「仮面ライダー」相沢祐一は改造人間である
彼を改造させた「カノン」は世界征服を企む悪の秘密結社である
仮面ライダーは人間の自由の為にカノンと戦うのだ
Kanon 〜MaskedRider Story〜
第十七話
深夜
星が僅かに瞬く夜の空の中を、一機の小型輸送機が飛行していた。
昼間であれば判別できたであろうその機体には、黒く塗装されていて国籍など所属を示すものは何も描かれていない。
これではレーダーに捕捉されれば、たちどころにスクランブルがかかり、場合によっては撃墜されかねない。
だがこの機体は、通常よりも優れたステルス機能を備えている為、どのレーダーもこの所属不明機を捕らえる事はなかった。
輸送機は、自分はこの夜空の王者と言わんばかりに、悠々と目的地に向かって飛行していく。
やがて目的地に近づくと、操縦していた者が通信を始める。その中で通信相手と2,3言葉をかわす。
『……ゲートを開放する。着陸後、直ちに改造体を研究室に運び込め』
「了解」
操縦者は連絡を終えると、指示の通りに機体をそちらに向ける。その先には樹木が立ち並ぶ山野であった。だが輸送機が
近づくにつれて、その地面が音も無く揺れだす。一方の輸送機は揺れている地面の真上までくると、機体のエンジン部を90度
回転させ噴射方向を地面に向け、上空で停止していた。その間に地面には亀裂が入り、一部が盛り上がり観音開きの要領で
開いていく。その内部は広いスペースが取られ、同型の輸送機が数台停まっていた。
受け入れ準備が整ったとの連絡を受けた輸送機が、ゆっくりと格納庫へと降下していく。
★ ★ ★
「どうやら到着したらしいな」
輸送機内部の一室で研究員風の男が呟く。その部屋の中には男の他にもう一人別の、眼鏡をかけた研究員風の男がいた。
「さっそく、コイツの再調整だな」
眼鏡の男が、室内に置かれていた巨大なケース状の物体を見て言った。半透明で半円形の形をしているその中には
人間ほどの大きさの、狐に酷似した獣が眠っていた。胴体部はベルトのような物で拘束されている。
「記憶の混乱、欠如及び洗脳の不完全か……脳改造手術には未だ不具合が出る事があるな……まぁ、今回は通常とは
違う所為もあるだろうがな」
研究員が、そばにあった資料と獣を交互に見ながら呟くと、眼鏡の研究員も何か思い出したのか話し出す。
「先日の改造体にも記憶の混乱などがあったらしいな……蠍男だったか」
「中途半端に人間性を残すのが良くないのかもしれん」
「だが、そうでないと人間の中に紛れ込ませる事が出来ないからな」
「まあな。でも今回は思いきったな。人形でなく獣の形態の改造体を作り出すとは。しかも今度の被験体は……」
「これも研究の内さ……もうじき搬出だ。研究室についたら早速再調整だ」
「やれやれ……だが、人間状態のこいつで楽しむ位の時間はあるよな?」
そう言いながら、ケースの中の獣を見つめた。
「お前も物好きなやつだな……」
「せめてこの位の役得が無いとな。そういうお前だって楽しみにしてるんだろ?」
「まぁな」
そう言って二人ともニヤリといやらしい笑みを浮かべる。
「この話はまた後でな」
眼鏡の研究員が話を打ち切って、搬出の準備に取り掛かろうとした時だった。ケースの中の獣の耳が動き出した。
「おいっ、改造体が!」
相棒に言われてケースの中の改造体を見ると、たしかに耳が何かを捉えたようにピクピクと動いている。そして、その目が開く。
「バカなっ、今のコイツに意識は無いはずだ」
男達が慌てている間にも、獣は起き上がろうともがき始める。その力は凄まじく、拘束具がミチミチと音を立てている。さらに
四肢に力を込めている。
『ウォォォォーーーーッ!』
「と、とにかく、もう一度あいつを眠らせて……」
ケースの中の獣の咆哮で我に返った研究員達が動き始めた時だった。
ブチイッ!
まるで獣の咆哮に怯えたかのように、拘束具のベルトが千切れた。獣はそのまま身体を起こそうとしたが、今度はケースに
阻まれてしまう。だが、それすらも……
ミシ…………ミシ……ミシ………バリーーンッ!!
ケースも破壊され、ついに獣は己の自由を取り戻す。そして怒りの篭った目で研究員達を睨み付ける。
「ウォォォォーーーーッ!!」
「「ヒッ!?」」
獣は再び吼えた、それに怯える研究員達。獣は一足飛びに研究員達に襲い掛かると、その牙で、あるいは爪で二人を引き裂いた。
「ガアッ」
「グアッ」
獣は血飛沫をあげて絶命する研究員には目もくれずに辺りを見回すと、次は出口のドアに体当たりをした。
ドシーン!
その威力でドアが変形するものの破壊されるまでには至らなかった。再び体当たりを敢行する。
ドシーン!…………ドガーンッ!!
3度目の体当たりでドアが吹き飛んだ。獣は輸送機の通路に飛び出していた。左右に首を振ると操縦室がある方へ向かって駆け出した。
★ ★ ★
「おい、何の騒ぎだ?」
操縦室でも異変に気が付いていた。
「ちょっと様子を見てくる」
操縦室にいた一人が異変の原因を確かめるべく席を立つ。全身黒づくめで覆面姿、腰には雪を模したマークの付いたベルト……
カノンの戦闘員だった。
戦闘員が通路に続くドアを開けた瞬間だった。
ドガァッ!!
「イ゛ーッ」
何かが室内に飛び込んできて、ドアを開けた戦闘員を弾き飛ばした。
「ウウーーッ……」
飛び込んできたものは先ほどの巨大な獣だった。室内に飛び込むなり、威嚇の声をあげていつでも飛びかかれるように身構えている。
「な、何だ!?」
室内にいた戦闘員達が驚きの声をあげる。操縦桿を握っている者と先ほど倒された者以外の戦闘員は獣を取り押さえようと、
腰から短剣を引き抜いて構えた。
「ガァーッ!!」
獣は一声吼えると、戦闘員が動き出すより早く攻撃に移る。
ズバァッ!
「イ゛ーッ」
戦闘員をその爪で引き裂いた獣は、操縦している戦闘員の後ろからその首に噛み付いた。
ガブッ!
「イ゛ーッ」
獣は噛み付いたままの戦闘員をキャノピーに投げつける。既に絶命していた戦闘員の死体はキャノピーをブチ破って外に
投げ出された。外からは冷たい外気が流れ込んでくる。獣はそれに構わずに手当たり次第に機器を破壊し始める。
ドガァンッ!
操縦者もなく、自動操縦も破壊された輸送機は、バランスを崩して落下していく。獣は先ほど破ったキャノピーから外に出ると
墜落を始めた機体の先端部からジャンプした。そして山野の中へと無事に着地する。
その後方では輸送機が格納庫に墜落して爆発した。その爆発は周りの輸送機を誘爆させ、さらには格納庫全体へと広がっていき
最後は、アジト全てを爆発させた。
アジト全てが爆発を始めた頃、獣は既に遠く離れた所を走っていた。明りも無く、獣道ですら無い山中をまるで平野を
駆けるが如き速さで走っていく。
やがて獣は足を止める。その眼下には人工的な明り−−即ち人の住む街−−があった。獣はその景色を一瞥した後、街へと
降りていく。街中に出た獣は人目に付かぬように行動していた。尤もすでに深夜と呼べる時間帯の為に民家の殆どは明りが
灯っておらず、通行人の姿も無かった。それでも時折人の気配を感じると、避けるようにしていた。
そうしているうちに一軒の民家に辺りを付けた獣は家の塀を飛び越えて、窓を割って進入する。
ガシャーン!
窓の割れる音に気が付いて駆けつけた家人達が見たものは、一匹の巨大な狐だった。今にも飛び掛りそうな体勢で低い唸り声
を上げてこちらを威嚇している。
「ガァッ!」
「「「ヒッ……」」」
獣が一声上げて飛び掛ろうとしただけで家人達は全員、恐怖の余り気を失ってその場に崩れ落ちた。獣はそれ以上家人達に
何もしようとはせずに家の中を歩き回り、2階にある部屋に入る。そこはこの家に住む女の子の部屋らしかった。
「オォーーン」
一声吼えると、その身体が変化を始める。身体を覆っていた体毛がなくなっていき、尻尾も縮んでいく。変化が終わると
そこには獣ではなく一人の、少女とも呼べる年程の女性がいた。髪の毛は腰ほどまで伸ばされていて、その身には何も纏って
いなかった。少女はクローゼット等を漁って衣類を着ると家から出る。外に出た少女は別の場所に向かって歩き出した。
歩いている少女の口からは、ある人物の名前が紡ぎだされていた。
「ゆういち……相沢、祐一……」
★ ★ ★
翌早朝
今日も今日とて祐一と名雪は早朝の街中をひたすら走り続けていた。
「畜生っ、今日は歩いて登校出来た筈なのにっ!」
「う〜〜、祐一が……」
「あ゛?」
ガシィッ!
隣で何か言いかけた名雪の頭を掴み、少しずつ力を加えていく。その痛みに名雪の顔も青ざめていく。今の名雪の目に浮かぶ涙は、
決して嬉しさから来るものではなかった。
「名雪、何か言ったか?」
「だ……だぉ……ゆ、ゆういち、いたいよ……」
「当然だ。今の俺は怒りのパゥワァーで砲丸投げの鉄球すら握りつぶすかもしれん。で、名雪さん。今日遅刻しそうなのは
誰の所為なんですか?」
「う……わ、わたしの所為、なの?」
「ん?」
にこやかな笑みを浮かべつつ、さらに力を込める。
「わ、わたし…………わたし、です……だから……はなして……」
名雪が自分の罪を認めたので、祐一は手を離す。解放された名雪は恨みがましく祐一を睨んだが、祐一に睨み返されると
慌てて視線を逸らす。実際、今朝は充分に余裕を持って登校出来た。それが叶わなくなったのは通学途中でのある出来事だった。
★ ★ ★
「うな〜〜」
いつもの通学路を歩いている祐一と名雪の耳に、唐突にその鳴き声は聞こえてきた。声のした方へ目を向ければそこには塀の上で
寝そべって、眠そうな声をあげる一匹の猫がいた。なんの事は無いごくありふれた光景ではあったが、この場に居た人物が
悪かった、いや悪すぎた。
「ねこさんだよっ!!!」
名雪は突如叫ぶと猫を凝視する。その目は興奮と喜びでこれ以上無いくらいに輝いていた。そして陸上部部長の名に恥じぬ瞬発力
を発揮して猫を捕まえようとしたが
ガシッ!
名雪の行動をいち早く察知した祐一が、名雪を後ろから羽交い絞めにした。
「う〜〜〜〜っ、祐一っ! 何するのっ、離してよ!!」
「名雪、お前は猫アレルギーだろうが!」
祐一が指摘する通り、名雪は猫アレルギーだった。猫が近くにいるだけでクシャミ、鼻水、涙が止まらなくなるのである。
だが悲劇はそれだけではなかった。名雪は猫アレルギー体質でありながら無類とも呼べるほどの猫好きでもあったのだ。
身の回りの生活用品から学校で使う筆記用具までその大半が猫グッズで占められていた。
睡眠、苺と並んで名雪を構成する三大要素の一つとまで言われている。(香里談)
「それに、このままだと学校に遅刻するぞ!」
「だって、ねこさんなんだよ!?」
「理由になってない!」
猫好きなのに猫アレルギー。この相反するものの効果なのか、名雪は猫を見かけると常軌を逸した行動にでてしまう。
涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら猫を追いかけてしまい、捕まえようものならその顔のまま猫に頬擦りするのだ。
今でもやや涙目になっている。
「う〜〜〜〜ねこ〜〜〜〜ねぇこぉ〜〜〜〜!!」
ズリ…………ズリ……
「な、何ィッ!?」
驚くべきことに、名雪は祐一に羽交い絞めにされた体勢のまま一歩、二歩と猫に向かって行く。変身していないものの、
それでも今の祐一は常人より遥かに強い力を持っている。その祐一が、名雪を止めるために出せる力の大半を費やさねば
ならなかった。
「(猫を見た名雪は力のリミッターが外れるのか?)」
「う〜〜〜ねこさん〜〜〜〜」
その名雪のプレッシャーを感じたのか、猫が突然立ち上がると塀の向こうへと降りて、何処かへ走り去ってしまった。
「あっ、ねこさんが!」
猫が見えなくなると、名雪からも力が抜けていく。
「ふぅ……いったか。やれやれ」
「う〜〜〜〜ゆういち、嫌い!」
羽交い絞めの体勢のまま、名雪が祐一に恨み言を言う。祐一は名雪を解放すると、ため息を吐きつつ説得にあたった。
「あのな、名雪……あのまま猫を追いかけていたら学校に……」
言いかけて腕時計を確認する。別段ブランドの高級品でも無い、ごく普通のアナログ腕時計が示す時間は……
「……遅刻だぁっ!!」
「だぉっ!?」
叫んだ祐一が慌てて走り出す。それにつられた名雪も自分の時計(文字盤に猫のイラストのプリント付き)を確認すると
祐一の後を追い、並んで走り出す。
★ ★ ★
そんな訳で、現在二人は通学路を走っていた。名雪を止めるのに随分と時間を食っていたのだ。
「名雪! 時間はっ、間に合うか!?」
「う〜〜ん、加速装置を使えば間に合うよ!」
「よし、加速装置を使うぞ!」
「えっ、祐一って加速装置が付いてるの?」
「ある訳無いだろ! あっても使ったら身体が保たんし、無事だとしても衝撃波で周辺が破壊されるぞ!」
「マッハ3だもんね〜〜」
「とにかく、全力で走るって事だ!」
「うん、私走るの好きだよ〜」
二人はかなりのスピードで走りながら会話を続けていた。
「それにしても俺達は誰が為に走っているんだろうな……」
「う〜ん、戦い忘れた人の為? 祐一って、吹き荒ぶ風が良く似合うよね〜」
「お前は、夢見て走っていそうだな……」
校舎が見えると、ラストスパートをかける。予鈴の鳴り響く校舎の中を一陣の疾風となって駆け抜けていく。そして……
キーーンコーーンカーーンコーーン
キキキキキーーーーーッ!
チャイムが鳴り終わるのとほぼ同時に教室に滑り込む。
「判定はっ!?」
飛び込んだ祐一が審判員−−担任の石橋−−を見る。固唾を呑んで見守るクラスメイト。石橋のジャッジは……
「フッ……相沢、水瀬……遅刻だ」
中年男の微笑みと共にもたらされた宣告は無常にも遅刻の2文字だった。それを聞いた祐一はその場に膝を付いた。
遅れて飛び込んできた名雪も「だぉ……」という呟きとともにその場にへたり込む。
「あー、二人ともそんなところに座ってないで自分の席に着け。HR始めるぞー」
だが祐一も名雪も暫くその場を動けなかった。石橋はそれを無視してHRを進めていく。回りからは本日の賭けの結果報告が
飛び交っていた。本当は、改造人間である祐一が全速力で走れば遅刻は免れる。しかし、祐一は普段は『遅刻なんてご免だ』と
言いながらも、そんな慌しい日常生活を心の何処かで楽しんでいた。カノンとの戦いの合間の、ほんの僅かな心の休息のつもりだった。
「今日は間に合わなかったのね」
HRも終わり、どうにか自分達の席へとたどり着いた祐一達を香里が出迎えた。栞の一件の直後は落ち込んでいた香里だが
現在は表面的には普段通りの生活を送っていた。だが祐一は、未だ香里が一人の時には、時折泣いているのを知っていた。
「あぁ……だが今日は間に合うはずだったんだ」
祐一達も以前と同じように接する事にしていた。下手に気を使われる方が辛い、祐一自身そうだったから。
「あら、何かあったの?」
「猫」
質問に対して祐一の答えとも呼べない一言だったが、それだけで香里は全てを理解した。
「そう、猫がいたのね。それを見た名雪が暴走して……」
「あぁ、そうだ」
「相沢君も大変ね……でも名雪だしね」
「名雪だからな……」
「う〜〜二人とも酷い事言ってない?」
「「そんなこと無いぞ(わ)」」
今日も、栞が居なくなって悲しいながらも平和な時間が過ぎていった。
★ ★ ★
キーーンコーーンカーーンコーーン……
4時限目終了のチャイムが鳴り、学生にとって一時の安らぎの時間、昼休みが訪れる。
「祐一〜、お昼休みだよ〜」
隣の席の名雪が間延びした声で報告してきた。だが
「ああ、そうだな……起きろ、名雪」
名雪は寝ていた。そんな二人のやり取りを見ていた香里が話に加わる。
「相沢君……この子って眠っていても時間が分かるの?」
「さぁな……でも名雪だからな」
「名雪だしね」
「う〜〜二人とも酷い事言ってるお〜〜」
「「そんなこと無いぞ(わ)」」
このまま放っておきたい気持ちがこみ上げてきたが、そんな訳にもいかず祐一は名雪に声を掛ける。
「名雪」
「うにゅ〜、今の私は『仮眠らいだー・威美鬼(いびき)』なんだぉ〜。音撃蛙・気露非異(けろぴぃ)で……」
「仮眠……しっかり熟睡していると思うけど?」
「名雪、起きろ」
祐一は香里のツッコミとも思える呟きには答えずに、名雪の肩を掴んで揺するとすぐに名雪の目が開いた。
「全く……朝もこれぐらい早く起きてくれたら助かるんだがな……」
ため息混じりに呟く祐一の隣で、目を覚ました名雪は少しの間ぼぉ〜っとしていたが、ここが教室で現在は昼休みだと判明すると、
元気な声で祐一に言った。
「祐一、お昼休みだよ!」
その後祐一達は再び名雪をからかった後、今は学食へと向かっていた。そしてその途中で名雪が見知った女生徒を発見した。
「美汐ちゃん。こんにちは」
「名雪さん。それに香里さんと相沢さん、こんにちは」
美汐は相変わらず礼儀正しく挨拶をする。それにつられて祐一達も挨拶を返す。
「こんにちは」
「よう天野。なんというか、相変わらずオバサ……」
「なんでしょうか?(ジロリ)」
「その……物腰が上品な挨拶だな……ハハハ……」
「わかって頂ければいいんです」
「美汐さんもこれから学食?」
「はい」
「だったら一緒にどうかしら?」
香里が美汐を誘う。少し考えていた美汐だが頷くと祐一達と一緒に学食へと向かった。
学食は既に戦場と化していた。席の確保に全力をかける者、食券販売機の前で熾烈な順番争いに凌ぎを削る者……
銃弾が飛び交ったり、爆発音こそ無いものの、まさにそれと呼ぶに相応しい喧騒に満ちていた。
「出遅れたな」
「そうね……席が見つかるといいけど」
祐一が現状を見て呟くと香里も同意する。あらかた席は埋まっており、4人がまとまって座れる所は無いかと思われたが
幸運にも発見できた。
「よし、あそこが空いてるな。名雪と天野で場所を確保してくれ。俺と香里で調達に行って来る。二人とも、何にする?」
学食を利用するときは、名雪を後方に残して祐一と香里で品物を取りに行くというフォーメーションが出来上がっていた。
「わかりました。私はきつねうどんをお願いします」
「私は……」
「Aランチでしょ? それしか頼まないものね」
名雪が何を注文するか分かっていた香里は、美汐の注文だけを聞くと祐一の後を追った。
二人は人ごみの中を縫うようにして動き回り、僅かな時間で目的を完遂して名雪たちの元に帰還した。
「う〜、やっぱりAランチ美味しいよね〜」
幸せ一杯の顔で名雪が言う。
「Aランチが美味しいんじゃなくてついてくるイチゴムーズが美味しいんだろうが」
「祐一もAランチにすれば良かったのに」
「イヤだ。第一、良かったといってもお前にとってだろうが」
名雪があまりにも強く勧めるので試しにAランチを頼んだ事があった。味は悪くなく納得のいくものだった。
問題は付属のイチゴムースに手を伸ばした時に起こった。祐一は隣から凄まじいプレッシャーを感じた。見れば名雪が
こちらを、正確には祐一の手元の先にあるイチゴムースを凝視していた。その無言の圧力に耐えかねた祐一はイチゴムースを
名雪に手渡す羽目になった。
「そうね」
と、こちらはエビフライ定食を食べている香里が同意する。香里にも祐一と同じ経験があり、それ以来二人とも滅多に
Aランチを頼む事は無かった。
美汐も交えた4人で雑談をしながら食事をしていた時だった。美汐が制服のポケットからハンカチを取り出したが、それと
一緒に何かが零れて床に落ちた。
チリン……
かすかな音であったので美汐本人は気が付かなかったが、祐一の耳はその音を捉えていた。見れば鈴が縫い付けられている
赤いリストバンドのような物が落ちていた。
「天野、何か落ちたぞ」
「え?……あ!」
指摘を受けた美汐が、下を見て自分の落し物に気が付いた。慌ててそれを拾い上げると大事そうに両手で包み込んだ。
「鈴か?」
「はい……」
そう言って、手を開いて中のものを見せた。
「へー、可愛い鈴だね。大事な物なの?」
「はい。小さい頃に友達から貰った物なんです。そして、あの子につけていた鈴なんです」
名雪の質問に、美汐は悲しそうな顔をして答えた。
「あの子って?」
「一緒に暮らしていた狐なんです。暫く前にこの鈴を残していなくなってしまって……」
祐一と香里は、以前栞が「美汐のペットがいなくなった」と話していたのを思い出していた。
「(一緒に暮らしていた、か。よっぽどその狐を大事にしていたんだな)」
祐一はそう思いながらも、口には別のことを出していた。
「しかし狐とは珍しいな」
「そうでもないわよ。この街はずれにある「ものみの丘」っていう所には野生の狐が結構いるのよ」
「……野生に戻っちゃったのかな?」
「それは……ないと思います」
名雪の疑問を消極的ながらも美汐は否定した。
「あの子は子狐の頃、私がものみの丘で見つけたんです。怪我をしていたので家に連れ帰って手当てをしてあげたんです。
その後怪我も治ったので丘に帰そうとしたんですが、何度連れて行っても帰ってきてしまって……その内に一緒に暮らす
ようになったんです。いまさら帰るとは思えません……」
「そうなの……でもどうしてその鈴だけ見つかったの?」
香里が真剣な顔をして尋ねる。実際香里は真剣だった。栞に話を聞いたときに自分は「出来る事があったら協力する」
と言っていた。栞の事もあって先ほどまで忘れていたのだ。それを悔やんだ香里は、亡き妹の友人の為にも自分の言葉を
実行するつもりだった。
「丘に落ちていたんです。あの子の首輪と一緒に……」
それから美汐は、狐が居なくなった経緯を語り始めた。
「あの子が居なくなる前の晩、妙に落ち着きがなかったんです。玄関に出ると戸を引っ掻き始めたので、私が開けてやると
そのまま外へ飛び出していったんです。慌てて後を追ったんですけど見失ってしまって……以前にも何度か似たような事は
あったんですけど翌朝には必ず帰ってきたんです。それが今回は二日経っても帰ってこなくて。それでものみの丘に行って
みたんです。そしたら千切れた首輪が落ちていて……」
そこで美汐は言葉を止めた。四人は誰も言葉を発しない。ここだけ周りの喧騒とは無縁になっていた。
キーーンコーンカーーンコーーン……
チャイムが鳴る。周りの喧騒も落ち着き、食堂も人が疎らになっていた。祐一達は美汐と別れると教室に向かう。美汐は最後まで
寂しそうにしていた。
★ ★ ★
放課後
祐一は一人で昇降口へと歩いていた。名雪は部活、香里は一足先に百花屋へと向かっていた。いつもであれば香里達と帰るのだが
今日は生憎と掃除当番だった。祐一が外へ出ると見知った生徒の姿を見かけたので声をかけた。
「よう、天野。今帰りか?」
「あ、相沢さん」
お互いそれほど親しい間柄でもなかったが、会話をしながら一緒に歩いていた。
チリン……
鈴の音が聞こえた方を見れば、美汐が腕に、昼間見た鈴のついたリストバンドを着けていた。その視線に気づいた美汐が鈴を
見つめながら言う。
「大切な物ですから……授業中とかは外していますよ」
「友達に貰ったんだっけ?」
「はい。その友達が遠くに引っ越してしまう時に貰ったんです」
「そうか……その友達とは連絡とっているのか?」
「はい、時折手紙でやり取りしていますよ。でも……」
「ん?」
「いえ、何でも……相沢さん、私はこっちですので」
学校から幾らも離れないうちに、美汐と別れる事になった。
「そうか、じゃあな天野」
「はい、さようなら相沢さん」
お互いに挨拶をして別れると、祐一は店を手伝う為に急いで帰ることにした。
「ただいま」
水瀬家の住宅から入った祐一は、すぐに店舗へと向かう。店舗内では秋子と香里が動き回っていた。
「祐一さん、おかえりなさい」
「ただいま、秋子さん。手伝いますよ」
そう言いながら店に入ろうとした祐一だったが、秋子に止められた。
「いえ、祐一さん。お店の方は大丈夫ですから買出しをお願いできませんか? 正確には夕飯のお買い物ですが」
「わかりました、いってきますよ。何を買ってきましょうか?」
「祐一さんが食べたいもので良いですよ」
そう言って祐一にお金を渡す。受け取った祐一が住宅に戻ろうとした所で秋子がからかうように言葉を続けた。
「でも祐一さん。『食べたい』といっても『女の子を買って』きてはいけませんよ?」
いつものように頬に手を当てて微笑みながらとんでもない事を言った。
「あ、秋子さん!?」
「ふふふ……冗談ですよ」
「……いってきます」
祐一は、目的を果たす前から既に疲れきった表情で住宅へと戻っていった。その後自室へと戻り着替えてから商店街へと向かう。
商店街に着いた祐一は夕飯を何にするか悩んだが、今夜は随分と冷え込みそうだったので鍋物辺りが良いかな? と思って
専門店を回り、適当な材料を見繕って買い物を済ませていた。
「こんなものかな?」
祐一の両手は買い物袋で塞がっていた。最近は香里も秋子の勧めで夕飯を一緒に食べるので、買う量は若干増えていた。
「……さてと」
商店街から出て少し歩き、辺りに人気が無くなった所で祐一は足を止めて振り向いて言った。
「出てこいよ。俺に用があるんだろ?」
商店街で買い物を始めてから、祐一は自分を見つめる気配を感じた。つかず離れず、まるで獲物を狙う獣のように祐一を尾行していた。
「いるのは分かっているんだ」
再度気配がする場所に向かって声をかけると、ゆっくりと尾行者が姿を現した。
「女の子?」
それは、見た目は自分とさほど変わらない歳の少女だった。セーター一枚にショートパンツ、ニーソックスという服装は
今の時期では寒そうだった。腰まである長い髪は無造作に流されている。その少女は昨夜民家を襲ったあの少女だった。
「相沢祐一……?」
少女が質問してくる。だがそれはあくまで確認するかのようだった。
「? あぁ、そうだ。君は?」
「……見つけた」
少女は祐一の問いには答えない。祐一が再び問いかけようとしたが、それ以前に少女がこちらを殺気の篭った目で睨みつけた。
「貴方だけは、許さないんだからっ!」
そう言って少女は祐一に飛び掛ってきた。
続く