トントントン……。
うむ、何と言うか、こう言う音が聞こえてくる台所というモノはいいものだ。
何と言うか久しく聞いていない音……物凄く久々にこう言う音を聞くな。
何せこの家の主は仕事が忙しく包丁を握って何か作るという時間は全く無いし(どっちかというと見たことがないだけかも知れないが。たまに料理、おいてあるからなぁ)、居候たるこの俺自身も包丁など握って何か作ろうと言う程料理が得意な訳ではない。まぁ、それなりに食べられるものを作ることはそれなりに可能だが。あくまでそれなり、だ。もっとも何処かの誰かのようにカップ焼きそばのお湯を捨てる前にソースを入れる程馬鹿じゃないからな。やれと言われればやれる、その程度に過ぎない。
まぁ、普段の食事はそれなりにまかなっている。何せお節介な幼馴染みがごく近所にいるからな。何つーか腐れ縁みたいな……そう言ったらあいつに悪いな。とりあえず俺自身が包丁を持って台所に立つことなどほとんどあり得ないと言うことだ。
トントントン……。
包丁の音は規則正しく聞こえてくる。何と言うか、あいつらしい几帳面な程規則正しく。流石は長森。何をやらせてもそつなくこなす。どこぞの男女とはえらい違いだ。…………まぁ、あいつが包丁など持った日には刺される第一候補は俺に違いないだろうが。うむ、あいつにはやはりそう言うのが似合う。乙女らしく憧れの彼にお弁当などと言うことをしたら、逆にそいつに腹痛を起こさせるに違いない。こんな事を本人には口が裂けても言えないが。
トン……トントン……トン。
………あ〜、何となくだが微妙に不安げな音が聞こえてきた。これは長森じゃない。包丁を持ったことがあるがそれだけ。本格的に料理などしたことがないのだろう。やったとしても学校の家庭科の授業ぐらい。そう言う感じがありありとわかる。
俺個人的にはあまり”そいつ”にそう言うことをやらせたくはない。何せそそっかしい上にドジだ。いつも元気で前向きなのはいいが、はっきり言って見ているのが怖い。”そいつ”のお袋さんに聞いたところ、あまり料理は得意じゃないらしい。……不器用そうだしな、本当に。そう言うところが可愛いと言えば可愛いんだが。
トン……トン……トン……ザクッ!!
「〜〜〜〜〜っ!!!」
「わわわっ!!」
台所から声にならない悲鳴と明確に慌てた声が聞こえてきた。
………遂にやったか………。
俺は自分の予想が当たったことにため息をつきながら立ち上がった。テーブルの上に用意してあった救急箱を持って台所に入っていく。
「大丈夫……じゃないよなぁ……」
そこでは自分の指を切ってしまい、涙目の”そいつ”と”そいつ”の指から流れる血を見て慌てふためいている長森がいた。テーブルの上は何と言うか、物凄いことになっている。大量に切られた野菜。サラダでも作るつもりだったのか?他にもジャガイモやら肉やらタマネギやら……ああ、カレーでも作るつもりだったんだな。
とりあえず俺は”そいつ”の側に歩み寄るとその指を口にくわえた。
その途端”そいつ”が真っ赤になる。何故か側にいた長森も。
「……あんまり心配かけるんじゃない」
そう言って俺は”そいつ”の指の手当を始めるのだった……。

澪&浩平シリーズ第2弾
料理と彼女たちの思いと……

「はぁぁ〜〜」
俺がせっせと”そいつ”、上月澪の指の手当をしているすぐ横で盛大なため息をついたのは誰あろう、長森瑞佳である。もはや腐れ縁と言っても構わないだろう、長い付き合い……まぁ、俺がここに引き取られてきてからの付き合いだが。
こいつは本当に何でもそつなくこなす。弁当だっていつも自分で作ってくるし、家に8匹もいる猫の世話も全部自分でやっているそうだ。まぁ、家事全般に精通(これは言い過ぎか?)しているわ、成績もまぁいい方だわ、才色兼備とはこいつのことを言うのだろうな。本人に言うと思いっきり「私なんか大したことないよっ!!」とか「私よりも凄い人、一杯いるよぉ」とか言って否定するんだろうな、きっと。
そんな長森と澪を比較するのは少々澪にとって酷なことかも知れない。そもそも喋ることが出来ないと言うハンデを背負っている上に、元気だけはあるがそれが微妙に空回っていると言うか何と言うか。おまけに何て言うかドジだし。目を離すと心配になるっつーか。…………なんか長森とは比べるべくもないような気がしてきた。
まぁ、二人は全く違う人間だし、それぞれにそれぞれの魅力があるから比べるという行為自体が間違っているかも知れないが。
「はぁぁ〜〜」
また盛大なため息をつく長森。何と言うか、嫌味に感じるのは気の所為か?
「……何だ、長森?」
俺は澪の指の手当てする手を止めて長森を見やった。
長森はやや呆れたような、がっかりしたような表情を浮かべて澪を見つめていた。で、見つめられている澪はと言うと切った指が痛いのと長森のため息の所為か、泣き出しそうな表情を浮かべている。
「あ〜……長森君。澪はまだそんなに包丁に慣れていないのだろうからしてあまりそうやってあからさまな態度を取るのはいかがかと思うのだが?」
俺が澪を気遣ってそう言うと、長森はまた盛大なため息をついてみせた。今度はご丁寧に手を頬に当てて、何か本当に失望したって言う感じを露わにしている。
「………まだ続ける?」
俺のことなどあっさりと無視して長森が澪に問う。
澪は長森の方を見ると大きく頷いた。
「……わかったよ。じゃ、続きやろうか」
そう言うと長森はすっと立ち上がった。
続けて澪が立ち上がろうとするが、その手を取って俺がまた座らせる。まだ切った指の手当は終わってない。消毒液をかけてガーゼで血を拭いてやった程度しかしてないのだ。せめて絆創膏でも貼ってやらないと傷が気になって話にならないだろう。救急箱の中に入っていた絆創膏を指に綺麗に貼ってやり、それから澪の頭にポンと手を乗せる。その途端、澪の顔に笑みが浮かんだ。さっきまで泣きそうな顔していた癖に……なんて切り替えの早い奴。
「……まだ、浩平?」
長森が物凄く冷たい声を俺にかけてきた。う〜む、何かこいつに悪い事したか、俺? とにかく長森は俺の存在が邪魔だと言わんばかりに俺を台所から追い出してしまう。
………ここの家は一応俺の家(正確には叔母の家だが)なんだが………。まぁ、台所の主導権は今は長森にあるので仕方ないかも知れない。とりあえず役目を果たした救急箱を持ってリビングルームに戻る俺。暇つぶしにテレビでも見ようかと思ってリモコンに手を伸ばしたがろくな番組をやっていない。
「全くもって……暇だねぇ……」
そう呟きながら何気なくテレビを見ているとまたざくっと言う音が聞こえてくる。
「わわわ〜〜〜〜」
「〜〜〜〜〜〜〜」
また長森の慌てた声。
ついでに声にならない悲鳴も聞こえてきたような気がする。
「ハァァ……」
ため息をついて俺は再び救急箱を手に立ち上がった。

事の始まりは極めて明快だ。
ある日の昼休み、例によって屋上で買ってきたパンをかじっていた俺の所にひょこひょこと澪がやってきた。別段待ち合わせている訳でもないのだが、俺を見つけると嬉しそうに満面の笑みを浮かべて俺の隣までやってくる。手にはやっぱり食堂で買ってきたらしいパンが幾つか。
『いただきますなの』
わざわざそう書いてあるスケッチブックを俺に見せて(別にそうしろと言った訳でもないが)、パンを袋から出す澪。何か嬉しそうにパンをその小さい口に頬張っている。
「……そう言えば弁当って持ってこないよな、澪って」
何気なく俺がそう言うと澪が俺の方を見上げた。まぁ、俺と澪の身長差を考えればそれも仕方ないのだが何となくその仕種が可愛い。
「イヤ、何となくなんだがな。あのおばさんなら作ってくれても不思議じゃないと思ったんだが」
俺は澪の母親を思い出しながらそう言った。
あの澪とはまるで友達のような明るいおばさん。あの人はあの人なりに澪をしっかり支えていることは想像に難くない。しかし、それ以上に今の澪や俺で遊んでいるような気もするが……まぁ、それはおいておこう。あの優しそうなおばさんが澪にお弁当の一つも作らないとは思えないんだが。
「別に働いている訳でもないだろ? 確か専業主婦だって聞いたし」
そう言うと澪は首を左右にふるふると振った。
『作ってくれないの』
スケッチブックに素早くサインペンを走らせる澪。
『昔は作ってくれたけど最近は全然なの』
「最近は?」
スケッチブックを見た俺がそう尋ねると澪はこくりと頷いた。
『浩平さんを紹介してからは全然作ってくれないの』
更にささっとスケッチブックにペンを走らせる。
う〜む、俺が澪の母親に紹介されたのはつい最近のことだ。どうやらターニングポイントはそこか……って俺か!?俺の所為なのか!?
「ど、どう言うことかな、澪君?」
思わず引きつった笑みを浮かべて尋ねる俺。
澪は少し赤くなると、またスケッチブックにペンを走らせる。
『花嫁修業しなさいって言われたの』
『料理ぐらい作れるようになりなさいって言ったの』
『その一環としてお弁当は自分で作りなさいって』
『でもどうやっても間に合わないの』
ふむ……何となくだが理解出来た。
あのおばさんはどうやら俺をかなり気に入ってくれたらしく、澪の結婚相手はすっかり俺だと思い込んでいる節がある。まぁ、俺もこいつの面倒は一生見るつもりだが……それにしても気が早いんじゃないか?まだ俺も澪も高校生なんだし。
『頑張ってるけどなかなか難しいの』
「まぁ、一朝一夕に出来るものじゃないだろうな」
そう言いながら、ふと自分で弁当を作ってきている奴のことを思い出す。うちのクラスで例えるなら………そう、長森とか茜とか。間違っても七瀬ではないだろう。あいつはクッキー以外作れないはずだ。それ以外のものが作れるとしても……食べたいとは俺は思わない。何を混入されるかわからないからな(まぁ、全ては俺が悪いのかも知れないが)。
「……澪は……料理とか苦手か?」
そう尋ねると澪は顔を真っ赤にして手に持っていたスケッチブックで俺を叩いてきた。この反応で充分。どうやら自信はないようだ。
「ふむ………」
スケッチブックで叩かれながら俺は考えた。
このままずっと澪と付き合っていき、結婚するなら料理を覚えさせておいて損はないだろう。イヤ、損どころか有意なはずだ。本人もそうだし、俺にしてもそうだし。
「よし」
そう言って手をポンと叩く。
澪がそんな俺を見て首を傾げる。
俺は澪を見るとにやっと笑った。
「澪君、君の好きな特訓だ」
澪はそんな俺を見てビクッと身体を震わせ、顔を引きつらせた。

まぁ、そう言う訳で澪の料理特訓を始めることになったのだが誰がコーチをするのか、と言うことが最初の問題だった。
手っ取り早く同じ演劇部の深山先輩に頼もうと思ったのだが、あっさりと拒否(本人曰く「悪いけど私も料理が得意って訳じゃないのよ」と言うことらしい)され、一緒にいたみさき先輩はこちらから丁重に遠慮させて貰った(みさき先輩と料理って言うとどっちかというと食べる方しか思いつかない)。
澪とは仲のいい茜に頼もうかと思ったがあいつの味付けは非常に甘さに偏る傾向にある。それはまずいだろうと思い、話をする前に止めた。話を持っていく時と何処からともなくあいつが出てくるような気がしたからだ。あいつが出てくると話がややこしくなることこの上ない。
後は………やはりと言うか何と言うか長森しかいないだろう。七瀬には間違っても頼む訳にはいかないしな。俺の命がかかっている。とりあえず長森ならそれなりにやってくれるだろう。
「と言うことでお前に頼みがある」
わざわざ長森の席の前まで来て俺がそう言うと、次の授業の予習でもしていたのかノートを開いていた長森が俺を見上げた。
「珍しいね。浩平がお願いだなんて」
そう言うとニッコリと微笑む。
「で、何かな? 私に出来ることだったら何でもするよ」
流石は長森。こう言う時には頼りになる奴だ。こう言う幼馴染みがいて俺は幸せだと思うぞ。
「料理を教えて欲しいんだが」
「……料理?」
途端に訝しげな顔をする長森。
「ああ、料理だ。間違っても格闘とか殴り合いとかをお前に教わろうとは思ってない」
「そんなの出来ないよ……で、何で急に料理な訳?」
何故か長森は不審げな顔をしている。
「何か食べたいものがあれば作ってあげるよ?」
「イヤ、それは別にいい。それにお前は一つ勘違いしている」
「勘違い?」
「料理を教わるのは俺じゃない。こいつだ」
そう言うと俺は俺の背中に隠れていた澪を引っ張り出した。おどおどしながら澪は長森に向かってぺこりと頭を下げる。何でここまでおどおどするかな、こいつは。
「ふぅん……そっか、浩平じゃないんだ。いいよ、教えてあげる」
ちょっと不服そうに長森が言う。何だ……何か機嫌の悪くなるようなこと言ったか、俺?
『お願いしますなの』
澪がそう書いたスケッチブックを長森に見せている。
そのスケッチブックを見ている長森の目が物凄く冷たいことに俺はまだ気付いていなかった。

さて、話を戻そう。
放課後になって俺を迎えに来た澪と買い物をして俺の家に戻る。澪の家には事情を話し、今日は俺の家で料理の特訓をすると言っておいた。例によって澪のおばさんは「別に泊まって行かせてもいいわよ、でも避妊だけはきっちりね」と思わず真っ赤になってしまうようなことを宣われたが。でもって長森が来たのがその少し後。特訓を開始したのがそのすぐ後で今に至る。
再び指を手当てしてやっていると澪が泣きそうな目で俺を見ていることに気づいた。
「どうした? 痛いのか?」
俺がそう言うと澪は首を左右に振った。それからちらりと長森の方を見やる。
俺もその視線を追うように長森を見ると、長森は少し戸惑ったような視線を俺に向けていた。イヤ、違う。戸惑っているのではない。何処かショックを受けているような目だ。
「……どうかしたか、長森?」
「え……ううん、別に。ほら、続き続き」
長森はそう言って澪の手を引いて立ち上がらせた。
「そう慌てんなって……」
俺がそう言うがそんな俺をキッと長森は睨み付けてきた。
「浩平は黙ってて!! だいたい料理を教えてくれって言ったのそっちだよ!!」
いきなり長森が怒鳴ったので俺は驚きのあまり言葉を失った。こんな長森は今まで見たことがない。
「ほら早く! ヘタなんだからもっと練習するんでしょ!!」
何だ……こんな展開は予想してなかったぞ。
長森は無理矢理立たせた澪に突き付けるように包丁を手渡した。
包丁を受け取った澪が不安そうに俺を見る。俺は……呆然としたままだった。
「そんなんじゃダメ!」
おどおどしながら包丁を使い始める澪に長森の厳しい声が飛ぶ。
「もっと手際よくやらないとダメだよ!! ほら、もう一回!!」
こんなに容赦のない長森を見るのは初めてだ。こいつ、実はそう言うタイプだったのか?イヤ、そうじゃない。俺の知っている長森はそうじゃないはずだ。じゃどうしてだ?
「また指を切りたいの!? ほら、包丁の使い方、さっき教えてあげたでしょ!!」
長森に怒鳴られて澪はもう泣きそうになっている。
……長森ならきっと澪にちゃんと料理を教えてやれると……そう思ったのに……一体なんだ、この光景は?
何で長森はそこまでイライラしている?
こいつ、いつも俺には”ちゃんとした誰かがついていないと心配”とか言っていたのに……。俺が澪と付き合いだしたことを話した時にはこんな事はなかった……イヤ、一瞬だけだが何か不安そうな顔をした。それを思い出した瞬間、俺は全てがわかったような気がした。
「もう、そんなんじゃダメって言ったでしょ!! ほら、貸して!!」
そう言って長森が澪を突き飛ばすようにして包丁をその手から取り上げた。
「もういい!!」
それを見た俺は思わず怒鳴っていた。
その声に澪も長森も驚いたように俺を見た。
「もういい……お前に頼んだのが間違いだった」
俺はそう言うと澪の手を取ってリビングに連れて行った。
澪は呆然としている長森を気にしていたが、俺は長森を全く無視して澪を連れていく。リビングのソファに澪を座らせると俺は台所に戻ろうとしたが、その服の裾を澪が掴んで俺を引き留めた。
『ダメなの』
そう書いたスケッチブックを俺に見せ、首を左右に振る。
「澪……あいつをかばうのか?」
俺は不機嫌そうにそう言い、澪の前にしゃがみ込んだ。
「いいか、あいつはお前を認めていないんだ。あいつはいつも、口癖のように言っていた。俺にはしっかりした人が居ないとダメだって。あいつはお前のことをしっかりした人だと思ってない。俺には不釣り合いだと思っている」
俺の言葉に澪は泣きそうな顔をして首を左右に振った。口を開き、何事かを言おうとするが言葉はでない。だが、何を言おうとしたのか俺にはわかる。
『違うの』
『そうじゃないの』
何が違う? そうじゃなければどうだと言う?
「澪、聞くんだ。長森はお前にわざと冷たく当たっているんだ。あいつはお前に嫉妬している。俺が選んだお前をあいつは認めようとはしない。だからあんなマネをしたんだ」
俺がそう言って澪は首を左右に振るだけ。それにいつの間にか泣き出してさえいる。
「……泣くなよ……何でお前そこまであいつをかばうんだ?」
俺にはわからない。
長森の態度は明らかに澪を嫌っているように思えた。あいつはあんな態度を取るのを俺は今まで見たことがない。イヤ、他に見たことある奴などいないだろう。あいつを知っているものが見れば驚くに違いない。
なのに、その行為を受けた本人である澪はさっきから俺の意見を否定するように首を振り続けるだけ。
「澪……?」
俺が呼びかけるが澪は首を左右に振るだけだった。
仕方なく俺は泣いている澪をリビングに残し、台所に行った。そこでは呆然とした長森がぺたんと床に座り込んでいる。
「全く……」
俺は台所を見てそう呟いた。
最初に澪の指を手当てした時よりも散らかっている。どうやら俺がリビングにいる間もかなりやらかしてくれていたようだ。俺は嘆息しつつ長森の前にしゃがみ込んだ。
「正直言って驚いたよ」
「……浩平?」
「お前がああ言う態度を取るとは正直言って思わなかった。お前ならちゃんとやってくれると思ったんだがな」
俺が明らかに落胆したのがわかったのだろう、長森も表情が暗くなる。
「お前を見誤っていたのかと思うと正直残念だ」
「私は……それほど出来た人間じゃないよ」
俺から視線を背けて長森が言う。
「ねぇ、何で? 何であの子なの? もっといい人、いたと思うよ? どうして……どうしてあの子を選んだの?」
目を背けたまま長森が尋ねてくる。
俺は少し黙り込んだあげく、答えようとはしなかった。黙って立ち上がる。
「どうして……どうしてなの?」
「……答えれば納得するのか?」
まだ同じ事を言う長森に俺は冷たく言い放った。
「俺がどうして澪を選んだか、それを言えばお前は納得するって言うのか?」
長森は何も答えない。答えられるはずがない。長森自身が澪を認めてない以上、納得出来るはずがない。長森の基準から言えば澪はそれに当てはまらないこと夥しい。どう考えても納得出来るはずがないのだ。
「もういいよ。後かたづけは俺がやるから帰れ」
俺がそう言うと長森がハッとしたように俺を見上げた。
その時になって俺は気付いた。長森の目にも大粒の涙が浮かんでいたことに。
「ゴ、ゴメン……浩平……」
長森がそう言って立ち上がる。
台所から出ていこうとした長森の前に、リビングにいたはずの澪が立ちはだかった。
両手を広げて長森を通せんぼする澪。その目には涙が浮かび、真っ赤な顔をして首を左右に振る。
「……何?」
長森は目の前で通せんぼする澪を見て、ムッとしたように澪を見る。
「どいてよ……どいてってば!!」
そう言って乱暴に澪を押しのけようとする長森だが、澪はそんな長森に取りすがった。そして首を左右に振る。
「何よ!! 何するんだよ!! 離してよ!!」
そう言って澪を振り払おうとする長森。
それを見ていた俺には澪の気持ちがどうしても理解出来なかった。一体どう言うつもりなんだ?
しかしながら元々ちっちゃい澪だ。演劇をやっているからそれなりに力はあるのだろうが、体格の差かついには振り解かれてしまう。
床に投げ出される澪。
それを見下ろす長森の顔にはしまったと言うような表情が浮かんでいた。
「澪っ!!」
俺が倒れた澪の側に駆け寄ると、長森はまるで逃げ出すように走りだした。
「長森!!」
走り去っていく長森を見た俺が声をあげると、澪がハッと起きあがり、まるで長森を追いかけるように走り出した。
「お、おい!! 澪っ!!」
とりあえず俺も澪を追って家から飛び出していく。台所の片付けはまた後だ。どうせ由起子さんもまだ帰ってこないだろう。ガスの元栓とかはしまっているから大丈夫なはず。後は玄関の鍵を一応かけておくだけ。それだけやってから俺は澪と長森を追いかけた。

二人がどこに行ったのかまるで見当もつかなかった。
片方だけならどこに行ったか見当がつかない訳でもない。そこに行ってみたがそこには誰もいなかった。となると………どこだ?
とりあえず心当たりのある場所を走り回ったがそのどこにも二人の姿はない。
諦めかけた俺がとぼとぼ歩いていると近くの公園からキコキコとブランコをこぐ音が聞こえてきた。
そっと覗き込んでみると、そこには長森の姿がある。
やっと見つけた……とりあえず片方だけだが。そう思って公園の中に入ろうとすると、反対側から澪が入ってくるのが見えた。何となく姿を隠してしまう俺。
澪は長森の前まで来ると、じっと長森を見た。
そんな澪に気付き、ブランコをこぐのを止める長森。
「……何しに来たの?」
長森が冷たく言い放つ。
「笑いにでも来たの?」
澪はふるふると首を左右に振って否定の意志を伝える。
『お話がしたいの』
手に持っていたスケッチブックにはそう書かれている。
「話……? 私には話すことなんか無いよ」
長森がそう言って立ち上がろうとするが、澪はそれを引き留めた。
『聞いて欲しいことがあるの』
「……」
澪の決意は固いらしいことを理解した長森が再びブランコに腰を下ろした。
『浩平さんのことが好きなの』
「……わかってるよ、そんな事」
『まだ全然至らないけど』
『それでも浩平さんのことは誰よりも好きなの』
「……至らないって事は理解しているんだね」
長森の嫌味に澪は頷いてみせる。
『だから』
『浩平さんに似合うようになりたいの』
『ずっと浩平さんの側にいたいから』
『それを聞いて欲しかったの』
泣きそうな顔をして澪はスケッチブックを長森に見せている。
「……ずっと側に、か……」
静かに呟く長森。
「私がそのポジションにいるんだと思っていたんだけどね……」
それは俺にとって驚きべき告白だった。
これ以上聞いて言いものかどうかはわからない。だが俺はその場から動くことが出来なかった。
「私もね、浩平のこと好きだったんだよ。でも……私じゃダメなんだね」
長森の呟きを聞いた澪が首を左右に振る。
『それは違うの』
「違わないよ。浩平はあなたのことしか見てない。もう私が側にいなくても大丈夫」
『違うの』
『それは間違ってるの』
「何が違うって言うの?」
長森はそう言って立ち上がった。
「私は浩平の側にはしっかりした人がいて欲しいと思っていた。でもね、その反面自分以外の人が浩平の側にいるって言うことが想像出来なかった。いつの間にか……自分が一番浩平のことを理解しているんだ、自分が居ないと浩平はダメなんだって思い込んでいたんだよ」
長森のその告白を澪は黙って聞いていた。
「だからあなたのことが気に入らなかった。いつの間にか現れて、浩平の心を奪ってしまったあなたのことが」
その言葉に澪はビクッと身体を震わせた。
「でも……ああやって冷たく、きつく当たっても必死のあなたの姿見て……私が間違ってるような気がしたの。でも……目の前で浩平に優しくされてるの見たら……」
長森はそう言うと俯いてしまう。
ああ、そうか。
俺は自分のことが馬鹿だと思う。長森の気持ちなど考えもしなかった。長森が俺にどう言う思いを寄せていたかなど少しも気付かなかった。なのにそんなあいつの前で俺は……。
しかし、俺は澪を選んだ。澪も俺を選んだ。もうそこに長森の入る余地はない。それは間違いない。もうどうすることも出来ない、と思う。少なくても俺にはあいつの気持ちに答えてやることは出来ない。
俺がそんな事を考えていると、澪は長森にハンカチを差し出していた。いつの間にか泣き出していた長森に澪がハンカチを差し出していたのだ。
「何で……何でそんなに優しく出来るの?」
ハンカチを差し出した澪を見ながら長森が問いかける。
それは俺も同感だった。あそこまでやられながら何故そこまで優しく出来るのか。俺には澪が何を考えているかわからない。
『同じだから』
その言葉に長森がハッと顔を上げた。
「同じ……?」
こくりと頷く澪。
『同じ立場ならきっとそうしていたの』
『浩平さんのことが好きだから』
『きっと同じ事をしていたと思うの』
澪のスケッチブックを長森は黙って見つめている。
『だから長森先輩の気持ちがわかるの』
『浩平さんのことが好きな気持ちがわかるの』
「言って……くれるね」
ハンカチを澪から受け取りながら長森が言う。自分の涙をそのハンカチで拭き、そして長森はいつもの優しい笑みを浮かべる。
「……ありがとう、上月さん」
そう言った長森は……少なくても俺には……いつものあの長森のように思えた。
「それとごめんなさい。私、あなたに嫉妬してた。浩平を選んだあなたに、それとあなたを選んだ浩平にも」
長森が澪に向かって頭を下げている。
澪は恐縮したように手を振り、それから何を思ったか長森と同じように頭を下げた。
端から見ている俺にとってそれはかなり滑稽なように思えたが流石にここで大声出して笑う訳にも行かずじっと堪える。
すると、長森と澪が笑い出した。
やれやれ、どうやらこれで一安心って所だな。
そう思った俺はその場から二人に気付かれないように離れ、先に家に向かって歩き出した。
公園から少し離れたところで、俺は後ろから近付いてくる足音に気がついた。何かイヤな予感がする。こう言う予感は得てして的中するのが基本だが……そんな事を考えていると背中にどすっと言う感じで衝撃が。
「ぐはっ!」
思わずのけぞる俺。
振り返るとそこには澪がいて、俺に抱きついていた。
「み、澪……」
ニコニコと嬉しそうな顔で俺を見上げる澪。と、いきなり片腕を取られた。そっちを見るとそこには長森の姿。何故か俺の腕を取って離さない。
「あの……長森さん……?」
やや引きつった顔で俺が長森を見るが長森は笑みを浮かべたまま、何も答えようとはしなかった。
そんな長森は少しムッとしたように見上げる澪。
澪の視線に気付いた長森は笑みを澪の方に向けてこう言った。
「私の気持ち、わかってくれるんでしょ?」
その言葉に澪は更にムッとした顔になって俺を抱きしめる腕に力を込める。
ぐはっ……澪、それじゃ俺が苦しい……。
そんな俺に気付いているのかいないのか、長森もギュッと俺の腕を強く抱きしめるかのように自分の身体に押しつけてきた。
な、長森さん……? あなたってそう言うキャラじゃなかったはずでは?
焦りまくる俺、長森を見てムッとした顔のまま俺をより強く抱きしめる澪、そんな澪を見返して俺の腕を放さない長森。
一体どう言うことなんだよ?
もう俺には訳がわからない。
誰か、助けてくれ〜!!

『浩平さんは絶対に渡さないの』
「まぁ、ちょっとくらいは良いと思うけど?」
『絶対に渡さないの!』


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