「佐祐理さん、後ろ!」
「え?」
「イーッ!」
佐祐理が振り返るとその視線の先には、短剣を振り下ろそうとしているカノンの戦闘員の姿があった。祐一達は佐祐理と話すのに
気をとられていて、戦闘員の接近に気が付かなかった。
驚いて仰け反った佐祐理はバランスを崩す。佐祐理の立っていた所は段差の直ぐ手前だったので、バランスをとろうと踏み出した
足の先に床は無い。彼女の身体が傾いていく。
「キャアッ!」
「佐祐理!!」
佐祐理の悲鳴と舞の叫びが重なる中、戦闘員の短剣が佐祐理を切り裂いた。
Kanon 〜MaskedRider Story〜
第三十一話
舞の目には全てがスローモーションのように映っていた。
斬られた佐祐理
その身体が倒れていく
隣の祐一が駆け出す
自分も無意識の内に駆け出している
踊り場では戦闘員が立っていた
『こいつが佐祐理を傷つけた……許さない!』
その瞬間、舞は全てを忘れていた。祐一が言った、戦闘員を捕まえる事も、佐祐理の事も。ただ目の前のコイツが憎かった。佐祐理を
傷つけたコイツが。だから舞は怒りに任せて刀を振るった。何度も、何度も。戦闘員は最初の一刀で既に絶命していたが、構わずに舞は
叫びながら刀を振り続けた。
「アァーッ!」
「舞、止めろ!」
階下から祐一の声が届くが、舞は行動を止めなかった。
「コイツが、コイツが佐祐理を!」
叫びながら刀を振り続けた。
「佐祐理さんなら無事だ。だからもう止めるんだ、舞!」
「え?」
「無事だ」と聞くと舞の動きが止まった。舞は戦闘員が倒れた事にも気付かずに、何もない空間を切りつけていた。我に返った舞が
ゆっくりと祐一の方へと振り向くと、階下では佐祐理を抱き抱えた祐一が舞を見上げていた。舞はすぐさま二人の所へ駆け下りた。
「祐一、佐祐理は!?」
今にも泣きそうな声で舞が佐祐理を見ながら言った。
「ああ、腕を切られたようだがそれほど深い傷じゃなさそうだ」
保健室から持ち出していた道具で素早く止血をしながら、舞を安心させるように言う。
「佐祐理さんが、戦闘員に驚いて足を踏み外したお蔭だな」
舞は、佐祐理が背中辺りをばっさりと斬られたものと思い込んだ。それが先程の行動に繋がった。
「他には? 頭とか打ってない?」
斬られたのを見た瞬間、舞の視界には憎っくき戦闘員しか映っていなかった。
「それも大丈夫だ。頭を打つ前に支えたからな」
「でも、佐祐理の意識が無い」
「気絶しているんだよ」
それを聞いて舞も安心した。最悪の事態だけは避けられたのだから。しかし、
「佐祐理に知られた。佐祐理を巻き込んだ……」
舞は悔やんだ。彼女を巻き込んだのみならず、守りきれずに怪我をさせてしまった。
「舞、今は後悔している時じゃないぞ。一旦ここを離れるんだ」
「でも! カノンのヤツらを倒さないと……」
「佐祐理さんの事を考えろ。応急処置はしたが、ちゃんとした手当てが必要だ。それでなくても意識の無い状態の佐祐理さんを
ここに残して置けないだろ!? それに舞、お前の怪我だって」
祐一の説得に舞は折れた。カノンを憎む余り肝心な事を忘れていた。頷いて祐一から佐祐理を預かると、背負って走り出す。
「水瀬家に行こう。あそこならちょっとした病院並みの設備があるし、事情も分かっている」
後を追いながら話す祐一に舞は頷くだけで答える。一刻も早く佐祐理を安全な所に連れて行きたかった。自分の傷の痛みも忘れて、
舞は走り続ける。だが、外に出て校門付近まで来た時に、舞は膝から崩れそうになった。意志の力でなんとか踏みとどまるが、次の
一歩を踏み出すのが容易ではなくなった。
「舞!」
隣を走っていた祐一も立ち止まって舞の様子を見る。息も荒く、顔には汗を浮かべていた。
「舞、佐祐理さんは俺が担ぐから……」
「ぽんぽこたぬきさん」
「その怪我じゃ無理だ」
祐一が指摘した通りだった。佐祐理を背負って走っているうちに、先程手当てした傷口が開いたのだ。既に血が滲み出ている。
特に足の状態は酷く、当てたガーゼと包帯が吸収しきれなくなった分の血が、舞の足を伝っていった。
「ほら」
祐一は半ば奪うように、舞から佐祐理を預かると、彼女を背負って舞が付いてこられる速さで走り出す。舞もなんとか祐一に付いて
走り出した。やがて校門までやってくると立ち止まった。
「舞、いけるか?」
それは、この柵を飛び越えられるか? という意味だった。舞の状態を心配した祐一だったが、彼女は頷くと柵を飛び越えた。
しかし普段の俊敏さは無く、どうにか飛び越えた、という感じだった。
「祐一」
舞が振り返って祐一を呼ぶ。祐一も頷く事で舞に答えると、佐祐理を背負ったまま柵を飛び越え、難なく着地する。膝でショックを
吸収し、出来る限り佐祐理に負担を掛けないようにする事も忘れない。舞は祐一の運動能力の高さに、改めて驚愕していた。明らかに
強化人間である自分を上回っていたから。
「祐一、その力は……」
「言ったろ。俺も普通とは違うって」
「でも、その力……きっと私よりも強い。一体どうして……」
祐一も、ここまで来たら誤魔化すつもりは無かった。
「ああ、そのことも水瀬家に着いたら全部話すよ」
それだけ言って、自分のバイクの所へと歩いていく。舞も大人しく着いて来た。祐一のバイクの近くに一台の見慣れないスクーター
が停まっているのを見つけた。
「これは?」
「佐祐理のスクーター」
後ろからやって来た舞が説明した。
「そうか。だが今は置いて行こう」
乗り手である佐祐理本人が運転できる状態ではないので致し方なかった。祐一は舞に手伝ってもらい、佐祐理を自分の後ろに乗せる。
保健室から持ち出した包帯を纏めて一本のロープ状にして自分と佐祐理を縛って固定する。その作業が終わると、舞も自分のバイクを
停めてある所に行って、バイクに乗って戻ってきた。傷口が開いてはいるが、運転は出来るようだったので、祐一は気遣うセリフは何
も言わずにバイクを走らせた。
★ ★ ★
水瀬家
離れにある一室で、舞と佐祐理は秋子達から手当てを受けていた。その頃には佐祐理も意識を回復していた。目覚めた佐祐理は慌て
たが、祐一達が簡単に状況を説明すると、今は黙って手当てを受けている。
「はい、これで良いですよ」
「ありがとうございます」
秋子が手当てを終えると、佐祐理が礼を言う。秋子は笑顔で答えると、今度は舞の手当てをするべく彼女の所へ歩いていく。
「さ、診せてください」
「私は平気」
「いけません」
秋子に優しく言われると、舞は素直に従った。佐祐理の時より時間が掛かりそうだったので、祐一と佐祐理は部屋を出る。
すぐ隣の部屋に入り、座った所で佐祐理が口を開く。
「祐一さん」
「ああ、わかってる。全て話すって言ったもんな」
今の佐祐理は興奮するでもなく、落ち着いていた。左腕は肩口から肘辺りまでを切られた所を包帯で巻き、三角巾で首から吊るされ
ている。その姿は実に痛々しかった。
「何から話したらいいかな……佐祐理さんは、舞の身体のことは知ってる?」
「はい、昔話してくれましたから。お父様の研究で、力が普通の人より強くなってるって。だから自分は皆とは違うって……」
「うん。俺もそれは舞から聞いたよ。それで舞と俺が何をしていたかって言うと……」
そう前置きしてから祐一は話し始めた。時折、頭の中を整理する為に中断したり、話が前後する事もあったが、佐祐理は黙って
祐一の話を聞いていた。
「カノン……その組織に舞のお父様も」
「ああ。俺とこの家にいる皆はそいつらと戦っていて、舞も戦い始めていたんだ。それで一緒に戦おうって事になったんだよ」
「何故、祐一さん達が?」
「俺の家族は、本当はカノンに殺されたんだ。俺だけじゃない、この家にいる皆が家族や大切な人を殺されている。けど復讐する
為じゃない。その気持ちが無い訳じゃ無いけど……もうこんな悲しい思いをする人を出したくない、その気持ちで戦っている」
「でも祐一さん達は舞のように強くは……」
「いや、俺だけは違う。俺はヤツらと戦える力を持っている……与えられたんだ。この事はまだ舞には話していないんだが……
佐祐理さん、『仮面ライダー』のことは知ってる?」
「はい、知ってますけどそれが何か?」
「俺が……その仮面ライダーなんだよ。だからカノンのヤツらと戦えるんだ」
祐一が、自分が仮面ライダーになった経緯を話すと部屋に沈黙が訪れた。暫くしてから祐一が沈黙を破って躊躇いがちに尋ねた。
「佐祐理さん。俺も舞と同じ……いや、舞以上に普通の人間の身体じゃない。俺の事が……怖い?」
佐祐理はどう言おうか迷っていたようだが、答えを決めると真っ直ぐに祐一を見て言った。
「全く怖くないと言ったら嘘になりますけど……祐一さん、貴方はその力を人を傷つける為に使っている訳じゃありませんよね?」
「え? あぁ、俺は人々を守る為にこの力を使っているんだ」
「先程手当てをしていただいた秋子さんも、紹介していただいた皆さんも祐一さんの事を信頼しているように見えました。
そんな祐一さんが悪い人の筈がありません。祐一さんは優しい人です、佐祐理には分かります。だから、佐祐理も祐一さんを
信じます」
佐祐理の顔に、負の感情を感じさせる物は少しも浮かんでいなかった。それを見た祐一は安心して、頭を下げた。
「佐祐理さん……ありがとう」
「これでも佐祐理は、人を見る目は持っていますから。それに、祐一さんが仮面ライダーさんなら、佐祐理はお礼を言わなくては
いけません。助けていただきましたから」
「え? 学校で会う前に佐祐理さんに会ってたっけ?」
「直接お会いした訳じゃありませんけど。○市の発足30周年の記念式典の時、会場になったビルに佐祐理達は居たんですよ」
「あの時の!」
栞とビルを歩いていたときに盛装した集団を見かけたのを思い出した。この街の名士達やその家族も参加していると言っていたから、
『倉田グループ』の娘である佐祐理も、その場に居てもおかしくなかった。
「その時に祐一さんも仮面ライダーさんとして、ビルにいたんですよね。何故居たのか分かりませんでしたけど、今の祐一さんの
話を聞いて理解できました。カノンと戦っていたんですね?」
「ああ、ビルにいる人達を殺そうとしていたようなんだ」
「でしたら、やっぱりお礼を言わなくてはいけません。ありがとうございました」
佐祐理は深々と頭を下げた。そして顔を上げると微笑むが、その顔はいつもの笑顔だった。
「何より、舞が信頼している人ですから。舞の大切な人は佐祐理にとっても大切な人ですよ……祐一さんを信じます」
「ありがとう」
「舞は佐祐理の大切な親友です。……舞は、佐祐理を助けてくれたんです。命も……心も……」
「佐祐理さん?」
再び表情が曇った佐祐理を心配して祐一が声を掛ける。
「祐一さん……佐祐理の昔話、聞いてくれますか? 舞と出会った時の事です」
そう前置きして話し始める佐祐理は、何かを決意した表情をしていた。
自分には一弥という弟が居た事。
その弟に、厳しく当たった事。
弟が衰弱し、病死してしまった事。
「そんな事があったのか……」
「はい……そんな時なんです。舞に出会ったのは」
父親に紹介されたが、弟を不幸にしてしまった自分が友達を作って幸せに過ごして良い筈がない。だから佐祐理は舞を拒絶した。
「もう来ないで」と言った次の日から舞は佐祐理の所へ来なくなった。これでいいのだと思った。そして、
『お姉ちゃん、一弥とずっと一緒に居てあげるから』
日を追うごとにその想いは強くなっていった。そしてついに、佐祐理は自ら命を絶とうと手首を切った。
「先程の手当ての時、祐一さん達は何も言いませんでしたけど、これがそうなんですよ」
佐祐理は、大き目のバンドの腕時計を外し、そこに隠されていた傷跡を見せた。祐一も秋子も、佐祐理の手当てをする時にその
傷跡を見ていたが、それが良い思い出である筈もないと察したので、何も聞かずにいた。
流れていく血を見て佐祐理は、弟にあんな酷い仕打ちをした自分にも温かくて赤い血が流れているんだな、と次第に薄れ行く意識の中
で思った。
『(これで一弥の所に行ける……一弥。お姉ちゃん、今そっちに行くからね)』
しかし、次に佐祐理が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。見舞いに来た父も安堵し、舞が発見して助けてくれたのだと言った。
『どうして……死なせてくれなかったの』
佐祐理が半ば恨み言のように呟くと舞は、
『死んだら駄目』
『佐祐理が死んだら、お父さんやお母さんが悲しむ。悲しむ人達が沢山いる』
『私も悲しい』
『もう、誰にも死んで欲しくないから』
『……今は、私一人』
そう佐祐理に言い、自分の事を話した。そして、弟は佐祐理を恨んでなどいない、と。
『一弥……お姉ちゃんの事、許してくれるの? お姉ちゃん、そっちに行っちゃいけないの?』
一弥に心の中で問いかける。今までは心の中の一弥は、かつて良く遊んだ時の笑顔をしたり、病気になって生気の失せた顔をしていた。
今はそのどちらでもない無表情だった。でも舞は、一弥は佐祐理を許していると言う。舞も佐祐理を責めない、後は自分だけだ、と。
『わからないよ……佐祐理はこれからどうすればいいのか……どうすれば自分を許せるのか分からないよ』
『見つければいい』
『見つかるかな?』
『約束……』
『約束?』
『私も自分の力を認められるようになる。だから、佐祐理も自分を許せるようになって』
『……うん。佐祐理、探してみるね』
探してみるとは言ったが、その答えは目の前の少女にあるような気がした。
今はぎこちなくしか笑えない、辛い体験をしてきた少女。その舞に本当の笑顔を取り戻してあげたい。弟に与えられなかった幸せを
舞に与えてあげたい。それが贖罪になるかもしれないし、そうする事で自分を許せる日がくるかもしれない。
今は無理だ、もしかしたら一生かかっても自分を許せないかもしれない。でも少しずつでも前を向いていこう、この少女、舞と一緒に。
佐祐理はそう誓った。
「それから舞と佐祐理はずっと一緒なんです」
「だから佐祐理さんと舞は、お互いを大事に思っているんだね」
「はい……」
佐祐理は返事をしたものの、俯いてしまった。
「佐祐理さん?」
「でも……舞は自分の力を認めているのに、佐祐理はまだ……」
まだ自分を許せていない。佐祐理の表情はそう語っているようだった。祐一は黙っていたが、やがて口を開く。
「佐祐理さんは、頑張っていると思う」
「祐一さん」
「俺は、佐祐理さんの事はまだ良く知らない。佐祐理さんが今までどんな気持ちで生きてきたのかも……。でもさ、佐祐理さんが舞を
大切に思う気持ちは分かっているつもりだ。その気持ちがあれば、いつか許せる日が来ると思う」
「……」
「ごめん。自分でも何言ってるのか良くわかってないけどさ……とにかく、俺も佐祐理さんを責めないし、何かと力になるから……その」
次第にしどろもどろになっていく祐一をみていると、佐祐理の顔に笑みが戻った。なんとか自分を励まそうとしている祐一に、佐祐理
は心が癒されるのを感じていた。目の前の祐一も舞も悲しみを経験している。そんな彼等も前を向いて生きているのだから、自分も見習
えば良い。時には皆で支えあっていけば良い。佐祐理はそう生きていこうと思った。無論、昔に誓った事も忘れてはいない。
「ありがとうございます」
「あ〜、うん」
「でも、舞ったら酷いです」
「何が?」
「祐一さんと知り合っていたのなら、佐祐理にも紹介して欲しかったです」
「そうか、佐祐理さんとも知り合いになれたかもしれないんだ」
和んだ空気を感じてお互いに笑った。それから祐一は表情を改めると、真剣な面持ちで佐祐理に尋ねた。
「それで佐祐理さん。これからだけど、どうする?」
「祐一さん、佐祐理の答えは決まっていますよ。舞と……いいえ、皆さんとご一緒させて下さい」
「そう答えるんじゃないかとは思ったけど……」
「お願いします、祐一さん。一弥が幸せに生きていく筈だった世界を守りたいんです」
頭を下げる佐祐理を見て祐一は悩んだ。祐一が何と言おうと佐祐理は諦めないだろう、その位の決意が見て取れた。
「わかった。でも舞ともちゃんと話し合ってくれよ?」
「はい、ありがとうございます」
結構な時間が過ぎていた。舞の手当ても終わった頃かと思い隣室に行く。ノックをして許可を得てから中に入るが、いたのは
後片付けをしている秋子だけだった。
「あれ? 秋子さん、舞はどうしました?」
「舞ちゃんなら手当てが終わって直ぐに部屋を出て行きましたけど。祐一さんの所に行ったんじゃ無いんですか?」
それぞれに顔を見合わせるが舞が出てくるはずも無い。彼女を探そうと部屋を出たが、そこへ慌てた様子の香里達が走ってきた。
「相沢君!」
「どうした香里? それに天野と名雪も」
「相沢さん、川澄先輩が……」
「舞がどうかしたんですか!?」
佐祐理も冷静さを失った様子で、香里達に詰め寄った。
「川澄先輩が……家を飛び出しちゃったんだよ!」
「どういう事だ?」
「言葉通りよ!」
「そうじゃなくって、何があったんだ?」
★ ★ ★
祐一と佐祐理が部屋で話している頃
手当ての終わった舞は秋子に礼を言って部屋を出ると、隣の祐一と佐祐理にいる部屋に向かう。ノックをしようとしたが、中の話し
声が聞こえてきたので止めて室内の様子を窺う。佐祐理が自らの過去を祐一に語っているようだった。
「……」
舞はノックはせずに、その場を離れた。この話は、二人きりでさせた方が良いと思ったのだ。舞自身のことも話すだろうが、祐一も
佐祐理も信頼している大切な人だから問題ない。そのままリビングの方へと足を向けた。リビングではさっき簡単に紹介された女の子
達――名雪、香里、美汐――がいた。舞がやって来たのに気付いた名雪が声を掛ける。
「あ……えっと、もう良いんですか?」
頷くことで返事を返した。祐一と共に戦う仲間だとは聞かされていたが、なにぶん初対面という事もあって、直ぐに打ち解けること
は出来なかった。
「えっと……お茶、飲みますか?」
又しても頷きで返答する。名雪達にしても直ぐ打ち解けられないのは同様だった。校内の有名人とはいえ、普段から接点の無かった
先輩である。しかも舞の表情は変化に乏しく、親しい者でなければ感情を読み取る事も出来ない。祐一が信頼している人だから仲良く
したいとは思っているが、舞の持つ雰囲気と印象がその一歩を踏み出させないでいた。
「「「……」」」
「……」
名雪たち三人と舞の間に、重い雰囲気が立ち込めていた。お互いに、黙ってお茶を飲んでいるしかなかったが、舞がテーブルの
一角に目を止めてポツリ呟く。
「ウサギさん……」
「え?」
「ウサギさんのクッキー」
何の事か分からないでいたが、それがテーブルに置かれていたお茶請けのクッキーの事だと分かった。百花屋でも出している評判の
秋子の手作りだった。いろんな動物の形をしている。
「よかったら……どうぞ」
一番近くにいた香里が籠ごと差し出すと、舞は一つ取り出して食べ始めた。
「佐祐理の作ったものより美味しい」
「クッキー、お好きなのですか?」
「………嫌いじゃないから」
美汐の質問に、やはり同じように呟くように答えが、それを聞いた三人は彼女の認識を改める事にした。
「(動物を「さん」付けで呼ぶのね。相沢君が、結構可愛いところがあるって言ってたけど、本当のようね)」
「(先輩は、単に感情を表に出すのが苦手な方のようですね)」
「(祐一の言ってた通りの人みたいだよ)」
これなら仲良くなれそうだ。そう三人が考えていた時に、何処からか軽快なメロディーが流れてきた。舞達が部屋を見回して
音の発生源をさがすと、それは直ぐに見つかった。ソファーに置かれた佐祐理の上着から聞こえてくる。上着を調べてみると、
ポケットの中の携帯電話が己の存在を主張するようにメロディーを流し続けていた。
佐祐理の電話だから本人が出るべきだが、佐祐理はまだ祐一と話していた。だが倉田の家からの電話かもしれないと思ったので
舞が出る事にした。違っていても、相手に状況を伝えて改めて本人に代わればいいのだから。液晶画面が伝える発信者は『非通知』
となっていた。
「……もしもし」
『………』
電話の主は何も言わなかった。耳を澄まして向こうの様子を聞き取ろうとしても、何も聞こえては来なかった。ただのイタズラか?
と思い電話を切ろうとしたときに、やっと向こうから声が聞こえてきた。
『川澄舞か』
低い男性の声だった。何処かで聞いたような気もするが、舞には思い出せなかった。
「誰? 佐祐理に何の用?」
『用があるのは倉田佐祐理ではない、お前だ』
「私に?」
『ククク……お前に、親友を傷つけられた時の気持ちを聞こうと思ってな』
「なっ!?」
声色は舞を不快にさせ、話の内容は激昂させた。その変化は凄まじく、親しくない名雪達でも彼女が怒っているのを感じ取れる程だった。
「お前はっ、ヤツらの仲間!?」
『そうだ』
「お父さんを殺し、佐祐理を傷つけたお前達を許さない!」
『……ならば、お前達の学校に来い。そこで待っているぞ。ククク……』
不快な笑い声を残して電話は切れた。舞はその電話自体が声の持ち主であるかのように睨みつけていた。持つ手にも力が篭る。
「あの……川澄先輩?」
名雪が恐る恐る舞の話しかけると、舞は名雪に押し付けるように携帯電話を渡し、佐祐理の上着の側に置いてあった刀を手に取ると、
リビングを出て行こうとした。
「ちょっと、何処行くんですか!?」
「学校」
それを見た香里が慌てて呼び止めたが、舞は一言目的地を答えると振り向きもせずにリビングを出て行った。名雪達が舞の後を追って
外に出た時には、既に彼女はバイクを走らせていた。
★ ★ ★
「また学校に行ったのか!? 一体どうして?」
「それが、倉田先輩の携帯に電話がかかってきて、それに川澄先輩が出て話していたんだけど、急に怒り出して「学校」とだけ言って
飛び出しちゃったんだよ」
「電話の内容は、何か言ってなかったか?」
「最初から川澄先輩に用事があったみたいね。内容までは分からないけど、彼女は『ヤツらの仲間』とか『お父さんを殺し、佐祐理を
傷つけたお前達を許さない』って言ってたわ」
「カノンか……秋子さん、俺も行ってきます」
香里達の話を聞くや否や、祐一も舞の後を追って駆け出す。
「祐一さん!」
背後から聞こえた声に、思わず立ち止まって振り向いた。だが、祐一を呼び止めたのは秋子ではなく、佐祐理だった。
「佐祐理さん……悪いけど、こればっかりは佐祐理さんや他の皆を連れて行くわけには行かないんだ」
罠の可能性が高いこの状況では、皆を連れて行く訳には行かなかった。ましてや佐祐理は怪我をしているのだから。それが分かって
いるのか、佐祐理は自分も連れて行って、とは言わずに頭を下げた。
「分かっています。祐一さん……舞の事、お願いします」
「ああ、舞を連れて直ぐ戻るよ。秋子さん、皆を頼みます」
「了承です。祐一さん、気をつけてくださいね」
秋子達が口々に気遣う中、祐一はバイクに乗り、舞の後を追って再び学校へと向かった。舞はかなりのスピードで走っているのか、
祐一は舞の姿を見つける事が出来なかった。
★ ★ ★
学校・校門前
舞は校門前までバイクで乗りつけると、降りて辺りの様子を探る。佐祐理のスクーターも同じ場所に置かれており、先程と全く同じ
佇まいを見せていた。しかし、柵を乗り越えて敷地内を歩いていると、校舎内から気配を感じた。明らかに自分を誘っている。
「魔物……カノンを討つ」
中庭に来た舞は抜刀して、割ったガラス窓から校舎内へと入っていく。
「「イーッ!」」
二人の戦闘員が舞の行く手に立ちふさがった。短剣を構えて向かってくる。
「邪魔っ!」
舞は駆け出し、すれ違いざまの斬撃で左の戦闘員を切り倒す。そのまま刃を返さずに、反対側に立つ戦闘員を峯の部分で打つ。まとも
に食らった戦闘員は吹き飛び、窓ガラスを突き破って外に飛び出した。
「ハァ……ハァ……」
舞は疲労していた。今日は今までに無いほど激しい戦闘が続いていたし、先程の出血で体力が低下していた。秋子の処置が良かった
のでまた傷口が開くという事もなかったが、それでもこのまま動き続ければどうなるか分からない。
「イーッ!」
またしても行く手に戦闘員が現れた。舞は呼吸を整える間もなく、現れた戦闘員に向かっていく。真っ向から振り下ろされた刃は
戦闘員を、構えた短剣ごと真っ二つに切り裂いた。更に行く手に戦闘員が立ち塞がる。
「ウアーッ!」
叫び、自分を鼓舞する。今の舞を突き動かしているのは、父を殺し佐祐理を傷つけたカノンへの怒りだった。その怒りのままに刀を
振るって戦闘員達を倒していく。戦闘員達は舞を誘い込むかのように、次々と進路上に現れた。それを舞は、あるものは切り倒し、
またある者は峯の打撃で廊下の壁に叩き付けた。その際に何枚ものガラスが割れる。戦闘員を斬り続けて切れ味の鈍った刃を拭うのも
忘れ、今では刃で斬るより刀を叩きつけて倒し、進んでいた。最後の戦闘員を倒した時舞は、階段の踊り場に居た。ここは何時も佐祐理
と昼食を食べている屋上手前の踊り場で、目の前にある階段の上にある扉は半分ほど開いていた。流石に舞も冷静になって、自分がここ
まで誘い出された事に気が付いた。
「でも、行くしかない」
舞は決心すると階段を上がり扉を開けて、慎重に屋上へと出て行く。外気の冷たい空気が舞の戦闘で火照った身体を冷やす。
「……」
屋上の中央付近まで来た時に、背後から声がかかった。
「良く来たな、川澄舞」
舞が振り向いた視線のその先、舞が屋上へと出て来た階段室の上に、一人の異形が立っていた。そいつは屋上の床へと飛び降りて
ゆっくりと舞の方へと歩いてくる。舞いも刀を正眼に構えて対峙した。
「お前は、電話の……」
声に聞き覚えがあった。佐祐理の携帯電話に掛かってきた自分を挑発し、学校へと誘い出した声。
「カノンの怪人?」
「そうだ。俺はアルマジロング」
異形……カノンの怪人・アルマジロングが名乗ると同時に、周囲の陰に潜んでいた戦闘員達が現れて舞を取り囲んだ。
「最近この辺を嗅ぎまわっているお前の存在が邪魔なのでな、ここで死んで貰うぞ」
「何を企んでいるの?」
「これから死に往くお前が知る必要はない。戦闘員達よ、かかれ!」
「イーッ!」
続く