のさばる悪をなんとする

天の裁きは待ってはおれぬ

この世の正義もあてにはならぬ

闇に裁いて仕置きする

南無阿弥陀仏










必殺仕置人―華音―
情引き裂く悪い奴」


時は江戸後期。
やがて幕末の混迷期へと向かいだそうとしていた頃。
その年、江戸の街を記録的な大火が襲った。十二万四千件もの家屋が焼け、人々は街に溢れかえってしまう。だが、焼け出された人々への幕府の対応は酷かった。ほとんど何もしない。イヤ、今の幕府に焼け出された人々を救うほどの余裕がなかったのかも知れない。それほどの大火だったのだ。

「ハーイ、並んで並んで!!」
若い女性の声が響き渡る。
「順番だよ〜、たくさんあるから大丈夫だよ〜!」
ややのんびりとした声がそれに続く。
ここはとある寺の境内。
焼け出された人のために今炊き出しが行われているのだ。
ここの住職を手伝っているのはこの寺の近くにある料亭「水瀬」の仲居、名雪。彼女は水瀬の女将、秋子の一人娘でもある。
もう一人は鍵屋長屋に住む瑞佳という女性。
鍵屋長屋は無事だったのだが、彼女は生来優しいからか、困っている人を放っておけなくてわざわざ炊き出しの手伝いにやってきているのである。
「何時も済みませんなぁ、お二人とも」
そう言って二人に声をかけてきたのは年老いた住職だった。
この寺にはこの住職とまだ子供の坊主しかいない。その為、こう言う炊き出しをするには手が足りないので二人は手伝いに来ているのだ。
「いえ、好きでやってますから」
笑顔でそう返答したのは瑞佳の方だ。名雪は忙しそうにお椀についだお粥を配っている。
そんな二人を見て住職はにこやかに微笑んで見せ、両手を合わせるのであった。
そこに職人風の青年が通りかかった。
「瑞佳さん、名雪に俺、もう帰ったって言っておいてください」
青年は少しムッとしたような顔をしながらそう言い、すたすたと歩き出す。
「あ、祐さんっ!!」
慌てて歩き出した青年を追いかける瑞佳。しかし、青年はかなり足早に進んでいたので瑞佳が彼に追いついたのはこの寺の入り口の所であった。
「待って、祐さん。何処行くの?」
怒ったような顔をして瑞佳が言うが青年は無視してその場を去ろうとする。そんな彼の態度に少なからずムッとなった彼女が彼の前に回り込んで両手を広げて制止した。
「まだ炊き出しは終わってないんだよ。手伝うならちゃんと……」
「悪いけど瑞佳さん、俺にだって仕事がある。しかも期日まであまり時間がないんだ」
困ったような顔をして青年がそう言った時だった、彼をこの場に連れてきた名雪がその場にやってきた。瑞佳と彼が何か言い争っているのを見て、慌ててやって来たようだ。
「祐一、瑞佳さん、どうしたの?」
「あ、名雪さん。あの……」
「何でもない。俺は帰る。仕事があるからな」
瑞佳が何か言おうとするのを遮るようにそう言い、青年は歩き出した。
「うん、お仕事頑張ってね、祐一」
小さく頷いて名雪がそう言ったので青年は片手を上げてそれに答え、そのまま歩いていく。
去っていく彼の所為を見送りながら瑞佳はため息をついた。
「……どう言うことか説明してくれる?」
「えっと……祐一はほら、職人さんだから」
瑞佳の視線から顔を背けて名雪が説明にならない説明をする。
更にじっと名雪を見つめる瑞佳。
「……実は……」
「さっき祐さん言っていたけど、何か急ぎの仕事あったんでしょ? それなのに無理矢理連れ出した。違う?」
「その通りです……」
ガクッと項垂れる名雪にまたため息をつく瑞佳。

鍵屋長屋の一角にある部屋に寺から帰ってきた青年が入っていく。
その部屋の軒先には木の札が吊されており、そこには「飾り職 祐一」と書かれてあった。
そう、この部屋の主、祐一はそこそこに腕のいい飾り職人なのだ。先程瑞佳に言っていた”仕事”と言うのも勿論、その飾り物を作ることである。今回の彼の仕事はとある商家の若旦那が想い人にプレゼントする為の簪を作ること。期日は三日。かなり急ぎの仕事なので昼夜を問わず作成にかかっていたのだがこの朝になって従姉妹でもある名雪がいきなりやってきて無理矢理炊き出しの手伝いをさせられていたのだ。そのおかげで作りかけの簪の完成が期日ギリギリになってしまうだろう。
「……ったく」
舌打ちをしながら作業台の前に座る祐一。道具を手に取り、簪に美しい装飾を施していく。おそらくは今日一日はこれにかかり切りになるに違いない。期日は明日。まさにギリギリだろう。

ぐ〜〜〜っと腹の鳴る音が聞こえる。
その男は腹の音に足を止め、何気なくその腹を手でさすってみた。勿論それで腹がふくれるわけではない。懐に手を入れて財布をとりだし、中身を確認するが、かけそば一杯分もなかった。
ぐ〜〜〜〜〜〜〜〜っ。
また腹が鳴った。
果たして最後にまともに飯を食ったのは何時だったか。思い出すのもつらい程前だったような気もしないでもない。特にここ何日かは水しか飲んでいないから。
「仕方ない、少し稼ぐか」
男はそう言うと人気の多い場所を探して歩き始めた。
「あ〜〜〜〜、腹減った〜〜〜、蕎麦と飯が食いてぇ………」
そう呟きながら。

所変わって鍵屋長屋。
祐一の住んでいるのと同じ棟の別の部屋。軒先には「回り髪結 浩平」と書かれた木札がぶら下がっている。その部屋の中、もうお昼を過ぎてだいぶんと経つにもかかわらず未だ布団を被って呑気に眠っている青年が一人。年の頃は祐一や名雪、瑞佳とそう変わらず。街には焼け出された人々が行く宛もなく溢れかえっていると言うのに、何て呑気なのだろうか。
と、そこに一人の女性がやってきた。炊き出しの手伝いを終え長屋まで帰ってきた瑞佳である。彼女は何の迷いもなくその部屋の障子戸を開け、中でまだ青年が眠っていることを確認するとずかずかと中に踏み込んできた。
「もう、まだ寝てるんだから!」
怒ったように、そして呆れたようにそう言い、瑞佳は青年が被っている布団を勢いよく引っぺがした。
「ほらぁっ! 起きなさいよっ! もうお日さま、とっくの昔に上がってるんだよっ!!」
怒鳴りながら引っぺがした布団を脇に降ろし、奧の障子戸を開けて陽光を室内に取り込む。
それが眩しかったのかまだ横になっている青年はくるりと反対の方を向いてしまった。
「浩平ッ!!」
瑞佳が更に大きい声をあげる。だが、それでも青年、浩平は起き出そうとはしない。流石にムッとなった瑞佳は浩平の側にしゃがみ込むと彼の耳を掴んで引っ張り上げた。
「浩平、起きるんだよっ!!」
「イテテテテッ!!」
耳を引っ張られた浩平が悲鳴を上げて飛び起きる。そして自分の耳を掴んでいる瑞佳の手を払い除けると、彼女をじっと睨み付けた。涙が浮かんでいる目で。
「な、何つー起こし方するんだよ、瑞佳っ!!」
「いつまで経っても浩平が起きないからだよ」
全く悪びれた様子もなく瑞佳はそう言い、フンッと鼻を鳴らして顔を横に逸らせた。
一方無理矢理起こされた浩平はその場であぐらをかき、ムッとした表情で瑞佳を見る。
「あのな、昨日は遅かったんだ。もうちょっとぐらい寝かせろ!」
「どうせまた飲んでたんでしょ? たまにはちゃんと仕事しなさいよ!」
「昨日は髪結い仲間の会合があったんだよ!」
見事なまでの疑いの眼差しを受けた浩平がムッとしたように言い返すが、瑞佳は更に疑いの眼差しを彼に向けてきた。
「……嘘ばっかり。昨日は会合なんて無かったはずだよ」
「な、何でそれを……」
お前が知っている、と続けようとした浩平だが、その時点で自分が嘘をついていたことがバレバレなのでそれ以上口を開きはしなかった。
「それに知っているんだからね」
「な、何を……だよ?」
妙に自信たっぷりの瑞佳に思わず戸惑い、警戒する浩平。一体何を知っていると言うのか。あの事かはたまたあの事か。何故か思い切りやましい心当たりがあり、思い切り警戒する。
「最近、川名屋のお嬢様と仲がいいんだってね……」
川名屋とは近くにある小間物問屋で、浩平はそこのお嬢様、みさきの髪を何度か結ってやったことがあるのだ。
「あ、あれは……仕事……」
「夜に押し掛けるのが仕事なんだ……へぇ……」
「イヤ、それは急にだな……」
「それに甘味処の茜さんにも言い寄っているって聞くし」
ジトーッとした目で浩平を見る瑞佳。
浩平は瑞佳の口から予想もしなかった名前がでてきたことに正直慌てていた。一体何処からそんな情報を知ったのか不思議でならない。川名屋のお嬢様も甘味処の茜にしても街で評判の美人であることは変わりない。そんな二人に声をかけていた所を誰かに見られたのだろうか?
「髪結いの仕事もしないで何やっているんだか……」
呆れたように言う瑞佳。
流石の浩平もそれにはムッとなった。この二人とは髪結いの仕事の関係で知り合えたのだから。イヤ、それだけではない。何でこんな事をこいつに言われなければならないのだ?
「あのなぁ、俺の女房でもないのに何でお前にそこまで言われなきゃいけないんだよ!?」
「幼馴染みの浩平のことを心配してあげてるだけだよ!!」
思わず声を荒げた浩平に敢然と言い返す瑞佳。そして大きくため息をつく。
「こんなんじゃ浩平の将来が心配だよ……誰かしっかりした人がついていないと……」
瑞佳の呟きに浩平は押し黙る。
この二人は子供の頃からの知り合い、所謂幼なじみであり、世話好きの瑞佳に浩平が未だ世話を焼かれているのだ。同じ鍵屋長屋の住人からは「お似合い」だの何だの言われているらしいが、本人達はそれをムキになって否定する。それに瑞佳は二言目には「浩平の将来が心配」だとか「しっかりした人がいないとダメだ」とか言っているのだ。その「しっかりした人」というのに自分は当てはまらないのか、誰も聞いた事はなかったが。
ちなみに浩平は回り髪結い、瑞佳は長屋で仕立物の下請けなどをやっている。余り仕事に熱心でない浩平を瑞佳が何時もフォローし、余り多くはないがしっかりとある借金なども瑞佳が浩平に代わって払ったりもしているので、浩平としては余り大きな口は叩けないのが現状である。
「その川名屋のお嬢様ってどんな人?」
「は?」
あまりにも唐突な瑞佳の質問に思わず目を丸くする浩平。
「しっかりした人? あ、でも川名屋のお嬢様だからそこの入り婿になれば将来は安泰かも……」
「あのな、瑞佳……川名屋のお嬢さんとはそう言うのじゃない……」
ガックリと肩を落として言う浩平だが瑞佳はもう聞いていないようだ。もはや自分の考えの中に没頭しているらしい。起きたばかりだと言うのに物凄く疲れた、そんな気がしてきた浩平は布団で手をついて立ち上がると大きく伸びをした。それからテキトーに脱ぎ散らかしていた服を着る。
「甘味処の茜さんは? 私も知ってるけど、なかなかしっかりした人だって……」
瑞佳がそう言って顔を上げると、正面に浩平の姿はなく、後ろの方で人の気配がした。振り返ると浩平が出ていこうとしている。それを見た彼女は慌てて立ち上がると、彼を追って表に飛び出してきた。
「ちょっと浩平! 何処行くんだよっ!?」
「飯食いに行って来る」
振り返りもせずにそう言う浩平。そのまま長屋と長屋の間の狭い道を歩いていく。
「仕事は!?」
「飯食ってから考える」
「考えるんじゃなくってするんだよ!!」
「ああ、考えておく。じゃな〜」
そう言って手を振り、浩平は鍵屋長屋を後にするのであった。

とある橋のたもと、そこに先程腹を空かせて街を彷徨っていた男が座っていた。
「さぁさぁ楽しい人形劇の始まりだぁっ!!」
自分で手を叩いて周囲の注目を集める。
彼の前には薄汚れた人形が一体、ちょこんと地面に座らされている。糸などはついていない。果たしてどうやってこの人形を操るつもりなのだろうか?
ある程度人が集まったのを見た彼はにやりと笑って人形に手をかざした。
するとどうだろう、糸も何もついていない人形がひょっこりと立ち上がったではないか。
更にとことこ歩いたり、その場で飛び跳ねたりする人形を見て、集まっていた人々が「おおっ」とどよめきの声を上げる。
観客の反応に気をよくしたのか、男はにやりと笑った。
だが、人形がやるのは歩いたり、飛び跳ねたりで余りバリエーションはない。観客もそれに気付いたのか、徐々に立ち去っていく。やはり同じ事の繰り返しでは面白くないのだろう。物珍しいのも初めだけ、と言うことだ。
ふと気がついた時には、観客は一人もいなくなっていた。
「はっ!?」
観客がいなくなった事に男が気付いたのはかなり後の事だった。
「な、何だ、さっきまであれだけ人がいたのに……」
呆然としつつも彼は人形を拾い上げ、立ち上がる。
またぐ〜〜〜〜っと腹が鳴った。
「……やっぱ江戸なんかに来るんじゃなかった……」
男がそう呟いてとぼとぼ歩き出す。

トントントンとリズムよく響く木槌の音。
部屋に戻ってからずっと祐一は簪を仕上げる作業に没頭していた。あれから随分と時間は経っているが、それでもまだ完成には時間がかかる。
と、その時だった。
入り口の障子戸が勢いよく開かれ、中に一人の男が入ってきたのは。
「よぉ、相変わらず精が出るねぇ」
そう言って入ってきたのは浩平だった。同じ長屋に住んでいるし、あの瑞佳の幼馴染みと言うことで祐一とは知らない仲ではない。それほど仲が良いわけでもないが。
「何か用か?」
作業をする手を休めることなく祐一が問う。
「悪いが見ての通り仕事中だ。下らない話に付き合う気はない」
「相変わらず連れない奴だねぇ。折角商売させてやろうと思ったのによ」
無愛想な祐一に苦笑を浮かべながら浩平は言い返す。
「……話してみろ」
ちらりとだけ浩平を見て、やはり無愛想に祐一が言う。
「やっぱり商売と聞いちゃ乗ってくるよなぁ、お前でも」
祐一の反応にニヤニヤ笑いを浮かべて浩平が言った。土間を抜けて部屋の中に来ると腰を下ろす。
「お前、俺の商売知ってるよな?」
「回り髪結いだろ。滅多に仕事をしてないらしいが」
「……何処からそんな事聞いてくるんだよ、お前。何時も部屋に籠もってトントンやってる癖に」
ムッとしたように目を細める浩平。だが祐一は至極あっさりと答えるのだった。
「瑞佳さんから名雪を経由して、だ」
「……名雪ちゃんからね。そりゃよくここに来るからなぁ……瑞佳とも仲がいいし」
「で、商売の話はどうなった?」
「おっと忘れるところだった。俺は回り髪結いだ。そりゃあちこちにいって髪を結ったりする訳だが……」
「……で、その場でそこの女に手を出そうとする、と」
「……あのな、祐の字。お前、俺に何か恨みでもあるか?」
更にムッとしたように言う浩平。それでも祐一は作業の手を休めることなく、そして浩平の方を見ることなくこう答えた。
「全部瑞佳さんから聞いた話だ。そう言う余計なことをして仕事が無くなっては借金を重ねて瑞佳さんが返済に苦労していると聞いた」
「……あ〜、もうやめだ! 折角お前にいい儲け話を聞かせてやろうと思ったのに!」
そう言って立ち上がる浩平。
そんな彼を祐一は初めて手を止めて見上げた。
「俺にいい儲け話じゃなくってあんたにとっての儲け話だろ。どうせ髪結いに行った先で俺の作った簪やら櫛やらを売るとか言う」
「……なかなかやるじゃねぇか、祐の字。どうだ、いっちょのらねぇか?」
ずいっと祐一に迫り寄りそう言う浩平だが、祐一は黙って首を左右に振る。
「何でぇ、いい話じゃねぇか」
「生憎だな、浩平。俺があんたに渡した櫛や簪、一体いくらで売って自分の懐にどれだけ隠す気か知らないが、そう言うことをしそうな奴とは組まないことにしてるんだ」
「う……読まれていたか」
祐一の読みに思わずたじろぐ浩平。
「それに滅多に仕事をしないあんたじゃ質屋に持っていくのがオチだ。違うか?」
更に畳み掛ける祐一に浩平は思わず顔の笑みを引きつらせた。まさに彼の言う通り。瑞佳にせっつかれてようやく自分の仕事である回り髪結いをする浩平だ。いくら祐一が簪や櫛を渡してもそれを売ることもなく質屋に持っていき飲み代のツケやらに替わることだろう。
「……チッ、しゃあねぇなぁ。たまには真面目に仕事するかねぇ、俺も」
そう言って後頭部をかき、浩平は祐一の部屋から出ていった。
ようやく静かになった部屋で、祐一はまた簪に細工を施す作業を再開する。

翌日の昼過ぎ。
祐一が簪に最後の仕上げを施すのとほぼ同時に一人の身なりのいい商人風の男が鍵屋長屋に訪れていた。彼は迷うことなく祐一の部屋の前まで来ると遠慮がちに中に向かって声をかけた。
「祐一さんはいらっしゃいますか?」
「……入ってくれて構いませんよ、叶屋さん」
外から聞こえてきた声に祐一は少し笑みを浮かべながら答えた。
彼が叶屋と呼んだその商人風の男こそ彼がここ数日係り切りになっていた簪を頼んだその人なのだ。丁度今日が約束の日、しかも頼まれていた刻限ぴったりに現れるところが几帳面なこの人らしい。そう思った祐一の口元に自然と笑みが浮かんでいたのだ。
障子戸を開けて叶屋が顔を覗かせる。
「丁度今仕上がったところですよ。見て貰えますか?」
祐一はそう言うと作業台の上に置いてあった簪を手にとって中に入ってきた叶屋に手渡した。
簪を受け取った叶屋はしばしの間その簪を色々な角度から見ていたが、やがて満足げに頷くと、持っていた簪を祐一に返した。
その簪を用意していた小さな細長い箱に収めると、その箱を叶屋の方に差し出す。
「で、いくらになりますか?」
懐から財布を取り出しながら尋ねる叶。
自分の想像以上の出来に彼は大満足であった。多少高くついても一向に構わない。この若いが腕のいい職人になら高い目にふっかけられても構わないだろう。
「そうですね……三分って所ですか」
「さ、三分!?」
祐一の発言に驚きの声をあげる叶屋。
「あ、ふっかけすぎましたか? それじゃ……」
「いやいやいや、違う違う。逆ですよ。もっとするかと思っていた」
また何か言おうとする祐一を手を振って制し、叶屋は財布の中から小判を一枚取り出した。
「ではこれでお願いします」
小判を手渡された祐一は作業台の横に置いてあった道具箱を覗き込んだ。いつも道具と一緒に小銭もこの中に入れてあるのだが、この日に限って見つからない。祐一は申し訳なさそうな顔をして叶屋を見上げた。
「叶屋さん、悪いんだけど、今ちょっと手持ちがなくってね。釣り銭がでそうにない……」
そこまで祐一が言いかけると叶屋はまた手を振って彼の言葉を制した。
「いや、それならそのまま受け取ってくれませんか。釣りなど構いませんから」
「そう言う訳にはいきませんよ」
「いいや。私は予想以上の出来に感心したんです。だからそれは取っておいてください」
「……解りました。それじゃありがたく貰っておきます」
叶屋にそう言われては仕方ない。祐一は頭を下げ、手に持った小判を作業台の横に置いてあった棚の一番上に無造作に放り込んだ。
「しかし……幾つか品物を見たことがありますが……ここまでのものを作っていただけるなんて。あなたほどの腕があればもっと……」
簪の入った小箱を見ながら叶屋がそう言うが、祐一は苦笑を浮かべるだけで何も答えようとはしなかった。彼自身は叶の言うほど自分の腕前を過信してはいない。欲を出せばろくな目に遭わないことも知っている。
そんな祐一に気付いたのか、叶屋は少し申し訳なさそうな顔をする。どうやら相手の気分を害してしまったと思ったらしい。
「も、申し訳ありません。勝手なことを言ってしまって」
「いや、構いませんよ」
首を左右に振りながらそう答え、祐一は作業台を振り返ると周囲に散らばっている道具を片付け始めた。
「それでは私はこれで。祐一さん、有難う御座います」
叶屋がそう言って頭を下げたので、祐一も慌てて叶屋の方を向いて頭を下げる。そして、叶屋が出ていくと祐一は奥の部屋に敷いたままになっている布団に倒れ込むのであった。

祐一が一仕事を終えてようやく眠りについた頃、浩平は珍しく仕事道具を持って町中をぶらぶらと歩いていた。特に目的があるわけでもないし、仕事を進んでやろうと言うつもりもない。
「よっ、ねぇちゃん! 俺っちといい事しない?」
「ばぁか」
道行く美女にそんな声をかけながら浩平は宛てもなくぶらぶらと、本当にぶらぶらと歩いている。この光景を瑞佳が見たら物凄く大きなため息をつき、そして無理矢理にでも仕事をさせようとするだろう。もっとも本人にやる気がないから、おそらくは無駄骨になるだろうが。
「あら、浩平さんじゃない」
ぶらぶらと歩いている浩平の後ろから声がかけられた。
何となく聞き覚えのあるその声に浩平が振り返ると、そこには一人の美少女が立っている。ニコニコと人の良さそうな微笑みを浮かべ、浩平に向かって小さく手を振っていた。
「これはこれは、美濃屋のお嬢様。御機嫌麗しゅう」
やたらと大げさな仕種でそう言い、頭を下げる浩平。声をかけてきたのがかなり大手の材木問屋、美濃屋のお嬢様・奈々だったからだ。
そんなお嬢様な彼女とどうして浩平が知り合いなのかと言うと、前に瑞佳に連れられて仕事をさせられた時の客の一人だったからである。その時、浩平の予想以上の腕前にすっかり惚れ込み、以来彼の上客の一人となっているのであった。浩平からしてみれば自分に好意を持っている上に気前よく金を払ってくれる客なのだから無下に扱うことは絶対にしない。まぁ、好意を持っていると言ってもあくまでそれは彼の髪結いとしての腕にであって浩平自身にではないし、それに浩平自身彼女には想い人がいることも知っている。
「うむ、浩平、そちも元気そうで何よりじゃ」
ニッコリと笑って奈々がそう言った。どうやら何処かのお姫様を気取っているらしい。美濃屋と言えばかなり大きい材木問屋だし、幾つかの大名家とも繋がりがあるのでそこのお姫様とも知り合いなのだろう。そこからその口調を覚えたのか、それとも彼女自身がかなりのお嬢様だから、自然と身に付いたのか。そんな事はどちらでもいい。
「で、お嬢様はどちらへ?」
「フフ、ちょっとそこまで、です」
「おやおや、美濃屋のお嬢様ほどのお方が一人で外出とはいけませんなぁ。ここはこの私が是非ともお供致さねば」
「うむ、苦しゅう無いぞ、浩平」
そう言って奈々が歩き出す。
浩平が彼女についていくのは只の暇つぶしに過ぎない。まぁ、お嬢様である奈々についていけばお茶の一杯お団子の一皿も奢ってくれるかも知れないと言う下心もあるのだが。何せ日頃から真面目に仕事をしない浩平だ、金の無い時は徹底して無い。年下のお嬢様でも容赦無く奢って貰うのだ。それに何より可愛い女の子と一緒に喋りながら歩けるのだ。それは彼にとって仕事をするよりも重要なことだったと言える。

何やら二人で楽しげに喋りながら歩いていると、前方に人だかりが見えてきた。
「あれ? 何だろう?」
何にでも興味を持つ年頃の奈々である。早速人だかりの方へと駆け寄っていく。
そんな奈々を浩平は苦笑を浮かべつつ追いかけていった。
人だかりをかき分け、一番前まで来ると一人の男が薄汚れた人形に手をかざしているところだった。少しの間じっと見ていると、いきなりその薄汚れた人形がひょいっと立ち上がった。糸がついているわけでもなく、一体どう言う手品を使ったのか。人だかりからどよめきの声が上がる。勿論、その中には奈々もいるが、浩平は少し馬鹿にしたような目で人形とそれを操る男を見つめていた。
(どうせ何か上手いことやってんだろ)
人形はひょこひょこと歩いたり飛んだり跳ねたりしていたが、やはりそれ以上のバリエーションはないらしい。始めは物珍しさで多くの人々が見ていたが、それも一人減り、二人減り、気がついたらそこに残っているのは2,3人の子供と奈々、浩平だけになっていた。
今まで人形を動かすことに集中していた男はいつの間にか人が居なくなっていることに気付くと、ムッとしたような表情を浮かべてかざしていた手を離した。すると、今まで動いていた人形がぴたりと動きを止め、その場にパタンと倒れてしまう。
倒れた人形を拾い上げ、男はさっと立ち上がった。
「……もう、終わりですか?」
奈々が立ち上がった男に向かってそう尋ねると、男は不機嫌そうな表情で頷く。
「ああ、終わりだ」
「もう一度見せて貰えません?」
「……金さえくれるんだったらな。いくらでも見せてやる」
「あんな芸で金を取れるほど江戸は甘くねぇぜ、兄ちゃんよ」
奈々を見下ろしながらそう言っている男に浩平が口を挟んだ。男の尊大な態度にちょっとむかついていたらしい。
「ほう……言ってくれるじゃねぇか」
男が浩平を睨み付ける。
「あんな只歩いたり飛んだり跳ねたりだけじゃ面白くも何ともねぇってんだよ。もっと芸を磨いてから金を要求しな」
「じゃ、あんたは俺の芸を見抜いたんだな?」
「何?」
「俺は人形遣いだ。俺の人形は糸も何も使ってねぇ。どうやって動かしているか、あんたは解ったんだな?」
人形遣いを名乗った男はそう言ってじっと浩平を見た。こいつなんかに見破られるはずがない。そう言う自信が滲み出ている。
そして、確かに浩平にはこの人形遣いを名乗る男がどうやって人形を操っているか皆目見当もついていなかった。だが、やはりあの程度の芸で金を払いたくは無いとも思う。この江戸にはもっと面白い芸を持っている芸人が山のようにいるのだ。そう言った人達に申し訳ない。何せ浩平の数少ない客の中にはそう言った芸人もいるのだから。
「ヘッ、結局解らないんじゃねぇか。だったら文句言わずに見物料を……」
「只物珍しいだけの芸に金なんざ払えるか。この江戸にはな、あんたの芸よりももっと面白い芸をやる奴が山のようにいるんだ、そいつらに申し訳がたたねぇよ!」
「何だと!?」
「ああん、やるか?」
互いに睨み合い、今にも殴り合い出しそうな二人を見て、奈々はオロオロするばかりである。
「こ、浩平さ〜ん……」
浩平の服の裾を持って何とか彼を止めようとするが、もはや彼と人形遣いとは一触即発の雰囲気である。彼女では止めようがない。
と、そこに一人の身なりのいい商人風の男が通りかかった。祐一のところから帰る途中の叶屋吉三郎である。彼は睨み合い、今にも殴り合いを始めそうな浩平と人形遣い、そしてその側でオロオロしている奈々を見つけるとそちらに歩み寄ってきた。
「奈々さん、どうしたんです?」
「あ、吉三郎さん。丁度よかった、止めてください!」
奈々はそこに現れた叶屋吉三郎にそう言い、睨み合いを続ける二人を指さした。しかしながらいきなり二人を止めてと言われてもまったく事情が飲み込めない。とりあえず簡単に事情を奈々から聞き出し、吉三郎はようやく二人の間に割って入った。
「まぁまぁ、少し落ち着いてください、二人とも」
「何だ、あんたは!?」
人形遣いがいきなり割って入ってきた男に向かってそう言い、今度はそっちを睨み付ける。
一方の浩平は割って入ってきたのが叶屋吉三郎だと知るとちょっと驚いたような顔をして、一歩後ろに下がった。
「叶屋の若旦那じゃないか……どうしたんだい、こんなところで」
「どうしたもこうしたも。たまたま通りかかったら……」
そう言いながらちらりと奈々を見る。
それだけで浩平はどうして彼が割って入ってきたかすぐに理解した。おそらく奈々が彼に助けを求めたのだろう。それでわざわざ二人の間に割って入ってきてくれたに違いない。
「ああ、そりゃすまないなぁ」
そう言って浩平は頭をかいた。
だが、相手の人形遣いはまだ治まらない。いや、当然だろう。自分の芸を容赦無く批判され、そして見知らぬ男に間に入られただけなのだから。
「おい! まだ話は終わってないんだぞ!!」
「ン〜、何か俺的にはもうどうでもいいんだがなぁ」
どうやら浩平は吉三郎が間に入ってきた時点であっさりと冷めてしまったらしい。
「まぁまぁ。それでは一度あなたの芸を私にも見せていただけませんか? それが凄いものであれば見物料を払いましょう」
物腰柔らかく吉三郎がそう言ったので人形遣いは仕方なさそうに頷き、その場に腰を下ろした。手に持っていた人形を地面に置いて、その上に手をかざした。
吉三郎、奈々、そして浩平が人形遣いの前にしゃがみ込み、人形を凝視する。吉三郎は楽しげに、奈々は興味深げに、そして浩平は今度は人形をどうやって操っているかを見破ろうとじっと人形を見つめる。すると、3人の目の前で人形がひょいっと立ち上がった。トコトコトコと歩き出す人形を驚いたように見つめる吉三郎。奈々は嬉しそうに手を叩いている。浩平に至っては物凄く疑い深げな目で人形と人形遣いを見比べていた。
「どうだ?」
人形遣いがそう言って3人を見る。
「いや、これは凄いな」
吉三郎が真剣な表情でそう言った。その隣では奈々がうんうんと頷いている。更にその隣にいる浩平は未だに不服そうに仏頂面をしていた。
「どうだ、凄いだろ。ええ?」
最後の一言はどうやら浩平に向けられたものらしい。仏頂面をしたまま浩平はぷいと横を向いた。これ以上勝ち誇った人形遣いの顔を見ていたくなかったのだ。
「これは見物料を払うだけの価値がある。うん」
言いながら懐から財布を取り出す吉三郎。そこから小判を一枚取り出すとそれを人形遣いに差しだした。それを見た人形遣いが驚きの声をあげる。
「お、おい! それは出し過ぎだろう!!」
その声に横を向いていた浩平が振り返り、やっぱり驚きの声をあげた。
「か、叶屋の若旦那、いくら何でもそれは出し過ぎだ!!」
「いやいやいや。手も触れず糸も何も使わずに人形を動かしてみせてくれたんだよ。これくらい出したって罰は当たらないよ」
吉三郎は涼しい顔でそう言い、人形遣いに小判を握らせる。
「これで何かいいものでも食べてくれ。まぁ、もう少し芸に幅を持たせた方がいいと思うけどね」
「……おおお……」
手に持った小判をギュッと握りしめ、人形遣いは感動の声をあげた。
「こ、これだけあれば……米の飯が食える!!」
言うが早いか、人形遣いは商売道具の人形を拾い上げるとすぐさま立ち上がり、物凄い速さで何処かへと去っていった。呆然とした面持ちでそれを見送る3人。
「……お腹減っていたから機嫌悪かったんだね、あの人」
奈々がそう呟き、吉三郎がその隣で頷く。だが、浩平だけは決してそうでないだろうと確信していた。あの男もきっと気がついているはずだ、あのままの芸では金を貰えないと言うことを。気がついているはず……気がついていて欲しいのだが。まぁ、自分には関係のないことだが。この広い江戸だ、もう二度と会うことはないだろう。
「ところで叶屋の若旦那。何処に行く途中だったんだい?」
浩平が吉三郎の方を見てそう尋ねると彼はちょっと顔を赤くしてちらりと奈々の方を見やった。どうやら彼のお目当てはこの美少女のようだ。それもそのはず、彼は彼女に惚れているのだ。更に言うと奈々の方も吉三郎に恋している。お互いの気持ちに気がついているのかいないのか、何とも初々しいカップルである。
自分をちらりと見た吉三郎に気付いたらしい奈々も頬を赤く染めた。
「そ、そうだ、こ、これを奈々さんに渡そうと思って……」
そう言うと吉三郎は懐から大事そうに布で包んだ細長い箱を取り出した。勿論、中身は祐一に作ってもらった簪である。少し慌てたような手つきで箱を包んでいる布を取り去り、中から簪を取り出す。
「こ、これ、奈々さんに似合うと思って……」
真っ赤になりながら吉三郎が簪を奈々に見せながら言う。
浩平はその簪の拵えを見て、一目で祐一が作っていた物だとわかった。わざわざオーダーメイドしておいて似合うも何もないだろうと内心思わないでもない。だが、そこが吉三郎らしいとも思う。特注物だと知られたら相手も気を遣うだろう。だから何処かの店で見つけた物だとあえて仄めかしたのだ。わざわざこれを三日で仕上げてくれた祐一には少し悪い気もするが、それよりも自分の恋の方が大事なのだから。
「わぁ……綺麗。いいんですか、こんなに綺麗な簪……」
そう言って奈々が上目遣いに吉三郎を見る。
「か、構いませんとも!」
吉三郎の声が少しうわずっている。どうやら彼の方が奈々にべた惚れのようだ。この二人が夫婦になったらさぞかし、彼は奈々の尻に敷かれることになるだろう。
「……それじゃ……吉三郎さん、それ、さして貰います?」
照れたように頬を染めながら奈々がくるりと彼に背を向けた。
そんな彼女に近寄り、そっと簪を彼女の髪に通してやる。
「……似合ってるかな?」
「ええ、そりゃあもう!!」
振り返った奈々がそう尋ねるのに間髪入れずに答える吉三郎。次いで、奈々は側に立って苦笑いを浮かべている浩平を見やった。
「どう、浩平さん?」
「いやいや、よく似合っておいででございますよ、お嬢様。しかしながら、こんな往来でいちゃいちゃするのはどうかと思いますがね」
ちょっと嫌味っぽく浩平がそう言ったので二人はここが大きな通りだと言うことを思い出したようだ。まるで朱の絵の具を垂らしたように二人の顔が真っ赤になる。
「やれやれ、これ以上ここにいたら馬に蹴られちまう。俺はこの辺でお暇させて頂きますかね」
肩を竦めてそう言う浩平に奈々と吉三郎は揃ってちょっとだけムッとしたような視線を送った。だが、それは照れの裏返しのようなもの、本気で怒ったわけではない。
「それじゃ叶屋の若旦那、奈々お嬢様、御機嫌よう。二人が祝言あげる時は俺も是非とも呼んでくださいませ。ただ酒飲めるんだから絶対に行きますんで」
「もう、浩平さん!!」
「ハハハッ、そいじゃ」
奈々が浩平の胸を殴ろうとしたのをひょいっとかわし、浩平はそのまま歩き出した。あの二人には幸せになって貰いたいものだ、と思いながら。

叶屋吉三郎は浩平と別れた後、近くの茶屋で奈々と少しの間話してから自分の家である叶屋へと戻っていった。
叶屋はそれほど大きくはないが、そこそこの規模をもつ小間物屋である。それでも大名家とも繋がりのある美濃屋とは釣り合いが取れない。そう言うこともあってか、吉三郎は奈々との交際を親に告げていなかった。しかし、町中で平然といちゃいちゃしている二人だから、すぐにそう言う噂が彼の親である叶屋吉兵衛の知るところとなる。吉兵衛は吉三郎と奈々の交際をあまり快くは思っていないようで、ことあるごとに口を出してきた。そして二人の仲は段々と悪くなっていくのだった。
「ただいま帰りました」
そう言って店の方から吉三郎が入っていくと、早速吉兵衛が彼を呼び止めた。
「何処へ行っていた、吉三郎?」
「お父さんには関係ありません」
「……また美濃屋さんのお嬢さんと会っていたのか。あれほど言っておいたと言うのにお前と言う奴は」
呆れたように吉兵衛が言う。
「私と奈々さんのことに口を出さないでください! これは二人のことで……」
「何を言うか! お前はこの叶屋の跡取りだ! 美濃屋のお嬢さんと言えば一人娘、婿を取る他無い! もしもお前が美濃屋に婿入りするようなことになればこの叶屋はどうなる!!」
「ならばこの叶屋を畳めばいいでしょう!」
「何だとっ!!」
そう言って吉兵衛が立ち上がった。息子の言い様にガマンが出来なくなったのだ。この叶屋は吉兵衛が一代で築いたものだ。ここまでの規模になるまでどれほどの苦労があったと思うのか。それをこの馬鹿息子はあっさりと畳んでしまえばいいと言う。それも自分の恋愛沙汰で。もはや許せるものではない。一発殴ってもでも。
本気で吉兵衛は殴ろうとしたのだが、不意に彼は胸を押さえて踞った。ここ数年、彼は胸を患っていたのだ。ここしばらくそう言う兆候はなかったのだが、今、頭に血を上らせてしまった際に血圧が上がり、それが胸の痛みとなって出てしまったのだろう。
「だ、旦那様!!」
踞った吉兵衛を見た番頭が慌てて吉兵衛に駆け寄った。
「誰か、すぐにお医者様を!! 旦那様、しっかりなさってください!!」
「う、うう……」
番頭が周りにいる手代達に指示を出す。
だが、そう言う光景を吉三郎は冷めた視線で見つめていた。自分の恋路の邪魔をしたのだからその罰が当たったのだ。そう思っている。
「わ、若旦那、何をしているんですか! すぐに旦那様を!」
黙って立っている吉三郎に番頭がそう言い、ようやく吉三郎は我に返った。今、そこにいるのは自分の父なのだ。ここまで育ててくれた父なのだ。
「お、お父さん!」
慌てて踞った吉兵衛の側による吉三郎。
と、そこにどやどやと捕り方を連れた役人が入ってきた。奉行所の同心ではない。どうやら火付け盗賊改め、通称火盗改めの役人らしい。
「叶屋吉三郎はおるか!!」
捕り方や同心達の後から入ってきたより上級の役人らしい男がそう言って店の中を見回す。
「わ、私でございますが……」
一体何事かと皆が驚いている中、恐る恐る名乗り出る吉三郎。
「むっ、そなたが叶屋吉三郎だな! よし、引っ捕らえい!!」
火盗改めの与力がそう言って捕り方に指示を出す。
与力の命を受けた捕り方の役人が吉三郎を取り囲み、縄をかけようとした。
「お、お待ち下さい!!」
縄をかけられようとしていた吉三郎が必死に叫ぶ。
「私が一体何をしたと言うのですか!!」
だが、その叫びに反応するものは誰もいない。捕り方はまだ何か叫んでいる吉三郎を容赦無く縛り上げていく。
「お、お役人様、お待ち下さい!」
そう言って吉三郎捕縛の命を下した与力に取りすがったのは番頭だった。
「見てのとおり、今しがた大旦那様がお倒れになりました。せめてお医者様が来るまでお待ち願います!」
「ええい、ならぬならぬ! この吉三郎は火付けの大罪人! 即刻取り調べねばならぬのだ!」
与力はそう言うと、取りすがってきた番頭を蹴り飛ばすように引き離してから、縄をかけられた吉三郎を引き立てていくように命じる。
「お、おお……吉三郎……」
引き立てられようとしている吉三郎を見て、吉兵衛が呻き声を上げる。いくらケンカしていようと吉三郎はこの叶屋の跡継ぎ、それ以上に大事な息子だ。火盗改めに引き立てられていくのが心配でならない。今の自分の身体よりも、息子の方が心配だった。
「大丈夫だよ、お父さん。私は何もやっちゃいない。誤解だと解ればすぐに帰してもらえる。それよりも養生しておくれ」
父の呻き声を聞いた吉三郎が振り返りながらそう言い、次いで番頭の方を見た。
「番頭さん、お父さんとこの叶屋を頼みましたよ。何、すぐに帰ってくるつもりですけどね」
そう言って笑みを浮かべる吉三郎。だが、番頭は心配そうな顔をしたままだった。
「よし、ひったてい!!」
与力がそう言って吉三郎を引き立てて歩き出した。

何事かと叶屋の前にいた野次馬達をかき分けながら火盗改めの与力と捕り方、そして縛られた吉三郎が進んでいく。その様子をたまたま買い物に出ていた名雪が野次馬の中に混じって見ていた。彼女は捕らえられた吉三郎が与力らに連れられて去っていくのを見てから、すぐに鍵屋長屋の祐一の元へと駆け込んでいく。
「祐一、祐一! 大変だよっ!!」
かなり慌てたような名雪に声に布団の中で眠っていた祐一がむくっと身を起こした。そして壮絶なほどに不機嫌そうな顔で入ってきた名雪を睨み付ける。
「一体なんだよ、名雪……俺はちょと前にようやく寝始めたんだぞ。下らない用事だったらまた今度にしてくれないか?」
「下らなくなんか無いよ! 大変なんだから!!」
「だから何だよ?」
「叶屋さんの若旦那の吉三郎さんがお奉行所の役人に捕まってたんだよ!!」
「……はぁ?」
興奮気味に喋る名雪に祐一は訝しげな顔を返す。
「何で叶屋の若旦那が捕まるんだよ?」
「そこまでは知らないよ」
あっさりとそう言う名雪に祐一は少しだけ何かを考えるような仕種をしたが、すぐにそれを辞め、布団の上に寝転がった。
「叶屋の吉三郎さんが奉行所に捕まるようなことをするわけない。何かの間違いだよ」
「でもでも、本当に縄で縛られて……」
「奉行所の役人のこった、どうせ何かの間違いで叶屋さんを捕まえたんだろ。誤解が解ければすぐに帰ってくるさ」
祐一はそう言うと、もう話はお仕舞いだと言わんばかりに名雪に背を向けた。出来れば今日一日は寝ていたい。何せ三日も徹夜したんだから。
「そうかなぁ……?」
「そうだよ。あの人は悪いことなんか出来ない人だし。それより、お前、買い物か何かの途中じゃなかったのか?」
まだ首を傾げている名雪にそう言うと、彼女はようやくそれを思い出したかのように手をポンと叩いた。
「そうだ、忘れてたよ。それじゃ祐一、またね」
名雪が出ていく気配を背中で感じながら、祐一はまた眠りに落ちていった。今度こそ邪魔が入らないように願いながら。

その頃、火盗改めの役所に連れてこられた吉三郎は壮絶な拷問を受けていた。
天井から吊された竹の棒に両手を縛られ、倒れることが出来ないようにした上で前後から役人が激しく棒で彼の身体を打ち据える。気を失おうものなら容赦無く水を浴びせられ、意識を取り戻すと同時にまた棒で打ち据えられる。
更に後ろ手に縛られた状態で断面が三角形になる木材の上に座らされ、その上に重石を乗せられたり、水車に身体を縛り付けられる水責めを受けたり、それはもう容赦のないものであった。
そのような拷問が休むことなく一日中続けられる。それは正に生きながらの地獄そのものである。だが、決して死なせはしない。吉三郎に限界が来たと見ると拷問は即刻取りやめられる。まるで彼を弱らせるのが目的であるかのように。
「どうだ、吐いたか?」
そう言いながら拷問部屋に現れたのは彼を捕らえた火盗改め与力、伴藤だった。何故かその顔にはニヤニヤとした笑みが浮かべられている。
「まったくしつこい奴です。何を聞いてもわたしはやっていないの一点張りで……」
そう言ったのは拷問係に任ぜられた年若い同心であった。
「ふむ……なかなか苦労しているようだな。だが、小奴が自白するまでは厳しく責め立てるのだ! 解ったな?」
伴藤はそう言うと、ぐったりとした吉三郎を見る。この様子だと決して自分がやったとは言わないだろう。だが、それでもまったく構わない。吉三郎が自白しようとしまいとまったくそんな事は関係ないのだ。この間の大火は火付けによるもので、その下手人はこの叶屋吉三郎、そう言う筋書きになっているのだから。後は痛めつけるだけ痛めつけ、自白するならそれでよし、しないでも口が利けぬほど痛めつけるだけ。その先に待っているのはどちらにしろ火炙りの刑だ。
「はっ、お任せ下さい!」
そう言って同心が伴藤に頭を下げるのを見てから伴藤は拷問部屋から出ていった。その直後、また竹の棒で吉三郎を打ち据える音が聞こえて来、同時に彼の悲痛な叫び声が周囲に轟いた。

数日後、祐一は幾つかの簪や櫛などの細工物を持って叶屋を訪れていた。飾り職人である彼の作ったものを叶屋が引き取り、それを売りに出している。そう言う関係もあって吉三郎は奈々にプレゼントする簪を祐一に直接頼みに来たのだろう。それはともかく時折叶屋に顔を出している祐一だったが、吉三郎が捕らえられたあの日に大旦那である吉兵衛が倒れたとは知らなかった。この日、叶屋にやってきたのは幾つか新たに仕上げたものがあったからそれを卸しに来たのだった。
店の表から中に入るといつもは人で賑わっている叶屋が随分とひっそりとしていた。
「……すいませ〜ん」
中に向かって声をかけると、奥の方から番頭が顔を覗かせた。
「ああ、これは祐一さん。今日は何の御用で?」
「これ、また頼もうと思って」
そう言って祐一は手に持った箱を番頭に見せる。
「ああ、申し訳ないんですが、今はちょっと……」
本当に申し訳なさそうな顔をする番頭。
「何かあったんですか?」
「ええ、若旦那がお取り調べを受けていて。それに大旦那様がお倒れになって……今はまともに商いなど出来るような状態じゃないんです。本当に申し訳ない」
「それは大変だ……まだ若旦那は?」
「ええ……誤解のはずなんですが、未だ何の連絡も」
「……まったく、奉行所の連中、何やってんだか……」
「いえ、それがお奉行所ではなく火盗改めの……」
「火盗改め!?」
驚きの声をあげる祐一。
相手が奉行所ではなく火盗改めとなると話は変わってくる。南北の奉行所よりも火盗改めの方が遙かに厳しいのは有名な話だ。特に火付けや強盗などに関しては容赦がない。その火盗改めに捕らえられたとなると、そう簡単には帰してもらえないだろう。
「そいつは……まずいな……」
「ええ、大旦那様もすっかり気を落としてしまって……」
「何か出来ることがあればいいんだけど……」
「いえいえ、気になさらないでください。こちらの方こそお詫びしなければ」
「いや、それは別に構わないんで。それじゃ俺はこれで」
「申し訳ありません、祐一さん」
また頭を下げる番頭に見送られながら祐一は叶屋を出るのであった。

同じ頃、大川のほとりにつまらなさそうな顔をした奈々が一人座って川の流れを見つめていた。そこに一人の男が通りかかる。
その男はじっと川の流れを見つめている奈々に見覚えがあったのか、足を止めると彼女に声をかけてみた。
「よぉっ、お嬢さん。今日は一人かい?」
その声に奈々が振り返ると、そこには何時か町中で人形芸をやっていた男が立っている。相変わらず薄汚い身なりだが、顔色は良い。あの時吉三郎から貰った一両でとりあえず食うには困ってないようだ。
「あなたは……」
「覚えているかい、俺のこと? あん時、目ぇキラキラさせて見てくれてたよな」
そう言って男がにんまりと笑う。
「俺は往人。生業は前に見た通り人形遣いだ。で、お嬢さん、今日は何黄昏れているんだ?」
往人と名乗った人形遣いは奈々の隣に腰を下ろすと彼女の方を見た。
だが、奈々は何も言わないし、答えもしない。あの日のことを考えればきっとまた人形芸を見せてくれと言い出すと思っていた往人からすればこの反応は至極期待外れのものである。何と言っても往人も芸人の端くれ、自分の芸を見て喜んでくれるのは嬉しい。あの日、あれだけ自分の芸に興味を持ってくれた彼女がどう言う理由か解らないが元気を無くしているのを見て、何とかしてやりたいと思う。まぁ、半分くらいはまた金を貰えるんじゃないかという下心があるのだが。
仕方なく、往人は懐からやはり少し薄汚れた人形を取り出した。そっとその人形を地面の上に置くとその人形に向かって手をかざした。するとその人形が独りでに立ち上がり、ちょこちょこと奈々の前まで歩いていく。
ぼんやりとしている奈々に向かって元気を出せと言うように片手をあげる人形。更にひょこひょこと奈々の肩によじ登ってぽんぽんと彼女の頭を叩いてやる。
そんな人形の、いや往人の努力が実ったのか、ようやく奈々がクスリと笑みを漏らした。
「よし、ようやく笑ったな」
そう言って往人もニヤリと笑みを作る。
「有難う、人形遣いのおじさん。少しは元気出たよ」
「おいおい、おじさんはないだろう。せめてお兄さんにしてくれ。で、お嬢さんは一体どうして落ち込んでいたんだ? 話ぐらいなら聞いてやるぜ」
奈々におじさん呼ばわりされて少し苦笑を浮かべつつ、往人がそう言うと、奈々はまた表情を曇らせた。
「……うん……実は……」
彼女の話によると、あの日一緒に往人の人形芸を見た恋人が無実の罪で捕まってしまったと言うこと、そして未だに何の音沙汰もなく、解放もされていないと言うことだった。それにその恋人の父親も病に倒れてしまっていると言う。このままお付き合いが進めばいずれ義父となるかも知れない人物が病に倒れているというのに、その息子は未だに無実の罪で捕らえられたまま。心配で心配でたまらないのだ。
「う〜ん、そいつは厄介な話だなぁ。何か手助けしてやりたいのは山々だが……」
高々人形遣いの自分に一体何が出来るだろうか。相手はお上、下手なことをすれば自分が捕まってしまう。はっきり言ってしまえば何も出来ないのだが。
「そうだ、面会には行ったのか? 会うことぐらいは出来るだろ?」
いいことを思い出したと言う風に往人がそう言うが、奈々は黙って首を左右に振って見せた。どうやら面会も出来なかったらしい。
「何でだよ? それくらいなら……」
「解らないよ……でもどうしてもダメだって……」
そう言った彼女はもう泣きそうだ。
それを見て往人は黙り込むしかなかった。しかしながら、面会さえ許されないとは一体どう言うことか。彼女の恋人と言うのはあの時一両もくれたあの男の事だろう。決して悪いことが出来そうな男には見えなかった。面会も出来ないほどの重罪を起こすとはどうしても思えない。いや、どっちかと言うと人にはめられるようなタイプではないだろうか。あのお人好しそうな顔を思い起こしてみる。
「あいつがねぇ……信じられねぇな」
そう呟いて往人は立ち上がった。そして奈々の肩の上にいる人形を掴みあげる。
「何かの間違いだ、絶対に。あいつが何か罪を犯すなんざどうしても思えないからな。もうちょっとしたら出てこれるさ」
元気づけるようにそう言ってから歩き出す。奈々をこのままここに残しておくのは少し心配なような気もしたが、それ以上に気になることがある。あの若者が一体どうして捕らえられたのか、そして今どうなっているのか。少し調べてみようと言う気になったのだ。

また幾日かが過ぎた。未だ吉三郎は帰ってこず、吉兵衛の病状も思わしくないらしい。叶屋はひっそりと静まりかえっていた。
その前を浩平と瑞佳が通りかかる。おそらく浩平に何か仕事の口を見つけてきてやり、そこに連れて行く途中なのだろう。二人は静まりかえった叶屋の前で足を止め、中を窺い見た。
「叶屋さん、大変そうだね」
「まだ若旦那が帰ってきてないのか……てっきり誤解なんだと思っていたんだがなぁ」
「そう言う言い方だと本当に何かやったみたいじゃない」
「いや、そう言う意味じゃないんだが……このままだとどうなるやら」
「うん……何か助けてあげたいけど」
「俺たちに何が出来るって言う訳でもないけどな」
そう言った浩平の目は何処か冷めていた。
叶屋吉三郎、確かに悪い人間ではない。犯罪など出来るはずもないだろう、お人好しのお坊ちゃんだ。だが、浩平にとってはそれ以上でもそれ以下でもない。それ以上に肩入れする理由もない。同情などもってのほかだ。
「それよりも瑞佳、仕事だろ。ほれ、行くぞ」
そう言って浩平が歩き出した。
「あ、待ってよ、浩平」
歩き出した浩平に慌てて瑞佳がついていく。
二人が叶屋の前から去っていくのと入れ違うように一人の役人が叶屋へとやって来た。誰あろう、火盗改め与力・伴藤その人である。相変わらず偉そうに肩で風を切りながら、叶屋の中へと入っていく。

伴藤は叶屋吉兵衛の寝室まで来ると手に持った紙を広げた。
「叶屋吉三郎が昨今の火付けの下手人と自ら認めた為、火炙りの刑に処するものとする! 本来ならば火付けの罪は家族郎党全てにその罪は及ぶがお上にも慈悲がある! 叶屋の身代は没収! 叶屋吉三郎の身内のものに関しては江戸市中所払いとする!」
伴藤がそう言うのを聞いて平伏していた吉兵衛が顔を上げた。
「お、お待ち下さい、伴藤様! 倅が、吉三郎が罪を認めた、と?」
「そうだ」
「そ、そんなはずはありません! 倅がそのような大それた事、出来るはずがありません! どうか、どうかもう一度お取り調べを!!」
縋り付くようにそう言う吉兵衛だが、伴藤はそんな彼をキッと睨み付けた。
「貴様、お上の吟味に不備があったとでも申すつもりか!!」
「そ、そのようなことは……しかし、倅が……」
「ええい、黙れ黙れ! 吉三郎は罪を認めたのだ! お前らにまで罪が及ばなかったことを喜ぶのだな!!」
伴藤はそう怒鳴りつけると縋り付いてくる吉兵衛を突き飛ばすようにして寝室から出ていった。後に残された吉兵衛は信じられないと言った面持ちで、呆然としているばかり。いや、信じることなど到底出来ないだろう。自分の息子が、この叶屋の跡取りが火付けなどやるとはどうしても思えない。一体何故?
「……旦那様」
呆然としている吉兵衛を心配してか、番頭が声をかけてくるが、彼の耳には届いていなかった。

叶屋を出ていった伴藤はその足で火付け盗賊改めの役所に戻らず、別の所へと向かっていた。その後を少し離れて往人がついていく。
あの日、落ち込んでいる奈々と別れた後少し調べてみたが、誰に聞いても吉三郎が火付けをするような奴には思えないと言う答えだった。どうやら彼は何者かによってはめられたらしいと考えた往人は彼を捕らえた伴藤と言う火盗改めの役人に狙いをつけて、更に調べていたのだ。
伴藤は自分を尾行している往人には気付いていない様子で、そのままどんどん歩いていく。いつしか江戸の郊外にまでやって来た彼はそこにある大きな屋敷のような建物に入っていった。それを見た往人が門の前までやってくる。
「……木曽屋……?」
門にかけられてある小さい表札にはそう書かれてある。どうやら木曽屋の寮らしい。そこに入っていった伴藤。これは何かあると思った往人は素早く塀を乗り越えると中に忍び込んだ。
床下を身を屈めて窮屈そうに進んでいくと話し声が聞こえてきた。耳を澄ませると伴藤と誰かが喋っているようだ。
「これが今回のお礼でございます、伴藤様」
「うむ」
伴藤は自分の正面にいる商人風の男が差し出した小判の包みを手に取るとすっと懐に押し込んだ。
「これであの若僧は……」
「うむ、火炙りだな。木曽屋、全てはお前の望み通りというわけだ」
「フフフ、伴藤様にはお手数をおかけ致しました」
そう言ってニヤニヤ笑っているのは材木問屋の木曽屋文吾郎。江戸でも一二を争う大店である。
「後は美濃屋さえ何とかすれば、公儀御用達は」
「お前のもの、と言う訳か。ならばもっと礼金をはずんで貰わないとな」
「まだまだ伴藤様にはやって頂かなくてはならないことがたくさんあります。それを全て果たして頂けたら礼金はいくらでも」
往人は床下で伴藤と木曽屋文吾郎の会話を聞きながら首を傾げていた。この木曽屋と伴藤と言う役人が結託して美濃屋が持っている公儀御用達の看板を奪い取ろうとしているのはわかる。だが、それと叶屋吉三郎とはどう言う関係にあるのだろうか。叶屋は小間物屋で材木問屋ではないのだ。まったく関係ないではないか。一体どう言うことなのだろう。
この先、まだしばらく伴藤と木曽屋は話し込んでいたが、後はとりとめもない話ばかりでこれ以上は無駄だと判断した往人はそっと床下を後にするのであった。

「祐一、祐一、大変だよ!!」
そう言って名雪が祐一の所に飛び込んできたのは、彼が昼飯の準備をしている真っ最中だった。買い置きの干物を焼き、みそ汁を温め直している所だったのだ。
「な、何だよ、いきなり」
あまりにも突然だったので祐一も驚きを隠せない。
「いいからちょっと来て!!」
名雪はそう言うと祐一の手を取って表通りへと引っ張っていく。
「おい、火っ! 火っ!!」
叫ぶようにそう言って祐一は名雪の手を振り払うと自分の部屋に駆け戻った。そしてすぐさまみそ汁を入れた鍋を竈から降ろし、焼きかけの干物を皿に移し替える。
「何してるの、祐一! 早く早く!! 行っちゃうよ!!」
戻ってきた名雪が部屋の前でそう言って手を振る。
「ちょっと待てよ」
そう言って火の始末をしてから祐一は名雪に連れられて大通りの方へと出ていった。
大通りでは一人の罪人が引き回しにあっていた。周囲には野次馬が沢山おり、その中には名雪に連れ出された祐一だけでなく瑞佳や浩平の姿もある。
「……あれは」
引き回されている罪人を見て、祐一の口から驚きの声が漏れた。よく知っている人物だったからだ。そして、そこにいてはいけないはずの人物。
「吉三郎さんじゃないか。一体どうして」
「この前の火付けの下手人なんだとよ」
不機嫌そうにそう言ったのは浩平だった。大通りにやってきた祐一と名雪を見つけて側に寄ってきたらしい。
「そんな!?」
「叶屋の若旦那がそんな事するはずないってんだろ? 俺もそう思うけどよ、何でも罪を認めたそうだぜ」
淡々と言う浩平。その声音には感情がまったく込められていない。知っている事実を述べているだけ、と言う感じだ。
「まさか」
「でも見てみろよ。あれだけの拷問を受けてりゃやってなくてもやったっていっちまうわな」
浩平の言う通り、馬に乗せられている吉三郎の身体はひどく痛めつけられているのがわかった。余計なことを喋らないように口には棒を噛まされている。頬はこけており、どうやら食事もろくに与えて貰っていないようであった。
「……ひどい」
そう言ったのは名雪だったか、それとも瑞佳だったか。
と、大通りを進んでいく引き回しの一向の前に一人の少女が飛び出してきた。
「お願い致します! 今一度、今一度お取り調べを!!」
叫ぶようにそう言いながら引き回しの一行の前に平伏したのは誰あろう、吉三郎の恋人、美濃屋の令嬢、奈々であった。どこからか恋人である吉三郎が自白して、火炙りの刑になると言うことを聞いてきたのだろう。その声には必死さが滲み出ている。
「吉三郎さんがそのようなことをしたとはどうしても思えません! どうか、もう一度お取り調べの方を!!」
「ええい、ならんならん! 既にこの者の罪は明白! 再吟味する必要はない!!」
先頭にいた役人がそう言って奈々を押しのける。だが、それでも奈々はその役人に取りすがった。
「お願い致します! もう一度、もう一度だけ、お取り調べを!!」
必死にそう言う奈々を馬上の吉三郎が悲しげに見下ろしている。今の彼にはどうすることも出来ない。必死に、自分の為に必死になってくれている恋人に手を差し伸べることすら出来ない。それが悔しいのか、彼の目には涙が浮かんでいた。
「ならんと申しただろうが! この者は死罪と決した! もはやどうにもならんのだ!!」
役人がそう言うと、後ろにいた小者達が彼女を道の脇へと無理矢理連れていく。
「お願い致します! どうか、どうかもう一度!!」
奈々が悲痛そうにそう叫ぶがもう役人は耳を貸そうとはしなかった。それでもまだ叫んでいる奈々の姿に、野次馬達の中に気まずそうな空気が流れる。
「お嬢さん、止めた方がいい」
野次馬の一人が奈々に声をかけた。
「あの人とどう言う関係かはしらねぇが、もう決まったんだ。諦めるしかねぇよ」
「そんな……あの人は、吉三郎さんは何もしてないのに……」
振り返った奈々は目に大粒の涙を溜めている。彼は何も悪い事などしていないと言うのに、何故誰も信じてくれないのだ。何故誰も助けてくれないのか。世の中の理不尽さと、自分の力の無さに彼女は泣くことしか出来ない。
「あの子、可哀想に……」
ぽつりと呟くように名雪が言い、その隣にいた瑞佳が頷く。だが、その側にいる二人の男――祐一と浩平はひどく冷めた表情で奈々の方を見ているだけだった。二人だけではない、この場にいる誰も、吉三郎を救うことなど出来ないのだ。彼はこの後刑場へと連れて行かれて火炙りの刑になる。それを助けることは出来はしない。何と言っても彼自身が罪を認めてしまったのだから。そこにどう言った経緯があったにせよ、もはやそんな事は関係ない。彼が罪を認めたのは事実なのだから。
「ねぇ、助けられないの?」
名雪が祐一を振り返る。奈々に同情したのか、彼女の目にも涙が浮かんでいたが、それを見ても祐一は眉一つ動かさず、首を左右に振るだけだった。
「どうして? 叶屋さんって何もしてないんじゃないの?」
「確かに何もしていないかも知れない。でも、あの人自身が罪を認めてしまったのなら、もう俺たちにはどうすることも出来ない」
冷たく、だが少し悔しそうに顔を背けながら祐一は言う。所詮彼らは一般市民だ。奉行所の役人でもないし、目明かしでもない。それに時間がなさすぎる。後数刻もしないうちに刑場に連れ出され、火炙りの刑になると言うのに、今から何が出来ると言うのか。
「……そう言えば浩平、火付けの罪は家族一党にも及ぶはずだったと思うんだが」
話を変えるかのように祐一はそう言って浩平を見た。どうやら自分達がこの大通りに現れるまでの間に彼は色々と聞き回っていたらしい。だからこそ、祐一達がここに来た時に色々と説明出来たのだ。
「ああ、そのはずなんだがな。聞いた話によると、叶屋は闕所、で大旦那さんは江戸所払いで済んだってよ」
「そんな! 大旦那さんの今の身体で江戸所払いなんて、死ねって言ってるようなもんじゃないか!」
「んな事俺に言われてもな。俺だってさっき聞いたばっかりだし」
驚きの声をあげる祐一に肩を竦めてみせる浩平。
「……あれ? あの子、いないよ」
不意に名雪がそう言ったので二人は先程まで奈々がいた辺りを振り返った。確かに名雪の言う通り、奈々の姿はいつの間にか消えている。
「……やばいな。自棄を起こしたりしてたら大変だぜ」
ちょっと焦ったように浩平が呟く。
「何処に行ったか見当はつかないのか?」
「考えられる線は幾つかあるが……」
祐一の問いに腕組みをしながら浩平は答える。
「自棄になって自殺とか考えちゃったりしてたら大変だよ」
不安そうに瑞佳が言う。
「それはそうだ。よし、祐の字、お前と名雪ちゃんは向こうを捜してくれ。俺と瑞佳はこっちを捜す。で、見つかったにしろ見つからなかったにしろ、若旦那の処刑までに刑場に集合だ。見つからなかった場合、そこに現れる可能性が一番強い」
「わかった。行くぞ、名雪」
「う、うん!」
浩平の指示に祐一と名雪が走り出す。続けて浩平も瑞佳を伴って二人とは別の方向へと走り出した。

小塚原の処刑場には、野次馬が大量に集まっていた。
既に処刑の準備は終わっているらしく、一本の木の棒に吉三郎の身体はくくりつけられている。その足下には油を含ませた大量の枯れ木やら藁やらが積まれていた。これに火をつけて炙り殺すのが火炙りの刑である。だが、あまりにも時間がかかると言うことから近頃では胸元に火薬をくくりつけて、それを爆発させて一気に処刑するという方式がとられていた。
「あれが、そうなのか?」
「まだ若いってのにねぇ」
「火付けなんざ人のするこっちゃねぇ!」
「早く殺してしまえ!」
ザワザワと野次馬が騒ぐ中、祐一と名雪は結局奈々を見つけることが出来ずにこの刑場にやってきていた。野次馬の中には先日の火事で焼け出された者もいるのだろう、くくりつけられている男が火付けの下手人だと聞いてあしざまに罵っている連中もいる。彼らからすれば当然のことだ。だが、吉三郎が無実だと信じている者にとっては、それはとてもいたたまれない、いや、むしろ怒りすら誘う言葉である。しかし、この場にいる大半の者は彼が無実であると言うことを知らないだろうし、信じてもいないだろう。
辛そうな顔をする名雪に祐一が声をかける。
「帰ってもいいんだぞ、名雪」
「ううん、いるよ」
名雪はそう言って首を左右に振ると祐一を見返した。
「心配してくれてありがと、祐一。でも」
「わかった。でも辛かったら言えよ」
「うん。頼りにしてるよ」
同じ頃、少し離れた場所に浩平と瑞佳もやって来ていた。この二人も奈々を見つけることが出来ないまま、この刑場へと足を運んだらしい。そして野次馬達の声を聞いて浩平が露骨に顔をしかめていた。
「まったく、何の事情も知らねぇくせによく吠えやがるぜ」
「知らないからだよ。それにあの火事で焼け出された人も多いから」
そう言って悲しそうな顔をする瑞佳。
「その人達からしたら……事実がどうあれあそこにいるのは火付けの下手人で、中にはあの火事で焼け死んだ人だっているし」
「ああもう! わかってるよ、そんな事は!」
苛立ちの声をあげ、瑞佳を止める浩平。瑞佳の言うことは、言いたいことはわかっている、少なくても頭の中では。だが、やりきれない思いが渦巻いているのもまた事実だ。刑場の中で貼り付けになっているのはおそらくは無実の男なのだから。
野次馬の中には往人の姿もあった。
あれから彼なりに手を尽くして色々と調べてみたが、どうしても木曽屋と吉三郎とを繋ぐ線は見つからなかった。もし、仮に何か見つかったとしても相手は火盗改めの役人と繋がっているのだ。揉み消される可能性の方が遙かに大きい。すなわち手の施しようがない。どう足掻いても吉三郎が火付けの下手人として処刑されると言うシナリオは書き換えようがないのだ。
あの日、自分の人形芸を見て素直に「凄い」と言ってくれた吉三郎。その彼を思って悲嘆にくれていた奈々。その二人に申し訳ないと思いつつ、往人は一見冷静を装って貼り付けられている吉三郎を見つめている。
少しの間をおいてから、処刑を執り行う役人が立ち上がった。どうやら町奉行所の同心のようだ。貼り付けられている吉三郎の足下まで歩み寄り、その役人は彼を見上げた。
「何か言い残したいことはあるか?」
静かな声で役人がそう言う。それは貼り付けられている彼に対しての温情だった。必要以上に彼は痛めつけられている。もしかしたら彼は火付けの下手人なのではないのかも知れない。その証拠に彼は何も喋れないように猿ぐつわを未だに噛まされているのだ。おそらく彼に喋られてはまずい、と言うことなのだろう。
喋ることが出来ないのに、言い残したいことはあるかと尋ねてしまった。我ながら間抜けなことだ、と思いながら役人は吉三郎をもう一度、悲しげな目で見上げた。
「何をしておるか、久瀬!! 早く処刑を始めろ!!」
そんな怒声が飛んで来、役人は肩を竦めた。振り返ると、見届け役として火盗改めの与力が一人来ているのが見えた。確か伴藤とか言う名前だったな、と思いながら彼は周囲にいる処刑人達を見回し、手を挙げた。それを合図に処刑人達が松明に火をつけ、吉三郎の足下に積まれている枯れ木や藁の山にその火を移していった。
油を染み込ませてあるだけに燃え移りは早い。あっと言う間に炎が吉三郎の足下から噴き上がる。
「吉三郎さん!!」
突如刑場に響き渡ったその声に吉三郎が顔を上げた。刑場を取り囲む竹矢来の前に愛しい少女の姿がある。目に大粒の涙を浮かべながらこちらを見て、彼女が叫んでいる。
「吉三郎!!」
今度は少し弱々しい声、だが彼はその声を聞き逃さなかった。それは彼の父の声だったからだ。視線を動かすと、やはり竹矢来の手前に、いつの間にかひどく痩せ衰えてしまった父が、吉兵衛がいた。
自分にとって大切な人が二人もこの場に来ている。あの二人にだけは真実を、自分は何もやっていないと言うことを伝えたい。その思いで必死になった吉三郎は口に噛まされている縄をいつしか噛み切っていた。
「父さん! 奈々さん! 聞いてくれ! 私は何もやってない!! 私は火付けなんかやってない!!」
炎に足下を焼かれながら吉三郎は必死に叫ぶ。
「私は無実だ! 全てはあの……」
「ええい、何をしている! 早く黙らせろ!!」
これ以上吉三郎に何か言わせてはまずいと伴藤が彼以上の大声で怒鳴った。だが、黙らせようにも炎が邪魔をして誰も近寄れない。奉行所の役人もどうすればいいのかおろおろしているだけだ。
炎と煙にむせながらも、それでも吉三郎はまだ叫んでいた。
「聞いてくれ! 全てはあの役に……」
そこまで彼が言った時、彼の胸元にくくりつけられていた火薬に火がついた。間髪をおかずに爆発が起こる。
「きゃあっ!!」
悲鳴を上げた名雪を祐一はすかさず自分の方に抱き寄せた。あまりにも凄惨な光景を見せたくなかったからだ。
少し離れたところでは浩平は祐一と同じように瑞佳を自分の方に向かせていた。
「見るな! 見るんじゃない!!」
そう言いながらも、浩平はしっかりと吉三郎の最期を見届けていた。それは祐一も同様で、更に往人や奈々、吉兵衛もその光景をじっと見つめていた。
「ああ……あああ……」
あまりものショックにその場に崩れ落ちる奈々。
それは吉兵衛も同様だった。力無く、その場に座り込んでしまう。

処刑は終わった。
一人、また一人と野次馬達が帰っていく。
だが、吉兵衛は呆然と座り込んだままだった。彼が一代で築いた小間物屋叶屋はこれで全て失われた。店も、跡継ぎも、何もかも。
「……大旦那さん」
力無く座り込んでしまっている吉兵衛に声をかけたのは祐一だった。叶屋とは結構付き合いは長い。何度も彼が作った簪や櫛を引き取って貰った。その恩もあるが、それ以上に、今の吉兵衛があまりにもいたたまれなさすぎて声をかけてしまったのだ。
「行こう、こんな所にいちゃ身体に良くない」
「そうだよ。ここにいちゃダメだよ」
名雪も一緒になって吉兵衛に声をかけるが彼は聞いていないようだった。いや、聞こえていないと言うべきだろう。もはや彼の耳に二人の声は届いていない。
「……名雪、手伝ってくれ」
そう言って祐一は吉兵衛の前にしゃがみ込んだ。名雪の手を借りながら彼を背負うとそのまま歩き出す。このまま彼を一人にはしておけない。そう思ったのだ。
同じ頃、竹矢来の前に呆然と座り込んでいる奈々の側に往人が歩み寄っていた。小さく震えているその肩に、何と声をかけていいのか彼は戸惑ってしまう。だが、このまま彼女を放って置くわけにも行かなかった。
「おい、いつまでそうしているつもりだ?」
ぶっきらぼうに往人が声をかけると奈々はゆっくりと彼を振り返った。そして声をかけてきたのが往人だと知ると、目に溜まっていた涙を零しながら彼の胸に飛びついていく。そして号泣。目の前で恋人の最期を見届けたのだ。よくここまで持ちこたえたものだと思う。
往人は何も言わずに胸を貸してやった。それぐらいしか自分には出来ない。あの男を助けることなど出来なかった自分にはこれぐらいのことしか。

一頻り泣き喚いて、そしてようやく落ち着いた奈々を美濃屋まで送る為、往人は彼女を伴って歩いていた。お互い無言。かなり気まずい空気だったが口を開こうとはどちらもしない。往人は奈々に何と声をかけていいのか解らなかったし、奈々は奈々で何か考えているような感じだった。
「……人形遣いのおじさん」
不意に奈々が口を開いたのは美濃屋の店が通りの向こうに見えてきたそんな時だった。
「……お兄さんだ」
一応訂正しておく。だが、奈々のただならぬ雰囲気は彼も感じ取っており、それ以上は何も言わなかった。
「人形遣いのお兄さん。お兄さんは色んなところを旅してきたんだよね?」
「ああ」
「それじゃ……仕置人の噂、聞いたことがある?」
「仕置人!?」
奈々の口から漏れたその言葉に往人は思わず足を止めていた。
仕置人――金で恨みを晴らす闇の稼業。勿論非合法であり、奉行所もその存在を追っていると言う。実在するのかどうかは怪しいと言う話もあるが。
「何で又仕置人なんか……」
振り返り奈々の顔を見ながら尋ねる往人。
「私、吉三郎さんの恨みを晴らしてあげたいの。でもわたしじゃ何の力もないから、だから」
「だから、仕置人――か」
奈々の表情は真剣そのものだった。だが、往人は困ったような表情を浮かべるだけ。
「噂ぐらいなら聞いたことがある。でも本当にいるのか、そんな奴?」
「わからない。でも、お兄さんなら色んなところ旅してきてるから知ってるんじゃないかって思って……」
すがるような目をして奈々は言う。おそらくは彼だけが頼りなのだろう。人形遣いと言う芸で全国を旅してきた彼ならきっと何か知っているに違いないと思っている。
果たして何と答えればいいのだろうか。往人自身、確かに全国津々浦々を旅してきた。仕置人と言う闇の稼業が存在すると言う噂ぐらいは耳にしたことがある。だがそれはどれも眉唾物の話で、更にこの江戸にはつい最近来たばかりなのだ。だから彼に知りようはずがない。しかし、それを彼女に告げて落胆させたくはなかった。彼女の気持ちは痛いほどよく解る。自分だってそうしたいぐらいだ。
「……あのな、仮に俺がその仕置人を知っていたとしても、だ。仕置人に頼むには金がいるんだぜ。それもかなりの額のな」
これは方便だ。彼女に諦めて貰う為の。心の中で彼女に謝りながら往人は言う。
「お嬢ちゃんじゃとてもじゃないが払えるような額じゃねぇぜ?」
「あの、それってどれくらいですか?」
「いや、だから」
「お金なら何とかして作ります! だから、だから」
奈々はそう言って往人に縋り付いた。
彼女は本気だ。どうしようもないくらい本気だった。何をどう言っても彼女は諦めないだろう。
「……最低でも十両は必要だ」
吐き捨てるように往人は言う。
いくら美濃屋のお嬢様と言えどもそうそう十両もの金をあっさりと持ってくることは出来ないだろう。親に頼んでも無理なはずだ。その親がどうしようもないほど娘を溺愛していなければ、の話だが。
「十両……あればいいんですね?」
「あのな、お前。いくら美濃屋のお嬢様だか何だか知らないがな、そんな大金持ってこれるわけないだろうが!」
呆れたように言う往人だったが、奈々は真剣そのものの表情で彼を見返している。
「お金は何とかして作ります。だから、仕置人を探しておいてください」
奈々はそれだけ言うと美濃屋へと駆け戻っていった。
その後ろ姿を往人は頭をかきながら見送るしかない。

料亭「水瀬」の一室に吉兵衛は寝かされていた。
あの刑場からここへ、祐一と名雪が運び込んだのだ。何せ彼は本当ならば江戸所払いの身、この江戸市中にいてはならないのだから。だが、あえてここに運び込んだのはここの女将である秋子がそれなりに顔が利くという事から。それに彼女なら困っている者を、病の身である彼を見捨てたりは絶対にしないだろうと言う確信が祐一と名雪にはあったからでもある。
事実、ここに吉兵衛を運び込んだ後、秋子はすぐに医者に来るように使いをやり、彼を診察させている。その結果は彼がもうそんなに長くないだろうと言うことだった。おそらくは息子が目の前で無惨な死を遂げたことが物凄い心労となり、生きる気力を失ってしまったから。その為に病が更に進んでしまったのだろう。
「う、うう……」
眠っていた吉兵衛が呻き声を上げて目を覚ます。
「こ、ここは……?」
見慣れない天井、見慣れない部屋に戸惑いを覚える吉兵衛。
「ここは料亭”水瀬”の一室です。お目覚めになったようですね、叶屋さん」
その声はすぐ側から聞こえてきた。吉兵衛が身を起こそうとすると、横からすっと手が差し出されて彼を寝かしつかせる。
「ダメですよ。体が随分弱っているんですから、横になったままで」
優しい声でそう言われては吉兵衛も従うしかなかった。
「……女将さん、聞いて貰えますか」
「ええ」
天井を向いたまま、吉兵衛は語り始める。叶屋のこと、自分のこと、息子のこと。その全てを失ってしまったこと。目の前で息子が死んでしまったこと。
その全てを”水瀬”の女将、秋子は黙って聞いていた。
「女将さん、私はね、悔しいよ」
吉兵衛の目にはいつしか涙が浮かんでいた。
「倅は……あいつが火付けなんかするはずがない。これは絶対だ。あいつは誰かにはめられたんだ。そうでなければ……ゴホッ」
そこまで言って吉兵衛は咳き込んだ。
「きっとあいつだ……あいつが吉三郎を罠にかけたんだ」
「……誰のことですか?」
そっと尋ねる秋子。
「美濃屋だ。美濃屋清右衛門……倅が娘を付き合っているのをよくは思ってなかったんだ……だから役人と手を組んで倅を!」
吉兵衛はそう言うと身を起こし、懐から財布を取りだした。そしてその財布を秋子の方に差し出す。
「女将さん、この叶屋吉兵衛、最後の頼みがある」
「お聞きしましょう」
真剣な表情で秋子はそう言った。吉兵衛の真剣さが彼女にも伝わったかのように。いや、それよりも前から彼女の表情は真剣そのものに変わっていた。
「この江戸には闇の稼業があると聞いたことがある。女将さんは顔が広いからそう言う連中に繋ぎを取れるかも知れない。だから頼む。倅の、吉三郎の恨みを晴らしてやってくれ」
それだけ言うと吉兵衛は秋子に頭を下げた。
秋子は黙って前に置かれた財布を手に取った。中に入っているのは彼の最後の財産だろう。これを全て渡すから彼の息子の仇を取って欲しいという、その切実なる願い。
秋子は財布を袖の中に入れて、静かにこう言った。
「了承」
こう、一言だけ。

料亭”水瀬”の離れに祐一と浩平がいる。
この離れは本当に料亭”水瀬”の建物から離れており、秘密の会談などにもってこいの場所となっている。そこに何故か祐一と浩平の二人がいた。
祐一は部屋の真ん中あたりで、浩平は部屋の壁に背をもたれかけさせて、揃って退屈そうにしている。
と、そこにようやく二人を呼びつけた張本人である秋子が入ってきた。途端に居住まいを正す二人。秋子の前に並んで正座している。
「お待たせしました」
秋子はそう言って二人の前に腰を下ろす。
「あなた方も知っていると思いますが、例の叶屋さんの一件」
「ええ、知ってますよ、元締め。それはもうイヤってくらいね」
そう言ったのは浩平だった。秋子を前にしても、その不遜な態度は変わらないらしい。彼が相手を気にして態度を変えるところなど想像もつかないが。
「祐一さんも知っていますね?」
「ええ、知ってます」
これは確認だ。祐一が叶屋吉兵衛をこの”水瀬”に運んできたのだから、彼が知らないはずがない。
「その叶屋さんがつい今しがたお亡くなりになりました」
淡々と言う秋子だったが、正面にいる二人は驚きの表情を浮かべていた。特に祐一は尚更だ。
「何で、何で叶屋の大旦那が!?」
「全てを託したからだと思います。吉三郎さんと、そして叶屋吉兵衛さん、二人分の恨みを」
そう、秋子に息子吉三郎の恨みを晴らしてくれと頼んだ後、吉兵衛の様態は急激に悪化した。まるで全てをやり終わったかのように、そのまま彼は死んでしまったのだ。
吉兵衛の遺体は秋子の指示で丁重に葬られることになっていた。そこに使われる金は吉兵衛が秋子の渡した分から支払われている。そして、その残った分が闇の仕置人に渡される頼み料となる。
さっと秋子が二人の前に小判を一枚ずつ置いた。吉兵衛の墓を建て、その残った分がそれだけ。仕置人に対する頼み料としてはかなり少ない方だ。これで動く仕置人などほとんどいないだろう。
「やって、貰えますね?」
そう言った秋子の顔は真剣そのものだった。そこに料亭”水瀬”の女将である秋子はいない。そこにいるのは闇の仕置人の元締めである秋子であった。
そして、彼女の前にいるのも人付き合いのあまり得意でない飾り職人の祐一と仕事嫌いで遊び好きな回り髪結いの浩平ではない。闇の仕置人、祐一と浩平なのだ。まだ若い二人だが、仕置人としての腕前は確かなものであり、元締めの秋子から絶大の信頼を置かれているのである。
二人が小判に手を伸ばす。それは二人ともこの仕置きを引き受けたと言うことに他ならない。
「相手は、火盗改めの与力・伴藤、そして彼と結託しているであろう美濃屋清右衛門」
秋子が静かにそう言うのを黙って二人は聞いていた。
「美濃屋に関しては確証は取れていません。叶屋さんがそう言い残していましたが、裏を取ってください」
そう言って立ち上がる秋子。
「それではよろしくお願いします」
秋子が去っていった後、浩平は手に持った小判をポンと上に放り投げた。
「美濃屋ねぇ……それじゃあ調べてみるとしますか。あまり気は進まねぇが」
「俺は火盗改めの伴藤って奴を調べてみる」
祐一はそう言うとすぐに離れから出ていった。
後に残された浩平はしばらくの間手に持った小判をいじくり回していたが、やがてその小判を懐に突っ込むと立ち上がった。そして無言のまま、離れから出ていく。

「ちゃ〜〜っす! 回り髪結いですけど御用はねぇっすか〜?」
美濃屋の裏口から明るい声で浩平が中に向かって呼びかける。珍しくちゃんと仕事用の道具も持っている。
だが、皆忙しいらしく誰も相手にしてくれなかった。
流石に浩平は表情を引きつらせる。こうまで完璧に無視された事は余り無い。もっとも自分から仕事を得ようとしたこともほとんどないのだが。
果たしてどうしようかと浩平が立ち尽くしていると、奥の方から言い争うような声が聞こえてきた。耳を澄ませてみると、どうやら聞き覚えのある声。片方は奈々のようだ。
「お父様の分からず屋! 少しぐらいいいじゃない!!」
「何を言うか! お前は理由すら話せんではないか!」
「理由は話せないけど、絶対に返すって言ってるじゃない!!」
「お前のような世間知らずが一体どうやって十両もの金を作るというのだ! 理由を話すならともかく理由を話せんのなら絶対にダメだ!」
どうやら父親と言い争っているらしい。
「それよりも早く準備をするんだ! 木曽屋さんが待ってくれているんだぞ!!」
「いやよ! 何で木曽屋の馬鹿息子と会わなきゃいけないのよ!!」
「何を言っている! 木曽屋さんの息子とお前は許嫁だろう?」
「そんなのお父様達が勝手に決めた事じゃない!」
「今まではお前の好きにさせていたが、あの叶屋の倅ももういない! これからは私の言うことを聞くんだ!!」
「いや! 絶対にそれだけはいや!!」
二人のやりとりを聞きながら浩平は困ったような笑みを浮かべた。どうやら物凄く厄介なところに出くわしてしまったような気がする。それに段々声が近付いてきた。どうやら二人がこっちに向かってきているらしい。
ここは逃げた方がいいかな、と浩平がくるりと背を向けようとした時、その背に声をかけられた。
「浩平さんだね。丁度よかったよ」
振り返るとそこに美濃屋清右衛門と不服そうに頬を膨らませた奈々がいた。ちょっと引きつったような笑みを浮かべる浩平。
「奈々の髪を今から結い直して欲しいんだが大丈夫かね? あまり時間がないんで急いで欲しいんだが」
「へい、お任せ下さいよ、旦那」
浩平がそう言って上がっていく。
奈々と一緒に彼女の部屋まで行き、彼女を座らせて髪を結う準備を始めようと持ってきていた道具箱を開いた。
「何があったかしらねぇけど、あまり親父さんを困らせちゃいけないよ」
拗ねたような顔をしている奈々に向かってそう言うが、奈々は不機嫌なままだ。この調子だと髪を触らせては貰えないだろうと思っていると、案の定、奈々は浩平が髪に触ろうとすると首を振ってその行為の邪魔をし始めた。
これには浩平も苦笑するしかない。
「奈々ちゃん、髪の毛を綺麗に整えるだけだぜ?」
そう言うが奈々は無言のまま首を左右に振るだけ。
「……参ったな。美濃屋の旦那に急いでくれって言われてるんだけど」
「お父様の言うことなんか聞く必要ないわ」
ようやく奈々が口を開いた。
「どうせ木曽屋の馬鹿息子に会わせようとしているだけだもの」
相変わらずの不機嫌そうな声で言う。
「何でまた木曽屋の息子と会わなきゃならないんだ?」
「浩平さんには関係ないでしょ」
「そりゃま、そうだが……事情によっちゃ助けてやることが出来るぜ」
あまりにも素っ気ない態度の奈々の前に置いた鏡越しに浩平はニヤリと笑ってみせる。実のところ、彼女の事情は先程清右衛門と怒鳴り合っていた内容から察しはついていた。
どれくらい前からの話かは知らないが清右衛門は一人娘である奈々を同じ材木問屋の木曽屋文吾郎の息子に嫁がせるつもりで話を進めていたらしい。だが、奈々には叶屋吉三郎という恋人がいつの間にか出来ていた。木曽屋に娘を嫁がせたい清右衛門からすれば吉三郎の存在は至極邪魔なはず。今回、吉三郎が刑死したことは彼にとって渡りに船だったはずだ。
今までは一人娘と言うこともあって好きにさせていたが、邪魔者である吉三郎はもういない。だから一気に縁談を進めてしまおうというのが清右衛門の魂胆だろう。奈々もそれがわかっているようで、だからこそ清右衛門に反発しているのだろう。
回り髪結いの浩平ではなく、仕置人の浩平としてはその辺りの裏が取れればそれでいい。美濃屋清右衛門は叶屋吉三郎を邪魔に思い、火盗改めの与力である伴藤と結託して吉三郎を罠にかけて殺した。これで充分筋書きは成り立つ。
「……元々は木曽屋さんの方から話を持ちかけてきたのよ」
ぽつりぽつりと奈々が喋り始めた。
いきなり自分の推測が外れた浩平が一瞬ギョッとしたような表情を浮かべる。
「お父様はあまり乗り気じゃなかったわ。私には吉三郎さんがいるって知っていたし――あまりいい顔はしてなかったけど――木曽屋さんって何か影で色々とやってるらしいって噂もあったし」
木曽屋については浩平も少しぐらいは知っている。
公儀御用達の美濃屋に次ぐほどの大店、材木問屋で言えば美濃屋か木曽屋かと言うほどの豪商だ。昔からある美濃屋に対して木曽屋はここ数年急激に大きくなった。何やら色々と汚いこともして成り上がったらしいと言うのはよく聞く噂である。
成り上がり者だからこそ、由緒ある大店の美濃屋の一人娘、奈々を嫁として迎えたかったのだろう。そう言う推測が浩平の頭の中で成り立った。
「でも、吉三郎さんと木曽屋の馬鹿息子と比べて……どっちが美濃屋にとって有益かを考えたらやっぱり木曽屋じゃないかって思ったらしくて」
それはそうだろう。木曽屋は同じ材木問屋、そこと縁戚になれば美濃屋は規模を更に大きくすることになる。だが、小さな小間物屋でしかない叶屋に一人娘をやったところでいいことなど一つもない。
そう思った浩平だが口には出さなかった。流石にそこまで厚顔無恥でもないし、これを言えば奈々が傷付くだろう事が簡単に予想出来たからだ。
「吉三郎さんがあんな事になっちゃって、余計に……」
少し辛そうに奈々が言うのを浩平は黙って聞いていた。
しかしながら清右衛門が娘のことを考えているのもわかる。吉三郎が死んだ今、一人娘の幸せを考えるなら木曽屋に嫁がせるべきだと判断したのだろう。あそこなら不自由なことなどなく暮らしていけるだろうから。
だが、それは奈々の気持ちを完全に無視している形になる。奈々の心の中にはまだ吉三郎の面影が色濃く残っているのだ。それを押し殺してまで自分だけが幸せになることなど彼女には出来ないだろう。
「ん〜、わかった。それじゃとりあえず……これで俺の頭殴りな」
浩平はそう言って目の前にある鏡を指さした。
「俺が準備をしている間にこれで俺を殴って君は逃げたって事にすればいい」
キョトンとしている奈々にそう説明してやり、浩平はニヤリと笑う。
「俺はここで気を失ってた。その間に何処なりと行きゃいいさ。まぁ、後で怒られるだろうけどね」
「結局私が悪者なのね」
「木曽屋の馬鹿息子には会いたくないんだろ?」
そう言うと浩平は鏡を外して奈々に手渡した。
「お手柔らかに頼むぜ、奈々ちゃん」
軽く片目をつぶってそう言う浩平に奈々はようやく笑みを見せた。彼の後ろに周り、そっと鏡を振り上げる。その時になって奈々はあることを思いだし、浩平に尋ねてみた。
「浩平さん、ちょっと聞きたいんだけど」
「ん?」
「浩平さんがもし、急に沢山のお金が必要になったらどうする?」
「その量によるけど」
「う〜ん……十両ぐらい?」
「十両ねぇ……そんな借金作ろうもんなら瑞佳に殴り殺されるような気もするが……質屋に行ってもそんなにくれるようなもの持ってねーし、高利貸しにゃ保証人がいねーし……俺が女だったら女郎屋にでも身を売るんだが、そこまでして金が欲しいともおもわねーだろうしな……って、最後の無し! 忘れてくれ!」
浩平がそこまで言った時、奈々が容赦の欠片もなく手に持った鏡を振り下ろした。ガシャンと言う音と共に鏡が割れ、浩平は思いきり後頭部を殴られて本当にその場で昏倒してしまう。
気を失った浩平を見た奈々は彼に向かってご免なさいと言うように手を合わせると、すぐに外へと飛び出していった。
清右衛門が浩平を殴り倒して奈々が逃げ出したことを知るのはもう少し後のことである。

浩平が美濃屋に来ていた頃、祐一は火盗改めの役所の前にいた。
叶屋吉兵衛が言い残した二人のうちのもう片方、火盗改めの与力・伴藤が出てくるのを待っているのだ。
吉三郎を罠にかけ、火付けの下手人に仕立て上げたのはその伴藤と言う与力に間違いないだろう。だが、それをすることで彼にどう言った利益があるのか。おそらくは裏で糸を引いている奴がいるに違いない。そいつこそが叶屋親子を死に至らしめた本当の悪、仕置きするべき奴らだ。
じっと待つこと数刻、ようやく伴藤が役所から出てくるのが見えた。何処へ向かうのか、気付かれないように尾行を開始する祐一。
伴藤は何処か目的地があるらしく、迷い無く進んでいく。自分がまさか尾行されているとも知らず、後ろを振り返ることもなくどんどん進んでいく。おかげで祐一は楽に尾行することが出来た。
やがて彼が辿り着いたのは木曽屋の寮だった。何一つ迷うことなく中に入っていく彼を追って祐一も木曽屋の寮に潜入することにした。かつて往人がそうしたように塀を乗り越え、往人とは違って天井裏に忍び込んでいく。
音をたてないように注意しながら天井裏を進み、下から声が聞こえてくるところでその足を止める。懐に入れた細いノミを取り出すと、やはり音をたてないよう慎重に天井の板を少しだけはがした。そこから下を覗き込むと伴藤の他に二人の男がいるのが見える。そのどちらの顔も祐一には見覚えがない。
「それで木曽屋。美濃屋は来るのか?」
「はい、娘を連れてもうじきに」
伴藤に声をかけられたのは少し年輩の男だった。彼こそが木曽屋文吾郎。そしてもう一人はその木曽屋にそっくりの若い男。おそらくは奈々の言うところの木曽屋の馬鹿息子なのであろう。もっともこれは祐一の知らない話だが。
「美濃屋の娘と言えば、確かあの若僧の処刑の場に来ておったな」
どうやら伴藤はあの時処刑場に来ていた奈々に気付いていたらしい。と言うか吉三郎が大声で叫んでいたので気付いただけなのかも知れない。
「なかなか器量のよい娘であった」
奈々の容姿を思い出しながら伴藤がいやらしい笑みを浮かべる。
「いずれは伴藤様にも……」
下種な笑みを浮かべて木曽屋が言う。
「父上、まずはこの私が味見致すのですぞ! それを忘れてもらっては困ります!」
そう文句を言ったのは木曽屋の馬鹿息子、正八郎だった。
「わかっておる! お前は少し黙っておれ!」
「まぁまぁ、そう言うな。正八郎、心配するな。あの娘はお前が楽しんだ後に味合わせて貰うからな」
息子を怒鳴る木曽屋を制し、伴藤は正八郎を安心させるようにそう言った。
「ところで木曽屋、木材の売り上げはどうなっておる?」
「はい。先の火事のおかげで急騰しております。おかげでいくらあっても足りないくらいで」
「では大もうけと言うことだな」
「はい。しかしながら美濃屋が木材の値を下げるなどと言いだしておりまして……」
「むう……」
「流石に公儀御用達だけあって寄り合い仲間も迂闊に反対出来ませんで困っておる次第でございます」
「それでこの俺の出番という訳か。フフッ、安くはないぞ、木曽屋」
「わかっております。これは今回のお頼み料と迷惑料。上手く行きましたらこれの二倍、三倍の金子を伴藤様に」
木曽屋がそう言って差し出したのは大量の小判の包みであった。一包みが25両、それが山形に積まれている。少なくても150両はあるはずだった。
そんな小判の包みを無造作に掴んでは懐に収めていく伴藤。顔には満更でも無さそうな表情が浮かんでいる。
「フッフッフ、任せておけ、木曽屋」
不敵に笑う伴藤。
「しかしながら、木曽屋、お前の計画がこうも上手く行くとは思ってもなかったぞ」
「それもこれも伴藤様のお力添えあってのことでございます」
「自ら町に火を放ち、そして木材を高く売りつける……よく考えつくものだ」
「全ては儲けの為でございます」
「更に公儀御用達の座まで狙うとは……恐れ入ったぞ」
「この木曽屋が公儀御用達となった暁には伴藤様には一生遊んで暮らしても困らないほどの金子をご用意させて頂きます」
「楽しみにしておるぞ、木曽屋」
伴藤と木曽屋が互いの顔を見合わせて笑い合うのを祐一は天井裏でギュッと拳を握りしめながら聞いていた。

「まったく申し訳ありません、浩平さん」
女中に浩平の手当てをさせながら美濃屋清右衛門は本当に申し訳なさそうに言った。
ただ髪を結い直すにしてはあまりにも時間が掛かりすぎているので様子を見に来たところ、奈々の部屋には部屋の主である奈々の姿はなく頭に大きなたんこぶを作った浩平が割れた鏡の破片に埋もれるようにして倒れているだけだった。それを見た清右衛門は慌てて女中を呼びつつ、自分は浩平に駆け寄った。彼がただ気を失っているだけだとわかり、ほっと安心するが、これをやったのが誰であるか想像して青くなってしまう。
「あたたた……」
ようやく意識を取り戻したらしい浩平は殴られた頭を抑えながら身を起こした。
「大丈夫ですか、浩平さん?」
「ああ、大丈夫です……それよりも美濃屋の旦那、すいません、お嬢さんが……」
ズキズキと痛む頭に顔をしかめながら浩平が言うが、美濃屋は首を左右に振る。
「謝るのはこっちの方だよ。まさか奈々が浩平さんを殴り倒して逃げ出すとは……そこまでいやだったのか……」
「いやま、奈々お嬢さんの気持ちもわかりますがね、俺は」
そう言って立ち上がろうとする浩平だったが、すぐにふらついてその場に座り込んでしまう。
「こ、浩平さん!?」
「ああ、大丈夫大丈夫。ちょっとふらついただけですから」
心配そうに言う美濃屋にそう言って浩平は手を振った。
そこに女中がやってきたので美濃屋はすぐに浩平の手当てをするよう申しつけたのだ。
湿布をたんこぶの上に貼って貰い、その上に細い布を巻き付けていく。なかなか手際がいいところを見るとこう言うことに慣れているのか、それとも心得があるのか。
「申し訳ないが浩平さん、私はそろそろ出掛けなきゃいけないんだ。これは詫び料として取っておいてくれないか?」
美濃屋がそう言って小判を一枚差し出してきたので浩平は黙ってそれを受け取った。受け取ることで美濃屋の気が済むのなら受け取っておいた方がいいだろう。
「それじゃ済まないけど、後は頼むよ」
「はい。行ってらっしゃいませ、旦那様」
浩平の手当てをしている女中にそう言い残して美濃屋が部屋から出ていく。それを見送った後、浩平は女中に礼を言って、すぐさま出ていった美濃屋を追いかけた。何となくだが、イヤな胸騒ぎを感じたのだ。だが、時既に遅く、美濃屋清右衛門の姿は通りの何処にも見当たらなかった。もしかしたら籠を用意していたのかも知れない。そうなるともう追いつくことは出来ないだろう。
美濃屋が出掛ける用事は奈々も言っていた通り木曽屋と会うことだろう。どう言う用件で会うのかは解らないが、相手があの木曽屋である。浩平が感じたイヤな胸騒ぎはおそらくそこから来ているのだろう。だが、もうどうすることも出来ない。
「くそっ!」
完全に美濃屋を見失ってしまい、浩平は悔しそうに舌打ちするのだった。

美濃屋清右衛門が向かった先は木曽屋の寮だった。
浩平が予想した通り、木曽屋に会うのが目的、と言うか木曽屋に呼び出されたのだ。美濃屋自身には木曽屋に呼び出されるような心当たりはない。だが、おそらくは先日の寄り合いの時に出た「木材価格の値上げ」の件についての話だろうと見当をつけていた。
娘の奈々も一緒に連れてきて欲しいというのは多分奈々と木曽屋の息子・正八郎との縁談の話も一緒にするつもりなのであろう。木曽屋の黒い噂のこともありあまり気乗りのする話ではないが、奈々の幸せを考えるとかなりの大店である木曽屋に嫁がせ何不自由ない生活を送らせてやる方がいいだろう。そう思い、渋々ではあるが話を進めているのだ。
木曽屋の寮に着いた美濃屋清右衛門はすぐに客間に案内された。そこで待っていたのは木曽屋文吾郎とその息子、正八郎。二人は入ってきたのが清右衛門一人だと見ると、特に正八郎の方だが、露骨に眉を細めていた。
「美濃屋さんお一人ですか?」
「すいません、木曽屋さん。娘はまだふさぎ込んでおりましてな」
まさか木曽屋と会うのがイヤで逃げだしたと言うわけにもいかず、美濃屋は苦笑しつつ嘘をついた。
木曽屋が勧める座布団の上に腰を下ろし、美濃屋はすぐに用件を切り出した。
「さて木曽屋さん、一体何の御用で私を?」
「まぁ、そう慌てなさいますな、美濃屋さん。今、茶を用意させておりますので少々お待ち下され」
木曽屋がそう言って手をパンパンと叩くと女中がやってきて主人である木曽屋、その息子の正八郎、そして美濃屋の前に熱そうな茶の入った湯飲みを置き、そしてまた戻っていった。
「まぁ、一杯どうぞ。京よりいい茶の葉を頂きましてな。是非とも」
「木曽屋さん、こう見えても私も忙しいんだ。出来れば用件を先に言って貰えないかね?」
お茶を飲むよう進める木曽屋に対して美濃屋はあからさまに不快そうな顔をしてそう言い放った。
「やれやれ、せっかちですなぁ、美濃屋さんは。よろしいでしょう。今日、美濃屋さんをここにお呼びしたわけをご説明致しましょう」
そう言って木曽屋は自分の前に置かれた湯飲みを手に取り、熱いお茶を少しだけ啜った。それから目を細めて美濃屋の方を見る。
「美濃屋さん、あなたが持っている公儀御用達の看板、私に譲っては貰えないか?」
「な、何っ!?」
いきなりの木曽屋の発言に思わず美濃屋は腰を浮かしかけた。あまりにも突拍子もないことだったからだ。公儀御用達、それは正に選びに選び抜かれた商家にだけ与えられる公儀の御用を一手に引き受ける事を許されるステイタス。それを何の脈絡もなく、いきなり譲れとはどう言うつもりなのか。
「き、木曽屋さん! あんた自分が何を言っているのか」
「ああ、わかっているよ、美濃屋さん」
興奮気味の美濃屋に対して木曽屋は冷静沈着なままである。
「どうせいずれはうちのものになるんだ、それが少しくらい早くなっても問題はあるまい」
美濃屋の一人娘、奈々と木曽屋の息子、正八郎が結婚すれば美濃屋と木曽屋は縁続きになる。いずれは跡継ぎのいない美濃屋は木曽屋に吸収されてしまうだろう。そうなれば確かに公儀御用達の看板は自動的に木曽屋のものになる。
だが、木曽屋はそれを知りつつも、あえて今、先に公儀御用達の看板を譲れと言っている。当然そんな事が許されるはずがない。
「何を言っているんだ、木曽屋さん! そんな事、出来るわけがないだろう!!」
「でも私と奈々さんが一緒になればどうせうちのものになるし」
そう言った正八郎を美濃屋は思いきり睨み付けて黙らせる。
「何の用かと思えばそんな事か! 不愉快だ! 帰らせて貰う!!」
美濃屋がそう言って部屋から出ようとすると、すっと隣の部屋との敷居となっているふすまが開き、伴藤が姿を見せた。
「待て、美濃屋」
いきなり現れた伴藤に美濃屋は一体どう言うことなのか解らず、木曽屋の方を見た。だが、木曽屋は何食わぬ顔で茶を啜っている。
「まぁ、座れ」
伴藤がそう言うので、美濃屋は仕方なく腰を下ろす。まだ状況がよく飲み込めていない。どうしてここに火盗改めの与力がいるのか、何故彼が自分を呼び止めるのか、その理由が思いつかない。
「美濃屋、これはまだ公表されておらん話だがな――あの火付けの下手人、叶屋吉三郎とか申したが――あ奴はな、何とお前に火付けを頼まれたなどと申しておったのだ」
「なっ!?」
驚きのあまり、思わず腰を浮かしてしまう美濃屋。
正直なところ、吉三郎が――奈々の恋人であるあの若者が火付けの下手人だと言うことも驚きであったのに、まさかそんな事を言っていたとは。勿論、そんな事を彼に頼む道理はない。いくら木材を売る為とは言え、自ら火事を起こそうとまでは考えない。では一体どう言うことなのか。
「ど、どう言うことでございますか!?」
「ふむ……まぁ、お前には心当たりなど無いだろうが、あ奴はそう言い張っておってな。おそらくは責任逃れだとは思うが、この様な噂が広まれば美濃屋の看板にも傷が付くであろう?」
それはその通りだ。しかし、一体どうして吉三郎はそんな嘘をついたのか。確かに奈々との交際にいい顔はしていなかったが、そこまで恨まれるはずはない。
「御公儀としてもそのような噂のある店に御用達を続けさせるわけにもいかんのでな。木曽屋ならば美濃屋と規模もそう変わらぬし、もうじき縁続きになると聞いたのでな」
美濃屋は愕然としていた。
もしも伴藤の言う噂が世間に広まれば美濃屋の信頼はがた落ちだろう。あの火事で焼け出された人は物凄い数に上る。その恨みを一身に背負わなければならなくなるのだ。そうなると勿論、公儀御用達の看板も取り上げられるに違いない。それがただの噂であったとしても、だ。
「どうだ、美濃屋。木曽屋に公儀御用の看板を譲り、お前の娘を早々に嫁がせては。そうしてお前は隠居すればいい。美濃屋の身代は木曽屋が上手くやってくれるという。何も心配はいらんではないか。人の口には戸は立てられん。今は抑えているが、この噂もいつ知れ渡るやも知れんのだぞ」
伴藤が囁くように美濃屋に言う。
あまりもの事に美濃屋は心身喪失状態になっていた。伴藤の声も何処か遠くから聞こえているような感じである。
もはやどうすることも出来ない。あの噂が広まれば代々続いた美濃屋はお仕舞いだ。自分の代で美濃屋を潰すことは出来ない。それを防ぐ為には美濃屋の全てを木曽屋に預けてしまうしかないのか。
「どうだ、美濃屋?」
ずいっと伴藤が美濃屋に迫った。美濃屋はもう落ちる寸前だ。後ちょっと押してやればこっちの言うことを聞くはず。
「もう噂は広まっておるかも知れんのだぞ」
その一言がとどめとなった。
ガックリと畳の上に手をつく美濃屋を見て、木曽屋がニヤリと笑う。
「わかり……ました……」
力無くそう言う美濃屋清右衛門。
「それでは一応念書を書いて頂きましょう。何、美濃屋さん、心配無さらんでよろしい。後のことはこの木曽屋に任せておれば」
木曽屋がそう言って用意していた紙と硯を美濃屋の前に差し出した。
フラフラと頼りない手つきで美濃屋は木曽屋と伴藤に言われるままに念書を書きしたためていく。美濃屋の持っている公儀御用達の看板は木曽屋に譲る、美濃屋の身代全ては木曽屋に任せるなどと言うことを。
全てを書き終わった美濃屋の前からその念書を取り上げた木曽屋は、念書の内容を確認してから隣にいる息子にそれを手渡した。
「さて、後は美濃屋さんのお嬢さんとうちの倅との婚姻についての話を進めるだけですな」
そう言って笑みを浮かべる木曽屋だが、美濃屋はガックリと肩を落とし、半ば呆然としているだけであった。

天井裏で全てを聞いていた祐一はそっと気付かれないように木曽屋の寮から抜け出すと鍵屋長屋の方に戻っていった。美濃屋を調べると言っていた浩平と情報交換するためだ。
今回の話、どうやら裏で糸を引いていたのは美濃屋ではなく木曽屋だろう。木曽屋が美濃屋の公儀御用達の看板を狙って陰謀を企てたに違いない。その陰謀の犠牲になったのが叶屋親子。あの親子の恨みを晴らすならば木曽屋と伴藤を仕置きするべきだ。歩きながら祐一はそう考える。
浩平の部屋の戸をトントンと叩いてみるが中から反応は返ってこなかった。どうやらまだ戻ってきていないらしい。美濃屋が木曽屋の寮に現れたというのに一体何処で何をやっているのやら。少し呆れたような顔をする祐一。
「浩平に用なの、祐さん?」
そう言って声をかけてきたのは瑞佳だった。
「いや、用って程のもんじゃないけど……いないの?」
振り返ってそう尋ねると瑞佳はこっくりと頷いた。でも、その顔は少し嬉しそうでもある。一体どうしたのかと聞いてみたところ、浩平が自分から仕事をしに出掛けていったのが嬉しいのだと言う。普段は尻を叩きながら、半ば無理矢理仕事を世話しなければやらない浩平が自分から仕事をしに出たのだ。ようやく性根を入れ替えたのかと思って、彼女は自分のことのように喜んでいる。
だが、それが裏稼業のためだと知っている祐一は複雑な笑みを返すことしか出来なかった。多分、今回の件が終わればまたいつものようなぐうたらな浩平に戻るだろう事が簡単に予想出来たからだ。あの浩平が真面目に仕事をする日は果たして来るのだろうか。余計なことだと思いながらも、祐一はついそう考えてしまう。
「おっ、瑞佳に祐の字じゃねぇか」
そんな声がしたので二人がそっちを見ると頭に包帯代わりの布を巻いた浩平が二人の方に向かって歩いてくるのが見えた。
「ど、どうしたの、浩平! その頭!!」
浩平の頭を見た瑞佳が慌てた声をあげて彼に駆け寄っていく。
「あー、ちょっとな。痛いから出来ればさわんないでくれ」
手を触れようとした瑞佳をそう言って制すると浩平は祐一の方を見た。互いに小さくこくりと頷きあう。これで充分だった。
祐一は未だ心配そうに浩平を見つめている瑞佳に気付かれないようその場を離れ、浩平も髪結い用の道具箱を瑞佳に押しつけ、「飯食いに行ってくる」と言って長屋を後にするのだった。

二人が合流したのは鍵屋長屋から少し離れたところにある小さなお社だった。あまり人が来ないので何か相談するにはもってこいの場所なのである。
「どうやら叶屋の若旦那を罠にかけたのは美濃屋じゃないらしい」
そっと周囲を伺っている祐一に声をかけたのは後から来た浩平の方だった。
「美濃屋の旦那は、一応奈々ちゃんと吉三郎さんの仲を認めていたそうだ」
実はあの後、浩平は美濃屋に戻り、女中達から色々と聞きだしていた。かなり渋々ではあったが美濃屋清右衛門は娘の奈々と叶屋吉三郎との交際を許していたようだ。その証拠に二人が会うことを別に禁じていなかったし、木曽屋から奈々と正八郎との縁談を持ちかけられた時に一度は断っている。
「美濃屋の旦那に吉三郎さんを殺す理由はないって事だ」
「ああ、わかってる」
短くそう答え、祐一は浩平の方を振り返った。
知っていたのかよ、と不服そうな顔をする浩平。
「裏で糸を引いているのは木曽屋だ。美濃屋の公儀御用の看板を狙ってのことらしい」
「木曽屋、か……だから奈々ちゃんと馬鹿息子を結婚させようとしていたのか」
「火盗改めの伴藤と手を組んで木曽屋は美濃屋さんから公儀御用達の看板を奪った。死んだ吉三郎さんを利用してな」
「あん? どう言うことだ?」
「吉三郎さんが火付けを美濃屋さんに頼まれたと言ったと言う噂を流すと脅したんだ」
「おいおい……」
祐一の言葉に浩平が呆れたような顔をする。
「既に吉三郎さんが処刑された以上、事の真偽はわからない。だが、こう言う噂が立てられれば美濃屋はお仕舞いだ」
あくまで冷静に言う祐一。
「考えたねぇ。それじゃ、早く仕置きする方がいいな」
「ああ、それには同感だ。だが、一つ、わからないことがある」
キラリと目を光らせる浩平に祐一が難しい顔をしてそう言う。
「結局誰が火付けをしたか、だ。木材の値の釣り上げを企んだのが木曽屋なら奴の手の者がやった可能性があるが」
「んな事はどうでもいいことなんじゃねぇか?」
浩平がそう言って未だ難しい顔をしたままの祐一を見やる。
「どうでもよくはないさ。それにもう一つ、何で吉三郎さんだったのか、ってこともある」
木曽屋の寮の天井裏に潜んで木曽屋達の会話を盗み聞いていた祐一だが、その二点は会話の中に出てこなかったためにわからず仕舞いであった。火付けの罪を着せるだけなら別に叶屋吉三郎でなくてもよかったはずである。なのにどうして彼を選んだのか、それが祐一にはわからない。
「……叶屋の若旦那がどうして選ばれたかって事なら多分あれだな、邪魔だったんだよ」
少し考えてから浩平が言う。
「木曽屋は美濃屋の御用達の看板を狙っていた、その道筋の一つとして美濃屋の一人娘と自分の息子との縁談を進めようとしたが、奈々ちゃんには知っての通り既に恋人がいた」
「なるほど。吉三郎さんの存在は調べればわかる話だからな。それで邪魔だった訳か」
浩平の説明に祐一は頷いた。
これで段々パズルのピースが組み上がってきた。半ば脅しのようにして御用達の看板を奪ったのは木材の値上げに美濃屋が反対したからだろう。もし、美濃屋が反対しなければこうも急ぎはしなかったはずだ。
「……まぁ、一応木曽屋を調べてみるか。手違いとかあったら大変だしな」
そう言って浩平が歩き出した。一度長屋に戻って髪結いの道具を取ってくるのだろう。そしてその足で木曽屋に向かうつもりに違いない。
腕はいいが人付き合いの下手な祐一と違って浩平は人当たりがいい上に髪結いとしての腕もかなりのものだ。中に入って色々と聞きだしてくるのは彼の方が得意と言わざるを得ない。
「そうだ、祐の字、お前に頼みがあるんだけどな」
お社を出ようとしたところで浩平が足を止め、祐一を振り返った。何かを思い出したようだ。
「何だ?」
「奈々ちゃんが消えちまったんだ。捜してくれねぇか?」

浩平を殴り倒して美濃屋から逃げ出した奈々は自分が持っている高価そうなものを持ってあちこちの質屋をかけずり回っていた。仕置人に頼むための金を作るために奔走しているのだ。
だが、流石に十両もの金となると質屋ではそう簡単には作れない。彼女の持っている高価そうなものと言ってもそんなに金にはならないのだ。父や恋人に貰ったものを色々と売り払っても精々3両が限度だった。
「はぁ……これじゃ全然足りない……」
手元にある小判を見つめながら奈々はため息をつく。
往人が言っていた仕置人に対する頼み料の最低金額は10両。まだ7両も足りない。流石にもう売るものもなく、奈々は途方に暮れてしまっていた。
後何か売れるものと言えば、もはや自分の身体しかないが、それは本当に最後の手段だ。出来れば、やりたいことではない。だが、どうしようもなくなればそれしか手はない。

仕事道具を持った浩平が木曽屋の裏木戸から中に入っていく。
「ちぃ〜〜っす。髪結いですけど何か御用はねぇっすか〜〜?」
例によって明るく中に声をかけると、奥の方からにやけた表情の若い男が出てきた。木曽屋正八郎だ。
「髪結いかい。丁度よかった。ちょっと私の髪を結って貰いたいんだがね」
「へいへい、おやすい御用で」
正八郎のにやけ顔に負けないくらい愛想笑いを浮かべて浩平はそう言って頭を下げた。
浩平が案内されたのは庭に面した部屋で、どうやら正八郎の私室のようである。なかなかに豪勢な部屋の造りで思わず浩平は感心してしまう。
「流石は木曽屋の若旦那、お部屋も豪勢ですなぁ」
部屋の中を見回しながら浩平がそう言うと、それに気をよくしたのか正八郎は更に相好を崩す。
「何、もうじき所帯を持つんでね。これくらいやって当然さ」
「へぇ、所帯をお持ちになるんで。あ、そこに座ってください」
正八郎を座らせ、浩平は仕事の準備を始めた。
「一体何処のお嬢様と所帯をお持ちになるんで?」
「フフフ……君、知ってるかい。美濃屋を。そこのお嬢様さ」
「へぇ、美濃屋のお嬢様って言えば結構な器量の持ち主って言うじゃありませんか。流石は木曽屋の若旦那、やりますねぇ」
「いやいやいや、それほどのものじゃないよ」
浩平のお世辞に正八郎はかなり気をよくしたようだ。顔がにやけきっている。
内心反吐を吐きたい気分であった浩平だが、あえて押し殺し、愛想笑いを浮かべ続けていた。
「聞いておくれよ。もうね、嬉しいことづくしさ。美濃屋のお嬢様と所帯をもった後は美濃屋の身代全て私のものになるんだよ。これで木曽屋は江戸一番の大店になるんだ」
嬉しそうに言う正八郎。
「江戸一番ですか! そりゃあ凄い!」
半分棒読み状態の浩平だったが、正八郎は浮かれきっていてそれに気付いていないようだ。
「……ですが、美濃屋のお嬢様って言えば恋人がいるとか言う噂を聞いたことありますぜ?」
正八郎の自慢話を聞くのも飽きてきたので、浩平はあえてそう言ってみた。正八郎がどう言う反応をするのか気になったのだ。
「ああ、そいつならもう死んだよ。火付けの罪を被ってね」
「火付けの罪を被った?」
「これは内緒なんだけどね、この間の大火事は火付けだったんだよ。何処の誰がやったのか知らないけど、おかげでうちは大もうけさ。これならまたやってもいいよね……っと」
ちょっと余計なことを言い過ぎたと思って慌てて正八郎が口をつぐむ。
「てぇことはあれですか、若旦那としては恋敵が死んでよかったって訳ですかい?」
「そう言う言い方をすれば私が悪者じゃないか」
「ああ、こりゃ申し訳ない。そう言うつもりじゃなかったんですけどね」
そう言いながら浩平は心の中で確信していた。
この間の大火事は火付け、その真犯人はこの正八郎。どう言う理由で火付けをやったのかはわからないが、その罪を自分にとって邪魔だった吉三郎になすりつけた。そして自分は美濃屋のお嬢様、奈々と結婚しのうのうと人生の春を楽しむつもりなのだ。
どうやらこいつも仕置きする必要がある。全ての元凶となったあの火事を起こしたのがこいつならば、こいつを仕置きせずして叶屋親子の恨みを晴らすことにはならない。
「はい、これで出来上がりですよ」
顔には笑みを浮かべて浩平はそう言った。
心の中でどう思おうときっちりと仕事はやっている。正八郎の髪は綺麗の整えられており、見違えるほどだった。
「ふむ、自分から売り込んで来るだけあって流石だね。これは少ないけど取っておいてくれ」
鏡で整えられた自分の髪を見ながらそう言い、正八郎は財布から小判を二枚もとりだした。それを浩平に手渡す。
「こ、こんなにも……よろしいんで?」
流石にギョッとなる浩平。いくら何でもこれは出し過ぎだろう。これくらいの仕事ならば百文も貰えば多い方だ。
「フフフ、今日は機嫌がいいんだ。気にしないで取っておいてくれ。それと、あんたの腕、気に入ったよ。また頼むかも知れないから近くに来たら寄っておくれ」
「へぇ。ありがとうございます」
そう言って浩平は小判を道具箱の中に入れた。
「で、若旦那、これから何かございますんで?」
仕事道具を片付けながら尋ねてみると、上機嫌な正八郎は何の疑いも感じずに答えてくれる。
「これから美濃屋さんとそのお嬢様と会うのさ。縁談の話をするためにね」
満面に喜色を浮かべてそう言う正八郎を浩平は冷めた表情で見つめていた。

奈々が通りをとぼとぼと歩いている。
もう金策の手は尽きた。どうやっても十両もの金は作れない。途方に暮れながら、とぼとぼと歩いていると、向こうに見える橋のたもとに見覚えのある男が立っているのが見えた。
向こうも奈々に気付いたようで、軽く手を振りながら近寄ってくる。
「よぉ、お嬢ちゃん。元気無さそうだな」
「人形遣いのおじさん……」
「お兄さんだ」
あくまで「おじさん」とは呼ばせない。どうやら何かこだわりがあるらしい。
そんな往人に奈々は少しだけ笑みを浮かべてみせた。
「どうだ、金出来たか?」
往人の質問に奈々は黙って首を左右に振った。
「そうだろうな。だいたい仕置人なんか本当にいるのかどうかもわかんねぇんだ。もう諦めな」
だいたい予想は出来ていたらしい。そもそも奈々のようなお嬢様がどうやって十両もの金を作れるというのだ。いくら娘に甘い父親でも十両となるとそうそう出せる金額ではない。
ようは諦めさせるために往人はそう言ったのだ。
「十両は無理だったけど、これだけなら」
奈々はそう言って自分の財布から小判を3枚取り出した。
「3両か。これじゃ足りないな」
内心、まだ諦めてなかったのかと驚きつつ、往人はその小判を見つめた。これを作るために一体どれだけのものを売ったというのだろうか。どうやら奈々は本気らしい。本気で吉三郎の仇を取りたいと思っているのだ。
「後7両、絶対に作るから……だから、だから!」
「……わかった。とりあえずこれは受け取って……」
往人が仕方なさそうにそう言って奈々の手から小判を受け取ろうとした時、横から伸びてきた手が往人の手首を掴んだ。
いきなり手首を掴まれてギョッとなった往人が振り返ると、そこには祐一がじっと彼を睨み付けている。
「止めるんだ、お嬢さん」
祐一は往人から奈々の方に視線を移し、そう言った。
「こんな何処の馬の骨ともつかない奴にそんな大金を渡す必要はない」
「馬の骨で悪かったな」
そう言って往人が祐一の手を振り払う。
「悪いがな、俺はこのお嬢ちゃんに頼まれごとをされているんだ。この金はその頼まれごとに必要な金なんだよ」
祐一を睨み返しながら往人が言うが、祐一は彼の方を見向きもしない。
「浩平に頼まれて君を捜していたんだ。とにかく一度帰った方がいい」
完全に往人を無視して祐一は奈々に話しかける。
「おい、無視かよ!!」
「五月蠅いな、あんたに喋っているんじゃないんだ。少し黙っていてくれ」
声を荒げる往人を一瞥して祐一はまた奈々の方を見た。
奈々は不安げに祐一と往人を見比べている。往人は自分を慰めてくれた上で親身になって話を聞いてくれた人だ。彼女にとっては信頼出来る人なのだが、他から見れば薄汚い彼はとてもじゃないが信頼出来そうな人間には見えないのだろう。一方、もう一人の祐一の方はと言えば浩平と何度か一緒にいるところを見たことがある程度だ。だが、腕のいい職人だと聞いているし、あの浩平が自分を捜すように頼んだぐらいなのだから相当信頼の置ける人間なのだろう。果たしてどちらを信じていいものか。
「横からしゃしゃり出てきて何言ってやがる!」
そう言って往人は祐一を突き飛ばした。
「このお嬢ちゃんはな、俺を信用してくれているんだ! お前は引っ込んでろ!!」
「あんたのような何処の馬の骨とも知れない奴がよく言う……」
祐一は往人を睨み付けながらそう言い、奈々の方を見た。
「こいつはお嬢さんを騙そうとしているかも知れないんだ、気をつけなよ」
「今度は人を騙り呼ばわりか、テメェッ!!」
流石にムッとなった往人が祐一を容赦無く殴り飛ばす。
「馬鹿にするんじゃねぇぞ! 俺はな、そりゃ貧乏しているが人様を騙してまで金を貰おうとは思ってねぇっ!!」
倒れた祐一に向かって往人は怒鳴りつけると、奈々を連れて歩き出した。
殴られた方の祐一は身を起こして、口の端から流れる血を手で拭うと去っていく二人に声をかける。
「お嬢さん、ちゃんと戻るんだぞ! それとそこのでかいの! お嬢さんを騙していることがわかったらただじゃおかねぇからな!!」
祐一の声を聞きながら二人はその場を離れていく。
しばらく歩いてから、奈々は急に立ち止まった。
「……あの、お兄さん」
「何だ?」
往人も立ち止まり、奈々の方を振り返った。
「信じて……いいんだよね?」
「……あんまり自信はねぇがな。さっきも言った通り、俺は人様を騙してまで金を儲けようとは思ってない」
「うん……それじゃこれ、渡しておくから」
そう言って奈々は小判を三枚、往人に手渡した。
「足りない分はちゃんと用意するから、絶対に用意するから……お願い」
「……わかった。必ず仕置人、捜してやるから任せておけ」
受け取った小判を懐にしまいながら往人はそう言い、大きく頷いた。
「私、一旦家に帰るね。それじゃお兄さん、お願い」
そう言って奈々がぺこりと往人に向かって頭を下げてから走り出す。
そんな彼女を見送った往人は、内心どうしようかと半ば本気で困っていた。もとよりこの江戸にはほとんど知り合いなどいない。つい最近来たばかりの彼が闇の稼業である仕置人など探し出せるはずもない。
「……どうするかね、マジで」
奈々とは別の意味で往人も途方に暮れてしまっていた。

美濃屋に戻った奈々は彼女の帰りを待っていた清右衛門に連れられてとある料亭にやって来ていた。
「お父様、大丈夫? 顔色、悪いけど?」
奈々が心配そうにそう言うが清右衛門は黙り込んだままだった。
確かに彼女の言う通り、清右衛門の顔は蒼白となっている。家を飛び出した時にはあれだけ元気だった彼が、家に帰ってくると物凄くしょげていたことも気にかかる。一体いない間に何があったのだろうか。木曽屋と会うとか言っていたはずだが。
流石に悪い気がしたので今回は言われるままについてきたのだが、何かわからないが嫌な予感がする。
「いやいや、お待たせしましたな、美濃屋さん」
しばらく待った後、そう言って入ってきたのは木曽屋文吾郎とその息子、正八郎だった。
入ってきた二人を見て露骨に嫌な顔をする奈々。だから彼女は気付けなかった。隣に座っている父親がビクッと身体を震わせたことに。
「これはこれは奈々お嬢さん。今日はどうやら御機嫌斜めのようですな」
木曽屋がそう言って奈々と清右衛門の正面に腰を下ろす。
「まぁ、今日は楽しんでいってください」
「そうだよ、奈々さん。今日はとてもいい日になるんだからね」
木曽屋に続いて正八郎がにやけた顔をして言う。
奈々からすればそのにやけた顔が不快の原因に他ならないのだが、ここは父親の手前ぐっとガマンすることにした。
木曽屋が手を叩いて女中を呼び寄せるとすぐに食事の準備を始めるように申しつける。すぐさま女中達が食事の膳を運んできた。
並べられた膳はかなり豪勢なもので、美濃屋のお嬢様である奈々でさえもこんなものは食べたことがないほどに。目の前に並べられた見たこともない豪勢な食事に目を輝かせる奈々。
そんな奈々を見て木曽屋と正八郎がニヤリと笑う。実は奈々と清右衛門の膳には前もって薬が仕込まれているのだ。この料亭は木曽屋の息が掛かった料亭なのである。そっと薬を仕込むことなど容易いことなのだ。
「ささ、どうぞ遠慮無く」
木曽屋がそう言うと、奈々はすぐに箸を取った。その隣にいる清右衛門も少し躊躇いながら箸を取る。
二人が食事を始めるのを見ながら木曽屋は息子と酒を酌み交わしていた。
「美濃屋さんも一杯どうですかな?」
「あ、いや、私は酒はちょっと……」
木曽屋が酒を勧めてきたが清右衛門はそう言って断った。もっとも木曽屋は美濃屋星右衛門が酒を飲まないことを知っている。知っていてあえて勧めてみたのだ。
「ああ、そうでしたな、これは失礼」
そう言って笑って杯を下げる木曽屋。
そんな木曽屋に何か悪意めいたものを感じる奈々だが、口には出さない。ここで何か言って父親の顔を潰すわけにはいかないのだ。
しばし食事が続いた後、不意に奈々は眠気が襲ってくるの感じた。その眠気は強烈で、抗うことが出来ない。どうやら薬を盛られたらしいと気付いた時はもう遅い。こちらを見てニヤニヤしている木曽屋と正八郎を薄れゆく意識の中、睨みながら奈々はその場に崩れ落ちてしまう。その隣では、清右衛門も薬によって眠りに落ちてしまっていた。

「イヤァッ!! やめてぇっ!!」
奈々の悲鳴が響き渡る。
ここは例の料亭の一室。布団が用意されており、その上に奈々は押し倒され、正八郎によって着物をはぎ取られていた。
奈々に薬を盛ったのは実はここで彼女を手込めにするためだったのだ。一気に既成事実を作ってしまえば縁談を進めるのにも都合がいいと考えたのだろう。
意識を取り戻した奈々だったがまだ身体に力は戻らない。だから正八郎にいいようにされてしまう。
それにいくら泣き叫んでも助けは来ない。ここはいわば敵地、全ては木曽屋の思うままなのだから。
「イヤァァァァァァァッ!!!!」
奈々の絶叫が響き渡った。

夜の町中を乱れた着物姿の奈々がフラフラと歩いている。
彼女の足取りはかなりおぼつかない。今にも倒れそうな感じだが、倒れずに器用に歩いている。
そして、その表情もかなり虚ろであった。
本当ならば吉三郎に捧げるはずだった純潔を無理矢理正八郎に奪われてしまったのだ。そのショックで半ば心神喪失状態に陥っているのだ。
フラフラ、フラフラと奈々が歩いていく。
時折、通りかかった人が不審げな目で彼女を見るが誰も声をかけようとはしなかった。
そして、そのまま奈々の姿は夜の闇の中へと消えていく。

その翌日、祐一と浩平が例のお社にやってきていた。
「どうやら木曽屋とそこの息子で本決まりだな」
足下に転がっている石をしゃがみ込んでいじりながら浩平が言う。
「よりによって火をつけたのが木曽屋の馬鹿息子だったとは……こりゃ若旦那も悔しいこったろうぜ。火付けの罪をなすりつけられた上に、恋人まで奪われるんだからな」
「……火盗改めの伴藤共々きっちりこの始末をつけさせてやる」
そう言って静かに怒りを燃え上がらせる祐一。
それは浩平も同様であった。先程までいじっていた石を掴みあげると、無造作に放り投げる。
「やるなら今夜だな。木曽屋とその馬鹿息子、今日は川遊びをやるって話だ。きっと伴藤の野郎も来るに違いない」
「ああ……まとめて一気に、だ」
互いに頷きあい、二人は別れてお社から出ていった。

丁度同じ頃、往人は人通りの多そうな通りで例の人形芸を披露していた。
始めはみんな不思議がって足を止めるのだが、人形の動きがあまりにも単調なのですぐに飽きてしまうらしく、一人、また一人と去っていってしまう。そして気がついたら誰も往人の前にはいなくなってしまっていた。
「……江戸の人間て冷てぇなぁ……」
呆然と呟きながら人形を回収しようと手を伸ばす。と、誰かが前に立つ気配がした。
新たな客か、と思って往人が顔を上げるとそこには笑顔を浮かべた奈々が立っている。
「よぉ、お嬢ちゃん。今日は元気そうだな」
往人も彼女に笑みを返した。
彼は勿論、昨日彼女に何があったか知らない。だから彼女が笑顔なのは単純に何かいいことがあったと解釈したのだ。
「お金、作ってきましたよ」
そう言って奈々は小さな包みを往人に見せた。その包みを開くと、そこには小判が12枚。昨日あった時に足りなかった分以上の小判がそこにある。
思わず目を丸くする往人。
「お、おい、一体この金どうやって……」
昨日はあれだけ金策が出来なくて困っていたというのに、これは一体どう言うことなのか。それを問いただそうとする往人だが、奈々は小判を布で包み直すとそれを往人の手に押しつけた。
「汚いお金じゃありません。勝手に家のお金を持ち出したりもしてません。だから、お願いしますね」
奈々はそれだけ言うと、往人に背を向けて走り出した。だが、少し行ったところで足を止め、彼の方を振り返る。
「人形遣いのお兄さん、多分もう会えないと思うけど、よろしくねー!!」
大きな声でそう言い、奈々は大きく手を振った。満面の笑みを浮かべて。
往人はその手に押しつけられた小判の包みを握りしめ、少女に向かってこっくりと頷いた。
どういう経緯でこの金を作ったのかはわからない。だが、向こうは約束を守った。こちらも約束は守らねばならないだろう。そう思った往人は決意した。一刻も早く仕置人を捜さなければ。

鍵屋長屋の一室で祐一が仕事用のノミを研いでいる。
すると、表に人が立つ気配を感じた。顔を上げて気配のした方を見ると、そこには日傘を差した秋子が立っている。
「……ちょっといいですか、祐一さん」
秋子がそう言ったので祐一は研ぎかけのノミを置いて立ち上がった。彼が部屋の外に出てくるのを見ると、秋子は黙って歩き出す。向かった先は例のお社だった。
そこには欠伸を噛み殺している浩平の姿もあった。どうやら二人共に用があるらしい。そうなるとおそらくは裏の件だろう。
「……美濃屋さんが首を吊りました」
何の前置きもなく秋子が切り出したことに、二人は驚愕を隠せなかった。
「美濃屋の旦那が!?」
「どうしてですか?」
二人が口々にそう言うのを制し、秋子は懐から一枚の書状を取り出す。それは美濃屋清右衛門から秋子に宛てた書状だった。それを二人に手渡す。
書状を受け取った二人はそこに書かれている内容に改めて驚いていた。
木曽屋と伴藤の奸計に陥れられ、身代全てを奪われ、また娘の純潔までも奪われたこと。もはや生きていても仕方ないと絶望し、これから首を吊ると言うこと。そして、出来うるならば、闇の仕置人にこの恨みを晴らして貰えるよう頼んで欲しいこと。そう言うことがそこには書かれてあった。
「……遅かった、か……」
浩平が天を見上げて呟く。
「もっと、もっと早く……」
悔しそうにその書状を握りつぶす祐一。
「これはその美濃屋さんから預かった頼み料です」
秋子はやたら冷静な口調でそう言うと、二人の前に小判を十枚ずつ並べた。
「美濃屋さんの恨み、叶屋さん親子の恨みとあわせて、改めてお願いします」
二人を責めるわけではない。人の命を奪うと言うことはそれだけ重大なこと。きちんとした確証も無しに仕置きは出来ない。間違いがあっては決してならないのだ。
それを秋子もわかっているだけに、二人を責めるようなことはしなかった。
無言で小判を手に取る二人。その目には暗い炎が燃えている。
「それではよろしくお願いします」
そう言って秋子は頭を下げると、また日傘を差してその場から去っていった。

往人は仕置人の情報を求めて江戸中を駆け回っていた。
だが、元々江戸の住人ではない彼にそう簡単に闇の稼業である仕置人の情報など集められるはずもない。少しでもそう言う情報があれば、どんな場所にでも行った。だが、ほとんどがガセ情報で、彼は幾度と無く無駄足を踏まされていた。
そして、今彼はとある岡場所にやってきていた。
一日中駆けずり回っていたために流石の彼もヘトヘトである。だが、それでもやめることは出来ない。意地でも仕置人を見つけなければならない。それがあの少女との約束なのだから。
「ほら! 早くしておくれ!!」
とある女郎屋の中からそんな声が聞こえてきた。
往人が足を止めてそっちの方を見てみると、店の中から男が戸板に乗せられた何かを運び出してくる。その後ろにはこの女郎屋の主人であろう初老の女性が不機嫌極まりない顔をしてついてきていた。
「まったく! 大損だよ! 何の稼ぎもしないうちに死なれちゃさ!」
その口振りから、女郎屋に身売りしてきた女性が自害したらしいことがわかる。確かにこれでは金の払い損だ。女主人が怒るのもわかるような気がする。
だが、それも戸板の上に載せられている女性を見るまでのことだった。筵をかけられているが、そこから覗いている顔に往人は見覚えがあった。見覚えがあるどころではなかった。今日の朝、往人に足りない金を私に来た奈々だったのだ。
血の気を失った奈々が戸板の上に載せられて運ばれていくのを往人は愕然とした面持ちで見ているしかなかった。
朝、会った時には満面の笑顔だったあの少女が、今はもう冷たくなっている。懐の中にある15枚の小判が急に重たくなったような気がした。
「お、おい! 待ってくれ!!」
気がついた時には往人は声をあげていた。
その声に女主人が胡散臭そうな顔を往人に向ける。
「なんだい、あんた?」
「何でも良いだろ。そいつ、俺が貰い受ける」
往人はそう言って戸板の上の奈々を指さした。このまま無縁墓地に埋葬されるのは忍びない。出来るならちゃんとした墓地に埋葬してやりたかった。
「フン……只じゃやれないね。何せこいつには12両も……」
女主人がそう言うので、往人は懐から小判を取り出し、地面に叩きつけた。その数は全部で10枚。
「10両あれば充分だろう!!」
吐き捨てるようにそう言い、往人は戸板の上に載せられている奈々の身体を抱き上げた。困ったように女主人を振り返る男達だったが、女主人は地面の上の小判を拾うのに夢中で気付いていない。そしてその間に往人は奈々を抱え上げたままその岡場所からいなくなっていた。

近くの寺に奈々を運び込んだ往人はそこの住職に彼女を丁重に埋葬して貰うよう頼むと、彼女から預かった小判の残り4枚を手渡した。
残る1枚の小判をギュッと握りしめながら往人は寺を後にし町へと戻っていく。
「やってやる……俺がやってやる……」
もう往人は決意していた。
いるかどうかもわからない仕置人を捜すよりも、自分が仕置人になってやる。自分が仕置人としてあの少女の最後の願いを叶えてやる。殺すべき相手はあの役人、彼女の幸せを奪ったあの伴藤とか言う火盗改めの役人だ。
暗い情熱の炎を宿し、往人は町中へと消えていく。

木曽屋が船遊びをするという情報は昨日、木曽屋に行った浩平がそこの女中から得た情報だった。今日は料亭、明日は船遊びとその女中は自分の主人でありながらその遊び好きには少々呆れていたようだったが、そんな事は浩平には関係ない。
とある船宿から出た屋形船が川の上を静かに進んでいく。乗っているのは木曽屋文吾郎と息子の正八郎、それに数名の芸者達だ。伴藤は途中で合流するつもりらしい。
川岸に立った浩平がじっと木曽屋達を乗せた船を眺めていた。その手には表稼業でも使用する、研ぎ澄まされた剃刀。そっとその剃刀を手ぬぐいに包むと彼は歩き出した。

屋形船の中で芸者達にお酌をさせながら木曽屋は上機嫌で酒を飲んでいる。その隣では正八郎が別の芸者に言い寄っていた。どうやらこの男、根っからの女好きらしい。だらしない顔をして芸者に言い寄る正八郎を止めるものは誰もいない。
しばらく進んでからその屋形船は近くにある桟橋へと到着した。もとより、伴藤を途中で乗せるのだからそれは当然のことで、木曽屋も正八郎も誰も怪しみもしない。
だが、外にいるのであろう伴藤はなかなか入って来なかった。一体どうしたのだろうかと閉じていた障子戸を開け、木曽屋は外を覗いてみた。外には誰も姿もない。それどころか伴藤と待ち合わせている桟橋でもなかった。そこはまったく見知らぬ場所だったのだ。
「お、おい! これはどう言うことだ!?」
船頭に向かってそう怒鳴りつけると、その船頭はゆっくりと顔を上げた。ずっと笠を被っていたので気がつかなかったのだが、この船頭はこの屋形船を借り受けた店の船頭ではない。まったく見覚えのない男だったのだ。
その男は木曽屋の顔を見るとすっと立ち上がった。そしてゆっくりとした動作で桟橋の上に降り立つ。
「お、お前、何処のどいつだ!?」
木曽屋がそう言ってくるのを一切無視して男は歩き出す。
「ま、まて! ここに置いていくつもりか!!」
慌ててそう言い、木曽屋が屋形船を下りる。
中に乗っている正八郎や芸者達は何が起こったのだろうかと彼の方を見たが、それだけだった。特に誰も追いかけようとはしない。
船から下りた男は木曽屋が自分を追いかけて船を下りたのを知ると急に立ち止まった。
「お、お前……一体誰に頼まれて……」
ようやく男に追いついてきた木曽屋がそう言って男の肩に手をかけた時、いきなり男が振り返った。その手に細いノミが握られているのを見た木曽屋が「ひぃぃっ!!」と情けない声をあげる。
慌てて逃げ出そうとする木曽屋に向かって手を伸ばした男はその肩を掴んで引き倒した。そして、もう片方の手に握った細いノミを振り上げ、木曽屋の首筋に突き刺す。そこは首の後ろ側にある盆の窪という急所。そこを突き刺されては一溜まりもない。
絶命した木曽屋をそのままに男はゆっくりと立ち上がり、被っていた笠をその場に投げ捨てる。そこにいたのは祐一だった。何の感情もない目で木曽屋の死体を見下ろし、そしてそのまま去っていった。

いつまで経っても戻ってこない父親を心配し、正八郎は芸者達を船の中に残して外に出てみた。周囲を見回してみて、付近にまったく見覚えがない事に気付き思わずぞくっと身体を震わせる。振り返ってみるといつの間にやら船頭もいなくなっている。どうやら置き去りにされてしまったらしいと言うことに正八郎が気付くにはもう少し時間が掛かった。
「と、父さん!?」
慌てて父親の姿を捜す正八郎。だが、何処にもその姿はない。何処かに人を呼びに行ったのだろうか。それとも消えた船頭を追っていったのか。
と、桟橋の向こうに人が倒れているのが見えた。父親が酔っぱらってそこで倒れて寝てしまっているのかと思い、正八郎が駆け寄ってみる。
恐る恐る倒れている父親を見てみると、既に死んでいるのが正八郎にもわかった。
「ひ、ひぃぃぃぃっ!!」
死んでいる父親に驚き、その場に思わず尻餅をついてしまう正八郎。その場から逃げようとするが、恐怖のあまり腰が抜けてしまって動けない。
何とか後ずさりしていくと、いきなり肩を叩かれた。
「ひぃっ!!」
驚きのあまり思わず大声を上げてしまう正八郎。
「おいおい、随分な驚きようだなぁ」
後ろから聞こえてきたのは聞き覚えのある声だった。振り返ってみると、そこには提灯を片手に持った男が笑みを浮かべている。確か昨日店に来た髪結いだったはず。
「あ、あ、あんたは……」
「おやおや、誰かと思ったら木曽屋の若旦那じゃねぇですか。どうしました、こんな所で?」
相手を安心させるような笑みを浮かべてその男、浩平は言う。
彼の顔を見て安心したのか、正八郎は震える指で倒れている父親の方を指さした。
「あ、あ、あ、あれ……」
正八郎が指さした方に提灯を向ける浩平。そこには祐一が仕留めた木曽屋文吾郎の死体が転がっている。勿論浩平はそれを知っているのだが。
「ん〜……ありゃぁ……」
浩平はそう言うと腰を上げ、正八郎の前へと出た。だが、すぐに足を止める。
「あ、そうだ。ねぇ、若旦那」
「な、な、なんだい?」
びくびくしながらそう答える正八郎に浩平は持っていた提灯を突き付けた。そして、全くの無表情にこう言い放った。
「地獄であんたの親父さんが待っていなさるよ。早く行ってやんな」
すっと持っていた提灯を手放し、次いで剃刀を手にすると正八郎の首に押し当てた。その上から更に手ぬぐいを押しつけ、浩平は剃刀を一気に引いた。鋭利に研ぎ澄まされた剃刀が正八郎の首を切り裂く。そしてそこから溢れ出た血が押し当てられている手ぬぐいに吸い込まれていった。
正八郎は何が起こったのかまったくわからなかったに違いない。ただ、驚いた表情をしたまま、その場に固まっている。
浩平は押し当てていた手ぬぐいをどけると、すぐさま立ち上がった。そしてギュッと手ぬぐいを握りしめると、そこから染み込んでいた血が流れ落ちていく。血が完全に流れきってから浩平は歩き出した。その後ろで正八郎がバタリと倒れる音を聞きながら。

木曽屋との約束の刻限はもうすぐだ。今日は一体どう言った趣向で楽しませてくれるか、期待しながら伴藤は待ち合わせの場所へと急いでいた。
急な用事が出来てしまったので少し遅れてしまいそうだが、きっと木曽屋は待っていてくれるだろう。何せ自分と木曽屋は一蓮托生の間柄なのだから。
しばらく歩いていると、薄暗い路地に誰かが踞っているのが見えた。着ている着物からしてどうやら女のようだ。薄汚い商売女だろうと思い、無視することに決め、さっさと通り過ぎようとすると、女の方から声をかけられた。
「もし……火盗改めの伴藤様ではございませんか?」
少しかすれたような声。もしかしたら男なのかも知れない。だが、確信は持てなかった。それよりも相手が自分の名を呼んだ方が気に掛かった。何故、自分の名を知っているのだろうか。
「……何者だ?」
そっと刀の柄に手を伸ばしながら誰何する。
「伴藤様でございますか?」
再びそう言われたので伴藤は大仰に頷いてみせた。
「確かに火盗改め与力、伴藤であるが……貴様は?」
「……そうか」
踞っていた相手がすっと立ち上がった。その体格はかなり大柄で、伴藤は思わず見上げてしまう。
「俺は……仕置人だ」
はっきりと男声でそう言った相手は頭から被っていた女物の襦袢を驚いている伴藤の頭に被せた。そしてすかさず腹に一発強烈なパンチを叩き込む。
あまりにも強烈なその一撃によろめいてしまう伴藤だが、すぐに被せられた襦袢を振り払うと刀を引き抜いた。だが、その時には正面にはもう仕置人だと名乗った者の姿はない。
さっと周囲を見回そうとすると、何処からともなく飛んで来た襦袢が刀に巻き付き、刀を奪い取っていく。慌てて脇差しに手を伸ばす伴藤だが、それよりも早く強烈なパンチが顔面に叩き込まれる。
鼻血を噴き出しながら倒れる伴藤を見下ろし、襲撃者、往人は倒れた伴藤の腕を掴んだ。そして力任せにその肩を外す。
「ぐわぁぁっ!!」
あまりもの激痛に悲鳴を上げる伴藤。
それに構わず往人はもう片方の肩も無理矢理外した。相手の骨が折れようと構いやしない。何せ今からこの男の命を奪うのだから。
再び激痛に悲鳴を上げる伴藤を仰向けにすると往人はその胸をはだけさせた。そして、心臓のある部分に手を乗せる。
(こんな事に力を使っちゃご先祖様に申し訳がたたねぇが……)
そう思いながらも、往人は自身の持つ力を発動させた。手を触れることなく人形を操ることの出来る力。それを使えば動いている心臓を無理矢理止めることだって不可能ではない。もっとも試したことは一度もないが。
ドクン、ドクン、ドクンと伴藤の心臓の鼓動がその手に伝わってくる。それが徐々に弱くなり、伴藤の顔がどんどん血の気を失っていく。
「これで……終わりだ!」
往人はそう言って一際強く力を送り込んだ。
「グワハッ!!」
いきなり心臓に物凄い負担をかけられ、伴藤は口から血を吐きながら白目を剥いた。ピクピクと全身が痙攣する。だが、それもすぐに修まった。
もはやぴくりともしない伴藤を見た往人は彼の胸から手を離すと、ゆっくりと立ち上がり、ため息をついた。そして今しがた伴藤の命を奪った手をじっと見つめる。
果たしてこれでよかったのか。自ら命を絶った奈々がこれで喜んでくれるのだろうか。もはやそれを知る術はない。ただ、残るのは虚しさだけ。
少しの間そうしていた往人だが、誰かがこっちに来る気配を感じ、慌ててその場から走り出した。
往人が夜の闇の中に消えていった後、その場に現れたのは祐一と浩平の二人だった。彼らは木曽屋と伴藤が待ち合わせていた桟橋で伴藤が来るのを待っていたのだが、なかなか現れないので逆に探しに来たのだ。
二人は道端に倒れている伴藤を見つけると慌てて駆け寄った。
「……死んでるぜ、おい」
浩平が伴藤の側にしゃがみ込んでそう言うと、祐一はすぐに周囲を見回した。伴藤を殺した者が近くにいないかを確認するためだ。だが、周囲に人の気配はまったくしなかった。どうやらもう何処かへと消えてしまったらしい。
「どうする?」
「どうするってったってな」
祐一の問いに困ったような顔をする浩平。
まさか仕置きの相手を先に別の誰かに殺されてしまうなんて、そんな事は考えもしなかったことだ。
「とりあえず……一応、仕置きは果たされたわけだが」
「元締めには俺から話しておく」
「ああ、任せたよ」
浩平はそう言ってため息をついた。
相変わらず頭の固い奴だ。黙っておけば俺たちがやったって事に出来るって言うのに。元締めにこの事を話したら頼み料を返さなければならなくなるじゃないか。
そう思ってちょっとだけ憂鬱になる。
そんな浩平を残し、祐一は歩き出した。
慌てて追いかける浩平。
二人の仕置人が闇の中に消えていく。










仕置き――法によって処刑することをこの時代そう呼んだ

だが、ここに言う仕置人とは

法の網をくぐって蔓延る悪を裁く

闇の処刑人のことである

但し、この存在を証明する

記録、古文書の類は一切残っていない





情引き裂く悪い奴」終

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