「相沢祐一……?」
少女が質問してくる。だがそれはあくまで確認するかのようだった。
「? あぁ、そうだ。君は?」
「……見つけた」
少女は祐一の問いには答えない。祐一が再び問いかけようとしたが、それ以前に少女がこちらを殺気の篭った目で睨みつけた。
「貴方だけは、許さないんだからっ!」
そう言って少女は祐一に飛び掛ってきた。
Kanon 〜MaskedRider Story〜
第十八話
ダッ!
少女が離れていた間合いを一足飛びで詰めてくる。祐一はその跳躍力に驚いた。更には、
「(速いっ!)」
恐るべきスピードで祐一に迫ってきた。少女は攻撃の間合いに入ると指を開いたままで腕を振り下ろしてくる。祐一は
持っていた荷物を離すと、後ろへと飛ぶ。
ブンッ!
間一髪で祐一は回避に間に合ったが、コートの端が切り裂かれていた。祐一が着地すると同時に少女も着地する。その際に
膝を曲げてショックを吸収していた。それから重心を前方、即ち祐一の方へと向ける。
「おい! 一体……」
事情を聞こうとするが少女は既に次の行動に出ていた。膝を曲げてショックを吸収していたが、今度は曲げた膝を伸ばす事によって
爆発的な加速を生み出し、飛び込んでくる。祐一の頭上まで飛び上がっていた少女は一回転して、顔を目掛けて蹴りを繰り出してきた。
「チィッ」
身を投げ出して蹴りを辛うじてかわす。一瞬前まで祐一の頭があった場所を少女の鋭い蹴りが通過していった。
祐一が道の上を転がって起き上がりながら少女の方を向くと同時に、着地した少女も祐一に向き直る。暫くそのままで対峙が続く。
「おい、一体何の真似だ! 俺を許さないってどういうことだ?」
「…………」
少女は祐一の問いに答えずに、依然殺気の篭った目で睨んでくる。
ダッ!
少女がまたしても襲い掛かってくる。が、今度は飛び上がらずに身を低く、地を這うように走りこんで来た。攻撃の間合いに入るなり、
伸び上がるようにして身体を起こし、その勢いに乗せて左腕を振り上げてくる。祐一は半身になってそれをかわすが、回避しきれずに
またしてもコートの端を切り裂かれる。祐一がかわしたのを見て取ると、さらに一歩前に踏み出して右手を振り下ろした。
「(問答無用かっ、仕方ない!)」
祐一はバックステップで攻撃を回避した。少女も体勢を立て直そうと一歩後ろへと飛ぶ。それを見た祐一が反撃に転じようとするが、
少女のほうが先に祐一に向かって来る。祐一の直前で勢いを殺さぬようにしゃがんで、身体を回転させながら右足で足払いを
仕掛けてくる。
ブゥンッ!
祐一は飛び上がって回避し、少女が背を向けた隙に掌底を打とうとするが少女の回転の勢いが速く、そう思った時には
既に向き合っていた。未だ空中に飛び上がった祐一に対し、少女は伸び上がる勢いを利用してパンチを突き出す。
ガシィッ!
空中ではロクな回避行動が取れない為、止む無く胸の前で重ね合わせた両手で少女の拳を防ぐ。そして、両手のバネと攻撃の
勢いを利用して、祐一は更に後方に飛んだ。そのまま睨みあいが続く。
やがて祐一の後方から誰かがやってくる気配がした。そしてその気配の主が顔を出す。
「あれ、祐一? こんな所で何やってるの?」
「名雪っ!?」
声に思わず振り向くと、そこには部活帰りらしく学生鞄とスポーツバッグを抱えた名雪がきょとんとした表情で立っていた。
「下がれ、名雪! ハッ……!」
名雪に声をかけてしまう。だが、目の前の少女はその隙を見逃すような相手では無かった。祐一が少女に向き直った時には
既に飛び上がって、キックを繰り出す直前だった。
「クッ!」
かわせば名雪が危険だと判断した祐一は、顔前で両手をクロスさせると少女のキックをガードした。
ガシィッ!!
「グァッ……」
小柄な少女ではあったが力は強く、加えて飛び込みの勢いと少女の全体重の載ったキックの威力は充分に祐一の腕にダメージ
を与えた。ガードを弾かれそうになるが寸での所で堪える。少女は蹴り足を曲げるとそれをバネに、今度は祐一の両手を蹴って
後方へと飛んでから一回転して着地した。
「祐一……?」
「下がってろっ、危険だ!」
いまだ状況が把握できない名雪に、今度は少女を見たままで祐一が叫ぶ。
「(パワー、スピード、反射神経、どれをとっても普通の人間のレベルじゃないな……この子は一体……)」
祐一は、いままでの組み合いから少女の戦闘能力を推し量っていた。自分だけならまだしも、背後に名雪がいるこの状況では
逃げる事も出来なかった。
ダッ!
再び少女が向かってくる。そして祐一の間合いに入る寸前だった。
ぐぅ〜〜〜〜
「あぅ〜……」
少女のお腹から音が聞こえて、更には少女自身も情けない声をあげる。途端に今までのスピードが無くなってしまう。
祐一は、それでも繰り出してきた少女のパンチをかわすと背後に回って首筋に手刀を叩き込んだ。
「あぅ!」
その一撃で少女は気を失って道路に倒れこむが、その寸前で祐一が彼女の身体を抱える。
「ふぅ……」
少女の意識が無い事を確認するとようやく一息入れることが出来た。
「祐一、一体どうしたの?」
状況が落ち着いたのを悟った名雪がやって来た。祐一と、彼に抱えられている少女を交互に見ている。
「いや、俺にも何が何だかさっぱり分からん」
「けど……」
「突然この子が「貴方だけは許さない」とか言って襲い掛かってきたんだ」
「結構可愛い子だね。祐一……この子に何したの?」
少女を見た後で、名雪がジト目で問い詰めてくる。
「ま、待て名雪。何か誤解があるようだが俺はこの子の事は何も知らない。さっき会ったばかりだ」
改めて抱えている少女を見るが、やはり祐一の記憶の中にこの少女は居なかった。
「じゃあ何でこの子と戦っていたの? 普通じゃないよ」
「だから、この子に事情を聞きたいんだが、これではな……」
見れば、周りにちらほらと人の姿が見える。さっきまでの騒ぎを聞きつけて野次馬が集まってきた。
「とにかく、家に連れて行こう。俺がこの子をおぶって行くから名雪はそこの荷物を頼む」
祐一はそれだけ言うと、名雪の返事も待たずに少女を背負うとその場を離れた。後ろから名雪が「あっ、祐一待ってよ〜」
とか「これ重いよ〜」などと言ってるのが聞こえたが、聞こえないフリをして走り去った。やがて自宅である百花屋の前に
到着し、これからどうしたものかと思案している所へ、大量の荷物を抱えた名雪がやって来た。従来の荷物に加えて夕飯の
材料などを持っていた名雪はふらふらしながらも祐一の所まで歩いてくる。
「う〜〜、祐一ってば酷いよ、極悪だよ〜」
「う、悪い。急いでいたからな」
名雪に恨みがましい目で見つめられて、条件反射で謝ってしまう。あまり怒りを溜め込むことの無い性格の名雪は、一頻り
恨み言を述べた後(後日、祐一はイチゴサンデーを奢るハメになったが)普段通りの様子で祐一に尋ねた。
「祐一、これからどうするの?」
「秋子さんには俺から事情を説明するから、名雪はこの子を何処かで寝かせられるようにしてくれ」
「うん、オッケーだよ。じゃあお布団敷いてくるね」
そう言って名雪は住宅の玄関へと入っていく。一方の祐一は百花屋の入り口へと足を向ける。この時間帯では既に客足もなく
店内では、まだ早いが閉店の準備を始めるところだった。
カランカラン♪
祐一が店内に入ると、テーブルの後片付けをしていた香里が声をかけた。
「いらっしゃいま……」
店内に入ってきたのは香里のよく知る人物だったが、その祐一の様子に香里は言葉を失う。
「相沢君……その子は?」
「あ〜、香里。色々聞きたいことはあるだろうがちょっと待っててくれ。秋子さんは?」
「私がどうかしましたか?」
すぐに秋子が奥から顔を出した。祐一の様子を見て、めったに見せない驚きの表情を浮かべている。
「名雪が、『祐一が女の子を連れてきた』って言って2階に上がっていったから何事かと思ったんですけど……祐一さん」
「はい?」
「本当に『女の子を買って』来てしまったんですね」
あらあらと付け加えて頬に手をあてる。それを聞いた香里の視線に冷たいものが混じる。
「相沢君……」
「ま、まて香里、誤解だ! 秋子さんも! とりあえず説明をさせてください!」
「それより先にその子を休ませましょう。名雪が2階の奥の部屋で支度しているでしょうから」
祐一は、店舗から住宅に上がると秋子に指示された通りに2階の奥へと少女を運んでいった。そこでは既に名雪が支度を
終えて祐一達を待っていた。少女を寝かせた祐一と名雪は、リビングへと向かう。そこには秋子と香里がソファーに座っていた。
「あれ、お店の方はいいんですか?」
「閉店の札を掛けてきましたから大丈夫です。それで祐一さん、一体どういう事ですか?」
自分にやましいところなど無いが、何故か浮気がバレた亭主のような心境で祐一は秋子達に事の経緯を説明した。
「そうだったの……でも相沢君、本当にその子に見覚えが無いの?」
「ああ」
一応は納得してくれた香里が尋ねてくる。祐一も幾度と無く記憶を思い返してみるがやはり記憶の中に少女の姿は無かった。
「でも……あんな風に襲い掛かってくるなんて普通じゃないよね」
一部始終を見ていた名雪がそれに続く。名雪から見ても明らかな敵意、いや殺意とも呼べる物をあの少女は持っていた。
「あの子自身とは面識が無くても、あの子の知り合いとかが原因じゃないの?」
「それだったら見当も付かないが……まあ、人知れず恨みを買うってことはあるだろうけど。でもなぁ……」
「あの子に聞いて見るのが一番でしょうけど、今はまだ休ませておきましょうか。とりあえず夕飯にしましょう」
今まで黙っていた秋子が、その場を納めるように口を開いた。
「うん。あ! そうだ」
秋子の手伝いをしようとした名雪が突然声を上げる。
「あの子、着替えさせてあげないと。あの格好のままじゃ休めないよ」
「そうね……それに、悪いとは思うけど彼女の持ち物を調べれば身元や連絡先が分かるかもしれないわね」
名雪の提案に香里も同意する。それを聞いた祐一も立ち上がると名雪たちの後に付いて行こうとした。だが、階段まで
来たところで二人の無言の視線に足を止められる。
「「……」」
「な、何だ?」
「祐一のエッチ」
「!!」
ついていこうとしたのには理由があるとは言え、客観的に見れば自分の行動がどんな意味を持つか理解した祐一は、慌てて弁解をした。
「ま、待て二人とも! あの子が目を覚ました時にお前たちに襲い掛かってきたら危ないだろ!?」
祐一の頭にはそれしか無かった。あの子の能力を考えれば名雪たちだけでは危険だと考えていて、相手が女の子だと
いう事を失念していた。
「だからといって堂々と女性の着替えを見るものじゃないわよ」
香里の声と視線に、先程よりも冷たいモノが混じる。それに抗しきれない祐一は自説を引っ込めるしかなかった。
「まあ、何かあったら呼ぶから。その時はよろしくね」
香里は、そういい残して名雪の後を付いて2階へと上がっていった。名雪は自室からパジャマを持ち出して、少女を寝かせて
いる部屋へと入っていく。祐一は、仕方なくリビングへと戻っていった。
「祐一さん、いけませんよ。女性の着替えを見ようだなんて」
「いや、あの……」
リビングに居た秋子に窘められる。だが秋子は先ほどの祐一の説明を聞いていたので祐一の行動を理解していた。その表情
にも相手を労わるものが含まれていた。
「でも、それほどまでに彼女は危険なんですか?」
一転して真面目な顔で秋子が尋ねる。祐一もまた、あの時の事を思い出して真剣な顔つきになる。
「はい。あの動きは普通じゃありません……」
それきり二人の間に会話が無くなる。沈黙を破って口を開いたのは秋子だった。
「何か分かると良いんですけど…………あ、祐一さん。あの子の事とは別にニュースがあるんです」
「何ですか?」
「はい、聞いているかもしれませんが……」
そう言ってから秋子は話を始める。
隣街からさらに奥まった山奥で原因不明の爆発があった事。
またその街で深夜に狐のバケモノが現れた事。
だが人的被害は無かったという事。
祐一もそのニュースは、商店街で人々が話しているのを聞いて知っていた。
「おそらく二つの事件は……」
「えぇ、カノンが関わっているかもしれませんね」
秋子の推測に祐一も同意する。狐のバケモノというのはカノンの怪人の可能性が高かった。また爆発は多分カノンのアジトの
あった所だろう。そこは祐一の探索範囲から大きく外れていた。だが祐一は悔やんでいた。その場所をもっと早くに突き止めて
いたらカノンの情報も入っただろうし、一人の少女の命も救えたかも……そんな事を考えていた。
「祐一さん……」
祐一の苦悩を察した秋子が優しく声を掛ける。
「分かってますよ、悔やむのは後でもできます。今は、今出来る事をやるだけです」
そう言って秋子を安心させた。
「でも、少し気になる所があるんですが……」
「何ですか?」
「その爆発がカノンのアジトの爆発だったとして……何故連中がそのアジトを爆発させたのかが気になるんです。アジトの
位置を知られた訳でもないのに」
「新しい場所に移転でもするんでしょうか? それともカノンにとっても想定外の……何か事故とかあったのかもしれませんね」
「新しくアジトを作って前のアジトを放棄したというなら、探すのが厄介ですね……それともう一つ。その狐のバケモノ
なんですが、多分カノンの怪人だと思うんです。ただ、人を襲っていないというのが気になるんです。何かの作戦か……」
祐一にも秋子にも、事の真相を推測は出来ても掴むことは出来なかった。情報が少ない現時点では推測ですら満足に出来ないのだが。
「どうしますか? 祐一さん」
「とりあえず、現場に行ってみるしかないでしょうね。尤も連中が何か証拠を残しているとは思えませんが」
「今からですか?」
「流石に日が落ちてからでは何かあっても見つけるのは難しいでしょう。明日にでも行ってみますよ」
「そうですね」
秋子はそれだけ言い残してキッチンへ行き夕飯の準備を始めた。祐一も手伝おうとしたがやんわりと断られた為、今では
一人リビングに残ってTVを見ていた。ニュースで何か情報が得られないかと思ったが、放送しているのはバラエティ番組
ばかりで祐一が望むものは無かった。暫くTV番組を見ていると名雪と香里が降りてきた。
「着替えさせてきたよ」
「ご苦労さん。どうだ、何か分かったか?」
香里がソファーに座りながら答えた。
「それが……ちょっと変なのよ。お財布とか携帯電話とか、そういったものを一切持っていなかったの。これじゃ身元や
連絡先は分からないわ。家出にしたってお財布くらいは持って出ると思うけど……」
そう言った香里の顔は未だ、何か疑問が残る表情をしていた。
「まだ何かあるのか?」
「うん。あの子の服装が変だったの」
今度は名雪が答えた。
「あの子、随分と薄着だったの」
「薄着って……セーターだけだったのか?」
「うん……セーターの下は下着だけ……祐一、何かエッチな事考えてない?」
「待て、そんな事は……」
またしても何やら気まずくなるが、香里が無視するように話を引き継いだ。
「後その服なんだけど、彼女とサイズが合ってないようなのよ。セーターもズボンもね」
「ふむ……サイズ云々はともかく、そんな軽装なら近所の子なんじゃないか?」
「う〜ん。でも私あの子の事、学校でも街でも見かけたことないよ」
「私も覚えがないわね」
結局のところ、あの少女に話を聞くしかないところに行き着いていた。
「あ、いけない。お店の後片付けしてこなきゃ」
「私は、お母さんを手伝ってくるよ」
香里と名雪もリビングを出て行った。手持ち無沙汰になった祐一は、香里の手伝いでもしようと店舗へ向かった。
★ ★ ★
カノンのアジト
『来たか、ジャガーマンよ』
カノンの首領の声が響く。ここは、先日失われたのとは別の場所にあるカノンのアジトだった。その指令室で一人の怪人が
首領の命令を受けて参上していた。鋭い牙を生やした豹の頭部、全身の体毛も実在の豹のように斑模様で覆われていた。
両肩から胸部にかけては黒いプロテクター、腰にはカノンのベルトを身につけている。
「御呼びにより、参上いたしました」
ジャガーマンと呼ばれた怪人は平伏して首領の言葉を聞く。
『ジャガーマンよ、先日のアジトの爆発の一件は知っているな。その後の調査によれば爆発は一体の改造体が原因だという事だ。
お前の使命は新アジトの建設に加えてその改造体の回収だ。ヤツが仮面ライダーと接触して我らの情報を漏らすような事が
あってはならん。よいな?』
「ハッ! 首領……改造体が戻るのを拒否、あるいは回収が不可能な場合は……」
『そのときは殺せ。我が意のままにならぬ失敗作に用は無い』
「ハハッ!」
★ ★ ★
水瀬家
百花屋の片付けも終わる頃、夕飯の支度も出来たので、祐一達はダイニングで夕飯の鍋を囲っていた。
秋子特製の出汁で煮込まれた様々な野菜、魚介類、肉類等どれも食欲を大いに刺激する。
「そろそろ良いかしら。さ、香里ちゃんも沢山食べてね」
「いつもすいません」
「いいのよ。大勢で食べたほうが美味しいから」
「「「「いただきます」」」」
ここ最近ではいつもの光景だった。名雪たちの会話に秋子が微笑む。何気ない日常、だからこそ守りたい平和な光景がそこにはあった。
祐一達が食事を始めて暫くした頃、
「お腹すいた……」
そう言いながら廊下へ続くドアを開けながら誰かが入ってきた。その姿を認めた祐一が思わず立って身構える。
「お前は!?」
「良いにおい……あぅ?」
祐一が連れてきて、2階で寝かせていた少女だった。だが先ほどまでの殺気に満ちた表情はしていなかった。今は名雪達に
よって着替えさせられており、沢山の猫がプリントされたややサイズの大きいパジャマを着ていた。少女の視線は一瞬だけ
祐一に向けられたが、すぐにテーブルの上で湯気を放つ鍋へと向けられる。
「美味しそう……」
ぐ〜〜〜〜
物欲しそうに見つめる少女のお腹から音がする。それは部屋にいる全員に聞こえた。
「えっと、一緒に食べよ?」
その音を聞いた名雪が躊躇いがちに話しかける。
「おい、名雪……」
「だって、お腹空いてるみたいだし、このままじゃかわいそうだよ。良いよね、お母さん?」
「了承」
祐一が止めようとしたが、名雪はそれを遮って秋子に聞いた。秋子の了承が出たので、それ以上は祐一も何も言わなかったが、
少女の動きに注意していた。
「こっちにおいでよ」
名雪が自分の隣を指す。少女がやってくると、鍋から小鉢にとりわけ、ご飯をよそって少女の前に置く。少女は暫く迷って
いたが、目の前で美味しそうな匂いを放つ食べ物に我慢できなくなり、挨拶もせずに箸をつかむと、物凄い勢いで食べ始める。
ガツガツモグモグ……
「よ、よっぽどお腹が空いていたのね……」
少女の迫力に圧されながら香里が言う。その食べっぷりに祐一達も食べるのを忘れて見入っていた。
その後、鍋料理をお代わりすること三回、ご飯をお代わりすること四回、途中喉を詰まらせ名雪にお茶をもらうこと五回あり、
少女は落ち着き、一息入れた。
「あぅ……ごちそうさま」
お茶を飲み終わったあと、少女は丁寧に頭を下げた。やはり先ほどまでの殺気に満ちた様子はなく、ただ戸惑っている様子
だった。ころあいを見計らって祐一が声を掛ける。
「さて、色々聞きたいことがあるんだが……」
言われて、少女は祐一の方を見る。
「あ……相沢祐一」
祐一の姿を認めたが、今度はいきなり襲い掛かるような事は無かった。
「俺を許さないってどういう事なんだ?」
聞かれた方の少女はどう答えたら良いか迷っていた様子だったが、やがて口を開く。
「……わかんない」
「え?」
「だからぁ、わかんないの! ただ『相沢祐一は許しちゃいけない』ってそんな気がしたのよぅ!」
自分でも何故そんな気がしたのか納得できないのか、立ち上がりながら興奮気味に言い返す。
「わかったから、ちょっと落ち着いて」
興奮気味の少女を香里が優しく声をかける。香里の言葉に少女も落ち着きを取り戻して座りなおした。
「相沢君を許さない、って理由は一先ず置いといて。本当に彼なの? 別人って事は無いの?」
香里が続いて質問する。「置いといて」の辺りで祐一が何か言いたそうにするが、それを無視して香里は話を続けた。
「この顔の相沢祐一に間違いないわよ! それは分かるんだから!」
飛び掛るようなことは無かったが、祐一に指を突きつけて少女が叫ぶ。
「えっと……今も祐一の事が許せない?」
少女の迫力に押されつつも名雪が遠慮がちに声を掛ける。あの時とは違い、祐一に襲い掛からない彼女に名雪は違和感を
覚えていた。名雪の言葉を聞くと、少女の戸惑いは一層強くなったように見えた。
「あぅ……許せないのはたしかだけど……でも、そんな事しちゃいけないって気もするの……だから……わかんない」
「う〜ん、どういう事なんだろうね?」
「さぁ……」
名雪の疑問に、香里も答えられずに言葉を濁す。次に口を開いたのは、今まで黙って成り行きを見守っていた秋子だった。
「別のことを聞いてみましょうか……貴女、お名前は? どこから来たの?」
本来であれば最初に聞くべき質問だったかもしれない。祐一達はそのことをすっかり忘れていた。秋子の質問を受けて、
またしても少女は黙り込んでしまう。
「おい、まさか……」
嫌な予感がした祐一が少女に確認する。帰ってきた答えは祐一の予想通りのものだった。
「……わかんない」
「わかんない、って……本当に何も分からないのか? 名前も、住所も? 何もかも!?」
「本当よ! 自分の名前も、何処に住んでるのかも、何もわかんないの! 気が付いたら道端で寝てて、それからずっと
歩いて、商店街に来たらあんたが居て、そしたら『相沢祐一を許しちゃいけない』ってのを思い出して、そして後をつけて
戦ったらお腹空いてきて……また気が付いたら暗い部屋の中で寝てたの。それで、なんか良い匂いがしたからここに来たの
……ここ、何処なのよぅ?」
少女は最初、一気にまくし立てて勢いよく喋っていたが見知らぬ事への不安からか、次第に弱気になってきた。
「ここは私達の家よ。安心していいのよ」
秋子が優しく微笑みかけた。言われた少女は、僅かではあるが不安を解消できたようだった。
「記憶喪失ってやつなのかしら?」
「そうかもしれないな」
今までの経緯から香里が推測する。それに祐一達も同意した。改めて少女の顔を見てみるが、嘘を言っているようには見えなかった。
少女自身も自分が何者なのか分からずに、不安な顔を隠そうともしていなかった。
「……私、誰なの? これからどうなるの?」
不安顔の少女が恐る恐る口を開く。
「そうね……警察に届けるのが良いかしら? 身元も調べてくれるだろうし」
香里が尤もな意見を述べたが、名雪がそれに反発した。
「それはそうだけど……でも、可愛そうだよ。私達でなんとかしてあげられないかな?」
香里の言う事は正論だという事は名雪にも納得できた。だが名雪は警察に任せて後は知らんぷりを決め込む事など出来なかった。
「私だって何とかしてあげたいとは思うわ。けど、理由は分からないけど、この子は相沢君の命を狙っていたのよ?」
「あぅ……」
香里の言葉に少女の怯えがさらに強くなった。
「まぁ待て香里」
さらに何か言おうとする香里を、祐一が止めた。
「俺だって香里の言うとおりにした方が良いと思う。けど、俺は何故この子に狙われるのか知りたいんだよ。本当に俺に非が
あるのか知りたいし、誤解なら解いておきたい。警察に届けるのはそれからでも良いんじゃないか?」
祐一にそこまで言われては香里も譲歩せざるを得なかった。元々香里もこの子に同情しており、なんとかしてあげたかった。
「まあ、相沢君なら大丈夫だろうし……いいわ、私も協力する。けど、その間彼女を何処においとくつもりなの?」
「家に居れば良いですよ」
「「秋子さん!?」」
「お母さん!?」
秋子の提案に祐一達が驚く。
「……いいの?」
「えぇ、いいわよ」
少女の問いかけにも秋子は微笑んで応じた。
「でも条件があるわ。それは、この家に居る間は誰にも危害を加えないこと。当然、祐一さんにも襲い掛かってはいけないわ」
秋子は少女の目を見ながら話しかける。少女は少しの間迷っていたが、やがて口を開いた。
「あぅ……分かった」
少女は自分が何者なのか分からない今、自分に優しくしてくれるこの家の人達の下を離れたくは無かった。知らない所に放り
出される恐怖をもう味わいたくは無かった。祐一の事にしても、今はそれほど「許せない」とは思わなくなっていた。
「ならいいわ」
少女の同意が得られたので秋子も安心する。
「祐一さん……良いですか?」
「秋子さんが良いなら……元々この家に連れてきたのは俺ですからね……とにかく、もう俺に襲い掛かるのは止めてくれよ?」
祐一は秋子に答えた後、少女に向かってやさしく話しかけた。
「わ、わかったわよぅ……」
話がまとまったのをみて、名雪たちも安堵した。
「よかったね」
「うん、ありがとう……えっと」
少女が言いよどむのを見て、まだ誰も自己紹介をしていないのに気づいた名雪が名乗る。
「私は、水瀬名雪だよ。この人は私のお母さんで水瀬秋子。こっちが私の親友で美坂香里」
「よろしくね」
「よろしく」
名雪の紹介で秋子と香里が少女に挨拶した。
「で、俺が……」
「うん、知ってる。相沢祐一でしょ」
「…………」
続いて祐一が名乗ろうとしたが、少女の先を越されてしまう。少し気取った挨拶でも、と密かに考えていた目論見を
叩き潰された祐一は寂しげに俯き、テーブルに「の」の字を書いていじけた。
「まあ、相沢君のことは何故か知っていたんだから良いとして……」
「……うぅ」
香里のコメントに祐一の落ち込みは更に深くなる。
「それで……この子は何て呼んだらいいのかしら?」
「そうだね……名前が無いのはかわいそうだよ」
「ふむ……」
何時の間にか立ち直っていた祐一は、名雪たちが話しているのを横目に、腕組みをして彼女の呼び名の思案に耽っていた。
やがて祐一脳内会議が終了し、一つの呼び名が可決された。
「そうだな……俺は殺されかけた訳だし……その点を考慮して『殺村凶子』というのは……」
「祐一……」
「相沢君……」
「祐一さん……」
三人から凍ってしまいそうな程の冷たい視線を向けられると、祐一は「ゴメンナサイ」と頭を下げる事しか出来なかった。
「まぁ、相沢君はどうでも良いとして。ねぇ、何とか思い出せないかしら? 貴女の名前」
香里が少女に話しかける。目の前の記憶喪失らしい少女に亡き妹の影を重ねているのか、少女に話しかける香里の表情は優しかった。
「そんなこと言われても……」
「焦らなくていいわ。ゆっくりでいいから」
そういわれて少女は、何かを思い出そうと目を閉じる。そうしていると真っ白い記憶の中にぽつんと一点、何かの情景が
脳裏に浮かんできた。それは次第に広がりを見せる。
風……
太陽……
雪……
草原……
丘……
少女が一人……
自分に何か言っている……
その手に持っているのは……
「すず……」
「え?」
少女が何気なく漏らした呟きに名雪が反応する。祐一達も少女が何か思い出したのか、期待する目つきになる。
「『すず』って……貴女の名前? すずちゃんって言うの?」
「ううん、違う……でも、なんだかとっても大切な物のような気がする……」
「すず……鳴らす鈴のことか? でもそれだけじゃ手がかりとしては弱いな……」
「でも、何か思い出せたんですから大きな前進ですよ。さ、もう少し思い出してみましょうね」
秋子が少女の隣に座って、彼女の肩をやさしく抱きしめた。少女も最初は戸惑っていたが、安心したのか秋子に身体を預けて
再び目を閉じる。秋子の温かさに、懐かしくもあり、また最近までそれに包まれていたような……そんなものを感じていた。
自分と幼い少女がいる……
(え……)
目の前で幼い少女が泣いている……
(何か言ってる……)
自分が幼い少女に何かを渡す……
(何度も同じ言葉を……)
幼い少女が自分を抱きしめている……
(それは……)
少女が自分に何かを渡す……
(それは……名前……)
少女の側で自分が寝そべっている……
(自分の……名前……)
寝そべっている自分を少女は優しく見つめる……
(名前は……)
「まこと……うん、思い出した。私の名前は『まこと』よ!」
続く
後書き
はい、こんにちは。うめたろでございます。
今話から新しい話になります。といっても繋がりはあるのですが。
一応の展開も決まっているので、頑張って製作していきます。
怪人の名前が急に横文字になったりしてますが気にしないで下さい^^;
(元ネタ通りだったり)
今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m
相変わらず短い後書きだ……
後書きが苦手だと確認したところでこの辺で^^;
でもちょっと追加w
先の話で美汐がちょこっと出てきたのは今回の話の予告だったりします^^;
(もっと言えば10話で「謎の美少女」が出てきたのもそう)
最後に
私の作品を掲載してくださった管理人様
私の作品を読んでくださった皆様に感謝して後書きを終わりにしたいと思います。
ありがとうございました。
では うめたろ