽しみだな、女」
 珠里の表情によりはっきりと焦燥の色が浮かぶ。鴉天使の言う通り、珠里の力は無限ではない。持久戦に持ち込まれれば珠里の方が先に倒れることは間違いない。
「死ね、女! 自らの行いの愚かさを悔いながら!」
 そう言った鴉天使の指先に光がともり、そこから一条の光が珠里に向かって放たれた。その速さはまさしく光の如く、珠里が防御用の結界を作るための符を取り出そうとするがとてもではないが間に合わない。流石の珠里も今度ばかりは自らの命を諦めかけ、思わず目を閉じてしまう。
 だが、すぐに襲って来るであろう衝撃――鴉天使の手から放たれた一条の光が自分を貫く時の衝撃がいつまで経っても襲ってこない。そのことを疑問に思った彼女がゆっくりと瞳を開けてみると、自分の前に真新しい黒のコートを着た男が立っているのが見えた。
「全く、二日続けて出会えるなんて幸運と言うか不運と言うか……ついでに姉貴も二日連続でピンチだし……こっちも不運と言うか幸運と言うか」
 小さなため息と共に黒いコートの男――刀弥が呟く。その手には鴉天使の攻撃から実姉を守った刀が握られていた。どうやら光が珠里の身体を貫く寸前に間に割って入ったらしい。
「ど、何処行ってたのよ!?」
「いや、助けて貰っておいてそれはないと……」
「あんたがいきなりいなくなるからどれだけ苦労したと思ってるの!!」
「いやいやいや、姉上様?」
「ほら、さっさとあいつ倒しちゃいなさい!!」
 全く刀弥の話を聞こうともせずにそう言い、珠里は呆然としている鴉天使の方を指差した。
 刀弥はチラリと姉の方を振り返り、ガックリと肩を落とす。それから鴉天使の方へと向き直り、持っていた刀を突きつけた。
「何つーかよ、悪いな。姉貴の機嫌がこれ以上悪くなる前に倒させて貰うぜ」
 一体何処まで本気なのかわからない口調で刀弥は言い、一歩だけ前に踏み出した。先ほど珠里を攻撃した時のように光を放ってくるかも知れないと警戒したのだが、どうやら鴉天使はいきなり現れ、自らの攻撃をあっさりと弾き返した刀弥に未だ驚き、硬直してしまっているらしい。
「……行くぜ?」
 相手が動かないことを知ると刀弥は猛然とダッシュし、一気に鴉天使に迫り寄った。手にした刀で斬りかかるが、鴉天使は一瞬早く後退してその切っ先をかわしていた。ただかわしただけではない。置き土産とばかりに片手を突き出し、その鋭い爪で刀弥の頬に一条の傷を残している。
「こちらの攻撃を弾き返せた程度で自惚れるな、人間」
 刀弥の頬に流れる赤い血を見てニヤリと笑う鴉天使。だが、すぐにその笑みが硬直した。たらりと胸元から血が流れ落ちたからだ。どうやら先ほどの刀弥の一撃を完全にはかわし切れていなかったらしい。
「舐めてもらっちゃ困るんだよな、こっちも」
 頬を流れる血を指で拭いながら刀弥がそう言い、すっと刀の切っ先を鴉天使の方に向けてニヤリと笑ってみせる。
「言っておくがあんなもんが俺の全力じゃねぇからな」
「フフフ……面白いこと言う。ならば人間、その力を神の僕たる我らに見せてみよ!!」
 鴉天使が背の翼を広げて宙に舞い上がった。そして一気に急降下してくる。先ほど珠里に攻撃した時と同じく鋭い爪の生えた手を突き出しながら、先ほど珠里に攻撃した時と違ってその勢いは桁違いだ。矢のような勢いで刀弥に迫る鴉天使。
 迫る鋭い爪先をじっと見据えながら刀弥は手に持っている刀を構え直した。突っ込んでくる鴉天使の手を左に一歩だけ踏み出してかわし、すれ違い様にその胴を横に倒した刀で切り裂こうとするが鴉天使は身体を回転させてその切っ先をギリギリのところでかわしていく。
「くっ!」
「チッ」
 思わず呻き声を上げる鴉天使と今の一撃をかわされたことに舌打ちをしてしまう刀弥。
 素早く身体を反転させて鴉天使と対峙する。そこに鴉天使の手が突き込まれてきた。鋭い爪の生えた手が刀弥の喉を貫こうと伸びてくる。
 上体を反らせるようにしてその突きをかわした刀弥は、そのまま後ろに倒れ込むようにして蹴りを放った。刀弥の履いているブーツのつま先が鴉天使の後頭部を直撃する。
 地面に手をついて後方へと一回転する刀弥の前で鴉天使がよろめいた。そこに着地したばかりの刀弥が突きを放つ。
 鋭い爪でその切っ先を受け流す鴉天使。同時に回し蹴りを放ち、刀弥を吹っ飛ばした。その蹴りの威力は並のものではなく、刀弥の身体は軽々と吹っ飛ばされてしまう。くるくると身体を回転させながら地面に叩きつけられ、そのまま地面を転がる刀弥。そこに向かって鴉天使が飛びかかっていった。まだ地面の上に倒れている刀弥目掛けて鋭く尖った爪先を振り下ろしていく。
 必死に顔を背ける刀弥。彼の顔のすぐ真横の地面に鴉天使の手が突き刺さる。
「くっ!!」
 刀を握っている手で鴉天使の横っ面を殴り飛ばし、自分の上からどかせると刀弥は素早く、片膝をつきつつも身を起こした。手をつき、四つん這いの姿勢で身を起こした鴉天使の顔面に刀の先を突きつけ、その顔を思い切り睨み付ける。
 鴉天使の視線と刀弥の視線がぶつかり合い、見えない火花を飛ばした。鴉天使の背の翼が大きくはためき、その身体が宙へと舞い上がる。それと同時に刀弥も地面を蹴って大きくジャンプしていた。
 空中で刀弥の刀と鴉天使の鋭い爪とがぶつかり合い、火花を散らす。それも一度や二度ではない。空中でありながらも刀弥は幾度と無く刀を振り、突き、薙ぎ、斬りつけ、鴉天使の攻撃を受け流していく。だが、翼のある鴉天使と違って刀弥は人間だ。いつまでも空中にとどまっていることは出来ない。
 鴉天使の鋭い突きが刀弥を襲う。既に降下を始めていた刀弥はその突きを捌ききれずに、だがそれでも何とか受け止めることには成功する。しかし、その直後に繰り出された鴉天使の前蹴りをかわすことは出来なかった。腹部に蹴りの直撃を受けて吹っ飛ばされてしまう。
「刀弥!!」
 地上にいて、鴉天使と弟の空中戦を見守ることしか出来ないでいた珠里が吹っ飛ばされてしまった弟を見て声をあげる。だがすぐに胸元から一枚の符を取り出して、それを吹っ飛ばされた刀弥の方に向かって放り投げた。
 珠里の手を放れた符は物凄い速さで飛び、吹っ飛ばされた刀弥の真下へとやってくる。それを見た刀弥はニヤリと笑ってから身体を丸めて一回転し、その符の上に降り立った。そしてそこを支点として再び鴉天使に向かってジャンプする。
「姉貴!!」
 宙を舞う刀弥が地上にいる珠里に声をかける。それだけで彼女は弟が何を求めているかを理解した。コクリと頷くと胸元から幾枚もの符を取り出し、それを次々と放り投げていく。彼女の手を放れた符が次々と、まるで意思を持っているかのように舞い上がっていった。
 再び空中で鴉天使と激しい斬り合いを演じていた刀弥は実姉が自分の意図した通りの行動を取ってくれたと言うことを周囲に舞い上がっている符を見て知るとニヤリと笑ってみせた。そして鴉天使の突きを左手で掴み取り、刀を持つ右手で鴉天使の顔に向かってパンチを繰り出す。だが、そのパンチは鴉天使にあっさりと受け止められてしまった。
「その程度か、人間!」
「なぁに、まだまだ」
 何処か余裕を含んだ口調でそう言い、刀弥は鴉天使の腹に足を押し当て後方へとジャンプした。そして、そこにある符の上に着地する。
「ここからが楽しいんだ」
 そう言いながら再びジャンプする。今度は鴉天使に向かってではなく、更にその上にある符に向かって。その符に足をつくと同時にまた別の符に向かってジャンプする刀弥。どうやら大量にばらまかれた符を足場にすることによって鴉天使への攻撃の幅を広げようと言うつもりらしい。
 三、四回ジャンプして鴉天使の後ろに回り込んだ刀弥がようやく鴉天使に向かってジャンプした。上段に構えた刀を猛然と振り下ろすが、鴉天使は一瞬早く刀弥に気付きその一撃をかわしてしまう。
「チッ」
 聞こえてくる刀弥の舌打ち。刀を振り下ろした勢いを受けて身体を回転させ、別の符の上に降り、またジャンプして鴉天使に向かって斬りかかっていく。
 両手の爪を交差させて刀を受け止める鴉天使。
「フッ、飛べないなりに色々と手を考えるな、人間」
「お褒めにあずかり光栄だな!」
 ぐいっと刀を押し込もうとする刀弥だが、鴉天使の腕は微動だにしなかった。それどころか鴉天使が交差させている手を広げ、刀弥を弾き飛ばしてしまう。
「くうっ、この馬鹿力が!!」
 吹っ飛ばされながらもそう毒づき、後ろにあった符を足場にして左にジャンプ。
「そう何度も同じ手が使えると思うな、人間!!」
 いくつもの符を足場にして飛び回る刀弥を見ながら鴉天使がニヤリと笑ってそう言い、手を左右に広げた。その指先に光がともり、そこから一条の光が伸びる。その光はまるでレーザーのように周囲を舞っている符を次々と焼き払っていく。それはつまり刀弥にとっての足場が次々と減っていくと言うこと。
「神の僕たる我らに逆らう愚かな人間よ! 貴様は地に這いつくばるのがお似合いだ!」
 鴉天使が偉そうな口調でそう言い、今度は刀弥にその指先を向けた。そこから光が伸び刀弥を貫こうとするが、何とかギリギリのところで彼は刀でその光を受け止める事に成功する。だが、その勢いまでは消しきれず、大きく後方へと吹っ飛ばされてしまった。その間に鴉天使は残る符を全て指先から放つ光で焼き払ってしまう。
「さぁ、これで貴様が飛ぶ術は失われた。後は愚かな人間らしくその罪を悔いながら死ぬがいい」
 何とか地面の上に降り立った刀弥を見下ろしながら鴉天使がそう言った。その態度には既に勝ち誇った、余裕綽々と言う感じが溢れている。
 そんな鴉天使を見上げていた刀弥はため息をついて、肩を竦めた。
「やれやれ、まだこっちは全力を出しちゃいないってのにな」
 そう呟くと刀を鞘に収める。継いで、どこからともなく角の生えた仮面を取りだし、それを自分の顔にあてがった。
「”鬼身招来”」
 仮面から手を放すと同時に、呟くように刀弥がそう言った。次の瞬間、彼の足下に光が走り、その光が地面に六芒星を描いて更なる光を放つ。足下の六芒星が光を放ちながら少しずつ上に浮き上がってきた。六芒星が彼の頭上まで浮き上がった時、今まで以上の光を放って弾け飛んだ。そして、その後にいたのは刀弥ではなく一体の鬼。
 西洋風のものと日本のものとを折衷したような鎧に身を固め、顔を覆う仮面はまるで怒りの形相を思わせる。その額からは二本の鋭い角が天に向かって伸びており、燃えるような赤い長髪はまるで鬣のようだ。体格も刀弥と比べて一回りは大きくなったように見える。
「……き、貴様は……!?」
 突如姿を現した赤い鬣の鬼を見て鴉天使が驚きを隠せない様子で言う。
「天敵さ。お前ら”天使”のな」
 赤い鬣の鬼はそう言うと鴉天使の方に向かっていつの間にか抜き払っていた刀を突きつけた。その刀も先ほどまで刀弥が持っていたものとは形状を異にしている。その刀身はより長く、より分厚く、より鋭利になっていた。それはもはや刀と言うよりも大太刀と言うべき代物だろう。
「さぁ……終わらせるぜ」
 そう言って赤い鬣の鬼が駆け出した。自分の肩に大太刀の背を乗せて空中にいる鴉天使との距離を詰めていく。
 鴉天使は自分の方へと向かってくる赤い鬣の鬼に向かって光を宿した指先を突きつけ、そこから一条の光を赤い鬣の鬼に向かって放った。鴉天使の本能があの鬼を近づけてはならないと警鐘を鳴らしている。あの鬼は自分を、神の僕たる”天使”を滅することの出来る力を持っている。それが本能的にわかってしまったのだ。だから何度も連続して指先から光を飛ばす。
 しかし、赤い鬣の鬼は少しも怯むことなく真っ直ぐ一直線に突っ込んでくる。鴉天使の指から放たれる一条の光は赤い鬣の鬼の進行方向を微妙に外れ、その周囲に落着しているのだ。赤い鬣の鬼の放つ気に圧倒されているのか。それとも自分を滅する力を持つ者と初めて対峙し、その力に恐怖しているのか。どちらにしろ、鴉天使の手が震えていることに変わりはない。
「く、くうっ!!」
 自分の手が震えていると言うことを自覚したのか、鴉天使が片方の手で震える指先を支えた。だが、時既に遅し。赤い鬣の鬼は鴉天使との距離を充分に詰め終え、大きく地を蹴って跳躍していたのだ。
 クルリと伸身のまま鴉天使の頭上をも飛び越えた赤い鬣の鬼がその背にある白い翼を大太刀で斬り落とす。空を飛ぶ為の要である翼を斬り落とされた鴉天使が地上へと落下し、それを見ながら赤い鬣の鬼も地上へと降り立った。再び肩に大太刀の背を乗せて、身体を低く、いつでも飛びかかれるような体勢を取る。その様は獲物を狙う野獣のよう。いや、まさしく野獣そのものだ。
「オオオオオッ!!」
 鬼の口から迸る雄叫び。それと同時に赤い鬣の鬼の身体が宙を舞う。大太刀の柄を両手で掴み、唸りを上げる程の物凄い勢いで振り下ろしていく。
 起き上がったばかりの鴉天使は慌てた様子で鋭い爪の生えた手に光を宿した。それを飛びかかってくる赤い鬣の鬼に向かって放つが、赤い鬣の鬼の持つ大太刀はその光すらも真っ二つに切り裂き、そして先ほど鬼になる前の刀弥の刀を受け止めた爪さえも、バターに熱したナイフを差し込むかのように易々と切り裂いていく。
 赤い鬣の鬼の大太刀は鴉天使の腕からそのまま肩、胸、脇腹へと通り抜けた。
「ぎゃ、ぎゃあああああっ!!!」
 自らの身体を真っ二つにされた鴉天使が断末魔の悲鳴を上げる。その直後、白い炎が真っ二つとなった鴉天使の全身を包み込んだ。
 それを背に赤い鬣の鬼は大太刀を鞘に収め、大きく息を吐く。
「こ、これが……これが我らを滅する力……き、貴様、何故この様な力を……」
 白い炎に包まれたまま鴉天使が自分に背を向けている赤い鬣の鬼に向かって声をかけた。だが、赤い鬣の鬼は振り返ろうともせずに、その代わりに側に歩み寄っていた珠里が口を開いた。
「あんた達に説明する義理はないわ」
 ぴしゃりと言い放ち、じっと鴉天使を睨み付ける。
「私たちはあんた達から守るだけよ。人類の未来をね」
「お、愚かな……行き詰まった人類に未来はないと……」
 鴉天使が息も絶え絶えにそう言い、その瞬間、全身を包み込んでいる白い炎が勢いを増して、鴉天使を焼き尽くした。文字通り跡形もなく、である。しかし、先ほどまで鴉天使のいた場所には焼け跡はない。
 珠里はまるでそこに焼け跡か鴉天使の焼けた身体があるかのようにその場所を睨み続けている。その背中を赤い鬣の鬼から元の姿に戻った刀弥がぼんやりと見つめていた。何を考えているのか、姉の背からは読みとることが出来ないし、知りたいとも思わなかった。だが、気にかかることをあの鴉天使は言い残した。おそらく姉もそのことを考えているのだろう。
(行き詰まった人類、か……確かにあの野郎の言う通りだがよ)
 頭をかきながら刀弥はこの場にいない幼馴染み二人のことを思い浮かべる。少し頼りない親友、子犬のようにいつも自分たちの後をついて回ってきていた妹分の少女。世界を、人類を滅ぼそうとしている奴らがこの世にいるなんて教えても信じるはずのない、善良な二人。
(あいつらだけでも守ってみせるさ……この手でな)
 そんなことを考えながら刀弥は右手をギュッと固く握りしめた。例え相手が”天使”を名乗る異形の生物であっても、その命を断つと言う事に慣れることはない。だが、この手は既にその異形の怪物達の血に塗れてしまっている。そんな怪物達の血に塗れたこの手でも守ることぐらいは出来るはずだ。いや、守る為にこの手を血に染めているのだ。
「何があろうと負けられねぇ……」
「そうよ。私たちは負けられない。負けたらダメなの」
 ぼそりと呟いた刀弥に珠里が話しかけてくる。そちらを向いてみると、いつも以上に真剣な表情を浮かべた姉がじっとこちらを見つめていた。
「私たちの戦いには人類の命運がかかっているんだからね。負けたらそれでお終いだもの」
「わかってるよ。もう耳タコだ、そんなことは」
 少しぶっきらぼうな口調で答え、刀弥は珠里から顔を背けた。何となくだが、真剣な表情を浮かべれば浮かべる程、元々美人である実姉の美しさは際だつように思える。実の弟でありながらも思わずはっとしてしまう程。だからか、思わず顔を背けてしまったのだ。
「耳タコ?」
「耳にタコが出来るってんだよ」
 キョトンとした口調で尋ねてくる姉にやはりぶっきらぼうな口調で刀弥は答えると、その場に姉を残して歩き出した。
「ちょっと! どこ行くのよ!!」
「今日はもういいだろ。疲れるんだぜ、あれは」
 振り返りもせずにそう言い、片手を上げて刀弥はそのまま歩いていく。
 少しの間腰に手を当ててその後ろ姿を見送っていた珠里だが、やがてため息を一つつくと弟の後を追いかけるように歩き出した。
「こら! ちょっと、待ちなさいよ! この美しいお姉さまを一人で帰らせるつもり?」
「自分で言うかね、そう言うこと?」
 後ろから聞こえてきた姉の声に苦笑を浮かべながら振り返る刀弥。
 そこに笑顔を浮かべた珠里が追いついてくる。

 夜の闇の中激しい戦いを繰り広げる”天使”を名乗る謎の怪物達とそれを狩る”鬼の力を得し者”、赤い鬣の鬼。
 両者の戦いは決して人に知られることのない闇の中の戦い。
 ”鬼の力を得し者”神坂珠里と刀弥の姉弟は何故”天使”と呼ばれる怪物達を狩るのか。どうしてただの人間にはない超常の力を持っているのか。
 そして自らを”神の僕”、”天使”だと名乗る怪物達の正体とは一体何か。その目的とは何か。
 様々な謎を孕みつつ、物語の幕は上がる。

 それは絶望に挑む若者達の戦いの物語。

Worldend of FallenAngels Presents

KISIN-Hunter of Angels-
序章 完

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