「悪い、ちょっと急用が出来た。学食には三人でいってくれ」

 そう言うなり祐一は、名雪達の返事も待たずに階段を上っていった。

「あ、祐一」

「じゃっ!」

「じゃっ、じゃないよ〜」

「じゅっ!」

「じゅっ、でもありません」

「も゛ょっ!」

「じょっ、でも……って、えぇっ! 何よそれっ!?」

 香里達のツッコミを背後に聞きながら、祐一は少女の後を追って行く。上の階に来た所でようやく追いついた。その少女は階段を
上がった所で誰かを待っているかのように佇んでいた。祐一が近づくと、気付いて目をこちらに向ける。

「(間違いない。昨日の子だな)」

 改めて確認した祐一は、少女に声を掛けた。

「よう」




                  Kanon 〜MaskedRider Story〜    
                          第二十五話       




「……?」

 少女は突然声を掛けられたことに戸惑っている様だった。微かに警戒の色を見て取ったが、祐一は構わずに言葉を続ける。

「また会ったな。昨日の夜学校で会っただろ? 説得力は無いが怪しい人物じゃないって言った……あの時の生徒は君だろ?」

 少女は目の前の祐一が、昨夜出会った生徒だと思い出したようだが、相変わらず警戒はしていた。

「なぁ、君は……」

「ごめんねーー、遅くなっちゃったーー!」

 祐一が少女の名前を聞こうとした時、廊下の向こうから一人の女生徒がやって来た。長い髪を結んだチェック柄の大きなリボンが
特徴的だった。ケープのリボンは青色で、目の前の少女と同じ三年生だった。ニコニコと笑い、明るい雰囲気を醸し出している。
二人とも美少女と呼んで差し支えないレベルの容姿だったが、チェック柄リボンの少女は太陽の明るさで、昨夜の少女は月の神秘さ
を感じさせるが如く対照的だった。

「ごめんね、舞」

 チェック柄リボンの少女は、昨夜の少女を舞と呼び、顔の前で両手を合わせて謝っている。

「大丈夫、今来た所だから」

 舞と呼ばれた少女は気遣うように答えていた。

「(舞? やはり舞なのか)」

 祐一が目の前の少女が舞だと確信していると、チェック柄リボンの少女が声を掛けてきた。

「え〜っと、貴方はどちら様でしょうか?」

「俺は、彼女の友達と言うか……」

「あ、舞のお友達ですか? それでしたら一緒にお昼ご飯どうですか?」

 祐一が答えあぐねていると、チェック柄リボンの少女は良い事考え付きました、と言わんばかりに胸の前でポンッと手を合わせて
提案してきた。

「え?」

「あ、もうお昼は食べちゃいましたか?」

「いや……まだだけど」

「だったらご一緒しましょう。大勢で食べたほうが美味しいですから。こっちですよ〜」

 そう言うとチェック柄リボンの少女は、祐一の答えも聞かずに階段を上っていく。舞もそれに続き、祐一は一人取り残された。

「(まぁ、舞と話も出来るだろうし、行くか)」

 祐一も彼女達に付いて階段を上っていった。やがてたどり着いた所は、屋上入り口の手前、階段の踊り場だった。そこに
レジャーシートを広げて、チェック柄リボンの少女が背負っていたリュックから弁当らしき重箱を取り出していた。

「あ、こっちですよ〜」

 祐一が上がってきたのを見た少女が声を掛ける。今の季節、この場所は屋上入り口のすぐ側という事もあって寒かったが
彼女達は別段気にしていないようだった。祐一もさほど気にせず、勧められるままに腰を下ろした。

「さ、どうぞ」

 彼女が重箱の蓋を開くと中には卵焼き、唐揚げ、タコさんウィンナーを始め、色とりどりのおかずが並んでいた。下の段には
海苔を巻かれたおにぎりが、こちらも綺麗に並べられている。

「なんか……凄いですね。量とか……色々」

「あはは〜、今日は作りすぎちゃいまして。ですから沢山食べてくださいね」

 祐一の感想に、チェック柄リボンの少女はあくまでも笑顔で答えていた。舞はというと、別に用意された箸をもって、早速タコさん
ウィンナーをつまんでいた。

「みまみま……」

「なぁ……」

「はい、お箸どうぞ」

「あ、どうも」

 祐一は舞と話がしたいのだが、彼女の行動でなかなかきっかけが掴めないでいた。

「でも、驚いたな〜。まさか舞に男の人の知り合いが居たなんて」

 チェック柄リボンの少女は隣の舞にからかうように話しかけた。舞はそれを聞くと食べる手を休めて答えた。

「ぽんぽこたぬきさん」

「え?」

 舞の答えは意味不明だったが、彼女にはそれが通じていたのか怪訝な顔になった。だが舞の答えは祐一にも意味が通じるものだった。

「(舞……まだ使っていたのか。それにしても、俺が分からないのか? それとも忘れてしまったのか……)」

 祐一の目の前で少女達の会話は続いていた。

「知らない人なの?」

「昨日ちょっと見かけただけ。別に知り合いとかじゃない。佐祐理の知り合いだと思ってた」

 舞はそう言って祐一を見つめた。それにつられて佐祐理と呼ばれたチェック柄リボンの少女も祐一を見る。その目には不審の色が
浮かんでいた。

「佐祐理も知らないけど……えっとそれじゃ、貴方は……?」

 そこでようやく、祐一は自己紹介をする事が出来た。自分が祐一だと分かってもらうために自分と舞ぐらいしか知らない事を交えて。

「相沢祐一、最近転校してきた2−Aの生徒です。それにしても舞、酷いぞ。『ぽんぽこたぬきさん』は無いだろう。
 俺の事忘れたのか? まぁ、俺も偉そうな事は言えないが……」

「はぇ? その意味が分かるんですか?」

「えぇ。『ぽんぽこたぬきさん』は『いいえ』の意味で、『はい』は……『はちみつくまさん』だろ? 舞」

 祐一の答えを聞いて、佐祐理は驚いていた。舞のこの言葉の意味を理解しているのは自分を含め、ごく少数の人しかいないのだから。

「はぇ〜、どうして知っているんですか?」

「教えたのが俺だからですよ」

「!!」

 それを聞いた舞が動きを止めた。先程目の前の生徒が『相沢祐一』と名乗った時、心が騒ぐのを感じた。だが不快な気分では無い。
むしろ心地よく、懐かしい気分だった。そして先程の『はちみつくまさん』と『ぽんぽこたぬきさん』。これは自分と祐一を繋ぐ絆の
ようなもの。だからこの言葉は自分の親しいごく少数の人との間でしか使わなかった。それ以外の人との間では頷くか、首を振る等で
済ませていた。

 あの日のことが思い出される……


                         ★   ★   ★


『う〜ん……よし。可愛さを出す為にこれからは、『はい』は『はちみつくまさん』で、『いいえ』は『ぽんぽこたぬきさん』
 と答えるんだ』

 普段から無口で、無愛想とも見える舞を見て祐一が考え出した事だった。


                         ★   ★   ★


「ゆう…いち、なの?」

 躊躇いがちに口を開く。目は相変わらず祐一と思しき生徒から離れない。確かに良く見れば幼い日に遊んだ少年の面影がある。
先程までは興味も無かった為に禄に見ようともしなかった。

「おう、祐一だぞ」

 祐一は力強く答えて、続けて言った。

「昔ここが麦畑だった頃一緒に遊んだ相沢祐一だ……久しぶりだな、元気にしていたか?」

「祐一……」

 舞は箸も落として祐一を見続けていたが、次第にその目に涙が浮かぶ。

「舞?」

「祐一!」

 佐祐理が舞を気遣って声をかけるのと同時に、舞は祐一に抱きついていた。

「おわっ?」

 舞の勢いは強く、油断していた事もあって祐一はシートの上に押し倒される格好になった。舞は祐一の首に両腕を回して
身体を密着させて泣いている。

「ま、舞?」

「ぐしゅぐしゅ……」

 祐一の呼びかけに、舞は離れるどころかより強く祐一を抱きしめる。舞の匂いと、身体の感触と温もりが祐一に伝わる。

「ま、舞……そんなに抱きつかれると……」

 祐一は慌てて周囲を見回すが、ここは普段から人気は無い場所なので、居るのは佐祐理だけだった。その佐祐理は「はぇ〜」
という驚きの表情のまま固まっていた。

「あ、あの。助けてくれるとありがたいんですが?」

 祐一が佐祐理に声を掛けると、佐祐理はハッと気が付いて舞に話しかけた。

「ホ、ホラ舞。ちょっと落ち着いて、ね?」

 その後、祐一と佐祐理は未だ泣いている舞を宥めながら、どうにか舞を引き剥がす事が出来た。それから祐一は改めて自己紹介と
舞との事を話す。

「……そうだったんですか。あ! そういえばまだ自己紹介していませんでしたね」

 そう言って佐祐理が祐一に自己紹介を始めた。

「佐祐理は倉田佐祐理と言います。舞の親友で三年生です。宜しくお願いしますね」

「そっか。宜しくお願いします、倉田先輩」

「あ、いえ……佐祐理と呼んでくださいね。それからそんなに畏まらなくても良いですよ」

「わかった(舞とも普通に話しているしな)。じゃあ佐祐理さんでいいかな? 俺の事も祐一で良いから」

「はい、では佐祐理も祐一さんと呼びますね」

 そう言って二人が話している間、舞はまだ赤い顔をしながら佐祐理の弁当を食べていた。

「舞の自己紹介はどうした?」

「二人とも知ってるから必要ない」

 祐一の問いかけに、舞は食べる手を休めずに答えた。
 
「むぅ、でもこういう時は改めて名乗るのが礼儀だぞ」

「……川澄舞」

 ポツリと呟くようにそれだけを言った。

「それだけか?」

「あはは〜、舞は普段から無口ですから。でも、今の舞は祐一さんに再会して照れているんだよね〜」

 佐祐理がそう言うと、舞は顔を一層赤くして佐祐理に向き直った。

「そんなことない!」

 そう言いながら、箸を持っていない手で佐祐理にチョップをする。

「きゃ〜きゃ〜」

 チョップといっても威力は無く、佐祐理も笑ってかわそうともしない所から、普段から二人の間で行われているじゃれあいの
ようなものだと思われた。

「そうかそうか。まぁ感動の再会だったしな〜」

 祐一もそう言って舞をからかうと、今度は祐一にチョップが飛んできた。そのチョップは佐祐理にしたソレよりも威力が強かった。

「そうですよね〜。あの舞がいきなり抱きつくなんて……佐祐理も驚きました」

 照れた舞が佐祐理にチョップを打つ。

「きゃ〜きゃ〜」

「うんうん、驚いたが嬉しかったぞ。色々と成長したようだしな」

 照れた舞が祐一に、強いチョップを打つ。

「ぐぉっ……舞、痛いぞ」

「ぽんぽこたぬきさん……知らない」

 一頻り祐一と佐祐理にチョップをした後、舞は黙って弁当を食べるのを再会した。それを見ていた佐祐理も祐一に弁当を勧めた。

「あ、祐一さんも食べてくださいね」

「それじゃ、いただきます」

 祐一も箸を伸ばす。どれも美味しそうで何から食べようか迷ったが、ふとある事に気が付いて舞に言った。

「舞……タコさんウィンナーばかり食べるんじゃない」

 重箱の一角を占領していたはずの大量のタコさんウィンナーの殆どは、すでに舞によって食べられていた。

「タコさんウィンナー、嫌いじゃないから」

 そう言いながらも箸を動かす手は休めなかった。現在タコさんウィンナーの一角は舞の占領下にあり、その舞に隙が無かったので
祐一はとりあえず、卵焼きを一つとって口に入れる。卵の香りと砂糖の程よい甘さが口に広がる。

「(これはなかなか……秋子さんのレベルに近いな)」

 それは祐一にとって最高クラスの評価だった。料理に並々ならぬ拘りがある秋子の料理はどれも素晴らしく、祐一にしてみれば下手な
店の料理より素晴らしいものだった。それに近いレベルの出来だから、佐祐理の料理の腕前もかなりのものと言えた。

「どうですか?」

「うん、美味しいよ。よく出来た卵焼きだ」

「あはは〜、ありがとうございます」

 それから三人で和やかな食事が始まる。舞の隙を付いて祐一がタコサンウィンナーに箸を伸ばし、舞との間で熾烈な争奪戦が繰り広げ
られ、それを見た佐祐理が笑う。また、祐一のからかいに舞がチョップを放つなどして時間が過ぎていった。


                         ★   ★   ★


「祐一……」

 食後のお茶を飲んでいるときに、珍しく舞から話しかけてきた。

「何だ?」

「いつ転校してきたの?」

「あ、言わなかったか? 今年の三学期の初めからだ」

 祐一が答えた途端に舞は黙り込み、目に涙を浮かべた。

「……ぐしゅぐしゅ」

「ま、舞!?」

「一月以上も経つのに、会いに来てくれなかった。私の事忘れてた……」

「カノンとの戦いもあって忘れていた」と言う訳にもいかず、祐一は慌てて言い訳を考えだして言った。

「あ、ホラ。俺って舞の事はロクに知らなかっただろ? この街に住んでいるとは思ったけど、まさか同じ学校に通っているとは
 思わなかったからさ。それに学年も違ったから……でもこうして会えて嬉しく思っているぞ」

「本当?」

「あ、あぁ本当だ」

 その言い訳に納得したのか、舞も泣くのを止めた。続いて佐祐理が質問してきた。

「ご家族の仕事の都合で転校してきたんですか?」

 それを聞いた祐一の表情が暗くなる。そのまま黙っていたが、いずれは知られる事だと思って話し出す。

「いや、転校してきたのは俺だけだよ。家族は……もう、いない」

「え?」

「舞も佐祐理さんも年末のテレビで見たことないかな?『相沢家一家殺害』のニュース。あれが俺の家族だよ。一人生き残った
 俺は転校してきて、今は親戚の家で世話になってる」

 祐一の話と表情に、舞と佐祐理も黙ってしまう。舞と佐祐理もそのニュースは見ていた。

「あの、すいません祐一さん。辛い事聞いてしまって……その、本当にごめんなさい」

「ぐしゅぐしゅ……」

 今日出会ったばかりの祐一に踏み込んだ質問をし、辛い事を話させてしまった事を真剣に後悔した佐祐理が謝罪してくる隣で、舞は
再び泣き出していた。それを見た祐一は表情を変えて、明るい調子で二人に話しかけた。

「あ〜、俺は大丈夫だから舞も佐祐理さんも気にしないでくれ。それに、その事で変に気を使われたりするとその方が辛いから、
 二人とも普通に接してくれると助かるな」

「はい……本当にごめんなさい」

「ぐしゅぐしゅ……」

「だから平気だって。今ではこっちでもなんとかやっているし、親戚の人達はもう家族同然だしな。それに舞とも再会できたし、
 佐祐理さんみたいな美女とも知り合いになれたから」

「ふぇっ!?」

 祐一の言葉に反応して、今度は佐祐理が先程までの舞のように顔を赤らめた。

「あ、あはは〜。お姉さんをからかっちゃいけませんよ〜。それに美女だなんて……佐祐理はちょっと頭の悪い普通の女の子ですよ〜」

 そう言って慌てている彼女の様子は、とても上級生とは思えないほど可愛らしく思えた。祐一がそんな彼女を見ていると
何か自分に迫るモノを感じた。祐一は咄嗟にその何かを受け止めていた。

「舞、何の真似だ?」

 気配の正体は舞のチョップだった。

「祐一、佐祐理をナンパしたら駄目」

 そう言う舞の顔も心なしか怒っているようだった。

「ぬぅ、ナンパとは人聞きの悪い。只のコミュニケーションというやつだぞ……ひょっとして舞、ヤキモチか?」

「!!」

 今度は高速で、しかも死角からチョップが飛んできた。今度は祐一に命中する。

「とにかく、佐祐理をナンパしたら駄目」

 それだけ言い残すと、舞は片づけを始めた。その隣で佐祐理は赤い顔のまま「はぇ〜」とか「ふぇ〜」とか呟いていた。後は雑談に
興じていた祐一達だったが、そろそろ教室に戻ろうと立ち上がる。

「舞、教室に戻ろうか」

「はちみつくまさん」

「あ、そうだ。祐一さん」

 祐一が階段を下りようとした所で、佐祐理が話しかけてきた。

「何?」

「よろしかったら、明日もお昼ご飯を一緒にどうですか?」

「いいの?」

「はい。大勢で食べたほうが美味しいですから。舞も良いよね?」

「はちみつくまさん。祐一と一緒のお昼……嫌いじゃないから」

「あはは〜。素直に「好き」って言えば良いのに。舞は恥ずかしがりやさんだね〜」

「そんなことない」

「きゃ〜きゃ〜」

 照れた舞が佐祐理にチョップを放ち、佐祐理は微笑みながら逃げている。相変わらず仲良さそうにふざけあう二人を見て、笑いながら
祐一も答えた。

「それじゃ、何か急用でもない限りお邪魔させてもらうよ」

「はい、お待ちしてます。佐祐理達は何時もここでお昼ご飯を食べていますから」

「何時もここで? 寒くない?」

「もう慣れましたから。それじゃ祐一さん、佐祐理達は失礼しますね。行こう、舞」

「……じゃぁ」

 佐祐理は舞を連れ立って階段を下りていった。舞も祐一に軽く挨拶をして佐祐理の後に続く。

「あぁ」

 舞達の挨拶に答えた祐一もまた、教室へと戻っていく。

「あ、そういや舞に昨夜の事を聞くの忘れていたな」

 祐一がそれを思い出したのは、自分の教室にたどり着いたときだった。今から戻って聞く訳にもいかず、祐一は教室に
入っていった。既に名雪達も戻ってきていて話をしていた。祐一に気付いた名雪が祐一に声を掛ける。先程の香里の発言
通りイチゴムースを譲ってもらったのか、ご機嫌な様子だった。

「あ、祐一。おかえり」

「おぅ、今帰ったぞ。いや〜今日も疲れたなぁ」

 祐一も、そう言いながら自分の席に着く。

「うん、ご苦労様だよ」

「貴方達、何『帰ってきた夫と、それを玄関先で迎える妻との夫婦の会話』みたいなやり取りしているのよ」

 それを見ていた香里が呆れ半分、怒り半分な調子で言ってきた。『夫婦』という単語に過剰な反応を示した名雪が慌てた。

「わ、わわ。香里何いってるんだよ! でも、祐一と夫婦か……えへへ〜〜……うふふ〜〜〜」

 名雪は顔を真っ赤にして両手を左右の頬に当てて「いやんいやん」とばかりに身をくねらせていた。

「香里……」

「ごめんなさい、迂闊だったわ」

 そんな名雪を見て固まっていた祐一と香里だったが、香里は自分の発言の責任を取るべく行動をおこす。

「名雪、戻ってきなさい!」

 香里のチョップが、身をくねらせている名雪のおでこに命中する。

「だおっ!?」

 そのショックで名雪は我に返る。

「う〜、痛い。酷いよ香里〜」

「貴女が変な妄想に浸っていたから戻してあげたのよ」

「う〜、でも香里が最初にあんな事言うから……」

「うっ……」

 名雪の反撃に香里がたじろいだ。普段は冷静な香里が珍しく慌てているのを見て、祐一も会話に参加する事にした。

「香里」

「な、何よ?」

「お前はさっき『帰ってきた夫と、それを玄関先で迎える妻との夫婦の会話』なんて言ったが、あれだけじゃそうとは言えないぞ。
 まだ続きがあるんだ」

「どう続くって言うのよ?」

 祐一が自分をからかおうとしているのは分かったが、香里は祐一の話に興味を持ったので、続きを促した。

「ウム。妻のセリフで『ご飯にしますか? それともお風呂? それとも……私?(ぽっ)』と続き、夫が
 『応ッ! お前をたべるぞ〜』と言って後はムフフな展開になるのだ!」

『私?(ぽっ)』以降の意味を理解したのか、香里も名雪もさっき以上に顔を赤くしていた。

「な、なななな何言ってるのよ!?」

「そ、そそそそそうだよ祐一! あっ……でも祐一となら……えへへ〜」
 
「名雪っ!」
 
 再び妄想の世界に旅立とうとした名雪を、威力が三割ほど増した香里のチョップが引き戻した。

「うぅ〜、香里……痛いよ」

「う……相沢君、変な事言わないでよ!」

「むぅ、だがな……漢なら一度は言われてみたい事だと思うぞ?」

 祐一のその言葉に、クラスの男子が声こそ上げないものの、心の中で同意していた。

「そ、そうなんだ……じゃあ祐一、私が言ってあげるよ」

「名雪が? まぁ良いだろう。よし来いっ、名雪!」

 何を思ったのか、突然の名雪の発言にクラス中が興味を示して静かになる。祐一は何か悪巧みをしている顔で聞いていた。
名雪は頬を赤らめ、咳払いを一つしてから――勝手な妄想を描いて――祐一に言った。

「え、えっと……お帰りなさい。ご飯にしますか?」

「悪い。外で済ませてきた」

「じゃ、じゃぁ……お風呂?」

「あ〜、それも済ませてきた」

 香里も、周りで聞いていたクラスメイト―― 一連の話は、三人のいつもの漫才じみたやり取りだと思っている――も
「おかしいな?」と気付くが、妄想に浸ったままの名雪は気付かずに話を進めた。

「えっ、えっと……じゃ、じゃぁ……わ、私を……」

「悪い、ソッチも外で済ませてきた」

 祐一がそれを言った瞬間に、クラス全員の動きが止まった。

「相沢君……」

『やっぱり相沢君って、女性を誑かす……』

『二股……』

『ハーレム……』

 といった不穏当な発言がクラスのあちこちから聞こえてくる。

「すまん、悪ふざけが過ぎた……」

 祐一は素直に頭を下げる。そして今まで何も言ってこない名雪を見ると、彼女は空ろな表情のまま涙を流していた。

「な、名雪!?」

「だおー、夫婦の危機なんだおー。人生相談に電話するんだおー……」

 そう言いながら携帯電話を取り出して、何処かに電話を掛けようとする。

「ま、待ちなさい名雪! 何また妄想に浸っているの!」

「そうだぞ、早まるな!」

 祐一と香里が慌てて止めに入った。その後祐一は、名雪をイチゴサンデーで宥める羽目になった。


 なんとか宥めてクラスも元通りの喧騒に包まれた頃、名雪が聞いてくる。

「そういえば祐一、お昼休みは何処に行ってたの? ご飯は食べた?」

「ん? あぁ、昔の知り合いに出会ってな。飯もその子と一緒だった」

「ふ〜ん、そうなんだ……あれ? 昔の友達って、祐一の居た所からこっちに転校してきた子がいるの?」

「いや、俺がこっちに遊びに来てた時に知り合った子だよ。名雪は知らないが」

 香里は、祐一のセリフに何か引っかかるものを感じて会話に参加する。

「それで、どんな女の子なの?」

「そうだな……って香里、何で女の子だと決め付ける?」

「相沢君だからよ……ま、本当は貴方が「その子」って言っていたからよ。男だったら「そいつ」とか言うでしょ?」

「むぅ……鋭いな、かおりん。流石は学年首席」

「「かおりん」は止めて。やっぱり女の子なのね……まったく……」

「ん?」

「な、何でもないわ! ホラ名雪、貴女からも何か言いなさいよ!」

 香里は、自分の気持ちを悟られたくないのか、慌てて名雪に話を振った。

「祐一、私の知らない所で女の子と仲良くなってる。やっぱり夫婦の危機……」

「名雪! いい加減その話題から離れろぉ!」

「誰が夫婦よ! 相沢君は……」

 結局その騒動は、次の授業が始まるまで続いた。


                         ★   ★   ★


 HR終了のチャイムが鳴る。石橋が出て行くと同時に、昼休みと同じようにクラスがざわつき出す。尤もこれで本日の学業は
終わりという解放感も手伝って、昼休みのそれより騒ぎは大きかった。

「祐一、放課後だよ」

 今まで眠りの園の住人と化していた名雪が、クラスが喧騒に包まれるなり一気に覚醒して祐一に報告した。

「ウム、報告ご苦労。褒めてつかわすぞよ。大儀であった」

「えへへ」

「貴方達、よく飽きないわね」

 放課後の祐一達のクラスにある何時ものやり取りに、何時通りに香里が呆れつつもツッコミを入れる。ここ最近見慣れている
光景だったが、今日は何時もと違っていた。普段はこの後、名雪が部活に行ったり行かなかったり、また掃除当番の日だったり
するなど複数のパターンがあるのだが、今日はそのどれでもなかった。祐一達が帰り支度を終えた頃、一人の女生徒が祐一達の
教室にやって来た。

「祐一さ〜ん、いますか〜?」

 その女生徒は長い髪にチェック柄の大きなリボンを着けていた。ケープのリボンの色は三年を示す青色。太陽のような明るさ
を感じさせる笑顔。今日祐一が、舞を通じて知り合った佐祐理だった。突然の上級生、この学校有数の美女で有名人の訪問に、
残っていたクラスメイト達のざわつきが一層大きくなる。

「おい、あれって……」

「ああ、倉田先輩だ」

「『祐一さ〜ん』って相沢君の事?」

「今度は上級生? しかもあの倉田先輩!?」

 教室のあちこちからそんな声が聞こえてくる。佐祐理はそんな声にも構わずに、教室内に祐一の姿を認めると祐一の所へ歩いてきた。

「さ、佐祐理さん?」

「はい、佐祐理ですよ」

 祐一は、佐祐理の突然の訪問に戸惑っていた。舞が来るなら分からないでも無かったが佐祐理とは予想外だった。

「どうしたの?」

「はい、祐一さんにお願いがあるんです。実はですね……」

「あ〜、ちょっと待って」

「ふぇ?」

 佐祐理が何か言おうとしたのを慌てて止めた。名雪達を含め、クラス中が祐一達の様子を窺っていたからだ。そんな中で話すのは
不味いと思った祐一は差祐理を廊下に連れ出すことにした。

「佐祐理さん、こっちで聞くよ」

「ふぇ?」

 佐祐理の方を掴んで彼女の身体を反転させると、押し出すようにして廊下へと出て行く。名雪達、イヤ、クラス中の好奇や嫉妬
その他諸々の視線は、あえて無視していた。それからクラスの目が届かなくなった辺りまで来ると、佐祐理の話を聞いた。

「ふぅ、突然来るんだもんな。ビックリしたよ」

「迷惑でしたか?」

「いや、驚いただけ。迷惑だなんて思ってないよ。それでお願いって何?」

「実はですね」と前置きしてから佐祐理が話を続けた。それは、舞と一緒に下校して欲しい、というものだった。

「舞と?」

「はい。何時もは佐祐理と一緒に帰るんですけど、今日は生徒会に用事がありまして、ちょっと遅くなりそうなんです。
 舞を長い時間待たせるのも悪いですから」

「(舞と話せる機会だな……)」

「あの〜、何か予定がありますか?」

 考えている祐一を見て、佐祐理が遠慮がちに聞いてきた。

「あ、いや。予定は無いよ。うん、分かった。舞と帰ることにするよ」

「あはは〜、良かったです。舞も喜びますよ」

「それで、舞は何処にいるの?」

「昇降口で待ってますよ。あ、佐祐理はそろそろ行きますね」

 佐祐理は、左手に嵌めているやや大きめのバンドの腕時計を見てから言った。

「じゃぁ舞の事、お願いしますね。さようなら、祐一さん」

「あぁ、また明日」

 そう言って別れると、祐一は自分の教室に戻った。自分の席に着くと鞄を取って名雪達に声を掛ける。

「悪い、急用が出来た。先に帰るぞ」

「あ、祐一。倉田先輩と……」

「帰ったら話すよ。じゃっ!」

「じゃっ、じゃないよ〜」

「も゜ゅっ!」

「じゅっ、でもっ……て、えぇっ! 今度は何っ!?」

「サラバだ諸君。また会おう!」

 名雪と香里が何か言ってるのを背中に受け、更にはクラス中の注目を集めながら、祐一は昇降口へと向かった。昇降口前には
既に舞が待っていた。祐一に気が付いた様子も無かったので、祐一から声を掛けた。

「よぅ」

「祐一?」

 お互いに近づいていく。そしてまた祐一から話を切り出した。

「今帰りだろ? 一緒に帰ろうぜ」

「ぽんぽこたぬきさん。佐祐理を待ってるから」

「それなんだが佐祐理さんに頼まれたんだ、用事は随分時間が掛かるから先に帰ってくれって。俺と帰るのは嫌か?」

「祐一と帰るの……嫌いじゃない」

「俺も舞と色々話したい事があるしな。佐祐理さんが心配なら、また迎えにでも来ればいいさ」

「はちみつくまさん」

 舞が了承したので一旦別れて下駄箱で靴を履き替える。昇降口を出た所で合流し、学校から出ていった。祐一と舞との間に
会話は殆ど無かった。舞は、祐一が話しかけても無視することは無いが、一言二言の返答で済ませていた。
 今は二人、公園のベンチに並んで座っていた。

「舞はどの辺りに住んでいるんだ?」

「今は、佐祐理の家にいる」

「佐祐理さんの家って……家族は一緒じゃないのか?」

「私は、祐一と同じだから……」

 そういって舞は、僅かだが表情を変えた。

「同じって?」

「家族は、もういないから……」

「あ、そうか……悪い事聞いちまったな」

 祐一が謝ると、舞は首を振って祐一に答えた。

「ぽんぽこたぬきさん。祐一も気にしないで。私は平気だから」

 それは、昼間祐一が佐祐理達に言ったのと同じ意味だった。それを理解した祐一も「わかった」とだけ答える。暫く二人の間に
会話は無かったが、頃合を見て祐一が話を切り出した。

「舞、昨夜の事なんだが、一体何をしていたんだ? 『魔物を討つ者』って言ってたけど『魔物』って何だ? 昔もそんな事を
 言ってただろ?」

 舞は何も答えなかった。口を閉じたまま、じっと地面を見つめている。

「舞……」

 祐一が促すと、舞もようやく口を開いた。

「魔物を討つ。それは私がやらなきゃいけない事だから……」

「どういう事だ?」

「祐一も、佐祐理も巻き込みたくないから……これ以上は言えない」

「佐祐理さんも? 佐祐理さんはこの事を知っているのか?」

「祐一」

 舞は今までに無い、強い調子で祐一の名前を言った。

「お願い、これ以上関わらないで。佐祐理にも関わらせないで。二人とも……私の大事な人だから」

「舞……」

「それじゃ……」

 舞はそう言い残して立ち上がると、祐一を振り返る事無く足早に公園を出て行った。祐一は、舞を追いかけることも出来ずに
座っていた。舞が公園から姿を消しても暫くはその場から動かなかった。



続く
 

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