セレスティアスシティポリス本部ビル三十六階にある小さなオフィス。そこで真鍋 和は愛用のノートパソコンをおいてある机の上に突っ伏して居眠っていた。
 昼間、<アイランド3>の港湾地区で起きたある殺人事件を独自で調査する為に現場周辺を散々歩き回り、その後、本部のある<アイランド5>に戻ろうとするも<アイランド3>から<アイランド5>へと向かう電車の駅の場所がわからず、そこで更に歩き回ったので彼女は非常に疲れていた。何とかこのオフィスに戻って来れたのが一時間程前。外はもうすっかり暗くなっている。
 つい先程まで自分で得た情報をパソコンに打ち込み、和は自分なりに事件の事を考えていたのだが、疲れから来る睡魔に負けてしまったのか、今はすっかり夢の中であった。
 と、そんなところに彼女の携帯電話が着信音を響かせる。日本で人気上昇中のガールズバンド”A.S.T.T.”のデビュー曲だ。高校時代からの友人である彼女達がメジャーデビューを果たしてから数年、幾つかのシングル、アルバムがリリースされているが和はこの曲が一番お気に入りだった。
 ノートパソコンの脇で充電器に刺しっぱなしになっていた携帯電話の着信音は和を夢の中から引き戻すのに効果は十分だったらしい。顔を上げた和は眼鏡を外して目をこすると、慌てて携帯電話を手に取った。
「はい、真鍋です!」
『ああ、よかった。繋がらないからどうしたのかと思いましたよ、真鍋警部』
 聞こえてきたのはあまり耳慣れない声。それはそうだろう、何せこの声の人物とは今日初めて会ったのだから。
「すいません、ちょっと用事をしていまして」
 まさか馬鹿正直に居眠りしていました、などと言えるはずがない。この場に相手はいないのだが、和は少し照れくさそうに笑みを浮かべてしまう。
『いえ、まだこっちに来たばかりで色々と慣れていないのでしょうし、ある程度は仕方ありませんよ。それで頼まれていた調べものの件なんですが』
 電話の相手は和のかわいらしい嘘に気付かなかったのか、それともわざと気付かない振りをしてくれたのか、どちらにしろその辺を追求しようとはしなかった。それで少しだけ安堵した和だが、続けようとする相手の声に表情を引き締める。
『あの体毛ですが人間のものとそれとはちょっと違うもののDNAが検知されました』
「ちょっと違うもの?」
『人間に程近いもの……類人猿ですかね。ゴリラとかチンパンジーとか、とにかくそう言ったものの毛が混じっていたとの事です』
 それを聞いて和は顔を顰めた。何となくだが、自分の嫌な予感が当たりそうな気がしてきたからだ。
「ありがとうございます。こんな新参者の急なお願いを無理言って聞いて貰って」
『ああ、それは構いませんよ。真鍋警部の噂は聞いておりましたからね。日本から来た超優秀な刑事だって。そんな人にこっちの鑑識も凄いんだぞってところをアピール出来て、かえって喜んでるぐらいです』
「そ、そうですか……」
 そんな噂が流れていたとは張本人である和自身知らなかった。しかし、何となくだが、この噂を流した人物の顔が頭に思い浮かんでしまう。このセレスティアスシティポリスにおいて今現在和ともっとも親しい男、ウィリアム=ノートン巡査部長。彼以外に和の噂を吹聴して回るような人物に心当たりはない。
(まったく……何を考えているんだか……それにどんな噂が流れているのやら、頭が痛いわね)
 思わずため息をついてしまう和。それから電話の相手にもう一度礼を言ってから電話を切ると、椅子の背もたれにその背中を預けた。
 <アイランド3>で起きた殺人事件。右腕と左足をねじ切られ、残る左腕と右足、首までもが有り得ない方向に複数回折り曲げられていた被害者が握りしめていた何らかの体毛のようなものを和は<アイランド3>分駐署の捜査官には内緒で持ち出し、本部の鑑識に調べて貰っていたのだ。その結果が先程の電話であり、それを聞いた和はこの事件の裏に何かある事を感じていた。
(虎男の次はゴリラかチンパンジーか……一体この海上都市、何があるのかしらね……)
 和が脳裏に思い浮かべたのは以前彼女が見た虎人間に変化した謎の男の姿。おそらくだが<アイランド3>で起きた殺人事件の犯人も、虎人間の同種に違いない。
 この最先端科学の粋を集めていると言っても過言ではないこの海上都市にそのような獣人がいるとは到底思えない。そんなものは何処かのファンタジーの中だけで充分だ。そう思う一方で和はこの最先端科学の粋を集めたこの海上都市ならば、そのような獣人が実在してもおかしくないのではないかとも思えてしまう。
(何処かの企業、もしくは研究所が遺伝子操作で作った存在……考えられなくはないわね。でもそれじゃあの骸骨仮面は……?)
 獣人が何者かの手によって作り上げられた存在ならば、それを倒したあの骸骨仮面は一体何者だ。いや、それ以前に何故に獣人が人を殺したのかがわからない。見たところ殺されたのはホームレスのようだった。一体どう言った理由であんなホームレスを殺す必要があったのか、和にはまるで見当が付かなかった。
(正直なところ、今はわからない事だらけね。とりあえずノートン巡査部長が帰ってきているのなら話を聞かせて貰わないと)
 とりあえずそう結論をつけた和は椅子から立ち上がった。今はまず頭をちゃんと覚醒させるべきだ。まずは顔でも洗ってこよう。そう思い、和はオフィスを後にするのだった。

 <アイランド3>港湾地区。同じ港湾地区と言っても昼間和達が訪れたような貨物船が停泊するブロックではなくヨットなどが停泊するヨットハーバー。
 何艘も並んでいるヨットの間を一人の若い男が必死に走っていた。何かに追われているのか、後ろを気にしながら一心不乱に走っている。しかしながら、かなりの長時間追いかけられていたのか、その足はふらつき、息も絶え絶えになってしまっている。ちょっとでも気を抜けばすぐにでも倒れ込んでしまいそうな勢いだ。それでも男は足を止めようとはしない。
「ハァハァハァ……こ、ここまで来たら……」
 そう呟いて振り返ってみると、自分を追いかけていた相手の姿は見えなかった。ようやく諦めたのか、と胸を撫で下ろしつつ足を止める男。だが、既に体力の限界を超えてしまっていたのだろう、男はその場に座り込んでしまう。もはや足に力が入らず、立っていられなかったのだ。
「まったく……何なんだよ……」
 必死に呼吸を整えながら男が毒づく。どうして自分が追いかけられなければならないのか、まったくその理由に心当たりがなかった。突然目の前に現れた”そいつ”は何も言わず、ただ明確な殺意だけを彼に向けてきたのだ。このままでは殺される、そう思った男は大慌てでその場から逃げ出し、今に至る。
 理由もわからず、何処の何者とも知れない奴に殺されるのなどまっぴらだ。とにかく息が整い次第、この場を離れ何処か安全な場所へと逃げなければ。その安全な場所が一体何処にあるのかはわからないが。
 ある程度胸の動悸が収まってきたところで男はふらつきながらも立ち上がった。何はともあれ、ここにずっといる訳には行かない。何時奴が現れるかわからないからだ。まだ走る事は出来そうにないが、歩く事ぐらいなら何とか出来そうだ。そう思い、男が一歩足を踏み出した時だった。
 ぞくりと背筋に冷たい何かが走る。本能的に何かを、身に迫る危険を感じ取っていた。ゆっくり、恐る恐る後ろを振り返ると、遙か後方に立つ人影のようなものが見える。いや、一見すると人間のように見える影だったが、よく見ると腕が妙に長い。シルエットから判断すると人間よりもむしろゴリラかオランウータンと言った方がいい代物だった。
「あ……ああ……」
 絶望を含んだ呻き声が男の口から漏れた。まだ体力は回復しきっていない。太股はピクピク震え、膝もガクガクして今にも崩れ落ちそうだ。こんな状態で走れる訳がなく、それどころかちゃんと歩けるかどうかも怪しいと言うのに、人影の様なものは息一つ乱していないのだ。もはや逃げ切る事は不可能、待っているのは死と言う絶望的な運命のみ。
「何でだ……何でだよ! 何で俺が殺されなきゃならないんだよっ!」
 男が人影のようなものに向かって叫ぶ。
 自分が殺さなければならない理由など何一つとして思いつかない。何処かで誰かにちょっとした恨みの一つや二つは買っているかも知れないが、それにしたって命を奪われなければならない程の強烈なものではないはずだ。それ以前に自分を殺そうとずっと追いかけてきている奴に見覚えもなければ心当たりもない。
「俺みたいな奴、他にだっているだろっ!! 何で俺なんだよっ!!」
 近付いてくる人影のようなものにそう叫び、後退る男。
「俺が何したって言うんだよっ!!」
「オ前が何をシたカなど意味ハない。そレに別ニ誰デもよカッた」
 男との距離を詰めながら不気味な人影が少し片言でそう言う。
 距離が近付いた事で男は自分に迫り寄る謎の追跡者の姿をはっきり見る事が出来た。だが、すぐにその姿を確認出来たと言う事実を男は後悔する。見ない方が良かった、わからない方が良かったと思ってしまう。
「タだオ前ハこコで死ヌ。ソれハ揺るギナい事実ダ」
 相変わらずの片言でそう言い、人影の手が男の方に伸びた。黒い体毛に覆われた太い腕が全身を恐怖にガタガタ震えさせている男の頭を掴み、ギュッと握りつぶす。まるでレモンでも搾るかのように男の頭はその頭蓋骨ごとあっさりと粉砕されてしまった。
 挟んだ手と手の間から血が流れ落ちるのを見て、謎の人影がニタリと笑う。その笑みは人を殺す事を心底から楽しんでいると言う、何処か狂った笑み。それを指摘するものはここには誰もいない。
 人影が手を放し、頭蓋を砕かれた男が地面の上に崩れ落ちた。それを見届けると人影はその場から立ち去るべく歩き出す。だが、その行く手を遮るように牧師のような服装に同じ黒い帽子を被った男が現れる。
「お楽しみのようですね」
 牧師風の男がそう言って人影の方を見やる。その目に恐れなどは一切無い。むしろ何か面白いおもちゃを見つけたかのようにキラキラと輝いてさえいる。
「何ダ、オ前は?」
 足を止め、少しだけ警戒するような声を出す人影。いつでも牧師風の男に飛びかかり、その頭をつい先程殺した男のように潰せるよう態勢だけは整えておく。
「ふふふ……そう警戒なされなくてもよろしいですよ。私はあなたの敵ではありませんから」
 牧師風の男が自分には敵意がないと言う事を示すかのように両腕を左右に広げてみせる。少々芝居がかった仕草ではあったが、それでも相手に敵意がないと言う事は充分伝わったようだ。人影の方から伝わって来ていた殺気が消えていく。
「私はあなたに注意を促しに来たのです。ここ最近、この街であなたのような方達を狩っている者がいるのをご存じですか?」
「何ダと?」
「何処の誰かはわかりませんが、あなたも気をつけてください。その何者か……まぁ、我々は”虫けら”と呼んでいますが、その戦闘力は非常に高い。既に何人ものお仲間がその者に殺されておりますから」
「……何故ソんナ事を教エる?」
 人影がそう尋ねたのはもっともな事だろう。こんな事をわざわざ教えて、この牧師風の男に何の得があると言うのか。何らかの取引を持ちかけてくるのかも知れない、と警戒してもおかしくはない。
「私はあなたのような方の味方だからですよ。今のこの世界には愚かな人間が多すぎる。増えすぎた愚かな人類、神に見放された者共を間引き、そして残った者を統率し、この世界をより良くしていくのはあなたのような力を持った方々です。私はその為に使わされたのです。我らが仕える大いなる者に、ね」
 やはり芝居がかった仕草と口調で牧師風の男が言った。もしかしたらこれがこの男の素なのかも知れない。
「ソの大イナる者ニ俺モ仕えロと言ウのカ?」
「いいえ。今はまだそのつもりはありません。ですがいずれ我らが事を起こした時にそのお力をお借りしたいとは考えております」
「……ワかッタ。覚エておコう」
「ありがたいご返事をいただけで幸いです。それではお気をつけください」
 牧師風の男はそう言うとぺこりと頭を下げる。そして頭を上げると、後は人影の方を振り返る事もなくそのまま何処かへと去っていった。
 人影はしばしの間その後ろ姿を見送っていたが、やがて自らもその場を去る為に歩き出した。そのまま人影は闇の中へと消えていき、後に残されたのは頭蓋を無残にも砕かれた男の死体のみ。

 <アイランド1>のオフィス街にある琴吹エンタープライズの本社ビル。最上階にある社長室から直通のエレベータでのみ辿り着ける階層に社長である琴吹 紬の姿があった。
 最低限の照明のみが施されたそのフロアには様々なタイプの車両が、まるでここが駐車場であると錯覚させる程に並べられている。そんな車両を少しつまらなさそうに紬は見回していたが、やがてその視線が前方にある扉のところで停止した。このフロアにある、エレベータを除いて唯一の扉だ。
 少しの間じっとその扉を紬が見つめていると、何の音も立てずに扉が開いて、その向こう側から一人の女性が姿を現した。
「……おはよう」
「おはよう。よく眠れた?」
「……多分」
 紬の質問に小首を傾げながらそう答える女性。まだ眠たいのか、目を手でごしごしとこすりながら、ぼんやりとした表情を浮かべている。
「ちゃんと休まないといけないわ。ただでさえあなたの身体は」
 そこまで言って紬は言葉を切る。これ以上の事を口にしていいのかどうか、一瞬考えてしまったからだ。
「……」
 急に黙り込んでしまった紬を不思議そうな顔をして女性が見つめていた。一体どうしたのだろう。紬が黙っている理由を考えていた女性は、不意にその答えに思い至ったかのように手をポンと叩いた。
「朝ご飯」
「え?」
「朝ご飯、ちゃんと食べないとダメだよ。朝ご飯は一日の活力の源だって憂、言ってたから」
 突然女性にそう言われ、紬はポカンと間抜けな表情を晒してしまう。だが、それもほんの少しの間だけで、すぐに女性が何か勘違いをしている事に気付き、くすくすと笑いだした。
 紬がいきなり笑い出したので女性はまた首を傾げた。何で紬が笑っているのか、今一つわかっていない様子だ。
「ご、ごめんなさい。そうね、朝ご飯はちゃんと食べないといけないわね。今度から注意するわ」
「……うん、そうして」
 まだちょっと納得がいかない様子ではあったが、女性は紬の言葉にコクリと頷くのだった。
「朝ご飯の話はここまでにして。何か装備について話があるって聞いたんだけど?」
 ようやくこみ上げる笑いを抑える事が出来たのか、紬が表情を引き締めて女性の方を見る。しかし、女性は未だに何処か眠たそうな、ぼんやりとした表情のままだった。そんな表情のまま、唇に右手の人差し指をあてながら、また小首を傾げる。どうやら紬の言っている事が今一つわかっていないようだ。
「……えっと、何か話があるって聞いてきたんだけど?」
 これに困ったのは紬の方だ。向こうから自分を呼びだしてきたのに、呼び出した当の本人が何の話かわからないと言う風に首を傾げている。これでは話にならないではないか。
 しばらくの間女性が何か考えている素振りを見せていたが、先程と同じく何かを思い出したかのように手をポンと叩いた。おそらく何で紬がここに来たのか、その理由を思い出せたのだろう。出来ればそうであって欲しいと紬は願わざるを得なかった。
「……思い出した。そう、あなたに話がある」
 そう言うと、女性は無言で歩き始める。紬も黙って彼女の後を追った。
 二人が向かった先には一台の黒い二輪車が止められてあった。フロントカウルには髑髏の記章が取り付けられているオンロードタイプのマシンだ。
「まずこれ。スピードが出すぎる。私じゃうまく操りきれない」
「……それはもっと練習して貰いたいわ」
 相変わらずぼんやりとした表情のままだが、女性はそう言ってポンとカウルに手を乗せる。彼女の言葉を聞いて紬は苦笑を浮かべながらそう答えた。
「……それもそう……だね」
 あっさりと紬の言葉に納得したらしく、女性は小さく頷いた。
「それだけ?」
「ううん。まだある」
 そう言うと女性はバイクの後ろ側へと向かった。薄暗いのでよくわからないのだが、そこにはシャッターのようなものがあり、女性がその横にあるボタンを押すとそのシャッターが開いていく。
 シャッターの奥にあるのは駐車場のようになっているスペースと同じく薄暗い小さな部屋。女性は何も言わずにそこに入っていき、紬がその後に続く。
 その部屋の片方の壁側にはまるで何処かのロッカールームのように幾つかの扉のないロッカーが並べられており、逆側の壁には棚が設けられていた。その棚に並べられているのは大小様々なサイズのナイフ、フック付きのワイヤー射出装置の付いた手甲など。そのどれもが黒く塗られている。
 女性はその棚に近付くと比較的小さめのナイフを手に取った。柄の後ろに髑髏のレリーフが取り付けられた両刃のナイフ。主に投擲用に使われる、いわゆるスローイングナイフと言うものだ。
「まずこれ。火薬が多すぎる。ちょっと使い辛い」
 手にしたナイフをそう言いながら女性は紬に手渡した。
「そう……それじゃ開発部に言っておくわ。他には?」
 しげしげとナイフを見つめた後、紬はナイフを彼女に返しながらそう尋ねる。
 ナイフを受け取った女性はそれを再び棚に戻し、今度は手甲を手に取った。
「これ。ちょっと重たい。もうちょっと軽くして欲しい」
 女性がその手甲を渡してきたので、それを受け取る紬。確かに彼女の言う通りこの手甲、かなり重い。ワイヤーの射出装置及び巻き取り用の小型ウインチが取り付けられており、更に腕を保護する為の鋼板が取り付けられているのだ。これで重くならないはずがない。
「確かにちょっと重たいわね。でもこれ以上軽くすると防御力に問題が出るわ」
「ん……それもそう……だね。なら我慢する」
 ちょっと考えてから女性はそう結論を出した。重い事は重いが、使えない事はない。事実この手甲で何度か敵の攻撃を受け止めた事もあるのだから。
「……一応もっと軽量でもっと強い新素材を開発しているわ。出来上がり次第そっちに変更するから、それまで我慢してちょうだい」
「うん、期待してる」
 女性の返答を聞きながら紬は手甲を棚に戻す。
「次はこれ。これも重たい。いざと言う時に素早く動けない」
 反対側のロッカーから黒いコートを女性が取り出してきた。一見するとごく普通の黒いコートなのだが、防刃素材が使われており、更にあちこちに鋼板が埋め込まれている。その為にこのコートもかなりの重量となっていた。
「……ごめんなさい。やっぱり」
 申し訳なさそうな顔をして紬は頭を下げる。
 先程の手甲と同じく今の重量を減らそうと思えば、やはり防御力の要となる鋼板を減らさなければならない。そうなると今度は防御の面で問題となってしまう。現状でもかなりギリギリまで減らしているのだ。現在使っている素材ではこの重量が精一杯だった。
「だと思った。一応言ってみただけ……だよ。気にしないで」
「出来る限り早急に何とかするわ」
 女性の言葉に紬がそう返し、更に女性はこの部屋にある様々なものを一つずつ取り出しては色々と注文をつけていく。
 その様子をじっと部屋の奥にあるテーブル、その上におかれている少しくすんだ灰色の髑髏を模した仮面、その眼窩にある赤い目がじっと見つめていた。

 その日、東京都内某所にあるスタジオ。
 人気上昇中のガールズバンド”A.S.T.T.”の面々が練習の為、ここに集まっていた。一番初めにやってきたのは”A.S.T.T.”の良心、メンバー中もっとも真面目だと噂される秋山 澪。その次に最年少メンバーの村上静佳。続けて中野 梓がやってきて、一番最後にリーダーであるはずの田井中律が半ばマネージャー業を兼任させられている錦戸 文と共に現れた。
「おーし、全員揃ったな!」
「お前が一番最後だったろうに」
 開口一番そう言った律に澪が冷静なツッコミをいれる。
「まぁ……遅刻しなかっただけマシか」
「お陰で私は酷い目にあいましたけどね」
 来たばかりだというのに何処か疲れ果てたようにぐったりとしている文。メンバー中唯一車を所持している彼女は普段から律に半ば運転手代わりにされている。この日も律が遅刻しないよう迎えに行かされていたのだが、律は待ち合わせの場所に何と三十分以上遅れて現れたのだ。本人曰く目覚ましが壊れていたらしいとの事だが、実際のところは単に寝坊しただけだろうと彼女は考えている。それはともかく、澪に次いで真面目な彼女は集合時間に間に合うよう必死で飛ばしてきたのだ。
「いやいや、本当にご苦労さん」
 ポンと文の肩を叩いて彼女の苦労を労う澪。
「ありがとうございます、澪先輩」
「さぁ、それじゃさっさと始めるか!」
 先輩に振り回される苦労性な後輩を更に別の先輩が慰めてくれる、と言う構図をあっさりと振り回している方の先輩が打ち破ってくれた。思わず律の方を睨み付ける文だが、律はまるで気付かずにドラムセットの方に歩み寄り準備を始めている。それを見て、文は大きなため息をついた。
「はぁぁ……」
「……本当に済まないな、文」
「いやまぁ……別に構いませんけどね」
 申し訳なさそうに言う澪に文は苦笑を浮かべつつ答える。
「ほらー、澪に文! 始めるからさっさと準備しろー!」
「わかったわかった」
 まったく空気が読めていないように声をかけてくる律に澪が苦笑を浮かべながら返事を返した。そしてもう一度文の肩をポンと叩く。それに対して文は気にしていませんと言う風に微笑んで見せた。

 練習を始めてから二時間ぐらいが経過した頃、何度目かの休憩を取っている時だった。首にかけたタオルで額に浮かぶ汗を拭いていた律が不意に澪の方を振り返る。
「そういや澪、昨日何してたんだ?」
 自分で持ってきていたペットボトルのスポーツドリンクで喉を潤していた澪は律の問いかけに彼女の方を振り返る。
「どうしたんだ、いきなり?」
「いや、昨日はみんなオフだっただろ。昼過ぎに電話したけど出なかったから」
「携帯にか?」
「いや、家電の方」
「悪いな、昨日はちょっと出掛けてた」
「何処に?」
「あー……その、ちょっと海の方まで」
 そう言って澪は律の方から顔を背けた。それを見て律は澪が何の為にわざわざ海に行って来たのか、すぐさま理解する。
「成る程。久し振りにいい詩でも書けたか?」
 ニヤニヤ笑いながらそう尋ねる律だが、澪は恥ずかしそうに顔を真っ赤にしてムッとした表情を浮かべるだけだ。
「おおっ、澪さんの詩ッスか? どんなのか是非とも見せて頂きたいッスけどいいッスか?」
 澪の書いたと言う詩に興味を覚えたらしい静佳がそう言って澪の方に近寄っていく。
「ああ、別にいいよ」
 興味を持って貰えた事が嬉しかったのか、澪は機嫌良さそうに自分の鞄に歩み寄り、中から一冊のノートを取りだした。そして、ニコニコと笑顔でそれを静佳に手渡す。
 受け取ったノートを開き、中に書かれている文章を読む静佳。初めのうちは感心しながら読み進めていた彼女だが、徐々にその表情が引きつっていく。それでも何とか笑みを浮かべ続けようと努力しているのは、これを書いた澪本人が目の前でニコニコして、感想を待っているからか。
 その様子を見守っていた律はチラリと梓、文の方を見やった。どっちも苦笑を浮かべている。高校時代からのメンバーで澪の書く詩がどう言ったものかを知っている梓、その梓から後輩として色々と教えて貰っている文。二人は澪の書く詩がどう言ったものかをよく知っている。知らないのはもっとも新しくメンバー入りした静佳だけ。
「ど、どうかな? 結構自信あるんだけど」
「あ……いや、その……何て言うか……独創的ッスね」
 期待に満ち溢れたようにじっと見つめてくる澪に静佳は必死で言葉を探しながら答える。
 澪の書く詩はまさしく独創的としか言いようのないものだった。何と言うか背中がかゆくなるようなメルヘンチックで彼女独特の感性が満面に溢れかえっている。これは他人から見たら何とも言えない代物であった。
 はっきり自分の感じた感想を言ってしまうと澪が確実に傷ついてしまう。そう思った静佳は引きつり気味の笑みを浮かべながら、何とか澪にかなりオブラートに包んだ感想を伝えようとする。
「あははっ! やっぱりな!」
 もう我慢出来ないと言った感じで律が笑い出す。
「静佳、無理するな! 昔っから澪の書く詩はそんなのばっかりなんだ。思った事をはっきり言ってやっても傷ついたりしないって!」
「え? そ、そうなんスか?」
 驚いたように静佳がそう言うと、澪が顔を真っ赤にして律を振り返った。そしてそのまま彼女に近付いていき、ポカリと彼女の頭を一発殴りつける。
「いって〜! 何すんだよ!」
「ふんっ!」
 いきなり殴られた律が抗議の声をあげるが、殴った方の澪は拗ねたように律から顔を背けて、一番遠くにある椅子に腰を下ろしてしまう。
「あー……いや、あの、澪さん、私は、その……」
 慌ててフォローしようとする静佳だが、それを梓がすぐに止めた。
「大丈夫。この二人、昔っからいつもこんな感じだから」
「そうなんスか?」
「小学校の頃からの友達だから。それにケンカする程仲がいいって言うし」
 笑顔でそう言う梓に静佳はそれ以上何も言えず、ただ頷く。それからチラリと律を見ると、彼女は殴られた頭を手で押さえながら頬を膨らませており、それを文が宥めていた。更に視線を澪の方に向けると椅子の上で膝を抱えて何やらブツブツ呟いているのが見えた。
「……本当に大丈夫なんスか?」
「……多分」
 まだ”A.S.T.T.”に入ってそれほど時間が経ってない静佳が不安げにそう言うと、梓はちょっと困ったように苦笑するのだった。

 午後を少し過ぎた頃、紬は少し遅めの昼食を社長室でとっていた。そこに彼女の専属の秘書である水島 光が入ってくる。
「社長、お食事中のところ、申し訳ありません」
 そう言って頭を下げる水島に紬はほんの少しだけ気分を害したような表情を浮かべたが、すぐに口元をナプキンで拭い、笑みを浮かべてみせた。社長である以上、常に時間に追われているのだから、この様な事など日常茶飯事だ。せめて食事ぐらいはゆっくりととりたいものだと思っているが、ある種諦めもついている。
「いいえ、構わないわ。それで何かあったの?」
「いえ。今朝一番で社長が仰っていた倉田重工の社長との会談の件ですが」
「連絡してくれたんですね。ご苦労様です」
「それが仕事ですから。それで向こうからの返答ですが事前に連絡さえ頂けたらいつでもよろしいとの事でした」
「いつでも?」
「はい。確かにそのように聞いております」
 何処までも冷静且つ事務的な口調で水島が言う。それに対して紬は太めの眉毛を眉間に寄せた。
 倉田重工の社長は紬と同じく妙齢の女性だと聞いている。同じ女社長で一度お話がしたいと秘書の水島を通じて会談を申し込んでいたのだが、その返答が前もって連絡さえ貰えればいつでもいいとは。向こう側の社長は自分と違ってそれほど暇しているのかと思わず訝ってしまう。
「……わかりました。それだけですか?」
 ここで訝っていても何もわからない事に変わりはない。ならば直接会った時にでも聞かせて貰おう。そう思った紬は再び笑みを浮かべて水島に問いかけた。
「いえ、これだけです」
「そう。ご苦労様。あなたもお昼ご飯の時間でしょ? 午後からは特に会議も視察の予定もなかったはずだし、ゆっくりして貰っていいわ」
「ありがとうございます。社長はまた例のところですか?」
「ええ、そのつもりだけど」
「なら何かありましたら携帯の方に連絡させて頂きますので。それでは失礼致します」
 そう言ってぺこりと頭を下げ、水島が社長室を後にする。
 彼女を見送った後、紬は机の上に肘をついて小さくため息を漏らした。
 倉田重工と言えば日本でも有数の大企業だ。国内のみならず海外にも多数の支社を持っている。この<セレスティアスシティ>に支社を設けたのは比較的最近の方だが、その技術力は目を見張るものがある。果たしてその技術力で一体何をしようとしているのか。
「……それ以前に”組織”に繋がっているのかしら?」
 倉田重工が何かしようとしているとの情報を紬にもたらしたのは、彼女が個人で匿っている人物だ。問題はその人物が自分に対してあまり好意的ではないと言う事。共通の目的がある以上、一応協力態勢をとっているが、向こうは未確認の不確定な情報であろうと平気でこっちに渡してくる。その為に今までどれだけの空回りをさせられた事か。しかしながら、膠着している現状を打破する為にはその情報に頼るしかないのもまた事実。なかなか頭の痛い事だった。
「考えるだけ無駄ね、今は」
 そう呟くと紬は中断していた昼食を再開するのだった。

 再び<アイランド3>で事件が起きたと聞いて和はセレスティアスシティポリス本部にあるミニパトを一台借りて、その現場へとやってきていた。
 現場は既に<アイランド3>分駐署の署員によって封鎖されていたが、和は自分のIDカードを見せて半ば無理矢理押し通るように中に入っていく。そして一直線に死体の元へと向かうと、かけられているシートをめくり上げた。今度の被害者は前回の被害者とは違い、頭部のみを物凄い力で、それこそ万力で無理矢理押し潰したかのように潰し殺されていた。一見してこれが人間業でない事がわかる代物だ。
「……前にも増してひどいわね」
 一応手を合わせて被害者の冥福を祈る。それから和は被害者の手に注目した。前回の被害者は手に類人猿系の体毛を握っていた。今回もそうではないかと思い、それを確認する為に被害者の手を見てみたのだが、そこに彼女の期待したようなものは何もない。いや、よく見ると爪の間に何か挟まっているのが見えた。おそらく被害者が抵抗したか何かした時に犯人をひっかいたのだろう。その為に犯人の皮膚片が爪の間に残っていたのだ。
「これは……」
 すぐさまピンセットを取りだし、その皮膚片を採取する和。それをビニール袋にいれ、素早くポケットの中に入れる。これをまた本部の鑑識に持っていき、DNAを調べて貰えばきっと前回の体毛から検出されたDNAと一致するだろう。何故か和にはその確信があった。だが、だからと言ってそれでわかるのは前回と今回の犯人が同一のものであると言うことだけで、犯人の特定にはまだ至らないのだが。
 とりあえず次は周辺の聞き込みにでも行くかと思い、和はめくり上げていたシートを元に戻した。それから立ち上がろうとすると、後ろから怒鳴り声が聞こえてくる。
「ごるぁっ!! 勝手に何やってやがる!!」
 その声に和が振り返ってみると、こちらに向かってずんずんと近付いてくる強面の男の姿が見えた。イワン=グリシン巡査長。<アイランド3>分駐署の刑事だ。
「勝手に触るんじゃねぇって前にも言っただろうがっ!」
 和のすぐ側までやってきたグリシンが怒鳴るようにそう言うので、思わず和は顔を顰めてしまう。
「近くにいるんですから聞こえていますよ、グリシン刑事」
「大体お前さんは捜査担当じゃねぇだろうが! 無関係の奴がこんなところで何やってやがんだよっ!」
 どうやら和の抗議はさらりと無視されてしまったらしい。またしても大音量で怒鳴るグリシンに和は小さくため息をついた。
「確かに私は捜査担当ではありませんが、捜査に協力してはいけないと言う事はないと思いますが? それとも私が捜査に協力すると何か困るような事でもあるんですか?」
 そう言って和はグリシンを睨み付けるように見上げる。
「はん、引っかき回されたりしたら迷惑なんだよ! 大体お前さん、昨日だって勝手に証拠品持ち出しただろ! わかってんだぞ、こっちも!」
 どうやら昨日、和が被害者の手から何かの体毛を勝手に持ち出した事がばれてしまっているらしい。とは言っても和が持ち出したのは一部だけで、ちゃんと捜査本部用に残しておいたのだが。
「それで何かわかったんですか?」
「お前さんに言う必要はねぇな。と言うか、わかってんだろ、お前さんも」
 グリシンの様子から和と同じ情報を彼も知っている事がわかった。もっともこんな事は調べればすぐにわかる事だ。問題があるとすれば、捜査が更に混乱すると言うことぐらいか。何と言っても人間のものと、それと近いが別のDNAが検出されてしまったからだ。これで犯人が人間なのかそうでないのかわからなくなってしまう。
「……グリシン刑事。あなたは犯人が何者であるか、想像出来ますか?」
 自分と同じ情報を持っているのならば、きっと犯人像が想像不能になっているに違いない。そう思って和が尋ねると、グリシンはあからさまなまでに不愉快そうな顔をして見せた。この様子から捜査本部でも犯人像を絞りきれなくなっているに違いない。
「お前さんはわかるって言うのかい?」
 ギロリと和を睨み付けるグリシン。
「あくまで想像です。これが正解だと言う自信はありませんし、言ってもとても信じては貰えないと思います」
 和の返答にグリシンが少しだけ感心したような表情を浮かべた。彼からしてみれば、和などほんの小娘に過ぎないのだろうが、それでもICPOから派遣されてくるだけあって優秀らしい。その一端を垣間見たような気分になっている。
「聞いてやる。言ってみろ」
 そうグリシンが言った時だ。二人が言い争っているように見えたのだろう、大慌てと言った様子でノートンが二人の間に割って入ってきた。
「な、何やってるんですか、真鍋警部!」
 ノートンはそう言うと、和の腕をとり、向こうへと連れて行こうとする。
「悪いけどノートン刑事、私はまだ」
「本部長がお呼びです。大至急本部に戻ってください」
 ちょっと困ったような顔をする和にノートンがそう言い、それからグリシンの方を向いて頭を下げた。もしかしたらこれは彼女をグリシンから引き離す為の口実なのかも知れない。傍目から見ても二人の間に流れていた空気は険悪そのものだった。ただでさえ本部と分駐署の仲はよくないのと言うのに、和はまだこの海上都市に来て間もない新参者。ベテランのグリシンが目の敵にしてもおかしくないとノートンは考えたのだろう。
「すいません、グリシン刑事。私はこれで」
 ここはノートンに乗っておくべきかも知れない。大体和が想像している犯人はゴリラやオランウータンなどの類人猿と呼ばれるものに変身する事の出来る人間だ。実際に虎に変身する男の姿を見た和でも未だに信じられない気分でいるのに、そんなものを見た事ないグリシンが信じられるはずがない。精々馬鹿にされて笑われるのがオチだ。そう言う意味ではこのノートンの乱入はある意味助かったと言うべきなのか。
 素早くそれだけの事を判断した和はグリシンに向かって頭を下げ、ノートンと共に歩き出した。
「ありがとう、と言うべきかしら?」
「本当に勘弁してくださいよ、警部。グリシンさんは<アイランド3>分駐署の中でも特に頭の固い人なんですから」
 ほとほと困り果てた、と言う感じでノートンが言うので和は苦笑を浮かべてしまう。この様子だと本当に和とグリシンがやり合っていたのだと思っているようだ。実際には険悪なムードこそ漂っていたものの、割って入られなければならない程の事態ではなかった。むしろ険悪ながらも話がちゃんと出来そうな雰囲気であったのだが、結局話の内容でまた、と言うかより一層雰囲気が悪くなる事が予想出来たので、このまま勘違いさせておいても問題は特にないだろう。
「それと証拠品の勝手な持ち出しも止めてください。何でか自分が怒られるんですから」
「そうね。次からは気をつけるわ」
「次からって……」
 和の返事にノートンは思わず絶句してしまう。見た感じから真面目でお堅そうなのに、実際は無茶苦茶だ。捜査権もないのに勝手に証拠品は持ち出すわ、捜査員ともめ事を起こすわ。日本の警視庁にいた頃からこんな感じだったのだろうか。だとしたら飛んだエリート様だ。
「ところでノートン刑事。捜査会議では犯人像はどう言う風になったの?」
「真鍋警部、あなたにはこの事件についての捜査権はないんです。もう勘弁して貰えませんか?」
 困り果てたような感じでノートンがそう言う。彼の表情から和はこれ以上は何を言っても捜査に関する情報は教えて貰えなさそうだと判断した。
「わかったわ。これ以上は何も質問しない。でも私が勝手に聞き込みとかするのは構わないわよね?」
 あえて笑顔を浮かべて尋ねてくる和にノートンは思わず天を見上げていた。どうやら何処までも彼女はこの事件の捜査に勝手に参加するつもりらしい。ここまで来ると、もはや困るのを通り越して呆れてくる。そして同時に湧き上がってくるのは、何故に彼女がこの事件に異常なまでに興味を持つのかと言う事だった。
「真鍋警部……一体どうしてこの事件にそこまで?」
 和の問いには答えず、逆に質問するノートン。
「警部はまだこの島に来たばかりで、知り合いなんてほとんどいないでしょう。それに殺されたのはホームレスと……今回のはまだ身元確認中ですけど、知り合いじゃありませんよね。何でこの事件にそこまでこだわるのか自分にはわからないんですが」
 ノートンにそう言われて和がキョトンとしたような表情を浮かべる。それから首を傾げながら小さく「どうしてだろう?」と呟いた。彼女の呟きを聞きノートンの方が驚きの表情を露わにする。
「どうしてって……自分でもまさか理由がわからないとか?」
「こだわる理由は確かにないんだけど……強いて言えば興味があるから、かな」
「興味本位で捜査引っかき回したりしないでくださいね」
「そんなつもりはないんだけど……そうそう、何かわかったら君に連絡するわ。それならいいでしょ?」
 小さくため息をつくノートンにそう言い、和は再び笑みを浮かべてみせた。この様子だとどれだけ止めて欲しいと懇願しても彼女は聞き入れるつもりはないらしい。それならばある程度彼女の勝手にさせておき、うまくフォローをいれてやった方がいいだろう。それに手がかりを掴んだらわざわざ自分に教えてくれるというのだ。ここは彼女の提案に乗った方が得かも知れない。
「あんまり派手にやらないでくださいね。グリシンさんだけじゃなくって他の人の結構ぴりぴりしてますから」
「わかったわ。それじゃ」
「あ、それと……本部長が呼んでいるってのは本当です。すぐに戻ってくださいね」
「了解。それじゃ一旦本部に戻るわ」
 早速聞き込みに行こうとした和に苦笑を浮かべながらノートンが言う。返ってきた返事が如何にも気のないものだったので、本当に本部に戻る気があるのかどうか不安になってしまう。だが、それ以上何も言わずにノートンは去っていく和を見送るのであった。

 午後二時を過ぎ、とりあえずやらなければならない仕事を全て片付けた紬は専用のリムジンで<アイランド1>にある旧市街区画へと向かっていた。
 この<セレスティアスシティ>の極めて初期に作られ、開発が進むに連れてどんどんうらびれていった旧市街区画だが、今でもそこに住んでいるものは多い。特にこの海上都市の開発・建設の為にやってきた労働者、一攫千金を夢見てやってきた流れ者など低所得者がこの区画には多く住んでいる。しかしながら治安度は他の区画に比べて少々低くなっていて、セレスティアスシティポリスからは実際にはそれほどでもないのだが犯罪の温床となっていると見なされがちだ。現実にそう言う風になっているところもあるが、大部分はごく普通に平和である。
 旧市街区画の中でも比較的治安のいい一角に紬の目的地があった。児童養護福祉施設”あすなろ園”。紬が琴吹エンタープライズの傘下としてではなく、個人的に出資し、運営しているいわゆる孤児院だ。
 地球上でもっとも未来に近い都市<セレスティアスシティ>と言えど、そこに人が住んでいる以上、他の大都市と内実はそう変わるものではない。事故などで親を失った子供、やむにやまれぬ事情で捨てられてしまった子供達がそれなりにおり、紬がそんな子供達を引き取ってこの孤児院で生活の面倒を見ているのだ。
 あすなろ園のすぐ側でリムジンを降り、運転手には適当に辺りを流すなり何処かの駐車場にでも入っているなりするように申しつけてから紬はあすなろ園に向かう。手にはこの間あすなろ園で生活する子供達から貰った手作りクッキーのお返しとして買ってきた<セレスティアスシティ>でもかなり有名な洋菓子店のシュークリーム。きっとみんな喜んでくれるだろう。子供達の笑顔を思い浮かべながら歩く紬だが、普段ならあすなろ園の敷地内にあるグラウンドで遊ぶ声が聞こえてきてもおかしくない距離に来ても誰の声も聞こえてこない。その事を訝しげに思いながらもあすなろ園まで辿り着く。
 そこまで来てどうして子供達の声が聞こえなかったか、紬は理解した。グラウンドには誰もいなかったからだ。これでは声など聞こえてくるはずがない。
(どうしたのかしら?)
 いつもならばこの時間帯はみんなグラウンドでワイワイと騒ぎながら遊んでいてもおかしくないのだが、今日に限っては誰も姿もない。何処かに出掛けるという話は聞いていなかったし、まさかみんな揃ってお昼寝の真っ最中という訳でもないだろう。そう思いながら門を抜け、建物の玄関までやってきた紬は中にも人の気配がほとんどない事を察する。
(何処かにみんなでお出かけ?)
 頭の中であすなろ園の行事の予定を思い出してみるが、遠足などの遠出をするような予定はここしばらくはなかったはずだ。ならば一体何処に行ってしまったのだろうか。ここの出資者であり経営者でもある紬に何も言わずに何処かに勝手に移転してしまう事などは有り得ないから、必ず何処かにいるはずなのだが、それが何処なのか彼女にはまったく思い至らなかった。
 紬がしばらく誰もいない玄関でどうするか考えていると背後に気配を感じた。すかさず振り返ってみると、そこには如何にも温和そうな顔の初老の女性がちょっと驚いたような顔をして立っているではないか。
「……社長?」
「あ、驚かせてすいません。誰もいなかったので」
 そう言いながらすぐさま頭を下げる紬。すると初老の女性の方が慌てて手を振りながら彼女に駆け寄っていく。
「ああ、いえ、こちらの方こそすいません。こちらにいらっしゃるならそう仰って頂ければ誰か残しておきましたのに」
「いえいえ、私の方こそ。この間のクッキーのお礼がしたくて、急に思い立って来たんですから。それで……みんなは何処に?」
 紬の質問に初老の女性は後ろを振り返って、少し向こうに見える建物を指差した。その建物は古びた教会で今は誰も使っていなかったはずだと紬はすぐに思い出したのだが、さて、あんなところでみんな揃って一体何をしているのだろうか。
「あそこの教会に若いシスターさんが来ましてね。昨日ご挨拶に来られたんですが、あの教会古くて、それにしばらく誰もいなかったのでもうあちこち痛んでまして、その修繕のお手伝いにみんなで行ってまして」
「それでみんないなかったのね……でも子供達じゃ修繕のお手伝いって言っても」
「子供達は中でお掃除とかしかさせていませんよ。シスターさんもそれでいいって仰ってましたから。葵君は屋根とかの修繕をやっていますけどね」
 今頃教会の屋根の上で一生懸命に屋根の修繕をしているのであろう葵という名の青年の事を思い出し、笑みを浮かべる初老の女性。
「私はお茶でも用意しようと思って戻ってきたところなんですよ。社長もよろしければご一緒にどうです? シスターさん、社長と同じくらいの年齢の方ですし、なかなか面白い方ですよ」
「そうね……今日は特に予定もないし、ここの近所なんだし、折角だからどんな人か会ってみましょうか」
「それじゃ私はお茶の用意をしてきますから……待たせるのも何ですから先に向かいますか?」
「そうね、そうさせて貰います」
 紬はそう言うと、初老の女性に頭を下げてから古びた教会へと向かって歩き出した。ちなみに先程まで彼女と喋っていた初老の女性はあすなろ園の園長を務めている村田桜子という女性で元々は琴吹エンタープライズの社員であったが、紬がこのあすなろ園を創設した時に琴吹エンタープライズを辞めて、ここの園長になったのである。だからか、彼女は未だに紬の事を「社長」と呼んでいるのだ。
 あすなろ園を出て歩く事五分、目的地である教会はすぐに見えてきた。使われなくなって随分経つという話なのだが、その外観もまた見事なまでにボロボロだ。辛うじて夜露はしのげそうだが、雨が降ったら雨漏りとかがひどそうだ。こんな寂れた教会にわざわざやってきたというシスターはかなりの変わり者に違いない。それかこんな風になっていると言う事を知らなかったのか。
(何にせよ、どんな人か見極める必要はあるわね……子供達を守るためにも)
 教会に来た女性がシスターを言う身分を利用して何かを企み、その被害があすなろ園の子供達に及ぶというのならば、何としてでもそれを防がなければならない。場合によっては非情な手段を用いてでも排除する覚悟が紬にはあった。
(まずは顔を見て、それから話を……)
 そんな事を考えている間に紬は教会の前まで辿り着いていた。すると、彼女の耳に何かの旋律が聞こえてくる。耳をこらして聞いてみると、それがギターによる旋律だと言うことがわかった。
(何だろう……何か懐かしい感じがする……)
 聞こえてくる旋律は何処かで聞いた事のあるポップミュージック。時折間違えながらも演奏者は実に楽しそうにギターを弾いているのが、外にいてもわかる。そして、同時に紬が感じたのは何とも言えない懐かしさであった。
 理由もどう言った種類の懐かしさなのかもわからない。ただただ、懐かしい。それだけだったが紬はその場から一歩も動けなくなっていた。気がつけば、知らない間に頬を一筋の涙が伝っている。
「あれ? 社長じゃないですか。そんなところでどうしたんです?」
 いきなり後ろから声をかけられ、紬は慌てて袖で涙を拭い、振り返った。すると一人の、如何にも人の良さそうな青年が手に工具箱を持って紬の方をじっと見つめているではないか。
 彼の名は葵 実。あすなろ園で働く職員の一人だ。彼も元々は琴吹エンタープライズで働くサラリーマンだったのだが、園長である村田女史があすなろ園開園時にわざわざ引き抜いたのだ。元々子供好きだったと言う事もあり、更に大学時に保育士の資格も取っていたので葵は今現在あすなろ園においてなくてはならない人物となっている。実際のところ、唯一の正職員であり、更に唯一の男だと言うこともあるのだが。
「葵君こそ何をしているんですか? 子供達の姿も見えませんけど」
 葵に向かってそう尋ねながら紬は周囲を見回す。子供達の姿を探すと言うよりはさっき流れた涙の跡を見られないようにする為だ。
「子供達なら中にいると思いますよ。園長がお茶の用意をしてくるって言って戻ったんで休憩にしようって。シスターさんが相手をしてくれているんで僕はその間に屋根の修理の準備でもしておこうかなって思って」
 教会の方を振り返りながら葵がそう言ったので、紬も彼につられるように教会の方を見た。ギターによる演奏は今も続いている。
「そうだったんですか。それじゃこの聞こえてくる音はそのシスターさんが?」
「ええ。オルガンがあったんですけど、長い間放置されていたんで使えなくって、そうしたらシスターさんがギターが弾けるって言うから」
 紬と同じように葵も耳を澄ませて聞こえてくるギターの演奏を聴く。時々間違えはするが、やはり楽しそうな演奏だ。中から子供達の笑い声や歌声も聞こえてくる。
「……シスターさんってどんな方なのかしら?」
「いい人だと思いますよ。子供達にも優しいし、ちょっとドジっぽいですけど」
 そう言いながら葵は笑顔を浮かべて、紬がここに来るまでの事を彼女に教えた。
 シスターは若い女性であるにも関わらず葵を手伝おうと色々頑張っていたらしい。床や壁などの補修をするための木材を運ぼうとして派手に転んだり、高い位置の修理をするために梯子を運んできて何かに蹴躓き新たな穴を開けてしまったりと、実際にはむしろ葵の足を引っ張ってばかりばかりだったようなのだが。その度に申し訳なさそうに必死に謝る姿を見て葵も文句を言えず、更にはその頑張る姿が微笑ましく思えてしまったとの事。
「葵君、もしかしてそのシスターさんの事、好きになっちゃいました?」
 紬がからかうようにそう言うと、葵は真っ赤になって否定する。
「そ、そ、そんな事ないですよ! シ、シスターさんとは昨日初めて会ったばかりなんですから!」
「あら……人を好きになるのに時間なんて関係ないと思うけど?」
「そ、そうじゃありませんってば! ぼ、僕はこれで失礼しますっ!」
 そう言うが早いか、葵は紬に向かって頭を下げると教会の裏手の方へ向かって大慌てで去っていった。
 その後ろ姿を見送りながら紬は微笑みを浮かべる。
(あれだとそうですって言っているようなものだけど……まぁ、これ以上彼をからかうのも悪いわね)
 とりあえず純情青年である葵が惚れたらしいシスターに会ってみよう。そう思って紬は教会の入り口のドアに手をかける。すると中から女性の声が聞こえてきた。
「それじゃあ、次はこの曲。みんなは知ってるかな〜?」
 おそらくはこの声がシスターの声なのだろう。会った事もないはずなのに、紬はその声に聞き覚えがあった。
(……まさか!?)
 信じられないと言う思いが紬の中に湧き上がる。それほどこのシスターの声が彼女にとって衝撃的だったのだ。すぐさまドアを開けてシスターの顔、姿を確認しなければ。焦りにも似た心でドアを開けようとすると、新たな演奏が聞こえてきた。
「この曲……!」
 それは紬にとっても馴染み深い”A.S.T.T.”のデビュー曲。かつての親友達がメジャーデビューを果たした時のもの。紬もCDを買って何度も何度も、それこそ何百回と聞いた曲だ。
 これだけなら特に驚く事はない。シスターだからと言ってJポップなどを聞かない訳でもないだろう。ギターを弾けるのだってそうだ。彼女が驚いたのは続けて流れてきた旋律。”A.S.T.T.”のものではないが紬にとっても、”A.S.T.T.”の年長メンバーにとっても馴染み深い、いや、そう言うよりも彼女達の原点とも言える曲。
「どうして……これを」
 聞こえてきたのは”ふわふわ時間”という曲のギターソロ。多少アレンジされてはいるが、間違いなくその曲だった。
 次の瞬間、紬は何も言わずに大きく教会の扉を開け放っていた。その音にギターの演奏が途切れ、そして中でそれを聴いていた子供達が一斉に振り返る。
「あ、しゃちょーだ」
「どうしたの、しゃちょー?」
 突然現れた紬を見て子供達が驚いたような声をあげるが、彼女の視線は子供達の中心に座ってギターを持っている女性に釘付けになっていた。シスターの服に身を包み、頭には服と同じ色のベールを被った紬と同じ歳ぐらいの女性。ちょっと驚いたように扉のところに立っている紬の顔を見ていたが、やがて柔和な笑みを浮かべてみせる。
「こんにちわ」
 そう挨拶してくるシスターに、紬は無言のまま近付いていく。
「あなたは……」
 声が震えているのを紬自身自覚していた。彼女から見えているのは顔ぐらい。だが、その顔が、五年前突然になくなってしまった親友にそっくりだったのだ。
「はじめまして。ここの教会に赴任してきたシスターのユイと言います。どうぞよろしく」 立ち上がってそう言い、シスターが手を差し出してくる。
「やっぱり……唯ちゃん……」
 目の前に立つシスターの名前を聞いて、紬の目に涙が溢れ出してきた。それを見たシスターが慌てて手を振った。
「ちょ、ちょっと待ってください! 何でいきなり泣いちゃうんですか!?」
「何でって……」
「いや、初対面ですよね、私達!? 少なくても私にはいきなり初対面の人に泣かれなきゃならない理由なんてないんですがっ!」
 いきなり泣き出した紬に大慌てという様子でシスターが矢継ぎ早に口を開く。それを見て、紬は自分が何か勘違いしているのだと言う事に気がついた。とりあえず涙を拭って、改めてシスターの顔を見てみる。行方不明の親友によく似ているが、違うと言えば違うような気がしてきた。もしかしたら他人のそら似なのかも知れない。
「す、すいません……えっと、もう一度お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「はい。私はこの教会に赴任してきたシスターのユイと言います。どうかよろしくお願いしますね」
 申し訳なさそうに、そして涙を見せてしまった事を恥じるかのように赤くなりながらそう言う紬にシスターはまた柔和な笑みを浮かべて、一つも気を悪くすることなく再び自己紹介をする。
「ユイ……漢字ですか?」
「あー……本名はそうなんですけどね、一応カタカナです。ちなみに本名は韮沢 結って言います。一応日本人ですよ」
 あくまで柔和な笑みを浮かべ続けるシスターに紬は少し複雑そうな表情を浮かべた。目の前で笑みを湛えているこのシスター、五年前に失踪してしまった親友である平沢 唯に似すぎている。世の中にはそっくりさんが三人はいると言うが、やはりこのシスターと唯は同一人物としか思えない。顔立ちもそうだが、名前も似すぎているではないか。
「えっと」
「ああ、結って言うのは”結ぶ”って言う方の結ですから」
 今まさに紬が質問しようとした事をシスターの方が先に答えてくる。まるでそう質問される事がわかっていたかのように。
「それで、あなたのお名前は?」
「私は……」
 知っているはずでしょうと目で訴えかけるも、シスターには通じていないようだった。やっぱり別人なのだろうかとほんの少しだけ、相手にわからないように小さくため息をついた紬はすぐさま頭を切り換え、笑みを浮かべてみせる。
「私は琴吹 紬。あすなろ園の理事をしていますわ。こちらこそどうぞよろしく」
 そう言ってようやく紬は自分の右手を前に差し出す事が出来た。先程はシスターの方が右手を差し出してくれていたのだが、その時は目の前にいるシスターが行方不明中の平沢 唯だと勘違いして、思わず泣き出してしまった為に有耶無耶になってしまったのだ。これでようやく握手が出来る。そう思ったのか、シスターが更なる笑みを浮かべてみせる。その笑顔が紬に益々平沢 唯を思い起こさせた。
(やっぱり似ている……本当に唯ちゃんじゃないのかしら?)
「シスター! しゃちょーはねー、物凄くおっきな会社のしゃちょーさんなんだよっ!」
 不意に子供達の一人があげた声に紬は考え込むのを中断する。
「へぇ〜、そうなんだ」
 シスターが子供の方に関心を向けてしまったからだ。握手していた手を離し、その子供の側に歩み寄っていく。しゃがみ込み、視線を子供に合わせるその姿を見て、紬はこのシスターが決して子供達に危害を加えるような存在ではないと確信した。
「それでこの社長さんは何て会社の社長さんなのかな〜?」
「えーっと……」
 流石に紬がどう言った会社の社長を務めているかまでは知らないらしく、子供が首を傾げている。他の子供達も同様のようだ。
「うふふ……私は琴吹エンタープライズって会社の社長なのよ〜」
 困っている子供達に助け船を出すように紬がそう言うと、シスターが驚きの表情を浮かべて彼女の方を振り返った。そのあまりもの驚きように一瞬唖然となってしまう紬だったが、よく考えてみると琴吹エンタープライズと言えばこの海上都市のみならず世界中にその名を轟かせる琴吹グループの中でもかなりの重要部門の一つだ。そんなところの社長をまだまだ若い紬がやっていると知れば驚いて当然だろう。
「あ、そうだ。シスター、一つ教えて欲しい事があるんですが」
 これだけは確認しておかなければ、と思う事を紬がシスターに質問しようとすると、教会の扉が開いてあすなろ園に戻っていたはずの村田女史が姿を現した。手には大きめの水筒を何本か持っている。どうやら向こうで用意したお茶をそれに入れて持ってきたらしい。
「お待たせしました。ほら、みんな、手伝ってくれる?」
 村田女史が笑みを浮かべてそう言ったので子供達が歓声を上げて彼女の方に駆け寄っていく。彼女から水筒を受け取り、外に走っていく子供達を見送りながら紬は彼らのために持ってきたシュークリームの事を思い出した。
「園長先生、これも」
「ああ、そうでしたわね」
 紬からシュークリームの入った箱を受け取り、村田女史も教会の外に出ていく。どうやら外でお茶会をやるようだ。
「私達も行きましょうか」
 そう言ってシスターが歩き出した。
「……そうですね。シュークリーム、多めに買っておいて良かったわ」
 紬がそう言ったのを聞いてシスターが物凄い勢いで振り返る。そして目をキラキラと輝かせながら紬の側に駆け寄ってきた。
「多めって言う事は私の分もあっちゃったりします?」
「え、ええ。多分大丈夫だと思いますよ」
 それを聞いたシスターは紬の手を取って外に向かって駆け出した。余程甘いものに飢えていたのか、シュークリームが楽しみで楽しみで仕方ないのだろう。もし彼女に犬のような尻尾があればぶんぶんと勢いよく振っていたに違いない。
 手を引っ張られながら紬は自分の前を行くシスターの姿に行方不明の親友の姿を重ねてしまっていた。
「さぁ、社長さん! 早く行きましょう!」
『ほらムギちゃん! 急いで急いで!』
 シスターの声に親友の声が重なって聞こえたように紬は感じてしまう。やはりこのシスターと行方不明の親友は似すぎている。とりあえず彼女の素性を洗ってみなければ、と思いながら紬はシスターに手を引かれたまま教会の外へと出ていくのであった。

 ジリリリリリッと固定電話の呼び出し音がなる。今時古い形の黒電話だ。もはや骨董品と言っても過言ではないだろう。持ち主はかなりのレトロ趣味に違いない。
 幾度目かの呼び出し音の後、すっと伸びてきた毛深い腕が受話器を取り上げた。
「……」
『聞こえてるかい? あんたに少々残念な情報だ。SCPのとある女警部殿があんたの起こしている事件に興味津々でな。今ンところ何処にも所属してないから圧力もかけられねぇし、厄介な事に行動力も旺盛だ。おまけにこの事件の犯人の正体に心当たりがあるようだぜ。特定まではしてないみたいだがな』
「……オ前は誰ダ? 何デそんナ事ヲ教エる?」
 電話の向こうから聞こえてくる声に聞き覚えは全くなかった。それ以前に相手の方も声から正体がばれるのを防ぐためかボイスチェンジャーのようなものを使用していており、その変に甲高い勘に障る声に警戒心を抱く。
『とある方にそう命じられたんでね。我らが仕える大いなる者のためにあんたはきっと役だってくれるはずだから便宜を図ってやれってさ』
「……俺ニどうシろト?」
 電話の相手はどうやら敵ではないらしい。かと言って味方かどうかはわからないが。それでも電話の相手からもたらされた情報は重要なものだった。
 絶対に自分は捕まらない、捕まる訳がないと思っていたがどうやらそうではなかったようだ。すぐに自分に捜査の手が及ぶ事はないだろうが、いずれは自分の元に来るに違いない。果たしてそうなったらどうすればいいのか。正直なところ、見当もつかなかった。そもそもそんな事、一つも考えていなかったからだ。
『まぁ、あんたの好きにすればいいさ。今はまだその女警部殿一人だからな。さっさと口を封じしてしまえば、後は何とでもなる。それじゃ、頑張りな』
 電話はそれで切れ、ツーツーと言う無機質な音だけが耳に届いてくる。その音を聞きながらこれからどうするべきかを考える。
 自分の存在に気がつきかけているのは女警部ただ一人。電話の相手の言う通り今ならその女警部の口さえ封じてしまえば自分に危険が及ぶ事はない。ならば考えるまでもなかった。女警部の口を封じる、つまりは殺してしまえばいいだけだ。
 受話器を黒電話に戻し、毛深い腕が闇の中へと消えていく。

 辺りがすっかり暗くなってから真鍋 和はミニパトに乗って<アイランド5>にあるセレスティアスシティポリスの本部へと急いでいた。結局ノートンと別れた後、彼には本部に一旦戻ると言っておきながらも実際には戻らず、ひたすら周辺の聞き込みを行っていたのだ。しかしながら特にめぼしい情報は集まらず、ただ時間が過ぎ去っただけの結果に終わってしまったのだが。
 わかった事と言えば、殺されたのが<アイランド6>にあるとある大学の放蕩学生だったと言う事ぐらいで、彼の友人達に話を聞いてみたところ女性関係にちょっと問題はあったものの特に殺されなければならない理由には思い当たらないとの事だった。
「そう言えば前に殺されたホームレスも殺されなければならない理由なんて特にないはずなのよね……」
 ハンドルを握りながら和は密かに手に入れた捜査資料のコピーに書かれていた事を思い出す。殺された二人に共通点はなく、そして殺されなければならない理由もない。そもそも二人の殺され方が異常だ。片や手足や首をねじ切られ、片や頭蓋骨を左右から圧迫されて粉砕。どちらも人間業ではない。
「やっぱりあの日見た虎男と同じ獣人……」
 人間ではない何か別の獣に変化出来るような奴がこの海上都市には存在している。そいつらならばこの犯罪は不可能ではない。だが、一体何のためにそんな事をしなければならないのか。何か目的があるのか、それとも単なる自己顕示のためか。どっちにしろ犯人がそう言った類ならばただの人間である彼女に、いやセレスティアスシティポリスの警官達に逮捕出来るのだろうか。決して不可能ではないだろうが多大な被害が出る事だろう。それは一度そう言った類の獣人に殺されかけた彼女だけが確信できることだった。
「それにしても……本当に何なのかしら……」
 和の思考が謎の獣人の正体に向けられる。どう考えても自然に発生したものではないだろう。ヨーロッパなどには狼男などの伝承が伝わっているが、あれはあくまで伝承であり、科学的に実証されたものではない。今となっては実証の仕様もないのだろうが。だが、この最先端科学の粋が集まっている海上都市ならば、そう言った伝承に過ぎなかった狼男なども人為的に再現する事が不可能ではないはずだ。
「とりあえず明日は……」
 遺伝子操作などに関する企業や研究所などを中心に調べてみよう。その為にも早くセレスティアスシティポリス本部にある自分に宛われたオフィスに戻ってその辺のところをリストアップしなければ。そう思い、和はアクセルを踏み込む。
 夜のハイウェイは思いの外空いており、和の運転するミニパトはすいすいと目的地である<アイランド5>へと向かって進んでいく。この調子だと後三十分もあれば本部に着くだろう。オフィスで調べものをしても充分与えられたマンションに帰る時間はありそうだ。今日はゆっくりベッドで寝る事が出来るだろうと和の顔が少し弛んだ時だった。ミニパトの進行上に何処からともなく一人の小柄な男が姿を現したのだ。
 男の姿を確認して、慌ててブレーキを踏む和。ハイウェイとは言え、今彼女が走っていたのは一車線しかない場所、ハンドルを切ってかわす事が出来ないのだ。だが、その男はあろう事か和の運転するミニパトに向かって走り出した。ブレーキを踏んだとは言え、結構スピードが出ていたためこのままでは間に合わない。男が吹っ飛ばされる瞬間を想像して思わず和は目を閉じてしまう。
 しかし、男はミニパトにぶつかる直前でジャンプし、ボンネットの上に飛びあがると両腕を広げて屋根に捕まった。そのままガシッと強い力でしがみつき、ミニパトが止まるまで耐え抜く。
 地面にタイヤ痕を残しながらミニパトが完全に停止した。何かにぶつかったような衝撃はなかったからあの男を撥ねていないはずだと思いながら恐る恐る和が目を開けて、正面を確認しようとする。彼女の視界に飛び込んできたのはフロントガラス一杯にしがみついている男の姿。その男が屋根を掴んでいた手を離し、フロントガラスの向こうにいる和を見た。そしてニヤリと凶悪な笑みを浮かべる。
 その笑みを見た瞬間、和はこの男の凶暴性と異常性を悟った。このままだと自らの身が危ないと思い、慌ててシートベルトを外そうとする。だが、それよりも先に男が毛むくじゃらの腕を振り上げ、拳をフロントガラスに叩き込んできた。恐ろしい事に、その一撃でミニパトのフロントガラスに大きなひびが入る。
 男が何度も何度も拳を叩きつけ、どんどんフロントガラスにひびが広がっていく。もはやガラスとしては役にたたない程ひびが入り、白くなってしまったフロントガラスを見ながら和は必死でシートベルトを外そうとする。だが焦っているのかなかなか上手くシートベルトをはずせない。そうこうしている間に男の拳がフロントガラスを突き破った。
「ひぃっ!?」
 目の前に飛び込んできた毛むくじゃらの手に和は短い悲鳴を上げてしまう。シートベルトを外すのを一旦止め、助手席においてあったハンドバックをたぐり寄せ、その中から拳銃を取り出した。日本で使っていたリボルバータイプではなく、オートマチックタイプの拳銃。その口径も大きめで威力も上がっている。そんな拳銃を手にした和は迷うことなくその銃口をひびだらけで白くなったフロントガラスに向け、引き金を引いた。一度は二度ではない。装填されている全ての弾丸を撃ち尽くすまで引き金を引き続ける。何発目かで目の前まで迫っていた毛むくじゃらの手が外へと引っ込んでいった。弾丸の直撃を受け、吹っ飛ばされたのだろう。
 全ての弾丸を撃ち尽くし、空になった弾倉を引き抜いた和はハンドバックの中から予備の弾倉を取りだした。すぐさまそれを装填し直すと、今度こそシートベルトを外す。何発の弾丸が命中したのかわからないが、素手で車のフロントガラスを突き破るだけの力を持った相手だ。弾丸だけでどれだけのダメージを与えられたかわからない。警戒しながらミニパトの外に出ようとすると、彼女が開けるよりも早くドアが無理矢理開かれた。いや、正確に言うならばドアは開かれたのではなく、有り得ない程の怪力によって強引に引き千切られたのだ。
 驚きのあまり言葉も出ない和。そこに引き千切ったドアを投げ捨てた腕がにゅっと伸びてきて、彼女の胸ぐらを掴みあげた。そして彼女を無理矢理車の外へと引っ張り出し、そのままの勢いで路上へと投げ飛ばす。
 アスファルトの路上に叩きつけられ、その上を転がる和だったがその勢いを利用してすぐさま起き上がる。幸いな事に持っていた拳銃は手放していない。起き上がったのと同時にその銃口をミニパトの側にいる男に向けた。
「動くな!」
 鋭い声で和が叫ぶ。その声で相手が動きを止めるとは考えていない。単純に職務上の観点からそう言っただけに過ぎないのだ。だからこそいつでも引き金を引けるよう指に力を込めておく。
 一方、声をかけられた男は自分に銃を向けている和を見て、ニヤリと笑った。今まで殺してきた奴らと違ってなかなか骨のありそうな相手だ。女ではあるが、これなら充分楽しめるだろう。そんな事を考えながらミニパトの側から歩き出す。彼女の発した警告など元より聞くつもりはなかった。
「それ以上近付くと撃つわよ!」
 ニヤニヤ笑いながら近付いてくる男に和は不気味なものを感じ取る。先程も感じたこの男の異常性と凶暴性、それを改めて思い出してしまったのだ。この男には如何なる説得も警告もきっと無意味。自らの衝動のみに従う、この危険な男を止めるためには実力行使しかない。
 とりあえず警告代わりに、それが無駄だとはわかっていながらも近付いてくる男の足下に銃弾を撃ち込む。だが、男はそんなものでは足を止めなかった。それどころか楽しげな笑みを浮かべて和に向かって走り出す。
「くっ!」
 突っ込んでくる男に向かって、今度は容赦なく弾丸を撃ち込む和。狙ったのは相手の動きを止めるためと比較的狙いやすい胴体。何発か命中するが、男は足を止めることなく和に迫り寄り、彼女が持っている拳銃を足で蹴り上げた。
「あうっ!?」
 和の手から拳銃が放れ、遙か後方の路上に落下する。彼女がそれを確認するよりも先に男の手が伸び、彼女の胸ぐらを掴んで力任せに投げ飛ばした。小柄な男はその体型に似合わずかなりの力を持っているらしく、和の身体が軽々と宙を舞う。そのまま彼女はミニパトのボンネットとフロントガラスの上へと叩きつけられた。
「がはっ!」
 背中を強打し、一瞬呼吸が詰まる。すぐに身体を起こそうとするが、激痛がそれを邪魔して指一本動かせない。それでも何とか首だけを上げて和は自分を投げ飛ばした男の方を見た。
 男はミニパトのボンネットとフロントガラスに半ばめり込むような形になっている和を見てニヤニヤ笑っている。何がそんなに楽しいのかは勿論和にはわからないが、とにかく楽しそうだ。
 少しの間、男は和が動くかどうかを確認するように見つめていたが、やがて彼女が動けないと言う事を悟るとゆっくりとだが、彼女に向かって走り出した。このままとどめを刺そうと言うつもりらしい。動けない和など、車のフロントガラスを素手で突き破り、ドアを軽々と引き剥がす怪力を持つ彼ならば赤子の手を捻るよりも容易く死に至らしめる事だろう。
 和の方も男の意図がわかったのだろう、何とかして逃げ出そうとするが、身体は少しも彼女の言うことを聞いてはくれない。もしかしたら脊椎か何処かを痛めたのかも知れない。もしそうなら、これからの生活に支障が出るだろう。もっともその心配も今この危機を見事乗り越えられたらの話だが。
(こんなところで……!)
 この海上都市に来てから死がすぐそこまで迫ってくるのは二度目だ。一度目は謎の骸骨の怪人に助けられたが、今回も同じように助けが入るとは考えられない。そこまで運がいいとは思っていない。
 だが、こんなところで死にたくない、死ぬ訳には行かないと言う思いがある。ある日突然失踪し、今も行方不明の姉妹を見つけるまでは絶対に死ねないと和は思っているのだ。
(唯と憂を見つけるまでは死ねるわけないでしょうが!)
 心の中でそう思うのだが、それでも彼女の身体は動かなかった。
 その間にも男は和のすぐ側まで迫り、両方の拳を握りしめて大きくジャンプする。上からその怪力でもって和を叩き潰そうと言うのか。動けない彼女にかわす術はなく、直撃を受ければ軽くても内臓破裂と背骨の破損、下手をすれば身体を真っ二つにされてしまうだろう。
(ごめん、唯! 憂! あなた達を見つけてあげられなかった!)
 自らの身に起こるであろうそう遠くない未来の悲劇に流石の和も思わず目を閉じてしまう。後悔する事はただ一つ。行方不明の姉妹を見つけだせなかった事。それだけが無念でならない。
 しかし、次の瞬間、ダァンッと物凄い音が聞こえて来、一瞬遅れて「ぐへぇっ!」と言う悲鳴のような呻き声のようなものと何かが地面に叩きつけられるような音が和の耳に飛び込んできた。そして、更に。
「大丈夫?」
 こちらを気遣うような声が聞こえてきたので、和が恐る恐る目を開けてみると自分のすぐ側に黒いライダースーツを身に纏い、サングラスをかけた女性がショットガンを片手に立っているのが見えた。彼女は空いている方の手を和に向かって差し伸べながらも、じっと視線は別のところへと向けている。その視線を追ってみると、つい先程まで和を殺そうとしていた男が地面に踞って倒れているのが見てとれた。
「立てる?」
「あ……は、はい……」
 まだ身体中に激痛は残っていたが、どうにか身体は動かせた。幸いにも脊椎などに損傷はなかったようだ。つい先まで動けなかったのは一時的に神経が麻痺していた所為だろう。ライダースーツの女性の手を借りて和は何とか身体を起こし、地面に降り立った。
「はい、これ」
 ちょっと足下がふらついている和にライダースーツの女性は右の太股に取り付けてあったホルスターから大きめのオートマチックの拳銃を取り出し、手渡した。和が持っていたものよりも口径は大きく、如何にも殺傷力の高そうな代物だ。
「え?」
「あんなもんで死ぬようなヤワな奴じゃないからね。ま、こいつが通じるかどうかも怪しいけどないよりはマシでしょ」
 ライダースーツの女性はそう言うと持っていたショットガンを倒れている男の方に向けた。
「あのさ、わかってんだからさっさと起きたらどう? 私達が油断するのを待っているなら無駄ってもんよ」
 一体どう言う事なのかまるでわかっていない和の横でライダースーツの女性がそう言うと、その声に反応したのか倒れていた男がむくっと起き上がった。そして何事もなかったかのようにゆっくりと立ち上がる。
「うひゃ〜……そうだろうとは思ってたけど、まさか本当に無傷だなんてね。使ったのスラグ弾なのに、本当に化け物だわ」
 立ち上がった男が無傷である事に、一応驚いたような声をあげるライダースーツの女性。だが、その口振りからは男が無傷である事を予想していた節がある。
 ちなみにスラグ弾とはショットガンから発射される単発弾だ。広範囲に飛び散る散弾とは違い、単発なのでその一点における破壊力はかなりのもの。熊やイノシシなどの大型の獣を撃つ場合に使用されるものだ。
 彼女の口振りからするに、あの男は和に襲い掛かる寸前でそのスラグ弾の直撃を受け、吹っ飛ばされたのだろう。大型の獣を打ち倒す威力のある弾丸を喰らって無事であるどころか無傷。ここまで来るとあの男がただの人間であるとは思えない。
「そろそろ正体を見せたらどう? 化け物さん?」
 ライダースーツの女性が挑発的にそう言うと、男は無言のまま首にかけていたペンダントをとりだした。それは天使の羽根の下に小さなベルの取り付けられたペンダント。そのベルを男は躊躇無く引き千切る。するとそのベルから超音波が発せられ、男の身体に変化を与え始めた。
「あれは……!」
 和は以前にも男が身体を変化させていく光景を見た事がある。あの時とまったく同じように、目の前の男もその身体をどんどんと異形の姿へと変化させていった。全身の筋肉が異常な程に盛り上がり、小柄だった体格が見る見るうちに巨大化していく。着ている服がビリビリに破れ、黒く濃い体毛に覆われていく。その顔面は人間のものから退化していくように猿に近いものとなり、さながら類人猿そのものと化していった。
「ウォォォォォォォォォッ!!」
 分厚くなった胸板を反らせ、威嚇するように長い腕で叩く。それはゴリラそのものと言っても過言ではない姿だ。
「成る程、あの分厚い胸の筋肉で弾丸を全部受け止めていたって訳か」
 ライダースーツの女性が言う通り、ゴリラと化した男の胸板にはいくつもの弾丸が突き刺さっていた。その大半が和の撃ち込んだもので、一つだけ大きいものがあったがそれがライダースーツの女性が撃ち込んだスラグ弾なのだろう。
「さて、こいつで何処までやれるか……そこのあんた、動けるか?」
「はい、大丈夫です」
 口ではそう言ったが、まだ足はふらついているし、背中も痛みを訴えている。おそらく体調が万全な時の三分の一も動けないだろう。しかし、それでも和はそう答えた。あのゴリラ男が狙っていたのは自分でライダースーツの女性はそれを助けてくれた。その彼女の足を引っ張る訳には行かない。
「あのゴリラ野郎をぶっ飛ばすよ!」
「はい!」
 走り出すライダースーツの女性。ゴリラ男の左手側を回り込むように走りながら、ショットガンを連発する。走りながら反動の大きいショットガンを連発しているのでその命中率は低い。だが、彼女はそんな事お構いなしに装填されている分を全て撃ちきるまで、引き金を引き続けた。
 一方和はその場に片膝をつき、両手でライダースーツの女性から渡されたオートマチックを構え彼女の援護を行っていた。足がふらつき、まともに走れない以上こうやって遠距離からの援護に徹しようと考えたのだ。
 だが、離れた場所にいた彼女だからわかった事がある。ライダースーツの女性が連射しているショットガンから放たれるスラグ弾、外しているものも多いが、命中しようとしているものもゴリラ男は器用にその手で弾き落としているのだ。更に和が牽制の為に放った弾丸はかわそうともしない。そもそもスラグ弾の直撃すらものともしない鋼鉄の筋肉を持つのだ、ただの弾丸などかわすまでもない。つまり、ゴリラ男は全くの無傷なのだ。
「ソの程度デ」
 ゴリラ男はそう言うと、その長い両腕を大きく振りかぶった。そしてそのまま一気に路上へと向かって振り下ろす。
「こノ俺ヲ止めラレるカ!」
 ゴリラ男の手がアスファルトに叩きつけられた瞬間、その場所を中心にして衝撃波が広がる。それが未だ足を止めていなかったライダースーツの女性と片膝をついていた和を容赦なく吹っ飛ばした。
「くっ……やってくれんじゃないの!」
 地面に叩きつけられながらも、ライダースーツの女性はすぐに起き上がった。手から放す事のなかったショットガンの空薬莢を捨て新たな弾丸を込め直すと、ゴリラ男に向かって走り出す。勿論、ショットガンを連射しながら、だ。
「こちとらテメェのような化け物相手にやり合うのは慣れてんだよっ!!」
 そう言いながらライダースーツの女性がゴリラ男との距離を詰めていく。鬼気迫る迫力でゴリラ男に迫り寄るが、そのゴリラ男は彼女の放ったスラグ弾を全て手で払い落とし、彼女が近付いてくるのを待ち受けていた。
「マずはオ前カら殺しテやルッ!」
 ゴリラ男が吼えるようにそう言い、両腕を広げた。このままライダースーツの女性が突っ込めば、火中に飛び込む夏の虫のごとく、ゴリラ男の腕に捕らわれ、押し潰されてしまうだろう。
 それがわかった和は痛む身体を堪えて立ち上がると、銃を構えて走り出した。少しでもゴリラ男の気を引かなければ、あの女性が死んでしまう。例え銃弾が通じなくても気を引く程度の事は出来るはずだと信じて、装填されている全ての弾丸を使い果たす。だが、それでもゴリラ男の注意を引く事は出来ない。
「死ネ、女!」
 充分腕が届くと判断したのだろうゴリラ男がニヤリと笑ってそう言った瞬間、ゴリラ男の視界からライダースーツの女性の姿が消えた。
「何っ!?」
 思わず驚きの声をあげるゴリラ男。
「こっちだよ、このゴリラ野郎ッ!」
 突如背後から聞こえてきたその声にゴリラ男が振り返った瞬間、その顔面に何かが叩き込まれた。それはライダースーツの女性が密かに用意していたブラスナックル。更にその先端部にはショットガン用の炸薬が三つもセットされている。その炸薬がゴリラ男の顔面で爆発した。
 全身を鋼のような筋肉で覆っているゴリラ男と言えども零距離、しかも鍛えようのない顔面を狙われてはたまったものではないらしい。爆発の衝撃にゴリラ男は顔面から白い煙を上げながらフラフラと後ろへ後退し、そのままドオッと倒れる。
「やった……?」
 倒れたゴリラ男を見て和がそう呟くが、ライダースーツの女性は油断せずに倒れているゴリラ男の方を見つめている。見つめながら手にしていたブラスナックルを外し、新たなブラスナックルを手につけた。今度のものには炸薬が取り付けられておらず、細いコードが彼女の腰につけられている小さな箱状のものへと繋がっていた。
「さっさと起きろ、ゴリラ野郎。あんなもんで死ぬようなタマじゃないでしょうが」
 そう言ってライダースーツの女性は少し後ろへと下がった。直後、彼女の元いた場所を物凄い勢いでゴリラ男の腕が通過していく。もう少し彼女が後ろに下がるのが遅ければ、彼女はその身体を叩き折られていたに違いないだろう。
「けっ、この化け物が……!」
 むくっと起き上がったゴリラ男を見て、吐き捨てるようにライダースーツの女性が言い放つ。ゴリラ男の顔はひどく焼け爛れ、見るも無惨な姿となっていた。それでもその目は異妖なまでに爛々と輝き、自分を傷つけたライダースーツの女性に対する怒りに燃えている。
「殺ジでヤる……」
 ゴリラ男はそう言うと、両腕を広げてライダースーツの女性に猛然と襲い掛かった。
 その腕をかいくぐり、ライダースーツの女性がブラスナックルをはめた右拳をゴリラ男の胸板へと叩きつける。拳銃だけでなくショットガンによる攻撃すら通じなかった鋼の筋肉だ、ただ殴ったところでダメージなど与えられる訳もない。だが、彼女もその辺の事は織り込み済みだった。
 ブラスナックルがゴリラ男の胸板にぶつかった瞬間、そこにそこに物凄い電流が流れたのだ。それはスタンガンなどものともしない程の電圧で、人間に使えばショック死は免れない程のもの。ライダースーツの女性は腰につけたバッテリーからの電力供給でブラスナックルを強力なスタンガンへと変えたのだ。
 心臓に程近い位置に想像を絶する電気ショックを受け、ゴリラ男の動きが止まる。がくっと肩を力無く落とし、振り上げていた腕もだらりと垂れ下がる。いくら筋肉を鍛えようとも電流を防ぐ事が出来る訳ではない。さしものゴリラ男も強烈な電気ショックの前に遂に敗れ去ったのか。
 離れたところからじっと様子を見ていた和は、今度と言う今度こそゴリラ男を倒せたと思った。いや、思いたかった。しかし、彼女の期待を裏切るようにゴリラ男は身体を起こすと自分の懐に入り込んでいるライダースーツの女性の身体を掴み上げ、思い切り投げ飛ばす。
 物凄い勢いで吹っ飛ばされていくライダースーツの女性だったが、空中でうまく姿勢を変え、何事もなかったように着地する。
「チィッ、こいつでも効かないってか!」
 そう言って女性は手にしたブラスナックルを投げ捨て、腰の後ろのホルスターから大口径の拳銃を取り出した。和に渡したオートマチックではなくリボルバータイプ。50口径という現状で世界最強の威力を持つリボルバーだ。
「ならこいつならどうだっ!!」
 世界最強の威力があると言う事は、その分反動も大きいと言う事。44マグナムを撃てる銃でもその反動は半端ではないと言うのに、これが50口径となると更に反動は大きくなる。男性でもその反動で肩を外してしまう人がいると言うのに、それを女性の身で扱えるのか。
 結論から言うと、彼女は見事にその銃を使いこなした。だが、弾丸が発射された時の反動で彼女自身は後ろへと吹っ飛ばされてしまう。更に発射された弾丸は残念ながらゴリラ男に命中する事はなかった。撃った時の反動で銃口が上を向いてしまい、ゴリラ男の頭上を飛んでいってしまったのだ。
 おそらくはこの50口径リボルバーが最後の手段だったのだろう。無様にひっくり返った女性が、顔を上げ、引きつり気味の笑みを浮かべる。
「あっちゃあ〜……流石にこれはやばいかな」
 そう言ってチラリと和の方を見やる。今のうちに逃げろとでも言いたそうな顔だ。だが、それに対して和は首を左右に振った。何処の誰だかわからないが、自分を助けてくれた恩人を見殺しにして助かる気はないらしい。
(あのバカ……!)
 小さく舌打ちしながら女性は少しずつ迫り寄るゴリラ男の方を見やる。自分一人なら何とでもなる。事実、今までこう言った危機を何度も迎え、その都度切り抜けてきた。もっともあの頃は頼りになる仲間がいたのだが、その仲間がいなくてもこの程度の危機は切り抜けられる自信がある。
 だが、一人ではなくもう一人、しかもほとんど無力な人間が側にいるとなると話は別だ。彼女に渡した拳銃の弾丸は全て撃ち尽くされてしまっている。もはや彼女は何の抵抗も出来ない一般人そのものだ。彼女を守り、そして自身もこの危機を切り抜けるとなるとかなり難しい。
(ここにあいつがいたら……)
 一瞬、頭の中をかつて女性と共に何度も危機を乗り越えた仲間の顔がよぎる。今は何処にいるのはわからない仲間だが、そいつがいればこんな状況でも確実に何とか出来ただろう。
(くそっ……もう駄目か!?)
 目の前までやってきたゴリラ男を見上げつつ、女性が悔しげに顔を歪めたその時だ。道路を物凄いスピードで逆送してやってきた何かがゴリラ男を豪快に跳ね飛ばす。
「……間に合った……みたいだね」
 ぼそりと呟くような声が女性の耳に飛び込んできた。そこにいたのは漆黒のバイクに跨った漆黒のコートに身を包んだ人物。その頭部は髑髏を思わせる不気味な仮面に覆われている。
「骸骨の……怪人……」
 驚きを隠しきれないと言う感じで和が呟く。つい先日、ネットで検索したこの<セレスティアスシティ>の都市伝説に出てくる骸骨の怪人。実物を見たのはこれで二度目になるのだが、何故か少しの違和感を感じてしまう。
 一方、骸骨の怪人が乗るバイクによって吹っ飛ばされたゴリラ男はアスファルトの地面の上を何度かバウンドした後、アスファルトの地面に爪を立てるようにして無理矢理身体を止めた。ゆっくりと顔を上げ、自分を跳ね飛ばした黒いマシンとそれに載る髑髏の仮面を被った怪人を見つけると、ギリッと歯を噛み締めた。そして全身のバネを利かせて、弾け飛ぶかのように骸骨の怪人に向かって飛びかかっていく。
 物凄い勢いで飛びかかってくるゴリラ男を見て、骸骨の怪人は漆黒のマシンをゴリラ男の方に向かって発進させる。迎え撃つように前輪を跳ね上げ、それでゴリラ男の顔面を殴りつけたが、加速が足りなかったのか逆にマシンごと吹っ飛ばされてしまう。
 大きく宙を舞う漆黒のマシン。そのシートの上に素早く立ち、骸骨の怪人は左腕を伸ばした。そこからフック付きのワイヤーが射出され、離れたところにある街灯に巻き付く。
 骸骨の怪人はワイヤーを巻き取らせながらジャンプ、吹っ飛ぶマシンから離れながら空いている右手でナイフを取り出し、ゴリラ男に向かって投げつけた。漆黒の刀身、柄頭には髑髏のレリーフの取り付けられたスローイングナイフだ。
 ゴリラ男が飛んでくるナイフを手で振り払おうと右手を伸ばした瞬間、ナイフに取り付けられている髑髏のレリーフの目が光る。続けて起こったのは爆発。
「ウガアァァァッ!!」
 極至近距離で爆発を喰らったゴリラ男が吹っ飛ばされながら絶叫をあげる。かなりの爆発だったのだろう、一番近いところにあった右腕は軽く焼き焦げていた。更に身体中に生えている体毛に引火したのか、あちこちで小さな炎が上がっている。
 地面に叩きつけられたゴリラ男が身体についた火を消そうとのたうち回っているのを見ながら骸骨の怪人はアスファルトの上に降り経った。感情のない赤い目が暴れ回るゴリラ男を見据えている。
「無様だね」
 ぼそりと、だが確実にバカにしたように骸骨の怪人がそう言い放つ。
「貴様ァァァァッ!!」
 骸骨の怪人の呟きが聞こえたのか、ゴリラ男が目を血走らせながら骸骨の怪人を睨み付ける。続けて跳ね上がるように起き上がると、地面を蹴って骸骨の怪人に向かって突っ込んでいった。
 それを見た骸骨の怪人は猛然と迫りくるゴリラ男に構わず、先程投げ、ゴリラ男にダメージを与えたのと同じナイフを取り出すとそれをすぐ足下に投げ落とした。そして左腕を後方に向かって伸ばすと、すぐさまフック付きのワイヤーが射出される。そのワイヤーが遙か後方にある街灯の柱に巻き付くと同時に骸骨の怪人がジャンプした。すぐさまワイヤーが巻き取らせ、それにあわせて骸骨の怪人が後方へと飛んでいく。
 逃げるように飛び下がる骸骨の怪人を見ながらゴリラ男は寸前まで骸骨の怪人がいた場所へと着地する。もう少し早ければ骸骨の怪人をその腕の中へと捕らえる事が出来、背骨を一瞬で粉砕する事が出来ただろう。だが、実際には骸骨の怪人はゴリラ男の意図を見抜いたかのように既に後方へと下がってしまっている。いくら馬鹿力があろうともこの様に距離を取られてしまっては、その力は何の役にもたたないのだ。
「逃ゲルなっ!」
 吼えるようにゴリラ男が骸骨の怪人に向かってそう言い、骸骨の怪人の元へと再び飛びかかろうとした瞬間、その足下のアスファルトに突き刺さっていたナイフが爆発した。
 つい先程も自分を吹っ飛ばしたのと同じ規模の爆発。足下で起こったその爆発に巻き込まれ、ゴリラ男の空が宙を舞う。鋼の筋肉を持つ肉体でも爆発の衝撃までは殺せなかったらしい。
 為す術なく吹っ飛ばされるゴリラ男。それを見た骸骨の怪人は更なるナイフを取り出し、ゴリラ男に向かって投げつけた。しかも一本だけではなく、今度は三本連続で、だ。
 爆発の衝撃で軽く意識を失っていたゴリラ男の身体に次々とナイフが突き刺さる。そして、一瞬の後に連続して爆発が三度起こった。勿論、爆発の規模は今までと変わらない。それが至近距離とか足下とか言うレベルではなく、零距離で、しかも三連続で起きたのだ。大きく吹っ飛ばされ、アスファルトの路上に叩きつけられたゴリラ男はボロ布のようになって身体中をピクピクと痙攣させていた。

「な、何なの……一体……?」
 突然現れた骸骨の怪人が一方的にゴリラ男を吹っ飛ばしているのを和は呆然とした面持ちで見ていた。正確に言えば見ていることしか出来なかったのだ。
 つい先日、虎に変化する男に襲われた時に現れた髑髏の仮面の人物と姿は同じ。髑髏を思わせる形状の仮面に黒いコート。だが、その戦闘スタイルは全然違う。
 虎男と戦っていた髑髏仮面は右手に大きな剣を持っており、それを活用した接近戦を主としていた。しかし、今目の前で戦っている骸骨の怪人は爆薬を仕込んだスローイングナイフを主とする遠距離戦を行っている。更に左腕にはワイヤーの射出装置を仕込んでいるようだ。
 どちらも姿形は同じなのに、和にはどうしても同じ人物とは思えなかった。理由は彼女自身にもわからないのだが。
「ははっ、噂には聞いてたけど……こりゃ凄いねぇ」
 そんな声が聞こえてきたので振り返ってみると、すぐ側にはライダースーツの女性が苦笑を浮かべながら立っていた。
「あなたは……」
「今はあたしの事なんてどうでもいいじゃんか。それより見なよ。そろそろ終わりそうだからさ」
 女性がそう言って指差した先ではゴリラ男がフラフラしながらも立ち上がろうとしていた。
 零距離での爆発はゴリラ男の鋼の筋肉に多大なダメージを与えていたようで、身体のあちこちから煙を上げている。更に足下にはぽたぽたと血が流れ落ち、目を凝らして見てみると三カ所程大きく肉が削げ落ちているのがわかった。おそらくその三カ所がナイフの刺さった場所なのだろう。
 ほとんど瀕死の状態だったが、それでもまだゴリラ男の目には光がある。ダメージは絶大だったが、まだ致命傷には至っていない。身体もまだ動く。ならば骸骨の怪人と戦える。骸骨の怪人を捻り潰すことが出来る。そう思っているのだ。
 だが、そんなゴリラ男を眩い光が照らし出した。その眩しさに思わず左手で顔を覆ってしまう。そこに聞こえてくるエンジンの音。
 はっとなったゴリラ男が大急ぎで手をどける。見えたのは漆黒のマシンに乗った骸骨の怪人が自分に向かって物凄いスピードで突っ込んでくる姿。骸骨の怪人の手にはいつの間にか刃渡り三十センチを超える大振りのナイフが握られていた。闇に溶け込むように黒い刀身を持つナイフがすれ違い様に一閃される。
 ゴリラ男には何が起きたのかほとんど理解出来なかった。眼鏡をかけた女刑事を殺すためにやってきて、それをライダースーツを着た謎の女に邪魔をされ、最後に突然現れた髑髏の仮面を被った謎の人物に問答無用で吹っ飛ばされ、そして。
 キキィッと甲高いブレーキ音を響かせながら、ゴリラ男の後方で漆黒のマシンが停止する。骸骨の怪人がほんの少し、チラリとだけゴリラ男の方を振り返った。
 和とライダースーツの女性もじっとゴリラ男の様子を見守っている。
 三つの視線が集中する中、ゴリラ男はただその場に立ち尽くしていた。ピクリとも動かず、ただ、その場に仁王立ちしているだけ。
「……闇の住人は」
 不意にそんな声が聞こえてきた。静かに、ぼそりと呟くような声だったが、何故か和の耳ははっきりとその声を捉えていた。
「闇に帰れ」
 それだけ言って骸骨の怪人が視線をゴリラ男から外す。そして漆黒のマシンのアクセルを回すと、後は振り返ることなくそのまま走り去ってしまった。
 和が去っていく漆黒のマシンとそれに乗る骸骨の怪人に目を向けた時、ごとりと何かが地面に落ちたような音がした。何気なく音のした方へと振り向くと、ゴリラ男の首から上がなくなっており、どす黒い血がそこから大量に流れ落ちている。足下に広がる血の海の中には切断されたゴリラ男の頭部が転がっていた。
「ひぃっ!!」
 思わず悲鳴を上げる和の前でゴリラ男の姿が変わっていく。元の人間の姿に戻っているのだ。ゴリラのようだった身体が毛深い、やや筋肉質な小柄なものへと変わり、足下に転がっている頭部もゴリラそのものだった感じから人間のものへと戻っていく。
 その顔を見て、和はこの男がホームレス殺害事件の時、港で自分とノートンをじっと睨むように見ていた男だと気がついた。しかし、一体どうしてこの男が自分を殺そうと狙ってきたのかまではわからない。更にこの男がこうして死んでしまった以上、ホームレスと大学生の殺人事件の真相は明かされることなく終わってしまうだろう。
「と、とりあえず連絡しなきゃ……」
 未だ仁王立ちしたままの首無し死体から目を離し、和はフラフラと半壊したミニパトの方へと歩き出す。<アイランド5>で起きた二つの事件の真実は永遠に闇の中だが、ただの人間が異常な程の力を持ち、更に獣人に変化することまで出来ると言う異常事態、あの男の死体を解剖するなりすればその解明にきっと役立つはずだ。そう思ってのろのろと痛む身体を引きずるようにミニパトに向かっていた、まさにその時だった。
 突然仁王立ちしていた男の身体を中心に爆発が起こり、その爆風に和は吹っ飛ばされてしまっていた。アスファルトの地面に叩きつけられながらも、何とか顔を上げると男が仁王立ちしていた辺りが爆発の衝撃でか、陥没してしまっている。その中心ではおそらく男の死体だったであろうものがメラメラと燃えていた。
「何で……証拠……隠滅……?」
 そう呟き、和は身体中の痛みと激しい疲労に意識を手放してしまうのだった。

To be continued...
 
THE Lady S
3rd Episode:Night of Beast Hunting―獣狩りの夜―
The END

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