「ゆ・う・い・ち・さ・ん」

突然後ろから声をかけられた。

まぁ、この声は知っている。

だから振り返らなくても誰が声をかけてきたかわかる。

「何の用だ、栞?」

俺は振り返らずにそう言った。

今は掃除の時間で俺たちの担当しているのは中庭。

サボろうと思っていたが学級委員でもある香里に見つかってこうして強制的に掃除をさせられている。

これでもし逃げようものなら後で香里に殺されるだろう。

事実脱走しようとした北川は既にゴミ箱行きだ。

そうなるのは俺自身としては辞退したいのでこうして不承不承ながら箒を持ち、やる気なさそうに掃除をしているのだ。

「流石は祐一さん、やっぱり私を愛してくれているんですね。振り返りもせずに私だってわかるんですもん」

栞がウットリとした声でそう言うのを俺はやっぱりやる気なさそうに箒を動かしながら聞いていた。

またサボっていたと思われ香里に酷い目に遭わされるのはゴメンだ。

事実先日掃除をさぼって遊んでいた北川が校庭の木に縛り付けられて千本ノックを受けていたし。

それはともかく、先程の栞の発言には何となく嫌な予感を覚える俺だった。

前々からテレビドラマ好きだし、少し夢見がちなところがあると思っていたがここ最近の栞ははっきり言うと変だ。

栞が復学してから何回か一緒に昼飯を中庭で食べているが、その時にも俺の方を見て変に陶酔していたり、一人で笑っていたり……何と言うか怖い。

「いや、声でわかるって」

念のためにそう言っておく。

「声で!? 声だけで私がわかるんですね!! やっぱりそれはもう愛だとしか言いようがありませんっ!!」

やたら感動的に、そしてオーバーに栞が言う。

何とも言えない脱力感を覚えて肩をガックリと落とす俺。

思わずため息まで漏れてくる。

「いやな、栞。別に愛だとかそう言うのでなくてもだな……」

そう言いながら振り返った俺を栞が手を突き出して制した。

「いえ、それ以上言わないでください、祐一さんっ! 私にはよく解っています……」

栞はそう言いながら目に涙を浮かべて首を左右に振る。

再び嫌な予感を覚える俺。

こう言う時の嫌な予感は何故か外れたことがない。

全く自慢にもならないが。

「居候の身分であるからと言う理由で名雪さんに脅されて恋人関係にされてしまっているけれど、本当はこの私だけを愛してくれていると言うのに、その名雪さんの監視の目がどこに光っているからわからないからそう言うことを言うんだって事は!!」

栞の台詞を聞いて豪快にずっこける俺。

その台詞を言った本人は自分の台詞に陶酔しているのかウットリとして目を閉じてさえいる。

「あ、あのな、栞……」

起きあがった俺が苦笑して何か言おうとすると栞は俺の方を向いて真剣な目をして話しかけてきた。

「祐一さん」

「お、おう」

その栞の目があまりにも真剣だったので俺は少し戸惑ってしまう。

「……」

「……何だ?」

栞がじっと俺を見つめたまま黙っていたので俺の方から口を開いた。

「……すいません、思わず見とれちゃいました」

「あのな……」

照れたように頬を赤くして俺から目を背ける栞。

全く何なんだ?

「祐一さん」

再び真剣な目で俺を見る栞。

「お、おう」

今度は一体何だろうとちょっと身構えてしまう俺。

「今なら名雪さんはいません。脱出するチャンスです!」

拳をギュッと握りしめて力説する栞。

またガックリと肩を落とす俺。

そんな俺の手を取り、栞が駆け出そうとする。

「お、おい、栞!?」

走り出した栞につられて俺もバランスを崩し少しこけそうになりながらも走り出す。

「さぁ、祐一さん! 愛の逃避行ですっ!!」

ウットリと、陶酔しまくった表情で栞がそう言う。

……つーか待て!!

俺に逃げる理由は無いっ!!

俺は走る栞を無理矢理止めるように自分の足を止めた。

元々の体重差、それに何と言っても俺は男だ。

栞に引っ張られるような柔な身体はしてないはず………って何で引っ張られてますか、俺!?

あのちっこい栞のどこにそんなパワーが隠されていたんだ!?

「これこそ愛の力って奴です!!」

聞いてねー!!

「さぁさぁ祐一さんっ!! このまま二人で愛の国へとレッツゴーですっ!!」

ちょっと待て〜!!!

俺の……俺の意志はどこにあるんだ、それに!?

「祐一さんってば照れ屋さんですから、今は祐一さんの意志は無視しますぅ!!」

無視するなぁっ!!

「もう、祐一さんってば……本当に素直じゃありませんね」

栞はそう言って立ち止まった。

いつの間にか正門前まで来ている。

恐るべし、栞の愛の力。

と、そんな事に感心している場合ではない。

「なぁ、栞。一体どうしたんだよ、今日はいつもと違って積極的と言うか無茶苦茶だぞ」

俺が眉を寄せて怒っているぞ、と言う表情を浮かべながら栞に言うと栞は少し俯き気味に返事する。

「実は……」

小さい声でそう言う栞。

よく聞こえないな、と思った俺が少し屈み、栞に近寄ると。

すっと栞の手が俺の口を押さえた。

そこにあるのは白いハンカチ……何か薬品の匂いがするよーな……あ、何かぼうっとしてきた……。

つーか、これってもしかして………。

目の前の栞がニヤリと笑うのが見えた。

そしてそれきり俺は自分の意識が闇の中に落ちていくのを感じていた………。



ふらりと自分の方に倒れてくる祐一を受け止め、栞はにやっと笑い、そして密かに親指を立てる。

「祐一さん、ゲットですっ!!」

そう呟くと呼んでおいたタクシーに完全に眠ってしまっている祐一を運び込み、一緒に乗り込むのであった。

タクシーがそのまま校門から遠ざかっていく。

さて、その頃、教室では。

見事祐一の拉致に成功した栞の姉である香里が学級日誌をつけていた。

そこにドドドドドドと地響きを立てて一人のクラスメイトが戻ってくる。

ばぁんとドアを開くと中を素早く見回す。

「……どうしたの、名雪? 部活は?」

学級日誌にペンを走らせながら顔も上げずに言う香里。

「香里、祐一は?」

水瀬名雪はそう言いながら香里の席に近寄ってくる。

何故かはわからないが非常に焦っている、そう言う感じが彼女の全身から感じ取れた。

「………そう言えば戻ってきてないようね。掃除の時間はとっくに終わってるのに」

あまり関心なさそうに、と言うか関わりたくなさそうに素っ気なく香里は答えた。

そんな香里の態度の気付かず、名雪は自分の席(香里の一つ前だ)に近寄り、その隣の席にまだ鞄が残されていることを確認する。

「………やっぱり……そう言う予感がしたんだよ」

鞄の中身を確認し、それが自分の従兄弟で恋人でもある祐一のものだと確認した名雪はそう呟くと彼女が何をしているのか興味深げに見ていた香里を振り返った。

「……香里……付き合って貰うよ」

「……へ?」

名雪の言葉に香里はぽかんをした顔を見せるのであった。


美坂家探訪
〜もしくは名雪VS栞の果てしなき戦い〜


所変わって美坂邸の前。

ごく普通の一軒家である。

その玄関の前には妙に真剣な顔の名雪と疲れ切った表情の香里。

「ついたね」

「ええ、ついたわよ」

「そう言えば香里の家に来るのって初めてだね」

「今まで栞のこともあったし、一回も招待したこと無かったわね、そう言えば」

「うちにはよく遊びに来るのにね」

「おかげであのジャムを食べることになったけど」

「今度来る時にお土産として持ってくるよ」

「お願いだからそれはやめて……」

こんな会話が道中ずっと繰り広げられていたのだ、香里でなくても疲れるだろう。

珍しいことに香里の方が名雪に圧倒的に押されていたのも香里が疲れている一因だろう。

更に、これこそが最大の要因なのだろうが、今の彼女には名雪に対して物凄い引け目がある。

名雪の恋人である相沢祐一を事もあろうに香里の妹である栞が薬を使って誘拐していってしまったのだ。

栞も祐一のことが好きで、名雪と付き合っていることを知りながらも未だ諦めていない事は香里も知っていたがまさかここまで思い切った手段にでるとは思ってもいなかった。

始めは栞が祐一を拉致したと主張する名雪を軽くあしらっていたのだが、目撃者がいたらしく、それ以降は名雪にねちねちと責められてここまで来たのである。

それにここに来たのは理由がある。

栞の行動範囲はそれほど広い訳ではない。

おまけに祐一を薬で眠らせて連れているのである。

彼女が行く先は自分の家、つまりは香里の家しかないと名雪が推理したのだ。

「さてと、香里」

玄関のドアを見て、名雪が香里を促す。

「はいはい……」

すっかり諦めきった様子で香里がドアノブに手をかけるが鍵がかかっているらしく開かない。

「……え?」

何度もドアノブを回そうとするがやはり鍵がかかっているようだ。

「……おかしいわね。この時間なら栞だけじゃなくってお母さんもいるから玄関締めること無いはずなのに……」

そこまで呟いて香里ははっとなった。

栞が祐一拉致と言う強硬手段に出たのだ。

しかも(おそらくだが)祐一を家に連れ込んでいる。

つまり、両親は今家にいない。

きっと栞が上手く両親を家から追い出したのだろう。

「それは違います、お姉ちゃんっ!!」

いきなり二階の窓が開いて栞が顔を覗かせた。

何故か自信満々という表情で。

「な、何が違うって言うのよ、栞!?」

「お父さんもお母さんも私が追い出したんじゃありませんっ!! 忘れたんですか、今日がどう言う日か?」

そう言って栞がビシィッと香里に人差し指を突き付けた。

その栞の言葉を聞き、香里は何かを思いだしたようにその場にガックリと膝をついた。

「か、香里?」

「……忘れていたわ……」

慌てて声をかけてきた名雪に構わず呟く香里。

「……今日は……結婚記念日ね」

「そうですっ!! そもそもお姉ちゃんが『今度の結婚記念日は二人で何処か行ってきたら? 家のことは私と栞で何とでもするから。たまには二人っきりでデートってのもいいんじゃない?』って言っていたじゃないですか!!」

二階からやたら強気に栞が言い放つ。

「……それで……それでこう言う計画を……?」

「そうです! これぞ天の与えたもうた絶好の機会!! お父さんとお母さんの結婚記念日を私と祐一さんが本当の愛に目覚める記念日にせよという神様の与えてくれた最大最高のチャンスッ!!」

「……栞……あんたねぇ……」

「そう言う訳でお姉ちゃんはそこの無様な敗北者と一緒に何処か行ってきてください!! これからしばらく……お父さんとお母さんが帰ってくるまでここは私と祐一さんの愛の巣になるんです!! はっきり言って邪魔ですから帰ってこなくて結構です!!」

「邪魔……」

「敗北者……」

呆然と呟く香里と名雪。

そんな二人を勝ち誇ったように見下ろす栞。

「それじゃ私は祐一さんとの愛の語らいがありますからこれで。御機嫌よう〜♪」

栞は満面の笑みを浮かべてそう言い残すとぴしゃりと窓を閉め、そのまま奧へと消えていった。

「……邪魔……私が邪魔……」

可愛がってやまない妹にそう言われ、ショック状態の香里。

そしてその隣にいた名雪は身体を震わせていた。

「敗北者……無様な敗北者……?」

俯いているので彼女の表情は見えない。

が、ピクピク震える肩、その揺れ幅が少しずつ大きくなっている。

「人の恋人を拉致しておいてよくもそんなことを……!!」

名雪の声に香里が顔を上げた。

そこで思わずヒッと息を飲む。

あの、いつものほほんとしていると言うかぽわ〜としている名雪があからさまなまでに怒りの表情を浮かべている。

はっきり言って怖い。

「香里!!」

「は、はいっ!」

その名雪に呼びかけられ、思わず背筋を正してしまう香里。

「強行突破だよ!!」

「は、はい……?」

「強行突破するんだよっ! 祐一が……あの変態に何かされる前に取り戻すのっ!!」

「へ、変態って人の妹をあんた……」

「香里、返事はっ!!」

「は、はいぃっ!!」

今まで見たことのない鬼の形相の名雪に怒鳴られ、香里は思わずそう返事していた。



とりあえず玄関を持っていた鍵を使って開けた香里はドアを開けるとそっと中を窺ってみた。

香里が家の鍵を持っていることは栞も承知しているはずだ。

そして祐一が絡んだ時の名雪の変貌ぶりも栞は知っている。

玄関を閉めたぐらいで阻止出来るとは思っていないだろう。

強行突破してくることなど予想済……と言うか分かり切っているはず。

「……何しているの、香里?」

ジトーッと名雪が半眼で香里の背を見つめて言う。

一刻も早く祐一を栞の手から取り戻したい名雪は今すぐにでも中に飛び込んでいきそうな勢いだ。

だがそれを押しとどめているのは親友である香里に遠慮してのこと……だと思いたい。

「……栞ちゃんの為に時間稼ぎしているんじゃないよね?」

「あ、当たり前じゃない!! どう言う理由があるにせよ、あの子のやったことは相沢君の意志を無視しているし、あまりにも勝手すぎるわ。だから……」

「御託はいいから早く行こうよ」

「あうう………」

容赦のない名雪の一言に思わず泣きたくなる香里。

ドアを開けて一歩中に足を踏み入れると、その足に何かが引っかかった。

「え?」

香里が足元を見るとぴんと張った紐に足が引っかかっている。

嫌な予感を覚えるのと同時に香里の頭に飛び出してきた木の棒が直撃した。

バッターンともの凄い勢いで倒れる香里。

倒れた香里をよそに名雪が玄関に駆け込むと天井からおそらくは台所にあったものだろうすりこぎが吊されているのが見えた。

単純と言えば単純なトラップ、名雪に急かされた香里はそのトラップにあっさりと引っかかってしまったようだ。

「………やるね、栞ちゃん……」

どうやら相手は本気のようだ。

そう確信した名雪は更に闘志を燃やすのであった。

「さ、先に助けてよ………」

倒れた香里がそんな事を言っているがそれに関してはあっさりと無視の方向で。



とりあえず倒れた香里を助け起こした名雪は彼女を先頭に立てて美坂邸の廊下を歩いていた。

と言ってもそれほど長い廊下ではない。

だが栞が仕掛けたトラップがどこにあるか解らない為警戒しながら進むのでその歩みは遅い。

「て言うか、どうして私が先頭なのよ?」

「わたし、ここに来るの初めてだよ」

「栞の部屋の場所なら教えてあげたじゃない」

「香里、それは無責任ってものだよ」

「…………解ったわよ」

と、そう言って香里が壁に手をつくとガタッと言う音がした。

嫌な予感に上を見上げる香里。

だが、今度は足下の床板が外れた。

「ふえっ!?」

今度は後ろ向きに豪快に倒れる香里。

「わわっ!!」

倒れてくる香里を受け止めようともせずに素早くかわす名雪。

その為に思い切り後頭部を床にぶつけ、香里は悶絶する。

そこに追い打ちをかけるように天井から白い何かが降って来、見事に香里の顔面に直撃した。

と同時に香里の動きがぴたりと止まる。

恐る恐る名雪が倒れた香里に近寄り、彼女の顔面に付いている白いものを指で掬い取ってみた。

匂いをかいでみてからぺろりと嘗めてみると甘い。

どうやら生クリームのようだ。

どうやら廊下の床板に装置が仕掛けられていたらしい。

倒れたまま悶絶していた香里はそれを知らずに触れてしまっていたようだ。

「……ほ、本気のようだね、栞ちゃん……」

そう呟く名雪の脳裏に高笑いをしている栞の姿(何故か悪の女幹部風のボンテージ衣装に身を包んだ)が浮かび上がっていた。



「全く……ちゃんと助けてくれてもいいんじゃない?」

生クリームまみれの香里がそう言ってやっぱり先を進んでいる。

先に洗面所に寄ろうとした香里だが、祐一の貞操が心配だ、そんなことは後で良いと無理矢理名雪に押し切られ、今は階段の手前までやって来ていた。

この階段を上るともちろんだが2階、そこには両親の寝室と香里と栞の部屋があるだけだ。

栞のトラップはおそらくこの階段が最後のものとなるだろう。

ここを越えれば後は栞の部屋へ一直線だ。

「……この上よ。もういいでしょ。ここからは……」

早く生クリームを洗い流したい香里がそう言うが名雪はじっと香里を睨み付けるだけ。

はぁとため息をついて香里は階段を登り始めた。

丁度真ん中ぐらいまで来た時、香里は何やら足下で嫌な音がするのを聞き、思わず足を止めてしまう。

「……今度は何?」

そう呟いて上を見上げると、あまりにもお約束な展開が待っていた。

階段の上に何処から姿を現したのか、丁度この階段の幅ぴったりの球。

一体何処で調達してきたのだろう?

この場でこの時にそんな事を考えてしまう自分が少し悲しくもあり、自分らしいなとも思う。

思いながら、香里は転がり落ちてきた球に吹っ飛ばされていた。

ちなみに香里の後ろにいた名雪は香里が立ち止まると同時に階段を下り、ちゃっかり退避していたのだった。

ダンッと言う音と共にたまが廊下で一旦跳ね、そのまま転がっていったのを確認してからそっと顔を覗かせる名雪。

周囲を見回し、危険がないことを知ると廊下に倒れている香里に歩み寄った。

「香里、生きてる?」

そう言って香里の顔を覗き込むと彼女は口元を歪めて笑っていた。

「フフ……フフフ……フフフフフ……」

その不気味な笑みに思わず一歩退いてしまう名雪。

ゆらぁりと起きあがる香里。

「解ったわ。そっちが本気ならこっちも本気で行くわよ……覚悟なさい、栞」

そう呟いた後、名雪の方をキッとまるで睨み付けるように見る。

「何愚図っとしているの、名雪。行くわよ?」

「は、はいっ!!」

そのあまりにも酷薄な表情に思わず即答してしまう名雪。

香里は立ち上がるとその手に何処からともなく取りだしたメリケンサックをはめ、ずんずんと歩き出した。

ここからの彼女は無敵だった。

栞が家中に仕掛けたであろう罠をことごとくそのメリケンサックで粉砕し、あっと言う間に2階にある栞の部屋の前まで辿り着く。

「フッフッフ……ここがゴールね」

不敵な笑みを浮かべて香里が腕を組みながら呟く。

「あ、あの、香里……わたしが言うのも何だけど、穏便に行こうね、穏便に。ほら、栞ちゃんって妹なんだから……」

あまりにも怖い香里のキレように思わずそう言う名雪だが、香里はそんな名雪をギロリと睨み付けて黙らせる。

「名雪……私に妹なんかいないわ……そう、人の恋人を奪ったあげく邪魔をされない為に家中にトラップを仕掛けて実の姉をも抹殺しようとする妹なんか」

一気にそう捲し立て、香里は「栞の部屋」と書かれた木製のプレートのかかっているドアの方を向いた。

すぅっと息を吸い込んでから、彼女のメリケンサックのはまった右手が唸りを上げる。

バキバキバキッと言う音と同時にバチバチバチッと言う音が二階の廊下に響き渡った。

どうやら栞は最後の砦である自室のドアにもトラップを仕掛けていたらしい。

一応、香里もそれを警戒しての部に触らずドアをぶち破ると言う手段に出たのだが、どうやら栞はそこまで読んでいたらしい。

ドア全体に電気が流れるように仕掛けていたようだ。

流石の香里もこれには一溜まりもなかった。

しっかり感電し、その場に卒倒してしまう。

そんな香里を捨て置き、名雪は愛しの祐一が捕らわれているであろう栞の部屋の中を覗き込む。

だが、部屋の中は彼女の期待に反してもぬけの殻だった。

「………隠れた………その必要はない、か」

ドアの所から部屋の中を見回して呟く名雪。

部屋の中に入らないの箱のもぬけの空の部屋に何か仕掛けられていることを警戒してだ。

ぐるりと見回してみて解ったことは一つ。

この部屋に人二人が隠れるほどのスペースはほとんど無いと言うこと。

それに隠れる必要など無い。

彼女にしれば事が成就していれば後は見せつけてやればいいのだから。

悔しがる自分を見ればさぞ愉快なことだろう。

こっちにしては物凄く不愉快なことだが。

「ここじゃないとすると……」

足下でピクピクしている香里をよそに、名雪はそっと隣の部屋のドアに目をやった。

予想するまでもないが、隣の部屋のドアには「香里の部屋」と書かれた木製のプレートが吊り下げられてある。

無言でその前までやって来た名雪はおもむろにドアを開けた。

その部屋の中、ベッドの上にはパンツ一丁にされ、口には猿ぐつわまでされた祐一が後ろ手に縛られた状態で転がされており、その祐一にのしかかろうと栞がしているところであった。

しかも栞は下着姿である。

彼女はいきなりドアを開けて入ってきた名雪を見るとあからさまなまでに舌打ちして見せた。

「……チッ、もう来ちゃいましたか」

「生憎だけど栞ちゃん……祐一は返してもらうよ」

静かな笑みをたたえて名雪が至極落ち着いた声でそう言う。

「流石は名雪さん、祐一さんのことが絡むと人が変わるって事は知ってましたけどまさかお姉ちゃんをああも上手く使いこなしてくるとは思いもよりませんでした」

そう言ってベッドから降りる栞。

まだ決定的な事に及んでいなかったせいか、少し悔しそうでもあるが、顔には何故か自信に溢れた笑みを浮かべていた。

「……どうやら祐一の貞操は無事だったみたいだね。まぁ、栞ちゃんみたいに貧相なボディで祐一が誘惑されるとは思わないけど」

そう言って名雪は栞よりも大きい胸を自慢するように少し前に突き出した。

「そ、それはどうですかね、名雪さん。もうそろそろその身体にも飽き飽きしているんじゃないですか、祐一さんは?」

流石に胸のことを持ち出されると勝ち目がないので、あえて自分の若さを持ち出してみる栞。

「生憎だけどわたしと祐一は性格だけじゃなくって身体の相性もいいんだよ」

普段なら恥ずかしくてとても言えないことを平然と言う名雪。

それにそう言う実績もあるだけに自信たっぷりだ。

「まだ試していませんけど私の方がいいかも知れませんよ、身体の相性? どうです、祐一さん、試してみませんか?」

そう言ってちらりと後ろのベッドの上に転がされている祐一を見る栞。

その栞のとんでもない提案に、だが猿ぐつわをかまされている祐一はもがもが言うだけで答えらしき答えを口には出来ないでいる。

「そうやって祐一の自由を奪っている時点でもうダメダメだよ、栞ちゃん」

呆れたように言う名雪。

だが、その顔には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいる。

「あら……同じ家に住んで祐一さんを散々誘惑していた人の言葉とは思えませんね。知ってますよ。お風呂上がりにバスタオルだけで祐一さんの前を歩いたり、朝は寝たふりして起こしてもらうの待っていたり」

「……誰から聞いたの、それ?」

「企業秘密……と言いたいところですが種明かしをしてあげますね。名雪さん、あなたの家には案外簡単に物で吊られる人がいるって事、覚えていた方がいいですよ」

「………あの二人だね?」

「さぁて……そんな卑怯な名雪さんに、私が本当の愛ってものを教えてあげますね。そこで見ていてください」

栞はそう言うと祐一の方に振り返った。

「祐一さんはこの私の愛を受け入れてくれますよね?」

ニッコリと笑みを浮かべてそう言うと栞は祐一の上に飛び乗ろうとして、その肩を掴まれた。

訝しげに振り返るとそこにはいつの間にか自分と同じように下着姿になった名雪がニコニコ笑みを浮かべて立っている。

「栞ちゃん、いいこと教えてあげるね。わたしが祐一に対してそう言うことをするようになったのはごく最近のことだよ。わたしと祐一が、恋人同士になってからのこと」

ニッコリと笑いながら名雪は言い、栞を押しのけてベッドの上の祐一に飛びついた。

「だからこう言うことをしてもいいんだよぉ」

祐一の首に手を回して栞の方を見る名雪。

「な……ま、負けません!!」

これには流石に栞もムッとしたようだ。

顔を真っ赤にして、名雪に負けじと祐一に飛びついていく。

丁度祐一を挟んで右に名雪、左に栞という感じだ。

と、そこにようやく意識を取り戻したらしい香里が顔を覗かせた。

彼女は目を覚ますととりあえず栞の部屋の中を覗いてみたがそこには誰もいなかった。

それで何気なく自分の部屋の方にやってきて、そして見てしまった。

半裸の妹と親友が一人の男を挟んで、自分のベッドの上で寝そべっているその光景を。

「な……」

一瞬言葉を無くし、呆然となり、その後に沸き上がってきた感情は一つ。

猛烈な怒り。

自分を邪魔者と言い、家中に仕掛けたトラップで痛めつけてくれた妹。

自分を盾に家中のトラップをかわし、今は恋人と下着姿で抱き合っている親友。

妹に連れ去られて、恋人にここまでこさせて、そして何故か自分のベッドの上で妹と恋人に挟まれている下着姿の全ての元凶。

「な……何やってんのよぉっ!! あんた達はぁッ!!!」

香里の怒声が響き渡る。

誤解だ、全ては誤解だ、と祐一は叫びたかったが猿ぐつわをされている為何も言えなかった。

そして彼が最後に見たのは自分に向かって猛然と振り下ろされる香里の右の拳、メリケンサック付であった。



余談だが。

この日の誤解を解く為に祐一は何故か香里に数日間百花屋で好きなものを奢り続ける羽目になったという。

更に栞と名雪は1週間ほど口すら聞いて貰えなかったそうな。

「俺って被害者なはずなのに……」

どんどん軽くなる財布を片手に祐一がそう嘆いたとか。


後書き
と言うことで名雪VS栞シリーズの新作です。
何時の間にシリーズ化したのかは謎ですが。
今回のキモは栞でしょうか。
ここ最近暴走気味の彼女を書いていたのですが、それが極まったと言うか何と言うか。
と言うか、今回の登場人物、ほとんど暴走気味だなぁ。
祐一を奪い取る為に愛の暴走をかます栞、祐一を取られたが故に香里を徹底的に利用し栞には思い切り挑発的な名雪、そして可愛い妹に邪魔者扱いされ更にはその妹が家中に仕掛けたトラップに痛めつけられ遂にはキレてしまう香里。
うん、やっぱり全ての元凶にして一番の被害者は祐一だな。
睡眠薬嗅がされて連れ去られた上にパンツ一丁で縛り上げられたあげく香里に思い切り殴り飛ばされ、更には財布が空になるまで奢らされ続ける。
まぁ、半裸の女の子二人に抱きつかれたんだからそれくらいは当たり前か。
何て羨ましい奴。
……しかし、たまにはもっとまともなドタバタ劇を書きたいなぁと思う今日この頃でした。

脱稿 2004/05/18

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